甲斐武田を探検っ!!

 

普明院

 

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大月市黒野田にある普明院です。こちらは国道20号沿いにあるお寺、甲府からだと笹子峠越えて一息(武田勝頼が最後に越えられなかった峠です)、東京からだと「日本橋ヨリ二十五里」だそうで、さぁいよいよ笹子峠!というような場所でしょうか?かつては一里塚もこのあたりにあったそうです。

 

  

 

さて、こちらの普明院ですが、信玄に遠江先方衆として仕えた、天野宮内右衛門尉景貫の子景信が関係しているお寺です。

遠江犬居(遠江北部)の天野景貫は当初今川氏に仕えていましたが、永禄十一年(1568)今川氏の滅亡の後は徳川家に仕えます。しかし、元亀三年武田氏の駿河・遠江侵攻の圧力に屈し武田氏に仕えるようになります。その後は三河奥平氏などの山家三方衆を降す中心的な役割を果たすなど、武田氏の中で活躍していきます。

しかし、徐々に徳川氏の圧力を受けるようになり、天正三年(1575)とうとう徳川氏に敗れ、甲斐に退去。このあたりに居を構えたのだとか。やがて武田氏が滅亡し、今度は北条氏が甲斐の郡内地方に侵攻。郡内小山田氏遺臣などは北条氏に仕えたものが多く、天野景貫も北条氏に仕えることとなります。景貫の死去した年などは不明です。

話が長くなりました。本題に戻りますね。こちらのお寺の敷地内(本堂すぐ横)の毘沙門堂の毘沙門天はその景貫の子景信と同じ身長なのだとか。景信の死去後つくられ祀られたのだそうです。景信の法名は「永昌院殿隣岩徳行居士」。こちらのお寺自体、天正十一年(1583)、天野景貫の子により創建されたという話も伝わっています。

 <2007/12/6>