甲斐武田を探検っ!!

 

普光寺 米倉左大夫豊継墓所

 

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武川衆の中の一人、米倉氏です。と言っても、もとは現笛吹市八代町米倉のあたりに住んでいたそうですが。八代では若彦路(古くから開けた甲府市酒折〜駿河をむすぶ道です)の警固に携わっていたのではないか?といわれてます。やがて武川筋に屋敷を移し、天正十年(1582)に武川衆棟梁となるようです。武田氏滅亡後、徳川氏からの所領安堵状では「武川衆」として名が残っています。

 

 

 米倉豊継は信玄・勝頼に仕えます。たびたび武功もあげ、武田氏滅亡後は、先に述べたとおり「武川衆」として徳川氏に仕えます。

この辺は武田氏ゆかりといいますか、武川衆ゆかりの地が多いです!半日で結構行けてしまいます。実相寺高龍寺・普光寺はセットでみてもよいですね。季節があえば桜並木なども一緒に。しかし、わき見運転は注意を!!

墓所ですが、左の写真、チョット離れた道から撮った写真ですが、真ん中に白い四角は説明板なのですが、そこを目指していけば簡単に墓所までたどり着けます!

 

米倉左大夫豊継墓

法名は連穀香院日祐。慶長年間には甲斐国旗本として名が残ります。天文十九年(1550)に生まれ、寛永四年(1627)に死去したと伝わっています。

<2006/10/14 2008/5/28修正>