甲斐武田を探検っ!!

 

大泉寺 武田左京大夫信虎墓所

 

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すっかり武田信玄の英雄伝説で悪者となってしまっている父、信虎です。しかし、そうはいっても荒れた甲斐一国を統一した人物です、まだまだ評価されてよいはずです。・・・確かに外交政策が不安定さ、争いの恒常化、あげくには大規模な飢饉の発生などで家臣や領民にはウケがよくなかったみたいですけどね。

と、いうことで、大泉寺入口には左のような大きな石碑?が建ってます。信虎公墓所入口です!みたいな感じですよね、きっと。有名なお寺ですから、山の手通りに案内標識もあり行きやすいはずです。しかし朝夕は渋滞していますのでご注意を。

こちらの大泉寺、開基が武田信虎、歴史があるだけあって、かなり重厚な趣のあるお寺です。山門も由緒あるものです。

天文十年(1541)信玄(当時晴信)の無血クーデターにより甲斐を追放された信虎、駿河や京に滞在したあと、甲斐に再入国しようと信濃まで来ますが、武田勝頼により高遠に留め置かれます。その後、勝頼はじめ重臣と対面を果たしますが、甲斐入国の夢かなわぬまま天正二年(1574)3月5日高遠の禰津神平宅にて死去、81歳。

 

 

さぁ!いよいよお墓見ようかぁっ!!なーんて行くと・・・霊廟?の門、しっかり閉まってます。来た時間悪かったかなぁ、って思い、しょうがないんでトボトボ裏にまわるとありました信虎のお墓が、ブロック塀の向こうに!いいのか?、こんなとこから写真撮って・・・なんて思いつつ。真ん中がお墓だそうです。しかし、そういえば書籍などに載っているモノも大体同じような構図ですね。

 

武田左京大夫信虎墓

法名「大泉寺殿泰雲康庵主」、信濃高遠で死去して、ようやく甲斐に帰ることができた信虎です。

 

 

ちょっと上からお墓撮りました。どんなトコから近景撮ったかわかるはず!

そういえば、恵林寺にも武田勝頼が建てたといわれる信虎のお墓があります。

<2006/8/11>

大泉寺参拝者駐車場の東には「夢山稲荷尊天」があります。こちらは、大泉寺東にある夢山の鎮守なのだそうです。

今川氏家臣福島氏の甲斐侵攻を受け、飯田河原合戦での勝利のあとも未だ兵を引かない敵の視察のため、登った山でうっかりまどろんだ信虎が夢の中で「生まれる子供は曽我五郎の生まれかわり」とお告げを受けます。そして、眼を覚ますと嫡男(のちの信玄)誕生の報がもたらされます。

喜んだ信虎はその後の福島氏との戦いにも見事勝利。福島氏は駿河に撤退します。

生まれた子には「勝千代」と名づけられますが、どういう訳か右手を握ったまま開きません。天桂和尚に相談して、彼の導きどおり城の東にある池の水で勝千代の手を洗います。すると手が開いたのだそうです。

信虎は大永元年(1521)この池の近くに天桂禅長を招き開祖とし、自ら開基となり大泉寺を建立。さらに、信虎が夢見た山を夢見山と呼んだのだそうです。

・・・ものすごく、はしょってしまいましたが夢山と大泉寺、そして信虎と信玄に関する伝説でした。

<2007/5/18 追加>

 

 本堂裏の墓地には歴代住職の墓所があります。その中にはもちろん開山天桂禅長、さらに二世で信虎と勝沼信友の弟、吸江英心も。左の写真、中央と右の写真は天桂禅長です。左の写真で手前四塔あるうちの一番右が吸江英心です。

<2009/3/11 追加>