甲斐武田を探検っ!!

       板額塚

 

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史跡・関係地名:板額塚(坂額塚・板額塚)

住所:山梨県笛吹市境川町小黒坂

場所のわかりやすさ:○

駐車場:△(ないですが、適当に・・・)

説明板:○

売店:×

地図:

 

関係人物:板額(はんがく)御前・浅利与一義成など

<与一と板額>浅利与一は文治元年(1185)壇ノ浦の合戦で活躍し、「源氏の三与一(浅利与一・那須与一・佐奈田与一)」と称された人物。逸見清光の十男(十一男説もあり・・・与一=余一=あまった一=十一男)として生まれています。ちなみに清光次男は甲斐武田氏の祖、武田信義です。

板額は越後の城氏の娘ですが、城氏は平氏方であったので鎌倉幕府からは冷遇され、さらに幕府に対し反乱を起こします。板額は自ら弓をとり大いに活躍しますが、失敗し捕われの身となります。しかし、その美貌・武勇に惚れた与一は板額を妻として迎えます。晩年、与一亡き後板額は浅利氏の館ではなく、石橋の館で過ごしたといいます。石橋はこの塚の近く。浅利氏館は旧豊富村(現中央市)、石橋地区や板額塚のある小黒坂は旧境川村(現笛吹市境川町)になります。

静御前・巴御前と並び「三大御前」と称される板額(坂額)御前です。

<果樹園をのんびり歩きましょう>

 

周辺を果樹園に囲まれた場所にある、左写真の中央の木々が板額塚。ちなみに交差点名は板額坂です。主に農作業用車両が通るのでしょうか、舗装された小道が左右を走っています。この左右の道は板額坂と呼ばれています。左右どちらからでも板額塚に行くことができます。

 

左側の道を進むとご覧の通り右手に石段が現れます。一応案内表示がありますが、ラミネート加工したものですので、長くはもたないと思いますので承知しておいてください。

 

こちらは右手の道。少し進むとこちらにも表示があり石段がありますので、間違うことはないと思います。

左右の道、石段をあがると板額塚が現れます。左手から行くと写真奥から、右手からだと写真右から到着と成ります。

  

この塚は板額御前の墓所とも、分骨された場所とも伝わります。塚には明治十五年と彫られた石祠があります。普段は訪れる人も少ないのでしょうか。静かな場所でした。

周辺の甲斐武田氏関係地:坊ヶ峯石橋八幡神社など

参考文献:甲斐国志・板額御前物語/編集山梨日日新聞社など

<2012/9/25>