甲斐武田を探検っ!!

       大野城

 

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史跡・関係地名:大野城(城山・大野寺城・小物成山城・愛宕山城)

住所:山梨県笛吹市御坂町大野寺

場所のわかりやすさ:×

駐車場:△(専用はないですが適当に)

説明板:×

売店:×

地図:

関係人物:武田氏・穴山伊予守・南部氏など

<近年発見された城>笛吹市御坂町、甲府盆地東部にある大野(小物成山)城。甲斐国志では「大野寺村ノ東小物成山ノ最モ高キ峯ヲ城山ト呼ブ又愛宕山トモ云フ・・・古事ノ烽火台ニテ若彦路鎌倉街道ヘモ達スベキ地形ト見エタリ」と記されていて、古くから烽火台として認識されていたようですが、城の存在が明確に確認されたのは1983年から実施された中世城郭分布調査調査によります。なお、小物成山とは入会山の意味であって、村や地域で共同で管理し肥料となる落葉などを調達する山であったということです。特に地名などがついていない名称からも、近年まで知られる(忘れられた?)ことのなかった城ということがわかります。しかし城の規模は大きく、山梨県史によると全長500mほどあるのだとか。

<尾根沿いを行く!>さて、城への登城ですが、大野寺地区にある福光園寺の南を通り過ぎると、すぐ高架がありますのでその下も通りすぎ、交差点を墓地の方まで行かずにすぐ右へ。そのまま道なりに進むと黄色い柵と遭遇します。

 

黄色い柵は獣除けなので、その柵を開けて城に向かいますが、柵は開けたら必ず閉めましょう。その後すぐに道は終わりますが、登山道ないのかあるのかわからない尾根沿いを直登。

 

キツイ登りですがしばらく進むと一つのピークに。ここは見張り台かと思われています。ふと南東側に眼をやると、更に奥に主郭部が控えています。まだまだこれから。再び尾根沿いを歩きますが、見張り台から一回下り、そしてまた急な登りが待ち構えます。

 

しばらく登るとちょっとした平坦部と段差の連続。そこは腰郭であると確認できます。主郭もすぐソコです。ちなみに写真にあるネットは獣除け。万里の長城なみに、麓から延々と続いていきます。

 

周囲を土塁で囲まれる主郭部に到着。楕円形なのでしょうか、比較的広めです。

 

主郭中央には石祠があります。これが名前の由来ともなっている愛宕神社の祠なのでしょう。しかしまだまだ半分程度。更にもうひとつ奥に主郭部があります。右写真細い尾根がなんとも恐怖心を煽りますね。

 

尾根を進むと先ほどより少し小さめの平坦地。ふと北東側をのぞくと堀切。堀切までは急斜面なのと体力的にきつくなっていたので、主郭から撮影しましたが、それでもはっきりとわかる状態のよい堀切です。

 

 

主郭部から南東側にもまだ遺構が残ります。尾根を再び歩き出すと、大きく状態のよい堀切が4本?残されています。

 

しばらく進むと送電線の鉄塔が現れますので、その脇を進み平坦地に到着。こちらは出城だと考えられています。この先の尾根沿いにも堀切があるのですが、ほぼ体力の限界だったので勘弁させていただきました。

 

左上写真は出城からの主郭部。結構歩いています。また麓に眼をやると小山城が見えます。文明四年(1472)信濃の大井氏が甲斐に侵攻、花鳥山で合戦。さらに大永三年(1523)穴山伊予守と南部某が花鳥山で戦い、穴山伊予守は自刃に追い込まれています。花鳥山周辺での合戦の記録が比較的多く残されているのですが、この城との関連性が指摘されています。また、天正壬午の乱では徳川勢は小山城に陣を構えます。北条勢は御坂城を築いていますが、この小物成山城は徳川方が守備、さらに改修も加え、これだけの規模の城となったのでは?と考えられています。鎌倉街道・若彦路を眼下に見ることのできる重要な場所ということですね。もちろん甲斐国志にあるように、烽火台の役も果たしていたのでしょう。

個人的には小山城と小物成山城の関係がとても気になります!

小物成山城は完全な山登りになるので、しっかりと準備をして行きましょう。雨の後などはキツイかもしれませんのでご注意を。

周辺の甲斐武田氏関係地:福光園寺・小山城花鳥山など

参考文献:山梨県史・天正壬午の乱/平山優他

<2012/4/17>