甲斐武田を探検っ!!

       金刀毘羅山烽火台

 

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史跡・関係地名:金刀比羅山烽火台

住所:山梨県笛吹市境川町藤垈

場所のわかりやすさ:△

駐車場:△(裏参道には一台程度)

説明板:×

売店:×

地図:

 

関係人物:甲斐武田氏など

<向昌院鎮守>曹洞宗向昌院という寺院が笛吹市境川町藤垈(ふじぬた)地区にあります。向昌院は寺記によると大永十七年(1520)に開かれたと伝わります。その向昌院鎮守として安永二年(1773)に創建されたのがこの金刀比羅神社。この神社が鎮座する地はかつて烽火台であったと伝わります。

 

向昌院付近から金刀比羅神社に向かう参道がありますが(当然途中から徒歩での登山)、時間短縮のため今回は自動車で林道を使い神社裏近くまで行きました。向昌院前の道をしばらく進み林道に入ります。この林道ですが道幅は広いとはいえませんが、舗装されているので比較的安全に(若干落石?の形跡がありましたが・・・)裏参道に到着できます。右手に石碑があるので、すにぐわかります。

 

裏参道から石段を登り、少し登山・・・ですが、ちょっと林道をご覧下さい。この林道は烽火台の堀切があった場所に造られたといわれます。堀切はあと一本あるはずですが、確認はできませんでした。

 

林道から5〜10分程度山を登ると金刀比羅神社裏に到着。歩く時間は短いのですが、山登りなので一応きちんとした格好はしていきましょう。

 

<烽火の中継地点?>金刀比羅神社の鎮座する場所は、金刀比羅山烽火台の主郭であったと伝わります。主郭部を見ると拝殿・本殿・神楽殿などが建っていますので他の烽火台に比べ広い主郭であったと考えることができます。神社の創建は安永二年、あったであろう遺構は消滅してしまったのでしょうね。

 

 

しかしながら、周囲には一段低くなった場所(帯郭)があり、主郭をほぼ取り巻いています。

 

この烽火台の地は、甲斐の重要な道であった中道往還と若彦路の間にあります。当然甲斐国内の各道沿いには烽火台が整備されていましたので、それらを結ぶ中継点の役割を担っていたのでしょうか。

烽火台の創立年代は不明なのですが、各道の中継点ということでは天正壬午の乱で徳川氏が使用したかもしれません。また、坊ヶ峯を眼下に望めます。信虎?・油川氏?が絡んでくることも大いに考えられると思うのですが、いかがでしょう。

次回は表参道から正々堂々登ろうと考えています!

周辺の甲斐武田氏関係地:向昌院・坊ヶ峯など

参考文献:甲斐国志・山梨県史他

<2008/3/29>