甲斐武田を探検っ!!

       鶯宿諏訪神社

 

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史跡・関係地名:鶯宿諏訪神社

住所:山梨県笛吹市芦川町鶯宿

場所のわかりやすさ:○

駐車場:×

説明板:×

売店:×

地図:

 

関係人物:足利義澄・大勝左近将監・大垣図書助など

<将軍様の屋敷跡?>自然豊かな芦川町鶯宿地区にある諏訪神社。笛吹市芦川町内を走る県道沿いにありますが、県道に面しているのは石段のみ。少し見つけづらいかもしれません。駐車場らしきものもありませんのでご注意下さい。

 

芦川村誌によると、かつてこの場所に室町幕府十一代将軍足利義澄の屋敷があり、後に大勝左近将監という人物の屋敷があったのだと伝わっています。大勝左近将監の子孫、大勝図書之助が屋敷内にあった御崎明神の場所に諏訪明神を歓請したがこちらの諏訪明神の始まりだそうです。足利義澄は十代将軍義植と争っていたなか永正五年(1506)四月十六日病死しますが、義澄の近くに仕えていた大勝左近将監らはこの地に落ち延び、この芦川を開拓していったといいます。

・・・この時点で、ずれている点がありますね。足利義澄が病死しているのに、「足利義澄の屋敷」があった諏訪神社。さらに、よく考えると当時、敵対していた足利義澄と当時の掘越公方の足利茶々丸。足利茶々丸は伊豆に本拠を置いており、北条氏などに攻められ伊豆より逃亡するのですが、その際には甲斐の郡内地方(富士山方面)にも来ています。敵対勢力の近くにワザワザ京から逃れてくるのだろうか?と思うのですが、墓所や菩提寺、近臣の話など。足利義澄に関して数多くの伝承が残されている芦川町。やはり何かがあるのでしょうか?

 

 <九一色衆とのかかわり>近隣地域の武士集団で、中道往還周辺や駿河との国境警備などの役目を担っていた「九一色衆」に大垣図書助という人物がいますが、武田家滅亡後、天正十年芦川鶯宿に十一貫本領安堵されており、名前が類似しているなどで、同一人物?または何かしらの関係性を芦川村誌は指摘しています。なお武田氏滅亡後、九一色衆は家康の関東移封の際武蔵に移った渡辺因獄佑以外は土着し帰農したと言われています。

周辺の甲斐武田氏関係地:中道往還・若彦路・足利義澄墓所・文珠寺など

参考文献など:武田氏年表-信虎信玄勝頼/武田氏研究会・穴山武田氏/平山優・甲斐の古道「若彦路」をたずねて/望月辰夫・芦川村誌など

<2011/9/25>