甲斐武田を探検っ!!

       足利義澄墓所

 

 史跡一覧へ

 人物一覧へ

 トップへはこちら→

ff052

史跡・関係地名:足利義澄墓所

住所:山梨県笛吹市芦川町鶯宿

場所のわかりやすさ:×

駐車場:×

説明板:×

売店:×

地図:

 

関係人物:足利義澄・大勝左近将監・宮川右近将監など

<第十一代室町将軍>鎌倉幕府を滅ぼし、足利尊氏は室町幕府を開きますが、その第十一代将軍に足利義澄という人物がいます。文明十二年(1481)に誕生し、永正八年に三十二歳で病死したと伝わります。在位期間は明応三年(1494)十二月二十七日〜永正五年(1508)四月十六日の13年間。甲斐武田氏に照らし合わせると、明応三年は武田信縄が実父武田信昌・弟油川信恵と甲斐国内で争い、信縄が実権を手にした時期。永正四年には信縄が病死し、翌五年にはあとを継いだ武田信虎と油川信恵の間で戦いがおき、油川氏は滅亡しています。

<人知れず・・・>笛吹市芦川町は山間にあり、特徴のある民家とともに自然豊かな場所として知られている地区です。甲斐武田に関係した史跡などないのかな?と思っていたのですが、甲斐武田どころではない?ものを知ってしまいましたので、ご紹介。

芦川町内を走り抜ける県道を鶯宿(おうしゅく)諏訪神社横の川沿いの道をさらに山に向かい入ります(駐車場所はないので、県道沿いに停めました)。少し進むと民家が途切れ右手に斜面が。その斜面の上に足利義澄墓所がありました。

 

左の写真でいうと、赤い消火栓の上、赤羽根の丘という場所にあります。ただし、この付近にある上り口付近から上がると普通の畑?に行き着いてしまいます。もうしばらく道なりに進んでいただきますと、右の写真(山側から撮影しましたので左写真とは正反対の方向を向いています)のようにもう一つ登れるところが出てきますので、そこを上がってください。登り切ると石祠がありますので、その下に足利義澄墓所といわれる石碑が建っています(説明板などはまったくありません)。

  

石祠に比べ、石碑は目立ちません。大きいモノを想像していた自分も良くないのですが、「小さいな」という印象ですのでご注意ください。実際の大きさは高さ60センチ・幅30センチほどです。その石碑ですが、正面に五輪塔が刻まれているこのあたりでは珍しいタイプ。横から見ると五輪塔が盛り上がっています!

<伝説が残る地>ナゼこの場所に室町将軍の墓所がひっそりとあるのでしょうか・・・。

「甲斐の古道『若彦路』をたずねて」によると、第十一代将軍足利義澄は第十代将軍義植(よしたね)と戦い争っていた最中、近江で病死します。義澄側は戦いに敗れ義植が再度将軍となりますが、義澄のそばに仕えていた大勝左近将監と宮川右近将監は一族を引き連れこの地に落ち延びたと伝わります。大勝氏、宮川氏はその後芦川を開拓していったといいます。同じ地区内の長徳寺には宮川姓の墓所が数多くあります。

ちなみに武田信武は足利尊氏の姪を妻にするなど、足利氏に信頼され深い関係にあり、甲斐と甲斐武田氏は足利氏と深い関係を築いています。芦川の地も甲斐武田氏と関係が深い向嶽寺の末寺(長徳寺も臨済宗)があり、甲府盆地にある向嶽寺派聖応寺には、この地から武田氏より寺領が寄進されています。芦川地区は甲斐武田氏が直接関与できる地であったと考えられてもいます。

そのような地で大勝氏・宮川氏が、今一度の復興を夢見て足利義澄の墓所をこの地に建てた・・・。意外にも、実際なにか足利氏と関係がありそうなので、驚きました。このほかにも足利氏とその近臣に関する伝説が多く残され、とても怪しい芦川地区でした。

なお、「芦川(あしがわ)」という地名、一説には「足利(あしかが)」を隠した地名であるとも言われます。

周辺の甲斐武田氏関係地:中道往還・若彦路・長徳寺・文珠寺など

参考文献など:武田氏年表-信虎信玄勝頼/武田氏研究会・甲斐の古道「若彦路」をたずねて/望月辰夫など

<2011/9/19>