甲斐武田を探検っ!!

       奴白殿館跡

 

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<史跡・関係地名>奴白殿館跡

住所:山梨県笛吹市八代町北

地図(別ウインドーになります)

場所のわかりやすさ:×(畑の中にあるのでわかりづらいのです)

駐車場:×(ないです)

説明板:△(あるのですが、設置状況が良くないのです)

売店:×

<関係人物>奴白基経・武田信重など

<奴白?八代?ぬばく?やつしろ?>葡萄畑内に説明板が建っている「奴白殿館跡」。畑の中側に向かって建っています。ナゼでしょうか・・・。普通ではまず読むことはできないはず。勝手に畑に入ってはいけないですから、なんとか頑張って腕を説明板表に回りこませてデジカメ撮影しました。

 

写真は撮影しましたが、実際にこの場所に何があるのでしょう・・・。ここの説明板近くににまとまる石塔以外、遺構なども残されていない模様です。

 

<武田信重自刃>明徳二年(1450)当時の甲斐守護武田信重が小山城の穴山伊豆守に攻められ自刃した際、子の一人は母の実家であるこの奴白氏館に逃れたといいます。のちに彼は奴白氏を継ぎ、八代(奴白)基経と名乗ります。「八代町誌」によると、武田信重の遺命により家臣逸見又四郎朝俊が遺児とその母を奴白殿方に逃がしたと記されています。さらに「東山梨郡誌」では基経は一條次郎長基の養子となり、現甲州市塩山赤尾に住んだとも伝わっています。「東山梨郡誌」のほうは勉強不足でよくわかりません。これは宿題にします。

また穴山氏の領地である現南部町の慈眼寺に牌子が残されていることから、小山城の穴山氏を滅ぼし、一時期穴山氏も継いだのでは・・・とも、「穴山武田氏」では推定しています。

ちなみに信重の子には武田信守、穴山信介、小佐手永信、八代基経、下曾根賢信、恵光寺などがいます。

周辺の甲斐武田氏関係地:清道院小山城・若彦路など

参考文献:甲斐国志・穴山武田氏/平山優・八代町誌・東山梨郡誌など

<2011/7/17>