甲斐武田を探検っ!!

       新城

 

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史跡・関係地名:新城(しんしろ)・古城とする説も

住所:山梨県笛吹市春日居町・甲府市

場所のわかりやすさ:×

駐車場:○(麓の大蔵経寺などに)

説明板:×

売店:×

地図:

 

関係人物:武田信虎・武田信昌など

<低いけど百名山>山梨百名山の一つでもある標高716mの大蔵経寺山。JR石和温泉郷駅の北方に望める山なので、山梨に来た方はわかりやすいはずです。大蔵経寺山には、麓の大蔵経寺、山神宮などから登ることができ、およそ1時間程度で山頂に到着することができます。

さて、こちらの山は大蔵経寺山・御室山・お天狗山・北山など様々に呼ばれ、いつも目に入ることもあり地元に慣れ親しまれています。古くからの言い伝えで、山梨に災害があるときにはこの山が震えたとも伝えられます。その大蔵経寺山、石和町誌によると山城が三つあったと紹介されています。その城の名称は、小手城・新城、そして古城。甲斐国志山川部「菩提山」でも紹介されている古跡です。

<明確な遺構>石和町誌によると、こちらの山頂周辺が城跡だと伝えています。なお、石和町誌などはここを「古城」としていますが、何かとお世話になっている「図説山城探訪」は「新城」としています。いまだ曖昧な状態なのですが、とりあえず新城とさせていただきました。

 

石和側から(大蔵経寺や山神宮)登り、山頂に着くと左上写真の光景。そのまま尾根を進むと山頂より高いところがあり、右手を見ると段差がある箇所があります(右上)。とはいえ、広めの平坦部ではあるのですが、ここは明確な遺構といえない部分。

 

そのまま少し進むといよいよ明確な遺構、堀切に。大きいものであり周囲は平坦部が多いのでわかりやすいと思います。山頂方向からからみて左手側(左上写真)と右手側(右上)の写真。

 

さそして堀切を通り過ぎ、ふり返って撮影した写真。この遺構が新城の唯一の遺構ではないのでしょうか。

さて、町誌は「尾根及び東斜面に郭が構築されているが、その簡単な構造から信昌・信縄・信虎時代の山城ではないか」と推測しています。また、躑躅ヶ崎との関連性も指摘しており、三城(新城・小手城・古城)とも尾根沿いに躑躅ヶ崎に通じているのでと躑躅ヶ崎の外防線とも考えられるとしています。確かに、信玄・勝頼期のような凝った城には見えませんので、そう考えるのが普通ではないでしょうか。

ちなみに、武田信虎は、現甲府市川田町から躑躅ヶ崎に館を移しています。その旧館は川田館とも石和館とも呼ばれています。甲斐国志などによると、その川田館の詰城(緊急時に避難する城)が大蔵経寺山にあったと伝えます。それがこちらなのか?とも考えられますが、大蔵経寺山のどの辺りかは特定していません。

大蔵経寺山は気軽なトレッキングコースです。要害山に縦走などということも可能なので、トレッキングついでに小ネタを仲間に語ってみるなどというのはいかがでしょうか。

周辺の甲斐武田氏関係地:大蔵経寺・古城・長谷寺跡山梨岡神社など

参考文献:甲斐国志・図解山城探訪第十六集/宮坂武男・石和町誌・武田氏年表信虎信玄勝頼/武田氏研究会など

<2011/6/15 2013/1/27リニューアル>