甲斐武田を探検っ!!

       菩提山長谷寺

 

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史跡・関係地名:菩提山長谷寺

住所:山梨県笛吹市春日居町鎮目

場所のわかりやすさ:×

駐車場:×(路駐してください)

説明板:○

売店:×

地図:

 

関係人物:武田信玄・甘利虎康・板垣信方・向山虎継・鎮目家次など

<長谷寺の昔と今>甲斐国志によると、奈良時代の養老六年(722)行基により建立されたと伝わり、平安時代より甲斐における真言密教の霊場と知られた真義真言宗菩提山長谷寺(ちょうこくじ)。かつては大きなお寺であったようですが、現在は山の中にひっそりとたたずむ感じになっています。所在地ですが、「山」といってよいでしょう。笛吹市春日居町の山の斜面に広がる果樹園を抜け、ほとんど車の通りのない山の中の道端に車を停め、歳月を感じることができる500段程度の石段を登っていただくと、本堂に到着します。その本堂は江戸時代の建築と言われていますが、建築材の一部には中世の本堂廃材が使われていると言われています。本尊が十一面観音であり、女人信仰の厚い仏さまであったことなどから、「女人高野」とも呼ばれたのだとか。

 

<VS大善寺>平安時代末期には同じ真言宗である、勝沼の柏尾山大善寺との間で、問答が原因による壊滅的な争いが行われたと伝わります。死傷者も多くでてしまったのだとか。その際、長谷寺に協力した山梨岡神社の鳥居は大善寺側により持ち去られ焼き払われてしまっています。また、長谷寺側も大善寺から修行僧が使用する笈(おい/山伏が背負う箱)を持ち帰り焼いてしまいます。春日居の笈形焼と勝沼の鳥居焼はそのときの名残なのだとか。山梨岡神社に鳥居がないのはそのためだと伝わります。春日居の笈形焼は四月の第一土曜・日曜日に行われます。ちょうど、山梨県内には桜や桃の花が咲き乱れ、観光シーズン真っ只中の時期ですね。

 

<重みを感じる境内>石段を登っていくと、本堂近くに山門跡(礎石)が残ります(右上写真)。その山門は、明治時代に暴風雨により倒壊してしまっています。今は礎石だけ・・・

 

 

本堂横には様々な石像の中に、胎内くぐりと呼ばれる石があります。丸い穴が開いた石ですが、これを妊婦がくぐると安産になるのだそうです。石の上には如意観世音菩薩がいらっしゃいます。

 

また、境内のあちらこちらに、石積みを見ることができます。いつ造られたのかはわかりませんが、ひとつひとつに意味があったのでしょう。ちなみに参道周辺は太平洋戦争くらいまでは田畑であったのだとか。今は、山林となっており、その面影を偲ぶことはかなり難しくなっています。

<甲斐武田関係は?>武田氏年表によると、天文十三年(1544)二月二十三日、長谷寺本尊十一面観音の御開帳がありましたが、その際出席した人物は天文十年に信虎を追放した新たな当主武田晴信、そして甘利虎康・板垣信方・向山虎継・鎮目家次といった、甲斐武田家重臣でした。

甘利・板垣は比較的名の知れた人物ですが、向山三河守虎継もこの時期には甘利・板垣とともに、多くの史料に登場しています。彼の生没年はわかっていませんが(法名は浄高定門)、おそらく他の老臣と同様に信虎の代から活躍していただろうと思われています(武田信虎のすべて)。

彼等の痕跡を直接見ることはできないのですが、甲斐武田家重臣が多く関わり、また古くから大いに栄えた長谷寺、このまま山の中に埋もれさせてしまうことは、ゼッタイに避けなければならない場所です。

周辺の甲斐武田氏関係地:鎮目寺跡山梨岡神社など

参考文献:甲斐国志・武田氏年表信虎信玄勝頼/武田氏研究会・武田信虎のすべて/編柴辻俊六・笛吹市商工会HPなど

<2011/6/11 2012/7/15リニューアル>