甲斐武田を探検っ!!

       松本山大蔵経寺

 

 史跡一覧へ

 人物一覧へ

 トップへはこちら→

ff048

<史跡・関係地名>松本山大蔵経寺

住所:山梨県笛吹市石和町松本

地図(別ウインドーになります)

場所のわかりやすさ:△(パチンコ屋さんが目印)

駐車場:

説明板:○(数箇所あります)

売店:×(近隣には石和温泉駅があるので駅前で・・・)

<関係人物>武田信玄・武田信虎など

<青獅子山はイメージいいですねぇ>真言宗智山派松本山大蔵経寺、寺記によると奈良時代養老六年(722)に行基を開祖として創建されたと伝わります。菩薩山長谷寺の本坊で、かつては松本寺と呼ばれました。南北朝時代の応安年間、足利義満庶子観道上人が中興開山として入山するにあたり、足利義満が当時の甲斐守護武田信成に命じ、七堂伽藍を建立させています。その際、寺の後方の山の形に因み青獅子山(せいじしざん)と称し、観道上人が大蔵経を五重の塔に治めたことにより、寺号を大蔵経寺に改め、旧寺号を山号に変え、「松本山大蔵経寺」になりました。

 

<武田氏と大蔵経寺>永正十二年(1515)十月二十七日、甲斐統一を目指す武田信虎と西郡(にしごおり/甲府盆地西部)の豪族大井氏との間に合戦が始まります。信虎軍は大井氏の居城(富田城?/上野城?)を囲みますが、深田に足を取られるなどして大敗。さらにこの合戦には駿河の今川氏も介入し、大井氏側につきます。今川軍は甲斐との国境を封鎖し援軍を派遣し、曽根勝山城を拠点とします。戦乱は長引き翌年になっても大井氏・今川氏との戦いは終わっていません。九月二十八日には今川軍が動きをみせます。笛吹川に沿って北上を始め、途中で現甲府市七覚の円楽寺・こちらの大蔵経寺・現山梨市八幡の窪八幡神社などの名の知れた社寺に火をかけます。そして信虎軍と万力という場所(現山梨市万力)で合戦。ここでも信虎は敗れ、恵林寺に逃げ込んだといわれます。甲斐武田家にとって大きな危機となりますが、駿河国内での急激な情勢変化などにより、曽根勝山城の今川軍は孤立。甲斐の国人衆も今川氏に協力しなくなっていきます。その結果、信虎は大きな危機を脱し、勝山城の今川軍と和睦、大井氏は甲斐武田家に従属し、信虎は甲斐統一に又新たに踏み出します。

なお、永禄四年(1561)甲斐武田軍と越後上杉軍は信濃川中島において合戦を行い、多くの死傷者を出しますが(第四次川中島合戦)、こののちも越後とは緊張状態が継続しており、永禄十一年(1568)には武田信玄の対越後の戦勝祈願寺として、こちらの大蔵経寺が名を残しています。

 

 

<武田滅亡後の大蔵経寺>武田家天正十年(1582)甲斐武田家は勝頼・信勝死去により滅亡しますが、その後徳川家康は甲斐に入り、その際大蔵経寺を武運長久の祈願寺と定め、葵の紋を賜っています。また、江戸時代になっても、甲府城代は保護をしたと伝わっています。このように古くから武田家そしてのちには徳川家から保護をうけていた大蔵経寺で、現在も多くの文化財が残されています。

周辺の甲斐武田氏関係地:鎮目寺跡・大蔵経寺山・長谷寺跡山梨岡神社など

参考文献:甲斐国志・武田氏年表信虎信玄勝頼/武田氏研究会・大蔵経寺HPなど

<2011/6/13>