甲斐武田を探検っ!!

       甲斐奈神社(橋立明神)

 

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史跡・関係地名:甲斐奈神社(橋立明神)

住所:山梨県笛吹市一宮町橋立

場所のわかりやすさ:○

駐車場:△

説明板:△

売店:×

地図:

関係人物:大井摂元など

国道20号勝沼バイパス沿いのコンビニエンスストアから見える神社。山梨県内のほかの史跡に比べると、とてもわかりやすく行きやすいと思います。

 

 

<甲斐国総社>神祖明神または林部の宮、橋立明神とも呼ばれ延喜式内社であり創建年代は古い神社です。甲斐国の総社と言われています。パンフレットによると、甲斐国内神社の恒例臨時の祭儀に総社でまず祭儀が行われ、その後一之宮、二之宮で行われたのだとか。

しかし、甲斐国の総社はこの甲斐奈神社(以下橋立明神)、または同市内春日居町国府に鎮座する甲斐奈神社(以下守之宮明神)ともいわれ、甲斐武田氏が甲府に国府を移してからは甲府市宮前町の府中八幡神社といわれています。橋立明神と守之宮明神、どちらが総社か?かつての甲斐の政治文化の中心地、地理的な関係からみると「橋立明神」が「総社」であったと思うのですが・・・いかがなものでしょうか?

橋立明神の祭神は、国常立尊(くにのとこたちのみこと)・高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)・伊弉諾尊(いざなぎみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)となっています。

<橋立明神の大井氏>甲斐武田家滅亡時、大井摂元という人物がいました。彼は橋立明神別当で、神社東方には大井氏の砦跡といわれる筑前原塁址を有していました。甲斐武田家滅亡後に勃発した北条氏と徳川氏との甲斐信濃領有をめぐる争い、天正壬午の乱では、北条氏によしみを通じます。国中地方(盆地内)で北条方についていたのは大井氏と、武蔵との国境警備などの役目を担っていた雁坂口方面の大村党など。これに脅威を感じた徳川氏は、信君を本能寺の変で失っているもののいまだ大きな軍事力を有していた穴山衆を向かわせ、激戦の上大井氏と大村党に勝利しています。その後、甲斐の国人衆の多くを味方につけた徳川氏は、戦局を有利に展開できるようになっていきました。

周辺の甲斐武田氏関係地:一宮浅間神社・甲斐国分寺跡・長昌寺など

参考文献:天正壬午の乱/平山優・甲斐国志・甲斐国社記寺記・甲斐奈神社(橋立明神)パンフレットなど

<2011/3/21>