甲斐武田を探検っ!!

       坊ヶ峯観音堂

 

 史跡一覧へ

 人物一覧へ

 トップへはこちら→

ff042

史跡・関係地名:坊ヶ峯観音堂/伝坊ヶ峯の戦い戦死者五輪塔

住所:山梨県笛吹市境川町坊ヶ峯

場所のわかりやすさ:△

駐車場:△(周囲に停めれそうな場所多数)

説明板:×

売店:×

地図:

関係人物:武田信虎・油川信恵など

<坊ヶ峯の戦い>永正四年(1507)二月十四日父信縄の病死により、若干十五歳で家督を継ぎ甲斐国守護職となった武田信虎。しかし、そんな甲斐武田宗家に叛旗を翻したのが、信縄の弟で信虎の叔父、油川彦八郎信恵。信恵は兄信縄が家督を継いだ際も叛旗を翻した人物。信縄と信恵の父である信昌が、病弱の信縄より信恵を推したためだといわれており、そのときのシコリが再び信虎に対して燃え上がったのでしょうか。

その反抗には信恵やその子弥九郎・清九郎・珍宝丸をはじめ、弟の岩手治部少輔縄美その他国人層が油川側につきます。翌年永正五年(1508)十月四日油川軍は坊ヶ峯に陣を構えますが、信虎軍はそれを急襲。信恵や信恵の子供弥九郎・清九郎・珍宝丸、さらには岩手縄美など、多くの首を討取ることに成功します。信虎が甲斐統一の第一歩を歩み出す戦いとなりました。

 

<観音堂と五輪塔>テレビ塔が多く建つ曽根丘陵東端は坊ヶ峯と呼ばれています。かつて、この丘陵地帯に寺院があり、その宿坊なども多くあったようなので、この名がついたのでしょうか?また古くは棒ヶ峯とも言われると「甲斐国志」は伝えます。今回紹介の観音堂はその坊ヶ峯の麓、テレビ塔に向かう道路の右手にあります。道路から石段が見えるのですぐにわかると思います。

こちらの観音堂には笛吹市指定文化財の養老二年(718)に安置された「木造十一面観世音菩薩立像」(二体)がありましたが、現在は保管の関係上、近隣の常楽寺に移し大事に保管されています。普段訪れる方も少ないのでしょう、結構危険な状態のお堂になってしまっています。文化財の移動もやむを得ずという状況ですね。

さて、「境川村誌」によると、坊ヶ峯テレビ塔への道路を造る際、観音堂付近から数多くの小五輪塔が発掘されたのだとか。五輪塔は近くの観音堂に移し置いたと記されています。村誌ではこの五輪塔について、「おそらく坊ヶ峯の戦いでの戦死者の菩提を葬ったものであろう」としています。

 

さらに村誌は「テレビ塔道路新設の際、多数発掘、今は少数」と載せています。ちなみに村誌の発行は昭和五十三年(1978)。今回お邪魔させていただいた際には、観音堂左手に雑に転がっている五輪塔残骸らしきもの三基ほど。おそらく右上の写真でよいのだろうと考えていますが、いかがなものでしょう?ただしこれが本当に「坊ヶ峯の戦い」の戦死者供養の為のものであったら、この状態は淋しいですね。

今回の情報は、ほとんど知られていないかそれとも村誌の想像であったか?偶然手にした境川村誌で知ることができました。もちろん観光ガイドや史跡ガイドにも記載されていません。このまま、忘れ去られ無くなっていってしまう運命なのでしょうか?

周辺の甲斐武田氏関係地:勝負ヶ池光照寺・龍安寺など

参考文献:境川村誌・甲斐国志・武田氏年表-信虎信玄勝頼/武田氏研究会など

<2011/2/28>