甲斐武田を探検っ!!

 

蜂城跡

 

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笛吹市一宮町の蜂城のご案内です。蜂城は標高738メートルの蜂城山にある山城。中央道釈迦堂PAに近い場所にあります。県道から蜂城山登山道とある場所を入り、そのままトコロドコロに表示された矢印に沿っていくと登山道入口に到着します。蜂城山頂上には神社があり、その参道(もちろん山道ですけど)がありますので、迷うことなく30分程度で到着できるはずです。

 

 

左上の写真が登山道入口付近、右上の写真は猪除けの柵を通り抜けた場所です。だいたい頂上までこのような感じの道が続きます。道のイメージとしては要害山城程度でしょうか?もちろん傾斜キツイ場所・くねった道などもありますから油断は禁物です。自動車ですが、付近には駐車場はありませんが、ほとんど車の通らない農道で、路肩も広いのでそちらに・・・

上手く写真に撮れなかったのですが、周囲を見ながら登って行くと、竪堀・郭らしきものなどもあります。これまた楽しめます。

 

 

そうしているうちに頂上の神社に到着。よくこういうところに神社建てたもんだ・・・と感心しました。こちらでほっと一息ですね。

 

 

  一休みしたあとには、神社周辺をウロウロしてみましょう!堀跡や郭跡らしきものなども見受けられられます。

 

 

ここ蜂城は岩崎氏の詰城ではないかと考えられています。岩崎氏は甲斐武田氏の有力な支族であり武田宗家に匹敵する力を持っていたのではと思われており、麓には屋敷跡も残されています。岩崎氏は信虎の祖父である信昌の代、守護代跡部氏との大規模な争乱があった際に戦乱に巻き込まれ一族滅亡したと伝わっています。岩崎氏に関してあまり史料が残されていないようで、詳しいことはこれからの研究待ちということになりますね。

その後は同じく武田氏の支族栗原氏が台頭。信虎と抗争を繰り広げていますが、彼らも麓に屋敷を構えており、イザと言うときに蜂城を使用したのではないか・・・と言われています。結果的には蜂城は使用せず、栗原信友は信虎に敗れ甲斐武田に従い信玄のもとでは一族の栗原詮冬が大いに活躍、武田家滅亡後は栗原昌治の名が天正壬午甲信諸士起請文のなかに親族衆として見え、徳川家に仕えています。

神社の鳥居からは甲州市・山梨市が一望、山の途中からは甲府盆地と南アルプスを見ることができます。春の桃の季節は綺麗なのでしょうね〜。

 <2009/10/9>