甲斐武田を探検っ!!

 

恵法寺 駒井高白斎政武供養塔など

 

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笛吹市石和町の日蓮宗真光山恵法寺。綺麗に整えられているお寺です、国道20号に面した立地にありますが、お寺の入口は一本奥。しかし、周辺は少し混雑しやすいのでご注意ください。

 

恵法寺は永禄十一年(1568)恵月院日真法尼により建立されたと伝わります。恵月院日真法尼とは武田信虎・信玄に仕え活躍した原加賀守夫人と言われています(甲斐国社記寺記)。しかし、お寺にある墓碑・由緒などを覗くと、彼女は駒井高白斎政武娘で原加賀守夫人、もしくは駒井高白斎夫人といわれる説があるとか。

墓地には恵月院日真法尼の無縫塔(卵塔)があり、さらには駒井高白斎政武の供養塔があります。高白斎供養塔は昭和六十三年十二月に建てられた最近ものです。ただし「再建」と刻まれていますので、以前から供養塔があったということなのでしょうか?

 

駒井高白斎政武供養塔

甲斐武田氏研究の重要な史料のひとつ「高白斎記」の著者と言われます。ただ、最近ではそれを否定することもあり「甲陽日記」とも呼ばれています。

政武という名も確かではないようですが、信虎・信玄期に側近として活躍したのは事実だそうです。特に信玄初期を支えた一人で、「甲州法度之次第(甲斐国の法律です)」草案をつくった人物であるといわれます。

高白斎の兄筑後守信為は、要害山城の城番をつとめ、高白斎の子昌直は武田家滅亡後、武田旧臣が徳川家康に忠誠を誓った天正壬午甲信諸士起請文では総代を務めています。

 

恵月院日真法尼(上人)無縫塔

原加賀守(昌俊)夫人で逸見某の娘と「甲斐国社記寺記」には記されていたはずですが・・・、こちらでは原加賀守夫人で駒井高白斎の娘、もしくは駒井高白斎夫人(墓碑)と伝えています。

墓碑によると彼女は天正八年十月一日82歳で死去しています。

夫と伝わる原加賀守は同じ石和町内の蓮朝寺に墓所があります。

 <2009/5/10>