甲斐武田を探検っ!!

       瑞巌山円光院

 

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史跡・関係地名:臨済宗妙心寺派瑞巌山円光院/三条夫人墓所・平岡和由逆修塔など

住所:山梨県甲府市岩窪町

場所のわかりやすさ:○

駐車場:○

説明板:○

売店:×

地図:

 

関係人物:武田信玄・三条夫人・平岡和由など

<甲府五山>武田信玄の制定した甲府五山(長禅寺東光寺能成寺法泉寺・円光院)のひとつ円光院です。しかし甲府五山というより武田信玄正室三条夫人墓所といったほうが有名ですね。ちょっと車を走らせると躑躅ヶ崎館跡があり、武田氏関連の寺院のなかではメジャーな寺院なので看板などが多くでており、わかりやすいと思います。駐車場も完備、説明板も多くあります。

 

<三条夫人>信玄は天文二年(1533)13歳のとき扇谷(おおぎやつ)上杉朝興の娘を正室にむかえますが、彼女は妊娠中に死去します。その後、天文五年(1536)今川義元の仲介により左大臣三条公頼の娘を改めて正室にむかえます。彼女が三条夫人と称される人物。彼女は、天文七年(1538)に長男義信・同十年(1541)に二男竜宝(信親)、さらには長女北条氏政正室(黄梅院殿)・三男信之・二女穴山信君夫人(見性院殿)を出産します。また、彼女には幕府官僚細川晴元夫人や、一向宗の本願寺顕如光佐夫人という姉妹がいました。このパイプが武田氏にはかなり役に立ったのだとか。

円光院はかつて成就院といい石和(現笛吹市石和町小石和)にありましたが、信玄の命で永禄元年(1558)もしくは永禄三年(1560)この地に移し、三条夫人を開基にしました。元亀元年(1570)七月に彼女が亡くなるとこちらのお寺に埋葬されますが、その後その法名から「円光院」と呼ばれるようになったのだそうです。

 

三条夫人は義父信虎の追放・長男義信の幽閉そして死去、黄梅院の北条氏との離別など、激動のなかを生きました。法名「円光院殿梅岑宗大禅定尼」。

 

三条夫人の墓には塔婆があり、それには「NHK大河ドラマ市川亀治郎」「信玄公十五代目武田昌信」の名が。数年前のものですが、チョット嬉しい発見をしてしまいました。

<竜王から愛されたオトコ>三条夫人墓所近くには、江戸時代初期に甲府代官を務めた平岡氏の墓所もあります。左は平岡次郎右衛門和由逆修塔。かなりの大きさです。和由は代官として信玄堤の築堤など水防に力を発揮した人物。彼のおかげで竜王地区は格段に米の収穫量が上がったのだとか。信玄堤には当時の竜王地区住民達による、彼を慕った石碑が残ります。

さて、その平岡氏ですが、和由の祖父平岡因幡守良清は武田信虎に仕え、信州にて死去(病死と伝わります)。そのあとを継いだ内記頼成(頼正とも)と弟良知は信玄に仕えます。その良知の子が和由となります。また、著名な武田家臣と姻戚関係にあり、和由の母は小畠虎盛弟、惣七郎盛直の娘と伝わります。盛直は信濃海野平の合戦で負傷し、天文十年(1550)死去しています。墓石の側面にも記されているので、ゼヒ確認してみてください。

石塔に刻まれた平岡次郎右衛門和由の法名は「大翁元広居士」です。 

周辺の甲斐武田氏関係地:茶道峠武田信玄火葬塚など

参考文献など:新編武田信玄のすべて/編柴辻俊六・甲府市の石像物/甲府市・HP甲斐百八霊場など

<2009/6/15 2011/4/23リニューアル>