甲斐武田を探検っ!!

 

永昌院 武田刑部大輔信昌墓所

 

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永昌院は文明年間(1469-86)に武田信昌が従弟の一華文英(いっけぶんえい)禅師を迎え開山した曹洞宗のお寺。信昌の菩提寺ともなっています。

武田信昌ですが文安四年(1447)生まれで、信虎の祖父になります(-信守-信昌-信縄-信虎-信玄-勝頼)。信昌は信縄を後継にし隠居しますが、信縄を毛嫌いしその弟の油川信恵に家督を譲ろうとします。その結果、武田信縄支持派VS油川信恵支持派で甲斐国内が乱れます。しかし一時期外敵の侵入があり、両者和睦しますが信昌が永正二年(1505)9月16日に死去し、追うように永正四年(1507)2月14日信縄が病死すると本家に変わろうとする油川信恵を中心に再度甲斐国内が乱れます。信縄後継である信虎(当時は信直)支持派VS油川信恵支持派、永正五年(1508)勝山城で信恵を破り、天文元年(1532)逸見筋の今井信元を従えるまで続くことになります。

永昌院にある銅鐘は山梨県の指定有形文化財に指定されています。この銅鐘ですが、永和二年(1376)鋳造されたものです。武田勝頼が遠江出陣の際に戦陣で打ち鳴らしたんだとか。長い間遠江にありましたが、徳川家康の配慮によりこちらに戻されたそうです。甲斐五鐘のひとつです。

永昌院の場所ですが、山梨市の矢坪集落に入り、ちょっとした看板に沿い、ひたすら登っていくとたどりつきます。なお、雨がパラついているときに行ったので、山間にあるお寺、周辺がガスってまって、写真の一部がかなり趣きのあるものとなってます(白くなってしまっているんです)・・・駐車場はたっぷりあります、説明板も親切なものがありますので安心ください。

 

武田刑部大輔信昌墓

本堂左の道を登っていくと行き着きます。こちらのお墓ですが五輪塔と宝篋印塔が当時のまま残されていて、貴重なものなのだそうです。

法名は「永昌院殿傑山勝公大禅定門」。

 <2007/2/19>