甲斐武田を探検っ!!

 

大善寺 理慶尼墓所

 

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甲州市勝沼町、国道20号沿いにある大善寺です。武田家滅亡を記した「理慶尼記」の著者理慶尼の墓所があるのですが、どちらかというと新府城を落ちてきた武田勝頼一行が、こちらのお寺で一泊したという逸話のほうが有名でしょうか?彼らは小山田信茂を頼り、笹子峠越えにむかうのです・・・

ちなみにお寺に入る際、400円拝観料がかかります。最初「えっ?・・・」とも思ってしまったんですが、いやいや、薬師堂の中が拝観できて、しかも様々な資料などが展示されていてちょっとした資料館です。ぜひ!という感じですね。

上の写真は山門、真ん中の写真が薬師堂です。

大善寺文書によると、天文九年(1540)台風の被害にあい本堂が大きく壊れたんだとか。その際、武田信玄や檀那の今井相模守信甫・信良親子などに援助を求め、そうした中で天文二十四年(1555)無事修復できたんだそうです。ここに出てくる今井氏ですが、武田信虎に反抗した今井信元(浦殿)と祖父どおしが兄弟です。信甫の祖父は信乂、信元の祖父は信慶。信慶が兄で、父親は信経です。信乂は武田氏に仕え活躍し大井氏を攻めた際討死、信慶は逸見筋(甲斐の信濃寄りですね)に居を構え、大井氏栗原氏などと反武田勢力をつくり反抗しました。

ただ最近になり、大善寺にある文書を見ると改ざんされた形跡があったとか。どうも檀那は今井相模守ではなく、大善寺近隣地域で大きな勢力を持っていた勝沼相模守信元ではないか?とのこと。勝沼氏館跡も近くにありますし・・・

その勝沼信元ですが永禄三年(1560)、越後長尾氏(上杉謙信です)に内通した罪で自害させられます。武田氏はその後、勝沼氏を歴史から消そうとしたのでしょうか・・・?謎ですね、けど妄想はいっぱい膨らんでいきます!

大善寺には三枝守国のお墓もあります・・・

 

理慶尼墓

理慶尼は勝沼氏の娘で名を「松葉」というそうです。武田信虎の弟勝沼信友の娘と言われていますが、ちょっと年代的に不釣合いな部分もあり、信友の子信元の子ではないのか?とも言われています。

ちなみに生没年を見てみますと、武田信虎は1494-1574、勝沼信友は?-1535、信元は?-1560、理慶尼は?-1611となります。

 <2006/12/10>