甲斐武田を探検っ!!

       栗原山大翁寺

 

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史跡・関係地名:曹洞宗大泉寺末栗原山大翁寺・栗原氏屋敷跡

住所:山梨県山梨市下栗原

場所のわかりやすさ:△

駐車場:○

説明板:○

売店:×

地図:

 

関係人物:栗原氏など

<大翁寺とその周辺>甲斐国志によると、大翁寺(だいおうじ)は寛永八年(1631)栗原信盛死去後、創建されたとされています。今日、大きい規模とはいえない大翁寺なのですが、甲斐国志によるとかつてこの周辺が栗原氏の屋敷であったと伝わっています。大翁寺と近くの妙善寺の間には土塁跡とされる竹やぶがあります(右下写真)。

 

 

大翁寺入口には大きめの水路があります。堀跡なのでしょうか。また、その北方にも細長い地割りが残されており、なんらかの関連性を感じさせます。

 

そして甲斐国志によると、土塁跡が墓地に残され・・・と記されています。墓地は若干高くなっており、さらに墓地から土塁跡と伝わる竹やぶにかけて、細長い地割と微高地の葡萄畑が確認できます。これが土塁跡?なのでしょうか。

<栗原氏とは>

栗原氏は武田信成の子、武続が栗原十郎と名乗ったことから始まります。その栗原氏といえば、今井(浦)兵庫助信元大井上野介信達らとともに今川・諏訪氏をも巻き込んで武田信虎に反抗し結局は敗れた兵庫(伊豆守信友と同一?ならば、その後亡くなり養安寺に葬られます)、信虎・信玄配下で天文年間中(1532-54)信濃方面で大活躍した「速攻の栗原」こと左衛門佐昌清(二百騎の侍大将、1552年信濃常田で負った傷が元でその一ヶ月後に死亡)、昌清死去をうけ信玄の命でそのあとを継いだ子左兵衛尉(信盛・詮冬とも、百騎の侍大将)、さらに武田氏滅亡後の徳川家康に忠誠を誓った「天正壬午起請文」に武田御親類衆として名が残る日向守昌治などがいます。しかし、系図的にどのようなつながりがあるかはわかっていません。どうやら、一族として何系統か存在し、信昌派・信縄派さらには信虎派・反信虎派などとそれぞれに組し戦い粛清されながらも、「栗原」の名が残されていったようです。

周辺の甲斐武田氏関係地:妙善寺海島寺など

参考文献など:甲斐国志・武田氏家臣団の系譜/服部治則など

<2006/8/11 2012/1/18リニューアル>