甲斐武田を探検っ!!

       飯室山大福寺

 

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史跡・関係地名:真言宗智山派飯室山大福寺・浅利与一墓所

住所:山梨県中央市大鳥居

場所のわかりやすさ:○

駐車場:○

説明板:○

売店:×

地図:

 

関係人物:浅利与一義成・浅利信種など

<大福寺の歴史>大福寺は天平十一年(739)行基がこの地で仏像を彫り、安置したことから始まったと伝わります。その後甲斐武田氏の祖武田信義の孫、飯室禅師光厳により再興されたとか。その武田信義の弟で、文治元年(1185)壇ノ浦の合戦で活躍し「源氏の三与一(浅利与一・那須与一・佐奈田与一)」と称された浅利与一義成もこの寺に帰依しました。

 

 

境内には薬師堂と観音堂があり、ともに中の仏像は市指定文化財。上右写真は観音堂ですが、この奥にある観音像は天正十年(1582)武田家滅亡時の織田軍による寺社焼き討ちから逃れれるため、お堂から出して隠しておきましたが、お堂は焼失。後日お堂を再建しましたがどうしても観音像が入らないため仕方なく足を切り短くなってしまったという、痛そうな話の残る観音様です。

<浅利与一層塔>

  

山梨県指定文化財である、浅利与一(承久三年/1221没)墓所が大福寺前の道を挟んだ場所にあります。とにかく巨大な石塔です。

 

浅利与一五輪塔の左右には、浅利一族のものと伝わる大小さまざまな大きさの五輪塔が並びます。また与一五輪塔向かって右奥には、武田家滅亡後徳川氏に仕えた飯室氏の墓所もありました(写真撮り忘れていました・・・)。

大福寺隣は大きな公園。立派な浅利与一銅像があります。公園には楽しい施設があったり、広場があったり。休日は親子連れなどで賑わっています。広い駐車場がありますので、自動車で来ても苦労しないはずです。

<信玄時代の浅利氏>信玄の時代、側近として浅利右馬助信種が登場しており、朱印状や起請文に名前が見えます。一時期西上野(現群馬県西部)を統括する立場にあったとも考えられています。その信種は永禄十二年(1569)十月六日北条氏と戦った三増峠で討死してしまいます。父は伊予守虎在、子は昌種であると伝えられていますが、明確ではありません。浅利与一とも何らかの繋がりはあると思われますが、こちらもはっきりとしたことはわかっていません。

周辺の甲斐武田氏関係地:三枝氏屋敷三星院など

参考文献:甲斐国志・新編武田信玄のすべて/編柴辻俊六・板額御前物語/編集山梨日日新聞社など

<2012/10/2>