甲斐武田を探検っ!!

       日應山廣泰院/田中家墓所

 

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<史跡・関係地名>田中家墓所/日應山廣泰院

住所:山梨県中央市一町畑

地図(別ウインドーになります・墓地を中心に表示)

場所のわかりやすさ:△(墓地は工業団地の中に、本堂は田んぼに囲まれ)

駐車場:×(道端に停めるしかないと思います)

説明板:×(墓碑があるのみです)

売店:×

<関係人物>田中但馬守広泰など

<偶然の・・・>工業団地にある田中家墓所。違う場所に行こうとしてタマタマ見つけてしまった場所です。「こんな場所に墓地が・・・」ということで、なんとなく足を踏み入れてしまうと、墓碑があり。そこには「田中家歴代」の文字がありました。ただ、寺の本堂などありませんでしたので不思議に思い、あとで調べてみるとここは曹洞宗大泉寺末日應山廣泰院と判明。

 

廣泰院本堂は県道北側で、墓地とは少々離れた場所に建っています。その廣泰院、天文年間に田中廣泰の開基として建立されたと伝わります。現在の廣泰院は無住ですね、しかしながらとてもいい雰囲気。田園風景の中の古いお寺さん、ほっとする風景ですね。その廣泰院墓地の田中家墓所は田中廣泰から続く田中家の墓所です。

 

<田中但馬守>墓地にある家碑によると、田中家祖は安田遠江守義定の子田中太郎越後守義輔。その十七代田中但馬守広昌の子、大蔵左衛門廣泰が永禄年間に武功を立て、廣泰院を建立したとあります。廣泰の子は万久源右衛門と名乗り、武田家滅亡後は徳川家に仕えたといいます。

家碑には廣泰が永禄年中廣泰院を建立と記されますが、墓碑では但馬守廣泰は天文二十二年に死去したと記され、天正十九年に大蔵左衛門が死去したと記されています。おそらく墓碑の但馬守廣泰は廣昌ということなのでしょう。アラを探してるようで申し訳ありません、自分なりに整理をしたかったのです・・・

さて、その廣泰ですが甲斐国志では田中兵部広泰と記され、九一色衆の一人と伝えています。九一色衆とは、甲斐と駿河を結ぶ中道往還周辺に居を構えた土着武士団であり、甲駿国境警備などで主に活躍しています。特に渡辺因獄佑は九一色衆を率いた人物で、彼にまつわる祭も伝わっているほど有名な人物です。

広泰の法名は「日應浄水居士」。同市内にある永源寺中興、この地域の在地武士であった田中豊前守の孫とも伝わります。

 

田中家墓所内には特に石塔はなく、石碑などが建っているのみです。近くには笛吹川が流れ、近年まで水害に悩まされている地域になるので、古くからのものはなかなか残りづらいのだと思います。

周辺の甲斐武田氏関係地:大聖院・永源寺など

参考文献:甲斐国志・武田氏年表信虎信玄勝頼/武田氏研究会など

<2011/7/4>