甲斐武田を探検っ!!

 

長泉寺

 

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時宗、湯澤山長泉寺。栗原信友が大将となり今井(逸見)信是大井信達らも同調、武田信虎に謀反を起こした永正十七年(1520)8月。信濃の国境に近い村山郷の豪族、日向図書助は二十四代遊行上人不外を信濃佐久まで迎えに行き、佐久往還を通り甲斐に招きます。現北杜市須玉町若神子にある長泉寺に宿泊した不外は、図書助を檀那とし、急遽踊り念仏を行っています。

個人的に難しい言葉が多く出てきてしまったので、少し補足。「遊行(ゆぎょう)」とは、僧が布教などのため各地を訪れてまわること。「踊り念仏」は太鼓や鉦などを鳴らし、踊りながら念仏することです。

日向氏というと、信玄の時代に侍大将として板垣・甘利・飯富氏などと並ぶと称された日向是吉や、勝頼の時代には、大島城を守り織田軍の侵攻の中援軍であった武田逍遥軒信綱が突然撤退してしまったことで、自身も城を放棄(家臣に騙されて城を出たとも伝わります)所領村山で自刃した日向虎頭などがいますが、図書助との関係は不明。しかしながら同じ村山郷を本拠としていることから、一族もしくは親族と考えられています。

なお佐久往還は、古くから遊行の道として使用されており、図書助のような状況などから、この周辺地域と佐久のつながりも指摘されています。同じく日向氏で信玄・勝頼期に越前や比叡山への使者を務め、武田氏滅亡後は徳川氏に従い駒井昌直らとともに要害山城の警護を務めた日向玄東斎(宗立)は、もとは信濃佐久の新津右京亮の孫。新津右京亮と玄東斎の父が戦死したため、甲斐の日向氏に縁のある祖母につられ来甲。やがて日向氏を名乗ったのだそうです。新津氏と日向氏は姻戚関係にあり、ここでも佐久とのつながりが確認できます。

 

長泉寺の場所ですが、平賀源心墓所の近くになります。少しわかりづらいかと思いますが、国道141号の東を平行するように走る県道箕輪若神子線沿いに大きな石仏があり、そこがお寺の入口となります。

駐車場はわからなかったので、隣のJAに駐車しました。踊り念仏に関する説明板は見当たりませんし、特に武田氏に関して形あるものが残されているわけではないのですが、このように地方豪族に関係した場所というのも十分楽しめます。今回は日向氏の足跡探検でした。

文安三年(1446)に建てられた、非常に大きい名号板碑が境内にあります。付近にある説明板によると「時阿弥陀仏と某禅尼」の成仏を願って建てられたものです。その説明板も少し風化が進み読みづらくなっておりますが、山梨県史によると高さ309cm。規模・形態など全国的に貴重なもので、昭和六十二年山梨県の文化財に指定されています。

 <2008/11/5>