甲斐武田を探検っ!!

 

青柳新宿

 

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南巨摩(みなみこま)郡増穂町の青柳地区です。この辺りは特に江戸時代、富士川を利用した富士川舟運で鰍沢などとともに発達した地域です。その後、明治時代になり他の交通機関が発達するにつれ、舟運は衰退してしまうのですが、しかしそれ以前の武田勝頼の時代(天正年間・・・細かい年などを控えてあったつもりなんですけど・・・確か六〜八年の間だったような・・・すみません/汗)にこの地は青柳新宿として、新たに開かれた市場跡だったりするのだとか。

新たに市場を開くということで、勝頼から許可を得た文書が残されています(これまた、すみません・・・)。許可を得たのは、一条右衛門大夫信就、一条信竜(信玄の弟)の嫡子ですね。

一条信就は父信竜のあとをうけ駿河田中城代に着きますが、天正十年(1582)2月徳川軍の侵攻をうけ3月2日甲斐に撤退したのだとか。その後は居城上野城で父とともにこもり、徳川軍を迎え撃ち討死したと伝えられています。

現在青柳地区には「あおやぎ宿活性館」が建ち、地域の名産品などが販売され、地域の交流の場となっています。

 

うーん、相変わらずの調べ物のツメの甘さを反省です・・・

 <2007/9/20>