甲斐武田を探検っ!!

       三十六塚

 

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史跡・関係地名:三十六塚・三十六霊塔

住所:山梨県山梨市大野

場所のわかりやすさ:×

駐車場:×

説明板:×

売店:×

地図:

関係人物:大村三右衛門・大村伊賀守など

大野砦で討死した大村党の主なる将兵の首を埋葬したといわれているのが「三十六塚」です。行き着くのにかなり苦労しました。畑の中に誰にも気づかれないように建っているようにみえますよね。実際夏などに行きますと草や桃の葉などでまったく隠れてしまいます。そして、畑の中にあるので近くまで勝手に行ってはいけません。今回は遠くの路上から撮影しました。

<天正壬午の乱の激戦後・・・>牧丘町誌・山梨市史によると、現山梨市牧丘町浄古寺にある、中牧城(浄古寺城)は武田氏の時代、土豪大村加賀守晴忠が城番をし、またその周辺地域は血縁関係を深く結ぶ大村氏・倉科氏・間瀬氏などが居を構えていました。武田氏が滅亡し、さらに織田信長が本能寺の変で急死すると、甲斐を統治していた河尻秀隆は旧武田家臣により攻められ府中で殺されてしまいます。空白地帯となった甲斐は徳川氏・北条氏の領土拡張の的になり、そしてその両者が戦うことになります(天正壬午の乱)。

旧武田家臣は、徳川氏の懐柔策でほとんどと言っていいほど徳川家康に忠誠を誓いますが、一部は北条氏に組します。そのなかに、大村伊賀守忠行を筆頭とした大村党がいました。大村伊賀守忠行は一族である間瀬讃岐守鎮信の二男ですが、大村氏に男子がいなかったため大村加賀守晴忠の養子になった人物です。徳川氏が甲斐に侵攻してきた時には、大村党は大野砦に篭り蜂起します。しかし、激戦を経て大野砦は陥落してしまいました。また中牧城(浄古寺城)は、大村氏の一族であり甲斐源氏の流れを引く倉科左衛門尉信棟らが守っていましたが、こちらも落城、倉科信棟は討死したとか。

周辺の甲斐武田氏関係地:大野砦など

参考文献:甲斐国志・図説山城探訪第十六集/宮坂武男・天正壬午の乱/平山優他

<2006/12/1 2012/4/30リニューアル>