第九話 誕生日

 彼の肩越しに、漆黒の空に細い月が見えた。
 私と山下君を月が見ている……。彼の胸はとても大きくって、私は甘い疼きを始めて経験した。
「さあ、乗って。暫く走ろう」
 私を胸から放すと、ほうっとした私の顔を覗きこんで彼が微笑ながら言った。
「うん……
 恥しくって、彼の顔を真っ直ぐ見られなくって下を向いた。でも、山下君は、そんな私を包むように笑いかけた。

 浜辺に沿って走る臨港線は四車線の広い道路で、グリーンベルトが東西へ向かう道を分けて流れてゆく。
 滑るように車の波に乗って走る車のフロントガラスの半分に、眠ったように静かな海が広がっている。もう半分は、街の灯が夜空を照らしてほの明るい。それはとても対照的な風景だ。
 臨港線から
浜辺に下りる道へ、ゆっくり車は左折した。
 山下君の横顔をちらちらと見つめながら、まだドキドキと鼓動は跳ねたままだ。でも、彼は私を見ないままで、真っ直ぐと前を向いて運転している。

 その顔は、普段と違って、とても暗いように思えた。

 道の突き当たりに、松の防風林がある浜が広がっていた。山下君は、黙ったままで、車を道の端に寄せて止めた。

「着いたよ。ここ。歩こうか」

 彼はやっと私を見て言った。

 

 浜に沿って、松の林を縫って、細く舗装された遊歩道がずっと続いている。 オレンジ色の背の高い街灯が浜の脇の遊歩道沿いに続いていた。その道から海へ続く石畳の坂を下りると、白い砂が足を抱くように歩みに抗う。静かに凪いだ夜の海。波打ち際の白波が、砂をなめるように優しく寄せ返している。夜空より闇色の海にはさざ波の音しか聞こえない。

 でも、淋しい夜の浜辺も、今の私には素晴らしく美しい風景に思えた。
「ここへは良く来たんだ……マキをつれて……
「え?」
 山下君は、Gパンのポケットに両手を突っ込んで、暗い水平線の彼方を見つめながら、波に消え入りそうな声で言った。
「免許を急いで取ったのも、マキをいろいろ連れ出してやりたかったからだ。……いつも、家で淋しそうにしていたから……
「山下君……
 彼は髪を風に乱したまま、足元まで来た波を避けようともしないで、真っ直ぐに海を見据えて呟いた。
「マキを失いたくない……
 私は、彼の横顔をずっと見上げていた。すぐ傍で、肩を触れ合いながら見上げていた……。でも、山下君の瞳には私など映ってはいなかった。心の中はやはりマキさんの事でいっぱいなんだ。
 これ程に妹思いの優しい人が悲しんでいるのに、私は何の力にもなれない。口先だけの慰めが一体何になるだろう。
 山下君はすっと砂の上に腰を下ろした。私も黙って彼の傍に座った。
「タマ……。君を見てると、妹とダブってくるよ。きっと、マキも病気じゃなかったら、タマみたいに大学の空き時間に友達と話したり笑ったりして、杉みたいな奴を彼氏にして、ベンチで本を読んだり……。楽しんで、悩んで、困って……。いっぱい思い出を作って」
 彼は膝を抱えて、顔を埋めた。
「それからなら……死んだっていいよ。……あんな病院の中と自分の家が全てで、思い出さえないんだぜ。学校だって休みがちだから友達もいない。そんなの、酷すぎると思わないか…………
 肩が震えている……ここまでずっと耐えてきた涙が溢れてきたようだった。  

 私は、山下君の肩に手を回した。会いたいと言われたときから、自分の役割はわかっている。こうして彼の肩を抱いてあげること……。妹の前でも、きっと家族の前でも、この人は弱い自分を出したりしない。いつも妹や家族を支えてきた人なんだ。
「山下君……
 名前を呟くと、まるで甘えるように私の膝に顔を乗せて来た。
 男の人の涙は悲しい……。あまりに大きくなった悲しみの塊を彼は溶かせるのだろうか……
 私の膝を抱く、広い背中にそっと頬をつけた。
「山下君。大丈夫だよ。マキさんは元気に成るから……。でも、悲しい時は言って。私がいつも傍にいてあげる。いつも……
 彼は私の膝頭の上の手に力を入れた。  

 海と続く闇色の天にかかる三日月が、まるで涙の形に見えたのは、私の心が泣いているからだろうか……

 

****

 

 

 今日も彼は大学に来ない。
 そんなことわかっている。でも、ずっと山下君を探している自分が嫌になる。

 あの海へ行った日から私はきっとおかしくなってる。頭の中から彼のことが消せない……。私にあんなに弱いところを見せて、肩をいつまでも震わせていた彼のことばかり考えてる。
「玉子? 何ボウッとしているの? ほら、次の教室に移動するよ!」
「あ! ごめんなさい。待って。今行く」
「あんた、この頃変だよ。どうしたの?」
「うん。ごめん、何でもないよ」
 美沙に笑いかけたつもりだけど、頬がこわばって、きっと笑えていない……

 あの日の後、山下君から連絡はなかった。彼が今どうしているのか知りたくって仕方なかったが、もし病室にいたらと思うと無闇に携帯もかけられない。あさって、マキさんの誕生日だと言っていたのに、私は行くべきなんだろうか? もしかしたら容態が悪いのかも知れない。

 私は美沙と別れて一人、教室の隅の席で窓に広がる青い空をぼんやり見ていた。頭の中は山下君の事でいっぱいだった。

「何、ぼんやりしてんだ?」
 と、言いながら、私の隣に男の人が座ってきた。
「す、杉君!」
 三人がけの机の端に狭そうに足を入れて、頬杖をついたまま私の方を見た。
「リ、リカさんは?」
「ん? 選択科目違うから一緒じゃないよ。いつも訊くなあ。気になる訳?」
 彼は少し不機嫌そうに顎を突き出して言った。
「い、いえ。気になるとかじゃなくって、いつも一緒だからどうしたのかなって……
「お前に関係ねーよ」
 ぴしゃりと言われて、私は次の言葉を捜すのをあきらめた。今日の彼は少し機嫌が悪そうだ。いつも声を掛けてくれるときは笑顔なのに、片手に頬を乗せたまま、黙って前を見つめている。訊きなれた憎まれ口も言わないで、大きな背中を丸めて座っている。
 そして、彼は不愉快そうに一つ息を吐いた。
「タマ、日曜日、山下の妹の病院へいくつもり?」
「え?」
「昨日、山下に連絡したらお前のことを言ってた。来るなら一緒に連れて来いって」
 私は驚いて彼を見た。杉君は、振り向いた私を、ちらっと見て言葉を続ける。
「妹にも会ってるんだってなあ。マキちゃん。知らなかったよ、そんなに山下と仲良しだとは」
「え? そんな、仲良しとかそう言うんじゃないけど……。でも、マキさんには同情しているし……、山下君も本当に辛そうだから力になってあげたい。そう思っているだけだよ」
 杉君は私の方に体ごと顔を向けた。
「お前、俺の言ったこと覚えているよなあ? 山下はダメだって……
 私は少し声を荒げる彼に、むっとして言った。
「だから、別に杉君が心配するような間柄じゃあないって言ってるじゃない! どうしてそんな彼にこだわる訳? 私のことこそ、杉君に関係ないじゃない」
「お前はすぐ泣くだろう……。 だから……
「え?」
「とにかく、日曜日迎えに行くから一時頃に。家で待ってろ。いいな」
 そういうと、彼は席を立った。
「ちょ……! 杉君! いいよ、一人で行けるから!」
 私の声を無視して、彼は後ろの席へ移動していった。彼の後ろ姿を見ながら、私はなんだか不安になった。どうして山下君のことになると、あんなに不機嫌の顔をするんだろう……。 普段、学内にいる時は二人はとても仲が良いし、今も連絡は取り合っているようだ。私にはさっぱり杉君の態度が理解できなかった。


*****

 

 土曜日。
 私は、バイトに入る前に、明日のマキさんへのプレゼントを買いに元町にやってきた。まだ、一度しか会ってないから、何が好みなのかわからなかったが、山下君が買ったアクセサリーが頭から離れず、あのセットを閉まっておけるかわいい薄桃色のアクセサリー入れを買った。それと、あの色のない唇に少し表情がつく様にと、色が薄っすらつくリップクリームもつけた。
 ずっと病室の白い空間にいるって、どんな感じなんだろう……。私は、青い空を見上げて、照り付けてくる夏の日差しに手をかざしながら思った。彼女が幼い時から背負った宿命なら、神様って皆に平等に幸せを与えるなんて間違いだ。一番楽しいはずの年代なのに……。笑ったり、泣いたり、怒ったり……自分が一番純粋で、正直でいられる時かもしれない。そんな輝ける時間を奪われている彼女がとても悲しい……
 私がずっと杉君を想ってきたように、マキさんもせめて恋をしていれば良いのに……。そしたら、つらいこともあるけど、心はいつも感情というエネルギーを持ち続けてくれる。夢見ることも忘れないでいてくれる……

 買い物が終わりバイトへ向かおうと、一人で本町の駅のホームにいるときケータイが鳴った。
「はい」
――
「タマ?」
「山下君!」
――
「明日のマキの誕生日、来てくれるよね?」
「うん! もちろん行きます。今、プレゼント買ったの。喜んでくれれば良いけど」
――
「へえ……、何だろうな? でも有難う。きっと喜ぶよ」
「マキさん、具合はどう?」
――
「うん、手術が近いから毎日検査で大変だ。苦しい検査もあるから、少し元気がないかな。でも、体調は悪くないよ。明日、皆来てくれるのを楽しみにしている」
 山下君の声は、思ったより明るかった。私はほっとして、ケータイを持つ手の力を緩めた。
――
「杉が、タマが来ることをいったら、あいつも来るって。ちょうど良いから送ってもらって」
「え? 杉君もよばれてたんじゃないの?」
――
「いや、あいつはバスケの試合が近いから誘ってない。おとといかな、ケータイ掛けてきて、妹のこと心配するもんだから、誕生日でタマが来るっていったら、やつも来るって言い出したんだ」
「え? そうなんだ……。うん、昨日杉君から聞いたから、一緒に行くね」
――
「タマ……
「ん? 何?」
――
「この間は……ごめんな……。恥ずかしいよ……。男の癖にって思ってるだろう? 弱いやつで自己嫌悪だよ。嫌になる」
「あ……、そんなこと! 山下君……、怒らないでね。私、すごくうれしかった。会いたいってくれて……。何にも力になってあげられないから、せめて辛い時は私にも言って……。少しでも貴方が元気になってくれたら、それがすごい嬉しい……
――
「有難う。すごく楽になったよ……。今も君の膝が恋しい……
 
 電車がちょうどブレーキ音を鳴らしてホームに滑り込んできた。ドアが開いて、人が数人降りてきた。そして、また数人が乗込み、アナウンスが終わると、ゆっくりと滑るように走り出した。
 私は乗るはずのその電車が過ぎてゆくのをぼんやり見ている。ベンチに座って、ケータイを膝の上に開いたままで……。 
 山下君の声が心にしみこんで、なぜか理由もわからず涙が溢れてきた……。流れる涙を拭おうともしないで泣いた。
 それは、せつなくて……せつなくて……胸が潰れてゆくような感覚だった……

 

*****

 

 

 鏡の中の私が呟く……
「山下君……
 今日会えると思うと、胸が痛い……。体が締め付けられるような、そんな感覚に戸惑っている。
 私――――彼に恋してるの?
 私は今まで経験したことのない想いに昨日から囚われたままだ。それは、杉君に抱いていた気持ちより、もっと傲慢で我儘な気がする。

 山下君に会いたい。話しかけて欲しい。私を見つめて欲しい。好きになって欲しい……。そして、気持ちが知りたい……。昨日、一晩中、そんなことを考えていた。

 

「玉子! 杉君迎えに来てくれたよう!」
 階下から、母の声がした。
「今、行きます〜!」
 返事をして、もう一度鏡を覗き込み、私はイヤリングをつけた。山下君からのプレゼント。マキさんとお揃い。
「神様、今日は一番綺麗で居させて……。山下君がどきっとするくらい」
 淡いピンクのリップの唇が、そっと囁く。

「遅いぞ、タマ!」
 杉君は車から降りて、母と何か話していたが、私が出て行くといつもの口調で声を掛けた。
「気をつけてね。杉君、じゃあお願いね!」
「はい、じゃ、行って来ます」
 と、彼は運転席に乗り込んで、にこやかに母に会釈した。私はそんな彼に笑顔で話しかけた。
「杉君、今日は有難う! 病院行くつもりじゃなかったんでしょ? 練習あるのに、私なら一人で行けるのに」
…………
 杉君は言葉を返して来ない……。私には不機嫌そうな顔のまま、アクセルを踏んだ。

 車は街を抜けて、高速道路へ続く道を走った。彼は前を向いたまま、口を閉ざして運転している。
「あのう……、どうかした? 何か怒っている?」
 私はそっと彼の顔を覗き込んで聞いてみた。どう見ても怒っている……
 彼は、前髪を後ろに掻きあげて、前をみたままで言った。
「タマ、このまま、病院止めてドライブしないか」
「は? 何それ?」
 驚いて、きょとんとしている私に、今度は視線を向けて、
「とってもかわいいよ。タマじゃないみたいだ。折角おしゃれしてるんだし、このままデートしようぜ」
「な、何言ってんの! ジョーダンばっかり! マキさんが待ってるのに、早く病院に行ってあげなくっちゃ!」
 杉君は、また前に視線を戻した。そして

「ホント、うぜーよな、お前……
 と、ポツンと言った。
 
 この間から、彼の私に対する態度がおかしいと感じてはいる。いつもは、さわやかで優しい笑顔の人だったのに理由がわからない。山下君と私の事を気に掛けているのは間違いないと思うが……、でも、山下君となんて、まだ何も始まっていない。ただ、私が気がついただけだ。山下君への気持ちに……

 杉君のブルーメタのアコードEUROは、混んだ日曜日の高速を流れるように縫って走ってゆく。私は気分を変えるつもりで彼に話しかけた。
「私、初めてだね。杉君の車に乗せて貰うの」
 彼は、チラッと私に目線を向け、
「乗せる理由ないもの」
 と、つれない言い方をした。

 私はため息を吐いた。ずっとあこがれて好きだった杉君だけど、もう訳がわからない。私もいい加減に頭にきた。ふくれ面のまま、窓に目をやって景色を見た。

 杉君がチラッと私の笑顔の失せた顔を見た。
 
ふうっと、今度は彼がため息を吐いた。そして、知らん顔の私に話しかけてきた。
「悪かったよ。へんなことばかり言って……。なんかタマ見てるとイライラしてきて」
「な、なんで杉君がいらいらするの? 私は貴方のペットじゃないんだからね。何しようと、杉君に関係ないと思うけど!」
「誰がペットだなんていったよ」
「言ったじゃない! 中学3年の時、中山君と初めてのデートで遊園地行く日。俺のペットに手を出すなって」
「あ……。言った……。だけど、あれはあいつがいい加減なヤツで
「そんなの関係ない! 私の事猫か犬くらいにしか思ってないんでしょ? いつも馬鹿にしておせっかい焼いてくる。どうせチビで地味で子供っぽい私なんか、彼氏も出来ないよ!」
 私の剣幕に杉君は黙り込んだ。
「気にしてくれてるのは、正直すごい嬉しい。でも、もう私達中学生でも高校生でもないよ。私だって自分のことくらい自分で考えるし、杉君に迷惑掛けてるつもりもない。貴方だって、私の知らない世界を持ってるじゃない。私だって自分の世界はあるよ」
 
彼は前を走る車を追い越しながら、ぽつぽつと話し始めた。
「そうだな……。タマの事なんか放って置けばいいのに。お前のドンくさい所ばっかり見て来たたからな。インプットされてるんだ、また、泣くんじゃないかって」
「大きなお世話だよ」

 私は、思いっきり頬を膨らませて怒っている顔を見せた。

 杉君は、その顔を恐る恐る見ていたが、ぶっと突然噴出した。

 私もぷっと噴出した。杉君も笑ったし、私もなんか急におかしくなった。だって、ここにいるのは、あの中学で一緒になってずっと腐れ縁を続けている二人だもの。

「タマ、俺さあ、長い付き合いだし、お前が悲しい顔するのはやっぱり見たくない。いつも明るいタマでいて欲しい」

 杉君は、また前を向いて、話し始めた。

「私、暗い顔なんかしてないよ」

「嘘つけ! 大学でもぼうっとしてるじゃないか。だから、もう山下達とかかわるな。あいつ以外なら別に誰でもいいよ。男なんていっぱいいるじゃないか!」
 杉君は、はっきりと今度は山下君の名前を出した。
「どうして、山下君はダメなの? 何か知ってて反対してるんでしょう? 私が悲しい思いするって……
「俺の口から言うことじゃない……。山下がお前に言ってないなら……
 彼は、眉間に皺を寄せて、おもむろに嫌そうな顔をした。
「杉君。別に私と山下君、付き合ってるわけでもないのに、そんな心配、無用だよ」
「じゃあ、もうあいつらにかかわるな!」
 語気を荒げる杉君に、私はしばらく言葉を閉じた。彼に心配されるのは、すごく嬉しかった。でも……
 そして、私は俯いて小さく呟いた。 
「それはいや……。私、山下君のそばにいるって約束した……。ううん、そばにいたいの。だって、もう彼のこと、どうしようもないほど好きになってる……

 杉君はもう、言葉を返してこなかった。

 車のフロントガラスに、眩しい初夏の日差しが降り注いでいる。私は目を細めて、青い空を見つめた。

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 ★更新遅れてすみません。実はファイルを行方不明にしちゃいまして(++;

 今日一日、PC探してました。あってよかった〜〜!今更始めからはむっり〜!と言う事で、更新急ぎます。これからもよろしくおねがいしま〜す(^^)