第八話 『山下君と私』

 

「おはよ! 玉子。あら〜、今日はどうしたの? 珍しいねえ、ワンパターンGパンじゃないなんて!」
 朝の大学の門の前であった美沙に、じろじろ見られて恥かしくなった。
「可笑しい? これ買ったから着けてみたくて、ちょっとスカートはいてきた」
 胸のシャギーのブラウスの上に揺れる、花とパールのペンダントを指で触れてみた。
「へえ! 可愛いじゃない。ううん、ちっとも可笑しくないよ。あ、ピアスとお揃いなんだ。とっても可愛いよ、似合ってる。あんた、チビだからこんなキュートなカッコの方がいいよ」
 ノースリーブの薄いブルーのブラウスから出た腕を、引っ張りながら美沙が目を細めて言った。
「玉子、あんた、バイト始めてからちょっと変ってきたけど、何かあったの?」
「嫌だ! 何かって、何もないよ! もうへんな事言わないで」
「ふ〜ん」
 美沙が意味深な笑みを浮かべる。私は何故か顔が熱くなってきた。
「タマ!」
 そのとき、後ろから声をかけられた。朝の門の周辺のざわめきに一際高い声……
「山下君」
 長身の彼は行き交う学生達の集団の中でも、すぐにわかる。胸に小さなロゴの入った白いTシャツに、ジーンズ。私に向かって、軽く手を上げて笑みを零した。
「やだ〜。山下君かっこいい! 玉子、ムカつくから先に行くね。あんた、サボるんだったら代返してやるよ」
「あ、バカ! 何勘違いしてんのよ。美沙。私も出るから、講義」
 美沙は、少しふて腐れた顔をして、さっさと学内に入っていった。
「どうかしたの? 彼女」
 山下君が傍に立って、ポツリと言った。
「な、何でもない。気にしないで」
「そう? ま、取り合えず、昨日は有り難う。マキが喜んでた。また、来て欲しいって」
「うん。私も楽しかったし、必ずお邪魔します」
 彼が、私を見下ろしてフッと笑った。胸のペンダントを見つめてる。
「良かった。本当にかわいいや。亀よりはマシなプレゼントだったな」
「あ、うん。有り難う……。マシだなんて。生れてから一番嬉しかったプレゼントだよ」
 私も、心からの笑顔で言った。山下君は私の喜ぶ顔を見て、少し照れたように、頭を掻いた。
 

 彼には、どうしてだか、何でも正直に言える気がする……。いつも、引っ込み思案で俯いてばかりいた情けない私が、こうして笑みを交わしている。まだ、知り合ったばかりなのに……。それが、とても不思議だった。長い付き合いの杉君にだって、こんなに気持ちを落ち着けて話せない。

 私達は、人気のある教授の、学生が溢れんばかりに集まった広い講義室の最後列の席で、教授のマイクの声に紛れて小声で語り合った。山下君は本の話や、バイトのこと、そしてマキさんの事を微笑みながら話してくれた。笑顔で相槌を打つことがこんなに楽しいなんて、私は始めて知った。
 山下君の日に焼けた彫りの深い横顔は、いつもの不機嫌そうな表情に比べたら、今日は輝いて見える。この表情は私のためだと思うと、胸が高鳴って、落ち着かない。時々触れる肩にどっきりして、それでも傍にいることが嬉しかった。

 でも、彼にとってはただの友達……。杉君が言った言葉が、いつも私の心にある。
『山下を好きになったら、お前が傷つくだけだ』
 今日は時間が早く流れてゆく。山下君の傍は、暖かくって優しい春の日のようだった。

 

 

 陽射しが、また強くなって来たかも知れない。
 私は、病院へ行くと言う山下君を門で見送った。近いうちにマキさんの手術があると悲愴な顔で話す彼を、元気付ける言葉もかけられずに、ただこうして後姿を見つめていた。それよりも……本当は今日はずっと一緒に居たかった……。マキさんのことも考えないで、身勝手な心に嫌気が差す。
、、
 私がまた教室に戻ると、美沙がすかさず遣って来た。
「ちょっと、玉子。何もないってどういう事なの? ずっと二人で講義受けてたくせに」
 美沙が膨れっ面で言い寄ってきた。
「別に特別な事はないったら。 誤解しないで。バイトが同じだから親しくなっただけの事じゃない」
「それが特別じゃないの?」
「ただの友達よ! 彼は今、それどころじゃあないのよ。妹さんが心臓の手術を受けるから大変なの。命に係わる手術だもん」
 美沙は目を大きく見開いた。流石に驚いたようだ。
「へえ、そうなの。会ったの?」
「うん、昨日……。透けるように白い肌のお人形みたいに奇麗な子だったよ。髪も私みたいに短くしてた。一年以上入院しているみたい。まだ高二だって……
「そうなんだ。そりゃあ大学来て、ちゃらちゃらしてられないよねえ。可哀想」
「うん……
 私の沈んでゆく顔を見て、美沙もため息を吐き、それ以上は山下君のことは話さなかった。

 


 五時からのバイトは、いつもよりお客が多くて、てんてこ舞いになった。店長は私の出勤を待って、いつもの配達へ出て行った。

「このオシロイバナの鉢植え、可愛いわねえ。まだまだ咲きそうね」
 常連の主婦のお客さんが、店先に並べた鉢植えを持ち上げ言った。
「はい。これから咲く花ですから」
「じゃあ、これ貰っとこう。あら花言葉が書いてあるのね」
 と、鉢に刺した値札の説明書きを見つけて、読み始めた。
「あら、この花の花言葉、『臆病』って言うんだって。 何だか淋しい花言葉ね」
「臆病? ですか?」
 私は代金を受け取って、ポリの袋に鉢を入れながら聞き返した。
「そうみたい。確かに控えめな感じね。でも、可愛い花だと思うわ。有り難う。店長にヨロシクね」
「有り難うございました」

 と、私は頭を下げながら、気に入った様子で花を見る奥さんを微笑んで見送った。

 鉢でひっそりと咲いている白い花に、その花言葉がぴったりの気がした。

 『臆病』――――自分に言われてる気がした……。でも、私みたいな女って、臆病じゃないといっぱい泣いてしまう……。臆病なのは、心が悲しまないように守ってるんだ。きっと……

 

 店長が配達から戻って私は店を閉めた。もう、山下君に頼らなくても自分で何でもできるように、店長からいろいろと教わった。

 彼は、もうここへ来ないかもしれない。そんな予感がしていた。

 バイトを終えて、うちに帰ると、もう十時になっていた。私は軽く食事をして、自分の部屋へ篭った。
 一人になると、杉君の顔が浮かんだ。彼は私の脳裏の中で中学生だったり高校生だったり、今のままの姿だったりする。ふざけながら浜辺を歩いているときは、屈託のない笑顔の中学生で、短い髪でバスケしているところは高校生。そして、リカさんとキスして抱き合った場面で、私はぎゅっと眼を閉じた。
「七年目の片思い。……グッバイ! もう忘れる!」
 手を延ばしても届かないものは、いっぱいある……。でも、恋は一番辛くて悲しい。そんな気がした……
〜」
 その時鳴った携帯のメロディに、何も考えずに手に取った。でも、ケーバンを見て心がトクンと跳ねた。
「山下君……
 慌てて耳にあてがう。自分でも胸の鼓動が速くなったのが解った。
――――
『もしもし? タマ?』
 彼の声……いつもの通りタマって呼んでる。
「どうしたの? 山下君、何か用事?」
――――
『うん……。今、都合悪いの? なんかそっけないけど、迷惑だった?』
「エ? そんな事! ゴメンなさい、携帯してくれるなんてびっくりしたから、どうかしたのかって」
――――
『そうか、良かった。タマの声が聞きたかったんだ。タマと話していると俺も普通の学生なんだって気がするものだから。変だろ? 杉や他の奴らと同じように学生生活満喫してね。ふざけて、笑って……何の心配もないんだ。勿論、バスケもやってるし』
「山下君? どうかしたの? あの、マキさんになにかあったの?」
――――
『はは、ごめん。心配させたかな……。マキは大丈夫。今度の日曜日マキの誕生日なんだ。タマにも来て欲しいって言ってるけど……もし、良かったら来てくれる?』
「わかった。必ず行く。嬉しいってマキさんに言っといて」
――――
『有り難う。マキ喜ぶよ……。俺も嬉しいし……
 いつもの彼じゃなかった。声がひどく暗くて重い。
「ねえ、何があったの? お願い、私には言って」
――――
『タマ……。有り難う。本当はどうしたらいいのか、解らないんだ。自分でも嫌に成るくらい弱い奴で……
「山下君!」
――――
『マキの手術の日が決まった。一週間後に……
「え!」
 暫く沈黙が続いた。私には膝を抱え、背を丸める彼が見えるような気がした。
 でも、言ってあげる言葉が見つからなかった……
 山下君は 、独り言のように、暗くて小さな声で言った。

――――『マキ……死んだらどうしようか……
 力ない言葉が悲しい旋律に乗って、小さく流れてくるようだった。私は思わず声を荒げた。
「山下君! 何いってるの! そんな事ないから、しっかりして」
――――
『あ、何言ってんだ俺は……
「そうよ! 元気に成るために手術するんでしょ! 貴方がそんな弱気なこと言ったら、マキさん頑張れないよ!」
――――
『うん……そうだよな。ごめん……
「絶対大丈夫だから、元気出して!」

私は、思いつく言葉を、片っ端から並べて、山下君を励ましたかった。でも、何を言っても、彼の耳に届かないような気がした

――――『タマ……
「何? 言って……
――――
『少しだけ、会えない? ちょっとでいい……会いたい』
 私の体の中に彼の悲しい心がいっぱいになってゆく。目を閉じれば、悲しい糸が繋がってゆく、彼の心へと……
「うん……。私で良いのなら……来て……篠原駅で待ってるから」

――――「ありがとう、駅で待ってる」  

 携帯を閉じて、私はぼんやりとカーテンの掛かった窓を眺めた。
 どう言ってあげたらいいのか、私にはわからない。でも、不安がる彼に会って、せめて傍にいてあげたい……
 私は階段を慌てて駆け下りて、一人片付け物をしていた母に出かけると言った。
「お母さん、ちょっと駅まで言ってくる。遅くなるようなら電話入れるから」
「え? もう10時よ! どうしたの?」
 母が顔を覗き込んだ。
「私が行ってあげないと……
 ふっと息を吐いて、母は、
「仕方ないわね。気をつけて行きなさいよ。携帯持ってるね」
 私の暗い顔を見て、心配そうな顔に微笑を浮かべた。
「有り難う、行ってくる」

 私は、バックを肩に掛けると、急いで、玄関から飛び出した。
 

 篠原駅まで走って、帰宅を急ぐ人達とすれ違った。山下君に真っ直ぐに向いてる気持ちは、息が切れて苦しいのに足を止められない。
 駅前はまだ人通りもあり、街灯も煌々と周辺を照らしている。タクシーの屋根のランプが奇麗に整列して次々と帰宅を急ぐ人を乗せて走り去る。

 そのタクシー乗り場の外れに白いスカイラインが停まっていて、それに寄りかかる長身の彼の姿を見つけた。
「山下君!」
「タマ!」
 私の声に彼が振り向いた。私の足は速くなる。息も苦しいのに走って彼の元へ急いだ。
「早かったんだね」
 息も絶え絶えに彼に言って、微笑みかけた。山下君は、私の様子に笑いながら肩に手を置いた。
「バカだな。何も走ってくることないのに……。でも、有り難うタマ……
 そのまま、私は彼の胸に引き入れられた。きゅっと背中に回した腕に力を込められると、私はもう、動けない……
「会えてよかった」
「山下君……
 私の飛び出しそうな胸の鼓動がきっと彼にも聞こえている……。でも、私は顔をその広い胸に埋めた。この人の胸はとても優しい……波に揺られる小舟のように静かに目を閉じて、彼に身を委ねる。私に会いたいと言ってくれた優しい人に……
「タマ……、海へいこうか……
 耳元の囁きにゆっくり頷いた。

                     

                                                 <第九話 誕生日>

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