第六話 初めてのデート

 

 深夜から、雨になった。梅雨の天気って変わり易いものだ。
 私は、眠れないベッドの中で、屋根を叩く雨音に耳を澄ました。雨音がさざなみの音にかわり、頭の中は海を見つめる杉君の姿でいっぱいになった。

 私を心配してくれている。きっと……。彼は、今まで、そうして庇ってきてくれた。

「タマが苦しむだけだ」……一方通行の恋に苦しむって言う事? そんなこと、私はもう慣れっこだよ。杉君をずっと見つめてきたから。

 でも、大学に入って、彼がりかさんと一緒のところを見てから、私は「腐れ縁」という現実を思い知った。彼にとって、私はいてもいなくても変わりない人間。

 苦しいと感じた。杉君への片想いが……。

 私は、自分の閉じたままの世界から、救って欲しいのだと思う。私の隔てた壁を壊して、新しい世界に誘ってくれる。それが、山下君だと思ったのかも知れない。好きとか嫌いとか、そんなことの前に、普通に友達でいて、普通に話せて笑い合える。つまらない事かもしれないが、臆病な私にはそれだけが望み。彼の優しい微笑みは、それをかなえてくれそうな気がする。

 雨が強くなってきたようだ。

 その雨の音に、山下君との時間を思い出した。 彼の笑顔、言葉、そして涙……。彼は、私なんかより、もっと辛い気持ちを隠している。

 突然、雨の音しか存在しない部屋に、枕元に放り出していたケータイの着信音が鳴った。反射的に手に取り、画面を開けた。山下君からのメールだった……

 私は、落ち込んでいた気持ちが、救われた気がした。
――
『遅くなってごめん! 明日午後2時に篠原駅にいく。駅のロータリーで待ってて』
 短いメールの文面が、涙で霞んで、すぐに返信が打てなかった。
――
『ありがとう、覚えててくれて。待ってます』
 やっと返信を打って、もう一度彼からのメールを開けた。今度はもう、涙があふれて読めない。嬉しくて、ケータイを胸に抱いた。
 

 明日、日曜日の約束――私がはじめてした約束。

 彼は、目立たない私に気付いてくれていた。でも、それは杉君と親しく話していたからに違いない。彼にとって、私は、バイトで親しくなった友達以上の存在であるわけない。

 りかさんみたいに魅力があれば、山下君だって女として、意識してくれるのだろうけど。

 神様は不公平だ。いっぱい愛される人と、そうでない人を創った。それでも、皆、同じ様に恋をして、 同じ様に愛されたいと思う。

 街をゆく人の中にも、夜、あかりの灯った窓の中にも、本の中にさえ、楽しかったり嬉しかったり、苦しかったり悲しかったりと、様々に恋や愛が溢れている。

 私は、ある本の見開きに書かれた一文を思い出した。

『一瞬が永遠になるものが恋。永遠が一瞬になるものが愛』

 誰もが人を好きになるし、誰かを愛して生きているものだ。それは、異性ばかりじゃなく、両親や兄弟に対してだったり、自分の子供であったり。愛することは、人として生きてゆくことの証なのかもしれない。

 一瞬で、自分を変えてしまうような恋に、出会えるのだろうか。でも、私は、きっと誰かを好きになっても、その人を求めたりは出来ないだろう。傷つくのが怖い。好きになって貰える自信もない。私より素敵な人はいっぱいいるもの。

 シーツの中から、杉君と繋いだ手を出して眺めた。広げた掌に、彼の長い指の感触が残っている。意味もなく繋がれた手。

 杉君と同じ様に、山下君とも友達以上になれない関係が、また続くのだろう。

「友達でいい」

 そう言って、湿度の高くなった部屋も気にせず、頭まですっぽりと薄いケットを引き上げた。

 明日の約束が、否応なしに私の胸を熱くしている。山下君に、恋してるわけじゃない。でも、約束の効力は、こんな私にも、心の疼く夜をくれた。

 

 *****

 

 深夜の雨も、朝にはすっかり上がっていた。爽やかな陽射しが窓から差し込んでいた。

 私は階段を駆け下りて、昼ごはんの支度をしている母のいる台所へ、顔を覗かせた。

「お母さん、今日出かけるね。お昼から」
「あら? 珍しい。いつも日曜日はヒッキーじゃなかったの?」
「うるさいなあ」
「杉君とデート? だったら連れてきなさい。私、彼の一ファンなのよ」
「お母さん! そんなわけ無いでしょ!」
 母の無神経な言葉にむっとした。笑顔を向けて、また野菜を刻み始めた母に、唇を尖らせ、自分の部屋へ戻った。

 母は「玉子」という名を付けた張本人だ。なんとかの小説の主人公の名前らしい。駒子は知っているが、玉子なんて私は知らない。ましてや、杉君と知り合うきっかけを作ってあげたと豪語する! ただ、流石に親だ。私の杉君への気持ちはすぐに見抜いた。片思いであることも……
 
中学の頃のように杉君が来なくなった事を、母は淋しがっている。ひとりっこで友人も少ない私に、兄弟みたいに接する彼の存在は、母なりに嬉しかったのだろう。彼の優しさを、私の次に知っている人だ。  

 

 山下君との約束の時間が近づいた。

 私は、白いつばの小さい帽子を目深に被って、混んで来た日曜日の駅前に立っていた。駅をぐるりと回れるロータリーは、広い道路だが、送迎のための車やタクシー、それに地下のショッピング街の搬入車も入り混じって、今日は混雑している。私はその中を、彼の車を探して、背伸びしたり、手を翳して見たり、落ち着かない。

 真っ青の空が、目に痛いくらい眩しい。夏の陽射しが街中に交差している。本格的な夏が近いことを予告して、太陽は歩いている人達をジリジリ照らしつける。午後二時前の駅も暑かった。
 ロータリーに進入してくる車の中に、彼の白い車を見つけた。
「タマ!」
 一度クラクションを軽く鳴らし、窓から顔を覗かせて、私の名前を呼んだ。何だか、彼に名前を呼ばれるのが、すごく誇らしい気分だった。

 薄い偏光のサングラスが、大人びていて似合っている。日に焼けた広い肩を出した黒いタンクトップ姿は、男らしくて素敵だ。

「待ったか? 暑いね、今日は」

 助手席に滑り込むように乗り込んだ私を、微笑みながら見る。

「うん! 本当にこの髪型にして正解だな」
「ありがとう」
 嬉しかった。二時間も鏡の前にすわっていた甲斐があった……
 今日はお化粧もしてきたし、白いレースのノースリーブのワンピースにグレーのノーカラーの綿の上着。
 

 でも、山下君はもっと素敵だ。何を着ても様になるだろう、スタイルとルックス。私の顔が熱いのは、陽射しのせいばかりじゃない。
「今日はどこへ行くの?」

 山下君は、後ろを振り向きながらステアリングを切って、車の流れに戻ると

「うん、元町で買い物がしたい」

 と、笑顔を向けてきた。

「え? 買い物? 何か目的があるの? 」
「妹がもうすぐ誕生日だから、プレゼント。タマに見て欲しいいんだけど」  

「妹さんの……」

 私は、浮かれた気分が一瞬で、しぼんでしまった。そうだ。彼には、病気の妹がいるんだ。

「私で、大丈夫かな?」

 と、沈んだ表情で、ポツリと言うと、山下君は運転をしながら、チラッと私を見て言った。

「どうした? 買い物だなんて、つまんないかな」

「あ、いいえ、そういうことじゃなくって、妹さんの病気、心臓だって店長から聞いたから、それを思い出して……」

 私が妹の話を持ち出すと、山下君はしばらく沈黙したまま車を走らせた。繁華街のメイン通りを抜けて、東へ向かって走る。もうすぐ、高速の入口が見える。

 病気のことは、いいたくなかったのかも知れない。

「妹は……」

 と、彼は前を見たままで、固い表情で話し始めた。

「生まれつき心臓の弁が異常なんだ。今は人工弁を取り付けているけど、小さい時から、病院と家と半々の生活を強いられている。勿論激しい運動は出来ないし、学校も休み勝ちだ。

それに、今、体調が良くなくって、もう一度手術しないといけない状態になっている」

 山下君は、低い声でそう言って、暗い表情になった。

 私は、掛ける言葉が見つからなくって、黙って彼の横顔を見つめた。彼の表情からも、病状が重いとわかる。

「だから、妹の誕生日は、家族にとって、とても大切なんだ。はっきり言って、明日、発作が起きて命を落とすことだってある。こうして十八回めを祝ってやることは、また十九回めが来るようにと祈ることなんだ」

「山下君……」

「近いうちに手術で、新しい人工弁を取り付ける。妹は、心臓の機能が回復したら、また高校へいけると喜んでいるよ」

 彼は私に目を向け、泣き出しそうな顔で見つめる私に気付いた。

「タマ、悪い悪い! 大丈夫、入院と言っても、今は状態も良くなって、普通に起き上がっているよ。心配ないから」

 山下君は、ステアリングを握った手を放して、私の方へ左手を伸ばしてきた。そして不安そうに見ていた私の頬を包むように、手をあてがった。

「有難う。心配してくれて。妹のプレゼントが目的だけど、でも、タマと出かけるの楽しみにしてたよ」
 楽しみにしてた……ふっと、気持ちが軽くなった。

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