第十話 誕生日(2)

 

 カーステから車内に流れるFLOWの歌が繰り返して、沈黙の中を埋めてくれる。

 私の告白を聞いてから杉君は黙ったままだ。重苦しい沈黙が二人の間に流れている。
『山下君が好き』―――隠しておけないほど大きくなった想いをはじめて口にした瞬間、私と杉君の間にあった何かが壊れたのかも知れない。もしかしたら、本当に彼の中の私って中学生のままで成長していないのだろうか。確かに、ちびでどじな私をいつも気に掛けて庇っていてくれた。
 私が彼を好きだったのは、きっと学校の中で唯一、私に優しくしてくれた人だったから……。大勢の中に、砂粒のように埋もれてしまう私の存在に、気付いてくれた人だから。

 何かあるたびに声を掛けてくれたし、口は悪かったけど励ましてくれた。憎まれ口を叩かれながらも、男の子になんか相手もされなかった私には、それがきっと嬉しかったんだ。

 杉君の優しさは私が一番よく知っている……

「杉君、本当に大丈夫だって。別に山下君に告白するつもりなんかないし、彼と付き合いたいなんて全然思ってないよ。彼には良い友達でいてあげたいの。それだけでいい。彼、今それどころじゃあないし」
 それに、もう貴方から心が離せる。――――この辛い想いに終止符を打ちたい。杉君には絶対届かないこの気持ちを葬り去りたい。

 私はもう少女じゃない。幼い恋を卒業する。
 話を前を向いたまま、黙って聞いていた彼がポツリと言った。

「泣くなよ」
 見つめた杉君の横顔は、私の知らない大人の顔だった。

 
 日曜日の大学病院の駐車場は、見舞い客で結構混んでいる。やっと車を止めて、私と彼は無言のまま循環器外科病棟にやってきた。
 今日は、病室の中から人の声が聞こえてくる。いつもは静まり返った病室が明るく感じる。入院している人にとって、日曜日は楽しみな一日なんだろう。

 マキさんもきっと待ってる。私達の事を。

「ここだ」
 杉君がポツリといって、ドアをノックした。
「はい、どうぞ」
 と、声がした途端、ドアがスライドして小柄な女の人が笑って迎えてくれた。
「あ! 杉さんと玉子さん! 入って入って」
 女の人の後ろから、私達を覗き込むようにして、明るいマキさんの声が病室に響いた。
「わざわざ遠いところすみません。どうぞ入ってください。お待ちしてたんですよ」
 と、柔らかな表情の笑顔は、マキさんのお母さんだと直ぐにわかるほど良く似ている。
「お邪魔します。どう? マキちゃん」
 杉君が優しく言って、マキさんのベッドに近づいた。私も並んでベッドの脇に立った。
「マキさん、おめでとう。ご招待有難う。会うの楽しみだったよ」
「きてくれて有難う! 玉子さん。ずっとまってたの」
 マキさん溢れんばかりの笑みを私達に向けた。今日は体調は良いのか、頬が薄っすら赤みが差している。でも、笑顔が淋しく見えるほど顔色が無く透き通った白い肌が痛々しい。
「悪かったな、杉」
 病室の隅から、山下君が杉君に話しかけた。声を聞くとどきどきして指先が震えてきた。私は、彼に顔を向けた。ふっと笑顔の彼が一瞬で私を飲み込んでしまう……。上がってゆく体温をとめる方法がわからない。彼の笑顔に鷲づかみにされた心は、息ぐるしいほどせつない。恋した私の気持ちは思うがままにはならなくて、思わず彼から顔を背けた。

「どうだ、チームの状態は?」
 病室の隅で、長身の二人が向かい合って話をしている。私は胸を押さえながら、マキさんの方へ振り返った。
「この前より元気そうだね。良かった」
 彼女は本当に嬉しそうに笑ってくれた。そして、
「これ、玉子さんが選んでくれたって兄が……。とても可愛くって嬉しかった」
 と、白い胸を少し開いて小さい飾りのペンダントを見せた。
「わあ、良かった。やっぱり可愛い! マキさんにぴったりだね。ピアスも可愛い」
「有難う。照れ屋の兄のことだから、今年もまた本だろうなって思ってたんです。なのに、こんなの……。びっくりしちゃって。そしたら玉子さんが選んでくれたって。ほんとに気に入ってます」
「ううん、私は探すのについていっただけ。山下君懸命に探してたよ。本当にマキさんのこと大切なんだって思った……
『マキを失いたくない』――――山下君が言った言葉が、蘇って来た。あの搾り出すような声と一緒に……

「さあ、皆さん、お茶が入ったのでどうぞ。ケーキも焼いてきたんですよ」
「あ、玉子さん、母です。今日はすごいの! 手作りケーキ!」
 物腰の柔らかい優しそうなお母さんは私に笑いかけ、頭を軽く下げた。
「玉子さんのことは、いつもマキから聞いてます。これからも話し相手になってやってくださいね。この子は家と病院を行ったりきたりで、友達も少なくって……
「有難うございます。私もマキさんと話をするの楽しいので、これからも会いに越させて頂きます」
 私を見ていたマキさんが、顔を溢れる笑みに変えた。私も彼女に微笑みかけた。これは、本当の気持ちだ。私は純真で優しい彼女が可愛いと思っている。

 こんな子が……と同情もしていた。

「さあ、まずはマキ、ケーキのろうそくを吹消して!」
 美しく飾られた誕生日ケーキには『マキ、18歳おめでとう』とプレートが掲げてあった。ろうそくが円になって並んでいる。
 体を起した彼女の前にケーキが置かれて、マキさんの嬉しそうな明るい顔が輝いている。

 そしてその向こうには、愛しむように微笑む山下君が寄り添っていた。
 

「じゃあ、ろうそくに火をつけるわね」
 お母さんが並んだ十八本のろうそくに一本一本ゆっくりとマッチの火を移らせていく。このろうそくの一本がマキさんだけでなく、家族にとってもどれ程重いものだったのか、私には想像も出来ない。いつ果てるか解らないこの弱い火を守り通す愛情を思うと、私は目頭が熱くなった。
「十八歳……おめでとう、マキ」
 ろうそくの揺れる炎の向こう側で、かがんでマキさんに微笑みかける山下君がそっと呟いている。マキさんは静かに微笑を返し、ベッドの周りの顔を眺めてから、ふうっとろうそくを吹消した。

「おめでとう! マキちゃん」
「有難う、杉さん、玉子さん!」
 彼女は頬をピンクに染めて本当に嬉しそうに笑った。
「これ、俺のプレゼント。「HITOTOYOU」すきだって聞いたから最新アルバムとライブ版のCD」
「わあ、有難う、杉さん! そうなの、大好き! 嬉しい」
 杉君はマキさんの喜びように、はにかみながら隣に立つ私を見た。
「うふ! 杉君、ナイス。亀よりずっと素敵なプレゼントだね」
「へ?」
 と、不思議そうな顔をする彼を見て、山下君がぶっと噴き出して一人笑い出した。
「杉、お前は罪な奴だよ」
「なあに? お兄さん! なんだか楽しそうねえ」
「なんだ? 山下、わけわからん。何だよ、タマ」
「いいのいいの! マキさん、私からはこれ。開けてみて」
 私は白くて細いマキさんの手に20センチ四方の箱を手渡した。彼女が目を輝かせてリボンを解いた。
「わあ、可愛い! お花が可愛い」
 小さなアクセサリー入れはふたに細かな花の細工が浮き彫りにしてあって、中は細かく仕切ってある。
「お兄さんのプレゼント閉まっといて。大事なものとか……。それと、これも」
「これは?」
「うん、リップクリーム。少し発色するから……。マキさん、こっち向いて」
 私は薄いピンク色のスティックの先を少し出して、彼女の細い顎を持ち上げ唇にすうっとひいた。
「わあ、いい香りする!」
「どうかな。淡いピンクだから、ここでもつけて大丈夫だと思うんだけど」
 マキさんの色のない唇がピンク色を着て、しっとりと輝いた。白い顔色に愛らしいピンクの口元が彼女を素晴らしく美しく見せた。
「わあ、マキちゃん! すっげえ美人になった」
 杉君がそう言って、まじまじ彼女を見た。
「ほんと?」
 私がそっと鏡を差し出すと、マキさんは口元をきゅっと閉めて自分を眺めている。
「マキ、本当に奇麗だよ」
 山下君が小首を傾け、彼女を覗き込むようにして見ている。マキさんは恥ずかしそうに微笑んで彼を見た。そして、お互いを包み込むような笑顔の交換……
 私は二人の様子を見て、少し心が痛んだ。山下君が、妹しか見ていないような気がしたから……。二人をぼんやり眺めた。
「タマ、流石に一応女だね」
 ぼうっとしていた私に杉君が声を掛けた。振り向くと、彼のいつもの優しい爽やかな笑顔があった。
「一応は余計です。でも、ペットにしては気がきいてるでしょ」
「ああ。でも、ペットだなんてホントに思ってないって」
「中学の時言ったでしょ? じゃあ、タマって言うの止めて。猫みたいだもん」
「だから、あいつはいろいろうわさのある奴で……。タマでいいじゃないか、今更、玉子さんなんて気恥ずかしくって言えるかよ」
「じゃあ、金原って言って」
「ダメだ。お前の苗字は、中一の『きん〇〇』事件を思い出す」
「それは単にへりくつでしょうが!」
 と、私が彼に噛み付くと、急にマキさんが笑い出した。
「ふふふ……。腐れ縁っておかしいんですね」
「ああ、杉はいっつもタマをからかって楽しんでるからなあ。大学でも名物のふたり」
 と言った山下君の言葉に、
「ええ? 嘘!」
 と、声を揃えて叫んだものだから、ますますマキさんは笑い出した。

 初夏の日差しが差し込む病室に、穏やかな時間が流れてゆく。
 来週に控えたマキさんの手術は、山下君を苦しめている。だから、今だけは忘れて欲しいと思う。

 彼が言ったように普通の学生で普通にキャンパスライフを楽しんで、好きなバスケットも出来て……そんな彼の願いは必ず叶うと信じてあげたい。
 ただただ、マキさんが元気になることを、心から祈った。

 美味しいケーキと取り留めない楽しい会話は、マキさんの誕生日の良い思い出となるだろう。山下君もマキさんに寄り添って、明るい笑顔で話している。陽気な体育会系の杉君は、話題も多くて気さくにぽんぽん話すタイプだから、彼がいるだけで雰囲気が明るくなる。彼が一緒で良かったと思った。
「で、今日、リカはどうしたんだ? 一緒に来ればいいのに」
 と、山下君が突然に思い出したように言った。
「え? ああ。何か用があるとか言っていた」
「そっか、残念だな!」
 マキさんが山下君の顔を覗き込んで、ちょっとすねるように口を尖らせた。
「なあに? お兄さんもあんなグラマラスな女の人がいいの?」
 山下君は、ふっと笑みを漏らして、マキさんを驚いたように見つめた。
「グラマ……すごい表現だなあマキ! まあ、リカはすごいいい女だと思うよ。なあ、杉」
「ああ……
「だけど、俺的にはリカタイプより、タマみたく小さくってかわいいタイプが好きかな。タマってホントかわいい人だし」
「うん。私も玉子さんに一票です!」
「いやだ! やめて。兄妹で。はずかしいよ」
 私は山下君とマキさんに微笑みかけられて、どぎまぎしてしまった。でも本当に舞い上がるくらい嬉しかった。山下君の言葉に心臓が飛び出ちゃいそうだった。
 二人が私の様子に声を出して笑ったが、隣の杉君はにこりともしなかった。
 

 杉君は一体何を隠しているのだろう……。屈託無く笑う山下君に、諦めねばならないような理由があるなんて、私には信じられなかった。
 

 

 瞬く間に時間は過ぎて、面会終了時間になった。
「じゃあ、山下、今日はこれで失礼するわ」
 時計を見ながら杉君が言って、私を見た。
「うん。私も……。マキさん、手術がんばってね。また会いに来るから」
「有難う、玉子さん。待ってるから、私」
 少し淋しそうなマキさんに微笑んで、手を握った。白くて細い手は、それでも暖かだった。
「有難う、杉。タマ」
 お母さんと山下君に見送られて、私と杉君は廊下でもう一度頭を下げ踵を返した。
 私は杉君と並んで歩きながら、後ろが気になって仕方無かった。山下君が見送ってくれていると思うと……。そうっと振り返る……
「タマ!」
 山下君に呼び止められた……。とくんと鼓動が大きくなる。
「先に行ってる」
 と、杉君は振り向かないでそのまま歩いていった。
「山下君、どうかした?」
「うん、今日は有難う……。何かあまり話も出来なくて……。明日、午前中の講義出るつもりだから、門のところで待っててくれない? この間みたいに一緒に受けれたら嬉しいんだけど」
 夢みたいだった……
「うん。わかった。じゃあ、門のところで待ってる」
「じゃあ、明日!」
 顔が熱い……。手を振って別れたが、ずっと彼の傍にいたいと心が叫んでいる。

 でもこうしてささやかな約束をして、また彼と繋がっていけることが私は本当に嬉しかった。
「タマ! はやく、降りるぞ」
 杉君がエレベーターで待っていてくれた。
「ごめん、待たせて」
 彼は病室ではとても明るくって普段の顔だったけど、また不機嫌な様子で黙ったままだ。私の事が余程頭に来ているのか、まっすぐにエレベーターの階数表示を見つめている。私が嬉しそうな顔をしていたから、面白くなかったのだろうか……
 一階に近づいた時、杉君は私にポツリと言った。
「ばかやろう……
「え?」
 それから家に送ってくれるまでの間、彼は何も話さなかった。私は気まずさの原因が山下君だとわかっていたが、敢えて言葉にしなかった。

 だってもう杉君には関係ないこと。例え私が泣いたって、苦しんだって、このヒトには何の関わりもない事だ。
 私は、もう腐れ縁に終止符を打つ……そう決めたんだから……

 夜、窓から見る夜空に懸かる月が丁度半分の形になっていた。
 私はずきっと疼く心を両手で抱きしめた。あの夜……、山下君が私の膝の上で泣いた夜、涙の形の三日月だった。
 マキさんの手術まで、あと四日だ。どうか成功しますように……。山下君がもう苦しまない様に……
 私は月に祈った

 ****

 

 次の朝。
 多くの学生達が門の中へ消えていった。私は、学生達の波の中に山下君を探している。それは頬が上気するようなちょっと幸せな時間……
「タマ、おはよう」
「山下君……おはよう」
 私を見つけた彼の笑顔が本当に素敵だった。軽く挨拶を交わして門の中へ入る。そして、夏の朝にふさわしい煌いた緑のプラタナスの並木を並んで歩いてゆく。お天気のこととか、講義のこととか、暑いだとか、取るに足りないことを話しながら教室に向かう。私は、ずっとあこがれていたこんな瞬間が、山下君とできた事がとても嬉しかった。
「どうした? タマ。何か楽しそうだね」
 山下君が、切れ長の目を少し伏せて私を見た。
「うん。そうなの……。私らしくない瞬間をすごしているから不思議なんだ」
「なに? ちびでどじで引っ込み思案?」
「え? なあに? それ……
 山下君は私が沈んだ顔をしたので驚いたようだ。
「いや、杉が君のことを話す時いつもそう言ってたから……
 そして優しく私を見つめながら言った。
「でもね、本当は杉はとってもタマのこと好きなんだろうなって、いつも思ってた。二人が話してるの聞いてても、うらやましいくらい仲良かったし……。俺もタマと仲良くしたいって思った。タマって、優しくって癒し系だもんな」
「え、そんな……
「これからも良い友達でいて」
 私の中の何かが壊れたように、頭の中の思考が一瞬止まった。良い友達……

 教室のざわめきの中、山下君と並んで座って話をして……。おまけに笑いあって……

 本当ならとっても幸せなはずのこの時間が、砂をかむように味気なく辛かった。

 そう、山下君は私を女の子として見てくれてたんじゃなかった。私は傷ついた彼を慰める友達だった。

 心が痛い……。とても空虚で無性にさみしい。
「タマ? どうかした?」
「ううん、何でもないよ」
 朗らかに笑う彼。良い友達……それだけで十分じゃない? 

 こんな魅力の無い私が山下君の『特別』になれるなんて思い上がりもいいとこ。彼みたいな人、作ろうと思えばカノジョなんか直ぐに出来る。
 私は、友達でいい。山下君の優しい友達で……。ずっとそう思ってきた。
 杉君の言ったのはこのことだったのだろうか。私が友達以外のどんな存在でもないってこと。
 でも、杉君。私は大丈夫。だって貴方に同じようにおもわれて、ずっと片思いを続けてきたんだもん。相手が山下君でも同じ事だよね……
 

 二階の窓から見た、夏の風に揺れるプラタナスの黄緑が、染み入るように目に鮮やかだった。
 やはり、私には夏は似合わない……

                           

                                                          『 第11話 月の魔法』

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