トライアングル

   

   第一話 男友達

 

大学の三階の窓から吹き込む風が、熱を帯びてきた。そろそろ嫌いな季節がやってくる。
 
夏は、嫌いというより、私には似合わないと言った方が正解かも知れない。あの容赦のない、息苦しいほどの暑さが似合う人達の喧騒や歓喜……。それを想像するだけで、疲れてくる。  私は、自分でも華のない女だと気付いている。凹凸のない細い体つきに低い身長、目ばかりの幼い顔、「玉子」という名前までもが、地味なイメージに拍車を掛けていた。とても賑やかな夏には太刀打ちできない。
 講義の始る前の騒々しい教室。窓辺に頬杖をついて、下の歩道を行く小学生を見ていた。皆、何かを懸命に話しながら行き過ぎていく。低学年だろうか、まだランドセルが重そうだ。その子ども達は、みんなお揃いのピアニカを提げている。

そういえば、私が小学校の一年生の音楽会で、あのピアニカが弾きたくて仕方なかったくせに、トライアングルになった子にせがまれて、代わってしまったことがあった。音楽会の当日、ビデオカメラを手に、勇んできた両親に、
「なんで玉子だけトライアングルなの!」
 と、がっかりされた事がある。たいしたことではないけれど、あの両親の笑顔のない顔とため息は、結構傷ついたんだ、ほんとうは。
 自己主張が出来なくて、ついこくりと頷く。私って、自然に我慢のできるイイ性格なのである。でも、この性格がこのところ、ホトホト嫌になってきた。そろそろ夏が、好きに成りたいものだ。
「タマ? 何、ぼうっとしてんだ?」
 と窓を見ている私の背後から、声をかけられた。
 振り向くと、黒のタンクトップの胸が迫ってきた。杉君だった。

「ちょっと、お願いだからタマって呼ぶの止めてよ。猫じゃないんだから!」
 彼は、背の高さを持て余すように体をくの字にまげて、私の顔を覗き込んだ。
「だって、タマコだろ? タマじゃん。それとも 金原玉子を略して〇〇タマという方がいいかな?」
「ここから突き落とす!

私の睨みつけた顔に声を上げて笑ってから、姿勢を正してしみじみと言った。
「しっかし、おまえ成長してないねえ。中学から同じ目線だよなあ」

私の頭に手をかざして、そのまま自分の胸にポンとつける。つまり彼の胸が私の背丈といいたいわけで。私には、どう見ても杉君がデカすぎると思うけど。バスケをやってる彼は、190以上の身長なんだから。

とにかく彼は人の気も知らないで、いつも顔を見るとこうしてからかいに来る。
「亮輔!」
 と、教室のざわめきの中に杉君を呼ぶ声がした。教室の入口に近いところで、女の人が手をあげた。
「おお」
 杉君は、すぐに反応して振り返った。彼の頭の中には、もう私はいないのだろう。こっちを一瞥もしないで、声の方へ去っていった。 
 
 私と杉君は、中学が同じで、一年で同じクラスになった。小学校は隣町で違ったが、家も案外近い。

しかし、彼との出会いは最悪だった。

初めてのクラスのホームルームで、渡されたクラス名簿を見て、クスクス笑う奴がいた。

「おい! 名簿見ろよ。〇〇タマって子がいる。すげえ名前」
 そいつが言い出したせいで、後ろの席で男子達が騒ぎ出し、
「金原玉子さん」
 と、先生が私の名前を読み上げた時、教室は大爆笑になった。
 この名前のせいで嫌な思いは小さい時からしてきたので馴れていたが、思春期の乙女としては、登校拒否にでもならないと中学生っぽくないような気がして、次の日から学校を休んだ。

三日目の登校拒否の日の午後、突然家に杉君がやって来て、母と私の前で頭を下げ、絶対に言わないことと、言ったやつはぶっ飛ばす事を約束して帰って行った。
 それから、確かに『〇〇タマ』とは誰からも言われなくなったし、言った子は杉君にぶっ飛ばされていたらしい。
 彼とは、そういう因縁があり、中学三年間同じクラスで、その後進学した高校も同じで、大学まで一緒になった。「腐れ縁」という言葉には置き換えたくないが、彼は事あるごとにこの単語を使う。きっと、杉君にとって、私はそれ以外の何ものでもないのだろう。悲しいけど……

「玉子、また杉君に絡まれてたの?」
 席に着こうとした私の隣に、美沙が座り言った。美沙は大学で出来た、唯一の親友と呼べる人。
「でも、彼さあ、超カッコいいよね〜。長身でバスケの学生選抜に選ばれて、おまけにお顔も並以上! 超目立つよねえ〜」
 机にうつ伏して、高校生のような言い回しをする美沙にムッとした。
「あんな単細胞、どうでもいいよ!」
「ま、杉君曰く、あんたは猫のようなペットらしいから。でも、あの緑川りかは危ないなあ。彼女すごい美人だし、男が放って置かないね。杉君も惚れてんのかも……付き合ってるのかなあ、ふたり」

美沙の言葉に、入口近くで壁にもたれて話しこんでる二人を見た。何だか、りかさんも背が高くて美人で、絵になるような感じ。
 りかさんに呼ばれて、振り返りもせずに立ち去った杉君の様子からも、美沙の言葉は当たっている。きっと杉君は、りかさんに惚れている。あんなきれいな人、男なら放っておかない。 
 
 お歳を召した教授の退屈な講義がやっと終わった。教室は突然に賑わい、そしてざわめきが続く。
 本の詰まった重いバッグを胸に抱えて、美沙と次の教室へと廊下へ出た。

玉子、あんたバイト見つけたの?」
「ノン!」
「花屋さん、どうしたのよ。昨日OKの連絡もらったんでしょ?」
「あ……、あそこね。あれダメ! 同じ学部の男の人がバイトしていた」
「は? 何それ! 当然有り得るじゃん。この大学の近くだもん。でもなんでそれが関係あんの?」
「私、男嫌いだから……
 私の返事にしばらくキョトンとして、途端にブッと吹き出した。
「まだ女に程遠いあんたが言うと可笑しい! ええ? それで、断るつもりなの? 誰よ! 同じ学部の男って」
 と、けらけらと遠慮なく笑って、大きな声を上げた。美沙は、さばさばしてて良い子だけど、ただ口が悪い……。唇を突き出した私の横で、化粧栄えのする、目鼻だちのはっきりした顔を、本当に可笑しそうに歪めて笑った。

「俺だよ」

その時、私達の後ろでため息混じりの声がした。振り向くと、ぎょっとするくらい長身の山下和己が立っていた。彼は杉君と同じバスケ部で彼の親友だ。陽に焼けた顔がムッと私を睨みつける。不機嫌そうな表情に、恐れおののき一歩引いた。
「ええ! 本当? 山下君がバイトしてたの?」
 目を丸くして、彼を見る美沙に、
「ああ、まだ一月位だけど」
 と、ぶっきらぼうに答えて、口元をへの字に曲げたままで、私に視線を向ける。
「タマ! おまえ、絶対来いよ。断わったら許さねーからな。もう店長にOKって返事しといたから。明日五時に店に来いよ。いいな!」
 長身の彼は私に覆いかぶさるように、怒鳴り散らして去っていった。美沙と私は唖然として、彼の後姿を見送った。

彼の後姿を見ながら、美沙がポツリと言った。
「あんた、彼にもタマって呼ばれてんだ」

確かに彼はタマと呼んだけど、私は実のところ、山下君と話をするのは初めてだ。まあ、杉君が公然とそう呼ぶからだろう。確かに呼びやすいネーミングではあるが。

それよりも、まるで有無を言わせぬ彼の態度に、私は恐れをなして、ますますバイトへ行く気が失せてしまった。

花屋へ面接に行った時、ばったり店先で鉢合わせして、二人して「あっ」っと 声を上げた。

山下君は、西洋文学を専攻しているが、何せ長身で彫りの深い顔は目立つから、私は彼の事は知っていたけど、本当のところ彼が私を知っていたのには驚いた。

彼は大学では、変人で通っていた。学生仲間と話したり笑ったりしているところを、あまり見た事がない。講義が終わればさっさと姿が見えなくなるし、空き時間もいつも一人で本を読んでいる。唯一、友達と言えるのは、同じバスケ部の杉君だけかもしれない。まあ、杉君はあっさりしているし、誰にも好かれるタイプだから。

山下君は、どちらかというととっつきにくくて、長めの前髪を掻きあげながら、眉間を寄せてニコリともしないところは、気難しそうで怖い感じさえする

その彼と同じところでバイトするなんて、考えただけでぞっとする。

 

 講義が全て終わり、私は美沙と別れて、学内の本屋へ立ち寄った。

うちの大学は、文系の地方大学だけど、文学部は結構難易度も高くって、学生も多い。

何のとりえも趣味もない私には、いつも読書だけが楽しみだった。だから、文学部に籍を置いている。
「でも、なんで杉君が文学部なんだろ。近代文学に関心があるとは思えないし、本読んでるとこなんて見たことない」
 棚から本を取り出しながら、ふっと独り言が口をついて出た。
「悪かったなあ。文学部で!」
「きゃっ! 杉君」
 少女マンガのように頭の周りに星が飛ぶ。
「安心しな。俺はおまえの言うとおり、文学なんて柄じゃないよ。本にも興味ないし。今日はジャンプを買いに来ただけだ」
 驚いて固まっている私を見下ろすように言って、
「独り言の声が大きいぞ」
 と、私の頭をジャンプの包みでポンと叩くと、くるりと背を向け去って行った。
 私は、パクパクする心臓を押さえて、後姿を見送った。でも……、どこであろうとこうして彼に話しかけられるのは嬉しい。地味でチビで幼い私だけど、出会った時からたぶん、彼を好きだった。その想いは今も変わらない。腐れ縁だとしても、彼に親しくされるのは、男の人に縁がない私にとって、唯一のときめき。

火照った頬に手をあてて、肩で息を吐いた。

 

 *******

 

 

 正門に続くプラタナスの並木が、若い緑色の葉を、強くなった陽射しにいっぱいに広げて、夏の到来を歓喜しているように見える。私のいる場所にも、木漏れ日が影を落としていた。
 今日は午後から講義も無いのに、昨日の山下君の顔がチラついて帰るに帰れない。私はお昼を済まして、ずっと学内の中庭のベンチで時間を潰していた。
 頭の中は、あの店で働かせられる……、もとい、働くのが嫌だとキーキー叫んでいる。
「辞めさせてください!」
 口に出して言ってみた。
「折角ですが」
 これを付けたほうが良いかな。もう一度言ってみる。

「折角ですが、辞めさせてください」
 やはりこの方が良い。ため息が出る。私は一人ベンチで、バイトの面接に行った事を後悔した。
 そんな私の前をキラキラした女子大生達が歩いていく。何だか皆、モデルみたいにスタイルがよくって、颯爽としている。私と同じ大学生だとは思えない。
 S号サイズのTシャツの胸を見下ろしてみる。谷間どころか盛り土部分も無い。未発達という病気があるのかも知れないと、本気で思った。
「あら、玉子ちゃん。こんな所でお勉強中?」
「え?」
 突然、声を掛けられた。顔を上げると緑川リカさんが、にこやかに笑って立っていた。
「そ、そういうわけでは……
 と、膝に開けた本を閉じた。実際、頭の中がバイトの事だらけでページは進んでなかったが、本の虫などと思われたくなかった。
「いい天気だね」
 そう言って、私の隣に腰を下ろして長い足を組んだ。背もたれしてのけ反ったりかさんの体は、なにかゾクっとするほど艶かしい。白い細身のシャツの上二つ外したボタンから、胸の深い谷間が覗いている。細身のパンツがウエストで締まって、スラリと長く伸びた足を形よく包んでいる。無駄なものが何も無い。彼女は、ウエーブが軽くかかった肩にかかる髪を風に流して、鼻筋の通った横顔を空に向けた。私は本当に綺麗だと思った。同じ年とは思えない、大人の女の雰囲気がする。
「玉子ちゃん、亮輔と同じ高校だったんだって?」

突然彼女が訊いて来た。

「え? あ、うん。山手第一高校。地元の県立高校。杉君とは、中学からずっと一緒だよ」
「ふうん。だから親しいのか。ねえ、彼どんな奴だった?」
「え? うん、そうだね。ずっとバスケばかりやっていた。三年になっても勉強もしないでやってた。それに、結構人気あったから生徒会もやってたし……学校では、有名人だったよ」
「カノジョいたの?」
「え?」
 りかさんの大人の眼差しが、私を見つめていた。少し茶色のはっきりした目は至極真剣なふうだった。
「ああ、えっと、詳しくは知らないけど、いなかったと思うよ。とにかく部活一辺倒だったから」
 私の言葉に、りかさんはにこっと微笑んで、
「そう!」
 と言った。もしかして、杉君のこと知りたかったの? こんな綺麗な人でも気になるんだ。
 私は、何故かリカさんが身近に感じられて、
「杉君、きっと今はりかさんの事しか考えてないよ。わかるよ、何となく……だから、心配ないよ」
 と、ぼそぼそと言ってしまった。
 りかさんは、黙って、しばらく私を見つめていたが、
「良いコだね!」
 と、綺麗なマニキュアの手で頭を撫でてきた。
「玉子ちゃん。おかっぱ止めてショートカットにしなよ。背も高く見えるし、明るい感じになるよ」
 そう言って、伸びをしながら立ち上がった。

 私は、つまらないことを言ったのかと、りかさんを見上げたが、「じゃあ!」と明るく笑って、彼女は手を振り立ち去った。

 彼女を無言で見送った。心には、りかさんに言った言葉がリピートされている。
『今はりかさんのことしか考えていないよ
 きっと、その通りだろう……。でも、また行き場を無くした私の想いは、我慢という心の袋にしまいこまれた。そして、「あきらめ」というため息になる。いつもの事だった……

 

 五時前になった。
 私は恐る恐る、バイトを頼んだ花屋へやって来た。通りから、前面ガラス張りの店内をそっと覗き込んだ。ドキドキして、何度も息を呑み込む。

夕陽が丁度反射して、店の中はよく見えなかったが、店の入口周辺と、中にも、色とりどりに鉢植えや、切花が置いてあって、花の優しい香が漂ってくる。中にはレジを置いた白いカウンターがあったが、人影は見えなかった。

「フラワーショップさとう」と看板が掲げられた、まだ新しい店は、どこも白い壁で、とても明るい雰囲気だ。

ここで、本当ならバイトしたかったのだけど……。途端に、眉間に縦皺の山下君の顔が浮かんできた。彼は、大学では、バスケ部以外の人と話もしないし、いつも一人でいる。それが、影があって良いとか美沙は言うけど、私には一番苦手な人間の部類だ。確かに、背は高いし、整った彫りの深い顔立ちは素敵だと思うけど。

「彼と一緒なんて私には絶対、無理!」

頭を振って、私は一つ息を吸い込み、気持ちを落ち着けた。そして、開け放した入口に恐る恐る立って、店の中に声を掛けた。

「あのう……

私のか細い声に、鉢植えのベンジャミンの影から、ひょいと男の人が顔を出した。

「おっ、来たか。店長、タマきましたよ!」

ホントに最悪だった! 店にいたのは、山下君だ。彼は、小さな鉢植えを胸に抱いたまま、私の元へやってきた。それも、既にここでも私を『タマ』と呼んでいる。

私は、断わりに来たのに、待っていたような彼の口ぶりにうろたえた。

「あ、あの、今日は……私」

「待ったよ、タマ。来ないかと心配した」

彼は、私の背中に手を回して、無理やり店の中へ迎え入れた。なんかすごい馴れ馴れしいんですけど。
「や、山下君。あの、タ、タマは止めてよ。金原さんでいいから」
「は? 何で? いつも杉はそう言ってるじゃん。あいつが良くって、何で俺は駄目なんだよ」
 彼は、眉間に皺を寄せて不愉快そうな表情で私を見た。間違いなく怒ったようだ。

「だ、誰が良いとかじゃなくって……
 私がアタフタしていると、店の奥のドアから、小柄な四十歳位の眼鏡をかけた店長が出てきた。
「やあ。先日は面接、ご苦労様。まあ、気楽な店だから宜しく頼みます」
「あ、は、はい、その、あの……
「こそあど言葉言ってんじゃないよ! ほれ、エプロンつけろ」

躊躇う私の手に、乱暴に黒いエプロンが渡された。

これはマズイ事になってしまった! でも、山下君は、辞めると言っても許してくれそうに無い……。なんで、彼、これ程私をここで働かせたいのだろう。

腰に手を当てて、仁王立ちに私を見る山下君の前で、躊躇いながらゆるゆるとエプロンを掛けた。 結局、辞めたいと言い出せないままだ。

「いくぞ」

「あ、は、はい」

慌てて、彼の高い背中を追った。

 

山下君に引きずられ、ここでバイトすることになってしまった。
「夜は、あまり客もないから、明日の準備とか植木の水遣りとか……。時々、飲み屋に配達とかあるけどね。朝の方が大変だ」
 でも、山下君は、以外にも優しくいろいろと教えてくれる。それには本当に驚いた。大学での印象と全く違う。

「聞いてんのか?」

「あ、はい!」
 「
君さあ、もうちょっとキリリと出来ない? 何? そのエプロン」
 と、彼は呆れ顔で私を眺めた。
「店長、こいつのエプロン、子供サイズじゃないとだめだわ。黒のチャイナドレスだよ、これじゃあ」
 
確かに歩き難いと思ったら……。足首まで隠れたエプロン姿に、店長も山下君もくすくす笑い出した。それでもこの日は代わりが無いとかで、このまま働いた。どうも山下君に合わせて買ったみたいで、彼は私が目に入るたび、くすくす笑っていた。
 でも、綺麗な花の中の仕事は、結構楽しくて幸せな気分になれる。

私は、所狭しと並べられた色とりどりの花に囲まれ、明るい顔で接客している別人のような山下君を見つめながら、つられて笑顔になっている。本当に、いつも仏頂面した彼とは違う人のようだ。

そんな山下君を見ながら、なんとなくかわり映えのしない私の退屈な一日が、いろいろな色に染まってゆく、そんなささやかな期待を持てそうな予感がしていた。

 

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