第七話 関係

 

 時計はもう零時を回っている。

 やっと自分のマンションへたどり着いた。どの部屋のドアもしんと静まり返っている。

 私は何とか、このでかい大矢を部屋の前まで引き摺ってきた。息が切れて、眩暈がする。

 私の肩にしっかり体を預けてうな垂れている大矢に、声を潜めて言った。勿論、思いっきり顔は怒っているが。

「大矢、この借りは絶対返してもらうからね!」
「…………」
 彼は返事も出来ないようで、ぐったりしたまま。
 しかし、このでっかい男をよくぞ運んで来たものだ。我ながら感心する。
 彼を壁にもたれかけさせ、急いで玄関の鍵を開けた。でも、ずるずると廊下にしゃがみ込む大矢の姿を見て、ドアを開ける手が止まった。
「大丈夫……よね」
 酔っているとはいえ、部屋に関係のない男を入れるのは、それなりの躊躇いがある。まあ、ここまで正体なく酔っていれば、それどころじゃあないだろう。
「ホント、バカなんだから! ほら、立ってよ」

 私はへたり込んだ彼の腕を引っ張って、立たせようとした。大矢は、壁に背をつけたまま、フラリと立ち上がったが、途端に口を押さえた。
「う〜っ! 吐く……」
「ぎゃあ! 待ってえ!」
 私はドアを開けると、めちゃくちゃに彼を部屋に突っ込んで、トイレに押し込めた。
「お…お…げえぇぇ…」
 はあ……、間に合ったけど、最悪……。ため息を吐きながら、リビングの灯をつけ、ダイニングチェアに力なく腰を下ろした。
 何でこんな目に合うんだろう……。つられて気分悪くなってきた。
 しばらくして大矢がふらふらと入ってきて、私の前のチェアに掛け、途端にテーブルにぐたーっと伏せた。

「大矢、大丈夫? はい、お水」
「有難う……。最悪の気分ですけど、何とか生きてます……」

 私の差し出したコップを受け取り、死体のように青い顔をして、水を飲み干した。
「酔いは醒めてきた様ね。しばらく横になっとき。ちょっと狭いだろうけど、ソファで寝てくれていいから」
 大矢は倒れこむようにソファに体を投げ出した。
 相当気分が悪いみたい。まあ、がぶ飲みしていたから悪酔いしたのだろうけど、弱いくせに身の程知らず!

 私はダイニングテーブルに肘を突いて、ぐったりと横になってる大矢を見た。三人掛けのソファに寝苦しそうにに体を丸め、それでも寝付いたようだ。

 しかし、自分の家の住所も教えないし、歳も言わないし……。一体、どういうヤツなんだか。まさか、知られてはまずいような過去があるのでは……。

 良からぬ過去……? 犯罪歴があるとか……。思わず送別会のご乱行が浮かんできた。

「公然わいせつ罪とか?」

「勘弁して……、もう飲まないから……」

 苦しそうに寝息を立てながら、寝言で謝ってる。私は、子供みたいにソファで背を丸めて眠っている大矢に噴出した。

 まあ、知られたくない過去は誰でも持ってるし、今は真面目に仕事しているんだから、問い詰めるのは止めて置こう。
 私は、クローゼットから肌掛け布団を出してきて、そっと彼に掛けた。
 この部屋に引っ越してきて、男を泊めるのは二度目……。
 大矢の場合は不可抗力だけど、多田君は……。

 そう、多田君が試験に失敗して尋ねてきた日、二人でお酒を飲んで愚痴を零して、励まして。もしかしたら、あの時彼に抱かれていたら、今日の別れは無かったかも知れない。
 でも、彼は私の手に触れることも無かった。あくまでただの同僚という態度だった。
 女として見られていないのかと、暫くは悩んだものだ。

 とにかく部屋にたどり着いてホッとした。熟睡している大矢を確認して、私はシャワーを浴びにバスルームへ行った。
 今夜は流石に疲れた。汗を流し、生き返った気分で、髪を拭きながら、もう一度身じろぎもせずに眠る大矢を見た。

 そして、
「おやすみ……、大矢」
 と、そっと声をかけた。
 不思議な気分だった。自分の部屋に誰かが眠っているというのは……。
 これが、愛する男なら満足感に浸れるのかも知れない。でも、彼はただの年下の同僚。
 寝室のドアを閉めて、ベッドの中で、明日の朝の事を考えていた。
 大矢は間違いなく二日酔いでダウンしてるだろう。
 朝、何か食べさせてやるかな。うん、その前にコーヒーの良い香りで起こしてやろう!
 私は、何故か楽しんでいる。
 それは、大矢だからって言うのではなくて、『二人でいる』っていう事に意味があると思う。
 七年間の一人暮らしは、結構気持ちも荒むものだ。 誰でも良いから傍にいてほしい時が、周期的にやってくる。
 それでも、変わりなく時を重ねる自分が「アホ」だと思うときがある。
 だから、彼の事は迷惑だけど、心の中では歓迎しているんだと思った。

 私は、いろいろと考えを巡らしながら、それでもいつしか眠りに落ちた。


 

 部屋の薄いカーテンに朝の光が当たってきた。明るくなった部屋に、重い瞼をうっすらと開ける。
 私は、まだ始動しない感覚を呼び覚まそうと寝返りを打った。
 そして、ゆっくりと部屋を眺める……。

「おはよう……」

「げっ! 大矢!」
 驚いて飛び上がるように半身を起こした。 彼は、私のベッドに頬杖を突き微笑んでいる…!
「な……何? なんでいるの!」
「そんなに驚かないでください。寝顔見てただけだから」
 そう言って、ふふんと笑う。飛び出しかけた心臓は、朝から駆け足状態。か〜っと顔が熱くなる。
「あんた! ルール違反でしょうが!」
「あれ? 俺ここのマニュアル教えてもらってませんよ」

 と、引きつった私の顔を見ながら、平然と甘えるように上目遣いの目を向けた。
「わ、わかった。もういいよ! 着替えるから出て行って!」
「手伝いたい! 着替え」
「大矢!!」
 私の怒鳴り声で慌てて立ち上がりながら、
「森野さんの寝顔、最高に可愛い」
 と言って、ドアを閉めた……。
 
 思わぬ展開に心臓の鼓動は駆け足のまま。
「まだ、酔ってんだろうか……」
 いつもと違う彼。笑っていたし! 私は気持ちを落ち着かせるように、胸に手をあてて深呼吸した。

 そして、パジャマ姿の自分が急に恥ずかしくなって、慌てて服に着替えた。

「なんか幸せ感じるなあ。こういう朝って!」
 寝室から出てきた私を見ながら、テーブルについた大矢が頬杖をついて嬉しそうに言った。
「よく言う。まだ、酔ってるんじゃあないでしょうね?」
「大丈夫ですよ。気分も悪くないし! あ、ちょっと頭にコブができてて、それは疼きますが……」
 昨日の事など、覚えてない様子で、ケロッとして言った。なんだか、本当に楽しそうな顔をしている。

「あんたさあ、貸し一どころじゃあ済まないって、わかってるよね?」

 眉間に皺を寄せて言うと、

「勿論です! 森野さんが泊めてくれなかったら、のたれ死んでた。感謝感激ですって」

「調子いいんだからあ。コーヒーいれるから、シャワー浴びといでよ。着替えはないけど。キャビネットに新しい歯ブラシあるから使っていいよ」
「サンキューです!」

 大矢は、ニコニコして、チェアから立ち上がった。

 シャワーの音が部屋に流れてくる。
 考えまいとしても、長身の大矢の体に当たる音だと思うと顔が火照ってきた。関係のないただの同僚だとしても、自分の部屋に男の人がいるのは間違いないのだ。

 私は、照れ臭いような気分を振り払って、キッチンにたち、コーヒーを入れ始めた。
 そして、エプロンをつけて朝食の支度をした。

 確かに新鮮な朝。誰かのために朝食を用意するって、久しぶりに緊張しちゃう。
 でも、何故かとてもウキウキした気分だった。

「うわ! 良いにおい!」
 大矢はバスタオル一枚を腰に巻いて現れた。濡れた髪を指で後ろへかきあげながら、キッチンに立つ私の肩越しに、出来上がった料理を見ている。
 裸の上半身にドキッとさせられたが、うろたえるのは大人気ない。高が年下のひよっこ!

 私は、冷ややかな目で彼を振り返り言った。
「大矢! 服着なさいって! はずれたらどうするの?」
「え? ああ、見えます」
 彼はまるで子供のような目を向ける。
「もう! 絶対外すなよ!」
「了解です」
 と腰に手を当てて、楽しそうに笑って言った。
 私は大矢の様子を見ながら、彼の余りに仕事中と違う雰囲気に驚いている。
 明るい笑顔がとても自然で、彼もとっても楽しそうだった。

 二人用の小さなダイニングテーブルに朝食を並べた。
「パンだけど良い?」
「もちろん! うわっ、このプレーンオムレツ最高に旨い! ホテルの朝飯みたい! 森野さん上手なんだ、料理」

 大矢はオムレツを頬張りながら、嬉々として私を見た。
「褒めてももう何も出ないよ」

 向かい合った食事の照れ臭さも結構いいもんだと、嬉しそうな彼をみて思った。

 本当に子供みたいに笑顔のままで、美味しそうに食べる姿に、私も何だか嬉しくなってきた。
「ご馳走様でした! 感激」
「大矢、大袈裟だよ」
「手伝うよ、片付けるの」
「いいよ! バスタオルはずれたら困るから」
「それはマズイよね。ははは……」

 彼の笑顔は爽やかでとても魅力的だ。思わず見惚れてしまった。

 別人大矢は、とにかく明るく笑う。本当に多重性人格かもと、ぷっと噴き出してしまった。

 二人分のカップに皿、サラダボール……綺麗にたいらげた大矢のお皿が何か愛おしい。
 一つずつ洗いながら、私はとても満ち足りた気分だった。
「何か、すごい得した気分だな。昨日は死んだかと思ったけど」
 そう言った彼を振り向くと、テーブルに頬杖をついて、食器を洗う私を微笑みながら見ている。

 私は笑い返しながら、
「あなた、本当にお酒ダメなんだね。でも、あれ程とは思わなかったよ」
「はあ……。やっぱり乱れてました? よく覚えてないんですけど」

 と、しょぼくれた顔で言った。やっぱり? 酒乱だと自覚しているのか。
 はっきり言って、本当に迷惑な奴と思っていたけど、今の私は結構楽しんでるから許してあげる。
 昨日のご乱行を知ったら、きっと落ち込むだろう。でも、あれは酷い……。くっくっ……。
「何? 森野さん、笑ってません? 俺の事。何か意味深な感じ」
「何でも無いよ。でも、大矢、家遠いの? 昨日タクシーで送ろうと思って乗ったんだけど、貴方正体ないし困っちゃったよ」
「すみません。ホント迷惑かけて……。今は一人暮らし。今度は招待しますよ」
「バカモノ! 絶対行かない!」
 私の返事に大矢は声をあげて笑った。
「もしかして、俺ずっと森野さんのこと抱き締めてココまで来たんだ……うっ♪」
 何か一人で両手で顔を覆って、恥ずかしがってる。
「何でそうなるのよ! 抱き締めてじゃなくって、担がれてきたのよ。すぐに年上をからかうんだから、いけませんよ。ひよっ子の分際で」
 大矢はまだ濡れてる髪を掻き揚げて、
「ひよっ子って、歳なんか関係ないじゃないですか。俺は普通の男ですよ。馬鹿にしてるのは森野さんじゃない。多田さん以外は皆、ひよっ子なんでしょ?」
 と真面目な顔をして、不機嫌に言った。
「そんな事はない……」
 と言った後、突如、多田君の昨日の笑顔が浮かんできた……。
 もっと、最後にいろいろ話したかった。思い出は、七年分たっぷりあったのに……。もう会えないと思うと、淋しさが込み上がる。
「森野さん、また多田さんの事考えてるんでしょ?」
 ぼうっと洗い物の手を止めていると、私の横に大矢が来て、流しに腰を持たせ私の顔を覗き込んだ。
「いやだ、違うわよ」
「だって、いつも多田君多田君って」
「そりゃあ、ずっと一緒に仕事してきたから……」

「一緒に仕事してたってだけでしょ? 多田さんにはカノジョもいるし」

 大矢の言葉に、気持ちが沈んでいった。そう、一緒に仕事してただけ。特別な関係なんて、何もない。七年間、同じ職場だったというだけのことだ。

 なんだか、あらためて言われると、余計淋しくなった。私は七年間も、彼の傍にいながら、結局彼には必要な人間ではなかった。

 言葉を閉じて俯いた顔を、大矢が覗きこんできた。 
「そんな淋しい顔するなよ」
 突然、濡れた腕が強く引っ張られた。瞬間、私には何が起こったのかよく解らなかった。
「大矢!?……」
 私は彼の胸に仕舞い込まれる様に、大きい体で抱き締められていた。大矢の濡れた髪が私の首筋に掛る。
「森野さん……」

 小さく囁いて、大矢は動きの取れない私に顔を近づけてきた。
「あっ! ダメダメ! ダメー!」
 身を屈めた大矢の唇で、声を塞がれた。
 引き寄せるように背中に腕を回され、身じろぎできないまま、キスされている!
 息が止まる程に何度も……。頭がボウっとして平衡感覚が無くなる。
 大矢はますます強く私を抱きしめた……。
「森野……」
 彼の唇は、名前を呟きながら、私の唇から、首筋へ巡る……。
 荒い息を感じながら、私は最終局面へ続く恐怖に身を堅くした。

「お、大矢! だめ。嫌よ……」
「ア……」
 彼の腕の力が抜けた。
 大矢は私の体を解き放つと、目を伏せて、顔を逸らせた。
「ごめん……。どうかしてるわ、俺……」

 ふうっとため息を吐いて、私に背を向け、離れた。

 私は、強張ったままで二の腕で自分を抱いて、黙って彼を見つめている。大矢は私の方を見ようともしないで、着替え始めた。何も言わないで、シャツに袖を通し、ズボンのベルトを絞めている。

 そして、目を伏せたまま、私に顔を向けた。
「帰ります。迷惑かけてごめん。有り難う、森野さん」
 もう、さっきまでの笑顔は無かった。
 混乱して、言葉が出ない。ただ呆然と立ち尽くす私に、
「ここにいたら森野さんを傷つけちゃいますから」
 と、もう一度暗い顔でため息を吐くと、、玄関へと出て行った。
 私は、瞬間、追いかけたい衝動がこみ上げてきた。開け放したままのリビングのドアに駆け寄って叫んだ。
「大矢!」
 バタンと、玄関ドアの閉まる音に、私の声はかき消された。

 静かになったドアは、私と大矢を固く切り離すように、重たい感じがした。

 

******

 

 翌日。
 朝のロッカールームは、いつもの騒がしさだった。
 また、今日も変わりない一日が始まるはずだ。
「森野さん! おはようございます」
 制服に着替えていると、ベビー用品担当の村田さんに肩を叩かれた。
「おはよう……」
「ねえ、大矢君、無事家に帰れました?」

 マスカラの長い睫をぱちぱちさせて、村田さんは私の顔を覗き込んで訊ねてきた。
 大矢の名前を聞いて、上着のボタンを留めていた手が止まる。
「帰ったよ……」

 と、ポツリと言った。村田さんは、相変らず明るい笑顔を振りまいて、
「そう、よかった! 一昨日はたいへんでしたね。 でも、大矢君って、なんかかわゆくって、私、余計親近感沸いちゃった!」
 彼女は、瞳をクルクル動かし嬉しそうに言った。笑顔に持ち上がった頬が、少女みたいに赤く染まっている。
 私は、昨日の大矢とのことを引き摺ったままで、気持ちは重かった。彼女の笑顔が、妙に鬱陶しく感じた。
 

 彼の送別会での事は、今日のうちに店中に広まるだろう。
 でも、それ以上の事は誰も知らない……。
 私との事――。
 大矢は怒っているだろう。あのまま、彼のするがままに任せていたら、どうなったんだろう。
 でも、私には出来なかった。七つも違う年下の彼に、成り行きだけで抱かれるなんて……、出来なかった。

 ロッカールームを出て、通路を歩きながら、どんな顔をして彼にあったら良いのか考えていた。彼も、嫌な想いをしたのは間違いないだろうから。

 定休日明けの店舗に、朝から沢山の荷が入って来ている。今日も忙しくなりそうだ。

 バックヤードにやってきて、積み上げられた荷物の山を見た。これを裁くには、どうしても大矢と協力しなければ無理だ。

 彼と顔を合わせて、話もしなければならない……。そう思うだけで、気持ちは滅入る。

 なぜ、私なんかを抱きしめたんだろうか? なぜ、キスしたんだろうか? 二人だけの空間が、そんな雰囲気を作ったんだろうけど、普段そんなそぶりも見せない彼が、なぜ……。

 昨日のことをずっと考えている。

 私は薄暗い棚の前で、ぼんやりと、立ち尽くしていた。
「おはようございます」
 後ろから掛けられた声に、私はドキリとして振り返った。
「森野さん、昨日は迷惑掛けました」
「あ、大矢……、気にしてないよ」
「本当に、激しく自己嫌悪に陥ってますから……」
 そう言って大矢は暗い顔をして、私を追い越し売り場へ向かっていく。自己嫌悪?……なんだか、胸が痛い感じがした。
 前を歩く、彼の後姿が至極遠くに感じられた。

 
 朝の音楽と共に店が開店した。いつもと変わりなく、明るい笑顔で客を迎える。
 挨拶が終わってしばらくすると、葉山主任がやって来た。
「森野。来週のチラシに、打ち合わせ通り、レジャー用品の全面バーゲン広告入れるから、メーカーの方に商品の確保を頼んでおいてくれ」
「はい。催事用のコーナーも使っていいんですよね。前日には搬入するように依頼しておきます」
「じゃあ、任せたぞ。注文は今週末に流しておいてくれ」
 葉山主任は、そう言うと急ぎ足で売り場を去った。私も急いで売り場へ戻った。

 おもちゃの売り棚に、商品の補充をしていた戸田さんを呼び止めた。
「戸田さん。来週レジャー商品大量にいれるから、それまではこのスペースに子供用の夏商品積んでおいて貰えます? バックに来ているんで」
 主婦パートの戸田さんは「はい」と返事をして、小走りで品出しに向かった。
 私は、頭の中でやらねばならない仕事を組み立てて、一つ息を吐いた。

 レジャーのフェアの打ち合わせを、大矢としなければならない。
 仕事だから気持ちを切り替えなきゃあと思っても、心にわだかまりがある。彼の反応が心配だった。
 
 私は、売り場を整理しながら、彼を捜した。

 大矢は、ホビーの売り場で価格の最終チェックをやっていた。
 手馴れた様子でハンディターミナルに価格を打ち込んでいる。普段と変わりなく、接しなければ。唇をきゅっと締めて、気持ちを切り替えた。
「大矢……!」
 彼が、手を止めて振り向いた。笑顔で話しかけようとしたけど、なんか、引きつった感じがする。
「森野さん……。何か?」
「手が空いたら、来週のレジャー特集の売り場を決めたいんだけど」
「ああ、そうだね。良いですよ。もう終わるので待っててください。バックに戻ります」
「OK。じゃあ待ってる」

 大矢は、またハンディを見つめて、入力を始めた。
 ホッとして、一つ息を吐いた。
 よかった。いつもの彼だった。

 しばらくバックヤードで待っていると、大矢が戻ってきた。

「大矢、レジャーフェアの事だけど。催事コーナーを前面使うから、結構広いスペースになるのよ。レイアウト考えて欲しいの」

 大矢と、事務用のデスクに向かい合って座って、資料とレイアウト図を広げた。彼は、しばらく黙って、資料に目を通していたが、
「並べるだけじゃあインパクトが薄い。モデル商品を置いて見せるべきですよ」

 と、図面を指差して、催事コーナーを指でなぞった。
「待って待って! 解るけど開封したら最後、不良在庫だし、それより積み上げて安さを強調するほうがいいんじゃない?」
「いいえ! これから買い揃える人も居るんですから、雰囲気の提案は大事ですって!」
 大矢の大きな声に、傍を通る人が視線を向ける。
 大矢は相変わらず頑固に考えを主張する。実は、結構売り場作りがうまくって、いつも良いアイデアを出してくれる。どういうわけだか、多少なりとも、その知識があるように思えた。
「だいたい森野さんはセンスが悪いんですよ。巷の安売り店じゃあないっつーの!」
「悪かったなあ!」
「じゃあ、俺の案で行きますからね。ポップも依頼しておきますから」

 私は、負けたというように手を広げて、首を傾けた。

「宜しい」

 と、大矢は、私に向かってふっと笑みを零した。

 いつもなら、意見が通ろうと通るまいと、仏頂面は変わらなかったのに……。なんだか、彼と気持ちが通い合ってる気がした。

 私も、彼に微笑みかけた。

 昨日の事を気にしているからかと思ったが、大矢の笑顔は、私の心を途端に軽くしてくれた。
 そうだ。何も無いんだもの。大矢と私の関係なんて。思い悩む必要なんかない。

 昨日のことは、私に同情されるようなスキがあったのだ。大矢が、私をどうのしようなんて、絶対有り得ない事だ。彼より7歳も年上なのに。

 

 退社時間になった。

 暗くなった空を眺めながら、従業員の出入り口の前で、大矢に言った。
「大矢、じゃあ明日私休みだから、お願いね」
「はい。何も問題は無いと思いますけど」
「明後日は大矢が休みだね。あ、それと金曜日にレジャーの注文流すからそのままにしといて」
「OK! そうします。じゃあお疲れっす」
 大矢は軽く手を上げて、私に背を向けた。
 今までと全く変わりなく、彼と別れる。私はホッとして、大矢が見えなくなるまで見送った。
 これでいいんだ。仕事が同じというのは、お互いに気持ちに負担がかかるし、ましてや恋こがれているわけでもない。元通りの同僚の関係を大事にしたい。
 私は自分自身にそう言い聞かせている。
 多少の淋しさを感じているのは、「女」だからか……。今の私には必要のない感覚だ。

 大矢の帰っていった反対方向へ、踵を返しながら、車道を流れる車のテールを追うように歩く。

 夜風を体に受けて、自分のたてるヒールの音を小気味よく感じながら。

   
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