『今夜は焼肉食べ放題』

「おお! 食べ放題にしては結構いい肉使ってる。どんどん乗せよう!」
 私の歓喜の声! 食べ放題は大好きなんだ。何せ思いっきり肉体に肉を詰め込める。ビールもガンガン飲めるし!
「まあな。この透き通るような輸入肉。ココまで薄いのはもう芸術だね」
 向かいで山名が真っ赤になってる網の上に、薄い肉を綺麗に並べ始めた。
「しっかし、何で焼肉食べ放題なんだよ。一月ぶりの逢瀬だろうが! 今日は夜景の綺麗なレストランで……」
「ちょっと! 火が強いんじゃないの! 煙いんですけど」
「バカヤロ、カルビは強火で焼くもんだよ。」
 そう言いながら、ちりちり焼けてゆく肉を丁寧に裏返す。相変わらず、文句言いながら焼肉奉行を実行中。でも、今日はちっと機嫌悪いようだ。どうもフランス料理が良かったようで、火の上で踊る箸が投げやりみたい。
 無煙ロースターとか言ったっけ? 煙くない焼肉コンロ。でも、私達のところだけ出火寸前のお宅のごとく灰色の煙がモウモウと上がっていた。私はもう涙目だ。
「あ、あのお客さん、少し火を弱めたほうが良いと思いますが……」
 見かねた店員が進言に来た。大学生のアルバイトか、結構可愛い顔してる。ちらっと斜めに見上げてあげた。ジャニーズ系でいいんじゃない!
「あ、いいのいいの! 強火が旨いの。ほっといてくれる!」
 と、自分も煙を首を傾げて避けながら、平然と山名は言う。そして焦げた肉を箸でぶら下げて、私の皿に取り置いた。
「あのう!」
 バイト君が眉間に縦皺を作って声を荒げた。ままよ、怒った顔もOKじゃん!
「他のお客さんの所に煙が流れますので、弱めてください!」
「え?」
 回り見ると、すでにうちのテーブルの煙が店内を薄っすら霞の掛った春の月状態にしてるじゃないか! 天井のシーリングライトが朧月!
「わっ! ごめんなさい。こら、山名、弱めなさいって」
 今気付いたけど回りからじろじろ見られてる。 私達って正真正銘問題の客だったんだ。仕方なくふて腐れた顔で彼は弱火にした。
 バイト君は難なく悪態を付く客をねじ伏せ、問題を解決したことで胸を張って厨房へ戻って行った。勿論回りは彼の正義感にエールを送っている。
 はあっと私はため息を吐いた。
 私の前で焼肉炭を焼いているのは、いうなれば同じ会社の同僚で、一応私のカレシでもある山名達樹。もう、つき合いだして五年になる。蜜月などというものが私達に有ったかどうかさえ、すでに思い出すのも億劫なほど倦怠期の二人である。

「山名さあ、あんまり焦げたの食べてたら癌になるよ! キャンサー」
「キャン? 新しいトラクターかよ」
 トラ……まあ、実家が農家なんで、特殊な反応をする。
「あのさあ、癌って知ってる? 遺伝子的に言ってすごい能力の持ち主なんだよ。何で、この進んだ医学で根治出来ないか、不思議に思わない?」
「思わない」
「何で話を切るのよ。あのさ、DNAの塩基はアデニン、チミン、グアニン、シトシンの4種類でね。その配列と組み合わせで人間の設計図が出来てる訳。簡単に言うとだけど。でも、このDNAも保護機能があってたんぱく質を作るのにコピーを重ねれば死んじゃう訳。わかる? 同じのばっかり増えても困るでしょ。でもねがん細胞はさあ、正しい設計図をどんどん書き換えてDNAを増やしちゃうのよ。だから増殖が始まる。まるで不死の細胞だわね。」
「不死はいいけど、若いままで不死がいいなあ。80歳の不死じゃあ、楽しみがないだろう」
 と、とぼけた顔をして一心不乱に肉を焼く。そして、また私の皿へ熱々のジュウジュウ言ってる肉を載せる。
「なんか、無駄に話してる気がする」
「由紀、おまえさあ、癌はいいけどさあ、そんな知識より旨い肉じゃがの作り方とか研究すればいいんじゃない? その歳でコンビニに頼ってるなんておかしいだろ? 本当に嫁の貰い手もないぞ。この間のはあんまり酷い」
「悪かったねえ、不味くて。山名に心配して欲しくない!」
 人ごとみたいな言い方にちょっとむっとした。彼は至って真剣な面持ちで、ひたすら肉を焼いている。
 まあ、確かに料理は実験室でのんびりデータを採るような訳には行かない。それは認める。先日の山名に食べさせた晩御飯は不味かった。料理本を見ている間にジャガイモが今の肉より焦げた。煮物を焦がすと香ばしくはならないで、焦げた匂いが全てに染入る……焦げ臭い。私は初めて知った。焼くと煮るでは食材に感じる性質が変わるんだって事。
「そりゃあね、お前はうちの研究室のお偉い学者さんだよ。だけどさあ、何でもかんでも分析したがるのは興醒めだね!」
「何の事よ」
「あの肉じゃがの味覚と臭覚の複合の論理」
 ああっと相槌打ったけど、やっぱり解ってないよね。あれは旨く出来なかったから恥ずかしくって照れ隠しで、つい味覚について論じてしまった。
「それと視覚も大事な要素だって事よ」
 私はこんがり香ばしいカルビを口に運びながら、さらりと言ってやった。
「だから論理はいいけど、あれはどれをとってもサイテーのシロモンだった。俺がどんなにあの手料理を楽しみにしていたか、貴女は解っているのでしょうか?」
「え? そうなの」
 ちょっと意外な山名の言葉にビールのジョッキを傾ける手が止まった。彼はビールに手も付けないで、どんどん肉を焼いている。
「素直に、ごめんなさい、一生懸命作ったのにこんなのしか出来なくって!――――なんて言ってくれたら、俺も考えた」
「はあ? 何を考えたのよ?」
 山名はずっと焼肉コンロを見つめて、ただ肉を焼いている。私の皿は段々に焼けた肉が盛り上がってゆく。
「俺達、もう五年だよなあ……。つき合いだして」
「まあ、そうだけど……」
「お前が研究が一番すきなのは知ってる。これからも仕事を辞める気はない」
 私は彼をじっと見つめた。もしかしたら来るべき時が来たのかも知れない。前髪を掻き揚げて、また肉を網に乗せた。彼の真面目な顔は、それが肉を焼く顔であっても、私は素敵だと思うし、とても好きだ。
「それに同僚の坂口が『坂口君』で、俺が呼び捨てなのも気に入らない。俺のこと軽んじてる」
「そんなこと……。気にしてたの? 嘘! 馬鹿みたい」
 山名はふっと視線をあげて私を見た。笑みのない顔にドッキリした……。やっぱり、このまま私のペースでしたいようにされてたんでは、いくら優しい彼でも堪忍袋の緒が切れるよね……。だってご指摘のように手料理は出来ない(出来ないので、作って遣った事がほとんどない)、研究に没頭するとデートも断る(電話にも出ない。携帯はきったまま)。彼の誕生日とか、平気で忘れる(このところ期待もされなくなった)。会ってもまず色気なし(いや、それ相応の関係ではあるが甘えべたなんで)。カレシといいながら粗末な待遇に耐えてきたのは山名だ。
「俺といても、さっきみたいに可愛い男見ると目を輝かす」
「てへ! ばれてた?」
 げ! よく見てる。
「お前、女としてはあの肉じゃがと同じくサイテーだと思うよ!」
 でっ、出ました! 別れ言葉の一つ前! そろそろくるころだとは思ってましたけどね。
「……で、どうしたい訳?」
 私は本当は山名が好き。強がって生意気言ってる自分に吐き気がする。でも……こんな女じゃあ、彼が見切ちゃうのも解る。
 彼は、今まで本当に私の事を大事にしてくれたし、許してくれたし、我慢してきてくれた。こんな優しい男、きっともういない……。二人の間に流れる沈黙は危機的状況を示唆している。立ち昇る煙越しに見つめあったまま最後の時を迎えるんだろう……。

「ああ、もう止めた止めた! なんでお前のために毎度肉焼いてんだ俺!」
 突然、彼は箸を投げ出す! ちょっと、びっくりした!
「別に焼いて欲しいって言ってないわよ。山名が嫌ならそれでいいよ」
 私は彼から目を逸らしてビールをぐびぐび流し込む。これからの展開を思うと、下を向くのは危険。私らしかぬ一面が出てくるとも限らない。別れをどろどろさせるのは女の涙と相場が決まっている。同じ会社でそれは避けねば!
 山名は黙ってコンロを見ている。コンロぎっしりの油の多い輸入カルビが、返す手が無くなってボッと火がついて燃え出した。
 その火の向こうで彼がポツリと呟いた。
「よく続いたよ、五年間も……」
 そして、スーツの上着の内ポケットをこそこそ遣ってる。
「タバコならあるよ……」
 と言って顔を向けた私を、険しい顔付きでチラッと見た。そして、ポケットから何やら取り出して、笑みのない私に向かってコンロ越しにポンと投げてきた。それは掌サイズの小さい箱……。
「何、これ?」
 山名はふうっと大きなため息をついた。そして、口を尖らせて怒った顔で私を見て呟いた。
「結婚指輪。……結婚しよう」
「へ?」
「要らないなら、肉と一緒に焼いちゃえ。文句はヤマとあるけど惚れてるからしかたないだろ? ああ、俺はあほうだ! 肉じゃがで懲りてない!」
 山名はそう言って、大げさに両手で頭を抱えた。
 しばしの沈黙の間、私は頭が真っ白けで、コンロから上がる炎越しに照れ捲くる山名を見ていた。両手に包んだ箱はすっぽり心に納まるサイズ。私はジーンと彼のプロポーズに打たれて、まるで映画のヒロインのように美しい感動の涙を零した。
 コンロのオレンジの炎は、ますます明るく煌々と燃え、私と山名の顔を火照らせる。私達はただ沈黙のまま見つめ合った……。

「ちょっ、ちょっとお客さん!! 何遣ってんですかあ! コンロが火の海じゃないですかア!!」
 さっきのバイト君が血相変えて飛んできた。
「危ないでしょうが! 火を止めますよ! 聞いてんですか? ちょっとォ! お客さんったら」
 でも、今の私には、山名しか見えない。私達は今、赤々と燃える炎のごとく、愛を確かめ合っているのだ。
「有難う……。私で良ければ……」
「おまえでないと駄目なんだ」
 山名は、真っ赤になって、ポツリと言った。そして、にっこり笑いかけた。
 私も、うるうるの瞳で微笑む。ここに究極の愛のお約束が成立した。
「俺、お前のためにずっとこうして肉焼いてやるよ。仕方がないから」
 山名はそう言って、照れ臭そうに、今度は皿にてんこ盛りのロースを焼き始めた。
 そして、また燻って煙を出し始めたロースターを覗き込んだ。
「おい、ちょっと君。このコンロさっきからすごい煙だけど、ここだけ壊れてんじゃないか?」
「はい?」
「いくら食べ放題でも設備くらいはきちんとメンテしろよな。煙くて焼き辛いじゃないか!」「…………」
「あ、店員さん! 悪いけど野菜の盛り合わせと、あと塩タン、四人前追加して! さあ、ガンガン食べるわよ!」
「…………」
 バイト君はむっとしたままニコリともしないで、厨房へと消えていった。
「なんだ? 感じの悪い店だなあ!」
「いいじゃん! どんどん食べなきゃあ、元が取れないわよ」
「そうだな。何せ食べ放題なんだから!」
 相変わらず、山名は強火に固執して煙は高く立ち昇る。無煙ロースターは私達には無縁のものだった。

           了