ターミナル玄関口時空跳躍ゲート⇒『バーサス・エグザミネイション』 Copyright © 2009 キュノ・アウローラ, All rights reserved.


帝国魔術学院!


バーサス・エグザミネイション




 1 発表 2 配役 3 練習
 4 困難 5 苦悩 6 本気
 7 問題 8 決定 9 実行
 10 舞台 11 閉幕 12 歓迎






   登場人物紹介(多)

 【アニータ・ファインベルド】
 いつでも爽やか元気な、ヒノモト出身の少女。
 サムライ・ブレードの腕前は達人級で、《炎の武神》という物騒な異名をとる。

 【エルナ・ファーネス】
《白き死神》の二つ名を持つ、全身白ずくめの怪しい女魔術師。
 色素欠乏症で、光を避けるため、いつでもフードを目深にかぶっている。

 【ミーシャ・エフターゼン】
《試験の神様》と渾名される天才少女。
 いつでもにこにこしていて、勉強以外については、何をするにもゆっくり。

 【ライリー】
 西の強国ガネシアの第五王子。数々の特異能力を持ち、人間かどうか疑わしい向きも。
 巨大ハンマー型マジックアイテム《ジークの鉄槌》を所有する。

 【フィル・グランバルト】
 貴族出身で、家出して学院に飛び込んだ男。常に芝居がかった言動をする。
 召喚術のウデは学院一だが、いつもアホなことばかりしているので、実力は忘れられがち。

 【アラン=スウィフトアロー】
 教室最年長の、なんと九十五歳――という高齢はエルフゆえ。
 見た目は二十歳前後の、穏やかな若者。稲妻を呼ぶ魔剣《雷鳴の響き》をたずさえる。

 【ルーク・リンドローブ】
 心優しい挌闘の達人。しかし勉強は大の苦手。
 いつでも追試に引っかかり、ミーシャの個人授業を受けている。

 【ベルチェ・ソルディール】
 体力も度胸もゼロな、凄腕の幻術使い。
 幼い頃は帝都で一番人気の劇場《月夜の夢》座で視覚効果主任をつとめていた。
 ……今回、その真価を発揮する。

 【ディア】
 暗殺結社《格子の館》出身の男。
 にやにや笑いをかたどった白い石の仮面をつけている。普段はほとんど喋らない。
 アニータに、ひそかに思いを寄せているが……

 【バノット・ブレイド】
 前述九人の生徒たちを率いる教官。
 その強大な実力(と性格)ゆえに、大魔王と恐れられている。
 いつでも仏頂面でぶっきらぼうだが、別に怒っているわけではなく、これが地。



 ――これだけでも充分多いが、まだいる。


 【ダグラス・ハウザー】
 バノット教室の宿敵たる、ダグラス教室の担任教官。
 どんなときでも、チェーンをじゃらつかせたパンクな服装を通す。
 喋り方がどことなく偉そう。でも性格は愉快。

 【マックス・ブレンデン】
 ダグラス教室の委員長。言動はチンピラめいているが、その実力は本物。
 アニータをめぐって、ディアとは恋敵である。だが、周囲は二人の対立の理由を知らない。

 【キャロライン・メリ】
 通称キャロル。バノット、ダグラスとともに《魔の三人衆》と恐れられるうら若き女性教官。
 見た目も性格もお茶目でかわいいが、そのパワーは絶大。

 【アマンダ・フェルモーリン】
《暁の槍》の初等部に在籍する少女。
 頭脳明晰で品行方正な優等生だが、杓子定規で頑固すぎるのが玉に瑕。

 【イサベラ・アストラッド】
 東の帝国魔術学院《暁の槍》の総長。肩までのダークブロンドに金の目の美女。
 どうにも底の知れないひとで、百年以上生きているというウワサあり。



 と、まあ、紹介はこのへんにして。
 出し抜けに、物語は始まる――!










  1  発表


 その発表を聞いた瞬間――

 一同は、たっぷり十秒間、無言で硬直した。

「…………。えーと……」

 十秒後、そろそろと挙手をしたのは、赤毛をひとつに結い上げてカンザシなどを挿した、着物姿の少女である。

「あの、先生。今、何て……?」

 少女、つまりアニータは、いつもの彼女らしからぬ気弱げな調子で呟いた。

 ――というか、できれば先程の発言を否定してほしい、という気持ちが、口調からひしひしと伝わってくる。

 しかし、その一秒後には、彼女の儚い望みは、断固とした声に粉砕されてしまった。

「我がクラスの出し物は、演劇だ」

 教卓に両手をつき、そう言い切ったのは、言わずと知れたバノット・ブレイド教官である。

 彼は常日頃から、むっつりとした表情に不機嫌げな声をしている。だから、赤の他人にとっては彼の機嫌を推し量ることは非常に困難なのだが、アニータを含めた生徒たち全員が、今この瞬間、バノットが確かに憮然としていることを感じ取っていた。

「……くくく……」

 アニータの傍らから不気味な含み笑いを漏らしたのは、エルナだ。

 憮然としている人間に聞かせるにはあまり相応しくない笑いではあったが、これが、特段悪意があってのことではなく、彼女の口癖のようなものであることは誰でも知っている。

 どこか幽霊にも似た仕草で、そろり、と手を挙げ、彼女は言った。

「それって……今日の議会で決まったことですよね……?
 まさか……イサベラ閣下から『演劇やれ』って命令があったんですか……?」

「いや」

 この瞬間、バノットは、珍しくも少しばかり生徒たちから視線を逸らした。

 眉間のシワをぐぐっと深め、ついでに教卓の上で両拳を固めながら、言う。

「……クジ引きで、当たってしまったのだ」

 と、視線を逸らしたまま、くしゃくしゃになった――どうやら、力一杯丸めた上に踏み付けたらしく、くっきりと足跡までついている――紙切れを取り出し、ぽかんとしている生徒たちに向かって広げてみせる。

 そこには確かに、イサベラ総長閣下の筆跡と思しきミミズののたくったよーな字で、『えんげき』と記されていた。

 ――しばし、教室に沈黙が落ちる。

 ややあって、

「……汚い字だなー」

 ぼそっ、とルークが限りなく正直な感想を口にしたが、誰も、何も言わなかった。



         *        *        *



「……慰問ですとぉ?」

 学院のコングレス・ルームに、目一杯素っ頓狂な声が響きわたったのは、その一時間ばかり前のことだった。

 声の主は、ダグラス・ハウザー教官である。

 天界の風景が細密に描かれたコングレス・ルームの壁を背景に、ひときわ高くそびえる議長席。

 そこを要として、扇形に展開する議員席――

 その前から三列目の右端に陣取った彼を、やや離れた場所に座った年嵩の教官たちの一団が、あまり好意的とはいえない目つきでじろりと見やった。

 ――しかしと言うか、やはりと言うか、ダグラスはそんなものは気にも留めなかったが。

「何です、慰問って」

「辞書を引いてみるか?」

 限りなくストレートな質問に対して、揶揄するような答えを返したのは、議長席にゆったりとおさまった女性だ。

 おさまりの悪いダーク・ブロンドと、その下の眠たげな金の双眸。議員席に面した部分に見事な彫り物の施されたテーブルに両肘をついて、あまつさえ組んだ手の甲に顎を載せたまま、イサベラ・アストラッド総長は言った。

「慰問は、慰問だ。分かれ」

「いや、『分かれ』と言われましても……」

 思わず軽くツッコむように手など出しているダグラスを制し、その傍らから、一人の男がすっと挙手をした。

「何だ? バノット」

「質問事項が二つあります」

 気安く名を呼んでくるイサベラに視線を据えて、バノット・ブレイドは立ち上がり、重々しく二本の指を立てた。

「ひとつ。高等部から初等部への慰問など、前例がありません。そのようなことを思い立たれた理由は何か。
 ひとつ。なぜ、その慰問とやらの係に、我がクラスが含まれているのか。
 以上の点について、お答えいただきたい」

 それだけ言って、着席する。

「……くそっ、貴様、一人でおいしいところを持っていきおって! これでは、俺が間抜けみたいではないかっ」

 あまり座り心地のよくない議員席に再び身体を沈めたバノットの隣から、ダグラスが不満顔でぶつぶつ言い、

「まあ、まあ、ダグラスくん。こんなとこでケンカしちゃダメよ〜」

 もうひとつ隣の席に座ったキャロルが、にこやかにそれをたしなめた。

 バノットはとりあえず二人を無視し、イサベラを見つめている。

 彼女は、ふっと笑った。

「前例。前例か。前例がなくては動けんというなら、我々に進歩というものは有り得ないのではないか?」

「今まで行なってこなかった事柄を始めるにあたっては、それなりの理由が必要とされると申し上げているのです」

「理由がなくてはいけないか?」

「……まさか……ない、と?」

 普段の仏頂面に、ほんのわずかに呆れたような気配を漂わせて、バノット。

 ――仮にも学院総長の重任にある者が、議会で単なる思いつきの発言をするとも思えないが、イサベラ閣下の場合、有り得ないとも言い切れない。

「うむ」

 彼女は、むやみに自信に満ちた態度で頷いてきた。

「昨日、風呂に入っている時に思いついたのだ」

 ――やっぱり。

「風呂……」

 思わず、頭に手拭いを載せて湯船でくつろぐイサベラの姿を思い浮かべる一同である。

「まあ、そんなわけで、単なる思いつきなのだが」

 イサベラは、いたって気楽な口調で言った。

「まったく意味もなく提案したわけではないぞ?
 ――なにしろ、だ。三月後には、エグザミネイションがある」

 ――その言葉に、ほぼ全員がなるほどと思い、何人かは、ああ、と小さな声をあげた。

 承認試験(エグザミネイション)。

 その何たるかを理解するためには、まず、学院の組織の概容について知らねばならない。

 帝国魔術学院は、大きく見て、二つの組織に分かれている。

 そのひとつが、今この議場に集まっている教官たち、そしてその生徒たちが属する『高等部』。

 ここに籍を置く者たちは、各教室に分属し、総長命令により様々な任務をこなし、必要とあらば実戦にも赴く。

 そしてもうひとつが、魔術師としての基礎訓練の場である『初等部』だ。

 軍隊にたとえれば――五つの学院が、紛れもなく帝国の軍事組織であり、現皇帝の対外戦略の切り札であることを疑う者はいないが、それを大っぴらに口に出すことは許されない――初等部は、つまり、士官学校にあたる機関なのである。

 そして、初等部の生徒たちが高等部へと『上がる』ために通過せねばならない関門、それがエグザミネイションだった。

 面接、実技、筆記試験。

 受験者は、あらゆる角度から、帝国の尖兵――もとい、魔術師としての高等教育を受けるにふさわしい者かどうかをテストされる。一度きりのチャンス、というわけでは無論ないのだが、毎年必ずあるというものでもない。

 エグザミネイションがいつ行なわれるかは、高等部との人員のバランスによって決定される。

 つまり、まったくの不定期なのだ。

 よほどの突発事故でもない限り、試験の日時は一年前には受験者たちに通知されるが、それを逃せば、次のチャンスがいつ来るかは誰にも分からない。――そのため、多くの生徒たちにとって、エグザミネイションは、ほとんど一世一代の大勝負のようにとらえられていた。

 それは、議員席にさざなみのように広がった、どこか懐かしげなざわめきからも明らかだ。生徒たちの前では岩か鋼の像のように威厳に満ちた表情を崩さない教官たちが、昔に戻ったように、少しばかり情けなさそうな笑顔を見合わせている。

「エグザミネイションか!
 ……あれからもう何十年も経ったのに、不思議なものだな。あの時出された問題を、今でもはっきりと覚えている」

「そうそう、そうですよね!
 私なんか、筆記試験に備えて泣きながら暗記した魔術生成理論、いまだに全部暗唱できますよー!」

「いや、最終日の実技でね、最後の最後にしくじった時は、あ、終わった……と思ったよ。
 今だから白状するが、あの日、部屋に戻ってから、一人でずっと泣いてたな……」

 と、各人各様の思い出に浸る教官たち。

《魔の三人衆》もまた、例外ではなかった。

「エグザミネイション……懐かしいわ!」

 胸に手を当て、にこにこと、キャロル。

「あの頃は、あれに受かることが人生の目的みたいになってたわねえ! 私、運動神経が鈍かったから、ほんとに大変だったの〜。
 組み打ちの実技で、つい勢い余って相手を床に叩きつけちゃって……
 その人がいつまでも起き上がってこなかった時は、ほんと、どうしようかと思っちゃった♥」

「俺は、筆記試験の前日、学院に放火を企てたぜ。本気で」

 真顔で、ダグラス。

「……実行したの〜?」

 と、キャロル。

初等部にいた当時、《魔の三人衆》は、互いにほとんど面識がなかったのだ。

「いや、倉庫から灯油を持ち出したところで、担任に見つかってな……。
『こんなアホなことしてる暇があったら明日に備えろ』って殴られた」

「放火未遂は無視なのね……。バノットくんは、何が一番大変だった?」

「……面接だ。俺は昔から、この通りの顔だからな。
 担任に『ケンカを売ってると思われないように、もう少し愛想のある表情を心がけろ』と言われて、前日の夜、鏡の前で三時間ほど笑っていた」

「怖いな……」

「俺もそう思う。――当日の筆頭面接官は、閣下で」

 と、イサベラのほうに手を振り、

「会場に入るや否や、『その笑顔はやめろ。不気味だから』と言われた時には、もう帰ろうかと思ったな」

 いつもの仏頂面を少しばかり憮然としたように曲げたバノットの言葉に、ダグラスがぶーっと吹き出し、キャロルはけらけらと笑い転げた。

「笑うな」

 と言いながらも、バノット自身、どこか懐かしげな顔つきをしている。

 コングレス・ルーム全体に広がった、和やかな雰囲気――

 しかし、そんな中、ふと何かに気付いたように、バノットの表情がたちまち元のように渋ったくなった。

「……で、閣下」

「何だ?」

 鷹揚に問い返してくるイサベラに、バノットは用心深い眼差しで、

「三ヶ月後にエグザミネイションがあることと、高等部が初等部への慰問を行なわねばならないこととの因果関係がいまだ不明なのですが。
 ――それに、なぜ我々なのか? という疑問への説明も、まだ承っていません」

 バノットの指摘に、危うく納得しかけていた教官たちが『はっ!』と自分を取り戻す。

「細かい奴だな」

 苦笑しながら、イサベラは言った。

「実は、この前、初等部のゴールドベリと会ったのだが」

 ――ローラ・ゴールドベリ教官は、事実上、初等部の運営を一人で切り回している辣腕家の女性である。

 既に六十歳を超える高齢だが、頭脳は明晰、物腰もかくしゃくとした風格溢れるオババだ。

 ……そんなオババを気軽に呼び捨てにするイサベラも、なかなかに底知れないものがあるが、それはそれとして、

「彼女が、こうぼやいていてな。
毎度のことではあるが、エグザミネイション受験者たちのあいだに漂う異様なまでの緊張感はどうにかならないものか。あおりを食らって、こっちまで胃に穴が開きそうだ……と」

 ――丸っきり他人事のようなゴールドベリ教官の言い草だが、喉元過ぎれば暑さを忘れるというか、自身がエグザミネイションを通過してから五十ン年、それから何度も教え子たちの試験に立ち会ってきた彼女にしてみれば、『えい、ごちゃごちゃとうろたえるな。もう少し、でんっと構えい』などと言いたくなるのも無理はない。

 だが、自分の周囲は皆ライバルと言っても過言ではない過酷な状況下に置かれている受験者たちにしてみれば、とてもとてもとても、そんなノン気なことは言っていられない。

 徹底的に閉鎖的な環境だけに、受験者がさらされるストレスの大きさは計り知れなかった。

 ゴールドベリ教官のいう『あおりを食らって』とは、単に雰囲気に呑まれるということだけではなく、現実に起こる受験者同士の衝突に心を砕かねばならない気苦労を表現した言葉なのだろう……。

「なるほど」

 理解したくはなかった。課題を理解すれば、それを解決するために行動することを必ず求められるのだから――

 だが、理解せざるを得ない。

 そんな顔つきで、バノットは呻いた。

「では慰問というのは、煮詰まりがちな初等部に水を注ぐという意味で」

「よく分かっているではないか。実に的確なたとえだ」

「……で、それをなぜ我々が?」

 あくまでも食い下がるバノットに、イサベラは、にやっと笑みを見せた。

 ――その笑みを目の当たりにして、バノットと同じく『慰問担当』に指名された教官たちは残らず、これで儚い希望も消えたな……と、静かに覚悟を決めた。

 そんな教官たちの様子を面白そうに眺めわたしながら、イサベラは告げた。

「この話は、既にゴールドベリのほうにも通っているのだ。彼女は実に喜んでくれた。こちらの都合も考え合わせて、日取りまで決めてくれてな。
 実施日は、今日からちょうど四十日後、春待月の第十五日。
 当該日付に演習や出動の予定が入っていないクラス、これが慰問の担当だ。

 何か質問はあるか?」

「………………ありません」

「うむ。良い返事だ」

 むやみに満足げに頷きながら、イサベラは、立派な議長席の下から、何やら一抱えほどの箱を取り出してきた。

 それは固めの紙でできた六面体の箱で、蓋がない代わりに、上に丸い穴がひとつ開いていた。

 どうやらイサベラが手作りしたものらしく、それぞれの面がきちんと合っていない上に、穴もいびつだ。

 そして、その正面には、汚い字でこう書いてある――

《どっきりくじ》。

「さあ、担当に決まった者は大人しく前に出て、ありがたくこのくじを引くのだ。お前たちが出し物を考える手間を省いてやろうと思って、私が昨日寝ずに作ったのだからな」

「くじの名前がやたらと不吉に思えるのは俺だけか……!?」

「きゃ♥ 私、くじ引きは好きよ〜。何か、いいものが当たるといいわねぇ〜」

「……キャロル。どう考えても、何が当たっても良くはないと思うぞ」

 うそ寒げな表情でぼそぼそとささやき合う教官たち(一部例外も有)に、嬉しげにいびつな箱を抱えたイサベラは、片手をわきわきと開閉しつつ、またもやあの笑みを浮かべてみせた。

「さあ、さあ、早く引かんか。――ちなみにこの《どっきりくじ》は、一度引いてしまったが最後、当たったものを最後までやり遂げなければ恐ろしいことが起こる予定になっているので、皆、心してかかれよ♥」



        *         *       *



「な……なるほど。そーゆー経緯があったんですね……」

 語り終え、鬼瓦のよーな表情で沈黙しているバノットを前に、アニータたちは冷や汗を垂らしながらも、とりあえず納得していた。

「ふっ。ちなみに、他の教室はどのような出し物を?」

 なぜか片手で前髪を払いながら、もう一方の手を挙げてそう言ったのはフィルだ。

「むう。俺の知る限りでは、『サーカス』や『占い』があったようだが……」

「徹頭徹尾、娯楽ですなー」

「ハーレル教授は『ポップコーン売り場』を引いていたぞ」

「そ……それはまたビミョ〜な……」

 ちなみにキャロルが勇んで引き当てたのは『バザー』だった。ほとんど文化祭のノリである。

「彼女が、使わん物品があったら何でもいいから譲ってくれと言っていた。手作り品も可だ」

「……てゆーか、バザーって本来は手作り品を売るものなんじゃ……?」

「利益をあげることが目的ではないからな。あまり元手や労力はかけられん。
 古道具をかき集めることになったとしても、仕方があるまい」

「あ、そっか。
 ……うーん。それにしても、あたしたちが、演劇かぁ……」

 思わず腕を組んで、アニータはぶつぶつと呟いた。

 演劇といっても、素人の自分たちに求められるレベルだ。そう本格的なものである必要はないだろう。

 ――だが、具体的に、どんなものを上演すればいいのか?

 ウケ狙いに走るというテもあるが、観客がエグザミネイションを控えた生徒たちであることを考えると、半端なギャグは滑る恐れが大だ。

 やはり、ここは真面目にやらねばなるまい。

 しかし、劇の内容が重すぎては、初等部の生徒たちのストレス解消という当初の意味がなくなってしまうし……

「これは、なかなか厄介だねっ!」

「そうですねえ〜。慰問の趣旨に照らせば、教育劇っぽいものも相応しくないですし……
 かといって、あまり不真面目なこともできませんし〜」

「むうう。よりによって、難しいものが当たってしまいましたな」

「――悪かったなライリー。よりによって難しいものを当ててしまって」

「いえいえ、先生。別に先生を当てこすったわけでは。あっ、あっ、首を締めないで下さい……」

 などと、てんでに騒ぐ一同の中で。

「…………演劇…………」

 ぽつり、と一人の男が呟いた。

 その瞬間――

 何かの奇跡のように一瞬にして、教室内は、針の落ちる音さえも聞こえるほどに静まり返った。

 発言内容そのものには、とりたてて不明なところもない。

 にも関わらず、一同の注意は、否応無しにその声に引きつけられてしまった。

 それは、その声に込められた、異様なまでの熱情のためだった。

 誰もが申し合わせたように、発言者に視線を向けている。

 しかし『彼』自身は、自分が注目を浴びていることにすら気付かぬように、何やらうつむき、あまつさえ、ぶるぶると身体を震わせている――

「……おい」

 ややあって、バノットが――極めて珍しいことに――戸惑い気味に片手を差し出しながら、呟くように言った。

「大丈夫か、ベルチェ? 救護が必要か?」

「……演劇……春待月の第十五日の舞台……これは……」

 教室一、いや、学院一頼りなげな風貌をした若者は、そんな教官の言葉も耳に入らない様子で、なおもぶつぶつと呟き続けた。

「これは……天の采配だ……!!」

「――おい――?」

 さしものバノットが不審を露わにして呻いた、その瞬間。

「うおおおおぉぉぉぉっ!」

 不意にベルチェが――あの、常に控え目で、風が吹いたらそのまま吹き倒されてしまうほどに弱々しいベルチェが、猛獣もかくやという雄叫びをあげて立ち上がった!

「あ痛っ!」

「きゃあぁ〜っ!?」

「べ、ベルチェーっ!?」

 ベルチェが立ち上がる際に跳ね飛ばした椅子に直撃されたルークを含め、彼の突然の狂乱に驚き、慌てる級友たち。

「ふっ! これは、恐るべき魔神が今まさにベルチェの身体を乗っ取ろうとしているに相違ありませんなっ!」

「おおっ! それはいけません! 早速に私の《ジークの鉄槌》で――」

「ちょっ……待ってください二人ともっ!? 早まらないで!」

 驚いたあまり床に転がりながらもレイピアを抜き放つフィル、どこからか巨大なハンマーを取り出すライリー、二人に慌ててしがみつくアラン……

「――って、こっちも、早速に抹殺をはからないッ!」

 無言のままでダガーの投擲姿勢に入るディアの手首を、アニータが素早くチョップする。

「む……しかし、魔神が」

「信じてるし!?」

 そんな大騒ぎの最中にあって、ベルチェは立ち上がった姿勢のまま、微動だにしない。

 細い両拳は固く握り締められ、目は見開かれてらんらんと光り、どう見てもまともな状態ではなかった。

 と、その彼が、不意に周囲をぐるりと見渡す。

「……やや足りないか……だが……決して不可能じゃない……」

「ちょ……ちょっと、ベルチェ?」

 さすがに、やや引きながら、声をかけるアニータ。

 次の瞬間、『くわっ』と振り向いてきた彼の形相に、ひとかたならぬ後悔を感じつつも、続けて問いかける。

「いやあの……一体、何言ってるの……? さっきから、興奮しちゃって……」

「春待月の第十五日……
 それは、歴史上、最も劇的な事件が起こった日だ――」

 とりあえずアニータのほうを向いてはいるが、どう考えても彼女より遠くの何かを見ている目つきで、ベルチェは言ってきた。

 心なしか、口調すらいつもと違う。

「はるまちのつき……じゅうごにち〜……?」

 それを聞いたミーシャが、何やら記憶の端に触れるものでもあったのか、ゆっくりと呟きながら、ふらふらと視線をさまよわせ――

「あ!」

 ぽふ! と(彼女にしては)勢いよく手を叩き、叫んだ。

「分かりましたぁ! レティカの王城が陥落した日ですわ!
 その日、帝国の父祖ベルセルク陛下は、魔剣の力を我が物として《黒翼の騎士》となられたのです〜!」


 それは、よく知られた物語だった。

 いや、ただの物語ではない。

 それは、このリオネス帝国の建国にいたるまでの、壮大な歴史の流れの一幕だった。

 ベルセルク・グランシス。

 千年王国と呼ばれた強国レティカを滅ぼし、一代で帝国を建てた男――

 彼はもとレティカの騎士で、王女の結婚相手と目されるほど家柄もよく、将来を嘱望されていた。

 だが、そのために妬まれ、陰謀によって謀反の罪を着せられ、一族郎党を皆殺しにされてしまう。

 彼自身も深手を負い、命を落とすところだったが、屋敷の蔵に封印されていた邪悪な魔剣の封印を解き、《彼》と契約を交わすことで生き延びた――


「そういや、そんな話を、歴史で習ったような気がしなくもないような気がするぜ!」

「まあ、偉いですわ、ルークくん! ちゃんと覚えてましたのね〜?」

「え? おお、いや、まあな。ははは」

「ふっ。しかし、命をながらえた代償として、ベルセルクは人間らしい感情のすべてを失い、その刃で、他者の命を奪い続けねばならないさだめを負った。
 ひとたび魔剣の誘惑に屈すれば、たちまち彼の正気は失われ、命あるものを見境なく斬り殺す狂戦士と化してしまう――」

 笑顔で冷や汗を垂らすルークの横から、朗々とフィルが続けた。

 貴族の出である彼は、幼い頃から、寝物語にこの話を聞いて育ったのだろう。

「レティカを脱出し、あてどない放浪の旅に出たベルセルク。
 やがて、数奇な運命に導かれ、彼のもとに集うはいずれ劣らぬ五人の勇者たち……」

 こちらも朗々と、ライリー。

 彼は西方の王国ガネシアの出身なのだが、フィルに劣らぬ流暢さである。

 まあ、ヒノモトからやってきたアニータでさえも聞き知っているほど有名な話なので、特段の不思議はないが。

「――で、仲間たちと一緒に様々な苦難をくぐり抜けた末に、ベルセルクは故国レティカに戻り、反乱軍を立ち上げて、腐敗していた王政を打ち倒すのよね?」

「そう。それが成功した日こそ、他でもない、春待月の第十五日……」

 やや落ち着いてきたらしく、しかし拳は握ったままで、ベルチェは熱く語った。

「建国記念日のほうが有名だから、日付は、あまりメジャーじゃないけど。
 過去、幾多の劇場で、この日――《黒翼の騎士の物語》が上演されてきたんだ。
 ……僕がいた《月夜の夢》座でも……」

「あ……」

 その言葉を聞いて初めて、アニータたちは、ベルチェの興奮の理由を理解した。

 彼は、この学院に来る前は、幼いながらも天才的な幻術使いとして、帝都最大の劇場《月夜の夢》座の視覚効果主任をつとめていたのだ。

「この日に演る舞台なら、《黒翼の騎士の物語》以外にはありえないっ!
 監督・脚本・効果は、僕が一手に引き受けたっ!
 みんな、僕に命を預けて、地獄の果てまでついて来ぉーいっ!!」

 ぐおおおお、と燃え上がるベルチェを遠巻きに囲み、

「くくく……忘れてたわね。私たちのクラスには、プロがいるんだってこと……」

「う、うん。でも、これで何やるかも決まったし、ベルチェもあんなに張り切ってるし――
 もう、これは、このまま行っちゃうってコトでいいんじゃない!?」

「ふっ。我々は一向に構いませんよ」

「おう、オレも構わねーぞ! ……多分、セリフは覚えらんねーけど、それは何でも一緒だし」

 口々に言う級友たち。

「えーと、じゃあ一応、最終決定を行ないまーす。演目は《黒翼の騎士の物語》、監督はベルチェ。これに異議はありませんかっ?」

『異議なーし!』

 アニータの言葉に、ベルチェの勢いがうつったか、景気よく拳を突きあげる一同。

「おお〜、決まった! ……って……」

 いまだ、背後に炎を燃え立たせているベルチェと、彼を囲んで気勢をあげるルークやフィルたち――その様を眺めていたアニータは、ふと、かくんと首を傾げた。

 ひょい、とバノットのほうを振り向いて、

「そーいえば、まだ聞いてませんでしたけど――っていうか、全然、関係ないんですけど。
 ダグラス教室って、いったい何するんですか?」

「ああ……」

 アニータの問い掛けに、バノットは、妙に歯切れの悪い返事をしてきた。

「そろそろ、結果が出る頃だと思うのだが」

「…………へ?」

 その、瞬間だった。

「バノット・ブレイド教官――!!!」

 どばぁんっ! と(比喩でなく)扉を蹴破って、一人の男が飛び込んでくる。

「……なっ!?」

 逆立った銀髪に、青の三白眼。――ダグラス教室の委員長、マックス・ブレンデンだ。

 よほど慌てて走ってきたのだろう、ぜいぜいと肩で息をしている。

 いや、それよりも一同の度肝を抜いたのは、服といわず顔といわず、煤やら傷やらでぼろぼろになった彼の惨状だった。

「何事っ!?」

 アニータが叫んだが、彼は、そんなものは聞いてもいないようだった。

 バノットに向かい、息を切らして叫ぶ。

「頼む、一緒に来てくれっ! あんたの手は借りたくねぇが、俺らじゃ、手に負えねぇ!
 先生が――先生が、暴れ出して――」

「……え!?」

 どがぁぁぁぁんっ!

 一同が目を丸くするのと時を同じくして、大気と建物とを揺るがし、爆音がとどろいた。

 コングレス・ルームがある、中央館の方向からだ。

 一拍おいて、再び、激しい衝撃が床を、壁を揺さぶる。

 そして、さらに連続する爆発音――

「や、やべぇ……なんか、近付いて来てる!?」

 階下から湧き起こる無数の悲鳴に頭を抱えながら、マックスが再び教室を飛び出してゆく。

「こら、てめぇらっ! バイアス、ジャイル、ケリーっ! 援軍が着くまで命張って食い止めろって言ったろーが……
 って、うおおおおっ!?」

 マックスが身を乗り出していた廊下の窓が、いきなり問答無用で爆砕した。

 外から衝撃波でも打ち込まれたのだろう。大柄なマックスの身体が、ひとたまりもなくもみくちゃになって、瓦礫と共に打ち倒される――

「せ、先生!? これって……ダグラス教官が暴れて……!?」

「……やはり、無理だったか」

「え!?」

「たった今――」

 こうなるという予測でもあったというのか、まったく驚いた様子もなく、いつもと変わらぬ仏頂面で――しかし、確かに暗澹としたものを声音に混ぜて、バノットは、驚愕している教え子たちに向けて重々しく告げた。

「演劇は、ダグラス教室と合同で行なうことが決定した」




  2  配役



『道具係やら何やらも含めて十人程度では、大したものはできまい?』

 ――というのが、イサベラ閣下の理屈だった。

「……それで、合同ですか……」

「うむ」

 ダグラス大暴れ事件(名付けた)の後、復旧作業やら何やらでどたばたし――その、翌日である。

 隠そうともせず迷惑げに、バノットは言った。

「俺が先に『演劇』を引き当ててな。奴が、その直後に『演劇(他の一クラスと合同)』を当てたのだ。……まったく、よりにもよって、とはこの事だ。はた迷惑な」

「黙れバノット! 貴様に言われる筋合いはないっ!」

 どんどんと地団駄を踏んで叫んできたのは、当のダグラス教官である。

「貴様が『演劇』を引きさえしなければ、俺たちはどこか他のクラスと合同だったわけで、そうすれば何の問題もなかったのだっ! それを……」

「責任転嫁か。見苦しいぞ」

「やかましい! 閣下にわざわざ直訴して断わられた今となっては、責任転嫁するくらいしか、気分の鎮めようがないんだっ!」
 げしげしと手近の壁を殴りつけながら、ダグラス。

 ――運命の女神の悪意ある采配(としか思えない)によって『演劇(他の一クラスと合同)』を引き当ててしまったダグラスは、コングレス・ルームに残って三十分もねばり、くじの引き直しをさせてくれるようイサベラに要求した。

 しかし、結局、その要求が通ることはなかった。

「くっ。一つの例外を認めては、くじ引きをした事の意味自体がなくなってしまうからと……
 それはそうだがっ! 俺は、どうしても納得がいかーん!
 なぜ、よりにもよってバノット教室と俺たちが、こんなしょうもないイベントでつるまなければならんのだっ!?」

 ダグラスが叫んだ、その瞬間。

「風よ」

 ずばっ!

「………………」

 思わず口を閉じたダグラスの髪を数本、はらはらと舞い散らし……空を貫いた衝撃波が、彼の背後の壁に深々と傷を刻んだ。

 その攻撃を放ったのは、こちらに向けて細い腕をかざしている若者だ。

 普段は大人しげなその眼差しに、今は、どこか地中深くで燃え盛るマグマにも似た炎がゆらめいている。

 ベルチェはしばし、じーっとダグラスをにらんでいたが、やがて姿勢をもとに戻し、机の上に屈みこんで、一心に何やら紙に書きつけ始める……

「…………バ……バノット」

 ややあって、その場に硬直したまま、目と口だけを動かし、ダグラスは少しばかり震える声をあげた。

「アレは……あれか。本当に、ベルチェか?
 ……まさか、魔神か何かが乗り移ったのでは……」

「俺も少しそう思う」

 深い溜め息をついて、バノット。

「『演劇』というキーワードに反応して、筋金入りのプロ意識が目覚めたというところかな。
 とにかく今は、あまり奴を怒らせんほうが身のためだぞ」

「む、むうう……」

 と、悔しげに黙ったダグラスに代わり、

「ふっ! それでは、お集まりのみなみなさま方!

 ただ今より、バノット・ダグラス両教室によります、第一回の合同練習を始めたいと思いますっ!」

 あくまで優雅に腕を振り、黒板の前に立ったフィルが、その場に漂う張り詰めた空気をものともせずに叫んだ。

 バノット・ダグラス両教室による――という言葉の通り、この場には既に、ダグラス教室の面々も顔を揃えていた。

 普段ならば、この時点で確実に小競り合いが発生しているはずなのだが、ベルチェが発散するただならぬ鬼気に全員が圧され、辺りには、妙に重苦しい空気がわだかまっていた。

 そこへ、フィルの底抜けに朗らかな声が響く。

「え〜。本番を迎えるまでの練習場所として、めでたくこの屋内練習場を確保することもできました」

 そう。ここは、中央館と南館の間に肩をねじ込むようにして建っている屋内練習場――通称『体技館』なのであった。

 演劇の練習を行なうには、いつもの教室は手狭に過ぎるため、バノット教室とダグラス教室が合同で借り切ったのである。

 普段はここで自主練習を行なっている者も多い(ディアがその代表だ)が、こちらが総長命令で動いているとあっては、勝手に練習をしているだけの彼らは逆らうことができない。

 そばに立って何やら薄黒い炎を背負っているベルチェの迫力もあいまってか、何ら衝突もなく、この場所を確保することができたのだった。

「ダグラス教室の皆さんも既にご存知の通り、演目は《黒翼の騎士の物語》。
 現在、監督が脚本を執筆中です。
 決して邪魔しないようにしましょう」

 むやみにだだっ広い訓練場の隅っこに急遽搬入された、いくつかの机のうちのひとつ。

 そこに載せた紙束におおいかぶさるようにして、ただひたすらにペンを走らせ、時にはその紙を『びびーっ!』と破っては放り投げるベルチェの姿を、一同がうそ寒げな表情で眺めやる。

 と、同じく急遽搬入された黒板(キャスター付き)をぱんと叩いて聞き手の注意を引き戻し、フィルは続けた。

「というわけで、まだ脚本が完成しておりませんので、とりあえず、我々は今の時点でできることをやらねばなりません。
 ――即ち! 役柄の決定ですっ!」

 言って、またまた黒板を叩く。

 その黒板の上のほうには、《黒翼の騎士の物語》という題名が美麗な書体ででかでかと記され、その下に、幾人かの人物の名が並んでいた。

 この劇の登場人物の名前である。

 ベルセルク・グランシス。
 ルティア。
 キーリィ・レル・ペレン。
 ティス=ダンシングリーブズ。
 ホーク・バトラー。
 イーグル・バトラー。
 ラーガス・ベイン……

「ふっ。やはりまずは、主役中の主役たる、ベルセルク・グランシスを誰が演じるのかを決定したいわけですが――」

 フィルがそう言った瞬間、彼自身も含めて、その場にいる全員(ベルチェは除く)が、じっと一人の人物を注視した。

「……何だ。何を見ている」

「いや……何となくですけど……」

 少しばかり恫喝するような口調で言ってくるバノットに、アニータはそう呻いた。

 いつも変わらぬ仏頂面。黒ずくめの服装。襟足で一つに結わえた黒髪。

 ――バノットの風貌は、物語が伝えるベルセルクの姿に、ほとんど生き写しなのだった。

 これで、目の色を紫に変え、《グングニル》の代わりに魔剣を携えれば完璧だ。

「ていうか、ベル……ええと? あ、ベルセルクか。そのベルセルクをやれるのって、先生しかいねーんじゃねーか?」

「確かに。主役をそっちに奪られんのは面白くねぇが、こりゃ、決まりだな」

「――馬鹿者」

 生徒たちの間に問題なく流れかけた合意の空気を霧散させたのは、バノット自身だった。

「俺は、役者はやらん。教官は裏方に決まっている」

「えー!? 嘘!?」

「どうしてですの〜?」

 思わず抗議の声をあげる、アニータとミーシャ。

「あのなぁ」

 呆れたような調子でその声に答えたのは、バノットではなく、その傍らに立ったダグラスだった。

「当たり前だろうが。初等部の連中が見たいのは『先輩』たちの姿なんだよ。そこへ、俺らが出張ってもしょうがないだろ?」

 ――今は教官という立場にある彼らとて、『先輩』であることには変わりないのだが。

「ふっ……」

 と、フィルそのものの笑いを漏らしたのは、しかしフィルではなく――ダグラス教室の副委員長であるところのバイアス・バッハだった。

 妙な形にくせのついた栗色の髪を気取って撫でつけながら、もう一方の手で、びしとダグラスを指差す。

「そんなことを仰って。実は、セリフを覚えるのが面倒臭いのでしょうっ!?」

「そうだ。」

「………………」

 堂々と開き直られ、立場がなくなったように沈黙するバイアス。

「……ふっ。何やら話が続かなくなったようですので、僭越ながら、ここで私から一つ提案をさせていただきたいのですが」

 フィルが、あくまでもにこやかに、話を継いだ。

「やはりここは、『この役には、この人しか有り得ない』というところから決めてゆくのが、一番の早道だと思うのです。
 ――そこで、言わせていただきますと、ティス=ダンシングリーブズの役には、同じくエルフであるところのアランが最も適任ではないかと」

「あ。私ですか?」

 のんびりと、アランが自分を指差す。

 ある程度の予測はついていたのか、いきなり指名されても、それほど驚いた様子もない。

 それを見て、フィルは満足げに頷いた。

「ふっ。人の身の及ばぬ悠久の時を生きるがゆえの、そのゆったりとした物腰! やはり、ティスの役がつとまるのは、彼しかおりますまい。
 ……これについて、どなたか意見がおありでしょうか?」

「んー、異議なし。これはもう決定じゃない?」

 と、気楽に、アニータ。

 実際、姿――具体的には身長――の面から見ても、持つ雰囲気の面から考えても、エルフの役を演じるのに、エルフ以上の適任者はいないだろう。

 特に、ティス=ダンシングリーブズといえば、治癒の技に精通し、他者を癒すことに一生を捧げた穏やかな人物として知られている。アランの雰囲気にぴったりだ。

「御賛同ありがとうございます。それでは、決定ということで……」

 言いながら、フィルが黒板にかりかりとアランの名前を書き入れる。

 ――と、その時だ。
「……キーリィの役は……」

 出し抜けに、ぼそぼそっと声を発したのは、『監督』――つまり、ベルチェであった。

 アニータたちは思わずびくりとしたが、フィルは至って平然と、

「はあ。キーリィ・レル・ペレンの役について、監督から、何か御意見がおありでしょうか?」

 至極落ち着いた調子で問い掛ける。

 脚本から顔を上げ、こっくりと頷いたベルチェは、そのまま、手にしたペンを一同のほうにすっと動かし――

「彼女の役は、――ミーシャにやってもらう!」

「えっ。……え? えっ? えっ、ええ〜っ!?」

 いきなりびしりとペンで指され、ミーシャが、パニックに陥ったような声をあげる。

 ――と、これで監督を怒らせてはまずいと思ったのか、半分泣きながら、それでも声量を落として、彼女はえぐえぐと呻いた。

「で……でもでもでも、どうして私ですの〜?
 ……あっ、あの、その、別に嫌というわけじゃないのですけど……理由が知りたいですぅ〜!」

「理由。理由か。それは……」

 ベルチェはおもむろに立ち上がり、重々しく告げた。

「ミーシャが、この中で一番小さいからだっ!」

「――え!? それだけ!?」

「それだけとは何だ」

 思わず言い返したアニータを、じろりとにらんで、ベルチェ。

 ――普段の彼が、誰かに反論された時点で卒倒しそうになることを考えると、魔神に乗っ取られたという説も、あながち否定できないような気がしてくる。

「いいか」 

 彼は、気難しげに説明してきた。

「キーリィは、小妖精の女性だ。その役を演じる者が、他の者より大柄では都合が悪い。少なくとも同じくらいの身長か、できれば下がいいんだ」

「でも監督、キーリィって確か、殺し屋で……かなり『姐御』っぽい性格の人じゃなかったっけ……?
 それって、ミーシャとは合わないよーな気が……」

「ええいうるさい! そこは役者の腕の見せ所だっ! 修行しろ! 気力と体力の全てを賭けて、演じる人物になり切るのだっ!」

「えええ〜……そんなぁ〜」

 ミーシャがか細く呻いたが、ベルチェの耳には入らなかったようだ。

「そんな無茶な……本職の役者じゃあるまいし。――あっ」

 呆れたように呟いていたアニータだが、言葉半ばで、ぽんと手を打った。

「ねえ! 今、本職っていうので思いついたんだけど。
 この学院に、フェアリーの人、何人かいるじゃない? その人たちに頼んで、応援に来てもらうってのはどう?
 そのほうが絶対、リアリティが出るし!」

「――それは駄目だ」

 アニータの名案は、監督にすげなく却下された。

「ええっ? どうしてよ?」

「実は、昨日の時点で、僕もその案を検討した。――しかし、実現は不可能だ。
 いいか、この学院に、フェアリーの生徒は三人いる。
 そのうちの一人、オーチェは、サトクリフ教室で『サーカス』の担当に入っている。あとの二人は、本番当日、院外演習で留守だ」

「……す……」

 すらすらと告げてきたベルチェに、恐れ入った、というように、アニータは呟いた。

「すごい。既に調べてたのね……」

「当然」

 ふんむ、と薄い胸を張り、ベルチェ。

「そういうわけで、修行だ、ミーシャ」

「ううううう。頑張ります監督〜」

 観念して打ちしおれるミーシャであった。

「――と、一段落したところで、ちょっと待てぇい!」

 と、そこで何の脈絡もなく唐突に大声をあげてきたのは、ダグラス教師にへこまされてからずっと黙っていたバイアスである。

「何やら黙って聞いていれば、主役陣をバノット教室が占めようという腹づもりだなっ!? そうはさせんぞっ!」

「え? ……いや、別にそーゆーつもりじゃないんだけど……」

「ええい、白々しい嘘をつくな!」

 こちらの反論にも聞く耳ない様子で、むやみに大きく腕を振り回し、叫ぶバイアス。

「とにかく、そうはいかんのだ!
 ここらで是非とも、こちらからも言わせてもらうぞっ!
 いいか! ホーク・バトラーの役は、我らがマックス・ブレンデン委員長に決まりだっ!」

「――俺か!?」

 いきなりのことに驚くマックスを尻目に、バイアスは、バノット教室の面々に向かってフフンと笑った。

「ホーク・バトラーといえば、凄腕の傭兵兄弟の片割れ!
 我らが委員長は、腕も立つし目付きも悪い! まさに、ホークのイメージにぴったり――」

「って、全然誉めてねぇじゃねぇかっ!」

 ごすっ!

 マックスの鉄拳が後頭部に炸裂し、バイアスは床に沈んだ。

 マックスは、さほど痛くもなさそうに、軽く拳をさすりながら、

「……で? このバカの言ったことはともかく、俺がホークを演るってことでいいのか?」

「良くない」

「――良くねぇのかよ!?」

 ぼそっ、と答えてきたベルチェに、思わず叫ぶマックス。

 彼はぐっと眉を寄せ、肩をいからせて、

「おいコラ、あんまり調子に乗ってやがると、そのススキみてぇに細え腕ぼっきり折るぞこの野郎。
 どういう理由で俺がホークを演っちゃ不都合があるんだか、納得いくように説明してもらおうじゃねえか。ああ?」

 ベルチェに詰め寄って凄味をきかせる。

 ――普段のベルチェなら頓死しかねない形相ではあったが、いかんせん、『監督』モードの彼をびびらせるには少々役者が不足だったようだ。

「マックス」

「……お、おう。何でぇ」

 かえって、マックスのほうが微妙に腰が引けている。

「僕たちバノット教室と、君たちダグラス教室とは、長年の敵対関係にある……」

「堂々と口に出して言うなよ」

「ただでさえ上がやかましいというのに……」

 後ろのほうから、ダグラスとバノットがかわるがわる呟いたが、無視。

「そんな長年の確執を、一朝一夕に忘れることができるだろうか? 命を預け合う仲間を演じることが可能だろうか?
 ――確かに、修行によっては可能だろう。プロの役者は、自分の感情を完璧にコントロールできるものだから。
 しかし、今回の場合は、普段から『味方』である人間同士でベルセルクのパーティを演じるほうが、いい芝居ができると僕は思うんだ。
 どちらが正義、どちらが悪を演じるかということは問題じゃない。
 どれだけいい芝居ができるかということだけが、大切なんだ」

 いつもの彼にあるまじき力強さで、食い入るように相手を見つめ、ベルチェは語った。

「バノット教室とダグラス教室は、舞台の上でも敵対関係にあるべきだ。そのほうが、絶対にいい芝居ができる。
 ――マックス。僕は、ダグラス教室の筆頭である君に、ベルセルクの仇敵、宰相ラーガス・ベインを演じてもらいたいと思ってるんだ」

「…………ふん。なるほどな」

 異議を唱えようとする級友たちを片手で制し、マックスは尊大に頷いた。

「いいだろう。そういうことなら、やってやろうじゃねえかよ。悪役を。
 ……ただし。てめえらが腑抜けた芝居しやがったら、舞台の上でだろうと関係ねぇ、容赦なくぶっ潰すぜ。
 それでいいな?」

 その言葉に、ベルチェがにやりと――断じて、にこりとではなく――笑みを浮かべ、答える。

「素晴らしい」

「……ひ……ひえぇ……怖いよぉぉぉ。ベルチェじゃないよぉ」

「やべーよ……マジで人間変わってるぞアレ……」

「むう……やはりこれは《ジークの鉄槌》の出番なのではないでしょうか……」

 恐れおののき、ぶつぶつと呟くバノット教室一同であった。



         *        *       *



 ――こんな調子で、配役の決定は進んだ。

 ダグラス教室はベルセルクの敵方を演じるということが決定したので、そちらはそちらで、誰が何の役をやるかという細かい議論を、ああでもないこうでもないと続けている。

「くくく……私は、できれば裏方に回りたいわ……魔術で効果を出す、ってことで……」

 そろり、と白手袋の手を挙げ、そう言ったのはエルナだ。

「いいの?」

「……くくくくく……」

 不気味に含み笑いながら、ぽふぽふ、とアニータの肩を叩くエルナ。

「いいのも何も……
 私、照明のあたる舞台の上なんかでフードを取れないから、役者は無理よ。
 それに、そういう事情を抜きにしても、ルティアの役は、アニータに決まりでしょう……?」

「うう……。やっぱりそっか」

 半ば分かっていたことではあったが、アニータはがっくりとうなだれた。

 ――ルティア。
 炎のように赤い髪。鮮やかな緑の目。レイピアをたずさえ、ベルセルクと共に戦場を駆け抜けた女剣士……

 容貌といい、年の頃といい、どうにもアニータに似通った面影を持つ伝説的な少女の姓は、今の世には伝わっていなかった。

 やがてベルセルクの妻となり《赤毛の戦妃》と呼ばれることになる彼女は、かつては一介の傭兵だったのだ。

 感情を失ったベルセルクと、彼を愛するルティア。

 両者の想いのすれ違いが、この物語の重要な軸となる。

「ううう。これって絶対、ベルチェ監督の猛烈な演技指導を覚悟しなきゃなんないよね。ものすごく気が重い……。
 ――あ。エルナとあたしの役目が決まったところで、さっきの話に戻るけど。
 結局、ホークは誰がやるわけ?」

 というアニータの言葉に、体格が戦士向きだからという理由でルークが推されたのだが、彼は頭が外れんばかりの勢いでぶんぶんとかぶりを振り、辞退した。

「オレは、誰が何と言おうと、大道具係をやるっ!
 いや、別に、小道具係でも何でもいいんだが――とにかく、役者だけは絶対にやらねえっ!
 オレにセリフが覚えらんねーの、みんな知ってるだろ!?」

「……うーん。それは確かに」

「ふっ。一理ありますな」

「多分、ホークのセリフってけっこう多いですしね」

「え? ……いやあの……できれば、ちょっとくらいは『できる』とか言ってほしいよーな気が……」

 ルークは何やら気弱げに呟いていたが、結局、彼は当初の希望通り、大道具係に就任した。

 ――となると、ホークの役は?

「アラン、ルーク、そして監督は当然、除外として……」

 フィルが考え深げに呟き、頭を巡らせる。

 そして、彼は数秒間、ディアをじっと見つめていたが、やがて朗らかに笑い、言った。

「……ふっ。ライリー。ここは、我々がやるしかないようですな!」

「はっはっ。そうですな、フィル!」

「ディアは除外なのね……」

「ふっ。何しろ、ホークとイーグルといえば双子の兄弟で、軽妙な会話の掛け合いが持ち味の役柄ですからな。
 ディアに掛け合いはちょっと……」

「……そうだよね……」

 心の底から納得して、大きく頷き――

「ん?」

 不意に、何か妙な感じがして、アニータは首を傾げた。

「くくく……どうしたの? アニータ」

「え? いや……ちょっと待ってよ?」

 すい、と傍らに立ったエルナを手で制し、アニータは、頭の中で配役を整理し直した。

(まず、あたしがルティアね。
 ミーシャがキーリィ、エルナは効果……
 ベルチェは監督でしょ?
 ルークは大道具。
 で、アランはティスの役。
 フィルとライリーが、ホークとイーグル。
 で……先生が、ベルセルクをやらないってことは……?)

「――って、ちょっと待って!?」

 思わず、声をあげる。

「……てことは……ベルセルクを、ディアが演るってこと!?」

 その瞬間。

 その言葉が耳に入った全員が、『うっ』と息を詰まらせた。

 一同の蒼白な視線――などというものが存在するとすれば、確かにそんなようなものが、完全なる沈黙のうちに、歪んだ笑みをかたどった白い仮面に集中する。

 無論、そんな視線を受けてなお、ディアは、何も答えてはこない。

 しばし誰も、何も言わず、時間が凍りつく……

「――待・てぇぇぇぇえーいっ!!」

「うわ!?」

 突如、その沈黙を粉砕した大声に、一同は驚いて振り返った。

 そこに仁王立ちになっていたのは――

 マックスである。

 肩を怒らせ、ずかずかとバノット教室一同のほうに歩み寄ってきた彼は、びし! と指を――

 誰にともなく、とりあえず突きつけて、

「ベルセルクは、俺が演るっ!」

 いきなり断言した。

『…………はぁっ?』

 ダイアン教室のほぼ全員の声が、期せずして、ぴったりとハモる。

「いやでも……えっ? ちょっと待ってよ。何で、ここであんたが出てくるわけ?」

 心底訳が分からず、アニータは呻いた。

「あんたは悪役宰相ってことで、確かきれいに話がまとまったはずじゃ……」

「おお。まとまったぜ、あの時はな! だが、こうなりゃ話は別だ!」

 マックスのいつになく激しい口調に、ダグラス教室の面々も驚いたような顔をしている。

 普段、チンピラのように凄むことはあっても、声を荒らげることは珍しい彼だ。

「え〜っと……いいんちょー?」

 そこはかとなく引き気味の声音で、金髪をベリーショートにしたダグラス教室の女性――ジャイル――が呼びかけるが、マックスは手を振ってそれを退けた。

「いいか! こっちから言い出したんじゃねえ……総長命令でやる芝居ではあるが!
 やるからには、成功させなきゃ意味がねぇ!
 で、芝居が成功するためには、主役がきっちりいい芝居をしなきゃならねぇ……」

 そこまで言って、びし! とディアを指差す。

「そこで、だ、てめぇら! 考えろ!
 ――こいつに、まともな演技なんぞ、できるワケがねぇだろっ!?」

「うっ――!」

 無口・無表情(というか、仮面のせいで表情は一切分からない)・無感動。

 三拍子揃ったディアは、確かに、『演技』という言葉の持つイメージの対極に存在するような男だった。

 さすがに誰も反論できず、再び、場が静まり返る。

 ――と。

「できる」

 その言葉は、まったく唐突に、ぼそり、と耳に届いた。

 それが一体誰の発言だったのかを一同が理解するのに、約三秒を要した。

「………………え?」

 そしてきっかり三秒後、申し合わせたように声すら揃えて、同時に振り向くアニータたち。

 その視線の先には――

 ディアが立っていた。

『………………』

 思わず黙って注視した一同に、彼は、ぼそぼそと低い声で続けてきた。

「……俺にも、演技くらいは……できる。
 ……要するに《眠り屋》の真似事だろう?
 ……修練を積めば、可能だ」

「…………」

「…………」

「………………」

 彼の言葉が終わってからも、やはり、しばし一同は、無言のままで硬直していたが――

 ややあって。

「……すっ……」

 胸の前で両手を組み、ぶわっ! と涙を溢れさせて、アニータは叫んだ。

「すっごぉぉぉぉいっ! ディアが、ディアが二文以上喋ってるうぅぅっ!?」

「おおおっ! 奇跡ですな!」

「これはいけるかも知れませんよっ!?」

「素晴らしいですわ〜!」

 感極まり、手に手をとって踊りだすバノット教室一同。

「………………」

 少々、意図とは違う盛り上がりを見せる級友たちに、どこか釈然としない様子ながらも、ディアは、敢えて反論しなかった。

「く……っ。けどよ! 髪の色も違うし……」

「お前もだろ」

 ルークの的確極まるツッコミに、うっと言葉に詰まるマックス。

「そ、……それに、その怪しい仮面はどーすんだ!?」

「仮面については――」

 と、ここで、監督が重々しく登場した。

「大丈夫だ。問題ない」

「……問題ない……って、監督。ほんと?」

「くくく。まさかとは思うけど……外せばいい……とか、言わないわよね……?」

「言わない」

 ぐっ、と真顔で親指を立て、ベルチェ。

「幻術の一種に《虹色蜥蜴》というのがあって、僕は、この術を使える。
 これを顔にかければ、全く別人の顔で、しかも、自分の本来の顔と変わりなく表情を作ることができるんだ」

「すっごーい……なんか、今回の舞台のために編み出されたよーな術ね……」

「変装して標的に近づくタイプの暗殺者が好んで使う術だよ」

「…………」

 こともなげに言い切ったベルチェは、沈黙しているアニータにはもはや構わず、ディアに向かって告げた。

「実を言うと、僕は、バノット先生よりもむしろ君のほうが、ベルセルクに向いているんじゃないかと思っていたんだ……」

「…………」

 一同は、監督の言葉を妨げないよう、黙って顔を見合わせるだけで驚きを表現した。

 当のディアは相槌さえも打たないが、ベルチェは一人で力強く頷き、続ける。

「先生は、確かに姿の面ではベルセルクに生き写しと言ってもいい。
 でも、まとう雰囲気が異質なんだ。
 ――魔剣と契約したベルセルクは、感情を失った。
 常にフラットな君こそ、まさしく、彼の役にふさわしい」

(……あれ?)

 確信に満ちたベルチェの言葉を聞きながら、アニータは、ふと軽い疑問符が意識に触れるのを感じていた。

 ディア。

 《格子の館》の子供。バノット教室の暗殺者――

 彼が常にフラットである、という意見については、確かにその通りであるように思えた。

 だが。

(……感情……って、つまり、楽しいとか怖いとか憎らしいとか、そーゆーことだよね)

 彼にそんなものがあるとも思えなかったが――

 しかし、『ない』と言い切ることも、難しそうではあった。

(だって……ちょっとでも面白そうかなー、とか思ったんでもなきゃ、自分から役に志願したりしないだろうし……)

 主役の何たるかについて延々と力説し続ける監督を前に、聞いているんだかいないんだか分からない様子でたたずむディアの姿を眺め――

(……実は、彼も意外と楽しんでるんだったりして……。表に出さないっていうか、他の人より、それが目立たないだけで)

 だとすれば。

 決して、常にフラットであるというわけでもないのだろう……

「――なので、この舞台の成否は君の双肩にかかっているのだっ! そこんとこを理解したかぁっ!?」

「概ね」

「むうう! よろしいっ!
 と・いうわけでっ! マックス! 君には当初の決定通り、ラーガス・ベインを演じてもらうっ! 異議はないなぁっ!?」

「ちっ! 分かったよっ。
 ――おいコラ! こそこそ仮面野郎!
 てめぇ、ヘタレな芝居しやがったら、この俺が即座に殺すからなっ! 肝に銘じやがれ!」

「ふ……ふはははっ! いいぞ、いいぞ! その意気や良ぉぉぉしッ!!」

 火花を散らして睨み合うディアとマックス。

 両者のあいだで身体をのけぞらせ、憑かれたように高笑いをするベルチェ――

「せ……先生……」

 すすすー、と後退ってバノットたちに並び、アニータは、やや蒼ざめた顔で呟いた。

「ホントに大丈夫なんでしょうか、コレ……?」

「コレというのが、何かにもよるが……」

 と答えてきたのは、バノットではなく、やはり少しばかり顔色を悪くしたダグラスだった。

「ベルチェのことを言ってるなら、どう考えてもヤバいと思うが……
 芝居のことを言ってるなら……
 いい意味で、ものすごい代物が完成すると思うぞ。俺は」

 その傍らでバノットが、実に重々しく頷いた。

「――俺もそう思う」




  3  練習



 かくして、バノット・ダグラス両教室による《黒翼の騎士の物語》上演プロジェクトは、その幕を開けたわけだが――

「ぬうぉぉぉぉぉ〜っ! ダメだダメだダメだぁぁぁぁぁっ!
 顔を洗って、出直して来おおおおいッ!!」

「ひ〜!!」

「大変だ、監督が暴れ出したぞぉぉぉっ!」

 雨あられと飛んでくるペンやらメガホンやらコーヒーカップに、練習場は、早くも阿鼻叫喚の渦と化していた。

 誰もが驚愕したことに、何と、役柄が決定したその翌日には、ベルチェは、指二本分ほどの厚さがある脚本を書き上げてきた。

 劇にして、およそ二時間近くにも及ぶ大作である。

 随所には、照明係や道具方への細かい指示が挿まれ、魔術による視覚効果についても詳細な書き込みがなされていた。

 音響には、わざわざ帝都の実家から動人形の演奏団を取り寄せるという入れ込みようで、既に依頼の手紙も送ったらしい。

 無論、徹夜の産物である。

 その朝のベルチェを称して、ルークが「目の光る死体……」などとのたまったりもしたが、監督の鬼気――もとい本気に全員が打たれたエピソードではあった。

 後に《ダブルフィンガー・スクリプト》として伝説にもなるこの脚本は、一同によって(やはり徹夜で)書き写され、それをもとにして、役の練習が始まったのだが――

「っでぇええええーいっ!」

 すこんっ!

「ふ……っ! なかなか痛いですなっ!」

 頭に羽根ペンの一撃(刺さった)を食らいながらも、やはりむやみにキザな仕草で、フィルが髪をかきあげる。

 それで一応ペンは抜けたようだったが、顔面にだらだらと血が垂れていた。

「っていうか、ペンを刺されてなお笑う、彼の神経が理解し難いわね……」

「美学というやつなんでしょうか?」

「なんか違うと思うけど……」

 少し離れたところで呟きあう、アニータとアラン。

 その視線の先で、

「ええいっ! ダメだダメだぁっ! まったくもって、なってないっ! もっとこう……
 ラフに! タフに! ワイルドにっ!!」

「む、むう……そんな事を言われましても」

「はっはっ。困りましたな」

 監督に怒鳴り倒され、まったくもって困り果てたように頭をかいているのは、フィルと、そしてライリーである。

 ――この二人がホークとイーグルを演じることになったのは、ある意味、完全無欠のミスキャストと言えた。

 何しろバトラー兄弟といえば、双子そろって各地の戦場を荒らし回り、幾多の修羅場をくぐり抜けた凄腕の傭兵どもである。

 となれば当然、ベルチェの言葉の通り『ラフに、タフに、ワイルドに』演技をすることが求められるわけだが……

 フィルは、貴族の御曹司。

 ライリーに至っては、王子さまなのだ。

「ふっ。これはなかなか……思った以上に難しいですなぁ」

「はっはっ。仰る通り」

「どわああああっ! その口調からダメだぁぁぁぁっ!」

「…………」

「………………」

 二人は心底困惑した様子で、荒れ狂う監督を見つめ――

「……け……けっ。こりゃあ、なかなか、むずかしいじゃ、ねいか」

「そうだねにいさん」

 ――大根である。

 怒り狂ったベルチェが、この二人に猛特訓を課したことは言うまでもない。

「次! ……アランっ!」

「あっ。はいはい」

「……順番なのね……」

 やがて来る自分の番を想像し、恐れおののくアニータの傍らから、アランは至ってのんびりと、てくてく監督のほうへ歩み寄っていった。

 そして――

「へえ? ……ほおーっ?」

 腕組みをし、厳しい顔つきでたたずむ監督の前で、アランが伝説的な《踊る葉の導き手》を演じる様を眺めながら、アニータは、意外な思いに声を漏らしていた。

 ――上手いのだ。

 巧みな演技、というわけではないのだが、セリフ回しや振りがとても自然で、アニータの目から見ても、そらぞらしさが一切感じられない。

「む……むうん。これはなかなか……」

 それが証拠に、鬼の監督・ベルチェが、感心したように何度も頷いている。

「うむ。なかなか、いい感じだ。ティス=ダンシングリーブズの雰囲気をよく出せている……。
 それにしても、正直、びっくりしたなぁ。アランって、こういうの、苦手だと思ってたけど……」

「あ! 『監督』が素に戻ってる!?」

 思わずアニータは叫んだが、ベルチェは聞いていないようだった。

 またも、うむうむと頷き、

「このまま行けば、なかなかいい仕上がりが期待できそうだ。相当、練習したと見たが?」

 ――元に戻ってしまった。

「はあ」

 アランは、照れたように笑った。

「まあ、確かに私は、演技っていうのは苦手ですけど……真似するくらいなら、何とか。ええ」

「…………ん?」

 意味が分からず、周囲が沈黙していると――

 解説、というわけでもないのだろうが、アランは、やはりにこやかに続けてきた。

「ティス族長には、フォレスの森にいた頃、大変お世話になりまして。いやあ、懐かしいですねえ〜」

 ――俗に、エルフの一生は人間の五倍の長さと言われる。

 帝国の建国が、およそ二百年前。

 とすれば、エルフたちにとっては、人間の感覚に換算して四十年ほど前の出来事ということになる。

 建国帝を支えた優しき癒し手、ティス=ダンシングリーブズ――

 人間から見れば既に伝説の領域の存在である彼に『大変お世話になった』という事実は、アランにとっては、至って普通のことなのだった。

「…………」

 恐るべし、エルフの長寿。

 ――それはさておき、さらに練習は続く。

「次っ! ミーシャっ!」

「きゃああああぁぁぁぁ〜っ! 誰か助けてぇ〜! 私、まだ死にたくないですのぉ〜っ!」

「しっかりしろよ、ミーシャ!」

 鋭く指名され、恐怖のあまり泣き喚くミーシャを、金槌をふるって大道具(岩)をこしらえていたルークが励ます。

 よそ見をしたために、ちょっとばかり釘より指のほうを余分に打ったようだったが、大して気にも留めず、

「ミーシャの記憶力なら大丈夫だっ! もう、セリフ完璧だろ!? それなら監督も怒らねえって!」

「うううううう。違うのです駄目なのです〜」

 だーと涙を流しながら、ミーシャ。

「確かに、セリフは、もう全部覚えましたけど〜……!」

「いや……それだけで充分すげーだろ」

「でも、駄目なのですぅ〜。キーリィさんは、独特の訛りのある話し方をされるみたいなのですけど……
 私、そのイントネーションが、全然分からないのです〜っ!」

「そ、そうか……」

 ベルチェが、しまったというように顎に手を当てた。

 キーリィ・レル・ペレンが話した言葉は、彼女が属する小妖精の部族の伝統的な言語と、大陸共通語が混ざった珍妙な代物だったと伝えられる。

 ベルチェは、今回の脚本にキーリィのセリフを書き込むにあたり、実家の《月夜の夢》座で《黒翼の騎士の物語》を上演する際に伝統的に採用されてきた《ビスキー・スクリプト》を参考にした(150年前の脚本家、シルベストラ・ビスキーの手になるこの脚本は、極めて綿密な時代考証に基づいたもので、ベルチェとしては今回も彼女のものをそのまま使いたかったのだが、やはり、上演時間が足掛け3日に及ぶのはまずかろうということで、泣く泣く断念した)。

 ……それはともかく。

《ビスキー・スクリプト》を穴が開くほど読み込んでいたベルチェは、字面についてはキーリィのセリフを完璧に再現できたのだが、実際にどう発音すればいいのか、と聞かれると――

「むう……っ。うちでは、キーリィ本人と同じ部族の出身者が役者をやってたから問題なかったんだが……
 舞台は何度も見たけど……その発音を正確に再現しろと言われると、自信がない……っ!
 し、しまった……一体、どうすれば……!?」

「わあああっ! ちょっとベルチェっ! 監督ーっ! こんなとこで死んじゃダメだよーっ!?」

 突っ立ってぶつぶつと呻きながら、かたかたかた……と震え出したベルチェの肩を、アニータは慌てて支えた。

「えーとえーと、ほら! 何か方法があるはずだしっ! 落ち着いて!」

「そうです〜っ! 私、これから図書館にこもって、片っ端から文献にあたってみますわ!
 どこかに、キーリィさんの発話の音韻的特徴について言及した資料があるかもしれませんし〜!」

 ――普通、そんなマニアックな資料はないだろう。

「うう……っ。そうか……」

「そうそう! ほらっ、元気出して、監督! ここで監督が引っくり返っちゃ、皆をまとめる人がいなくなっちゃうしっ!
 そしたら、舞台公演もおぼつかないよっ!?」

「――むうっ!? それはいかぁーんっ!」

「わあぁぁっ!? 復活したっ!」

「アニータ……」

 光を取り戻した――というか、いささか光り過ぎの感のある眼差しで、がっしとアニータの肩をつかみ、ベルチェ。

「僕は実に嬉しいっ! 君が、そこまでこの舞台の成功に情熱を燃やしてくれるとは……っ!」

「う? ええーと……
 も、もちろんじゃないっ! 舞台は常に、一世一代の大勝負っ! 失敗は絶対に許されないわっ!
 何としてでも、素晴らしいものにしなくっちゃっ!」

 目を白黒させながらも、とにかくベルチェの情熱の炎を煽るように(何しろ、この炎が消えたが最後、そのまま逝ってしまいそうだったので)、叫ぶアニータ。

「ぬうううううう! その心意気や、良おぉぉぉぉしっ!」

 再び最前の力強さを取り戻し、どーん! と仁王立ちになって、ベルチェは叫んだ。

「というわけで次は、アニータ、君だっ! 期待してるぞっ!」

「…………!!」

 そう来たか。



         *        *        *



 彼は、彼女の命を救った。

 彼は、自らの命を恐るべき危険に晒してまで、彼女の命を救った。

 だが、それは――

「……どうして?」

 赤い髪の少女は呟いた。吐息と大差ない、弱々しい声。

 いつもは好奇心に溢れてきらきらと見開かれている緑の目も、今は、力なく伏せられている。

「どうして? ねえ。どうして? どうして私を助けたの?」

 疑問符を繰り返すごとに、声は強くなっていった。しかし力強さとは違う。声量だけは増していたが、その声は震えていた。

 男は答えた。

「――分からない」

「じゃあどうして……っ! そんな、分かんないようなことのために、もうちょっとで死にそうな大ケガまでして……!?」

 理不尽と知りながらも、歯止めを失ったように、少女の口調は激しさを増してゆく。

「どうしてそこまでして、あたしを助けたのよっ!?
 あたしなんか、……あたしなんか!
 見捨てても、良かったのに――」

 激昂し、今はうつむいて肩を震わせる少女を見下ろし、男はしばし、黙然とたたずんでいた。

 彼は感情を失っていた。だから、少女の激昂の理由が彼には分からない。

 そして、自分が、なぜあの時、少女を助けるために命を賭けたのかも――

「……見捨てることもできた」

 冷淡な言葉に、少女の身体が、かすかに揺れる。

 彼は今、どんな顔をしているのだろう? 怒っているだろうか。彼に、もし怒るということがあるのなら。

 怖い。

 けれど……

「だが、そうしようとは思わなかった」

 逡巡の果てに顔を上げた少女を、男は、静かに見下ろしている。先程とまったく変わらない表情で。

「……どう、して?」

「分からない」

 男を見上げる少女の顔に、複雑な表情が広がる。

 少女というものでなければ持ち得ない、繊細な表情。今にも男にすがり付いていきそうに頼りなげで、今にも男に背を向けそうに頑なな……

 そんな顔で、少女は言った。

「ベルチェの馬鹿。
 ――って、ずぇっ!? だっ!? どわぁぁぁぁっ!
 しまったッ! 間違えたぁぁぁぁっ!!」

 いきなり『ぐわっ!』と頭を抱え、『どたんっ!』と床にぶっ倒れて、『ごろごろごろっ!』と悶絶するアニータ。

「ああああっ! 惜し〜い!」

「くくく……残念……せっかく上手くいっていたのに……」

「でも、今の言い間違いは分かる!」

 そして、それを遠巻きにしてあれこれ言い合う観客(ヒマな役者とスタッフ)たちである。

 ――と、しばし転がっていたアニータは、突然起き上がりコボシのごとくびしっと正座すると、いささか呆気にとられた様子で横手に突っ立っていたベルチェに向かい、深々と頭を下げた。

「ううう。ごめんなさい監督。今のよーな失礼な間違いは二度といたしません。
 てゆーか、断じて監督をおちょくったワケじゃなくって、純粋に言い間違えただけなんで、そこんとこは分かってください。
 だって『ベルチェ』と『ベルちゃん』ってなんか似てる上に、『ベルチェ』のほうが呼び慣れてるんだもん……」

 ――そう、後に《赤毛の戦妃》と呼ばれる少女ルティアは、ベルセルクのことを『ベルちゃん』と呼ぶことになっているのだった。

 最初に脚本を読んだ時には、まさかと思った一同だが、どうやら、史実においても本当にそうだったらしい……。

 と、それはともかく。

 アニータの決死の詫びに対して、

「む……いや、まあ、そのへんは別にいいんだが」

 大方の予想に反し、ベルチェは、至って大らかな調子で答えてきた。

「……いやしかし、これはなかなか。うーむ。なかなかいい感じだ」

「――ホント!?」

「ああ」

 こっくりと頷く監督。

「アニータの演技力は、正直言って、僕の予想を超えていた。
 素晴らしい。あの場面でのルティアの心情が、等身大で、見事に表現されていたよ……」

「や……やった!」

 拳を振り上げ、凱歌をあげるアニータ。

 とてもじゃないが最前まで、切ない恋心を抱く乙女を演じていたとは思えない。

「――そして、等身大といえば、ディア!」

 監督は、続いて、いまだその場に黙然と立っているディアのほうを向いた。

 今までアニータの相手をつとめていたのは、彼である。

 この劇は、ベルセルクとルティアの会話の場面が極端に多いため、どうせなら稽古も始めから一緒にやったほうがよかろうということになったのだった。

 ――そのディアの演技、もはや『演技』というよりは、定められた台詞を『言っただけ』といった風情だったのだが、ベルチェは腕を組み、うんうんと頷いて、

「やはり、僕の目に狂いはなかった……!
 ことさらに装った冷ややかさもなく、かといって色恋沙汰に特有の人間臭い温かみもない、まさしく見事なフラットさ!
 やはり、ベルセルクを演じられる者は、君しかいなーいっ!!」

「おお〜っ! やったなっディア!」

「素晴らしいですな……っ、もとい! ええと。すげえじゃ、ねいか」

「そうだねにいさん」

 ぐおおおおおと炎を背負って叫ぶ監督、ぱちぱちと周囲から拍手を送る一同。

 やや離れたところでは、マックスが、

「ちっ」

 と悔しげに木材を蹴飛ばしていたりする。

 ――しかし。

「……? ちょっと……ねえ? ディア?」

 当のディアは、やはりじっとたたずんだまま、何ら反応を見せなかった。

「はっ! まさか、あたしがNG出したから怒ってる!?
 ごめん! 許して! ホントに反省してるから……
 って……おい?」

 やはり、反応はない。

 さすがに心配になり、アニータは相手の顔を間近からのぞき込んだ。

「――ディア?」

 その瞬間。

「!」

 ばっ! と何の前触れもなく、ディアはバネ仕掛けの人形のように三メートルも後ろへ跳び退った。

「わああぁぁぁっ!?」

 その勢いに驚いてアニータが仰け反り、後ろ向きに引っくり返る。

 ――しかも、たまたまそこに転がっていたコーヒーカップ(ベルチェが投げたやつ)で『ごちっ』と頭を打った。

「あ痛! いたたたたっ! 痛い!
 ……って、ちょっと、ディアっ! 危ない! びっくりするじゃないのっ!?」

 後頭部を押さえつつ叫んだアニータに、ディアが、静かに声をかける。

「……どうした。アニータ」

「ど、どうした、って……どうしたもこうしたもっ!
 ディアがいきなり跳ぶから、びっくりしてコケたんじゃない!」

 ごそごそと起き上がりながら、疑わしげに、アニータ。

「――って、ひょっとして、意識が飛んでたわけ? 今。呼んでも、全然反応なかったけど……」

「…………意識…………」

「…………」

「…………」

「………………」

 しばし、その場に沈黙が落ちる。

 その間、彼は何やら考え込むような仕草を見せていたが、やがて、厳かに呟いてきた。

「……いや。俺は正常だ」

「……そ、そう? それならいいけど。
 あたしはまた、慣れない演技なんてしたもんだから、ディアがちょっとイッちゃったんじゃないかと……」

「俺はどこへも行かん」

「いや、本体はともかく、頭の中身のほうが……」

「……ただ、君の目が……」

「いや、だから目じゃなくて頭の――
 ……え?」

 きょとん、と大きな目をしばたたいて、アニータは聞き返した。

「あたし? あたしの目が、どうかした?」

「……いや」

 仮面越しにもその視線を避けるように、彼は顔を背けた。

 いつもの彼よりも、ほんのわずかに速い動作で。

「何でもない」

「そ……そぉ……?」

「――ぃよぉおおおおおおっし! 二人ともっ!」

 2人のあいだに流れかけた、妙にぎくしゃくとした雰囲気を、ベルチェ監督の大声がぶっ飛ばした。

「これならいける! 今の調子で、ばりばり修練を積んでくれッ!」

「は、はいっ! 監督!」

「むう! ――特に、ディア! 君には超・巨大な課題が待っているぞっ!
 最終場面にして、この物語最大の山場! ベルセルクがついに魔剣を従え、感情を取り戻すクライマックス・シーンだ!
 ここでは、今まで有利に働いた君のフラットさが、逆に足枷となるだろうっ!
 しかし! 僕は、君なら必ずやれると確信しているッ!! この信頼に、是非とも応えてくれたまえッ!!!」

「分かった」

 短く返答するディア。

 ベルチェは、それに対して鼻息も荒く頷き、

「……よしっ! 次は、そっちに行くぞっ! 準備はできてるかぁぁっ!?」

 ばっ! とマントを広げる吸血鬼のような仕草でダグラス教室の面々のほうに向き直ったと思うと、そのままの姿勢でずんずんと前進してゆく――
 セリフ回しを練習していた者たちが思わず身を固くし、こっそりなまけていた連中が大慌てで跳び起きた。

「……なんかちょっとベルチェが先生みたい……」

 いささか呆れて呟くアニータ。

 そんなものは毛ほども耳に入らない様子で、ベルチェが勢いよく叫んでいる。

「いよぅし! まず一番! ――マックス・ブレンデンっ!」

「けっ! 分かったぜっ。聞け、ラーガス・ベインのセリフを!
 ――ふっ……ふははははっ! 愚か者めが! レティカ王国は、もはや我が手中にある!
 哀れな流浪の身に落ちぶれた貴様なぞに、この私を倒すことはできぬわぁっ!」

「…………。ヤル気満々だな。あいつら」
 熱のこもった演技を繰り広げる生徒たちの様子を眺めながら、面白そうに呟いたのは、ルークと同じく金槌を手にし、でっかい脚立のてっぺんに座ったダグラスだった。

「講義のときも、これだけ熱心なら助かるんだがなぁ……
 って、俺に言えた義理じゃないが」

「これは、ベルチェの力だな」

 答えたのは、同じ脚立の、ダグラスよりやや下の段に陣取ったバノットである。

 彼も、やはり金槌を手にし、先程から延々と、とんてんかんてん釘を打ち続けていた。

 ――役がない教官2人組は、言葉通り裏方として、現在は大道具(城壁)を製作中なのである。

「正直、奴にこんな情熱があるとは、まったく知らなかった。意外な一面だ。
 少々、意外過ぎるような気もする」

「同感」

 しばし、とんてんかんてんという音だけが響く。

「……しかし、あれだな」

 その沈黙を破ったのは、再びダグラスだった。

 手元の小箱を探り、釘がなくなっていることにチッと舌打ちを漏らして、

「おいバノット、釘取ってくれ。下の箱だ。――おお、すまん。
 ……で、あれだ」

「俺はお前の女房じゃないぞ。あれじゃ分からん」

「お前みたいな女房は願い下げだ。……だから、あれだよ。
 あいつに、本当に主役がつとまると思うか?」

 それでようやくバノットにも、相手が何を言いたいのか理解できた。

「ディアか。……あいつはやるだろう」

「しかし、『監督』のセリフじゃないが、問題はクライマックス・シーンだろ。
 あそこでコケたら、芝居がパーになるぞ。
 あいつはあの通り、極めつけのフラットだし……大丈夫なのか?」

 上から降ってくる言葉は、ちょうどそこで途切れた。

 げんっ! という音と、呻き声。

 どうやら、指を打ったらしい。

 バノットは、あまり動かない顔に、わずかに笑みを浮かべた。

 ――その視線の先には、脚本の写しを片手に、熱心にセリフ回しを考えている赤毛の少女と、その向かいに立ち、無愛想に意見を述べている仮面の若者の姿があった。

「……あいつは、フラットなんかじゃない」




  4  困難




 本格的な練習が始まって、既に20日近くが経とうとしていた。

 その間、バノット教室、ダグラス教室の面々がどれほど厳しい稽古を重ねてきたかは、全員が握り締めている、立ち位置や演技上の留意点のメモでびっしりと埋まり、まるで古代の書物のごとくぼろぼろになって崩壊寸前の体をさらしている脚本の姿を見れば明らかであった。

 教官2人が、評議長命令を最優先させ――つまり、慰問係に抜擢されたことにかこつけて講義をサボっているので、両教室は、ほとんど毎日、一日中演劇漬けの日々である。

 ――しかし、その効果には、目覚ましいものがあった。

「けっ!」

 練習場に、いまいましげな喚き声が響き渡る。

「冗談じゃねえぜ、ベルセルクの野郎!
 ちっとばかし腕が立つからって、スカしやがって。気に食わねぇ!」

「まあまあ、兄さん……カッカしたって始まらないよ。
 子供じゃないんだから、そんなぎゃあぎゃあ喚かなくても」

「何ぃ! イーグル、てめえ! 弟のクセに兄貴に文句つけんのかコラ!」

「でも双子だからね。年は一緒なんだよ」

「……ぬぐぅ」

 澄まし顔のイーグル、そして、弟にやり込められて悔しげに唸るホーク……

 そこへ、既に定番と化しつつある、監督の大声が響き渡った。

「――いよおぉぉぉしっ! よしよしよしっ! いい感じになってきたぞっ!?
 成長したなっ! 二人ともっ!」

「おおっ!」

 誉められた瞬間、ころっといつものにこやかな表情に戻り、口々に言い合うフィルとライリー。

「素晴らしい! 練習の甲斐がありましたな」

「はっはっ。いやまったく」

「――もう1回ッ!!」

「はっ!?
 ……お……おっしゃああ! 練習の甲斐があったってもんよ!」

「ほんとだね、兄さん!」

 慌ててホーク&イーグルの演技に戻った二人を、ベルチェはしばし、じーっとにらんでいたが、

「むう。まあ、よかろう! 行ってよしッ! ――気を抜くなよ、2人とも!」

「は……オス!」

「了解! 監督」

「……大変だね〜……二人とも……」

 側に立って一部始終を眺めていたアニータは、思わず一筋の汗を垂らしながら呟いた。

 と、その声を聞きつけたらしく、フィルとライリーが――今度はミーシャの演技指導にかかっている監督のほうに、視線だけはしっかりと向けながら――つつつ、と後ろ歩きで近づいてくる。

 ぴた、とアニータの傍らに並んだ時点で、2人は同時にふーっと息を吐き出し、揃ってレースのハンカチを取り出して、額ににじんだ汗をぬぐった。

「ふっ。――おお、何やら、こうして笑うことに、えもいわれぬ解放感を感じますな……」

「はっはっ、本当に。
 まったくの別人を演じるということが、ここまで骨の折れる仕事だとは思いませんでしたよ!」

 ひそひそ声ながら、ようやくいつも通りに喋ることができて幸せそうな二人に、思わず半ば苦笑しながら、アニータは言った。
「お疲れっ! ――いやー、それにしても、二人の演技、ここ四、五日で、めきめき良くなってきたよね!
 最初のうちは棒読み……っていうかそれ以下のナニかって感じだったのに、今はもう、喋るとこだけ聞いてたら、まさしく歴戦の傭兵兄弟だもん。
 なんか、秘訣でもつかんだの?」

「ふっ。お褒めいただき、光栄ですな」

 フィルが朗らかに笑い、ライリーが、その脇から得意げに頷いてくる。

「確かに、ここ数日、我々は人知れず相当の修行を積んでまいりました……!
 合同練習を終えてから、休息もとらずに街へ出て、夜ごと、血の滲むような特訓を重ねては、夜明け前に学院へと戻り、睡眠もそこそこに早朝練習に参加……」

「って、毎晩徹夜ッ!? でも、その割に元気だよね……。
 それに、『街に出て』って……何も、わざわざ外出して練習することないんじゃ……?」

 素朴な疑問を口にしたアニータに、ライリーは、ちっちっちっ、と優雅に人差し指を振ってきた。

「はっはっ。甘いですな、アニータ……」

「その通り!」

 と、横から、フィルも謎のポーズをつけて言ってくる。

「バトラー兄弟の演技に不可欠な要素は『ラフさ、タフさ、ワイルドさ』――
 しかし、我々は悟ったのです! 
 我々だけで練習をしている限り、これらを習得し得る見込みは、ゼロに等しいということを!」

 ――確かに、フィルとライリーが持ち合わせる性質の、どこをどう掛け合わせたところで、ラフさもタフさもワイルドさも出ては来そうにない。

「そ、それは同感だけど……。
 てことは、ひょっとして、外部の人の手を借りたわけ?」

「御明察ですな」

 ふっと前髪を払いつつ、フィルは、得意げに言ってきた。

「そう! ここ5日の間、我々は毎夜、外出のたびにログレス市の最外周部に直行し――
 トレーダーの護衛たちで賑わうガラの悪い酒場に通い詰めては、彼らの話しぶりを実地学習することにつとめてきたわけですっ!」

「……そ、そこまでして……!?

 てゆーか、ガラの悪い酒場って……ケンカ売られたりとかしなかったの?」

「おお」

 アニータの問いに、にこやかに掌を合わせて、ライリー。

「そういえば、そのようなこともありましたな。初日のことですが。
 何やら、ガラの悪い中でも最下級ガラ悪集団といった風情の方々が、非常に低俗なスラングを用いて、我々に退出をうながしてこられたのです。
 しかも、どういった理由でか、金品まで要求され……」

「それって多分『ボコボコにされたくなけりゃ有り金置いてとっとと失せろコラ』とか言われたってことだよね……多分……」

「おおっ! 素晴らしいですなアニータ!
 もしも我々があなたのように、低劣かつ俗悪なジャンルの言語を自在に操る能力を持ち合わせておりましたならば、稽古もどんなにか楽だったでしょうに……」

「――まあ100歩譲って褒められたんだと思っとくけど、それで、結局どうなったの?」

「ふっ。どうなったも何も」

 答えてきたのは、フィルだった。

「我々が誠意を尽くして彼らへの説得を試みました結果……
 店舗の4分の1が原形を留めず爆砕した程度の微少な被害を除けばほとんど何の問題もなく、速やかに平和的解決に至りましたとも」

「……言い切るか……」

 アニータは頭を抱えてそう呻いたのだが、当のフィルは、当然のように笑顔で頷いてきただけである。

「ふっ。その後は、皆さん、非常に友好的になってくださいまして。
 それから毎晩、我々の特訓に付き合ってくださっているのです」

 ――おそらく、逃げたら本気で命が危ないと思っているのだろう。

 毎夜、冷や汗を流して震えつつ、フィルやライリーと向き合って座り『ガラの悪い言葉遣い』の特訓に朝まで付き合わされているごろつきたちの姿を漠然と思い浮かべて、アニータは思わず呟いた。

「そ、そぉ……それは気の毒に……」

「いえいえ!」

 2人は、得意げに答えてきた。

「この程度の努力は、当然のことですとも」

「はっはっ、その通りです。彼女の頑張りように比べれば、我々の努力など、無に等しいですな」

「いや、あたしが言いたかったのは、そーゆーコトじゃ……」

 と、半眼でそこまで言ったところで、ふと、フィルとライリーの視線に気付く。

 彼らは、もはやアニータを見ていなかった。

 肩越しに伸びる彼らの視線を追うようにして振り向けば、そこにいたのは――

「……アンタらぁ、このウチを見くびってもろたら困るでぇ。
 ウチは、ここまで関わったモンを、はいさいなら〜、ゆうて放り出せるほど、半端な性格しとらんさかいなぁ!」

 ミーシャである。

 しかし今や、彼女の口調は完全に、ベルセルクと旅路を共にした小妖精の殺し屋、キーリィのものになっていた。

 あれだけ心配していたイントネーションも、既に完璧である。

 ――まあ、幾分か間延びした印象は拭い切れないが、それが逆に、妙な迫力を醸し出していた。

「ええか。ここまで来たら、もう、一蓮托生や。
 そっちがどうでも、ウチはアンタらにとことん付き合うことに決めたさかい、今さら止めても聞かんでぇ〜!」

 言って、ミーシャは、目の前に立った監督――今はベルセルクのつもりだ――に、びし、と指を突きつける。

 いつもの彼女らしからぬその仕草も、妙に堂に入っていた。

 目付きも、いつになく斜め向きだ。すっかり役に成り切っている。

「ほんとにすごいよね、ミーシャってば!」

 今や完全にそちらに向き直り、フィルやライリーと並んでその様を見つめていたアニータは、心の底から感嘆の声をあげた。

「たった1回、本に目を通しただけで、イントネーションを完璧にマスターしちゃうんだもん。まさに、奇跡の頭脳だよね!」

『本』――

 それは今、監督を前にしてなおも演技を続けるミーシャの側の床に、脚本と重ねてきちんと置かれている1冊の資料のことだ。

 青く染められた革に、金の箔押し。やたらに古めかしい代物である。

 そして、その背表紙に記された題名は、『小妖精による大陸共通語の発話 〜その形態・音韻的特徴〜』――

「ふっ。まさか、あんなマニアックな資料が本当に存在したとは……」

 20日前。

 片っ端から文献にあたってみる、と宣言した30分後から、ミーシャの戦いは始まった。

 まずは図書館に直行し、目録を検索。少しでも見込みのありそうな資料をことごとくピックアップし、次々と現物に当たって内容をチェック――

 その努力のことごとくが徒労に終わっても、彼女はあきらめなかった。

 書庫のひとつに、いまだ整理されない膨大な文献が眠っていることを知った彼女は、スカーフ(マスクの代用品)と眼鏡とハタキで完全武装し、もうもうと埃の舞い散る中へと、果敢に突撃していったのである。

 当初は『本を開けばおやすみ3秒』のエルナも、友人と困難を共にすべく書庫に乗り込んだのだが、いかんせん、肉体的には虚弱な彼女だ。

 かくして、『白き死神、埃にやられて書庫で行き倒れる』のニュースで学院がちょっとした騒ぎになっている間にも、ミーシャは単身、粘り強い探索を続け――

「……あ……あった……!

 やりました! ついに、見つけましたぁ〜っ!」

 とうとう捜し求めていた資料を発見し、感極まって万歳をした瞬間、振り上げた腕が背後の棚にぶつかってしまい――

『試験の神様、崩れ落ちた本に埋まって気絶』の報とともに、彼女が書庫から救出されたのが、今から五日ほど前のことになる。

 あちこちの軽い打撲だけですんだのは、不幸中の幸いであった。

「はっはっ。なぜ演劇をやるだけなのに、これほどまでに命懸けなのでしょうか……」

「ふっ。芸術は常に命懸けなのですよ」

「エルナなんか、いまだに調子悪くて医務室に入院中だし……

 まあ、ベルチェが毎日打ち合わせに行ってるし、本人も、本番までには治るって言ってるから、大丈夫だろうけど」

 医務室のマリアン教官によると「間に合うかどうかは微妙だ」ということだったが、たとえまだ完治していなかったとしても、無理やり出てきそうな勢いである。

 昨日、アニータが見舞いに行ったときも、エルナは脚本と首っ引きで、看護係に「寝なさい」と怒られていた。

「――おお。ところで、アニータ?」

「え?」

 振り向くと、ライリーが、不思議そうにこちらを指差してきている。

「あなたは、こんなところでぼんやりしていていいのですか? 練習は、――ディアはどうしました?」

 その言葉に、アニータはたちまち表情を曇らせた。

「……それなんだよね。実は。
 さっきまでは2人で練習してたんだけど、どうも、うまくいかなくって……
『一人で修練したい』って言って、ディア、出て行っちゃったの」

「どのシーンですかな?」

 ――『どんな』ではなく『どの』という辺りが、いかに脚本を読み込んできたかの証明である。

「どのって、あれだよ。あの……」

 疲れた声でアニータが言おうとした、その時。

「――よし次ッ! アニータ! ディ……
 むうっ!? ディアはどこだっ!?」

 疲れた中にも満足げな様子で、にこにことタオルで汗を拭っているミーシャの傍らから、ベルチェが、妙なオーバーアクションで左右を見回しつつ叫んだ。

「あっ、はいっ! ディアは、表で一人で練習してますっ! すぐ呼んできますからっ!」

「むう! 個人練習か! よし! 前からどれほど進歩したか、その成果を見せてもらうぞっ!」

 監督の言葉に、アニータは思わず顔を引きつらせていた。

「やばい……」

 絶望的な気分で呻く。

「彼、絶っ対、全っ然進歩してないと思う……」



         *        *        *



 ――不幸なことに、アニータの予想は完璧に的中していた。

「ぬぐぅおおおぉぉぉぉぉ〜っ!
 ダメだダメだダメだダメだ、ダメだあっ! まったくもって、ダメダメだぁぁぁ〜っ!!」

 ばっこん! とメガホンを床に叩き付け、ベルチェが、髪をかきむしる。

「どぉぉ〜して、そうなんだっ!?
 なぜだ! 何故!? ぬ・ぅおおおおおっ!」

「お、おち、落ち着いて監督ーっ!」

 狂乱するベルチェ監督を後ろから羽交い締めにしながら、アニータは、その場に棒立ちになっているディアに向かって叫んだ。

「ディア! もう一回! もう一回やってみて!

 もうちょっとこう……何ていうか、自然に!
 分かるでしょ!?」

 痛切な叫びを受けてなお、彼は、やはり棒立ちになったままだった。――心なしか、途方に暮れているようにも見える。

 しばしの沈黙の後――

 彼は言った。

「…………ああ」

「だめー! それじゃただの返事でしょ!?」

「……あ、あ?」

「聞き返してどーする!?」

「うう」

「……だ……駄目だ、嘘くさい……」

 ベルチェを放して、がっくりと床に膝をつき、アニータは呻いた。

 ここまでどうにもならない演技というのも珍しい。

「魔剣がもたらす破壊衝動と、人としての心。それらが激突し、せめぎ合う時、契約の証である胸の傷痕が激しく疼く――
 常に物静かで無表情なベルセルクが、唯一、顔を歪め、呻き声をあげて苦悶するシーン。
 これって、普段は表に現れない、彼の内面の懊悩を観客に印象付けるための、とっても大事なシーンだよ!?
 それなのに、そんな調子の棒読みじゃ、伝わるものも伝わんないよー!!」

 気を取り直して立ち上がり、拳をぶんぶん振って力説するアニータに、ディアは、白い仮面に覆われた顔を向けてきた。

「――分からない……」

「……え?」

「苦痛、という感覚が、理解できない」

 ぼそぼそと、彼は続けた。

「俺はいかなる拷問にも耐え抜くよう、痛覚を遮断する訓練を受けた。
 だから……痛み、というものが、分からない」

「………………」

 これには、何と答えるべきかすら思いつけず、アニータは絶句してしまった。

 隣で、ベルチェも、同じように固まっている。

 ただ、こちらは、『ならば演技をどうするのか』という問題について、目まぐるしく考えを巡らせているようだった。

 ややあって――

 先程とは別人のように落ち着いた口調で、ベルチェは言った。

「……自分が苦痛を感じることが、想像できないのなら……こうなったら、ひとまず、他人の真似をするだけでもいい。
 呻き声、苦しみもがく動作。それに表情もだ……《虹色蜥蜴》は、かけられた当人の表情に連動する術だから。
 ――ディア、君が殺した相手の断末魔の姿を思い出して、再現するんだ。それならやれるだろう?」

「ちょ……ベルチェっ!?」

 あまりと言えばあまりな指示に、思わず『監督』と呼ぶことも忘れて、アニータが叫ぶ。

 しかし、

「俺は一瞬で殺す」

 ディアを見据えているベルチェも――そして指示を受けた当人のディアも、彼女の激昂をよそに、ごく平然としていた。

「標的に苦しむ間などない」

「拷問の経験は?」

「……受けたことはあるが、した経験はない」

「どんな状況でもいいから、誰か、苦しんでいる人間を見かけたことは――」

「興味がなかった」

「……げ……外道の会話だねー……」

 思わず、顔色を悪くして冷や汗を流すアニータである。側で聞いている人々も、似たような表情になっていた。

 アニータの言葉が耳に入ったのだろうか。ディアの肩が、わずかに揺れ――

 その、瞬間だった。

 どかっ!

 まったく出し抜けに、目にも止まらぬ速さで飛来した何かが、派手な音を立てて彼の背中にぶち当たる!

「!?」

 その場面を目撃していた者全員が、思わず声をあげようとして、残らず失敗した。

 たった一人を除いて。

「……今、何か感じなかったか?」

 飛来したモノ――それは、角張った木材の切れ端だった――の軌跡の始点。

 まさしくその位置に立ち、腕を振り切った姿勢のままで、マックス・ブレンデンは、不敵に言った。

「……なんっぐ!?」

 何つう危ない真似するのよっ!? と喚こうとしたアニータに、ばっとベルチェが飛びつき、その口をふさぐ。

「…………」

 無音の爆発のように一瞬で、緊迫した空気が練習場に満ちた。

 今や完全に振り向いているディアの手が、ゆっくりと、胸の辺りに触れる。

 そこに彼の武器、ダガーがあるのだ。

 しかし、この状況になってなお、マックスは不敵な半眼を変えなかった。

「何か感じたんだろ? でなきゃ、腹立てるハズがねぇもんなぁ。
 ――てめぇが感じたそれが『痛い』っつうこった。
 その後の『殺ス!』と混同すんじゃねぇぞ。分かったな? こそこそ仮面野郎」

 ――この瞬間、誰もが、バノットとダグラスが今ここにいないことを心底悔やんでいた。

 教官たちは、舞台公演の場所を確保するため、山ほどの書類を携えて初等部に出向いているのだ。

 彼らがいない以上、ダグラス教室最強の戦闘技能者とバノット教室最強の暗殺者の激突を止められる者は、この場には存在しない――

 誰もが、固唾をのんで両者の動きを見守っていた。

 ディアの手は、いまだダガーを抜き放ってはいない。

 だが、彼の技術を思えば、そんなことは何の安心材料にもならなかった。瞬き一つしない間に、刃がマックスの心臓を串刺しにすることは充分に有り得る。

 ――そして、マックスが魔力障壁でディアのダガーを防ぎ、同時に相手の心臓を蒸発させるという事態も、同じように起こり得た。

「……演じてみせろよ」

 そんな緊張感には丸っきり関係ないとでもいうかのように、落ち着き払った態度で、マックスは続けた。

「てめぇがやれねぇってんなら、俺が代わりにやってやるぜ?
 実は、そーゆー事態に備えて、もう、ベルセルクのセリフも覚えてあんだよな。
 ま、どっかの誰かと違って稽古がスムーズにいってるから、できたコトだが?」

 この挑発――

 今や全員の視線が、ディアの一挙手一投足に釘付けになっている。

 胸に置かれた彼の手は、素手であるにもかかわらず、手袋に包まれたエルナのそれのように、あるいは陽の光を知らぬ生き物のように白い。

 その手は、いまだ動きを見せていなかった。

 いや――

「や、やめなさいっ!」

 悲鳴のようなアニータの怒鳴り声と、ディアの手にダガーがきらめき、マックスが片手を突き出したのが同時だった。

 その場に居合わせた者たちが、一瞬で着くであろう勝負の結果を、あるいは見まいと瞼を閉ざし、あるいは見逃すまいと目を見開く――

「…………!」

 異変が起こったのは、その直後だった。

 緑の残像を引きずり、ダガーが突き立つ。

 ――練習場の床に。

「…………え?」

 事態を理解できず、呆けた声をあげる――

 そんな人々の目の前で、ふらり、とディアの身体が不安定に揺らいだ。

 マックスの術を受けたのだろうか?

 ――いや、そうではない。マックスは、当惑した顔つきで、右手のひらに集中していた魔力を握り潰して拡散させたところだった。

 大きく狙いを外してダガーを投げ放ったディアの手が、ふらふらと力なく流れる。

 ……いや、狙いを外した、というより……

 あれは単に、投擲の途中で、急に腕が力を失ったというだけなのではないか……?

「ディア……?」

 何が起こったのか理解できないまま、アニータが声をかける。

 それと同時に、暗殺者の身体は、ぐらりと大きく傾き――

 練習場の床に、倒れ込んだ。

「――ディアっ!?」

 呪縛が解かれたように、練習場は、にわかに大騒ぎの渦となった。

「ちょっと! ディア! どうしたのよっ? しっかりして!」

 その場に倒れ込み、起き上がることもできないでいるディアの側に、アニータは慌てて駆け寄り、膝をつく。

 完全に脱力したかに見えた彼の身体は、異様に強張っていた。

 背筋が反り返り、四肢が、びくびくと不規則に痙攣している――

「どっ、ど、ど……」

 アニータが持ち合わせた程度の救急救命の知識では、こんな状況に対処することはできない。

 教室随一の治癒魔術の使い手たるエルナは、今ここにはいなかった。

 別の救いを求めておろおろと巡らされたアニータの視線は、しかし、救助者を見つけるよりも先に、その場に突っ立ったままのマックスの姿をとらえ――

「――くぉらマックスっ! よくも、ディアをやったわねっ!?」

「俺か!? ……え? やっぱ……俺かな?」

「あんた以外、誰がいるのっ!?」

 彼らしからぬ弱気な調子で呻いてきたマックスを、アニータは、眉を吊り上げ、真っ向から怒鳴りつけた。

 床に転がった重い木切れをつかみ上げ、それを突きつけて、さらに怒鳴る。

「さっき、ディアにコレぶつけたでしょーが!
 人にこんなもんブン投げるなんて、まったく、どうかしてるよっ!
 ディアがこんなんなっちゃったのって、絶対、打ち所が悪かったせいだわっ!」

「うっ。いや……そ、そーかな……でも、背中に……」

「きっと、変なツボとかに入って、何かの発作が誘発されたのよっ!
 あー、もー! この有様、いったいどーやって責任取ってくれるわけっ!?」

「……う……」

 今や、マックスは完全にアニータに気圧されていた。

 木切れを持ったまま、ずんずんずんと迫ってくるアニータに、彼が、じりじりと後退する。

「――おや? ……おお。これはこれは、何とまあ。
 ……えー、アニータ?」

 何やら背後で誰かがぶつぶつ言っているようだったが、アニータは頓着しなかった。

「さあ、何とか言ったらどうっ!?
 む! でもよく考えたらウダウダ言い訳聞かされるのも気分悪いし!
 よしっ! あなたも一個の男児なら、この場で潔く腹を切りなさい!」

「お、おい待てコラ!? 腹って……」

「えーと。アニーター」

「あたしが介錯をつとめるっ! いざ、覚悟――!」

「――って斬首じゃねーかっ!? 
 待てって! 話せば分かる!
 てゆーか、奴だってまだ死んだわけじゃ……!」

「ア・ニィ・タァ〜」

『…………?』

 その時になって、アニータとマックスは、騒がしい言い合いをぴたりと中断した。

 先程から続いていた怪しい呼び声が、ようやく耳に届いたのだ。

 疑問符を浮かべ、そちらを振り向く。

 すると目に入ったのは、倒れたディアの周囲にいつのまにかできている人垣と、そして、その間からひょっこりと顔を出しているライリーの姿――

 そのライリーが、いつもの笑顔で、こっちこっち、というように手招きをしてきた。

「な……何?」

 ライリーの様子からすると、少なくとも、ディアが事切れたとかいう事態ではなさそうだが……

 困惑気味に近付いた二人の前で、人垣がささっとふたつに分かれる。

 そして、その中央で――

 ディアが、むっくりと起き上がっていた。

 何事もなかったかのように。

「…………」

「…………」

「………………」

 しばし誰も、何も言わず、ただ沈黙だけがその場を支配する。

 ややあって――

 彼は、ぽつりと呟いてきた。

「……俺も、なかなかの役者だな」

「………………」

 やはり、誰も、何も言わなかったが――

 その瞬間、確かに、その場の空気が震動した。わななくように。

「――ッ、て……てンめぇぇぇぇっ!
 謀りやがったな、このクソ野郎!?
 ブッ殺す! 切り刻む! 原型留めねぇまでギッタギタに……
 って、コラ、てめぇらっ!? 馬鹿野郎、離せぇぇぇっ! 俺にあの野郎を殺させろぉぉぉぉっ!!」

「落ち着けっ委員長――! これ以上騒ぎがでかくなると、先生にバレる!」

 手足を振り立ててばたばた暴れるマックスと、それを必死に取り押さえるダグラス教室の面々。

「良かったぁぁぁっ! ディア! 生きてたのねっ!?」

「無論だ」

「ぬぅううううううん! 何て……何て素晴らしい演技なんだっ! 僕は……僕はぁっ!
 うぉおおおおおお〜ん!」

 手放しで喜ぶアニータ、至極平然としているディア、感動のあまり号泣するベルチェ……

「あ〜、ドキドキしました〜。ディアさんがあんなに上手にお芝居をなさるなんて、びっくりですわ〜!」

「ホントだな! オレも完璧に騙されたぞ」

「驚きましたねえ!」

 はらはらしつつ事態を見守っていた他の面々も、口々に、ディアの名演技――かなり、人騒がせな代物ではあったが――を誉めそやす。

「もーっ、やればできるんじゃないの、ディア! 
 セリフなんかなくたって、あれだけの迫真の演技なら、観客にばっちり伝わるわ! グレイト!」

 びし! と親指を突き上げたアニータに、ディアは静かに呟いた。

「ベルセルクの役を……あいつに奪われるわけには、いかんからな」

「ん? ――おおっ! そーよ、そーそー!」

 ディアがこれほど役に執着しているとは思っていなかったので、一瞬驚いたものの、アニータは、すぐに笑顔になってディアの肩をぽーんと叩いた。

「せっかくここまで練習してきたんだもんね! ここまで来てマックスに取られちゃったんじゃ、今までの努力は何だったんだって感じだし!」

「………………ああ」

 妙に長い『間』の後、こっくりと頷くディア。

「さてっ! それじゃ、ディア改めベルちゃん! さっそく、稽古に戻りましょうか!
 ……って、ちょっと。監督ってば! いつまで泣いてるの」

 と、アニータに肩を揺すられて、

「うううう。……いや……」

 ぐすん、と涙をすすり上げながら、ベルチェは言った。

「今日のところは、大きなハプニングもあったことだし……稽古は、ここらで切り上げよう」

「……え?」

 あまりにも『らしくない』監督の言葉に、アニータばかりか、全員が目を丸くした。

「でも、まだ、午前中なのに……」

「いや。今日は、みんなゆっくり休んで、英気を養ってくれ」

 頬に残る涙の筋をごしごしと擦りつつ、監督は言った。

「――何しろ、明日からは、ついに、クライマックス・シーンの稽古に取りかかるんだからな」

 この言葉に、一同が、思わず顔を見合わせてざわめく。

 ベルチェは続けた。

「クライマックス・シーンが大まかにできあがれば、部分練習は終わりだ。後は、本番直前まで、ひたすらに通し稽古を繰り返す。
 ……だが、しかし! とにかくクライマックスの部分が形にならないことには、通し稽古なんて話にならないっ!」

 言っているうちに勢いがついてきたらしく、ベルチェの目が、だんだんと光を増してゆき――

 手近の机に『どかん!』と拳を叩き付け、彼は、戦場に臨む部下に対する司令官のごとく覇気に満ちた檄を飛ばした。

「いいか! これからの稽古は、半端な状態じゃつとまらないぞっ!
 特に、役者諸君! 明日からは、より一層の気迫をもって、稽古に臨んでくれたまえっ!
 そのためにも、今日はしっかりと休むんだっ!
 ……以上、解散ッ!」




  5  苦悩



 徹底的に白を基調とした、その部屋で――

「……くくく……そう……」

 真っ白なシーツの上に、ぼろぼろになった脚本をぱたりと置いて、まるで周囲に合わせたような白ずくめの娘は、不気味な含み笑いを漏らした。

 「……マックスと、あのディアがねえ……くくくくく。練習場は、面白いことになっていたのね。私も、ぜひ、居合わせたかったわ……」

「馬鹿者。お前は、まだここを離れてはいかん」

「くく。分かってますよ……」

 言ったエルナは、その直後、自らの言葉を裏付けるように軽く咳き込んだ。

 爪をきれいな紅色に染めた真っ白な手で、真っ白な喉をさすりながら、苦笑じみた調子で呟く。

「……やっぱり、私は本と相性が悪かったのね」

「あんな埃とカビの巣窟に入り込んだら、俺でも倒れるわ。馬鹿者」

「くくく。そう、何度も馬鹿者呼ばわりしないでください、先生……」

 いかにも医務室のものらしい、極めつきにシンプルな寝台。

 その上で、クッションにあてた背中を軽く伸ばし、エルナは、かたわらでむっつりとした顔を見せているバノットに微笑みかけた。

 側の窓には、彼女の希望でブラインドが下ろされている。

 それでも意地のようにしっかりとフードはかぶったまま、彼女は続けた。

「……私が怒られたら、ミーシャが気にするんですよ……? だから、怒らないでください……」

「怒っとらん」

 子どもが見たら一発で泣き出すこと請け合いの顔で、バノット。

「無茶をするなと言っているだけだ。――ミーシャだけではなく、皆、心配しているぞ。
 本番までに、もし治らないようなら、俺が特別に、お前の代理をつとめてやる。どうせ裏方だからな。
 だから、焦らずゆっくりと養生しろ」

「くくくくくっ……」

 ――いつもの、口癖のような含み笑いではなく、本気の笑いだった。

 いささか怪訝そうな顔をしたバノットに、エルナは、おかしそうに告げた。

「たかが裏方と侮ってはいけないわ……先生、ろくに脚本も読んでいないのでしょ……?
 私は、毎日、ベルチェ監督と打ち合わせをしてるのよ……」

 エルナの仕事は、簡単な幻術でベルチェの演出をサポートすること、戦いの場面で、攻撃魔術を使って効果を出すこと、重い大道具の重量を魔術で支え、道具方の装置の移動を助けること……など、実に多岐に渡っていた。

 いわば『縁の下の何でも係』といったところだ。

 どのタイミングでどの術を用いるかは、ベルチェとの打ち合わせで詳細にわたり決定済みであり、それらの全てが、今、彼女が手を触れている脚本に書き込まれている。

 彼女は寝台の上で、これを、もう何十回も読み返していた。

「……この『役』がつとまる人間は、もう、私しかいないわ」

 そろり、と親指を立ててくるエルナに、今度は、バノットが苦笑する。――少なくとも、それと分かるほどに、表情を緩めた。

「――お前たち全員、相当に、本気だな?」

「ええ。……まあ、最初は、遊び半分だったんですけど。何というのか、ハマってしまって。
 ……くくく。ベルチェ監督の熱が感染ったのね」

「ディアにもか?」

 教官の言葉に、エルナは、しばし薄く笑みを浮かべたまま黙っていたが、

「……それだけじゃ、ないでしょう」

「やはり、お前もそう思うか?」

「くくく。『そう』って……?」

「奴があそこまで熱心になっている理由だ」

 寝台脇の椅子の上で、バノットはがっしりとした肩をすくめた。

「俺も現場に居合わせたわけではないが、マックスと対峙した時の奴は、いつになく感情を昂ぶらせている様子だったらしいぞ。
 ――まあ、フィル情報なので、いくらか大袈裟かも知れんが。
 単に役を奪われかけた程度で、あいつがそこまで動揺するはずもあるまい?」

「………………」

 エルナは再度沈黙した。

 しかし、今度は笑みを浮かべてはいず、真剣な面持ちで、深く考えを巡らせているといった様子だった。

 ややあって、彼女は言った。

「マックスと、ディア。……どっちが勝つかしら――?」

「というか、どちらが負けてもそいつがひどいことになりそうな気がする」

 重々しく、バノット。

「というわけで、俺としては、教え子の肩を持っておこう」

「……応援するつもりですか?」

「うむ」

 まあ、という形に口を開けたエルナに、バノットは、即座に言い足してきた。

「心の中限定でだ」

「――くくく。やっぱり」

        *        *        *


「馬鹿っ!」

 狭い部屋に、少女の絶叫がこだまする。

「……まだ分かんないのか、この、鈍感男っ!
 あたしは……あたしはベルちゃんを、絶対失いたくないんだっ! だって……」

 涙で詰まる声を振り絞るようにして、彼女は叫んだ。

「あたし、ベルちゃんのこと、大好きだからっ!」

「…………きゃ〜っ♥」

 ――数秒経って、少女の魂の叫びに答えたのは、ぱちぱちという拍手と、いささか間延びした歓声である。

「すごいです〜! 迫真のお芝居ですの、アニータさん! 感動ですわ感動ですわぁ〜っ♥」

「そ、そうー?」

 照れたように頭をかいて、アニータはえへへと笑った。

 つい今しがた、凄絶なまでに真剣な告白シーンを展開していた『ルティア』はどこへ行ったのかと思うほどの変わり身の速さである。

 ここは、女子寮《風見鶏館》の、アニータたちの自室だった。

 合同練習が終わって、休憩しろと言われたものの、どうにも芝居のことが頭から離れない二人は、寮に戻って自主錬を続けているのだ。

「それだけのお芝居ができれば、きっと、監督も喜んでくれますわ〜」

「う……うん。そうだといいけど……」

 にこにこしているミーシャとは対照的に、アニータの表情は、どうにも浮かない。

「……どうしたんです? アニータさん。元気がないですの」

「いや、うん。まあ、失礼な言い方ではあるんだけど――
 あたしはいいとして……このシーン、ディアが大丈夫かどうか……」

「…………」

 中空を見つめて、思わず考え込むミーシャ。

 ――ややあって、彼女は、半ば首を捻りながらも、励ますように言ってきた。

「……う〜ん。でも、このシーンは、まだ、大丈夫だと思いますよ〜?」

 二人が話している『このシーン』とは、つまり、反乱軍を率いて王城に突入したベルセルクが、ルティアを人質にとったラーガスと対峙する場面のことである。

 ――味方が罠によって分断されてしまい、ベルセルクは単身、ラーガスと戦うこととなるのだが、ラーガスの腕にルティアが捕われているために全力を出し切れず、ほとんど一方的に魔術で攻撃され、満身創痍の有様だ。

 ルティア自身もナイフを持っているのだが、うかつに動けばベルセルクが殺されるという恐怖のために、その刃をラーガスに突き立てることができない。

 ベルセルクは、ルティアに向かって『俺のことには構わず、ラーガスを殺せ』と叫ぶ。

 だが、それでも、ルティアは動くことができない――

「……で、『どうしてやらないんだ』ってベルセルクの言葉に、ルティアがついに、抑えつけてきた自分の気持ちをぶちまける……と……」

 そこまで言って、幾分引きつった苦笑のような表情を浮かべ、アニータは呟いた。

「この状況って、もしもディアなら、何の犠牲もかえりみず、敵を抹殺にななるところだよねぇ……」

「でもでも、お芝居としては『ルティアさんに告白されて、呆然とする』っていうだけのところですから。
 ディアさんにも、そんなに難しくはないと思いますわ〜」

 ――ひどい言われようである。

 ミーシャは、難しい顔で続けた。

「むしろ、問題は、この直後の、ラストシーンだと思うのです〜」

 呆然とするベルセルクに、とどめを刺そうとラーガスが杖を振り上げる。

 だが、そこへ、血みどろになりながら敵を突破してきた仲間たちが駆けつけた。

 ホークの放った矢でラーガスの集中が乱れた隙に、ベルセルクは最後の力を振り絞って魔剣を振るい――

「宿敵であったラーガス・ベインは滅びました……けれど、陛下は戦いで深手を負っておられ……

 その命をつなぎ止めるため、魔剣は、なおも血を求める」

「魔剣に操られ、ルティアに刃を向けるベルセルク……
 そんな彼に、ルティアは黙って、微笑みを浮かべながら目を閉じるのね……」

 そして――

「そして……」

 それまで、実際の場面を想像するように両の目をつぶっていたアニータは、不意に、ぱち、と目を開けた。半眼で。

「ディアに、できる?
 できるとは思う……できるといいな……できることも、あるかも知れない――
 って、絶対、ムリ!? ああああああっ!」

 何を想像したものか、いきなり頭を抱えて叫び、ごろんごろんと床を転がり出すアニータ。

 その傍らで、彼女のベッドにちょこんと腰を下ろしていたミーシャも、頬に手を当て、心配げに溜め息をつく。

「至難、という感じですねぇ……。
 でも、本当の本当に最後のシーンで、一番重要な場面ですから。ここまできて、やれない、なんてコトになったら、お芝居自体が成り立たなくなってしまいますもの〜……
 ディアさんには、何が何でも、頑張っていただかなくてはなりません〜!」

「……そうだよね」

 むっくり、と床に起き直り、アニータは拳を固めて頷いた。

「ここまで来たら、後戻りはできないんだもん。
 ……よし! 大丈夫! 絶対に、やれるっ!」

 握った拳を突き上げて、彼女は勢いよく気を吐いた。

「ディアもきっと今頃、自主錬の真っ最中だよ。
 ――それで、きっと何か、パワーアップしてるに違いないっ!」

         *        *        *


 ……その頃。

 光源のひとつすらない、真っ暗な空間で、彼は、じっと膝を抱えていた。

 先程から、消え去ることのない一つの疑問が、執拗な拷問人の手のように彼の心に爪を食い込ませてくる。

(……俺は……)

『素晴らしい、ディア。君は実にフラットだね』

『あなたは怒りなど持たない……持つはずがないわね。
 あなたに、心なんてないんだもの』

『憎いから殺すんじゃないよね、君って。どーでもいいから、殺すんだよね。誰も彼も、君には、どーでもいいんだ』

(……そうだ。俺は……)

 暗闇の中で、手を開く。

 視覚にはとらえられない、けれど全ての爪の先まで完璧に制御できる、己の右手。

 幾度も血に塗れてなお、深い水の底に棲む生き物のように白い。

 それは、忘れるからだ。

 何人殺しても、記憶には残らない。痕跡すら、留めることはない――

 だが。

(俺は……どうした……?)

 アニータ・ファインベルド。

 彼女を見ていると――心が、波立つ。

 その面影が、脳裏に焼き付いて離れない――

『あなたに、心なんてないんだもの』

 そうだ。

 こんなことは、あるはずがない。あってはならない。自分は《格子の館》の子供。世界に何らかの意味を持って存在する人間は《主》と《自己》と《標的》のみ――

 それ以外には、何もない。同胞すら、ただそこにいるというだけのもの。

 この学院に遣わされて、出会い、共に過ごし、言葉を交わしてきた幾人もの人々も、ただ、そこにいるというだけのもの――

 ただ、そこにいるだけで、心がざわめく。

 赤い髪の少女。

(……俺は……!)

 白い手が枯木のように曲がり、鋭い爪が手のひらの皮を破った。

 ――と、その時。

 がこんがこんがこん! がっこんっ!!

 遠慮会釈のない騒音が、彼の意識の殻を破った。

「………………」

 しばしの沈黙の後、ディアは右手を後ろへ引っ込め、左手で床を探った。

 ごと、という音と共に、跳ね上げ式の戸を固定していた閂が外れる。

 それと同時に、またもや『がこん!』と音が響いて、戸が跳ね上がってきた。

 床に開いた四角い穴から、光が射し込んでくる――

 いや、光だけではなかった。

「……差し入れだそうだ。ちなみに監督からだ」

 聞き慣れた不機嫌そうな声に下をのぞくと、やはりと言うか、バノット教官が仏頂面でこちらを見上げていた。

 彼は、柄を上にして構えていたモップを適当に放り捨て――先程跳ね上げ戸を乱打したものは、あの先端に違いない――、足元に置いていた盆の上から、何やら大きなグラスを取って、差し上げてくる。

 グラスの中身は、怪しい液体だった。

 色は濁った茶色。どろりとした感じで、あまつさえ、何とも形容しがたいナゾの臭気を漂わせている。

(なるほど)

 それを受け取りながら、ディアは納得した。

(芝居が完遂できなかった場合は、これで自決しろと……)

「毒ではないらしいぞ」

 教え子の考えを読み取ったように、バノットは言った。

「《月夜の夢》座秘伝のレシピに基づいて調合された、特製ドリンク剤だそうだ。
 稽古が追い込みに入ると、必ず役者たちにこれがふるまわれるのだとか言っていたな。
 どうやら、わざわざ食堂の厨房を借りて作ったらしい。
 料理長が、大鍋ひとつどうしてくれる、と殴り込んできた」

 ――鍋がどうなったのかは知らないが、それで毒ではないと言われても、説得力に欠けることおびただしい。

「…………」

 ディアが黙っているうちに、バノットは、ひょいと机から床に飛び降りた。教室の床に。

 ――つまり、ここは、いつも彼らが学んでいる教室であり、ディアは、その天井裏に(勝手に)作った小部屋に潜んでいたのだった。

「と、いうわけで、俺はこれから他の奴らにもコレを配ってくる。グラスも食堂のものだから、飲み終えたら適当に自分で返却しておくがいい」

 慣れない手付きで盆を持ち上げ、がちゃがちゃとグラスを鳴らして、大股に出口へと向かってゆく――

 中途半端に開いていた扉を足で開けながら、鋭い一瞥だけをこちらへ投げて、バノットは言ってきた。

「血の臭いがするぞ。右手は手当てしておけ。ベルセルクが剣を握れなくては話にならん」

 扉をくぐり、再び足で閉めて去ってゆく……

「……問題ない」

 ディアは呟いた。

 指の隙間から血の滴る拳も、彼を悩ませることはない。肉体の苦痛など、遠い昔に克服した。

 それと同時に、余計な感情は全て、削ぎ落としたはずだった……

(俺は、どうしたのだ?)

 胸中で繰り返す。

 その答えを求めるように、彼はベルセルクを演じた。

 感情を失った男。

 ――そうではない。人らしい心を、魔剣の呪縛に封じられた男……

 捨て去ったと思っていた。だが、あるいは……抑圧し、押し潰したに過ぎなかったのか? 

 暗殺者としての鉄壁の精神の奥底に、いくつもの感情がうごめき、光を求める植物のように、隙間を探しているのだろうか……?

(違う)

 ベルセルクは、魔剣の呪縛を打ち破る。

 だが、自分は《格子の館》の子供。この呪縛から逃れることはできない。考えることすらもできない。

 自分が、《主》とも《標的》とも違う誰かを、特別な人間として認識するなど……

(違う、はずだ)

 ――最悪なのは、その言葉が自分でも信じられないことだった。

         *        *        *


「ンぐぶわぼっ!?」

 むせ返った拍子に、嚥下し損なった液体が鼻に逆流した。

「ぐっ……ぐぉおおおおお〜っ!?」

 ――沁みた。死ぬほど。

 手にしていたグラスを叩き付けるようにテーブルに置き、鼻を押さえてごろごろと床をのたうち回る。

 そして一分後、

「……くそ! 何が『毒ではない』だ!? 危うく抹殺されるとこだったぜ!」

 マックスは、ぶつぶつ言いながら、ナゾの『特製ドリンク剤』を窓の外に捨てていた。

 バノット教官の言葉を信じ、うかつにも飲んでしまった自分が呪わしい。一口含んだ瞬間に、心底後悔させられた。

「ありゃ、何だ……!?
 砂糖と泥水と古靴と木の皮を煮込んだみてーな味じゃねぇか!」

 ――とにかくヒドかったらしい。

 がこん! と荒々しくグラスをテーブルに戻し、古いベッドを軋ませて腰を下ろす。

 ここは、彼の自室だった。寝台はひとつ。委員長の特権で、教室で唯一、一人部屋を確保しているのだ。

「……一人で幸いだったぜ」

 鼻からナゾの液体を出して転げまわる場面など、目撃されたら、委員長の権威が失墜しかねない。

「に・しても! 教師といい生徒といい、バノット教室には、何でああムカッ腹の立つ野郎が多いんだ!?」

 無論この時、彼の脳裏に浮かんでいたのは、ニヤニヤ笑いを浮かべた白い仮面だった。

 ついさっき、あの男の死んだふりに騙されたことを思うと、はらわたが煮え繰り返って沸騰しそうだ。

 ――いや、正確に言えば、これほど腹が立つのは、自分が騙されたからではない。

(くそっ、奴め! ファインベルドに俺を攻撃させるとは、陰険な手を使いやがる!)

 ディアが倒れた時、誰よりも慌てふためき、そして、誰にも止められないほどの剣幕で自分に詰め寄ってきた少女。

 あの時、翡翠色の目に火花が散っているように見えた。

 その火矢のような視線に射抜かれて、逆らうことができなかった。

「くそ!」

 声に出して、どん! とテーブルを叩く。空のグラスが飛び上がるほどの勢いだった。

「どおぉぉぉぉしてだっ!? 何故に! あんな姑息で根暗で陰険なこそこそ仮面野郎にあいつは構う!?
 そりゃあ俺も人相はいいほうじゃねぇが、あの胡散臭い仮面に比べりゃ百万倍はマシだぜ!
 なのに、俺じゃねぇのか!? 奴なのかっ!?」

 ――多分、顔の問題ではない。

 というより、おそらくアニータにとっては『問題』ですらないのだ。

 明朗快活で一本気、極めて爽やかな思考回路の持ち主である彼女にとって、人間関係のどろどろした側面などいった代物は、いまいち考えの外である。

 同じ教室に所属する友人に肩入れし、ライバル教室に所属する人間に挑みかかるという、ただ、それだけの図式でしかないのだろう。

「そこに惚れたんだがなー……早まったぜ……」

 何しろ、一向に状況が進展しないのだ。

 アニータはあの通りの性格なので、遠回しにアプローチしたところで、それが『遠回しなアプローチ』であるコト自体に気付かれない可能性が大である。

 何しろ、『ルティアの恋人』としてのベルセルクの役をめぐるマックスとディアの争いを、そのまんま『主役』の取り合いとしか受け取らずに、さらりと流すよーな女なのだ――

「あんたは悪役宰相ってことで、確かきれいに話がまとまったんじゃ……と来るんだからな……。ヘコむぜ。まったく」

 一瞬、情けない表情で呟いたマックスだが、次の瞬間には、

「くくく。だが明日には、いよいよクライマックス・シーンの稽古が始まる……

 あの究極のヘボ役者がどこまでやれるか、見物させてもらおうじゃねぇか」

 もう立ち直っていた。




  6  本気





 そして一夜が明け、様々な思惑の渦巻くクライマックス・シーンの稽古の日――

「……あー。そういや、思い出すよなぁ」

 とんてんかんてんと釘を打つ音が、のどかに響く練習場の片隅で、大道具(木・3)を製作しつつ、和やかに言ったのはルークである。

「何を、思い出すのですか?」

 やはりこちらも和やかに、アランがきいた。

「何って、あれだよ。……エグザミネイション」

 ちょっと顔をしかめつつ、ルーク。

「オレらの劇の本番が近付いてきてるってコトは、つまり、試験も一緒に近付いてきてるってコトだもんな。
 本番は楽しみだけど、試験も一緒に迫ってくると思うと……なぁんか、こう、イヤ〜な感じがするぜ〜」

「そういえば……」

 と、不思議そうな声をあげてきたのは、アランではなく、その隣。

 完成した大道具(岩)の上に、ちょこんと腰を下ろしたミーシャだった。

「ルークくんも、当然、エグザミネイションを受験したのですよねぇ? 
 実技と面接が大丈夫だったのは分かるのですけど……
 筆記試験、どうやってクリアしたのですか〜?」

 ――何だか限りなく失礼な質問ともとれるが、日頃の試験のことごとくに落ちては泣きながら追試の勉強をしている彼の姿を、一番よく知っているのはミーシャである。その点を考えれば、もっともな質問といえた。

「それなんだよなぁ……」

 ルークは、釘を打つ手を止めて、どこか昔を懐かしむような口調で答えた。

「オレ、昔っから、あーゆーのは丸っきりダメでさ……
 いっくら勉強しても全然覚え切れねーし、こりゃもう、合格はムリだ、って、諦めてたんだよ。
 でも、前日に、その頃の担任の先生が『諦めるな、可能性は限りなく低くても、奇跡が起きることもある』とか言って、いくつか問題をピックアップして、とにかくこれだけはマスターしていけ! って言ってくれたんだ。
 で、とにかくそれだけは解けるように、必死こいて勉強してだな。
 いざ当日、試験問題を見たら――
 なんと! それとばっちり同じ問題が出てるじゃねーか!」

 「おお〜!」

 「すごいですねえ! そんなことが本当にあるとは……」

 感心しまくる二人に、ルークはにこにこと、

「いや、奇跡ってのはこのコトだなと思ったぜ、あのときは!
 おかげで、どーにかこーにか、筆記試験をパスできたんだ。
 ま、他の問題はぼっこんぼっこん間違ってたみてーだけど……
 攻撃系魔術と格闘技の成績がよかったからって、すれすれセーフで合格だぜ! ラッキー!」

「なるほど。……でも、よく考えたら、それも当然ですよね。
 戦いにおけるルークの実力を現場に生かさないのは、帝国にとって大いなる損失といっても過言じゃないですから」

 深く頷きつつ言ったアランの傍らから、ミーシャもうんうんと同意した。

「そうですよね〜。いざ戦闘という場面では、テストの成績なんて、全然関係ありませんもの。
 私なんて、後方支援ばっかり担当ですし〜……」

「何言ってんだ、ミーシャ。ミーシャの頭の良さは、運動神経のなさを完全にカバーしてあり余ってるじゃねーか!」

 ――微妙にフォローになり切っていないことを言い合う二人である。

 と、ルークは、ふと首をかしげて、

「……ってゆーか、アランも、やっぱエグザミネイション受けたのか?
 いや、そもそも、初等部にいたコトあんのか……? オレらとは、だいぶ年が離れてるけど……」

「ええ。フォレスの森から、この学院に来て――初等部には、2年ほど在籍していました。
 高等部に上がったのが、2回前のエグザミネイションの時ですから……6年前ですね。たぶん、ルークと同じ回の試験でしょう」

 アランは、のんびりと頷いた。

「まあ私の場合、森で、長いこと、魔術の実践をやってましたから、その方面の基礎はばっちりだったんですけど。
 魔術の理論やら、帝国の歴史やらを覚えるのが大変でしたねぇ……」

「そうそう! やっぱ、みんなアレで苦労すんだよな!」

 むやみに力を込めて頷くルーク。

 釘を打つ手にも力がこもりすぎて、製作中の大道具(木・3)が『みしっ、みしっ』とか言っているようだったが、気にも留めない。

 ――と。

「そうだよねえ。兄さんは勉強が嫌いだから、特に大変だっただろ?」

「イーグル! てめえは弟のくせにいちいちうるせえっ!」

 突然、脚本片手に勢いよく言い合いながら、ライリーとフィルが会話に参加してきた。

 しかも、互いに小道具の剣(ごっついバスタード・ソード、ちなみに真剣)でがっちんがっちんドツキ合いながらの登場である。

「――おわ! びびったっ。危ねーじゃねーか!」

「あら〜? フィルさんって、お勉強、苦手でしたっけ?」

 危うく斬られそうになって仰け反りながら叫ぶルークと、岩の上から不思議そうにたずねるミーシャ。

 すると二人は、ころっと素に戻って、言ってきた。

「いえいえ。今のは芝居の延長です」

「ふっ。こう見えましてもこのフィル・グランバルト、得体の知れない知識を丸暗記することにかけてはちょっとばかり自信がありますぞ」

「それって、微妙に誇れないような……」

「――ええと、フィルは確か、エグザミネイションを受けなかったんですよね?」

 アランが聞いた。

 現在『バノット教室』として知られている集団は、5年前――すなわちバノット・ブレイドが教官となった年から存在し始めた。

 今の段階で所属している面々のほとんどが当初からのメンバーなのだが、例外が二人だけいる。

 うち一人が、フィルだった。

 帝都の大貴族の長子である彼は、意に反した結婚をして家を継がされることを嫌い、いきなり学院に飛び込んだのである。まるで、駆け込み寺だ。

「ふっ、その通り!」

 どこからか取り出した真紅の薔薇をつまんで、斜め向きにポーズをつけながら、フィル。

「ゲートキーパーズの方々がどうしても通してくださらないので、とりあえず学院の門の前でペガサスを十頭ばかり召喚いたしまして、馬車ごと華麗に飛翔しておりましたら、イサベラ閣下が出て来られて『合格』と言ってくださったのです……」

「そ、そういや、そんなコトもあったよなぁ……」

 学院に生徒は数多しといえども、フィルほどの召喚術の腕前を持つ者は他にはいないと言ってよい。

 激しく愉快な性格の主ではあるが、彼はまさしく、当代一の召喚術師なのだ。

 実のところ、帝国魔術学院は、彼が幼い頃から、その戦略的価値に『目をつけ』ていた。しかし、彼の父が断固として許さなかったため、初等部へ引き取ることが叶わなかったのである。

 ――それを、長じたフィルが自ら入学を志願してきたとあっては、まさに千載一遇のチャンス。

 時を移さず、学院に引き入れたというわけだった。

「後で、何やら筆記試験のようなものも一応受けましたが、マニアックな知識については、幼少の頃より私の得意分野でしたので。まあ大して苦労もなく……」

 下手をすれば完全無欠の嫌味になりかねないセリフだが、この男の口から出ると、妙に爽やかに聞こえるから不思議なものだ。

 まあ、いささか間違ってる系の爽やかさではあったが。

「うお〜っ。いいなぁ〜」

 ――こちらも他意なく羨ましがる、爽やかなルークである。

「……そういえば……」

 岩の上から、にこにこと、ミーシャ。

「アニータさんも、フィルさんと同じで、エグザミネイションを受けていませんわ。
 アニータさんは、ヒノモト帝国の魔術学院で、こちらの高等部にあたるクラスに所属していたそうですから〜、もう一度エグザミネイションを受けるには及ばないと判断されたのでしょう〜」

 『2人の例外』のうち、もう一人がアニータなのだった。フィルと同じで、後から試験は受けているが、あくまでも一応だ。

「そうだったなぁ」

 感慨深そうにひとつ頷いて、ルークは、ふと、それまで続けていた作業の手を止めた。

 身体ごと振り向いて、ある方向を見やる。

「それにしても、今回のエグザミネイション受ける奴ら……ラッキーだよなぁ。こんなイベントがあってよ。
 しかも、そのイベント仕掛ける側が、こんだけ熱心に練習してんだもんなぁ……」

 彼の視線の先には、丸めた脚本片手に仁王立ちになった監督の前で、何やら熱演を繰り広げるアニータとディアの姿があった。

「この劇、絶対、すっげー仕上がりになるぜ?」

「そうだねえ。……ほら、兄さんも、こんなとこで練習サボってる場合じゃないよ?」

「何ぃ!? てめぇこそ、今の今までサボってたじゃねえかっ!」

 負けじと――かどうかは知らないが、再びぎゃいぎゃいと双子漫才を始めるライリーとフィル……

「ええ」

 その様を温かい目で見守りながら、アランが、穏やかな口調で呟いた。

「――きっと、すごい劇になりますよ」



        *        *        *



「あたし……あたしは、ベルちゃんを、絶対失いたくないんだっ!」

 見開いた目に涙すら浮かべつつ、しかし、燃える矢のような視線を男に突き刺して、赤い髪の少女が叫ぶ――

「だって……。あたし、ベルちゃんのこと、大好きだからっ!!」

「………………」

 男は、答えない。

 彼は深い傷を負っていた。

 だが、そのことさえも忘れたように、ただ呆然と、少女の眼差しを見つめ返すだけ――

「……ぃよおし! よしよしよしよしっ! いいぞ、いいぞ!」

 丸めた脚本でばっこんばっこんと自分の太腿を叩きながら、興奮した口調で、監督がまくし立てる。

「まさにこの感じだっ!
 ずっと隠し通してきた想いを、初めて真正面からベルセルクにぶつけるルティアの激しい叫び……
 それを受けて、ついに揺らがないはずの心を揺らがせ、そのわけを理解することができずに立ち尽くすベルセルク……
 嗚呼……」

 と、何やら両腕を広げて陶酔しはじめる監督に、

「おおっ! じゃあ、こんな感じでオーケーなのね? よぉぉしっ! 練習の甲斐があったわっ!」

 ガッツポーズで、アニータが叫ぶ。

「やっぱり、監督の特製ドリンク剤が効いたのかもね!」

「――飲んだのか!?」

 と、遠くからマックスの叫びが聞こえたようだったが、彼女の耳には届かなかった。

「いやー、これは、いけそうな予感がしてきたっ!

 ねっ、ディア! ディアも昨日、きっと頑張って自主錬……」

 元気よく言っていたアニータだったが、言葉半ばから、徐々に怪訝そうな顔つきになってゆく。

「…………えーっと。おーい。ディア?」

 ぱたぱた、と手など振ってみるが、当のディアは、この前と同じように、まったくの無反応で棒立ちしたままだった。

「……? ディア?」

 肩をつかんで揺すってみようとしたところで、不意に、アニータ自身の肩が『がしっ!』と誰かにつかまれる。

「あ痛!」

 というほどの力で彼女の肩に手をかけていたのは、監督だった。

 いつの間にやら背後に移動してきていた彼は、だーと滝のような涙を流しつつ、何やらうんうんと頷きながら言ってくる。

「……アニータ……あのドリンク剤を飲んでくれたのか……」

「う、うん。監督の差し入れなんでしょ? あれ。わざわざありがとう」

「いやいや、礼には及ばないとも……! 
 そうか。自分で作ったのは初めてだったが、どうやら、うまく出来上がったのだな……」

「…………」

 その言葉に、微妙にアニータの顔色が悪くなったが、監督はそれには一切構わず、

「あれは、我が家に代々伝えられる秘伝の調合法で数種の材料をブレンドし、煮出したものでな……。
 ちなみに、主な材料は何だったかというと――」

「ストップ言わないでお願い監督それだけは。鼻つまんで飲んだし」

「飲むな……あんなもん……」

 やはりマックスが遠くで呻いていたが、これもアニータの耳には届かなかったようだ。

 断固とした制止をかけられて、監督はちょっぴり淋しそうな表情を浮かべたが、すぐに気を取り直したらしい。

「アニータ」

「は、はい」

「君の芝居のことだが。僕は、非常に満足している」

「そ……それはどうも」

「だが――」

 と言いながら、おそろしく真剣な眼差しで自分を見据えてくる監督を、アニータは、緊張した面持ちで見返した。

「だ、だが……?」

「うむ。――こんなことを言うのは、君の芝居の完成度が高いからこそなのだが。
 僕の希望としては、さらに、もう一歩、上を目指してほしいのだよ」

「もう一歩、上……?」

 何だか、最終奥義伝授の儀式といった様相を呈してきた。

「そうだ。……今の君は、表情、動作、セリフ回しといった表面上の演技は、おおむね完璧にできている。
 だが、あとひとつ、足りないものが……」

「お……教えてください、監督っ! あたしの芝居に『あとひとつ足りないもの』って、いったい、何なんですかっ!?」

「それは……!」

 周囲の人間たちが思わず注目する中、アニータとベルチェの背後に、どっぱ〜ん! と幻の荒波がおおいかぶさる。

「それは、《魂》だああぁぁぁっ!」

「――お・おおおおぉぉぉぉぉっ!」

 びし! と指を突きつけられて、アニータは、目を見開いて大きく仰け反り――

「……って、監督。いきなり《魂》とか言われても」

 役者モードから、急に素に戻って、ぱたぱたと手を振る。

 しかし、監督には動じる様子もなかった。

 突きつけた指はそのまま、重々しく告げてくる。

「真の役者は、表面的な演技などではなく、その魂からにじみ出るものを観客へと伝える……」

「いやあたしは別に真の役者なんて大層なもんじゃ……
 だいたい、本職ですらないし」

 困った表情で、アニータはぽりぽりと頭をかいた。

「それに、そんな境地って、完全に己を捨てて登場人物に成り切らなきゃ、できるもんじゃないでしょ?
 いくら何でも、付け焼刃の特訓じゃ、そこまで悟り切れないよ」

「むう。己を捨てる……か」

 難しい顔で顎をつまみ、監督が唸る。

「少し違うな。
 あたかも己自身がその人物であるかのように、いや、むしろその人物こそが己であるという意識で役に臨むのだ。
 ルティアの愛、それゆえの哀しみを、まさしく己自身のものとして……」

「だからそこまでは悟れないってば……」

「僕の友人の女優は、恋人の役を演じるときは、本当にその相手に恋をするのだと言ってたぞ」

「精神操作!?」

 思わず叫ぶ。――が、やはり監督は聞いていない。いまだ真の役者の何たるかについて、延々と語っている。

「……うう。ホントに恋するんだとか言われても。
 それはさすがに、ねえ! ディア。
 ……ディア?」

 見れば、こちらも先程から、延々と硬直したままだった。

「あああ。もうっ。ちょっと、起きてよ、ディアってばっ!」

 大声で呼びかけると、ディアはようやく『はっ』と顔を上げてきた。

「――大丈夫?」

「……問題ない」

 と言いながらも、その口調はどこか浮ついている。

 あまりにも彼らしくないその様子に、アニータは思わず、真剣に不安を抱いてしまった。

「ホント? もしかして、どっか具合悪いんじゃ……
 はっ! まさか、監督特製ドリンク剤が原因っ!?」

「いや……大丈夫だ。俺は正常だ。極めてフラットな精神状態だ」

「そ、そう? なんか、いつもとノリが……」

「そんなことはない。見ろ――」

 言うと、彼はいきなりその場でくるくると回転しはじめた。

「………………」

 アニータが、医務室のマリアン教官を呼ぶべきか否か逡巡していると、彼は突然ひたりと回転を止めた。

 同時、目にも止まらぬ速度でその右手がひらめき――

 『かすっ』という乾いた音が響いたと思うと、手近の舞台装置(塔)のてっぺんにひるがえっていた小旗が、竿を折られてひらひらと舞い落ちてくる。

 ディアが投擲したダガーが命中したのだ。

「ああ!? 何するんだよお!」

 製作者(ルーク)が悲痛な口調で抗議をしたが、どうやら、ディアの耳には届いていないらしい。

「このように、遠距離からの攻撃によって狙い過たず目標を殺傷することもできる。
 そう、俺は冷静だ……」

「……ホントに大丈夫かなぁ……」

 何やらぶつぶつと呟いているディアを、アニータは、心底心配げな目付きで眺めやり――

「………………」
 ふと、練習場の向こうの端で展開されている光景をディアの姿越しに目に留めて、思わず無言で硬直した。

 ――そこに集まっていたのは、ダグラス教室の面々である。

 彼らの全員が、黙々とそれぞれの稽古にいそしんでいた。

 ……長い槍の穂先を入念に研ぎ澄ましては、目の前にかざして鋭さを確かめている者。

 大道具の材料の余り物らしい棒を周囲に立てては、激しい舞いのように剣を振り回してそれらを切り倒してゆく者。

 突き出した手のひらに魔力を収束させては、こちらに向かって投げ放つ練習を延々と繰り返している者――

「馬鹿者! もっと脇を締めんか!
 ……ケリー、踏み込みが浅いっ! そんなへっぴり腰では、人間どころかネズミ一匹殺せんぞ!」

 そんな彼らの傍らに、なぜか鉄の棒を片手に仁王立ちになり、ダグラス教官自らが、厳しい指導を行なっている。

「……あ……あれって一体……!?」

 まるでテロリスト養成所のような光景に、思わず戦慄したその瞬間、

「――敵だ」

 背後から、ぼそり、と低い声が聞こえて、アニータは慌てて振り向いた。

「せ、先生! ――ああっ!?」

 そちらに向き直ったアニータは、思わず目を丸くして大声をあげ、びしっと指を突き出した。

 ただし、いつもの仏頂面をこちらに向けているバノットに対してではなく、その背後……

「エルナ!」

「くくく……どうも」

 白ずくめの服装の中でひときわ目立つ紅い唇を『にっ』と曲げて、彼女はそろりと片手を挙げてきた。

「ベルチェ監督の特製ドリンク剤を飲んでから、妙に調子が良くってね……。マリアン先生に頼んで、練習に参加する許可をもらったの……」

 ――外見が怪しい上にクソ不味い代物ではあったが、どうやら効果のほどは本物だったらしい。

 ようやく病床から復活してきた白き死神は、ダイアンの背後からすいと進み出てくると、片手に握り締めた脚本でアニータたちとダグラス教室一同を交互に示し、歌うように言い始めた。

「魔剣なくしては生きられないが、それを手にする限り、いつか大切な者の命を奪ってしまうかも知れない……
 薄氷を踏むがごとく困難なベルセルクの旅路を、共にたどる五人の仲間たち。
 しかし彼らの前には、幾多の強大な敵が立ち塞がり、その行く手を阻む……」

「本国からの追手との戦闘。魔剣の力を求める闇の勢力との暗闘。
 そしてまた、ベルセルク自身の内に潜む、破壊への渇望との闘争――」

 エルナの後ろからバノットが、淡々と続けた。

「旅の道程は戦いの連続となり、辛苦を極めたものとなるだろう。
 ……敵は、既に本気だ。
 半端な根性では、大団円にたどり着く前に叩き潰されるぞ?」

「くふ……ふはぁはっはっはっはっ! 殺せ! 殺せ!」

 その言葉を裏付けるかのように、マックスの狂喜に満ちた哄笑が響き渡る――

「人の心を捨て、魔性に魂を売り渡した愚か者に、帰るべき国などないのだぁっ! 名誉なき戦いの末、異郷の路傍に惨めな屍を晒すがいい! あの日、潔く死を選ばなかったことを後悔させてやるわぁ! くははははは!」

 マックス改めラーガス・ベインの高笑いを聞きながら、アニータは頬に一筋の汗を垂らして呟いた。

「む……むーん。確かに、本気みたい……!」

「――アニータっ!」

 鋭い叱咤の叫びがかかる。びくりと肩を震わせて振り向けば、監督がこちらへ突進してくるところだった。

「ぼっとしてる場合ではなーいっ! 稽古だ、稽古だぁっ!」

「はっ、はぁーいっ!」

 飛び上がって答えるアニータ。

 ――その直前の一瞬、ベルセルクとラーガスの間に鋭い視線の火花が散ったことに、彼女は、やはり気付くことはなかった。




  7  問題




 慰問当日まで、既に十日を切った。

 ――より正確に言えば、今日は、本番の八日前である。

 高等部の慰問担当クラスは、いよいよ迫った本番に向けて、今まで以上の忙しさにてんてこ舞いをしていた。

 当初は、どのクラスにも『厄介なモノに当たってしまった……』というげんなりした空気が漂っていたのだが、今や、そんなやる気のなさはどこかに置き忘れられたような勢いである。

 不思議なもので、準備や練習が進むにつれて、誰も彼もが本気になってくるのだ。

『ここまでやってきたのだから、成功させなきゃ空しい!』というヤケクソ混じりの情熱で、各クラスとも、それぞれの出し物に向けてラストスパートに入っている。

 例えば、材料のトウモロコシの確保に苦戦していた『ポップコーン』担当・ハーレル教授のクラスでは――

「……教授っ!」

 どばたん! と扉を開いて、ハーレルのもとに生徒が飛び込んでくる。

「ダインとジュリーから、連絡が入りましたっ!
 オイゲン市にて、首尾良くボンドーネからの隊商と接触! ポップコーン用トウモロコシの確保に成功!
 大至急、こちらに引き返すそうですっ!」

「うむ……!」

 満足げに頷き、目を閉じて、天を仰ぐハーレル。

「これで、間に合う! 皆、よくやった――!」

「教授〜っ!!」

 ……と、ハーレル教室が歓喜に湧いている、その同時刻。

「きゃあ〜♥」

 倉庫がわりに使っている集会室の扉を開けて、キャロルは、嬉しそうに両手を胸に押し当てた。

「この前見た時よりも、ずっと増えてるわ〜。クラスの子たちが、頑張ってくれてるみたいね〜!」

 部屋の中には、本やらノートなどの文房具から、棚、机といった家具、観葉植物の鉢などがごたごたと並べられている。

 これら全てが、キャロル教室が担当する『バザー』に出品される商品であった。

 小物では、腕輪やらペンダントやピアスといった装飾品の類が目立つ。

 無論、ポーチや針さし、ブックカバー等の手作り品も健在だ。

 ――さらには、誰の提供品か、正体不明の薬草やらマジックアイテムまで置いてある。

「あなたたちも、こんなに持ってきてくれて、助かるわ〜」

 にっこり笑って言ったキャロルに、

「えへへ〜」

「ふっ。どうぞ遠慮なくお納めください」

 でっかい大八車に物品を載せて運んできていたミーシャとフィルが、二人そろってVサインを出した。

 バノット教室の面々の出品物を、この二人がまとめて持ってきたのである。

 ……ちなみにミーシャが提供したのは、『3日でできる! かんたんホムンクルス製作キット』(自作)。

 フィルはといえば、サイン入り『愛の詩集』全3巻(自筆)だった。

「まあ♥ それは、きっと初等部の子たちも喜ぶわねえ〜」

 ――どうだろう。

「え〜とえ〜と、あと、この『ゲタ』はアニータさんからですし……こっちの化粧品セットは、エルナさんからですわ〜」

「ふっ。他にも、中古のサンドバッグ、水彩絵具セット、タワーツリーの苗など、色々と取り揃えております」

「まあ……タワーツリーって、確か、フォレスの森に生えてる、五年ほどでお城の塔並みに大きく育つ木じゃなかった?」

「ええ。アランからです。――ご覧下さい。これこのように、ちゃんと『植える場所を選びましょう』の注意書きが」

「あら、ほんと。……あらっ?」

 興味津々で大八車の中身をのぞき込んでいたキャロルが、ひょいと手を伸ばし、細長い箱を取り上げた。かぱと開けてみて、感嘆の声をあげる。

「まあ! きれいね〜、この首飾り! これは誰から?」

 細緻な彫刻が施された涙滴型の銀のトップに、小さな青い石がはめ込まれたものである。これは、女子たちが争って欲しがりそうだ……。

「ふっ。それはディアからですな」

 前髪を払い、爽やかに微笑みながら、フィル。

「必殺の自爆用マジックアイテム《エリル・ムンデの涙》。
 敵に捕われ救援の望みがない場合、この青い石をぷちっと押しますと、吹き出した超高温の炎が一瞬で使用者を焼き尽くすそうです」

「…………」

「しかも、一度留め金をかけたが最後、決して外せなくなるとの事ですので、くれぐれも誰かがうかつに試着することのないよう、お気をつけください……」

「それは危ないわね……。でも、ちゃんと注意書きを貼っておけば、きっと大丈夫だわ〜♥」

 ――売るのかッ!? というツッコミを入れる者は、あいにく、この場にはいなかった。

「……で、バノット先生が出品なさったのが、これです〜」

 ぽん、とでっかい寝台に手をかけて、にこにこと、ミーシャ。

 マットレスは取り外してあるものの、ヘッドボードの部分に鋳鉄製の渦巻き飾りのついた、やたら重厚な代物である。

 わざわざ大八車を持ち出す必要があったのは、ひとえにコレのせいであった。

「なんだか、部屋の模様替えをなさるそうで〜」

「ふっ。買う人がいるかどうかは分かりませんが」

 ――フィルのサイン入り『愛の詩集』と大魔王のベッド、どちらも、普通は誰も買わないだろう。

「う〜ん……これで寝るとバノットくんみたいに強くなるとか、そういう広告をつければ……」

「それって誇大広告じゃないでしょうか〜……?」

「…………」

 しばし、でっかいベッドを前にして、三者三様に沈黙し――

「あっ。ところで、そっちのお芝居の練習はどんな感じなの?
 ここのところずっと、屋内練習場が立ち入り禁止になってるでしょ。だから、みんなとっても気になってるのよ〜!」

 何事もなかったように、キャロルが話題を変える。

 途端に、ミーシャとフィルは『ぱっ』と表情を輝かせた。

「それが、すごいんですよう〜!
 いよいよ練習も佳境に入って、みんなとっても燃えてるんです〜。
 それに、衣装とか小道具もほとんど揃いましたし、帝都からは、ついにゴーレム演奏団も到着しましたし!」

「ふっ! 夜に日を継ぐ特訓で、一同の実力は日々向上!
 エルナとベルチェ監督の魔術による効果も、素晴らしいものになりそうで。
 本番当日には、ぜひ先生もご鑑賞を……!」

「あらあら、まあ!」

 キャロルは、嬉しそうににっこりと微笑んだ。

「もちろん、見に行かせてもらうわ。
 楽しみねえ! ベルセルクとルティアの役を、ディアくんとアニータちゃんがやるんでしょう?
 きゃあ♥ 二人は、とってもラブラブなのね〜♥」

 ナゾの歓声をあげて盛り上がるキャロル。

 ――しかし、彼女とは対称的に、バノット教室二人組の表情は微妙に曇った。

「……どうしたの〜?」

 怪訝そうに首を傾げたキャロルに、

「いえ、それが〜……」

 困った顔で、二人は言った。

『そのラブラブが、非常に問題なのです』



         *        *        *



「ぐ・ぬ・っおおおおおおおおおおおおおおおぉ〜あ!!!」

 人の声というよりはもはや怪物の遠吠えのような絶叫が、練習場に響き渡る――

「駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だっごふぅっ!? ぐはっ! がぁ……」

「わぁああああっ!? 監督! しっかりして〜っ!」

 軽い革の鎧に身を包み、燃えるような赤毛を解き流して一つに束ねた少女が、慌てるあまり妙な踊りをおどりながら、床に倒れて痙攣する監督に駆け寄った。

 傍らに膝をつき、振り返って、叫ぶ。

「エルナ! 急いで! 治癒呪文をお願い――」

「い・や……」

 叫んだアニータの腕を、がっし、と掴んできたのは、当の監督だった。

 ゾンビじみた動きでゆっくりと身を起こしつつ、ひび割れた声を腹の底から絞り出してくる。

「だ・い・じょ・う・ぶ・だ……」

「いやそんな……半死半生どころか、今にも死にそうな声で言われても……」

 困り果てて呻くアニータにすがってよろよろと立ち上がりながら、ベルチェは、側に突っ立っている男のほうに指を向けた。

「かっ、彼が……彼がちゃんと演技できさえすれば……すぐ良くなる……っ、がふっ! ごぼっ! ぐほっ!」

「あああっ! 監督、死なないで!」

「…………」

 またもや床に突っ伏し、しばし、ハンカチで口元を押さえてひくひくしていたベルチェは、やがて、そろりとハンカチを離して呟いた。

「……血?」

「嫌ぁ〜っ!? 誰かあぁぁぁぁ!」

 パニックに陥り、頭を抱えてアニータが絶叫する―― >「こっ……こりゃあ、何つーか……」

「……くくく……処置なし、って感じよねぇ……」

 思わずそんな感想を漏らした級友たちの視線の先にいるのは、しかし、ベルチェとアニータではなかった。

 ――襟足でひとつに束ねた、長い黒髪。血に汚れた、漆黒の鎧。

 手にするのは、竜の翼を模した禍々しい装飾を施された黒い刃の魔剣。

 誰にも見覚えのないその顔は、端整ではあるけれども、まるで命を持たぬ人形のそれのように表情がない――

 どこか爬虫類を思わせる無感動さでひとつ瞬きをし、男は、ぼそりと言った。

「……失敗、か」

「いやもう失敗っていうか……成功とか失敗とかいう次元の問題じゃないよーな気がする……」

 なおもひくひくしている監督を、音もなく近付いてきたエルナに預け、アニータは、深い溜め息をついた。

 今、彼女たちが稽古をしていたのは、芝居のラスト・シーン。

 ついに感情を取り戻したベルセルクが、ルティアに向かって微笑みかける場面なのだが……

 ――ディアが、笑わないのである。

 黒髪のかつらをつけてベルセルクの衣装をまとい、顔に《虹色蜥蜴》の呪文をかけられたディアは、まさしく伝説に語り伝えられる建国帝の風格を存分に醸していたが、いかんせん、表情がぴくりとも動かない。

 これこそ、一同が恐れていたことだった。

 それまでのシーンでは、徹底した無表情さが有利に働いたが、最後にきっちり微笑むことができなければ、それまでの芝居がいくら良かろうが、全てブチ壊しになってしまうのだ。

 無論、何とか彼を笑わせようと、アニータもできる限りの努力はした。

「ディア! 1たす1はっ!?」

「2。」

「ああああ〜、駄目だぁ……えーとえーと……はっ!
『おい八っつぁん、聞いたかい? 隣の空き地に、囲いができたってねぇ!』『へえ、そりゃあ、カッコイイねえ』

 なーんちゃって。あははははは!」

「…………」

「………………」

「………………」

 捨て身のギャグ(?)作戦も、何ら効を奏さなかった。

 しまいに、

「あーもう! 何でもいいからっ! とにかく笑ってっ!
 ……そうだ、あたしの真似してみて! 行くわよ、さん、はい!
 にぃ〜」

「……にぃ〜」

 この瞬間のディアの表情を称して、エルナが『カボチャお化けの断末魔ってあんな感じかもね……』とのコメントを残した。

 その顔を目の当たりにして、ベルチェが絶叫の末にぶっ倒れたというわけである。

「うーん……どうしてこう、もっと普通に笑えないのかなぁ……」

「だから、言っただろーが!」

 唸るアニータの背後から、怒り狂った声があがった。

 銀の髪を灰色に染め、ごてごてと装飾のついたローブを着込んでラーガス・ベイン宰相に扮したマックスである。

 びしとディアを指差し、彼は怒鳴った。

「所詮、こいつに演技なんて無理な話なんだよっ!」

「――ちょっとー! そんな言い方はないでしょっ!?」

 聞き捨てならない、とばかりにそちらに向き直り、アニータが怒鳴り返す。

「ディアもディアなりに、一生懸命やってるんだから!
 そりゃまあ確かに、あの笑顔はちょっぴり破壊的だったけど――
 でも、だからって『所詮は無理』なんて言い方はひどすぎるんじゃない!?」

「む……」

 マックスが怯んだ隙に、アニータは、ようやく立ち直ってきていたベルチェに向かって言った。

「ねえ、監督……ディアの演技、最初と比べたら、すごく良くなってきてるでしょ?
 彼の頑張りは、観客のみんなにも、きっと伝わると思う。
 ここまで、きっちり努力してきたんだから……何も、ディア自身が無理に笑わなくても、そこだけ幻術で笑顔を作るってことで、いいんじゃないの!?
 本番にはBGMもつくんだし、それで大丈夫だよ!」

「……それは、駄目だ」

「監督!」

「駄目だ、――まだ。まだ駄目だ。まだ、諦めちゃ駄目なんだ……」

 ゆらり、と立ち上がって、ベルチェは、静かに首を振った。

「表情は、役者の魂の顕現。
 幻ですげ替えても、それは所詮、偽物の笑顔に過ぎない……。
 それでは、何も伝わらない。
 感情を取り戻し、愛するということの意味を取り戻したベルセルクの心を――」

 言いながら、ベルチェの視線はゆっくりとアニータを離れ、ディアへと移ってゆく。

「本当に伝えられるのは、ディア。君だけなんだ」

「…………」

 今までになく静かな、そして重々しいベルチェの言葉に、思わずその場の全員が黙って聞き入った。

 ディアもまた、無言でベルチェを見返している。

 だが、その目は彼を見てはいなかった。

 彼の視界の中で、現在の光景は溶けるように消え去り、半ば黒い影に沈んだ灰色の石の壁に変わる。

 静寂の向こうから、幾つもの声がよみがえった――

『我らは《格子の館》の子供。苦しみも悲しみも、喜びも、愛も持たぬ』

『完璧な殺人者たる条件は、誰でも殺せるってことさ。
 それはつまり、誰一人愛さないってことなんだよ。
 ……なーんて、君に言うまでもないよねえ! 完全無欠の殺人人形くん?』

 ――『あなたに、心なんてないんだもの』――

「……俺は……」

 彼は、何を言おうとしたのか?

 その言葉の続きが聞かれることは、ついになかった。

 なぜならこの瞬間、

「……大変だぁッ!!!」

 という叫びと共に――

 その声すらかき消す爆発のような音を立てて、一人の人物が練習場の扉を蹴り開け、飛び込んできたからである!

「うわ! 何だ――?」

「てめえ……バイアス!?」

 マックスが、目を見開いた。

 上演時間の確認を取りに、総長執務室へ出向いていたはずのバイアス・バッハ。

 その彼が、これほどの勢いでこの場に乱入してくるとは――

 一体、何事が持ち上がったのか?

「おい、何事だ!」

「上演時間の件で、どこかとモメたのか?」

 それまで隅のほうで黙々と作業をしていたバノットとダグラスが、そんな問いを投げかけたが、

「違います! 先生……それどころじゃない。大変なんだ」

 バイアスは片手で払い除けるようにして、教師の言葉を一蹴した。

 今や、その場の全員が、バイアスを注視している。

 集中した視線の中、

「慰問が――」

 息を切らし、ばらばらに乱れた髪を撫でつけようともせず、彼は言った。

「慰問が、取り止めになった」




  8  決定




 見事な紫檀の執務机に両肘をつき、組み合わせた指に高い鼻を軽くのせるような姿勢で、イサベラは言った。

「……実に残念だ」

 ばん! と目の前の机に平手が叩きつけられても、彼女はいささかも表情を動かさなかった。

 波打ったダーク・ブロンドがふわりと揺らぐほどの衝撃だったのだが、その眠たげな眼差しは小揺るぎもしない――

「一体どういう事なのか、説明して頂きましょう」

 執務机に両手をついたまま、静かな口調で言ったのは、バノットである。

 今、執務室を訪れている人間は、彼だけではなかった。

 バノット、ダグラス両教室の全員をはじめ、慰問担当となっていた全ての人々が、『中止』の報を聞きつけて、一斉に駆けつけてきたのである。

「そうですよ! 説明してくださいっ、今すぐに!」

「あと十日もなかったのに……それを、どうしてこんな急に!?」

「今までの俺たちの苦労はどうなるんだっ!?」

「あんなに気合い入れて準備したのに――!」

 バノットの一言を皮切りに、彼の後ろに詰めかけた一同が、口々に言い始める。

「…………」

 騒ぎ立てる人々を、イサベラは、すっと片手を挙げただけで沈黙させた。

「よいか」

 静まり返った執務室に、彼女の声が響く。

「まず言っておくが、これは、私の意思ではない。――初等部からの、要請なのだ」

 その言葉が全員の脳に染み渡るまでに、数秒を要した。

「……え?」

 ややあって、混乱したような声をあげたのは、ルティアの衣装をまとったままのアニータである。

「でも……この、慰問の計画って、初等部のほうから出た話だったんでしょ……?
 もともと、向こうの希望だったんじゃないんですか!?」

「ゴールドベリ自身は、今でも、慰問を希望している」

「じゃあ、どうしてなんですか!?」

 激しい口調の問い掛けに、――彼女にしては珍しく、幾分疲れたような口調で、イサベラは答えた。

「これは私の意志ではないし、ゴールドベリの意思でもない。
 ――初等部の生徒の一部から、慰問中止の要望が出されたのだ。
 大事な時期に、勉学の妨げになる、という理由でな。
 初等部は、それを受け入れた。
 そういうことだ」

 毎日、毎晩が勉強漬けの日々。

 試験に向けて、ぎりぎりまで自分を追い詰め、本番で最大の実力を発揮できるよう集中を高めてゆく。

 ほとんどの者には、余裕などない。

 わき目も振らず、ただひたすらに合格だけを目指す――

 そう。エグザミネイションを控えた初等部の雰囲気を考えれば、充分に有り得ることではあった。

 だが……

 だからといって、ここまで積み重ねてきた準備を思うと、そう簡単には納得できない。

「そんな……」

「妨げ――って――」

 困惑と、未練を声色ににじませて、顔を見合わせ、呟き合う――

「……ばかばかしい」

 ぼそり、と誰かが口にした一言が、消えかけていた火に水をかけた。

「なあ、もう帰ろう、皆」

「うん……」

「……そうだよな……」

 疲れたような声が、ぱらぱらとあがる。

「もともと、こっちから言い出した話でもないし」

「確かに、骨折り損はムカつくけど、ムカついたところで、どうなるもんでもないしな……」

 無気力な空気が広がり、今にも人の流れが学院長室の扉の外に向かって動き出そうとした――

 まさに、その瞬間だった。

「――あたしは、やります!」

 決然とした声が響いた。

 既に扉のほうを向きかけていた人々が、驚いてそちらを振り返る。

「閣下」

 仲間たちと、そしてイサベラの視線を受けて、アニータは腰に手を当て、仁王立ちになり、堂々と言い切った。

「あたしたちは、やります。
 やらせてくださいっ!」

 いや、ここでそんなこと言ったって……という周囲の囁きを、彼女は、意に介さなかった。

「だって。ここでやめちゃったら、ホント、今まで何してきたんだか、分からないし。それに――」

 断固とした決意を眼差しに秘めて、言う。

「そういうもんじゃない、って、思うんです。
 ……あたしは、ここのエグザミネイションを受けてないから、あんまり偉そうなことは言えないけど。
 でも、やっぱり……
 そういうもんじゃないって、思うんです!」

「……そーだな」

 アニータの後ろから、おもむろにマックスが顔を出し、いまだ不得要領な顔をしている一同を眺め渡しながら言った。
「なあ。そうだろ、皆?
 俺らもガキの頃は、そーゆーもんじゃねぇってコトに気付かねぇで、とことん追い詰められてた。
 ……だからよ。
 あの頃の俺らと同じようにエグザミネイション控えて追い詰められまくってる、今のガキどもに、教えてやりてぇじゃねえか?」

 彼の言葉に――

「そうよねぇ〜!」

 にこにこと両手を合わせて、キャロルが同意した。

「だって、たった一日よ〜?
 今の時期の一日、ぱーっと遊べちゃうくらいの心の余裕がなくちゃ、とてもとても、エグザミネイションなんて乗り切れないわよねえ!」

「そうだ。
 たった一日、何もしなかった程度で、合格できなくなるなんてことがあるか。
 もし落ちたとしたら、そりゃ、その一日のせいじゃなくて、実力が足りなかっただけだ」

 と、重々しく、ダグラス。

「そうだっ! 人生は、勉強じゃないっ!」

「くくく……人生は、勉強『だけが全て』じゃない、でしょ……?」

 拳を突き上げ、威勢よく叫ぶルークと、横からひっそりと訂正するエルナ。

 この時。

 既に、一同の表情には理解の色と――

 そして、以前にも増した闘志がはっきりと浮かんでいた。

「……そうか。そういや、そうだよな……!
 俺たちがカッコイイとこ見せりゃ、ヤル気も出るかも知んねーし!」

「そうよ! もう、ここまで来ちゃったんだから、今さら、いきなりキャンセルされても困るのよ。
 やっちゃいましょうよ!」

「おう! やったろうぜ!」

「やりたい!」

「是非、やらせてください!」

「――閣下!」

 口々に叫ぶ仲間たちを代表するように、アニータは、真正面からイサベラに訴えた。

「この通りです。お願いしますっ!
 初等部への慰問、やらせてくださいっ!」

 イサベラは、目を閉じ、拳の角でこめかみを擦った。

「……これはもう決まったことなのだ。従って、許可は出せん」

 ――集まった者たちの目に浮かぶ炎が落胆の色に変わるまでの一瞬間に、彼女は、金色の双眸を開いてきた。

 その目に、悪戯めいた微笑がひらめく。

「と、いうところまでしか、私には言えんな」

「…………え?」

「私の知らんところでお前たちが芝居をしようがポップコーンを作ろうが、つまるところ、私は知らんのだ」

 いまやイサベラは、完全に唇を曲げてにやりと笑みを浮かべていた。

「独走だ。責任は自分たちで取れ」

 その直後の一瞬、静かになった。

 ――一瞬だけ。

「……よ……よっしゃああああああぁ!」

 その場のほとんど全員が、拳を突き上げ、歓喜の雄叫びをあげる。

「やったですの〜! これで、お芝居が上演できます〜!」

「うお〜っ! ポップコーンが作れる! ダイン、ジュリー、お前たちの苦労は無駄にならずに済んだぞおおおおっ!」

「いよぅし! こうと決まったからには、早く練習に戻ろう!」

「そうだ、もう時間がないんだ! 皆、急げぇ〜っ!」

 ずどどどどどど、とヌーの大暴走のような地響きを立て、生徒たちが一斉に評議長室から雪崩れ出てゆく――

 たちまち消えてゆくたくさんの背中を見送り、イサベラは小さく呟いた。

「……まったく、単純な奴らだな。
 部下の独走となれば、当然、上に立つ者も監督不行き届きで責任を問われるというのに」

 しかし、言葉とは裏腹に、その顔には最前のにやにや笑いが浮かんだままだ。

 彼女は肩をすくめて続けた。

「まあ、小さい事だが。
 ――よいか、お前たち。私は、失敗の責任を取るのは嫌いだ。
 やるからには……分かっているな?」

「無論です」

 仏頂面のまま、バノットが親指を立てる。

 彼の他、その場に残っていた教官たち全員が、互いに顔を見合わせて、にやりと笑った。

 生徒たちには、決して見せることのない――かつて生徒だった、そして、もっと遠い昔にはエグザミネイションを控えた初等部の子供だった、彼らの表情。

「よーし! あいつらに気合いを入れにいくか?」

 ふんむ、と両腕でガッツポーズをとって自分に気合いを入れながら言ったダグラスに、キャロルが、にこにこしながら答えた。

「う〜ん。多分、必要ないんじゃないかしら?」

 ダグラスは表情を緩めた。

「……そうだな」



 その頃――

「い・よぉおおおおおおおーっし! 稽古を、再開するぞおおおおお!!」

 大道具(岩)に登ったベルチェ監督が、拳を振り上げ、居並ぶ役者たち・裏方たちに向けて檄を飛ばす。

『うっおぉおおおおおおおお〜っ!』

 一同が、熱狂的な唸り声で応えた。

 小道具の武器を突き上げる者あり、どんどんと足を踏み鳴らす者ありと、まるでテロリストの決起大会のような勢いだ。

「俺たちの手で《黒翼の騎士の物語》を成功させるんだっ!」

「そうよ! 必ず、初等部の子たちの度肝を抜いちゃうんだからっ!」

「もう後戻りはできないなっ! 最後までやり通して、何が何でも成功させるしかなぁーいっ!」

「……気合い入れろよ、コラ。こそこそ仮面野郎」

 圧倒的な熱気と雄叫びに満ちみちた空間の真ん中で、前を見つめたまま、マックスが押し殺した声で囁く。

 その傍らで、ディアもまた、前を見つめたまま静かに答えた。

「分かっている」

「さあ――」

 彼らの視線の先で、翡翠色の目を輝かせたアニータが、レイピアを突き上げて息巻いた。

「練習しよう!!!」



 本番まで、あと八日。

 その八日のあいだ、一同の猛特訓は夜に日を継いで続いた。

『今までに一度でも、俺たちのクラスが、これほどまでの一体感をもって事にあたったことがあっただろうか……』

 と、教官たちが感慨深げな唸り声をあげるほどの、それは、見事な団結力であった。

 通し稽古が何度も繰り返され……その合間を縫って、あるいは稽古が終わった後、役者たちはそれぞれに、気になる場面の個人練習を重ねる。

 夜半を回っても、誰も寮に戻らない。既に全員が、ベッドで眠ることを放棄していた。持ち込んだ毛布を引っかぶって、練習場の隅にぶっ倒れるのだ。

 道具方は、しょっちゅう図面を囲んで車座になっては、舞台装置の位置や入れ替えの方法について綿密な話し合いを行ない、照明、音響などの効果を担当している者たちも、それぞれに試行錯誤を繰り返した。

 そして常に彼らの中心にいて采配を振るい、一同をひとつの方向へと導いていったのは、げっそりとこけた顔に目をらんらんと光らせるベルチェ監督であった。

 断片的な場面のはぎ合わせのようだった《黒翼の騎士の物語》は、一同の手によって、徐々に、壮大な一枚のタペストリーのように織り成されてゆき……



 ――そして、その日はやってきた。




  9  実行




 極めて高価な機械仕掛けの時計のように正確なリズムで、かつかつと床を打つ音が響く……

 それは、他には誰もいない廊下を歩く自分自身の足音で、アマンダは、この音を聞くのが好きだった。自分の正しさ、迷いのなさを、乱れのないこの音が証明してくれているようで。

 彼女は『外見が性格を映し出す』という言葉の見本のような少女だった。肩に触れないようきっちりと切り揃えた金髪。幾分色の薄い青色の目は冷ややかに見られがちだが、年相応のやわらかな感受性をのぞかせている。――彼女自身は、それを認めたがらなかったが。

 細い、頑なそうな眉が、顔全体の印象を厳しいものにしていた。

 アマンダは、図書館から自教室へと戻る帰りだった。借りたばかりの資料を胸の前に抱き締めるようにして、濃い墨で染め上げたばかりのような、しわ一つない漆黒のローブをまとっている。

 初等部に所属する子供たちは、皆この服装をしていた。

 黒。

 決して濁ることのない、純粋な色――

(そうよ……迷ってはだめ。心を乱してはいけない……)

 そう、ここでは――帝国魔術学院《暁の槍》の初等部、帝国のために戦う魔術師の卵を養成する機関では――何もかもが規則正しい。

 目の前に続くのは、真っ直ぐな板張りの廊下。

 左手の壁には、いくつもの扉が間隔をおいて並んでいる。

 右手の壁には窓。

 ――その外には一片の雲もない青い空が広がっていたが、彼女は、そちらには極力目を向けなかった。

 外で季節が移り変わり、空が気紛れに色と表情とを変えようとも、この建物の中にいる限り、決して心を動かされることはない。

(……そうよ、心を動かされることはない……)

 今日という日を迎えてから何度も繰り返したこの言葉は、しかし、思ったような効果を彼女の精神にもたらしてはくれなかった。

 もうあとわずかで訪れる春の気配をはらみながら、いまだ大気は冬の冷たさを残している。

 地平線の向こうからこちらをうかがっているような『春』に、彼女は抑えがたい焦りと苛立ちを募らせていた。

 あと、一月半と少し――

 それだけあれば、緑が芽吹き、花が開くだろう。この学院に、春が訪れるのだ。

 その時、エグザミネイションが行なわれる。

 彼女たちの人生を決める試験が。

(……こんな大事な時期に、冗談じゃないわ!)

 とうとうアマンダは、感情を制御しようとする試みを放棄した。

 意識して等間隔に保っていた歩調が乱れて、廊下の真ん中に立ち止まる。

 ――担任のリン・テミス教官に、高等部からの慰問があると聞かされた時には、一瞬、期待をした。

 過去にエグザミネイションを突破した先輩たちのアドバイスを聞くことができる、相談会のようなものだと思ったのだ。

 それなのに。

「一日中、お祭り騒ぎで遊び呆けるだなんて!」

 小さく声に出して毒づく。

 エグザミネイションの実施を聞かされた一年前から、彼女たちはひたすら試験に備える毎日を送っていた。

 何しろ、このチャンスを逃せば、次がいつあるか分からないのだ。

 周囲の全員がライバルであるこの環境で、誰もが、少しでも他に差をつけようと、寸暇を惜しんで訓練や勉強にいそしむ。

 それが既に習性のようになって、『遊ぶ』などということは、まったく考えられない状況だった。

 ――そこへもってきて、この『慰問』の話である。

 まだ受験のレベルに達していない見習い生たちは、この計画を手放しで歓迎したようだ。この初等部は、普段、とにかく徹底的に娯楽というものに欠けている。

 しかし、当の受験者たちはといえば、戸惑い半分の反応を示す者がほとんどだった。

 ……では、もう半分は? と聞かれれば、それが期待であったことは否定できないのだが。

「ストレス解消? 余計なお世話よ……ストレスさえも自分の中で制御できるようでなきゃ、一人前の魔術師とは言えないんだもの。
 これで潰れるほど、弱いなら、エグザミネイションに挑む資格はないんだわ……」

 アマンダは、まるで多くの部下たちの前に立った若い士官のように、昂然と顔をあげてひとりごちた。

 ――だが、その内心は、多くの部下たちを率いながらも、どこか自分を信じ切れない若い士官のように、重く沈んでいた。

(あたしを恨んでる子たち、けっこういるんでしょうね……)

 今日は、春待月の第十五日。

 慰問が行なわれる――はずだった日だ。

 十日ほど前、アマンダは、考えを同じくする仲間たちをまとめ、リン教師を通して上層部に談判を行なった。

『せっかく試験本番に向けて高めてきた集中を、遊び半分のイベントで乱さないでほしい』――

 この訴えは、意外なほど簡単に認められた。

 もともとこの計画は、初等部代表のローラ・ゴールドベリ教官が、高等部と手を組んで、半ば強引に推し進めたものだったらしい。初等部の教官たちの中にも、反感を抱いているものが多くいて、彼らが、アマンダたちの主張を強力に推したのだ。

 初等部の教官の能力は、どれだけ多くの教え子を高等部に『上げた』かで計られる風潮がある。自分のクラスの進学率を上げるため、『ライバルより睡眠時間が長ければ落ちたと思え』的な指導を行なう者も多い。

「…………」

 誰もが疲れている。あたしだって、そうだ。息抜きがしたい、何もかも忘れて楽しく遊びたい。

 でも、今、それは無理なのだ。

(今、頑張って……高等部に上がりさえすれば……)

 そう自分に言い聞かせ、アマンダが小さな拳を握った――

 それは、その瞬間に起こった出来事だった。

 どぉんっ!

「――!?」

 どんっ! どどどんっ! ぽんぽんぽんっ!

 窓の外から最初にとどろいた轟音は、石造りの建物をかすかに震動させた。それに、もっと軽い……少量の火薬の爆発のような音が連続する。

「――何だぁっ!?」

「え、何、何っ? 何かあったの?」

 今の今まで、その向こうに誰もいないかのように静まり返っていた扉が、ばたばたとあちこちで慌ただしく開き、何人もの生徒たちが駆け出してきた。中には、教官の姿も混じっている。

 今の音……攻撃魔術の演習だろうか?

 いや、違う。それなら、こんな音ではない――

 反射的に窓の外に目をやったアマンダは、

「なっ……!?」

 思わず、ぱかっと口を開けてその場に立ち尽くした。



『祝・第一回慰問! 高等部のおにーさんやおねーさんたちと、一日楽しく遊んじゃおう!!』

『バザー/何でもあります/例・大魔王のベッド/気軽に見にきてね♥』

『食え、魂のポップコーン!』

『サトクリフ・サーカス 幻惑の妙技!(見に来ないと呪っちゃいますよ)』



 あれや、これや。

 巨大な風船に吊るされた長大な垂れ幕が、正面に見えている初等部の本館の屋根よりも高く、抜けるように青い空に幾本も揺れていた。

 あまつさえその間で、ぽんぽんと音を立てながら、ピンクや黄色の煙玉が景気よく破裂している――

「なっ、何だねこれはあああああっ!?」

 呆然とするアマンダの側にどたばたと駆けつけた教官のひとりが、目を剥いて絶叫すると同時――



 じゃんじゃかじゃーん! じゃじゃじゃ、じゃああ〜ん!!



《……お、えー、あ? ん?》

「…………」

「………………」

 ナゾの音楽とナゾの声が、辺りに響き渡った。

 声は、若い男のものである。どうやら拡声の呪文を使っているらしい。

 音楽だけは調子よく続くなか、一瞬、妙な沈黙が漂ったが、



《――え、もう入ってんの。げっ。
 あ〜、ええと! 初等部の諸君! 我々は、高等部の者だぁ!
 今日一日、初等部の敷地は、我々が占拠した!
 おとなしくあきらめて、我々と共に、ぱぱぁ〜っ、と、遊んじゃいなさいっ!
 楽しいイベントが目白押し!
 全部行かないと、後が怖いぞ!
 さあ、今すぐ、表にレッツゴウだあ〜っ!!》



 言うだけ言って声は途切れ、音楽だけが、相変わらず陽気に鳴り響く……

「な、な、な……っ」

 アマンダの側にいた青白い顔の教官は、あまりの事態に、わなわなと両腕を震わせていたが――

「慰問って……あれ、中止になったんじゃなかったのぉ?」

「なんか、あるみたいだけど……え? これって、参加してもいいわけ?」

「え? 今、ここに高等部の人が来てるのっ? 行きたーい!」

「ちょっと行ってみよっか!」

 生徒たちのざわめきが妙な方向に流れはじめた途端に、はっ! と自分を取り戻し、

「ええい、馬鹿者! 騒ぐな!
 慰問はないっ!
 あれは、何かの手違いだ! すぐにやめさせる!」

 と、周囲の生徒たちに向かって声を張り上げた。

「ええ……?」

「でも……」

「『ええ』も『でも』もないっ! 今がどんな時期か、お前ら分かっとるのか!? 教室に戻れ! 今すぐにっ!」

「きゃ〜っ。そんなのいや〜ん♥」

 ――突如響いた怪しい声に、廊下にいた全員が、一瞬にして音源に視線を集中させた。

「……う、うおおおおおぉ〜っ!?」

 振り向いた教官が、思わず裏返りまくった悲鳴をあげて腰を抜かしたのも無理はない。

 なんと、彼のすぐ背後の窓――

 三階の窓の外から、一人の女性が、『よいしょっと〜』などと言いながら侵入してきたのである。

 しかも、その女性は、翼と光輪までつけた、可愛い天使の仮装に身を包んでいた。

「な……何、何者だ、お前はっ?」

「えっ?」

 職業意識を総動員して問いかけた教官に、女性はきょとんと首を傾げ、ついで、にっこりと笑顔を浮かべた。

「あっ。どうも〜こんにちは♥
 私、今日はバザーの天使なんです〜。
 皆さんもぜひ、私のクラスの子たちがやってるバザーを見に来てあげてね♥」

 ――意味不明である。

 だが、その意味不明なセリフの中から、アマンダは、ひとつの信じがたい推論を導き出していた。

「も……もしかして、あなたは……高等部の先生!?」

「えっ? あっ、そうです〜。高等部所属、キャロライン・メリ教官。
 でも、今日はバザーの天使なの〜。クラスの子たちが、そうしろって」

 これ以上ないほどの注目を浴びながら、にこにこと、キャロル。

「『先生が天使の仮装して窓から入っていったら、きっとみんな注目してくれて、すごい宣伝になりますよ』って言われたから、やってみたんだけど〜、ほんとにみんな注目してくれて、嬉しいわ♥」

「……こ、これは、一体、どういうことですかなっ!?」

 キャロルの話を聞かず(当然か)、どうにか抜けた腰を元に戻したらしい教官は、立ちあがって彼女に食ってかかった。

「慰問は取り止めということで、そちらにも、ちゃんと話が通っているはずだっ! それなのに、このバカ騒ぎは――」

「まあまあまあ〜♥」

 額に青筋を立てた相手を前に、キャロルは一層笑顔を大きくして、組んだ両手を胸に押し当てる。

「先生もそんなに喜んでくださって、私たち、とっても嬉しいですわ〜」

 ――相手の話を聞かないという点では、彼女のほうが数段上手であった。

「あのあの、うちのバザーでは、ほんとに色んな品物を取り揃えてるんです〜。
 さあ、ぜひ先生も、御一緒にどうぞ〜っ♥」

「な!? ちょ、こら、離したまえ……!?」

 がっし、と片方の手で教官の腕をとり、キャロルは、ぱっと片腕を振った。

 その瞬間、無数の白い羽とともに、色とりどりの紙吹雪が『ぶわぁっ!』と辺りに舞い散る。

 その中で――

「絶対来てね〜っ♥」

「ぎゃああああああああああぁ〜!?」

 バザーの天使は、教官を引っ掴んだまま、現れた窓から外へと飛び出していった!

「……!?」

 その場の全員が声も上げずに窓辺に駆け寄ったが、いくら見渡せど、既に、二人の姿はどこにもない……

「…………」

「…………」

「………………」

 ただ、沈黙だけが残った廊下。

 数人が、無言のまま、羽根に混じって足元に散らばった紙切れを拾い上げる。

 ただの紙吹雪かと思われたそれには、実は可愛い天使のイラストと共に、字が書いてあった。

       《バザー品・全品半額券》。

 ――これは。

「……………………」

 半額券を握り締めた生徒たちが、無言のうちに、視線を交わし合い――

「う……っ、うおおおおおおおおお! オレはぁ!」

 『絶対合格』と染め抜いたハチマキを投げ捨て、一人の少年が絶叫した。

「オレは……今日は、もう、勉強は忘れたああああぁ――っ!」

「そ、そうだね……! あたしも、遊んじゃうーっ!
 いえーいっ! もう、思いっ切り、ぱ〜っと、お買い物しちゃうんだーっ!」

 日頃のストレスを全部ぶちまけるように、拳を突き上げ、少女も叫ぶ。

 初等部の廊下は、十分前までの静寂が嘘だったかのように、蜂の巣を突ついたような大騒ぎに包まれた。

「僕も! 僕も行くっ!
 えーっと僕は、バザーに行って、ポップコーン買って、サーカス見て、えーっとそれから〜……!」

「遊ぶぞ遊ぶぞ遊ぶぞおおおおお!」

「財布! 財布取りに行かなくっちゃ――!!」

「ちょ……待ちなさいよっ、みんな……!」

 我に返ったアマンダの制止は、ずもももももももも……!! という怒涛の如き足音にかき消されてしまった。

 そして、また十秒が経過する頃には、廊下は、元のように無人になり、当初の静けさが戻っている。

 ――だが今や、床には無数の羽根と数枚の券が散らばり、窓の外からは、軽快な音楽と煙玉の弾ける音、そして、表に雪崩れ出た生徒たちの歓声が響いてきていた。

「……!」

 激しい足音を立て、アマンダは、それら全てに背を向けて教室に駆け込んだ。

 教室には、誰もいなかった。

 遠慮のない音を立てて扉を閉め、『どさっ!』と机に資料を叩きつけ、『がったん!』と椅子を引いて『どすんっ!』と腰を下ろす。

「……バッカじゃないのっ、皆!?」

 アマンダは、やり場のない腹立たしさと悔しさを、声に変えて吐き出した。

 クラスメイトの大半が、アマンダの考えに賛成して、慰問取り止めの運動に参加していたのだ。

 それなのに、いざイベントが始まったら、誰も教室に残っていないなんて……!

 この大事な時に。あんな軽薄なイベントに、嬉しそうに浮かれて。

 わざわざ運動の先頭に立ったあたしが、バカみたいじゃない!

「そうよ! あたしは、絶対、参加しないんだからっ!
 見てなさい! この一日で、あんたたちに差をつけてやるわ――!」

 机の上に資料を開き、ノートも開く。インク壷に『がっ!』とペンを突っ込み、ペン先が折れるほどの勢いで文字をつづり始めた。

 一分、二分。十分――十五分――

「………………!」

 扉を閉め切っていても、かすかに耳に届く、陽気な音楽と楽しげなざわめき。

 バザー? サーカス? ――嫌いではない。というかむしろ、好きだ。

 でも、今は、それどころじゃ……!

「……っあああああああーっ! うるさぁーいっ! うるさくて、勉強に集中できないじゃないのーっ!」

「――アマンダ・フェルモーリン?」

 アマンダが喚きながら立ち上がったのと、ぎい、と音を立てて扉が開き、担任のリン教官が顔をのぞかせたのがまったく同時だった。

「……っ」

 アマンダは、慌てて口を閉じた。彼女は普段、ここまで激昂している姿を絶対に他人に見せたりはしない。特に、教官には。

 けれど、リン教官は、彼女の『制御の未熟』を咎めたりはしなかった。

 教室に入ってきて、静かに扉を閉め、彼女の机の前までやってくる。

 四十代という年齢よりも、失礼だけれど老けて見える……笑いじわの多い顔に、穏やかな微笑みをたたえて、リン教官はアマンダを見つめた。

「やっぱり、あなたは教室にいたわね。あなたは真面目だから、きっとそうだと思いました」

「あっ。はい……」

 ほらね。先生は、皆がこうやって真面目に、ちゃんと席についていることを期待なさってたんだ。でも、ここにいるのはあたしだけ。みんなは、後で叱られるといいわ。

「あの、先生? 外の騒ぎ、いったいどういうことなんでしょうか……。慰問は中止って、ちゃんと決まったはずですよね? なのに……」

「そうねえ」

 おっとりと、リン教官は首を傾げた。

「高等部への伝達が、うまくいかなかったのかもしれないわ」

「そんなぁ……。先生、これじゃ、うるさくて勉強に集中できません。
 何とか、今からやめてもらうってわけにはいかないんでしょうか」

「そうねえ。あなたの気持ちは分かります。

 でも、それはちょっと無理でしょう」

 リン教官は、あっさりと言った。

「私、今、外を見てきたんだけれど。皆、ほんとにはしゃいで、楽しそうに遊んでいたわ。
 皆のあんな顔を見るのは、本当に久しぶりです。
 きっと、今から中止といっても、誰も教室に戻ってこないわね」

 アマンダは、あっけにとられて担任の顔を見つめた。

 ……まさか。

 まさか、先生までが――

「先生……怒ってらっしゃらないんですか!?」

「何をかしら?」

「だって……皆、こんな時期に、勝手に遊びに行っちゃったのに……!」

「そうねえ。
 でも、慰問の人たちが、ああして現に来ちゃってるんだし、こうなったら仕方がないって気もするわね。
 頑張って運動までしたあなたには、気の毒な結果だけれど……
 状況に合わせて気持ちを切り替えることも訓練のうちと思って、あなたも、今から皆と楽しんできたらどう?」

「……そんな……!」

 アマンダは、今度こそ心底情けない表情になって呻いた。

 この状況を容認してしまったリン教官を不甲斐なく思う気持ちと、ここまで頑なに慰問を拒否してきた自分の立場はどうなるのかという気持ちとがない交ぜになって、それ以上の言葉が続かない。

 リン教官は、そんな教え子を、不思議な表情で見つめていた。

 そしてアマンダが、何度か深呼吸を繰り返した末に、ようやく再び口を開こうとした――

 その瞬間。

 ずどん!

「!?」

 不意に扉のほうからあがった激しい音に、アマンダは椅子の上で十センチも跳び上がった。

 リン教官が、そちらに鋭い視線と指先とを向け――

「…………」

「…………」

 開いた扉(先程の物凄い音は、つまり、乱暴に扉が開けられたためのものだった)の向こうに立っていたモノの姿を見て、アマンダはおろか、リン教官までが、何とも言えない表情で硬直した。



 ちゃらら〜ん、ちゃっちゃっちゃっちゃ〜ん♪ じゃかじゃんっ♪



 ナゾのBGMと共に、扉をくぐってずかずかと教室に入ってきたのは、怪しい扮装をした二人の男だった。

 一人は、大きなとんがり帽子にずるずるのローブをまとい、白く長いヒゲをつけ、ねじれた木の杖を持っている。

 もう一人は、とんがった耳と尻尾、そして小さな翼のついた黒い全身タイツを着込み、手には槍を持っていた。

 ――両方とも、目付きだけが妙に鋭い。

「…………」

「………………」

 無言で見つめるアマンダたちの前で、二人組は唐突にぴたりと動きを止めたと思うと、いきなり、怪しい寸劇をはじめた。

「――モガラモガラモガラ。むにゃ」

「うきゃきゃきゃきゃきゃ!」
 杖を構え、丸っきりでたらめな呪文を唱える魔術師(?)の周囲を、悪魔(?)が騒いでぐるぐる回る。……時には『えいっ』と槍で突いてみたりもする。

 しかし、魔術師は一向に頓着せず、ぶつぶつと呪文を唱え続け――

「ふんがもんが、ムグムグ。むむむむむ……っ、むんっ!」

 気合いと共に、杖を悪魔に突きつけた。

 ぼむっ!

「うっきゃあ〜!」

 杖の先端から撃ち出された衝撃波が、悪魔を教室の隅っこまで吹き飛ばす。

 ぴくぴくする悪魔と、『ふんむ』と杖を天に掲げる魔術師。

「…………」

「………………」

 決めポーズのまま、五秒ほどじっとしていた二人組は、不意にその姿勢を崩すと、のしのしとアマンダたちの目の前にやってきた。

「ひ……」

 アマンダは椅子の上で表情を引きつらせたが、二人組は、そんなことには一切構わなかったようだった。

 びし、と杖と槍とを交差させ――

「……戦いの最中は騒音だらけだ……」

 格好とはどこまでも不似合いな重々しい声音で、交互に告げてくる。

「その通り。少々のことで心を乱されていては、魔術師はつとまらんぞ」

「え……」

『さらばだっ!』

 何の前置きもなくそう叫ぶと、二人は同時に腕を振った。

 ぼばんっ!

「……っぐ、ぐほっ! ごほっ!」

 盛大に噴き上がった白煙をアマンダが涙目で払い除ける頃には、二人組の姿はもう消えていた。

 扉が開閉する音すらも聞こえなかったのに、だ……

 心底当惑して、リン教官に視線で助けを求めると、

「あれは……」

 彼女は既に事態を把握したらしく、いつもの穏やかな表情で、のんきに呟いてきた。

「多分、バノット・ブレイド教官と、ダグラス・ハウザー教官ね」

「えっ」

 反射的に、それだけを口にして、

「……え? えっ、え、えええええぇ!?」

 次の瞬間には、扉を――彼らがそこから出て行ったのかどうかは定かでないが、とにかく扉を指差して、アマンダは、思いっ切り素っ頓狂な声を張り上げていた。

 バノット・ブレイドとダグラス・ハウザー。そして、キャロライン・メリ。

 これらの名は、初等部でそれぞれ抜群の成績を残し、高等部に上がってからは、その実力ゆえに《魔の三人衆》と恐れられ、今は教官となっている――あの、伝説的な人々のものではなかったか。

「でも、でも、でも、あの……」

 口をぱくぱくさせている教え子に、リン教官はにっこりと笑いかけた。

「あなた、実際に会うのは初めてだったでしょう。どうだった?」

「……どうって……あの……その……」

 素直に『アホかと思った』とも言えず、卵を丸ごと呑み込んだような珍妙な顔つきで、アマンダが硬直していると。

 ずどばたばたばたばたどたっ! ……ばたばたばたばたっ!!

 何やらただ事でない様子の騒音が、廊下を、こちらへと近付いてきた。

 その物音は、ちょうどリン教室の扉の真ん前で止まり――

「アマンダッ! ここにいるでしょ!?」

 黒髪をお下げに編んだ一人の少女が、猛然たる勢いで飛び込んでくる。

 彼女はただの一瞬で、アマンダと、その側に立つリン教官の姿を判別し、

「あっ。……先生。すみません」

 びしと直立不動の姿勢をとった。

「かまわないわ。アリス・マクマーン」

 リン教官が、苦笑を浮かべてその少女に向き直る。

「それよりあなた、額から血が出ているんだけれど……」

「あっ、はい。これはその、ちょっと廊下で蹴つまずいてコケただけなので、問題ありません。慌てていましたもので。
 ――って、そう! 大変なのよ、アマンダッ!」

 それきりリン教官のことは忘れたような剣幕で、アリスは、席についているアマンダの腕を引っ掴んだ。

「な、何……?」

 アマンダは、親友のいつにない勢いに困惑して呻いた。

 彼女は普段、こんなに騒がしい子ではない。慰問取り止めの運動にも、アマンダと一緒に、率先して加わっていたのだ――

 そのアリスが、掴んだ腕をぐいぐい引っ張りながら、大声で喚いてくる。

「ちょっと来なさいよ! ホント急いで! お願い!」

「だ、だから何なの? どこへ行くって……」

「いいからホント早くっ! すごいのよ!

 見逃したら、一生後悔するわ! だから急いで!」

 意味不明な意気込みを見せる親友の腕を、アマンダは、思わずもぎ離そうとした。

「ちょっと、離してっ! 私はここでべんきょ……」

「べ・ん・きょ・おおぉ〜!?
 ンなモンのコトは、今は置いとくっ!
 さあ! それより早く〜っ!」

「きゃーっ!? は、はなしてぇ〜〜〜〜っ!」

 がたがたがた! と机をなぎ倒す勢いで引きずられていったアマンダを見送って、

「まあ、まあ……」

 リン教官は、くすくすと笑った。

 教え子たちの後を追いかけるように、ゆっくりと教室の外に出て、

「ありがとう。うちの子たちに、面白いお芝居を見せてくださって」

 穏やかに言って、扉を閉める。

 しばし、教室はしんと静まり返ったが――

 ややあって、ごと、がた、と音を立てながら、教室の一番後ろの掃除用具入れの中から、魔術師と悪魔(バノットとダグラス)が、ごそごそと出てきた。

「……ふっ。芝居の宣伝をする予定が、とっさに、迷える若者に教えを垂れてしまったぜ」

 格好をつけて前髪――は全身タイツのせいでなくなっているので、悪魔の耳を払いながら、ダグラスが呟く。

「……というか、ダグラス。貴様、あれでは、悪魔というより猿だろう」

「何!?」

 と大仰な姿勢で、ダグラスがバノットに向き直る。

「貴様から……よりによって、陽だまりでうたた寝をするジジイの寝言のごとき『呪文』を唱えていた貴様などから、そのよーに偉そうな批判を受けるとは……!」

「黙れ」

 ――とっさにアドリブにしたら、あの有様である。

 要するに二人とも、役者としては極めつけの大根なのだった。

 さすがにその出来を自覚しているらしく、互いに少しばかり情けなさそうな顔を見合わせた《魔の三人衆》の二人組は、

「……とにかく、次いくか……」

「うむ……」

 次なる宣伝先を求めて、おもむろにリン教室を立ち去っていったのだった。




  10  舞台




 前後左右から跳びかかってきた幾つもの影を――

 男は、その紫の目で無感動に一瞥した。

 ザシャアアアアアァッ!

 転瞬、一閃した黒い刃が、斧や棍棒を振りかざして躍りかかったゴブリンの一団のことごとくを薙ぎ払う。

《……セ》

 仲間を倒され、残ったゴブリンたちの統率が目に見えて乱れる。だが、なおも圧倒的に上回る数を頼んでか、逃走しようとはしない。

《……殺セ》

 その真っ直中に、男は一陣の黒い風のように斬り込んだ。

 飛び散る血飛沫と、重なる断末魔の絶叫。そんなものには何の関わりもないかのように、彼の端整な顔はこそとも動かない――

《殺セ 殺セ》

 その不吉な囁きに身を任せるかのように、彼は剣を振るい続ける。

 恐怖にかられて逃げようとしたゴブリンは、男の投げ放った短剣に背中から心臓を貫かれ、地面に転がった。

「……つ……」

 大きな岩の陰に隠れ、男の鬼神のごとき戦いぶりを見守っていた赤い髪の少女が、呆けたように呟く。

「強い……」

 彼女は、このダルバロス山麓荒野を旅している途中でゴブリンの集団に襲われ、あわやというところで、突然現れたあの男に助けられたのだ。
 ――というより、ゴブリンたちが新たな獲物に注意を引かれた隙をついて、彼女自身がここに隠れたのだが。

 いまや、男の周囲に、生きて動く敵はいなくなっていた。

 紋章のない黒い鎧は返り血に塗れ、滴り落ちた赤い滴が、彼の足元に湯気の立つ血溜まりを作っている。

 男は剣を収めようともせず、岩陰から半身を出した少女に視線を向けた。

 彼は、少女に切っ先を向けた。

《殺セ 殺セ 殺セ……》

「え? あの……ちょっ……」

 怯え、戸惑いながら、少女はその切っ先を拒むように両手を突き出す。

 なぜ、自分が刃を向けられるのだろう。彼は、自分を助けてくれたのではないのか? なぜ……

《――殺セ!》

 男の手が、びくりと震えたように見えた。

 彼は、何か抵抗でもあるかのようなゆっくりとした動作で、剣を鞘に収めた。

 そのまま無言で背を向け、去ろうとする男に向かって、

「ちょっと待ってよっ!」

 少女は、張りのある声で呼びかけた。

 男が振り向く。

「えーっと。あのね。助けてくれて、どうもありがと」

「お前を助けたわけではない」

「……あ、そうなの? でも、まあ、結果が同じだから何でもいいわ。
 それよりあなた、強いのねえ!
 あっ、あたし、ルティア。こう見えても、傭兵をやってるのね。まあ斥候とかの仕事しかしないんだけど。
 でさ、あたし、ちょうど強い相棒を探してたのー!
 ね、ね、ね。あたしと一緒にお仕事しない?」

「…………」

 大した反応も見せずに再び背を向けた男に、ルティアは、地団駄を踏んで叫んだ。

「ちょっと、何よー! 無視はないでしょ!?
 ってゆーか、こっちが名乗ったんだから、せめて、名前くらいは教えなさいって!」

騒ぐ少女の気迫に負けた、というわけでもないのだろうが――

 足は止めないまま、男は肩越しに振り向いて、ぼそりと言った。

「……ベルセルク」



         *        *        *



「………………」

 ぽかん、と口を開けているアマンダに、

「ねっ、ねっ、ねっねっね〜っ!?
 スゴいでしょ!? びっくりするでしょ!? 感動でしょ〜っ!?」

 隣から小声で、しかし抑えようもない興奮をにじませた声音で、アリスが囁きかけた。

 薄明かりの中でも、その表情が輝いているのがはっきりと分かる。

 ここは、初等部本館の大講堂――

 長椅子を並べた客席にいる人間の大半は、黒いローブ姿の初等部の生徒たちだ。

 しかし、中には、教官たちも混じっているらしい。

 さらに、てんでばらばらな服装をしているのは、高等部から来た生徒たちだろう。

 ――そして、今。

 彼ら全員が見つめる舞台の上に――ダルバロス山脈の麓に広がる荒野があった。

「う、嘘でしょ……」

 ほとんど拉致られるような形でここまで連れてこられたアマンダだが、もはや、文句を言うことも忘れ去っている。

 圧倒的な奥行きをもって遥かにそびえる山脈を指差し、彼女は呻いた。

「あれ、書き割りじゃないわ……! 幻術よ! それに、あのゴブリンだって、全部……!」

「この劇ね、高等部の、バノット教室とダグラス教室が合同でやってるんだって!
 ベルチェ・ソルディールってゆう、すっごい幻術使いの人がいて、その人が、あれ、やってるらしいわよ……!」

「バノット教室!?」

 親友の言葉に、アマンダは目を見開いた。

「それじゃ……あの赤毛の人が、アニータ・ファインベルドなの!?
 ヒノモト帝国から来た剣士で、《炎の武神》って呼ばれてる……」

「多分ね! ――それより、あの男の人、誰なんだろう! あ〜、カッコイイ☆」

「…………」

 後に建国帝と呼ばれることになる男の姿をうっとりと眺めるアリスの傍らで、アマンダは、身体の奥底から震えが湧き上がってくるのを感じていた。

 それは、純粋な興奮だった。

 あれほどの幻術を、人の身で行なうことができるとは……!



         *        *        *



「…………!!!!!」

「――だ、大丈夫かな?」

 青白い光を放つパワーストーンを両手で握り締め、目を見開いたままで一心に何やら念じているベルチェを、ルークは、いささか心配げに見つめていた。

 ここは、アマンダたちが見入っている芝居が今まさに展開している舞台の、下手の袖である。

 ……ちなみに、縛り上げられてそこらへんに転がっている数名のローブ姿は、上演を断固阻止しようとした頑固な教官たちの末路だったが、それはともかく。

 幕の間から舞台上の様子をうかがうと、ちょうど、ディア扮するベルセルクが凄まじい勢いで魔剣を振るい、ゴブリンの集団を蹴散らしているところだった。

 ――とはいっても、実際にゴブリンが舞台に上っているわけではない。

 彼らは全て、ベルチェが魔術で生み出した幻影なのである。

「……すっげーな、実際。ホントに感心するぜ……。
 けど、こんだけすげーってコトは、つまり、そんだけ疲れるってコトなんだよな……」

 なおも心配げにぶつぶつ言うルークの肩に、手袋に包まれた手がそっと置かれた。

 驚いて振り向くと、いつのまにか音もなく近寄ってきていたエルナが、にやりと唇を曲げている。

「くくく……心配しなくてもいいわ……」

 彼女は、怪しい風貌にまったくそぐわない、むやみに希望的なポーズをとって断言してきた。

「だって……監督が、この舞台を終えないうちに倒れるなんて、有り得ないもの」

「おお、そういやそうか!
 ――って、オイ!? それって、終わったら倒れるってコトじゃねーのか!?」

「くくく……声が大きい……」

 エルナの指摘に、ルークは、慌てて口を押さえた。

 しかし幸いにも、オーケストラボックス――はないので、ルークたちと同じく舞台裏――からゴーレム演奏団が奏でるBGMのおかげで、彼の叫びは、観客席までは届かなかったようだ。

 エルナは、元々低い声を一層低めて、ぼそぼそと言ってきた。

「とにかく今は、側でごちゃごちゃ言って、監督の集中を乱しちゃだめ……それに、あなたも、自分の仕事に集中しなくちゃ……」

「わ、分かった。大丈夫だ。フィルたちも手伝ってくれるし……」

 向こう側の袖の様子をうかがうと、バトラー兄弟に扮したフィルとライリー、きらきらする小妖精の羽をつけたミーシャ、濃い緑のローブを着たアランが、それぞれ『スタンバイOK』の合図を送ってくる。

 ダグラス教室勢も、自教室の道具方に同じような合図を出しているようだ。

 ――何しろ人員の絶対数が少ないので、まだ出番が巡ってこない役者たちが、裏方をサポートするというシステムになっているわけである。

「すげーんだか貧相なんだか、よく分かんねーな、コレ……」

 ゴーレム演奏団にぶつからないよう遠慮しつつ、気絶して倒れている教官たちを脇へどけて(大道具を出し入れする邪魔にならないようにだ)ルークがぼやいた。

 ――まあ、客席からは分からないので、問題なかろう。

「あら……」

 舞台上の様子を見ていたエルナが、鋭く呟いた。

「そろそろ私の出番が来そうね」

 去ろうとするベルセルクをルティアが引き留め、強引に二人旅をはじめる場面である。

「…………」

 エルナは、やはり舞台上の様子をうかがっている一人の若者にちらりと視線を送った。

 それに対して、ちょい待ち、というように手を挙げてきたその若者は、ダグラス教室のミーアン・プラスタである。彼は、その『いい声』を買われて、ナレーション係を任されているのであった。

 ミーアンが、舞台の様子を見つつ、立てた指を一本ずつ折ってゆく。

 ……4……3……2……1……

「――闇よ」

 エルナの声と同時、観客たちがざわめいた。舞台上が、突然暗転したのである。

 それも、ただ単に照明を落としたというのではなく、完全な闇に包まれたのだ。

『かくして、紋章を持たぬ黒の騎士ベルセルクと、傭兵の少女ルティアは同じ道をたどりはじめた……』

「――よし! 第二場面《森の屋根亭》、急げ!」

「音立てるんじゃねーぞ……!」

 音楽と、ミーアンの語りとが流れる中、薄明かりに照らされた舞台上で慌ただしく大道具を入れ替える道具方たちを見つめながら、

「くくく……おっけー」

 エルナは満足げに頷いていた。

 光を完全に遮断する《闇》の魔術を、観客席と舞台上とを隔てる薄い幕のようにしてかけたのだ。

 こうしておけば、作業がしやすいように舞台上を明るくしたままでも、観客には、こちらの様子はまったく見えない……

「…………」

 幻術を解いたベルチェが、射るような視線で舞台上を一瞥した。つい先程まで荒野だったそこは、既に宿屋一階の酒場へと変貌している。

「――役者全員、舞台上にスタンバイ済み」

「ゴーレム演奏団、第二場面BGMに切り替えスタンバイOK」

「ミーアンの語り、終わります……《闇》を消す準備を」

 ベルチェが片手を挙げている。

 スタッフ全員が、その手が振り下ろされる瞬間に備えていた。

 あと3秒……2秒……1秒……

 振り下ろされる!

 ――その瞬間、観客たちの目の前に、百年前の酒場が姿を現した。



         *        *        *



「……見事ぢゃ」

 白髪頭を黒いショールで包み、ほとんど九十度近く腰の曲がったその老婆は、ねじれた太い杖に両手をついて、うむうむと何度も頷いた。

 ほとんど、おとぎ話に登場する『魔法使いのオババ』といった風情のこの老婆は、姿こそ年老いてはいるが――というか、実際に中身も年老いているのだが、その眼光は炯々として、並の戦士相手ならばにらみ勝ちできるのではないかというほどの迫力を備えている。

 この人物こそ、ローラ・ゴールドベリ教官。

 初等部の運営を切り盛りする、老いてなお明敏な傑物であった。

「話には聞いておったが、よもやこれほどの使い手らであるとはの。……《薔薇》どもが、よこせよこせとやかましいのも無理はないわい」

「あんな面白い奴らを、そう簡単に手放せるものか」

 そう囁いたのは、老婆の隣に陣取った長身の女性である。

 こちらも初等部のものに似た黒いローブを着込み、頭から黒いショールをかぶっていた。

 そこからわずかにのぞくのは、ゆるやかに波打ったダークブロンドと、眠たげな金の双眸――

 イサベラ・アストラッド総長閣下である。

 二人は並んで観客席の最前列に陣取り、手には、ポップコーンの器を持っていた。すっかり娯楽態勢である。

「――ちょっとあんたっ! あたしのベルちゃんにケチつけるつもりっ!?」

「待て、ルティア。俺はお前の……」

「うるせえ! 赤毛のチビは引っ込んでろっ!」

「なっ、何ですってぇぇぇっ!?」

「兄さん、これって物凄く店の人に迷惑だと思うんだけど……」

 何やら乱闘が始まっている舞台の上を、イサベラは気楽に指差して、

「見ろ。あれだけの術者が一致団結して、四十日間も訓練を行なったんだ。その気になれば、都ひとつ陥とせる。
 ……だが、奴らが目指してきたものは何だ? 後輩たちの前で、芝居を上演する。ただそれだけだ。
 面白過ぎるだろう」

「まったくぢゃ」

 深く頷いて、ゴールドベリ。

「《薔薇》の連中は、ゆうもあというものを理解しよらんからのう。……こやつらは、あそこよりも、ここに向くのぢゃ」

「そうだな」

 わあっ! と観客がわいた。

 ルティアが、手にしたお盆でホークをしばき倒したのだ。

「おおっ。良いぞ、娘っ子!」

 生徒たちに混じり、喜んでポップコーンを投げるゴールドベリ。

 イサベラは苦笑しつつ、ふと、視線を横手に巡らせた。

 見れば、やはり最前列の隅っこに、いつのまにか怪しい老魔術師と悪魔、そして天使が陣取っている。

 ……天使の足元には、なぜか黒いローブ姿の教官が倒れていたが、誰も大して気にしていないようだった。

 老魔術師は仏頂面で、天使と悪魔は笑いこけながら、やはり景気よくポップコーンを投げている――

 その光景を眺めながら、確信に満ちた口調で、イサベラは繰り返した。

「……こいつらは、あそこよりも、ここに向くのだ」



        *        *        *



 こうして、長大な絵巻物のように、《黒翼の騎士の物語》は展開していった。

 魔剣を狙う邪教集団や、執念深い本国からの追手との絶え間ない戦い。新しい仲間たちとの出会い。

 数々の危難を共にくぐり抜ける中で、ルティアの心のうちには、自分でも気付かぬうちにベルセルクへの愛情が育まれてゆく。

 だが、想いを自覚してもなお、感情を持たぬ彼にそれを伝えることはできない……

 暗転した舞台上で、ただ一人照明に照らされながら独白するルティア。

「ベルちゃんはあたしのことを、どう思っているの? 
 一緒に戦う旅の仲間、ただ、それだけ……。
 あの人は誰も憎まないし、誰も愛さない。
 ……自分を絶対好きになってくれない人に、好きだなんて言えないよ……」

 その言葉に秘められた哀しみ。

 観客たちは、否応無しに、揺れる少女の心に寄り添って物語に引き込まれてゆく。

「……あたし、どうして、あの人を好きになっちゃったんだろう……」

「理由なんか、どうでもええがな。
 一度、生まれた気持ちっちゅうのんは、捨て切れるもんやあらへん。
 どこまでも、貫いたったらええんや!」

 迷い、傷付くルティアを、種族は違っても同じ女性として力強く支えるのは、勇ましい旅の仲間、小妖精のキーリィだ。

「いやあ〜、あなたがたと一緒にいると、私、仕事に困りませんねえ」

「嬉しいのかよっ!?」

「全然嬉しくないです。ケガしないでください」

 エルフの癒し手であるティスは、魔剣の呪縛に苦しむベルセルクを、そして激しい戦いに傷付く仲間たちを救うべく力を尽くす。

「――おいコラ、待て!? 見ろ、この手配書っ!
 『ベルセルク・グランシスとその一党』……
 って、いつの間に俺らがいっしょくたにされてんだよっ!?」

「兄さん」

「何だ!?」

「……運命って無情だね」

「黙れ!」

 いつでもやかましいバトラー兄弟だが、どんな過酷な状況にもめげない彼らの筋金入りの陽気さは、死中に活を求める最中でも、仲間たちの顔に幾度となく笑みを浮かばせてきた。

 そして……

 かつて自分を陥れた張本人が、レティカ王国の宰相ラーガス・ベインであり、王女を傀儡にした彼が現在の国政を意のままに牛耳っていることを知ったベルセルクは、ラーガスを倒すため、危険を覚悟で故国へと帰還する。

 腐敗し切った政治に抵抗する人々の支持を得たベルセルクは、ついに自らが先頭に立ち、反乱軍の旗を揚げた。

《紫眼の黒竜》――後に帝国の紋章となる旗印を押し立てた反乱軍は、バトラー兄弟が立てた戦略によって、各地で王国軍を打ち破る。

 そして、新暦八六四年、春待月の第十一日。

 ベルセルク率いる三千の反乱軍は、王都ヴェスタンティを目前にしたケクセント平原にて、《千年樹》の旗を戴く二個師団、一万二千と向かい合った。

 歴史が書き換えられる瞬間まで、あと四日に迫った、風の強い日だった――



         *        *        *



「頼む、頼む、頼む頼む頼む〜……」

 ルークは、祈っていた。

(舞台の神様、脚本の神様、えーとそれから、大道具の神様照明の神様音響の神様……
 あー、もー! どの神様でもいいから、てゆーかできれば全員で、とにかくどうか、この芝居に守護をお願いしますっ!
 特に、この二人に!)

「! ! ! ! !」

「――――」

 ルークの傍らには、ベルチェと、エルナがいた。

 ベルチェは骨ばった両手を胸の前で固く組んでおり、その指の隙間から真紅の輝きがのぞいていた。彼の足元には、蓄えられた魔力を使い果たし、光を失った石がいくつか転がっている。

 エルナは、杖を傍らに置いて、天から何かを受け取ろうとするかのように両手を広げていた。

 今、この二人が力を合わせ、舞台上に、この芝居中最大級の幻術を展開しているのだった。

 それはおそらく観客たちの誰も見たことのない規模のもので、それを証明するかのように、客席からはしわぶきひとつ聞こえない。

 誰もが、舞台の上で繰り広げられる光景に見入っているはずだ。

 しかし。

 狙い通りの効果にも関わらず、ルークは、おろおろと両手を揉み合わせながら二人を見比べていた。

 エルナには、まだ余裕があるように見える。

 だが、ベルチェは――
 今、彼の手に握られているもので、イサベラから借り受けたパワーストーンはお終いだ。

 もしも、これの魔力が底を尽いたら、彼は、確実に倒れる。

 既に芝居は終盤に差し掛かっているものの、果たして、間に合うだろうか……?

「おい……! そいつ、大丈夫なのかよ!?」

「しーっ! 二人の邪魔すんな……!」

 焦りを浮かべて問いかけてきたレティカの宰相を、げん! と拳の一撃で退けて、ルークは、なおも心配げに二人を見つめ続けた。



         *         *        *



 ――平原が揺らいだ。

 鬨の声と、駆け抜ける幾千もの蹄鉄の響きに打たれて。

 ケクセントの戦いが始まって四日目。

 王国軍の鉄壁の守りの前に為す術を知らぬかに見えた反乱軍が、ついに、全軍挙げての突撃を開始したのだ。

 その数、九千――

 王都の守備軍と共に彼らを挟撃して叩き潰すはずだった王国軍の増援部隊が、前もっての工作通り、反乱軍側に寝返ったのである!

《紫眼の黒竜》の旗をなびかせた軍勢が、王国軍の守りの壁を、見事な鋒矢の陣形で切り裂いてゆく。

 その先頭にあって、眼前に立ちはだかる者をことごとく斬り倒してゆくのは、黒い鎧を身にまとった一人の戦士――

「…………」

 アマンダは、声もなく、目の前に展開する光景を見つめていた。

 それは、戦闘が起こっているケクセント平原を、遥か鳥の目から見下ろした光景。

 翼あるものでなければ決して見ることのできない、戦場の俯瞰図であった。

 魂を奪われたように見つめる観客たちの前で、ヴェスタンティの門が陥ちる。

 反乱軍はそのまま、王城を目指して進軍した。

 千年王国レティカが、ついに、その滅びの日を迎えたのだ――

「こぉら、ベルセェェェェルク! 女といちゃつくのは後でやれ! とっとと来ねぇかぁ!」

 打ち合う鋼の響きを圧して、その男の叫びが通った瞬間、視点が一瞬で下がり、観客たちはたちまち、打ち砕かれた王城の門で一進一退する激しい戦闘のただなかに導かれる。

 ハルバードを振り回す城の守備兵と剣を交えながら、ホークが怒鳴った。

「――この手応え……気ぃつけろ! こいつら、人間じゃねえぞ! ……イーグルッ!」

「了っ解っ!」

 兄が押さえ込んだ敵の首を、背後から駆け寄った弟が跳ね飛ばす。

 面頬の下に隠されていたのは、トカゲの顔を押し潰したような醜い容貌……《呪われし者》の兵士だ。

「ケッ! 《呪われし者》とつるんでやがるたぁ腐り切った野郎だぜ、そのラーガスとかいうオッサンはよぉ!」

「でも、これってちょっと厄介だね。守りの壁が思ったより分厚い。どうしますか? ベルセルクさん――」

 イーグルの言葉に応えるように、黒い騎士が、門をくぐって姿を現した。

 彼は今まで、ルティアをかばいながら敵中を斬り抜けてきたのだ。

 その姿を目にした門を守る兵士たちが、ざわめきながら退いた。

「……ああ?」

 敵の奇妙な反応に、ホークが訝しげに頬を歪める。

 ――ベルセルクの手の中で、黒い魔剣が不吉な唸りを上げていた。

 騎士が、口を開いた。

《下等ナル眷属ドモ 下ガレ! 我ハ コの男と共に こノ男の 最も憎ム者を殺す!》

 それは、人間の声ではなかった。

「……う、嘘? ……ベルちゃん……?」

 目を見開いて、少女は、一歩、二歩と後退る。

 この男は――

 今、目の前にいるこの男は――

 もはや、人では、ないのか?

《下がれ! 俺は、ラーガス・ベインを殺す!!!》

 男の咆哮を受け、《呪われし者》の兵士たちが怯えて引き下がる。

 だが、同時に味方も――

「こ、こいつ、人間じゃねぇのかっ!?」

「やばいぞ! 皆、離れろ……!」

『……くふふふふ……』

 反乱軍が浮き足立ったところへ、新たな声が響き渡った。

『ふ、ふはははははは! 魔剣に、完全に支配されたか。剣士が剣に使われるとは、無様なことよなぁ!』

 突如、地面から灰色の煙が噴き出した。それは風に散らされる前に一瞬で凝固し、一人の男の姿をとる。

「だ、誰――!?」

「アホかー! 状況読めぇ! あれが、ラーガスとかいう奴やっ!」

 間髪を入れずにバトラー兄弟が斬りかかるが、その刃は敵の身体を素通りしてしまった。

 ――幻覚だ。

『無駄なことを』

 彼らを嘲笑いつつ、ラーガスの虚像が指輪をはめた右手を掲げ、一声、短い呪文を叫ぶ。

 その瞬間、陽光をさえぎり、黒い影が一同を覆った。

「きゃああああぁっ!?」

 舞い降りた巨大な怪鳥は、ベルセルクから離れていたルティアを鉤爪に捕らえ、たちまち弓矢も届かぬ高みへと舞い上がる。向かう先は、王城の塔――

「――ルティア?」

 ベルセルクの瞳に、焦点が戻った。

「ルティア……!」

「馬っ鹿やろぉぉぉぉ!」

 その彼を、ホークが殴りつける。

「ぼっとしてる場合かぁ! 急げ! あのド腐れオヤジと、赤毛のチビを追っかけるぞっ!!」

 こうしてベルセルクたちは、ごく少数のまま、敵の待ち受ける王城へと斬り込んでいった――!



         *        *        *



 その頃。

「……ま・に・あ・えぇ〜っ……!」

 舞台袖では、相変わらずルークが祈っている。

 だが、彼の祈りも空しく、状況は時を経るごとに悪化していた。

 ベルチェが手にしたパワーストーンの輝きは、今や蛍の灯火のように弱々しいものになっている。

 大きな幻影が舞台上に現れるたび、ルークははらはらしていた。

 この光は、もう、いつ消えてもおかしくないのだ――

「……3。2。1。よしっ!」

 先程からずっと舞台の様子をうかがっていた、男顔負けに逞しい体格のダグラス教室の道具方、エニグマ・フラウが、短剣を振るって、目の前に張ってあったロープを切断した。

 それと同時、舞台袖の天井から、砂を詰めた袋が勢いよく落下してくる。

 その袋には、やはりロープがくくり付けられており、そのロープが一体どこに続いているかというと――

「よぉし! 成功だっ」

 エニグマがガッツポーズをとると同時、舞台上で、アニータの身体が舞い上がった。

 観客席からは、巨大な鳥にルティアがさらわれたように見えるシーンだが、実際は、背中に固定したロープで吊り上げたのである。

 舞台上で、フィルが、ディアを殴りつける。

 そして、一同が袖へ――つまり王城へと乗り込んでゆく……

 それと同時、観客たちの目の前から、大勢の兵士たちが戦いを繰り広げる城門前の光景が溶けるように消え去った。

 その後ろにセットされていた、城の回廊の舞台装置が姿をあらわす。

 この通路で、ダグラス教室勢扮するラーガスの手勢と、ベルセルクたちが戦うのだ。これで、しばらくのあいだ、幻術は必要なくなる――

 と、その瞬間、

「――ベルチェっ!?」

 ルークの目の前で、ベルチェの身体がふらりと揺らいだ。

 ルークが慌てて背中を支えた拍子に、固く組み合わさっていたベルチェの手がほどけ、指の間から、パワーストーンが滑り落ちる。

 それが床にぶつかって舞台の上に転がり出る前に、横手から、エルナが全身で飛びついてキャッチした。

 そのまま床に転がった彼女には構わず、ルークは、がっくりと仰け反っている級友を揺さぶって呼びかける。

「ベルチェ、おい!? 大丈夫かっ!?」

「……だ」

「『だ』!? 大丈夫の『だ』か、駄目だの『だ』か、どっちだああ!?」

「……だ・い・じ・よ・う・ぶ・だ……」

「――駄目だわ」

 死体が口をきいたようなベルチェの呻き声と、起き上がってきたエルナの呟きが同時だった。

「だ……駄目って、何がっ!?」

「これよ」

 いつになく深刻な口調でエルナが差し出してきたのは、今しがた彼女がキャッチしたパワーストーンである。

 かつては真紅の輝きを放っていたそれは、いまや、ただの赤瑪瑙のように、いささかの光も帯びてはいない。

 魔力を、使い切ったのだ。

「何てこった……!」

 唸ったのは、近づいてきたエニグマだった。

「何か、方法はないのかいっ!?」

 言われて、ルークはすがるようにエルナを見つめた。

「エルナ……!」

「待って。……待ってね。整理して考えましょう……あと、幻術が必要な場面はどこ?
 ……この後、塔のてっぺんのシーンで青空がいるわね。
 そして……最後のクライマックスシーンの『あれ』……」

 フード越しにもはっきりと分かるほどに顔をしかめて、やはり、この上なくはっきりと、エルナは告げてきた。

「……空くらいなら、何とかできる。
 でも……『あれ』は、私には無理よ。
 練習すれば別だけど……とにかく、今この場ですぐに、というのは、無理だわ……」

『じゃあ、打つ手なしか?』と蒼白な顔を見合わせるルークとエニグマ、そして、いまだ天井に吊り下げられたまま、『大丈夫!?』と視線で問いかけてきているアニータを無視して、エルナは、視線を舞台上に向けた。

「……《虹色蜥蜴》がエンチャント型の術だったことは、不幸中の幸いよね」

 ベルチェが倒れた今も、ベルセルクの顔が消えていないのは、ベルチェが、ディアの仮面自体に呪文の効果を封じておいたからである。

「主役の顔がいきなりにやにや笑いの仮面に変わったら、お客さんもびっくりだものね……」

「んなコト言ってる場合じゃねーよー……どうすんだ!?」

 舞台では、ディア扮するベルセルクたちが、宰相側の手勢の反撃を受けつつ、じりじりと敵を押し返しているところだ。

 この後、仲間たちが仕掛けられた罠にかかってしまい、ベルセルクが、単身先行することになるのだが――

「そこで、暗転。アニータが、下りながら、声だけで独白……
 その間に、舞台装置を《塔の屋上》に入れ替え……
 アニータが下りたら、マックスが彼女を捕まえて立ち、そこからシーンが始まる……
 そこへ、ディアが駆けつけて……」

 今後の場面展開を頭の中で再生しつつ、所要時間をはかるエルナ。

「今から『あれ』まで、およそ三十分。……監督、生き返るかしら?」

「おい、《死神》! 治癒呪文を使えよ!」

 言ったエニグマに、エルナは静かに首を振った。

「監督が引っくり返ったのは、魔力を使い果たしたからよ……治癒呪文でどうにかなるものじゃないわ……」

「そんな。じゃあ、どうすんだよ、ホントに!?」

 いまや、こちら側の袖に控えていたスタッフ全員が、ルークの腕の中でぐったりしている監督を見つめて不安げにたたずんでいた。

 天井のアニータや、向こう側のスタッフたちの間にも動揺が走っている。

 あと一歩で諦めに変わりそうな焦燥感が、一同の上に重くのしかかり――

「……あ。」

「何だっ!?」

 不意に『ぽん』と手を打ったエルナに、横手から、藁にもすがるといった面持ちで、ルーク。

 それに応えて……というわけでもなかったのだが、エルナは、ゆっくりと顔を上げた。

 その時には既に、いつもの彼女の、不敵な表情が戻っている。

「思いついたわ」

「うおおおおお! 偉いぞエルナ! で、何を思いついたんだっ!?」

「……しいっ、声が大きい。……あら。ちょっと待って。もうすぐ暗転よ」

「だから何を!?」

「落ち着いて、ルーク」

 こつん、と彼の頭を杖で叩いて、エルナは言った。

「まずは……皆、スタッフとしての仕事を果たして。全てはそれからよ。
 ……で、自分の仕事が全部終わった人から、ここに集まってちょうだい。
 ちょっと、協力してもらいたいことがあるの……」

「わ、分かった――」

「落ち着いてね……私たちの一人でも、慌ててトチったりしたらおしまいよ。この後、役者たちにも、安心するように伝えて」

「了解っ!」

「よし……! とりあえずは、大道具スタンバイだっ!」

「各自、持ち場へ! 音響、準備できてるかっ?」

 いささか不得要領ながらも、とにかく希望を取り戻した様子で、再び動きはじめるスタッフたち。

 ひそやかな活気を取り戻した舞台袖で、ベルチェを膝枕しながら、

「それにしても……まさか、芝居に効果を出すために、この奥義を使うことになるとはねぇ……」

 苦笑を浮かべて、エルナは呟いた。

「…………すま、な、い……何を……する、つもり」

「今は喋らないで、監督。……私が何とかする」

 苦笑から、苦みが抜け落ちて、闘志を沈めた美しい笑顔に変わる。

 ――自分たちでなければ、芝居『なんか』のために、と言うところだ。

 だが、自分たちは、決してそんなことは言わない。

 なぜなら。

「この、スゴい芝居に、私たち皆、ここまで、全力を賭けてきたんですもの……」

 だから、最後まで、全力を尽くす。

 舞台の上で、ディアが向こうの袖へ――城の回廊の奥へと走り込んだ。

 スタッフたちが、一斉に身構える。

 天井で、アニータが『スタンバイOK』の手付きを見せる。

 それら全てに頷いて、すっと片手を突き出し、エルナは囁いた。

「――闇よ」



         *        *        *



 裏方たちの戦いが、観客にまったく知られることのない場所で、密かに進行してゆく。

 ――そして、同じ時、役者たちもまた激しい戦いを繰り広げていた。

 ただし、こちらの戦いの舞台は、観客たちの目の前だ。

「死ねぃ!」

「!」

 最終場面。

 広がる青空を背景にした、王城で、最も高い塔の上――

 ローブをひるがえしてラーガスが撃ち放った衝撃波を、ベルセルクが、魔剣を振るって払い除ける。

 だが、その威力を完全に殺すことはできない。

 砕かれた衝撃波が、無数の不可視の刃となって、ベルセルクの身体を切り刻む。

 その余波で、石垣の端が数ヶ所弾け飛んだ。

「ベルちゃん!? ――ちょっと、あんた、やめなさいっ! やめて! やめてよ……!」

 ラーガスの腕の中で、ルティアが身をよじって叫ぶ。

「ちょっ……」

 観客席からその様を見つめていたアリスが、アマンダの二の腕を掴んで、緊迫した声で呟いた。

「ちょっと待って……! これって……
 ひょっとして、マジなんじゃ……!?」

「……そんな。まさか」

 思わず呟いたアマンダの視線の先で、舞台の床板が一枚、爆ぜた。



         *        *        *



「むう。見事な芝居ぢゃ。……しかし、壊すでないぞよ」

「後で直させる」

 じろりと睨んでくるゴールドベリに、ポップコーンを口に放り込みながら、イサベラは軽く答えた。

 

         *        *        *



 ばしゅっ! ――ぴしぃっ! ぴしっ!

 激しい破裂音に、細い鞭で床を打つような音が連続する。

(ちょ、ちょ、ちょ……!)

 ラーガスの腕に捕らえられたルティア――つまりアニータは、演技を続けながらも、内心、激しく動揺していた。

 自分の首に巻きつけられているマックスの腕に指を食い込ませ、視線だけで抗議する。

(ちょっとマックス! これって、やり過ぎなんじゃないのっ!?)

「ははははははは!」

 帰ってきたのは、狂喜に満ちた高笑いだった。

 マックスは、アニータを見ていない。憎悪に燃える視線で目の前に立つ男を突き刺し、同時に片手を突き出す。

「滅びろ!」

 ばしゅっ! ばしゅっ! ばしゅんっ!

 続けざまに放たれた衝撃波を、ディアは超人的な反応速度で見切っていた。あるいは剣の平で叩き潰し、あるいは紙一重でかわしてゆく。

 といっても、それは紙一重で『重傷を』免れているということでしかない。ベルセルクの衣装である黒いマントは、既にぼろ切れ同然になっているし、本物の鉄でできている甲冑の表面にさえ、無数の傷がついている。

 滴り落ちる赤い滴は、血糊か、それとも、本物の血だろうか?

 実際に魔術を使うのは予定通りだが、ここまでの威力を出すなどとは聞いていない――

 セリフも脚本の通りではあったが、どことなく、迫真の演技を超えて、本気なのではないかという気さえする。

(ま、まさか? ……いや、でも……)

『敵は、既に本気だ――』

 戦慄したアニータの脳裏に、ダイアンが口にしていた言葉が再生される。

『半端な根性では、大団円にたどり着く前に叩き潰されるぞ?』

(まさか、ホントに本気なのぉぉぉっ!?)

 彼女が目を見開いた瞬間、ひときわ強烈な衝撃波が炸裂した。

 剣の鍔元近くでそれを受け流したディアが、勢いを殺し切れずに片膝をつく。

 もしもあの『魔剣』が強化の呪文をかけられた鋼でできていなければ、持ち主もろとも粉砕されていたところだ。

「ベルちゃんっ!!」

『ディア!』と叫ばなかったのは、ひとえに、四十日間も続けてきた稽古の賜物であった。

 反射的に駆け寄ろうとしたアニータを、マックスの腕が強引に引き留める。

「――ルティア」

 傷付いた騎士から返ってきたその声は、アニータが――そして観客たちが予想したものよりも、遥かに平静なものだった。

 受け損ねた攻撃が命中していたのだろうか? 左足をわずかに引きずって立ち上がりながら、彼は言った。

「俺に構うな。……君が、そいつを殺せ……」

「えっ? ……でも……!」

 ルティアと、そして観客たちは、同時に、ベルセルクの言わんとすることに気付く。

 そう、ルティアには、まだ取り上げられていない武器があった。

 いつも太腿に隠し持っているナイフだ。これで、旅の途中、幾度か危機を脱したこともある。

 だが――

「くくく……」

 アニータの首に巻きつけた手に力を込めながら、マックス――いや、ラーガスが嘲笑った。

 激しい風が彼のまとう豪奢なローブを大きくはためかせ、その下の白銀の輝きを、観客たちの目の前にあらわにする。

 防御呪文を封じた、銀の甲冑だ。

「何をするつもりか知らんが……お嬢さんの細腕で、この防ぎを貫けるかな? いや、それよりも……」

 ルティアの耳元に唇を寄せ、千年王国の宰相は優しげに囁いた。

「君が少しでもおかしな動きをすれば、私はあの男に加減なしの攻撃を叩きつけるが……それでもいいかね?」

 その手のひらに、圧倒的な魔力が収束してゆく。

 観客席から、引きつったような動揺のざわめきが起こった。

 魔術を操る者ならば、見間違えようもない。それは、確実に、人間一人を跡形もなく消し飛ばす威力を備えた一撃となるだろう。

「や、やめて……!」

「構うな、ルティア……やれ!」

「――嫌!」

 少女は、喉を振り絞るようにして叫んだ。

「できない……! できないよー……」

 ラーガスが満足げな笑みを浮かべ、収束していた魔力を握り潰す。

 ベルセルクの顔には、相変わらず何の表情も浮かんではいない。

 やがて、彼は、静かに疑念を口にしてきた。その口調の深刻さは、どうしても解けない数式を前にした学生のそれと同じ程度のものであったが。

「なぜだ……このままでは俺も、君も殺される」

「じゃあ、あなたが、あたしに構わずこいつを斬ってっ!」

 その叫びを受けた瞬間、ベルセルクの表情が、突風に打たれたように揺らいだ。

《――殺セ》

 そうだ。

 あの時から――魔剣と契約を交わしたあの時から、自分は、生き延びるために幾多の命を刈り取ってきたではないか。

 それはすべて、この瞬間のため、目の前にいる男に復讐するためだったはず……

 今さら、何を惜しみ、何をためらう必要があるだろう?

 目の前にいる娘の命を犠牲にしても、今ここで、宿願を果たすのだ。

「それが……俺の……」

《我ノ――》

 振り上げられた黒い刃が、

「…………ベルちゃん……?」

 力無く下げられる。

「できぬか。くく。魔剣に支配されても、仲間を思う心がいくらかは残っているようだな」

 その、瞬間だった。

「――この、バカーっ! すっとこどっこいっ!
 ここまで来て、ぬわにをやってんのよっ!? 
 早く! あたしに構わず、やっちゃいなさぁいっ!」

 ラーガスの腕の中で、ルティアがばたばたと暴れ出した。

「ぬう?」

「…………」

 彼女の突然の狂乱ぶりに、さすがのラーガスも、いささか虚をつかれた表情になった。観客たちの目も点になる。

 そんなことには一切構わず、ルティアはなおもじたばたと暴れ続けた。

「バカ……! あたしは……ベルちゃんが死んじゃうくらいなら、あたしが死んだほうがずううっとましなのっ! だから、早く!」

「ルティア? 何を言って――」

「……まだ、分かんないのか、この鈍感男っ!」

 この期に及んでなお朴念仁な発言をするベルセルクを、ルティアは涙を溜めた目でキッと睨みつけた。

 その喉から、絶叫がほとばしる。

「あたしは――あたしはっ!
 ベルちゃんを、絶対失いたくないんだっ!
 だって……
 あたし、ベルちゃんのこと、大好きだからっ!」

 ――その叫びに込められた、痛切な想い。

 その言葉が届いた空間すべてが、言葉の響きが消えてもなお、伝え切れぬ想いに満たされて震えていた――

 だが。

「……く、くっくっくっ……くはははははあぁ!」

 少女の想いを引き裂くように、ラーガスの邪悪な哄笑が響き渡る。

 彼は滴るほどの毒を含んだ視線をベルセルクに向け、嘲るように言った。

「愛し合う者同士、互いにかばい合うというのかね? 美しい。実に美しいではないか……」

 ――美しい物語に、私が、ふさわしい幕を引いてあげよう。
 昔から、愛し合う男女の悲劇の結末は、共に死ぬことと決まっているんだよ――

「……だが」

 ラーガス・ベインは、若い騎士を睨みつけた。

「貴様は、もはや人の心を持たぬはずだ! ベルセルク・グランシス。
 その魔剣と契約を交わした日から――
 貴様に、仲間を見捨てぬ義務感はあっても、他者を愛する心などあるまい!」

(…………えっ?)

 その瞬間。

 ラーガスはマックスに、ルティアはアニータに、そしてベルセルクはディアに戻り、舞台上は、凍りついたような静寂に支配された。



         *        *        *



「きゃあ〜っ……緊迫だわ緊迫だわ♥」

 嬉しそうにひそひそと呟きながら、キャロルは、物語の続きを待ちわびる子どものように、椅子の上でしきりに身体を揺すっていた。

「三人とも、迫真のお芝居ねえ! きゃあ♥ ドキドキしちゃう〜。ねえ、二人とも?」

 にこにこと、両脇に座ったバノットとダグラスに視線を向けたキャロルだが、

「……あら……? ねえ。どうしちゃったの〜?」

 彼女の笑顔は、たちまち不思議そうな表情に変わった。

 それもそのはず、つい今しがたまで満足げにふんぞり返って舞台を眺めていた二人が、一様に身体を起こし、怪訝そうな顔つきで首を捻っていたのである。

「――おい。これは……」

「ああ……あいつ、何を考えてる……?」

「……ねえ、何なの〜? ねえねえねえ」

 舞台上を凝視したまま、意味不明の問答で頷き合う二人に、真ん中で一人取り残され、抗議の声をあげるキャロル。

 そんな彼女に、

「いや、何って、セリフが……」

「ああ」

 唸るように呟いたダグラスの言葉を受けて、バノットが、簡潔に説明した。

「――あんなセリフは、脚本にはない」



         *        *        *



「どっ、どっ、どどどどどどーどーどー……」

 わなわなと両手を震わせ、ルークは叫んだ。

「どーする!? なんか、予定と違うコトになってっぞ!?」

『――しいーっ!』

 彼の周囲に集まってきていたスタッフたちが、まったく同時に指を立て、ずんっ、と顔を大きくした。

 その迫力に思わず口を閉じたルークに、

「……動揺、するな……」

 脚本を枕に床に横たわった監督が、苦しい息の下から指示を出した。

「ここまで、来たら……後は、役者たちを信じるしかない……
 大丈夫だ……
 彼らは、必ず、やってくれるだろう……!」

 あたかも戦場に倒れた偉大な王といった風情のベルチェの言葉に、

「わ、分かったよ監督――!」

 ルークは、涙ながらに頷いた。

 袖で目頭を拭いつつ、

「んで……エルナ、そっちの準備はOKなのか?」

「くくくくく……任せて。いつでもいけるわよ……」

 ルークの問い掛けに、エルナが、自信ありげに含み笑う。

 横たわった監督を中心に、舞台袖の床には、鈍く輝く炎の線で複雑な魔方陣が描かれていた。

 エルナは、杖を手にして、その傍らに立っている。

 そして――

「『任せて』って、……おい、本当に大丈夫なんだろうなっ!?」

 いささか動揺気味な声をあげたのは、バイアス・バッハだ。

 彼は、その魔方陣の一角に、空間を構成する要素として取り込まれるように立っているのだった。

 彼だけではない。陣の要所要所に、役者・スタッフ取り混ぜて、これ以上することがない者たちが、覚悟半ば、不安半ばといった顔つきでたたずんでいる。

「……多分ね」

「多分っ!?」

「くくく、冗談よ。……必ず成功させる。
 あなたたちも、しっかり頼むわよ……不必要な動揺で、力場を乱さないでね。
 ここでしくじったら、今までの努力が、何もかもパーになるんだから……」

「お、おう……!」

「分かった……」

「くくく……よろしい。……監督も、心構えをお願いね」

 ベルチェは、こけた頬に薄く笑みを浮かべた。

「心構えは、とっくにできている……稽古がはじまった、その瞬間から」

「見上げたお覚悟……」

 おどけた調子で呟いて、陣の傍らに立ったエルナは、ぐっと杖を握り締めた。

(……さあ、こっちの準備は万全よ……。しっかり頼むわね、アニータ、ディア、マックス)



         *        *        *



「ええと……この場合、私たちは、いったいどうしたらいいんでしょうか……?」

 マックスの、突然のイレギュラー発言を受けて――

 大道具(塔・螺旋階段の出口)の後ろにひそんだまま、一筋の汗を垂らして呟いたのは、アランである。

 彼だけではない。すぐ側にはミーシャ、そして、フィルとライリーもいた。

 彼らは、このシーンの冒頭からここにひそんで、じーっと出番を待っているのだった。

 舞台袖の幕の奥をうかがえば、倒れた監督と、何やら術の準備をしているエルナの姿が見える。

 そして、大道具の板の向こうからは、アニータたちの凍りついたような沈黙が伝わってくる。

 しかし、だからといって決してこの場を動くわけにはいかない……という、彼らにとっては、非常に心臓に良くない状況であった。

「けっ……」

 どんな状況も鉄の神経で乗り切るホーク――もとい、心臓に毛の生えた男・フィルが、相変わらずガラの悪い口調でひそひそと言う。

「ここで俺らがガタガタしたって始まらねぇ。表の奴らが何とかすらぁな。ま、なるようになるってことよ」

「そうだね。兄さん」

「……そうですか……」

「――ホンマに、大丈夫やろか〜?」

 一同の会話を聞いていたミーシャが、心配げな声音で、しかしやはりキーリィの口調のままで呟き、そっと眉を寄せた。



         *        *        *


 その魔剣と、契約を交わした日から――

『おめでとう、ディア』

 光を知らぬ真っ白な手が何本も暗闇から伸びて、彼に祝福を送った。

『ウェイザックの責めに耐え抜いた者は、二十年ぶり』

『今宵よりそなたは《主》を継ぐ資格を得た者として、氷の刃と名乗られるがよい』

 ――時間が――

『……君が試練を受けることが決定されたって聞いたけど、ホントかい?』

『過去、多くの者が挑み、失敗してきた試練……命を落としたり、正気を失った者も多いわ。でもあなたなら大丈夫ね……』

 時間が灰色の水に溶かされ、掻き回されてゆくようだ。

 ……いや、違う。

 あの暗い場所に、時間などなかった。

「俺は……」

 これは、何だ? この感覚は。熱病の悪寒にも似た、これは……

 恐怖?

 そんなはずはない。恐怖など、遠い昔に克服したのだ。あの、闇の中に、捨ててきた――

 不意に髪を掴まれ、顔を上げさせられる。

 目を見開いても、塗り潰されたような闇があるだけだ。

 いや、それとも、俺の両目はとっくに抉られてしまったのだろうか……身体はどこまで残っている……? 四肢の指先に始まって、どこまで刻まれたのだろう……

 不意に、赤い光が蛍火のように浮かび上がった。

 真っ赤に焼けた鏝を彼の目の前に突きつけて、美しい顔が笑う。

『怖いか?』

 くくく。

「俺は……!」

 嫌だ、やめてくれ。もう耐えられない。気が狂いそうだ、ここから、

 ここから出してくれ――!



『オレ ハ オソレ ナ  イ』



 あの時、狂気の渕に追い詰められながら、口にした言葉。

『いい子』

 くくく。ウェイザックが笑った。

『お前はもうヒトじゃない。永遠にね。心のない、痛みも感じない、人形になったんだよ。永遠にね』

「……俺、は……」

『だからね、ほら、こういうことされても、痛くないだろう――?』

 赤熱した鉄が、彼の背筋をなぞった。


 ――そうだ。

 俺に心などないのだ。心をなくして、恐怖を感じることも、誰かを愛することもない人形になった。

 あの暗闇の中に、俺は、何もかも捨てて来たのだ――


「――って、いい加減にしろおおおおぉぉぉぉぉッ!!!」

 すこぺぇぇぇぇん!

 清々しいまでの気迫に満ちた少女の怒声が、まばゆい光のようにディアの意識の膜を引き裂いた。

「ぬおぅっ……!?」

 アニータの裏手パンチを鼻面に受けたマックスが、彼女を捕まえたまま、よろりとよろめく。

「ぬっわあぁ〜にが『ぬおぅっ』よ、この、腐れ外道のスカオヤジがっ!!」

 呆気にとられた観客と、棒立ちになったディアの前で、少女はふんむと仁王立ちになり(やはり捕まえられたままではあるのだが)、嵐のような勢いでまくし立てた。

「ベルちゃんは、一緒に旅してきたあいだ、ずっとあたしを守ってくれた!

 どんなに苦しい時でも、絶対に見捨てたりせずに、あたしを気遣ってくれたわ!
 だから、ベルちゃんに人の心がないなんて、嘘よっ!
 だって!
 たとえ怪しい魔剣と契約してても、時々いきなりバーサークして危なっかしくても、どーしよーもない朴念仁で、極め付きの鈍感男でも――」

 アドリブとは思えないほどの、それは、とても真摯な言葉だった。

 翡翠色の瞳が、紫の瞳を真っ直ぐに見つめる。

「……他の人間に優しくできるなら、それが『ひと』だもん。そうでしょ?」

 ――アニータ――

「ルティア……」

「それは、愛じゃなかったかもしれないけど……」

 言いながら、少女は、気取られないよう、じりじりと太腿のナイフに指先を伸ばしている。

 もう少しだ……あと、ほんの少し……

 ――届いた!

 その刃をひるがえして、自分を捕らえた男に向かって切りつける!

「あんたをやっつけてからラブラブになるんだから、いいのよっ!」

「こ、小癪な! 貴様らのごとき、この私の魔術で……!」

 激昂したラーガスが、その手に一瞬で魔力を収束させる――

 その、瞬間だった。

「――るっせえってんだよぉ! ド腐れオヤジは、即座に永久退場しやがれッ!」

 声と同時に飛んできた矢が、ラーガスの右肩に突き刺さる。

「ぐおおっ!?」

「ホ、ホーク!? ――それにみんな……!?」

 その隙にラーガスの腕から逃れたルティアが、目を輝かせて叫ぶ。

 螺旋階段の入り口から、血塗れの姿で、仲間たちが次々と飛び出してきたのだ。

「お待たせしましたー」

 飄々と片手を挙げて、イーグル。

「というわけで、早速、悪役タコ殴り大会と参りましょう……」

「させるかぁっ!」

 ラーガスが、吼えて放った衝撃波を、

「……はいやぁッ!」

 パキィン!

 ティスが張った魔力障壁が相殺する。

「――何!?」

「そりゃあ!」

 敵の動揺に乗じて背後に回り込んだキーリィが、ラーガスの首筋を毒針で狙い、

「死ねやあぁぁぁぁっ!」

「兄さんに同じ」

 バトラー兄弟が、幾多の敵を屠り去ったコンビネーション技で斬りかかる。

「!!!!!」

 ラーガスは、キーリィの攻撃を紙一重で避けた。バトラー兄弟の剣も、ローブの端を切り飛ばされながら、かろうじてしのぎ切った。

 だが。

「……ハァッ!」

 ルティアが投げつけたナイフを、杖を振り回して叩き落とした瞬間、彼の目の前に黒い風が肉迫した。

「――終わりだ」

 静かな宣告と共に、魔剣の刃が振り下ろされ、

「ぎいゃあああああああああああっ!!!」

 切り裂かれた甲冑から、鮮血と黒い煙とを噴き出して、レティカ王国を牛耳った邪悪な宰相、ラーガス・ベインは打ち倒されたのだった。

 ――かくして。

 物語は、ついに最終場面を迎える。

(ついに、来た……!)

 との思いが、誰の胸にもあった。

 何度も稽古を繰り返し、そして、稽古では、何度やってもしっくり決まらなかった場面である。

 稽古の最終日、ベルチェは言った。

『後は、成り行きに任せよう。
 なに、心配することはない。
 ここまでしっかりと稽古をやり込んだ芝居は、本番になれば、何もかもがうまくいくものさ』――

(頑張って……ディア……)

《――殺セ》

「いいんだよ……ベルちゃん……」

 温かい血を渇望して唸りをあげる黒い刃を前に、ルティアは、静かに目を閉じる。

 我が子を受け入れる母親のように、大きく腕を広げて。

《殺セ!》

 彼女に刃を向けたベルセルクの顔が、大きく歪んだ。

「……できない」

 震える声で、彼は呟いた。

 そこから先は、観客の耳には届かなかっただろう。

 舞台の上にいる仲間たちの耳にも、一番近くにいるアニータの耳にすら、届かなかったのだから。

 ただ、その唇の動きだけが、彼の言葉を伝えた。  


「俺には、お前を殺すことはできない――」  


「ベル……ちゃん……」

 刃を引き、ゆっくりと後退ってルティアから遠ざかるベルセルク。

 舞台の奥へと下がっていった彼は、やがて、塔の外壁の上に立ち――一歩踏み出せば落ちるという場所で、仲間たちに背を向ける。

「……嫌! 死んじゃうなんてやだぁ! やめて、ベルちゃん、やめてよぉ!」

《己モロトモ 我ヲ滅スルツモリカ?》

 魔剣の声――《変声》の呪文をつかったダグラス教室のジャイルの声にも、自然、力がこもる。

《ココヨリ落チレバ 汝ノ肉体ハ砕ケヨウ ダガ 我ガ存在ヲ滅スルコトハ 決シテ叶ワヌ!》

「……お前を滅ぼそうなどと、考えてはいない」

 ベルセルクの静かな声が、風の音に混じって観客たちの心に染み透る。

「お前は、呪われた魔剣……その刃にかかったものの魂の悲鳴を糧として在り続ける――」

《然リ!》

「そして、振るい手である俺の魂をもお前は奪い、呪縛した……
 心を壊して操り人形にすることもできただろうに、なぜ、それをしなかった? 
 それは、人としての心が軋み、呻く音こそ、お前にとっては心地好い音楽となるからだ」

《然リ 然リ!》

 魔剣は、嘲笑うかのように唸りをあげた。

《ダガ ソレヲ知ッタトテ 汝ニ何ガデキヨウカ?》

「お前に、感謝しよう」

 黒い刃を己の心臓に真っ向から擬して、黒い騎士は囁いた。

「6年前、俺の命を救ったことを。
 あの日、俺はお前と、お前は俺と、その運命を分かち難く結ばれたのだ……。
 そして、感謝しよう。
 お前の呪縛を受けているとはいえ、俺が、まだ、人の心をなくさずにいられたことを――」

《待テ!》

 初めて、魔剣の声に焦りのようなものが混じった。

《何ヲスルツモリ――》

 どん。

 騎士の手が、黒い刃を、自らの心臓に突き立てる。

 その瞬間、

「!!!!!」

 ごおっ! と黒い瘴気が噴き出し、激しく渦を巻き――

 その直中で、ベルセルクの身体がゆっくりと崩れ落ち――

 そして、

《ギイイイイイイイイイイイィ!》

 魔剣の絶叫が響く。

《我ハ、滅ビヌ! 我ハ――  俺は  我ハ、決シテ……  俺の名は……  我ハ、我ハァアアアアァ! ……そうだ、俺の名は……》



「……ベルセルク・グランシスだ」



 その呟きと同時に、

「――――!!!!!!」

 一瞬視力を奪うほどの激しい光が、無音の爆発を起こし――

「………………」

 ようやく視界が回復したとき、全ての者が、言葉を失った。



 ベルセルクが、再び身を起こしている。

 ――違う。

 騎士の身体は、命の糸を断ち切られて塔の床に倒れ伏したままだ。

 ならば、今、その傍らに立ちあがっているのは何者か――

 そして、騎士の胸に突き立っていたはずの剣が、跡形もなく姿を消しているのはなぜか――?

「……魔剣を……」

 畏敬のこもったティスの呟きが、一同の疑問を解いた。

「魔剣を、支配し返した……」



《彼》が、ゆっくりと振り向いた。

 その顔立ちは、今までと寸分も変わってはいなかった。

 風になびく、長い黒髪も。

 しかし、今、その若者の目は魔剣の柄にはめられていた石と同じ真紅に変わり――

 その背には、一対の、黒い竜の翼があった。

 それは、明らかな異形の姿。

 とうてい人とは思えぬ、不吉な姿だった。

 

 だが。



「ベルちゃん」

 ルティアが、呼びかける。

 こぼれるほどの笑顔で、腕を、いっぱいに広げて。

「……おかえりっ……!」

「ルティア」

 その名を口にしたとき、ベルセルクが、笑った。

 彼は言った。



「――愛している」



 その日、空は突き抜けるように高く、洗われたように青かった。

 その青空から、無数の光の欠片が降り注ぎ、あらゆる者たちの喜びを祝福するかのように、きらめきながら風に舞っていた……




  11  閉幕




 ――――う、

 うおおおおおおおおおおおおぉっ!

 爆発のような拍手と喝采が、《暁の槍》初等部の大講堂を揺るがした。

『後の歴史は、彼をこう呼ぶ。ベルセルク・グランシス。黒翼の騎士、と……。
 彼がリオネス帝国の基礎を打ち立て、《黒翼の建国帝》と呼ばれるようになるのは、これより、2年の後のことである……』

 ミーアンが、最後の語りを、少し誇らしげに終える。

 今や、観客全員が立ち上がっていた。

「見事ぢゃ! 実に、じーつーに見事ぢゃ。あっぱれ、あっぱれ!」

 苦笑を浮かべたイサベラの傍らで、ゴールドベリが椅子によじのぼり、周囲からの驚きのざわめきにも構わず、杖を振り回して『あっぱれ踊り』を舞い踊る。

「きゃあ〜♥ きゃあ〜♥ きゃあ〜っ♥ 感動だわ感動だわ感動だわああああああぁ〜!」

 隅のほうではキャロルが、興奮のあまり、黒ローブの教官(結局最後まで倒れてた)をぶんぶんと振り回し、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら叫んでいた。

 バノットも立ち上がり、いつもの彼からは想像もつかないような満足げな笑みを浮かべて舞台上のアニータたちを眺めている。

 彼は、何気なく、キャロルの向こうで棒立ちになっているダグラスを見やり――

 その瞬間、半眼になって、ぼそりと呟いた。

「……泣くな。ダグラス」

「――泣いとらんッ!!」

         *        *        *

 観客席から、津浪のような歓声が押し寄せてきたと同時、

「ごふ。」

「ぎゃああああ!? ちょっ……やべーっ! ベルチェが、ベルチェが死んだああああ!」

 舞台袖は、大騒ぎになっていた。

「た、担架だ! 担架はないかぁっ!?」

「ひい〜! マリアン先生をお呼びしろぉ〜!」

「……くくくくく……」

 慌てふためくスタッフたちのただ中で、床にぺったりと座り込み、エルナが、満足げに含み笑いを漏らす。

 魔方陣の中に取り込んだ人間たちから、魔力を少しずつ引き出して、それを一人の人間に――今回はベルチェに――付与するという高等魔術。

 完全、完璧、文句なしの大成功だった。

「実は、初めてやったんだけど……ま、この際、成功したんだから、結果オーライよね……くくく」

 うんうんと頷き、満足感にひたるエルナの目の前で、

「急げぇ〜っ!」

「はい、1、2の、3っ!」

「医務室、医務室っ! うおおおおお〜!」

 薄れた魔方陣の中心に据えられたまま、ぴくりとも動かなくなっていたベルチェが、ルークの背に担がれ、超特急で医務室へと運ばれていった。

         *        *        *

 その頃――

 壮大なBGMが流れっぱなしの舞台上には、役者たちや裏方たちが続々と出てきて、互いに成功を祝い合っているところだ。

「おおおおぉ〜う! 何と素晴らしいのでしょうっ!」

 バトラー兄弟……もとい、フィルとライリーが、感極まって手を取り合い、くるくるとコマのように回転する。

「至高の音楽! 奇跡の映像! そして究極の演技……!
 ああ、私はいまだかつて、これほどまでに心揺さぶられたことはございませんでしたっ!」

「ふっ、その通り!
 最後あたりで、筋書きと少々違うことになった時にはどうなることかと思いましたが、アニータたちの機知で見事に切り抜け、こうして迎えた大団円!
 愛と正義が勝利をおさめ、完全無欠のハッピーエンド!
 むうう! これは実にめでたいですなっ!」

 ――すっかり元に戻っている。

 と。

「いいんちょー?」

 袖から出てきたエニグマが、いまだ舞台の隅のほうに大の字になって倒れているマックス(黒い塗料と血糊まみれ)にてけてけと近寄っていって、のぞき込んだ。

「いつまで寝てんすかー? ……って、いいんちょー。マジで甲冑ヘコんでる」

「ぐぐぐ……」

 ちなみに、右肩には矢が刺さっている。

 まあ、ここを狙われることは打ち合わせで分かっていたので、煮固めた革の防具をあらかじめ着けてあったのだが。

「迫真の演技でしたよー! カッコ良かったなぁ、邪悪っぽくて。
 でも、ちょっとセリフ間違っちゃいましたよねー。
 ま、あれはあれでいい感じでしたけど」

「ち……ちが……あれは……っ」

「え? 何すか? てゆーか、大丈夫っすか? 起きれます? いいんちょー」

「ゆ、揺さぶるなぁ……っ! ろ、肋骨が……ぐはっ」

 ――ディアの怨恨の一撃により、ダグラス教室委員長マックス・ブレンデン、全治一ヶ月。

 だが、それはあくまでも後日談である。

 エニグマに突つかれてひくひくするマックスを尻目に、

「やった! やった! やったああああああっ! 成功っ! ていうか、大成功!!」

 アニータが、拳を思い切り突き上げて、満面の笑顔で凱歌をあげる。

「やったぁ〜っ! 私たち、やりましたのね〜っ!」

「く、くくく……そうよ……私たち、ついにやったのよ……」

「ああ、ミーシャ! エルナぁ! ホントに、お疲れさまっ!」

 しばし、円陣を組み、きゃあきゃあと盛り上がる三人だったが、

「はっ!」

 不意に、アニータは、ぴかっと音がしそうな勢いで振り向いた。

 舞台の後ろのほうに突っ立っていた男の側へ、ずんずんずんと歩み寄る。

「ディアーっ! 良かったよっホントに!
 あたし、もう、ベルセルクの笑顔を見た瞬間、本気で感動して泣けたよっ!
 ほんとに、ほんとに、素晴らしい演技だったわ!
 思い返しただけで……うううううう、感動……」

「……君もな」

 ばっしんばっしんと両肩を叩かれながら、《格子の館》の男は、少しだけ嬉しそうな、そして、少しだけ残念そうな口調で、ぼそっと呟いた。

 いつのまにか《虹色蜥蜴》の術は解け、彼の顔は、いつもの仮面に戻っている。

 初めて、それが悔しかった。

 今なら、この少女に、笑いかけられるかも知れないのに……

「ねえ、ディア」

「何だ」

「ディアってさ、実は、すっごく嬉しそうに笑うんだね!」

「……今も、だ」

「え!? 嘘!? 笑ってるの!?
 見たいっ見たいっ見たいーっ! 仮面取って、仮面!」

「だ、駄目だ」

「ぬうう! ……そうだ、ベルチェはっ!? もう一回あの術……」

 ディアを捕まえたまま周囲を見回すアニータの肩に、誰かが、ぽふ、と手を置いた。

 振り向けば、エルナだ。

 彼女は、小さくかぶりを振って告げた。

「くくく……監督なら、さっき静かに旅立っていったわ……」

「――って、死んじゃったのっ!?」

「医務室にね」

「よ、良かった……」

 へなへなと力が抜けてしゃがみ込んだところへ、

「――ほ、《炎の武神》さんっ!」

「アニータ・ファインベルド先輩っ!」

 いきなり、いくつもの声がかかる。

「おぁ!? ……はいっ?」

 振り向けば、いつのまにか、初等部の生徒たちが舞台の際まで押し寄せてきていた。

「すげえっ! マジですげえですっ! こんなに感激したの、初めてですっ!」

「感動しました、あたし! 泣きましたッ、最後!」

「建国帝陛下の逸話は習ったけど、こんなにロマンティックな物語だったなんて知らなかったですーっ!」

「お、――おおお! ホント!? 嬉しい! 今日まで頑張って練習してきた甲斐があったよ!」

 ガッツポーズで叫ぶアニータ。

 他の面々にも、それぞれに、浴びせ掛けるように賞賛や質問が飛んでいる。

「さっきのすごい幻術って、どなたがやってらしたんですかっ?」

「くくく……大半は監督なんだけど……彼は、ついさっき、運ばれていったわ……」

「あれえ? ベルセルクの役の方、どうして仮面を――」

「あああ! 聞いてはいけません! あれには、深い訳があるのです。まあ、私も知らないんですけどね」

「ふっ。過去、あの仮面の秘密を探ろうと幾多の人間が挑み、そのことごとくが、二度と故郷の土を踏むことがなかった……」

「めっ! もう、フィルさんってば〜! そんな不吉な話を、捏造してはいけません〜!」

「…………」

 全員が、てんでに騒いでいるところで、

「――?」

 アニータは、ふと視線を感じて、舞台の下を見渡した。

 それは、ただの憧れや興味とは違う……

 そう、言うなれば『決意』といった、真っ直ぐな、一途な視線だ。

 その主は、ほどなくして見つかった。

 舞台の真下にできた人だかりから数歩、引いたところで、じっとこちらを見ている、金の髪をおかっぱにした少女だ。

 アニータの視線と、その少女の視線が、ぴたりと合わさる。

「あ……」

《炎の武神》の翡翠色の目をやっとの思いで見返しながら、アマンダは、声を張り上げた。

「あ、あの、私――!」

「……えっ? ごめんっ、聞こえないー!」

 赤い髪の娘が、舞台の上で耳に手をやり、こちらに向けてくる。

 真下の生徒たちが、何だろうとざわめいた。

 アマンダは、

「わ、私……っ」

 顔を真っ赤にしながら、こんかぎりの大声で叫んだ。

「皆さんが来てくれて、よかった……!
 私――先輩たちみたいになりたい!」

 アニータの顔がぱっと輝いて、明るい笑顔になる。

「ありがとーっ! そう言ってもらえただけで、努力も3倍は報われたって感じだよ!」

 彼女は、ぶいっ! と二本指を突き出した。

「がんばってねっ。……待ってるからねっ!」

「――はいっ!」

 同じくVサインを出して、アマンダが叫ぶ――

「……良かったぁ♥」

 その様子を、遠くからこっそりと眺めつつ、

「成功だわ〜っ♥」

「ああ。大成功だ」

「やったな……!」

 黒ローブの教官をつかまえたままのキャロル、そしてバノット、ダグラスが、三人揃って、ひそかにガッツポーズをとった。

 その、さらに背後では、イサベラとゴールドベリの最強コンビが、『うむ、うむ』と、実に満足げに頷いている。

         *        *        *

 ――そして、1月半と少しが、過ぎた。




  12  歓迎



 学院は、春を迎えている。

 ようやく力を取り戻した太陽が、あまねく大地の生き物に恵みを分け与えはじめる季節だ。

 帝国魔術学院《暁の槍》高等部――

 その前庭である《一の庭》にも、今、明るい陽射しが降り注ぎ、萌え出たばかりの芝生と、色とりどりの花々をきらめかせていた。

「おおおおお〜っ!」

 やたら興奮した様子で、しかし声量だけはひそひそと抑えて叫んだのは、ルークである。

 彼は、いつもの胴着姿ではなかった。深緑色のローブを身につけ、太陽を突く槍を刻印したメダルをさげている。

《暁の槍》高等部に所属する魔術師たちの正装だ。

 つい先程までは、この服装に対して『暑苦しい』『動きにくい』と文句たらたらだったルークだが、今や、そんなことは忘れ去ったかのように顔を輝かせていた。

「すっげ〜! ――ピッカピカの一年生だなあ!」

「でも、うちのクラスには来ないんですよねぇ……」

「はっはっ、そうですなぁ」

「くくくくく……これ以上頭痛の種を増やしたくないっていう、議会の陰謀じゃないかしら……?」

 ひそひそと言い合うバノット教室の面々も、全員、ルークと同じ服装に身を包んでいる。

 彼らだけではない。

 今、高等部のほとんど全員が、一分の隙もない礼装姿で、この《一の庭》にずらりと顔を並べているのだった。

 バノットら教官陣は、イサベラを中心に、庭の一番奥に陣取っており、やたら重厚な存在感を醸し出している。

「……くくく……こんな重苦しい不気味集団に出迎えられるのも、なかなかイヤな話よね……」

 言って、不気味に含み笑うエルナ。

 彼女たちに見守られながら、高等部の正門をくぐり、整然と入場してきているのは、ルーク言うところの『ピッカピカの一年生』――

 今回のエグザミネイションを突破し、新たに高等部のメンバーとなった生徒たちであった。

 漆黒の制服を脱ぎ捨て、はじめて深緑のローブを身にまとった五十名余の生徒たちは、初々しい顔に、晴れがましさと固い緊張とを同居させて歩を進めている。

 彼らの全員が、粛々と入場を終えたところで、

「……よく来てくれた」

 低いがよく響く、威厳に満ちた声で、イサベラが語りかけた。

 普段どおりの眠たげな表情ではあるものの、その金の目には、射抜くような厳しい光が湛えられている。

 その眼差しで、目の前の新入生たちを力強く貫き、彼女は言った。

「我らが家の門をくぐりし、若き同胞らよ。
 汝らに授けられる知識と力とが、いかに重きものかを知れ。
 汝ら、知識もて知識に惑わず、
 力もて力に溺れず、
 いかなる苦難の時も同胞の信に背かず、
 帝国のために、その力を尽くすことを誓うか?」

『我ら――』

 直立不動の若者たちが、一斉に唱和する。

『知識もて知識に惑わず、
 力もて力に溺れず、
 いかなる苦難の時も同胞の信に背かず、
 帝国のために、この力を尽くすことを誓います!』

 新たな帝国の兵士たちの一糸乱れぬ宣誓を受け、総司令官たるイサベラは、しばしのあいだ、威厳に満ちた沈黙を守っていたが――

「……ふっ。」

 まったく出し抜けに、その唇に『にやーり』と嬉しげな笑いが浮かんだ。

 えっ? と、新入生たちが目を見開くのにも構わず――

「よおぅし!」

 このとんでもない総長は、片手を振り上げ、威勢良く叫んだ!

 「今、この時より、我らは共に戦う同胞となったっ!

 お前たち、よく我慢したな。もう遠慮はいらんぞ!
 ……脱げっ!!」

「!?」

 新入生たちが、状況を理解できずに硬直した、その瞬間。

『――うっおおおおおおおおおおぉ〜うっ!!』

 今まで石像のように微動だにしなかった高等部の生徒たちが、いきなり怒涛のごとき歓声をあげた!

 ばっ! ばっ! ばばっ!

 無数の深緑色のローブが、続けざまに青空を舞う。

 イサベラの号令一下、すべての生徒たちが――いや、教官たちまでが、一斉に礼服を脱ぎ捨てたのだ。

 なんと、その場の全員が、ローブの下に、しっかり普段着を着込んでいたのである。

「……むう。ようやく人心地ついた」

 というバノットの呟きが、合図となったわけでもなかろうが―― > どどどどどどどどど!

 その瞬間、身軽になった生徒たちが、一斉に、無防備な新入生たちに向かって突進を開始する!

 ――厳粛な式典の場であった《一の庭》は、たちまち、大混乱のるつぼと化した。

「ひっ……ひえぇ〜っ!?」

「た、助けてぇ〜っ!」

「わーはははははっ! お〜めでとぉ〜ございまぁ〜す!」

 先輩たちの集団に捕まり、高々と胴上げをされている者もいれば、

「そこの美しいお嬢さん。壁新聞部に入部しませんか?」

「いえいえ。あなたのよーな知性派の女性はぜひ、我らが攻撃呪文開発研究会に」

「ねえっ、美術部に来ないっ? 今ならもれなく《魔の三人衆》肖像画セットがもらえるよっ!
 三枚並べて貼ると、悪霊よけに効果バッチリ!」

「……えっ? えっ?」

「待てぃ! この娘は、我ら実践剣術同好会がいただいたっ!」

「きゃああああ〜!?」

「むう! 部員がさらわれたぞっ! 奪還せよっ!」

「――まだ部員じゃないですぅ〜!」

 クラブの勧誘(?)合戦に巻き込まれている者もあり、

「あっ。ねえねえ、フィルさん〜。私たち、慰問の時、バザーにダイアン先生のベッドを出品したでしょう〜?」

「ふっ。そういえばそうでしたな。ほとんどの品が売れたと聞き及んでおりましたが……
 アレは、どうなったのでしょうか?」

「それが……私もついさっきキャロル先生から聞いたのですけど、なんと、初等部の生徒さんが買っていったらしいのです〜……」

「そ、それは、何と……。では、もしかするとこの中に、買った人がいるかも知れないということですな?」

「――あっ。それ、僕です!」

『なっ!?』

 ……ひょんなことから、先輩と会話を弾ませる者もあった。

 いつの間にやら、空には景気良く花火や煙玉が打ち上げられ、正面の建物からは『祝・高等部入学 難関突破おめでとう! これからも死ぬ気でがんばれ』と大書された垂れ幕が、紙吹雪と一緒に、でっかいクス玉から登場している。

 その紐を握って、ふっふっと笑っているのは、いつもの紫色のローブ姿に戻ったイサベラであった。

「す、すごい盛り上がりようだね……。何だか、こっちまで嬉しくなってくるなあ……」

 小さな声でそう呟いたのは、ベルチェだ。

 医務室で一ヶ月近くも昏睡し、一時は命も危ぶまれた彼だが、例によって例のごとくギリギリで死の渕から帰還し、今はすっかり元の元気さ――というか、元通りの虚弱さを取り戻している。

 今も、人ごみに巻き込まれて潰されないように、ルークの背中にひっそりと隠れている彼であった。

 ぴょん! ぴょん! ぴょん!

「いや、実にめでたいですな!」

 ぴょん! ぴょんっ!

「そうだなっ! まったくめでたいぜっ!」

 ぴょん、ぴょ〜ん!

「…………。何をしてる?」

 ぼそり、と胡乱げな声をかけたのは、ディアだった。

「――えっ?」

 と、その声に振り向いてきたのは、アニータである。

 彼女は先程から延々と、トビネズミのごとく跳ね回っては、あっちこっちに顔を向けているのだった。

 嬉しくて飛び跳ねている――というのではなく、人ごみの中に、誰かの顔を探しているのだ。

「いや、まあ……ちょっとね」

 少し首を傾げながら、とりあえず跳ぶのをやめて、アニータは、ぽりぽりと頭を掻きながら笑った。

「それにしても、あれから、もう一月半も経っちゃったんだね……! あっという間じゃなかった?」

「……ああ。あの日が、まるで昨日のような気がする」

 春めいた陽気にまったく溶け込んでいない怪しい黒ずくめ・仮面姿のディアは、重々しく頷いて言った。

「いまだに稽古の時のことが夢に出るほどだ」

「あっ。あたしも……」

 ――すっかり芝居の神にとりつかれてしまったらしい主役二人である。

「当初は、何のためにこんなことをするのか理解できなかったが……やってみると、なかなか……面白かったな」

「えっ?」

 暗殺者の言葉に、アニータは、少し驚いたような顔をしてみせた。

「何のために、って? ……ふっふっ。そんなの、あたしは、ちゃーんと最初から分かってたよ」

 少しばかり謎めかされた言葉に、ディアが、わずかに首を傾げる。

 と、その瞬間、アニータの翡翠色の目が、軽く見開かれた。

 その視線の先にあったのは――人ごみをかき分けつつ、こちらに向かってくる一人の少女の姿だ。

 おかっぱに揃えた金色の髪。薄い青の目。

 色白の頬が、今は上気して、淡いピンクに染まっている――

「先っ輩! ……私!」

 人の流れに阻まれて、その向こうでぴょんぴょんと飛び跳ねながら、アマンダは、ぶいっ! と二本指を突き挙げた。

「私、やりましたよおっ!」

 光るようなその笑顔を受け――

 アニータの顔に、にこーっ、と満面の微笑が浮かんだ。

「……あの顔が、見たかったの」


                                              バーサス・エグザミネイション!【完】







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