
『……え〜と、こちらゼファ・クラフト。受信状況は快適ですか? どうぞ』
超小型のイヤーカフスから聞こえてきたのは、えらくのんびりとした声だった。
間延びしているというほどではないが、どうにも緊迫感に欠ける。
――しかし、今まさに通信を受けている人間にとっては、そんな些細な問題は、それこそどうでもいい事柄だった。
「おう。こちらギア・ロックだ。受信状況はすこぶる快適だぜ」
口元のマイクに向かって、ぎりぎりまで抑えた声量で告げる。端の目からは、ほとんど、ただ唇を動かしているようにしか見えない。
「……それよか、状況はどーなってんだよ? 俺らはいつまで、サンドウィッチの具みてーにこんなとこに挟まってなきゃならねーんだ?」
『ああ、うん、そのことなんですけど。……課長は、これ以上説得を続けても効果がなさそうだと判断しました。犯人たちは、かなりの興奮状態にあります。手間取ってるうちに、人質に危険が及ぶ可能性もありますからね』
「おお……」
幅わずか50センチの、もはや路地とも呼び難い建物の隙間に横立ちになって、ギアは、にやりと笑みを浮かべた。
「――突入(エントリー)だな?」
『その通り』
獰猛な闘犬が舌舐めずりするかのような雰囲気を漂わせた問い掛けに、ゼファは、至ってにこやかに頷いてきた。
――無論、実際に姿が見えるわけではないのだが、そのような気配が伝わってくる。
それと同時、ギアの視界に、鮮明な映像が浮かび上がった。
まず登場したのは、オレンジ色のラインによって3次元的に構成された建物の概観図だ。
それが、見る間にすぱすぱと輪切りにされてゆき、1階部分の間取り図だけが残る。
ドアや窓の位置、調度類の配置までが、詳細に再現された代物だ。
大通りに面した表側には、広い空間と、いくつも並んだラック――
コンビニエンス・ストアである。
店から奥に引っ込んだ、いくつかの部屋のひとつに、点滅する青い光点が灯った。
と思った瞬間、一瞬でその部分が拡大され、実写の映像に切り替わる。
部屋を、天井から見下ろした視界だ。
奥の壁際に、扉の開いた金庫がひとつ。その傍らの床には、一人の女性が、配管修理用のテープで縛られ、猿ぐつわを噛まされて座らされている。
そして、同じ部屋に、銃を持った男が二人。
かなり興奮している様子だ。落ち着かず、部屋の中をうろうろと歩き回っている。
『――えーと、この映像で、今、右側にいるのが主犯格です。名前はビアキ・アレンゴ。左が、その弟分、クローブ・ハガティ。
まあ、コンビニ強盗の名前なんて、別にどうでもいいんですけど』
さりげなくひどいレクチャーを聞きながら、ギアは、背にしている壁に指を押しつけ、じりじりと力を込めていた。
今、視界の中に展開している光景は、すべて、その壁のすぐ内側で起こっている出来事なのだ。
イヤーカフスの向こう――今は表通りに設置された対策本部にいるゼファ・クラフトが、移動式小型カメラを使って通気孔から撮影した、リアルタイムの映像である。
それが、HUD――ヘッドアップディスプレイシステム搭載のミラーグラスによって、ギアに伝えられているのだ。
「いつもながら、見事な手際だぜ……」
『……え? 何?』
「あ。いや、何でもねえ。続けてくれ」
『OK。計画はこうですよ。
えーと、まず、課長が、交渉で譲歩するふりをして、弟分を表に引っ張り出します。――彼は、自分に何かあれば兄貴分が人質を殺すといってタカをくくっているわけですけど……
のこのこ出ていった間に、兄貴分が爆弾で吹っ飛ばされることになるなんて、思ってもいないんですね』
ゼファは、くすくすと笑った。
邪悪な笑いではなく、本気でおかしいと思っているようだ。――それが、ゼファ・クラフトの恐ろしさである。
『リーダーが弟分と接触したら、そっちに合図を送ります』
「そしたら、俺らがこいつで野郎をドカンと吹っ飛ばして突入し、人質を確保するって寸法だな?」
ギアは、自分の傍らの壁に貼りついている妙な仕掛けにちらりと目をやった。
握り拳大の、半球状の物体。
それは、高性能の指向性爆薬だ。爆発すれば、任意の一方向にのみ、衝撃を撒き散らす。
ギアは、大きく息を吸い、半分だけ吐き出した。
残りの半分をぐっと肺の底まで押し込み、浮かび上がってこようとする記憶の重石とする。
『部屋の内側から見れば、位置はここですから』
映像の中で、きゅっと壁の一ヶ所に赤丸がついた。
『兄貴分が、この鉛直線上を通過する、その瞬間に爆破するんだ。タイミングは任せる。チャンスは一回しかない。頼んだぞ……って、課長が言ってます』
「任せろと言ってると言っといてくれ。――てゆーか、交渉中に、いきなり奥から爆音だろ? 課長、撃たれるんじゃねえか?」
『――犯人が驚いた、その一瞬の隙を突いて取り押さえるそうです』
「大丈夫か、それ……。もしもの事があったら……」
『向かいの建物から、ロスが弟分を射殺』
「……最初から撃ったほうが安全だよね。どう考えても」
不意に、横手から呆れたような声がかかった。
ギアと同じように、エントリーに備えて防弾ジャケットを着込み、《マチルダ》を構えた黒髪の男だ。
カース・ブレイド。
ふだんはかけない黒いバイザーが、今は、彼の眼を隠している。彼の視界にもまた、ギアが見ていたのと同じ光景が映し出されていたはずだ。
ギアが何か言い返すよりも早く、ゼファが反応した。HUDシステムと、襟元に仕込んだマイク、そしてイヤーカフスによって、3人ともが同じ場所にいるのと同様に会話をすることができる。
『まあ、人目のある場所では、そうもいかないのが、この仕事の辛いところですよね。こっちには、けっこうな野次馬と報道陣が集まってますから……。
えーと、まあ、そんなわけで、今から作戦を開始しまーす。あっ、課長がコンビニに向かって歩き出しました。それじゃ、彼が弟分と接触した段階で合図を送るので、それまでは待機を。以上。アウト』
「――アウト」
呟いて、ギアは、こめかみの辺りに手をやり、ミラーグラスに映し出された室内の映像の『濃度』を下げた。
壁の内側の光景が、エネルギー切れのホロ映像のように薄くなり……それを透かして、実際の目の前の光景――つまり向かいの壁――が見えるようになる。
その視線を横手に動かして、彼は、鋭く言った。
「聞いての通りだ。……ぬかるんじゃねえぞ」
「当然さ」
カースは、こともなげに言ってきた。
確かに、と、一抹の苦々しさとともに、ギアは思う。
普段はへらへらして、ちゃらちゃらした、オフィサーの風上にも置けないような男だが――いざ戦闘に臨んだときの彼が、いかに速く、いかに的確に、いかにシビアに動くか。
そのことは、バディを組んで間もないとはいえ、充分すぎるほどに分かっていた。
そして、彼が、このやり方を――敵を可能な限り殺さない、というやり方を、手緩いと感じているということも。
「ねえ、ギア」
「……ああ?」
意識して、尖った声を出す。無論、声量は限界まで抑えていたが。
だが、カースは、予測したような非難めいたことばは一切口にしてこなかった。
ただ一言、こう言った。
「大丈夫かい?」
彼の視線は、壁に取り付けられた指向性爆薬に向いていた。
――胸の奥底で、記憶がざわめく。
爆発。苦痛。焼け焦げた部屋の壁の黒と、救急隊員たちの制服の黄色。
そして――
「ああ……」
自分が、無意識のうちに、胸元のロケットペンダントを握りしめていたことに気付く。
ゆっくりと指を開き、手を下ろしながら、ギアは、一瞬だけそっけない笑顔を見せた。
「問題ねぇ」
その、瞬間だ。
『――えー、こちら、ゼファ』
やはりどこか気の抜けた、しかし、それなりに緊迫したゼファの声が飛び込んできた。
『――今、課長と弟分が接触したよ!』
刹那、ギアの表情が一変する。
バイオレントオフィサー。そう呼ばれる男のそれに。
「了解だ」
手早くミラーグラスの映像濃度を戻しつつ、渡された起爆装置を取り出し、封印を解除する。
「了解」
彼の傍らで、カースが壁から身を起こした。
「ねえ、ギア、僕がやろうか?」
「――いや、いいんだ」
不敵な口調で言い放ち、左手に起爆装置を握り込む。
「俺の仕事さ」
右手は、ブラスターを握りつつ、ミラーグラスの操作部にかかっていた。エントリーの際、一瞬で視覚を通常モードに切り替えるためだ。
彼の視界の中で、コンビニ強盗の兄貴分――名前は忘れた――が、せかせかと部屋の中を歩き回る。怯える人質から、注意は離さない。
――だが、デュラクリートの壁一枚を隔てた場所から自分を見張っている者の存在に対しては、注意が向くはずもなかった。
男は、ゼファがつけた壁の印に、無警戒に近付いてゆく。
もう少しだ。
――足を、止めた。
(焦るんじゃ、ねえぞ……)
全神経を、映像内の男の動きと、左手親指に当たるボタンの感触に注ぎながら、ギアは心の中で呟く。
向きを変え、人質のほうに近付いていった男が、再び振り向いて、印に近付きはじめた。
(焦るな……焦るな……もう、少しだ……)
『とりあえず、開けてみなよ』
『うん!』
友人のプレゼントのときよりもずっと丁寧に包装紙をはがすと、有名な玩具店のロゴが入った箱が出てきた。
『――メッセージカードってどこかな?』
(……!)
不意に、生々しい映像が、闇に閃く稲妻の鋭さで脳裏を貫く。
懐かしい声が響く。甘いケーキの香り。
燃えるキャンドルの炎とにおい。
(やめろ! 今は――)
いまや隠そうともせずに顔を輝かせて見上げた彼に、母親もにっこりと微笑み返す。
その顔は、まるで、女神のように眩しく――
『箱の中に入ってるんだよ、きっと』
『うわー、何かな! 父さん、きっと――』
(……駄目だ――!)
そのとき、彼の左手を力強い手が包み、ぐっと親指を押し込んだ。
* * *
――表通りに集まっていた者たちの耳を、くぐもった爆音が叩いた。
「……やった!」
騒ぐ野次馬や報道陣を尻目に、ゼファが、ぐっとガッツポーズをとる。
彼の視線の先では、反射的に背後を振り向いてしまった弟分――名前は忘れた――が、武器を持った手をジェイド・フォスター課長にひねり上げられ、派手に投げ飛ばされて商品棚に激突したところだった。
そして――
ほとんど時を経ず、店の奥から、ギアとカースが姿を現す。
彼らは、人質の女性を両側から支えていた。
女性は、ひどいショックを受けてはいるようだが、自力で、立って歩いている。
その二人に『よくやった』というように頷いておいて、課長が、スナック菓子に埋もれて目を回している犯人の手を高く掴み上げ(対報道陣用のサービスだ)、鮮やかに手錠をかける――
見事に決まったその絵を眺めながら、ゼファは、満足そうに頷いた。
「まあ、所詮コンビニ強盗が、俺たちに敵うわけないですよね」
――凶悪犯罪対策課の面々を相手に、コンビニ強盗ふぜいでは役者が不足であることだけは確かだ。
* * *
「……迷ったね? ギア」
報道陣に囲まれてのインタビューが終わり、野次馬も解散して、元の落ち着きを取り戻した通り――
事件の現場となったコンビニエンスストアの前に佇むギアに、カースが、静かに言う。
「……ああ」
頷いて、ぐっと拳を握りしめる。
「あれは、最低だった。――今後、気をつけるぜ」
あの瞬間――
カースが手を握り、起爆スイッチを押していなければ、エントリーに最適なタイミングを完全に逸してしまっただろう。
そうなっていれば、事件の解決が遅れるのみならず、人質の命が危険に晒されていたかもしれないのだ。
「すまなかったな……」
「いやー、いいよ!」
あまりにも――
さらり、と口にされたそのことばに、は? と思わず口を半開きにして、ギアは、カースを振り向いた。
カースは、にこにこと笑っている。
予想したような、こちらを咎める気配は、微塵もなかった。
「だって、バディって、そのためのものだろ? カバーしあうのが鉄則、ってさ。
君が迷うときは、僕が支える。
僕が迷ったときに、君が、いつも道を指し示してくれるようにね」
「カース……」
思わず、呟く。
いつもならば確実に、何をクサいこと言ってやがる、などと憎まれ口を叩いているところだ。
「そう、だな」
今は、素直に頷くことができた。
「ありがとよ」
「あぁ……!」
そのことばを受けて、カースの顔が、ぱあっと輝く。
「感激だなぁ☆ ギアに、ありがとうって言ってもらえるなんてっ! ねえねえギア〜、ことばだけじゃなくてさ、どうせなら、身体で感謝の気持ちを表してくれるとさらに嬉し――」
ご が っ
「ったく、調子に乗ると、すぐこれなんだからよ……!」
容赦なく殴り倒した相棒にはもはや目もくれず、ゼファたちの待つ方へと、さっさと歩み去っていくギア。
「ううぅ……そんなに怒ることないじゃないか……。ねえギア、待ってよ。ねえってば〜!」
よれよれと、カースがその後を追いかけてゆく。
忘れることはできない、過去の記憶。
いつか――超えることが、できるだろうか。
「えい、寄るんじゃねえ! もっと隅っこを歩け! 俺に近づくな!」
「そ、そんなぁ〜」
この男とならば――あるいは――?
ギア・ロックと、カース・ブレイド。
2人の男たちの物語は、まだ、始まったばかりだ――
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