ターミナル玄関口時空跳躍ゲート⇒『ザ・レジェンド・オブ・フラバーズ』 Copyright © 2009 キュノ・アウローラ, All rights reserved.


THE
REGEND
OF
FLABARS







  目次


主な登場人物

 序章
 1  フラバーに告ぐ
 2  なさけない王様
 3  始動!
 4  史上最大の海戦!!
 5  予感
 6  魔術師
 7  鎖
 8  本土決戦
 9  きらめき
 10 キングオブファイターズ
 11 取り引き
 12 守るべきもの
 13 ゴキブリ退治
 14 義姉妹
 15 すれ違った男
 16 一騎打ち
 17 筆頭、相まみえる
 18 造反
 19 遅すぎた勝利
 20 兄と弟
 21 市街戦、決着
 22 集結
 23 牙持つ魚の旗
 24 我が意志に従い、旅せよ
 25 王と皇帝
 26 ウンディーネ
 終章








主な登場人物


《マホナンヌ》
 200年前にフラバー王国を建国した女性。
 フラバー王国初代国王。  
 沈着冷静な指導者で、めちゃくちゃ強い。

《ししょー》
 マホナンヌの娘。
 フラバー王国第2代国王。
 豪快な性格で、格闘家としての力量は超人的。
 
《あめえば》 
 ししょーの息子。
 フラバー王国第3代国王。  
 ほにゃららとした頼りない男だが、剣の腕前は王国随一。



《エックベルト》
 ししょーの息子にして、あめえばの実の弟。
 フラバー王国の騎士団長。  
 軍神の化身かと見まがう美青年で、部下たちに心酔されている。



《モジリン》
 あめえばの正妃。
 治癒の魔術の使い手。
 大人しく控えめな性格だが、芯は強い。

《ドー》
 あめえばとモジリンの娘。
 フラバー王国の第1王位継承者。
 幼く純粋だが、大鎌を使う恐るべき戦士でもある。



《みっちい》
 かつて「異世界」から召還され、あめえばの愛人となっていた少女。
 フラバー王国の宰相をつとめたこともある。
 現在は、元の世界へと帰還しており、フラバーたちの時空にはいない。

《モッサ》
 あめえばとみっちいの「義理の娘」として召還された皮肉屋の少女。
 みっちいと同じ「異世界」が故郷で、孤児院の出身。
 格闘の技量は抜群で「キングオブファイターズ」の異名をとる。


 
《ヨネ》
 あめえばの愛人。
 フラバー王国の王城で、メイド長をつとめている。
 王城のミッション・ルームにある「電脳」を使いこなせる唯一の人物。

《ドイッチ》
 あめえばとヨネの娘。
 フラバーたちの守り神「にょろ神」を崇める神殿の大神官。
 穏やかな性格だが、にょろ神の力を借りて放つ「法力」の破壊力は絶大。

《ユーリ》
 あめえばとヨネの息子。
 飛竜ランドローヴァルを駆る武将で「騎竜将軍」の異名を持つ。
 たいへん温厚な人物だが、強い相手と戦い、己を高めることに余念がない。



《かっきー&ババリン》
 マホナンヌの娘たちであり、ししょーの実の姉妹(ししょー→ババリン→かっきーの順に年長)。
 フラバー王国が誇る、魔法科学技術者コンビ。
 常に一緒に行動し、多くの発明品を手がける。 








  序章



 今、こことは違う……ひとつの時空があった。

 地表の9割を、圧倒的な大海におおわれた世界だった。

 唯一の《大陸》、そして各地に点在する島々。

 そこには、いくつもの国家が存在していた。

 無数の国家が、お互いにちくちくと牽制しあいつつ、お互いにそれなりの仁義を守り、結果としてはや数百年、動乱らしい動乱もない状況が保たれていた。

 各々の国でそれぞれの文化が花開き、人々は活気にあふれた街角で、時にがなり合い、時に笑い合い、当然のように平和な日々を享受していた――

 しかし。

 ある時、北方の、ブラックバスという王国に、1人の王子が誕生した。

 ブラックバスは、いくつもの国家がひしめく《大陸》の、ほんの一角を占める小国に過ぎなかった。

 だから、その王子の誕生が、世界を呑み込む巨大な潮流の源となることを、そのとき、誰も予知しえなかった。

 嵐の前の静けさのごとく、また、長く続いた平和を惜しむかのごとく、時は、静かに流れた。

 その静寂を引き裂く、戦いの火の手があがるまで――

 ブラックバスの王子・クロノーは、成人を待たずに父王を殺し、自ら皇帝を名乗り、近隣の国々を次々と征服していった。

 ブラックバスよりも多くの国土を有し、巨大な軍隊を持つ国も少なくなかった。

 だが永の平和に倦み切っていたそれらの国々は、若き皇帝のもとでひそかに牙を研いでいた精鋭部隊の猛攻を防ぎえなかった。

 瞬く間に《大陸》のほぼ全土を制圧し、膨張し続けるブラックバス帝国の勢いは、留まるところを知らなかった。

 いくつもの島国が滅ぼされ、あるいは帝国の軍門にくだり、戦火はあっという間に世界中へと広がっていった。



 そして――







  1  フラバーに告ぐ



「うわぁーはっはっはっはっはっ!」

「あっはははははははは!」

 大広間に、聞いている者の耳がおかしくなりそーなバカ笑いがこだまする。

「……オレ、帰るわ」

「こらこらっ」

 半眼で、ぼそっ、と呟き、身をひるがえしかけた黒髪の少女の腕を、メガネをかけた赤い髪の娘が、慌ててがしっとつかんだ。

「なんやねん、ドイッチ。放せや。こんなとこに、もうちょっとでもおったら、耳が腐ってまうわ」

「それは、私も同感だけれど……っと」

 そこまで言って、声が高すぎることに気付いたか、メガネの娘――ドイッチは、慌てて口を塞いだ。

 けれど、彼女の心配は杞憂に終わった。

 バカ笑いをしているのは2人、そのどちらも、周囲の胡乱げな囁きなんて全く耳に入っちゃいない様子で、まだ笑っている。

「ともかく、モッサ。交渉の場からいきなり出ていくなんてことを、私たちが、勝手にするわけにはいかないよ。分かるだろ? これは国事で、私たちは、王家の一員なんだから。いいね?」

 噛んで含めるように言い聞かせるドイッチに、黒髪の少女――モッサは、

「国事……ね。ふん、気に入らんわ。あんなスカタンにデカい面さしとくようじゃ、フラバーもおしまいやな」

 と、身もフタもない呟きを洩らし、けれども一応は納得したのか、その場に留まる。

「……それに、オレは、王家の者なんかやないし……」

 続く呟きは、隣に立ち、緊張した面持ちを見せているドイッチの耳には、届かなかったようだ。

 モッサは、壁際に立ったまま、年齢のわりに重々しい光をたたえた青紫色の目だけを、広間のあちこちに走らせた。

 彼女と同じ壁際には、フラバー王国の王族、重鎮たちが、ほとんど全員集合のノリで顔をそろえている。

 モッサの両脇にいるのは、同じ国王の娘である大神官のドイッチ、騎竜将軍ユーリだ。

 正嫡であるドーは、国王の妻・モジリン、母・ししょー、祖母・マホナンヌらとともに、もうひとつ上座にいる。

 国王のおば2人組、かっきー&ババリンも、いつものようにくっついて立っていた。

(あれ? ――あ、そうか。あいつは……もう、おらへんのやったな)

 モッサは、宰相(にして、国王の愛人)みっちいが、すでに元の世界へと帰り、ここにはいないのだということを思い出して、かすかにため息をついた。

 今、無意識のうちに、その姿を探してしまったのだ。

 自分の、義母だった人物である。

(ちっ、あんな奴のコト、思い出してる場合やあらへん)

 淋しさをごまかすように、モッサは、胸中で吐き捨てた。

 ――いない、といえば、騎士団長にして国王の弟・エックベルトは、今は部下たちとともに城の周囲を固めているため、ここにはいない。

 メイド長(にして、国王の愛人)であるところのヨネも、メイド長という立場ゆえに、今この場にはいないが――

「うはっははははははっ」

「あはははははははは」

 頭の痛くなるよーな笑い声をあげる2人の男たちがついている、きれいなレースのクロスと花で飾られた大円卓をセッティングしたのは、彼女たちだった。

 その円卓は、この大広間のほぼ中央に、どーんと置いてある。

 そして、円卓をはさみ、フラバーたちの真向かいに顔を並べているのは――

「どぉーうだね、諸君! いやあ、今まで、色々な国を訪れてきたもんだがぁ、こーのフラバー王国ほど、酒も美味いし食べ物もいける、しかも、美人が多いと、こう、3拍子揃った国というのは、珍しい!
 この、すーばらしき国土を、我々ブラックバスに明け渡していただけるとは、今日という日は実に、うん、すーばらしき日であるな! そぉーうだろう、諸君っ!?」

 今の今まで、バカ笑いをしながら円卓についていた男の片方が、そっちを振り返って聞き苦しいドラ声をはりあげた。

 顔が、真っ赤になっている。

 酔っ払っているのだ。

 ブラックバス帝国からの軍使である。

 円卓の上には、フラバー王国特産の葡萄酒をはじめ、もてなしのご馳走が所狭しと並んでいた。

 普通、どんなに仲の悪い国同士の交渉の場でも、出された食べ物には、少しは口をつけるのが礼儀である。

 しかしながらこの軍使、出されたものは食わなきゃ失礼、という範囲を越えて、ばくばくばくばくと食べ物をつまみ、その上に呂律が怪しくなるほど酒まで飲むという、軍使にあるまじきふるまいを繰り広げていた。

 発言の内容といい、あからさまに、フラバーをなめ切った態度だ。

 振り返られた彼の部下たち――つまり帝国側の交渉団の団員たちは、一斉に、わはははは、と、上司にそっくりな笑い声をあげた。

「……ふん、こら、あかんわ。あいつら交渉する気ィなんか、さっぱりないやないか。なあ、どうせあいつらとケンカすんのやったら、今、この場で叩きのめしたってもええんちゃう?」

「まあ、まあ」

 黒革のグローブをはめた拳をひそかに握りしめながら言うモッサを、穏やかに制したのは、ユーリだ。

「交渉をするにせよ、叩きのめすにせよ、私たちが決めることではないよ。陛下と、ししょー様、マホナンヌ様のご意向に従わなければ」

「…………けどなぁ、ユーリ」

 半眼からさらに細めた、ほとんど糸のような目で、円卓につく男たちを冷ややかに見つめながら、モッサは言った。

「オレ、あれにまともな交渉ができるとは、どうしても思われへんのやけど?」

 モッサの視線が向けられた先にいるのは、酔っ払った軍使――ではなく、もう1人。

 頭に王冠をかぶり、緋色のマントをはおり……やっぱりバカ笑いをしている、金髪の男である。

 フラバー王国第3代国王、あめえば。

 酔っているのかいないのか、見た目からはいまいち判断できないものの、その言動を見ていると、不安を隠し切れないフラバー一同であった。

「……あのオヤジ……もし酔っ払っとんのやったら、スカ軍使もろとも、オレが濠にケリ落としたる」

「ど、どうなんだろうね? まさかとは思うけど、思いたい、思えるといいなぁ……。あああ、心配だ……!」

「よく分からないけど、何かお考えがあってのことじゃないのかな? 多分」

 3人に、そろって散々なコトを言われていると知ってか知らずか、ようやくバカ笑いをやめて――といっても、顔には、だらしないほどにこやかな笑みを浮かべたままで、国王あめえばは、軍使に向かって言った。

「あー、そのお話なんですけど」

 話しぶりまで、どうもだらしない。

「うーん? どのお話ですかなぁ?」

「だから、その、国土を明け渡す、とかって話ですよぉ。いつの間に、そんな話になっちゃったんですかー? 私、ちっとも聞いてませんけど」

 にこやかなあめえばの発言に、軍使は、ちょっぴり驚いたような表情を浮かべた。

 だが、すぐに、わははと大声で笑うと、

「いやいやぁ、国王へぇいか。こぉいう、なんですな、真面目な交渉の場で、ご冗談を仰っちゃあ、いけませんなぁ。こーの通り、ほれ、きちんと書状に、書いてあるではありませんかぁ?」

 言いながら、軍使がぺらっと持ち上げてみせたのは、今の今までテーブルの上に放りっぱなしにされていた、1枚の紙だった。

 もとはくるくると巻いてあったそれ、外側には、黒い封蝋で《牙持つ魚》――帝国の紋章の刻印がなされている。

『フラバーに告ぐ』――

 そんな、愛想どころか礼儀もくそもない宣言で始まるこの文章の内容は、とことんかいつまんで言えば、『全面降伏か滅亡か、今すぐ選べ、さあ選べ』というものだった。

「いやいや、いやいや!」

 その、とんでもねー内容を、きちんと把握しているのかいないのか。

 いたってのんきに、ぱたぱたっと手を振って、あめえば。

「そりゃまあ、その書状には、そう書いてあるか知りませんけどねぇ。一応、こちらにもこちらなりの、都合というか考慮の余地というか、悩むところがありまして。ホイホイと2つ返事、というわけには、いかないんですよねー」

「ぬわぁーにを仰いますやら、陛下!」

 満面の笑顔はそのままで、軍使はいきなり、ばんばんとあめえばの肩を叩いた。

「余地なんてぇものは、こーれっぽっちも、あーりません。この国の、全権をですね、我らが偉大なる皇帝陛下にお譲りするっ……と、これで、万事片付いたじゃあありませんか。うん、めでたいめでたい。こりゃ、じーつにめでたいじゃありませんかっと、わーははははははは!」

 自分で言っているうちに、何の弾みか笑いのツボに入ってしまったらしく、またもや大笑いを始める軍使。

「おやおや……どうやら、この方、酔っ払っておられるようですね」

 自分のことを完全に棚に上げて、あめえばは、困ったよーな調子で呟いた。

「まともな話をするときに、相手が酔っ払ってる、っていうのは、やっぱりマズいですよねぇ。さてさて、どうしようかな?」

 言って、きょろきょろと辺りを見まわした国王陛下、はた、と何かに視線を止めて、その顔に、にまぁっ、と妙な笑いを浮かべる。

「えっ。――ま、さ、か!?」

 彼が手に取ったものを見て、ドイッチが引きつったような声をあげた。

 あめえばが持ち上げたのは、大きなビンだ。

 そして、彼はおもむろに、しゃかしゃかしゃかっ、とそいつをシェイクし――

「ほいっ!」

 スポゥンッ!

 ズゴッ!

「!?」

 大口開けて笑ってた、その軍使の大口に、ビンから飛んだコルクの栓が、ものの見事に飛び込んだ!

 あまりといえばあまりのことに、敵も味方も全員が硬直し、大広間に異様な静けさが漂った。

 コルクが喉にでも詰まったか、軍使は床にぶっ倒れ、首のあたりを押さえて、じたばたじたばたともがき回る。

 そんな彼に、景気よくシャンパンをぶっかけていた王様は、ようやく空になったビンを、こんっ、とテーブルに戻し――

 そこに置いてあった書状を、びびぃーっ! と真っ二つに引き裂いて、にこやかに言った。

「さて、これで酔いも覚めたでしょうから、あらためてお話を……」

「ぐへっ、ぐほっ、ごぼっ! ――ふ、ふざけるなぁっ!」

 コルクを、ぽんっ! と床に吐き出し、額に青筋を浮かべて、軍使はヒステリックに裏返った怒鳴り声を張り上げた。

 酒が回った上に怒りで血が昇り、顔色がどす黒く変わっている。

「貴様っ、何のつもりだっ!? ブラックバス帝国の軍使である俺に対して、こんなふざけた真似を――」

「あ、そうなん! オマエって、軍使やったん? ちっともそう見えへんから、分からんかったわー。どこの酔っ払いが城に紛れ込んできたんかと思たで」

 国王があれだけのことをしたのだから、もはや、交渉の意志も余地もないときっぱり言い切ったも同然だ。

 モッサは、今まで黙らされていた鬱憤を晴らすように、目いっぱい見下した口調で言った。

 軍使は、水から揚げられた魚のように、口をぱくぱくと開け閉めした。

 しかし、怒りのあまりか酔いのためか、すぐには言葉が出てこない。

「その通り!」

 その隙にドイッチが進み出て、びしっと軍使を指差す。

「いかに大帝国の軍使といえども、守るべき礼節があろう! 驕りたかぶり、礼節を忘れたそなたのふるまい、はっきり言って見苦しい!」

「うん。私も、そう思うな」

 ユーリも横から、穏やかに同意する。

「ぐぬぬぬぬぅっ……! き、貴様らぁっ、ブラックバスの軍使であるこの俺を、こけにしおったなぁっ!? 許さん、許さんぞぉっ!」

 ついにプッツンきたらしく、脇に吊るしていた剣の柄に手をかける軍使。

 それに合わせて、壁際に居並ぶ彼の部下たちも、一斉に抜刀の体勢に入る。

「おや」

 ほへっ、ってな感じのヌケた微笑みを浮かべて、あめえばが声を洩らす――

 その右手が、目にも止まらぬ速さで腰に走った。

 瞬きひとつしないうちに、引き抜かれた銀の刃が、ぴたっと軍使の首筋で静止している。

 あめえば。

 女好きでだらしなくていい加減な、どうしようもない王様だが、剣の腕前だけは王国一だ。

 5秒ほどかかって、ようやく鋼鉄の刃の冷たさを認識したものか、真っ赤だった軍使の顔が、鮮やかなまでに蒼白へと変わる。

 そんな彼のことは無視し、壁際の交渉団員たちに向かって、あめえばは言った。

「さあ、抜きますか? 抜いたらえらいことですよ? 抜くんですか? ええっ!? なになに、どうしても抜くと。ほほう、それは大変だ。――大変ですねえ、軍使さん。抜くって言ってますけど」

 誰も、何も言っていないが。

 もちろん、己の首がかかっている軍使は、そんなコト、いちいち突っ込んでいる余裕はない。

「ま、待てぇっ! 貴様が俺を斬れば、帝国軍は、直ちに貴様らの国への侵攻を開始するぞっ! それでもいいのかぁっ!?」

「もとより承知」

 喚く軍使に、凛とした声で応えたのは、――半ば予想通りにあめえばではなく、それまで黙って成り行きを見守っていたマホナンヌだった。

 そのかたわらで胸を張り、ししょーもまた、不敵な笑みを浮かべて言い放つ。

「だって、あんたみたいなどーしよーもない奴送り込んできた時点で、帝国に話し合いのつもりなんかないって丸分かりだものね。大人しく降参するなんて問題外だし。となると――来るなら来なさい。相手してやろうじゃないの」

 今まで、ブラックバス帝国の軍使に対して、ここまで大胆不敵に宣戦布告をした奴らがいただろうか?

 いや、いなかっただろう。

 その証拠に、軍使は、半ば呆然とした顔つきで、

「しょ……正気か、貴様ら。貴様らの相手は、ブラックバス帝国なんだぞ。貴様らなんぞ、一瞬でひねり潰されるのが、おちだぞっ!? それが分からんのか!?」

「ここで降伏したって、同じようなものでしょうに」

 落ち着き払った口調で、マホナンヌ。

「まあ、王家の血を引く者は全員、斬首は確実ですわね。そして、国民は帝国のために、それこそ血の最後の一滴まで搾らんばかりに働かされる。
 ……あなたがたの《大遠征》の最前線で戦っているのは、支配下においた国々から徴用した兵士たちなのでしょう?
 我が国民は、帝国のために戦って異国の地で死ぬよりも――自由を守りとおすために、この地で血を流すことを選んだ!」

 叩きつけるように、しかし、堂々とした笑みすら浮かべて、マホナンヌは断言した。

「これは、民会の総意です! この決意がひるがえることはありません」

 そう。

 10日前、最後の防波堤であったボルボックス共和国が陥落した時点で、国王の名のもとに《民会》が召集された。

《民会》とは、国の非常事態にあたって召集される、市民全員参加制の議会だ(ちなみにここでいう市民とは、成人男性のことである)。

 市民皆兵制を敷くフラバー王国にあって、この《民会》は、全兵士の、そして彼らに託された、家族たち全ての意思を問い、その方向性を決めるという、非常に重大な会議なのだった。

 その場ですでに、フラバー王国の国民たちは、『王たちとともに徹底抗戦』の道を選んでいたのである!

「ば、馬鹿な。俺たちの軍勢は、掛け値なしで、貴様らの何十倍、いや、何百倍といるんだぞ……貴様らの軍なんぞ、相手にならん……」

「なんじゅうばい……なんびゃくばい……」

 真剣な表情で指折り(明らかに足りないが)数え、マホナンヌを見上げるドー。

「じゃあ、われ、なんびゃくにんも、きったらいいのか? ひーばー」

「まあ、そうなるわね」

 一人ン百殺。

 確かに、単純計算ではそうなるが、人間業ではない。

 こいつらなら、できるかも知れないが。

「く、狂ってやがる……」

 引きつった声音でうめきながら、それでも覚悟を決めたらしい。

 軍使は、意外と潔く、ぐっと目をつぶった。

「や、殺るなら殺れ。俺たちの軍隊が、仇を討ってくれるだろう……そのときに後悔しても、遅いぞ。ふは、ははは……」

「やれやれ」

 あめえばは、ため息をついて、ちらっと背後を振り返った。

 マホナンヌが頷く。

「は、は、はは……どわっ!?」

 いきなり胸板を蹴り飛ばされて、軍使は、勢いよく後ろ向きに転がった。

 慌てて駆け寄った部下たちが、彼を支える。

 長大な剣を肩に背負い、あめえばは、彼を見下ろした。

 だらしない笑顔が、いつもよりもわずかに引き締まっている。

 ぽかんとした顔つきの軍使に向かい、彼は言った。

「とっとと帰っちゃってください。殺しませんよ。……どうせ、きっと、後で嫌になるほど血を流すことになるんだから……」

 最後のほうの呟きは、軍使たちには聞こえなかったに違いない。

 彼らはフラバーの王城の広間から、まろび出るようにして立ち去った。

 一瞬、沈黙が、その場を支配する。

 そして。

「うおおおっ! 陛下っ! 決まっておりましたぞーっ!」

 どやどやどやっ! と広間の入り口から駆け込んできて、グッジョブ! ってな感じに親指を突き上げているのは、国王親衛隊の人々だ。

 今までは物言わぬ彫像のように、鎧兜に身を固め、広間の入り口を守っていたのである。

「そうですよ陛下! 陛下があのよーに決まるなど、半世紀に一度のことっ!」

 と、感極まったように叫んだのは、スカーフェイス。

 親衛隊の中でも随一の使い手だが、いかんせん、自覚のない毒舌でも随一の男だ。

「本当ね! あの軍使と一緒にバカ笑いをしていたときには、どうしてくれようかと思ったけど」

 にこやかに、ししょー。

 表には全く出していなかったものの、やっぱり彼女も、かなりフラストレーションが溜まっていたらしい。

 ドイッチも、嬉しそうに言う。

「スカッとしましたよ、父上。ねえ、モッサ?」

「ホンマや。オヤジ、今のは、ごっつうカッコ良かったで」

 モッサも、今回ばかりは素直に父親を誉めた。

 自分を、別世界からイキナリ、かつ無理やり召喚し『娘になってください』などとぬかすよーなオヤジだが、やはりキメるべきときには、きっちり――

 と。

「え?」

 剣を肩に担いだままで、ぱちくり、と瞬きをし、あめえばは、きょとんとした口調で言った。

「みんな、何を言ってるんです? 私、何か言いましたっけ。……おや? どうしてこんなところに剣が……」

 ま、まさか。

「お、おのれはぁ……っ」

 モッサが、ししょーが、人々が。

 静まり返った、押し殺した口調でうめく――

「やっぱり酔っとったんかあぁぁぁぁいっ!!!」

 拳とケリ、そしてその場のあらゆる武器が、全員の絶叫とともに国王のどたまにめり込んだ!

 フラバー王国 対 ブラックバス帝国の戦いは、こうして、あっさりこんと始まってしまったのである。







  2  なさけない王様



 ブラックバス帝国の軍使がほうほうの体で逃げ帰った、その翌日――

「ふーぅ……」

 ため息をつきながら、あめえばは、手にしていた羽根ペンをペン立てに戻した。

 楕円形をしたでっかいテーブルの一角、一番とんがっている場所に、彼は座っている。

「むうーぅ……」

 テーブルの、残った周囲を埋めるように顔を揃えた将軍たちも、難しい顔で唸りつつ、あるいは、ぐぐっ、と背を反らし、あるいはこきこきと首を鳴らす。

 長い作戦会議が、ようやっと中休みに入ったのである。

 討議のあまりの白熱ぶりに、お茶を出すタイミングを見出せないでいたメイドたちが、今だ! とばかりに、香り高い液体を満たしたカップを、人々の前に並べていった。

 でっかいテーブルの真ん中には、お茶請けの焼き菓子を盛った器が、どーん! と置かれる。

「――どうぞ、陛下」

「おおっ、ありがとう」

 手ずからお茶を運んできたメイド長のヨネに、あめえばは、さすがに疲れの色は隠せないものの、嬉しそうな声で礼を言った。

「陛下、あまり、ご無理をなさってはいけませんよ?」

 心配げなヨネに、ああ、と頷いて、ずずずずーっ、と茶をすするあめえば。

「父……っと、陛下! 行儀が悪いですよっ!」

 少し離れた席から、びしっ! と錫杖を突きつけてたしなめたのは、ドイッチだ。

「あ、うん。それはそうと、お茶請け、取ってくれないかな? ここからだと、手が届かなくて……」

「……はい、はい。まったくもう……」

 この会議には、あめえばやドイッチをはじめとする王族が、全員残らず顔をそろえていた。

 何しろ、国民全体のうち、個人としての戦闘能力が最も高いのが、他ならぬ王家の人々なのである。

 戦いにおいて、最も大きなコマとなる彼らが、作戦会議に出席するのは当然のコトだ。

 しかし。

「ほら、かっきー。お茶の時間ですわよ!」

「……ふがっ?」

 爆睡してるヤツもいたりして、当人たちにその自覚があるのかどうかは、はなはだ疑問ではあった。



      *      *      *



 フラバー王国は、四方を海に囲まれた島国だ。

 国土面積はさほど大きくもないが、気候が穏やかで、豊かな島である。

 それゆえに、過去、多くの国々がフラバー王国の領土を狙って侵略をしかけてきた。

 だが、今まで、それに成功した国はただのひとつもない。



 天然の禦ぎである激しい潮の流れに加えて、島の周囲には、何ヶ所も、海面下ほんの数メートルに岩礁がひそむ場所がある。

 さらに、島の北側の海岸線は険しい崖に、南東の海岸線は《迷路の森》に塞がれている。



 また、地の利に加えて、軍も優秀だった(意外だが)。

 市民皆兵制をとるフラバー海軍は、常に外敵の侵略に対抗して戦ってきただけに、百戦錬磨のつわもの揃い。

 敵の上陸を許したことは、過去に一度もないというスゴさだ。



 万が一、敵が上陸しても、そこにはエックベルト率いる騎士団が待ち構えている。

 外敵を相手にしたことはないものの、普段は国内の警備隊として活躍し、常に厳しい訓練を欠かさない。
(――ついでに述べると、フラバー王国には、馬という生き物はいない。騎士たちが乗るのは、訓練されたハシリトカゲだ。草食性のくせにやたらと気性が荒く、戦闘では大活躍してくれる重宝なヤツらである)



 また、騎士団と並んで、魔術師団も重要な戦力だった。

 フラバー王国には、魔法の素質を持つ者が数多く生まれるが、そのなかでも特に優秀な300名ほどからなるフラバー魔術師団は、質の点では、当代一を名乗ってもバチは当たらないだろう。



 ……そして。

 忘れてはならないのが、王家の人々である。



 まずはやっぱり、国王あめえば。

 とことんほにゃららとした、やたら頼りない男だが、剣士としては王国最強だ。


 騎士団長、エックベルト。

 剣の腕では、兄にやや劣るものの、そのカリスマ性と優れた統率力は、差分を補って余り ある。


 あめえばの唯一の嫡子である世継ぎ姫、ドー。

 幼いながらもひとつの部隊を任される彼女は、達人級の鎌の使い手だ 。


 にょろの大神官、ドイッチ。

 優れた知性を持ち、学者肌と思われがちな彼女だが、ひとたび戦闘に加われば、法力をふるってあらゆる敵を打ち滅ぼす。


 地位を持たぬ子、モッサ。

 華奢で非力そうな外見からは想像もつかない戦闘力を有する彼女は、《キングオブファイターズ》の異名をとる格闘家だ。


 騎竜将軍ユーリ。

 竜と心を通わせる、優しく穏やかな人物だが、巨大な青竜堰月刀を振るう勇猛な戦士の顔も合わせ持つ。


 これらの顔ぶれだけでも、戦力として十分以上な感じだが、そこへさらに、真打ちのししょー&マホナンヌが加わるのだ。

 この二人は、普段の戦いでは滅多に実力を見せることをしないが、もしも彼女らが本気になれば……ハッキリ言って、何が起こるか分からない。


 また、王妃モジリン、メイド長ヨネ、そして国王のおば二人組であるかっきー&ババリンは、直接戦闘には加わらず、後方支援を担当することになっている。

 モジリンは治癒の魔術で人々を癒し、ヨネは城の作戦室の《電脳》を用いて戦術シミュレーションを行い、かっきー&ババリンは、科学技術を駆使して新兵器の開発にあたるのだ。



 一見、完璧とも思える陣容である。

 しかし、これだけの戦力が揃っているにもかかわらず、

「ふんむぅ……」

 あめえばは、カップの中身をすすりつつ、ちょっと眉を寄せて唸った。

 なにしろ、ブラックバス帝国は巨大な国家だ。

 今までに相手にしてきた敵とは、規模の点でケタが違う。

 今までと同じようにやれば勝てる、というわけではないのだ……。

 とはいえ、すでに、だいたいのプランはまとまっている。

 帝国が《大陸》の枠を超えて膨張し始めてから、はや2年……基本的な対応策は、とっくに練り上げられていた。

 今回の討議は、最後の最後に、細かい部分を詰めるためのものだった。

 しかしこれも、午後いっぱいで終わる予定。

 それから、各将軍たちは自分の持ち場へと散り、防戦の準備を整えるのだ。

 ――海流と風の具合から見て、ブラックバス帝国海軍が王国の沿岸に到着するのは、どんなに早くても、5日後の朝。

 時間的に見れば、まだ、いくぶんかの余裕がある。

 しかしさすがのあめえばも、軍の最高司令官という立場上、この期に及んで余裕をぶっこいてる、というわけにはいかなかった。

「やれやれ。智恵熱が出そうだ」

「普段から頭を使っておかないからよ」

 かちゃんっ、とカップを皿に戻して、こめかみをぐりぐりとやりながら嘆くあめえばに、涼しい顔で、ししょー。

 あめえばは、ちょっといじけたよーな顔になった。

「ひどいなぁ。それじゃ、まるで、私がバカみたいじゃないですか」

「あれっ? 違ったん?」

 狙い澄ましたようなモッサの一言に、ごん! と額をテーブルに打ちつけるあめえば。

 娘たちがくすくすと笑い、居並ぶ将軍たちが、わっはっはと豪快に笑う。

 扉を守っている衛兵たちまで、兜の面頬の下で、笑いを噛み殺していた。

 張り詰めていた空気がゆるんで、和やかなムードが漂う。



 その、途端だった。



「――緊急、緊急ーっ!」

 突如、廊下のほうから響いてきた大声に、全員の顔つきが、再びこわばった。

 一同の耳に、だだだだだっ! と、やたら切羽詰まった感じの足音が届く。

 それがあっという間に近づいてきたと思うと、鎧姿の騎士が2人、部屋の入り口に現れた。

 城門を守る任務にあたっているはずの騎士たちだ。

 一刻を争う事態らしく、2人は、ひざまずいての礼もそこそこに顔をあげる。

「――何事です?」

 そこへ、絶妙のタイミングで、マホナンヌが声をかけた。

 無論、ただ事ならぬ雰囲気を感じ取っていないはずはないのだが、その声の響きに動揺はない。

 上に立つ者がいたずらに慌てふためいては、事態をますます混乱させるばかりである。

 何が起こったのかは分からないが、ともあれここはデンと構えて、相手を落ち着かせなくては……。

「ひ、非常事態です!」

 しかし、騎士たちは、落ち着くどころではないようだった。

「ぼっ、……暴動が! 暴動が、発生いたしましたッ!」

 報告の声が、ほとんど悲鳴のように響く。

 一瞬。

 全員が、ぽかん、とした顔つきになった。

「…………はぁっ?」

 かっきり2秒後、国王が、素っ頓狂な声をあげる。

 目が点だ。

「何だと?」

 言いながら立ちあがったのは、エックベルトだ。

 報せを持ってきた騎士たちは、彼の部下なのである。

「どういうことだ。詳しく報告しろ!」

「はっ。つい先程から、民衆が、城門の前に集まりはじめ……あっという間に、その数が膨れ上がりまして、今や、城門前の広場を埋め尽くすほどになっております! なかには、棒や石などで武装している者もおり……」

「ちょっと、ちょっと!」

 騎士の、早口の報告を、ばっ! と片手を突き出してさえぎったのは、ししょーだ。

「落ち着きなさい! 一番、肝心なところが抜けているわよ。いったいぜんたいどうして、そんな騒ぎが持ちあがったわけ?」

「……はっ、そうでした! 申しわけございません!」

 騎士は『しまった』という表情を隠そうともせずに、そう叫んだ。

 どうやら、本気で失念していたらしい。

 尋常でない慌てようだ。

 ――それも、無理はなかった。

 建国以来、今に至るまで200年――

 このフラバー王国で、内乱、一揆のたぐいが起こった例は、ただの一度もなかったのだから。

 騎士は、懐に手を突っ込むと、くしゃくしゃになった紙切れを取り出した。

「これは、民衆が所持していたものです。このビラが、今回の暴動の引き金になったものと思われます!」

 ししょーは、マホナンヌと素早く目を見交わした。マホナンヌがうなずいたので、ししょーがそのビラを受け取る。

「…………」

 黙ってビラの文面に目を通すししょーの顔が、見る間に、険しくなっていった。

 その表情の変化を目にして、人々が不安げにざわめく。

「えっ? ちょっと? なんか、すっごく不吉な予感がするんですけど! 何が書いてあるんです? 早くこっちにも教えてくださいよ!」

 騒ぐ国王を、とりあえず無視し、

「……やられたわ」

 読み終えたビラを、ぴらり、とマホナンヌに渡すししょー。

 そして――

 マホナンヌが、ゆっくりとその内容を読み上げる。

 曰く……先の『会談』の場でのフラバー王家の振る舞いは、帝国に対するあからさまな挑発行為であること。

 よって、これを宣戦布告と見なし、帝国はただちに攻撃に移る構えであること。

 ――ここまでは、まあいい。

 帝国の侵攻を回避できるとは、もともと誰も考えていなかったのだから。

 問題は、最後の一言だった。

 その一言を読み上げる瞬間、さしものマホナンヌの顔にも、ほんのかすかにだが、歪みが生じた。

 曰く。

「……『フラバー王国に属する者は、たとえ非戦闘員であろうとも攻撃し、殲滅する』」

 しばし、水を打ったような静けさが辺りを支配した。

 そして一同の顔に、あるいは動揺の、あるいは苦虫を噛み潰したような表情が広がる。

「やられたわね」

 あからさまに舌打ちをして、ししょーが呟いた。

「これまで、密偵の摘発には力を入れてきたつもりだったけど、……洩れたヤツらがいたんだわ。このビラを撒いたのは、おそらくそいつらよ。……国民の不安を煽って動乱を引き起こし、戦わずして敵国を崩壊に導く――数を頼みの力押ししか能がない連中かと思っていたら、なかなか味なマネをしてくれるじゃないの」

 ここまで正面切って『皆殺しにしてやる』と言われて、それでもなお、勇気をふるって立ち向かう根性のある者はそうはいない。

 ……他の者を犠牲にすれば自分たちが助かる可能性があるときには、特に。

「なるほど。それで、わたくしたちの首を帝国に差し出そうというわけね」

 別段、腹を立てるでもなく、妙に納得したようにうなずくマホナンヌ。

 ししょーは軽く頷き、それから、あめえばのほうを向いて言った。

「ま、とにかく、ここで四の五の言ってても始まらないわね。これ以上まずいコトが起こる前に、あんたが出向いて事態を収拾しなさい」

 ししょーの口調は「ちょっとおつかいに行ってきて」とでも言うように何気ないものだったが、それを受けたあめえばの反応は、何気ないどころではなかった。

 目を見開き、自分を指差して、目いっぱいうろたえた声をあげる。

「え? えええっ? わ、――私が?」

 ししょーの顔が、見る間に険しくなった。

 あ、ヤバい、と一同の表情が引きつると同時、

「……あんたね。何を言ってるのよ。あんたは、国王でしょう! あんたが行かずに、他の誰が行くのっ!!」

 徐々に激しさを増しながら叩きつけられた母の言葉に、

「そ、……そうですね。そうでした」

 国王は、かくかくとうなずいた。

「ええと、じゃあ今から……えっと? えーっと……どこに行けば……?」

「――確認しておくが、城門は、今、閉まっているのだな? そして、国民たちは、その前の広場に集まっている。これに間違いはないか」

 あうあうと慌てる国王の傍らから、エックベルトが、冷静な調子で部下に確認した。

「はっ、その通りです」

「……兄上。城門の上の通路に出ましょう。うかつに門を開ければ、民衆が一気に城になだれ込むおそれがあります。城門は閉ざしたままで……万が一の事態に備え、門の内側に、騎士団の第一部隊を待機させることにします」

 的確な弟の進言に、

「う、うん……」

 分かったんだか分かってないんだか分からない曖昧な調子でうなずき、あめえばは、とりあえず城門上の通路へ向かうべく、ぱたぱたと走り出す。

「…………」

 あまりにも頼りない国王の態度に、一同は、一瞬、限りなく不安そうに顔を見合わせた。

 しかし、このまま呆然としていても仕方がないので、とにかく、全員そろって国王の後を追いかける。

「……なぁ」

 走るドイッチの袖を、ぴっぴっと誰かが引っ張った。振り向けば、犯人はモッサだ。

 彼女は、マントをなびかせて走る国王の後ろ姿を小さく指差し、ひそひそと言ってきた。

「……オヤジ、相当ショック受けてるな。なんか、後ろ姿に哀愁漂ってるやん」

「哀愁……っていうより、悲愴感が漂ってるよね……」

 こちらもひそひそと、ドイッチ。

 敵に対するときは、底の抜けたザルのように思い切りがよく迷いのない父。

 剥き出しの殺気を向けられても、死ぬことなんて丸っきり心配していないように、脳天気な態度を崩さない。

 しかし、自分の国民に刃を向けられるのは――

「……あいつ、内側が無防備過ぎんねん。危ないな」

「そうだよねぇ」

 いつから聞いていたのか、横から、ユーリも重々しく同意してくる。

「あんまり考えたくないことではあるけれど、もしも、いざとなったら……私たちが、人々から、陛下を守らなくてはならないね」

「…………」

 各人各様の思いをめぐらしつつ走るうちに、一同は、最も外側の城壁の上の通路に出る扉の近くまでたどり着いていた。

 樫の木を鋼の骨組みで補強した堅固な城門を備え、大人が両手を広げても余るほど厚い城壁に囲まれたこの城は、このフラバー王国にあっては、外敵に対抗して国民一同が立てこもるための最後の砦だ。

 今まで一度たりとも外敵に脅かされたことがなかったその外壁が、今、初めて役立っている。

 しかし壁の外側にいるのは、侵略者ではなく、守るべき国民なのだ。

 あめえばが、扉に手をかける。

 外からは、既に、騒然とした空気が伝わってきていた。

 ――そして、扉が開いた瞬間、それは怒涛のような喚き声となって一同の耳を打った。

 あめえばは、一瞬ひるんだように足を止めたが、すぐに、意を決したように歩き始める。

「……あっ? おい」

「あ……」

「国王だ!」

 その姿に最初に気付いたのは、誰であったか。

 高くそそり立つ城壁の上に、国王、そして彼に続く王族一同の姿を認めて、人々のあいだから、無数の呟きが起こった。

 絶叫のような喚き声が徐々にやみ、城門前広場は、先程とはまた違ったどよめきに覆われる。

 不安と不信に満ちたその場の雰囲気は、どこか、沸騰寸前の牛乳を思わせた。

 ぶつぶつと静かに煮立っていたかと思えば、次の瞬間、爆発的に膨れ上がり、吹き出して――

「あー……」

 通路の手すりの側に立ち、人々を見下ろしていたあめえばが、何やら口を開いた。

 人々が、国王の発言を聞こうと、ある程度口をつぐんだため、その場が、一気に静かになる。

「……あのー……」

 しかし、その鬼気迫るほどに真剣な雰囲気に呑まれたか、あめえばは、続きが出てこないようだった。

「その……あれなんですけど……ええと……」

 ――何だか分からないことをごにょごにょと呻く国王に、人々の苛立ちは、即座に沸点に達した。

「何なんだよっ? 何とか言え!」

「そうだ! 俺たちに説明することがあるんじゃないのかっ!?」

「そうだ! このビラは一体何なんだっ!?」

 立て続けに炸裂する怒声に、

「……ああ……ええと、つまりですね。あのビラは、皆さんの不安を煽るために帝国が撒いた……」

 何とか説明を試みるあめえばだが、怒り狂った群集に対して『理性的な説明』などは何の意味も持たない。

 1人の大柄な男が、ビラを握りつぶした拳を振り上げ、他を圧して通る声で叫んだ。

「何だっ、この『非戦闘員であろうとも攻撃し殲滅する』ってのは!? こりゃ、女房子どもまで皆殺しってことじゃねえか!」

 その声に、国王は一瞬、口をつぐんだ。

 そして、

「そうですね」

 あまりにも――

 あっけらかんとそううなずいた国王に、人々の目が一瞬、点になった。

 自分たちの家族が殺される、という事態を、あまりにもさらりと流した国王の態度に、怒りを通り越して、呆然としたようだった。

 その雰囲気を察したのか、それとも、察していないのか。

 あめえばは、この期に及んでしまりのない口調で、言った。

「あ。でも、大丈夫ですよ。要は、勝てばいいんですから」

「勝つ……?」

「ええ。勝てますよ」

「……勝つだって……?」

 虚脱したような無数の呟きの内側から、限りなく不穏な気配が盛り上がってきている。

 かりそめの静けさの薄膜を突き破って、何かが現れ出ようとしていた。

「ふ、……ふ……」

「――ふ?」

 あめえばが、きょとんと首を傾げた。

 その瞬間に。

「ふざけるんじゃねえぞおっ!」

 今度こそ止めようもない勢いで、人々は絶叫し始めた。

「勝てばいい? 勝てるだと? 勝てるのかよ、ええ!? こっちの何十倍って相手と戦って、絶対、確実に勝てるってのかよっ!?」

「馬鹿野郎! 馬鹿野郎、ちくしょう、てめえら、てめえらオレらの命を何とも思ってやがらねえんだなっ!?」

「普通の戦ならまだ、負けても、大人しく降伏すりゃあ命までは取られねえ! だが、もう、そこに全員殺すって書いてあるじゃねえか! こんな危ねぇ賭け、正気の沙汰じゃねえ!」

「さ、最初っから降伏しときゃ、こんなことにはならなかったんだ! あんたらが、あんたらが勝手に帝国にケンカを売ったばっかりに……」

「……何やと……」

 国王の後ろで人々の叫びを聞いていたモッサが、不意に、妙に静かな口調で唸った。

「あいつら、民会で、自分らで、戦うて決めたやないかい。あいつら……自分らが決めたこと忘れたんか?」

「ダメだ!」

 拳を固めておもむろに進み出ようとしたモッサを、隣に立ったドイッチとユーリが、両側から押さえつける。

 そのあいだにも、人々の激しい糾弾は続いた。

「あんたらが! あんたらだけが……犠牲になってくれれば……こんなことにはならなかった……!」

「そうだ、それが、上に立つ者の務めじゃねえのかぁ!」

「あんたらは、あんたらが死にたくないばっかりに、俺たちの家族を巻き添えにしたんだ!」

 あめえばは、答えない。

 いや。

 そのくちびるが、かすかに動いた。

「そう……ですね。……その通りです」

 最初は吐息と同じ程度に――そして徐々にはっきりと、声を高めながら、あめえばはゆっくりと顔をあげた。

 それに呼応するように、人々の喚き声がトーンを落とし――

 静まり返った広場に、国王の言葉が響いた。

「確かに、私は、死にたくない。――処刑なんかされたくない。命が惜しい。それを否定することはできません」

「あのアホっ……何言うてんねん……?」

 モッサが、かすれた声をあげる。

 この状況で、国王がうかつなことを口走れば、どうなるか――

 あれだけの群集が一時にエキサイトして武器を取れば、本当の内乱が起こる。

 自分たちが死ぬ、とは、思わなかった。

 だが、そんな事態になれば、人死にを出さずに事を収められるはずがない。

 王家の者が、そんな形で国民を手にかけてしまったら――

 この国は、終わりだ……。

 だが、もとよりそんなことは思いつきもしないのか、それとも、考える余裕がないのだろうか。

 あめえばは、怒り狂う民衆に対して決然と顔をあげたまま、言葉を続けた。

「けれど、それだけではない! 私は、――私は、この国を守りたい! 誰もが穏やかに暮らせる、この国を守りたいんです! この国の……」

 一度にこみ上げた言葉が、喉をせき止めてしまう。

 あめえばの、視線と、右手とが、宙をさまようように動いた。

「…………」

 彼は、人々を見下ろした。

 殺気立ち、敵意に歪んだ顔が広場を埋め尽くしている。

 この人々は、本当は、こんな顔をしていてはいけないのだ。



『わ……きれいな国やねぇー! ……あんたは、ムカつくけどな!』



 バルコニーから身を乗り出して、そう叫んでいた少女の笑顔。

 ――緑の森。

 花の咲きこぼれる、豊かな土地。

 活気にあふれた街角で、時にがなり合い、時に笑い合う人々。



『さよならは言わへんで……。だって、永遠の別れっちゅうわけじゃないもんな。――絶対、また、呼んでもらうから。それまで、この国、責任持って守り抜きやっ!』



 そうだ。

みっちいに、約束した。

 にぎやかで……けれど、とても静かで……穏やかに、流れてゆく時間を――

「失いたくない。守りたいんです。みなさん、そのために、力を貸してください。我々が力を合わせて戦えば、必ず勝てる!」

「黙りやがれ!」

 国王の言葉に応えたのは、憎しみのこもった怒鳴り声だった。

「何が、必ず勝てるだ! 気休め言ってんじゃねえ!」

「そうだ!」

 いくつもの声が、重なるように後に続く。

「血を流すのは、俺たちなんだ!」

「今さら、守るだの何だの、偽善者ぶったってムダだ! 見苦しいぞ!」

「あんたらは、国民を、あんたらのために犠牲にしようってんだ!」

「そうよ! あたしたちまで巻き込んで……どうしてくれんのよぉっ!?」

「そうだ! 責任を取れ!」

「王家の者は、責任を取れ!」

『王家の者は、責任を取れ!』

 何千という群衆の声が、まるでひとつの巨大な声のように、同じ言葉を繰り返す。

 カツーン、と、誰かが投げた石が、通路の手すりに当たって弾けた。

 それを合図としたように、ばらばらと、石や木切れが飛び始める。

「兄上」

 エックベルトが、緊迫した声音で呼びかけた。

 城門の内側に密かに待機している騎士団を出動させるための、国王命令を待っているのだ。

 群集が本格的に暴徒化する前に鎮圧しなければ、取り返しのつかない事態になりかねない。

 しかし、あめえばは、蒼ざめた顔で首を振る。

 関節が白く浮き上がるほどに手すりを握りしめながら、彼は言った。

「だめだ……絶対に……それだけは」

「しかし!」

 ぴしっ――

 なおも言い募ろうとしたエックベルトの目の前で、あめえばの頬を石がかすめた。

 反射的に頬にやった手に、うっすらと血の跡が広がる。

「!」

 国王の子供たちは、互いに顔を見合わせた。ただ一度、うなずきあう。

 そして、一斉に武器を――



「静まりなさい」



 ……それだけ。

 それだけ、聞こえた。

 それだけで。

 憑かれたように喚いていた民衆が、声を無くしたようになった。

 石や木切れが地面に落ちる、乾いた音だけがぱらぱらと響き……それもやがて、消える。

 人々が見あげる、城壁の上。

 国王のかたわらに、ひとりの女性が進み出ていた。

 ――マホナンヌ。

 その姿に、すべての視線が集中する。

「戦わないのならば、――誓ってください」

 目の前の広場を埋め尽くす人々の、一番隅にいる一人にまで視線を送りながら、年老いた建国の女王は、静かに語りかけた。

「あなたが。あるいは、あなたの息子たちが。帝国のために、安い矢じりのように使い捨てられて、異国の戦場で死んでゆくときにも。戦線を維持するためにと作物を徴収されて、明日食べるものにすら事欠くときにも。あなたがたの幼い子どもが、痩せ衰えて、目の前で死んでゆくのを見るときにも……
 決して、後悔しないと、誓ってください。
 自分たちの選択を、決して後悔はしないと、誓ってください。その選択の結果を、他人のせいにして恨むことを絶対にしないと、誓ってください。
 ――決して、」

 その言葉には、恫喝の気配は微塵もなかった。

 煽動のあざとさもなかった。

「なぜあのとき戦わなかったのか、と言わないと、誓ってください」

 ……だからこそ、人々は、その言葉が終わった後も、静まり返ったままだった。

 左右の仲間と目を見合わせて、居心地の悪さをごまかすことすら許さないほどの威厳が、その一言一言に込められている。

「そ……そんな……そんなふうに、言うけどよぉ……」

 ややあって、一人の男が、ようやく反論を口にした。

「あんたらに従って戦ったって、どのみち、後悔することになるじゃねえかよ……」

「……そ、そうだ」

 人々は、堰を切ったように、口々に不安を訴え始めた。

「俺たちだけなら……かかってるモンが、俺たちの命だけなら、いちかばちか戦うってこともできるが……」

「そうだ……家族の命をとると言われちゃあ……巻き添えにはできねえ!」

「逆らわなけりゃ、少なくとも、すぐに命をとられることはねえ! だが、戦って負けりゃ、確実に皆殺しだ……」



 と、そのときだ。



「あのねー。あんたたち」

 ざわめきを圧して、声が響いた。

 マホナンヌのものでも、もちろん、あめえばのものでもない。

 ししょーだ。

 ふんむ、と胸の前で腕を組み、心底呆れ返ったという様子で、彼女。

「どうしてよ? どうしてあんたたちは、そんなに、やたらと、負けることばっかり考えてるの? ――まさかあんたら、負けたいってんじゃないでしょーね?」

「そっ、……そんなわけがあるかよ!」

 さすがに叫ぶ人々に、彼女はにやりと――にこりとでも、くすりとでもない――笑みを見せて、言った。

「よかったわ! そこまで根性なかったら、この国も終わりだもんね。……そう、あたしらはまだ、終わるつもりもないし、終わりもしない。国王が、どうしてあれほど脳天気なことを言ったのか。その理由を、教えてあげるわ。
 それはね。
 ――私たちは、強いからよ」

 言い切った。

「あなたたちは、自分たちの国の戦力を過小評価しているわ。思い出して。フラバー王国建国以来、今に至るまで……この国の軍が、他国の侵略を許したことが、一度でもあったかしら? どんな侵略者も、フラバー王国の土を踏むことは、決してできなかった。
 それは、我が国の海軍が、いつの時代も桁外れに優秀だから」

 当初は、マホナンヌのやや後ろにいた彼女だが、話しながら一歩、一歩と進み出て、今や、あめえばよりも前にいる。

 彼女は、手すりに両手をついて、人々の顔を見渡した。

「確かに今まで、ブラックバス帝国は、負け知らずの戦を展開しているわ。なぜ、あれほど多くの国々が、帝国に負けてしまったのかしら?
 それはね。ハッキリ言って、そーゆー国が、弱っちかったからよ」

 またも、断言する。

 彼女が、単に大風呂敷を広げているだけだとは、誰も思わなかった。

 それほど、彼女の口調は、揺るぎない自信に満ちていたから。

 人々は、彼女の言葉に、耳を傾けた。

「長い、平和の時代が続いていたからね。……どこの国も、のんべんだらりとこの世の春を謳歌しているうちに、軍隊が骨抜きになっていたのよ。だから、相手の数を聞いただけで震えあがっちゃって、はじめっから戦いにならなかった。
 ――でも、私たちは違う」

 強い視線が、人々を貫く。

「200年。
 ……200年ものあいだ、我が国は、近隣諸国との絶え間ない戦闘を勝ち抜いてきた。生ぬるい訓練なんかじゃなく、幾多の実戦をくぐり抜けてきた、百戦錬磨の海の猛者たち――」

 集まった民衆のなかに混じった、海軍の兵士たちが、その視線と言葉とを受けて、我知らず背筋を伸ばした。

「あんたたちは、自分たちの実力に、気付いていない!」

「……すっげー。アジテーション」

 モッサが、ぼそっと呟き、

「しーっ!」

 と、ドイッチが大慌てでその口をふさぐ。

 ししょーの演説は続いた。

「そして、私たちの力だけが戦力じゃない。戦場になるのは、この島の周囲の海よ。私たちはこのあたりの風、海流、岩礁の位置――全てを把握している。自然もまた、私たちの味方についてくれる!
 ブラックバス海軍が、我々に勝っているのは――」

「数だけよ」

 マホナンヌが、静かに、娘の言葉を引き継いだ。

「ブラックバスは、もともと《大陸》の小国家でした。これがどういうことか、分かるかしら? ……彼らが本当に得意としているのは、陸上での戦いなの。皇帝が育て上げた精鋭部隊は、あっという間に《大陸》を平定したけれど、その後、皇帝は全世界の制覇を目指し――侵略戦は、海での戦いに切り替わる。けれど、彼らは、海での戦いを知らなかった。
 だから、海の戦いで先鋒をつとめることになったのは、帝国の支配下におかれた海辺の国々の兵士たち」

「――ところが、ね」

 母の言葉を受けて、ふたたび、娘が語り始める。

「ここからが、大事なところなの。
 ……2年にわたる侵略戦争で、沿岸諸国の優秀な古参兵たちは、次々と戦死していった。そこで、よ。最近では、支配地域で徴収した新兵に、ちょこちょこっ、と訓練をしただけで軍船に乗せてるのね。
 半分が船酔いで青い顔してるよーな情けない軍隊に、百戦錬磨のフラバー海軍が負けるなんてこと、絶対完全確実に、ありえないわ。
っていうかむしろ、そんなのに負けるくらいなら、いさぎよくこの場で腹切って死んだほうが百万倍はマシよ」

 真顔で、びしっと言い切るししょー。

 その言葉に――かすかに、ほんのかすかにだが、笑い声が起こった。

「それに――」

 たたみかけるように、絶妙の呼吸で、マホナンヌが引き継ぐ。

「戦うのは、あなたがただけではない。――そのことを、忘れていないかしら?
 先程、あなたがたは、わたくしたちが命惜しさに戦いを望んだ、と言いましたね。けれど、ただ命が惜しいのならば、どうしてわたくしたちは、戦いを避け、さっさとこの国を逃げ出してしまわないのでしょう」

 人々が、あっ、という形に口を開けた。

 言われてみれば、その通りだ。

 王家の人々が本気で脱出する気になったなら、たとえ国民全員でかかって止めようとしたとしても、到底止められるものではない。

それこそ屍山血河を築いてでも、彼らは必ず脱出を果たしたはずだ。

 なのに、彼らは、それをしなかった……。

 マホナンヌは言った。

 後ろに立つあめえばを手で示し、

「このバカ孫は、何しろ、バカなものでね。……うまくは言えなかったようだけれど。
 わたくしたちは、この国を愛しています。
 だから、守りたいのです。
 今、ここに誓いましょう! 対帝国戦争の全ての戦いにおいて、王家の者は、常に先陣を切り、そして常に最後まで戦うと!
 この国を守るためならば、この血を最後の一滴まで流すこともしましょう――
 けれど、この国をみすみす踏みにじらせ、滅ぼさせるために命を捧げることはできない!」

「私たちが力を合わせて戦えば、必ず勝てるわ! だから」

 ししょーが、力強く呼びかける。

「共に、戦いましょう」

 その言葉がひびき、そして消え――静かになった。

 一瞬だけ。

「……そ……そう、か……」

 ふつふつと。

「そういうことなら――勝てるかも、知れねえ――」

 とてつもない熱を秘め、静かにたぎりはじめた海のように、人々のあいだから、無数の呟きが湧き起こる。

「お、俺は……やるぜ」

 徐々に、呟きが大きくなり、

「そうだ、やれる!」

 叫びに変わる。

「忘れてたぜ……俺たちは、フラバー海軍の男なんだ! 今まで、俺たちはどんな敵と戦っても、負けたことはなかった! そうだろ皆っ!?」

「おおう!」

「そうだ! 今回だって、絶対に、負けやしねえ! ちっとばかし敵の数が多いからってビビってたんじゃ、海の男の名がすたるってもんだ!」

「勝てる!」

「てゆーか、勝つっきゃねぇ!」

「おお! 帝国野郎を、海の底に叩き込め!」

「勝つぞ!」

『おうっ!』

 声を合わせる人々の表情には、もはや、先ほどまでの不安はない。

 拳を突き上げ、気勢をあげる。

 まるで波のうねりのように力強く。

「フラバー海軍の実力を見せてやれ!」

『おおう!』

「泥縄へなちょこ海軍なんぞに、負けてたまるかぁーっ!」

「そうだ! 俺たちは必ず勝ぁつ!」

『俺たちは、必ず勝ぁつ!』

「海の上なら、俺たちゃ無敵だ!」

「見せつけろ、フラバー魂!」

「帝国海軍、何するものぞ! えんやらやったらやあ、おーっ!」

『えんやらやったらやあ、おおーぅっ!!!』

「……分かる? あめえば」

 城門の上――

 息子のすぐそばに寄り添って、ししょーは、小さく眼下を指差してみせた。

「あのへんで気勢をあげている連中。……うちの騎士たちよ」

「えっ?」

 国王の視線が、ふらふらとさまよい、――やがて、その目が丸くなる。

「……あ。本当だ」

「サクラ、ってやつね。アジテーションの基本よ。――重要なのは、人々の不安を取り除くこと。不安ってのは、タチの悪い伝染病みたいなもんなんだから。負ける負けるとビビってたんじゃ、勝てる戦でも全滅しかねない。……だから、こっちからこーやって盛り上げて、勝てるんだ! って信じさせてあげないとね」

「……いったい、いつの間に……?」

「あんたがごにょごにょ言ってる間に、こっそりエックベルトに頼んで、人を出させたのよ。ああやって、私服着て紛れてりゃ分かんないでしょ。ごっつい海の男どももいっぱい集まってるから、違和感ないしね」

 笑いながら、そこまで言って、ししょーは、不意に、あめえばの肩をどんと突いた。

 あめえばが、驚いたように振り向く。

 突いたその手で、しっかりと息子の肩をつかみながら、ししょーは力強く言った。

「こらっ。落ち込んでるんじゃないわよ。本当の大仕事は、これからやってくるんだから」

「はい」

 国王は、笑った。眉の下がった、力ない笑顔だ。

「しかし……今日ほど、自分は国王に向いてないと思ったことはありませんよ……」

 なさけない王様。

 有事の際こそ指導力を発揮しなければならないのに、母たちの力を借りなければ、国民たちを説得することすらできない。

 そんな息子の思いを見通した上で――あくまでも何気なく、ししょーは言った。

「向いてるの向いてないの言ったって、仕方ないでしょうが。自分の責務を果たすだけよ」

 ぴしっと立てた人差し指で、トン、と胸を突かれ、

「そう……でした。そうですね。……頑張ります」

 答えて、あめえばは、拳を突き上げ軍歌を歌い、やたら盛り上がっている人々の姿に目を戻した。

「不器用な子」

 頼りない息子の背中を見守りながら、ししょーは、そっとひとりごちた。

「きっと、今までに、あんたほど、国民に近い国王はいなかったでしょうよ……」







  3  始動!

 

「総員、戦闘配備〜っ!」

 の声が、いよいよ街の辻々に響きわたったのは、マホナンヌ&ししょーの演説の興奮も冷めやらぬ、その翌朝のことだった。

 ……もちろん「昨日の興奮の余熱を利用しない手はない」という、ししょー達の作戦があってのことである。

「総員、戦闘配備だ! 兵員は直ちに武装し、各々の集合地へ参集! 非戦闘員は、係の者の指示に従い、避難を開始せよ〜!」

 カカッカカッと、ハシリトカゲの爪音も高らかに、大声を張り上げながら伝令たちが通り過ぎてゆく。

「おおおぉ、来た来た来たァ! よっしゃあああ、待ってやがれよ帝国野郎! このオレ様が、きっちりさっぱり、引導を渡してやっからなぁぁぁ!」

「……むうっ、召集か! よし! 今こそ、我が家に代々伝わる秘剣《ふらばぁ丸》の封印を解くときじゃ! 帝国人どもめ、我が刃をその身に受けて、フラバー国民の怒りを思い知るがよいっ!」

「父ちゃん、ケガしちゃダメだよう!」

「分かってらぁ。おうっ、お前らのために、父ちゃん、がんばってくるからな。父ちゃんが留守にしてるあいだ、お前らが、母ちゃんのこと、しっかり守るんだぞ!」

「ジョセフィーン、愛してる。この戦争が終わったら、結婚しよう。……必ず帰ってくるからな! 無事を祈っていてくれ!」

「イヤ! イヤよハリソン! 行かないで〜っ!」

 ――等、各人各様のドラマが生まれたりしつつ、フラバー王国は、国をあげての戦闘態勢に突入してゆく。



      *     *      *



 一方。

 そんな市街地の騒ぎもまったく届かない、東の海岸にて。

「う、う〜ん……」

 砂浜を見下ろす防壁の上に仁王立ちになって、ししょーは、思わず知らずに唸り声をあげていた。

 ここから一望のもとに見渡せる東の海は、南と並んで、今回の戦いの2大激戦地となるであろう重要なポイントである。

 そこで、ししょー自らが、配備の様子を視察に来たのであるが――

「いかがです、姫!」

 ししょーのかたわらで、得意げな表情を浮かべながら胸を張ったのは、片目に眼帯をかけた、色黒マッチョな爺さんだ。

 四角い顔に鋭い眼光、と、どう見ても戦士の面構えである。

 むきっ、と筋肉質な腕を振って、砂浜のほうを示し、

「これぞ、わしが手塩にかけて育て上げた、精強無比の海兵隊ですじゃ! この者たちがおる限り、どれだけの敵が攻め寄せてこようと、ここを抜かれる心配は御無用!」

「む、む〜ん……」

 示されたほうを見下ろして、再び、唸り声をあげるししょー。

 ――白砂まぶしい砂浜が、そこだけ、真っ黒に染まっているかのようだった。

 何しろ、びっしりと集合している海兵隊員たちのほぼ全員が、横に立っているじーさんとまったく同じ、筋肉むきむきで真っ黒けに日焼けした、やたらと暑苦しいにーちゃんたちなのである。

 確かに、頼もしいっちゃ頼もしい眺めなのだが、ここまでくると、ハッキリ言って、気持ち悪いの次元に突入していた。

(……ま、まさかと思うけどこのじーさん、部下たちを、自分と同じよーになるまで鍛え倒したってんじゃないでしょーね……?)

 などという恐ろしい考えが一瞬頭をよぎったが、とにかくししょーは笑顔を浮かべ、隣に立つじーさんに言葉をかける。

「確かに、これなら信頼できそうね。東の戦いには、王族は回さないってことになったけど、どうやら、その決定に間違いはなかったみたいだわ」

 このフラバー島への上陸ポイントは、大雑把に言えば『南』、『東』、『西』の3ヶ所がある。

 そして、この順で、上陸が容易だ。

 敵はおそらく、圧倒的な数を背景に、戦力を3つに分け、同時に全ての上陸ポイントを叩いてくるだろう。

 よって、当然フラバーたちも、3方向を同時に守らざるを得ないのだが、兵員の絶対数がどーにも足りない。

 そこで、王族たちはほぼ全員、一番の激戦が予想される南の戦場に回り、ここ東の戦場は、全面的に、このじーさんとその部下たちに任されることになったのである。

 ……何だか、限りなく不安な人選とも思えるが、ししょーの顔には、心配の色はまったくない。

 にっ、と笑って、彼女は言った。

「勝てるわね。何しろ、あなたはこの東の海を、自分の手のひらのように知り尽くしてるんですもの。ね、パール将軍?」

「いやいや。自分の手のひら以上に、知り尽くしておりますわい」

 マッチョ爺さん――いや、フラバー海軍で最高位の戦士、パール将軍は、日焼けで真っ黒な肌によく映える白い口ひげをひねりあげながら、重々しくうなずいた。  このパール将軍、ししょーの幼い頃を知っている、という、いったい何歳なんだか分からないほどのジジイだが、将軍の任について百ウン十年(……)、数えきれないほどの戦果を上げ、『仕掛けて仕損じなし』と称えられるほどの名将なのである。

 この人選は、その確固たる実績を買ってのことだ。

 しかし、このたびの対・ブラックバス戦争は、さすがの彼をもってしても経験したことがない規模の海戦である。  

 ……本人は、必殺の秘策があるとかで、やたらと自信満々だが。

「あのね、将軍」

「はっ。何でしょう?」

 振り向いてきた将軍に、ししょーは、いつになくマジな顔で、心配げに言った。

「戦ってみて、――もしも、ヤバそうだったら、すぐに城に使いを出してちょうだいね。その時は、わたしか母上が出ますから」

 ししょーの言葉に――

「何ですとっ!?」

 パール将軍は、憤然として声をあげた。

「見損なってもらっては困りますな、姫! このパール、今までただの一度たりとも、敵に祖国の砂浜を踏ませたことはござらん! 老いぼれとて、あなどられるな。このカトラスの切れ味は、まだ鈍ってはおりませんぞっ!」

 と、唾を飛ばし、愛剣まで抜いて力説する将軍を、ししょーはしばし、じっと見返していたが――

 しばらくして、不意に、その口元が、くっ、と妙なかたちに曲がる。

「…………?」

 将軍の不審そうな顔に、ししょーは、とうとう真顔を保ちきれなくなった。

 あははははは! と明るい笑い声をあげて、ばーんと豪快に将軍の肩を叩く。

「やーね、将軍! 今のは、ご老体も出撃すんのに、あたしらだけ城でのんびりしてるんじゃ悪いなーと思って、お義理で言っただけだから。女の義理の言葉をころっと本気にする男は、恥をかくわよ!」

 ぴっ、と指を立て、あっさりこんと言い切ったししょーを、将軍は、しばし、ぽかーんと見つめていたが――

「……ぷ、ふっはっはっはっは! これはこれは。姫さまに、一本とられたわい!」

 分厚い胸板を反らし、こちらも豪快そのものの笑い声をあげる。

 居並ぶ海兵隊員たちまでもが、ふっはっはっはっは、と将軍そっくりな笑い声をあげて盛り上がるなか、

「東は、あなたに任せます。信頼していますよ」

「その信頼に、必ずやお応えしてみせましょうぞ」

 ししょーとパール将軍は、がっちりと、お互いの手を握り合った。

 ――熱い『漢』の世界であった。

 

      *      *      *



 さて。

 東の砂浜が何やら『漢』の世界になっている、その同時刻――

「フィールドS、戦術パターン12、シミュレーション開始します」

 ヨネの宣言とともに、居並ぶメイドたちが、一斉にそれに注目した。

 同時に、それ――ほとんど壁一面を占領している巨大なディスプレイが、さあっと青い色に染まる。

 海だ。

 そして、そのど真ん中にぽっかりと浮かぶのが、フラバー島。

 今映し出されているのは、魔術師か鳥ででもない限り見ることのできない、遥か上空からの王国の俯瞰図である。

 と、まるで急降下するように、一瞬で俯瞰の視点が下がり、フィールドS――すなわち南の海岸が拡大された。

 ディスプレイ上に広がる青い海。

 そこにびっしりと集結する黒い点が現すのは、ブラックバスの艦隊だ。

 そしてそれを迎え撃つ白い点が、もちろんフラバー艦隊である。

 と思う間もなく、その白い点と黒い点が、画面上を、やたら複雑な軌跡を描いて、ぐいーんと移動しはじめた。

 ――素人目には、いったい何が起こっているのかさっぱり分からないが、とにかく熱心にそのありさまを見つめるメイドたち。

 そして、さらに待つことしばし。

 画面のど真ん中に、イキナリ、ぼーんと『WIN!』の文字が現れた。

 見れば、画面上からは黒い点がことごとく消え去り、白い点のみが残っている。

 これで、白い点まで消えていたら一大事だが。

「……勝利。以上、シミュレーション終了します」

 ヨネの声が響く。

 ――ここは、王城のミッション・ルーム。

 巨大なディスプレイや、その他もろもろの機器、そして極めつけには、フラバー魔法科学技術の精髄である《電脳》――それらの設備一切がおさめられた、めちゃくちゃハイテクノロジーな部屋である。

 この部屋に設置してある色々なモノを作り上げたのは、国王のおば2人組にして、天才科学者2人組でもあるかっきー&ババリンだ。

 しかし、この2人は、作るコト自体を目的として発明をやっちゃうので、作ったモノをまともに活用しようという考えは、いまいち発想の外らしい。

 そこで彼女らにかわり、この部屋の事実上の主となっているのが、メイド長であり、国王の愛人であり、その上に優秀な《電脳使い》でもあるヨネなのだった。

 さて。

 シミュレーションを終えたヨネは、今まで横になっていたベッドのような台の上に、よっこらしょと起きあがった。

 その首の後ろに、白いプラグと、そこから伸びる長いコードがつながっている。

 そのコードは、直接《電脳》に接続されていた。

 このシステムの助けを借りて、作業を行うあいだ、ヨネは《電脳》と意識を一体化させるのだ。

「コネクト・オフ。……はぁ、やっと済みました〜。すみませんけど、どなたか、これ、取ってくださいな」

「はいっ」

 元気よく返事をしてヨネのそばに駆け寄ったのは、彼女のもとで働くメイドの一人、エリスだ。

 ぽわぽわ巻き毛とそばかすがチャームポイントの、かわいらしい娘さんである。

 エリスは、ヨネの首の後ろのプラグを、慎重な手つきで取り外した。

 何しろ、ものすごくデリケートな精密機器なのだから、万が一にも落っことして壊したりしたら大変だ。

 取り外しが無事に終わると、エリスは、ほう、と大きく息をつき、ヨネに向かって言った。

「お疲れ様でした、ヨネ様。……あたしには、なにがなんだか、よく分かりませんでしたけど……でも、全てのシミュレーションで『WIN!』って出たってことは、あたしたち、間違いなく勝てるってことですよね!?」

「まあ、確実に、とは言い切れないのですけどね」

 勢い込んでたずねたエリスに、おっとりと、ヨネは答えた。

「風や波の数値は、今までのデータを元にした予測に過ぎませんし、実際に攻めてくる敵の数や戦闘能力も、こちらの予想通りとは限りませんから……」

 と、エリスや他のメイドたちが不安そうな表情を浮かべたのに気づき、ヨネは、笑って言い足した。

「けれど、このシミュレーションは、ちょっと厳しめの設定で行っていますから。よほどのことがない限り、私たちの勝利は、間違いないでしょう」

「ほ、ほんとですか? よかった!」

「そうよ、そうだわっ。何しろ、南の戦いの作戦は、陛下が直々に練られたのですもの。それで負けるなんてこと、あるはずがないわっ!」

「そうね! 何しろ私たちの陛下は、セコい戦術にかけては天下一――」

「わーっ、ちょっと、しーっ! ダメだってば、そんなホントのコト言っちゃ!」

 などと、口々に言い合うメイドたち。

「……ええと、あのー。では、どなたか、この結果を報告として持っていってくださいますか?」

「あっ、はい、はいはいっ!」

 エリスが、ぴしっと手を挙げて進み出る。

「あたしが行きますっ。えーと、シミュレーションの結果、今の作戦で大丈夫みたいです、って申し上げればよろしいんですね?」

「そうです。それでは、エリスさん、よろしくお願いいたしますね」

「はいっ!」

 しゅたっ! と元気よく片手を挙げてミッション・ルームを出ていきかけ――

「……ありゃ?」

 かくん、と首を傾げて、エリスは振り返った。

「ヨネ様ヨネ様。報告を持っていくのはいいんですけど、いったい、どこに持っていったらよろしいんでしょう?」

「……あ」

 ヨネは、ぽん、と手を叩いた。

「そうそう。うっかりしていました〜。今、外ではちょうど、街の人たちの避難が行われているのでしたね」

 そう言いながらも、ヨネは、ここ二十四時間ほどミッション・ルームにこもりっ放しだったので、城の外がどんな状態になっているやら、いまいち見当がつかない。

「すぐにも報告を差し上げたいところですけど……きっと、皆さん、お忙しいでしょうね。陛下は、エックベルトさまと一緒に、お城に避難してくる方々を受け入れる責任者になっておいでですし……ししょー様は、今ごろ、東の海岸で、パール将軍と打ち合わせをしておられるはずです」

「では、マホナンヌ様に?」

「あ、……いえ。マホナンヌ様はたしか、迷路の森へ、避難の監督に行っておられるのでした……」

 と、そこまで呟いて。

「あああ〜、せっかく徹夜ぎみな大急ぎでシミュレーションを仕上げたのに、その報告の持っていきどころがないです〜!」

 ヨネは、ぼふっ、とベッドの上に引っくり返ったのだった。

 

      *      *      *



 その、同時刻。

 城の正門前では――

「はーい! ちゃんと並んで、並んでー。列を乱さないように、そのまま、ゆっくりと進んでくださーい!」

 国王親衛隊の騎士・スカーフェイスが、高い台の上に立ち、交通整理のおまわりさんよろしく、パタパタと小旗を振って指示を出していた。

 彼の足元を、でっかい荷物を背負った人々が、ぞろぞろぞろぞろと進んでゆく。

 そのほとんど全員が、非戦闘員、つまり女性や老人、子どもたちだ。

 対帝国戦争に備えて、避難してきた人々である。

スカーフェイスら国王親衛隊の面々は、その整理にかり出されているのだった。

 ――フラバー王国には、島全体を囲む海岸線の防壁はあっても、街そのものを守る城壁はない。

よって人々は、有事の際には、それぞれの住所によって決められた場所に避難することになっている。

 島の南西部に広がる《迷路の森》や、各《研究所》、《神殿》――そして、王城そのものも、避難所のひとつに指定されていた。

「赤ん坊、老人、病人がいるってぇとこは、こっちに、別に並ぶんだぞー!」

「ほい、この札を持って。先の人についてどんどん進んだ、進んだ!」

「大きすぎる荷物は、スペースの関係上、ここで預からせてもらいまーす。はい、そこの人ー、その大八車はこっちね!」

 と、あちこちに立つ騎士たちに混じり、さりげに《荷物預かり係》として国王あめえばが働いていたりするのだが、手ぬぐいのほっかむりにタスキがけという扮装(?)のため、ほとんど誰も気づいていなかった。

 ちなみに、ここのもう一人の責任者であるエックベルトは、いったいどうしているのかというと――

 当初は、自ら交通整理にあたっていたのだが、彼がうかつに台の上に立っていると、みんながボーッと見とれてしまって、かえって渋滞のもとになる、というので、今は、どっかの物陰からこっそりと、部下たちの働きを見守っているのであった。

 その甲斐あってか(?)、まるで大河が枝分かれするように、順調に人の列が流れてゆく。

 避難命令が出てから、ほぼ半日。

 ほとんど全島規模の大移動なわりには、あまり混乱は見られない。

ここ200年、マホナンヌ主催で定期的に行われてきた、大避難訓練の成果である。

 ――しかし、まったく何の混乱もないか、というと、やはり、なかなかそうはいかないのだった。

「はい、そこ、押さないで! 慌てなくても大丈夫ですよー、ちゃんと、全員入れますからねー。……え、何ですって? ――は? 子どもが、いなくなったぁ!? ああもう、子どもさんとはちゃんと手をつないでおくようにって、あれほど言ったじゃないですか!」

「そ、そんだらこと言われたって、おらにゃ、手は2本しかねえでよう……子どもは、九人おるんだで。ちゃんとついてきとるとばっかし思って、ふっと見たら、もうおらんようになっとって……」

 スカーフェイスの足元で、もごもごと言ったのは、風船みたいに丸々とした女性だ。

 彼女が人ごみをかき分けて近づいてきたせいで、そのあたりの列が乱れ、しかも残る8人の子どもがわらわらと母親について来て、これまた人々の邪魔になっている。

「あああ、まったくもうっ、仕方ないなぁ、……おおーい、フレオリック!」

「おーっ!? 何事だぁーっ?」

 手をラッパにして、大声で叫んだスカーフェイスに、向こうのほうから、フレオリックと呼ばれた同僚が、これまた大声で返事をする。

 彼も、やっぱり台に乗っていて、押し寄せる人々の流れをさばくので手一杯といった様子だ。

「迷子が出た! 探すの、手伝ってくれ!」

「何ぃーっ!? 無茶言うなよ、こんな大勢の中から、たった一人の子どもなんぞ見つけられるか! 放っとけ、城に入ってるなら、そのうち見つかるだろ!」

「そんなぁ、兵隊さん! あの子はまだ小さいんで、探してやってくだせ、お願いしますで!」

「あああ、奥さん! 待ってください、ちょっと!」

 またも人ごみをかき分け、今度はフレオリックのほうに突進していこうとする女性を、必死に引き止めるスカーフェイス。

「ちょっとあんたっ! さっきから、グイグイグイグイ押すんじゃないよ!」

「邪魔だよっ! ちゃんと並びやがれ!」

 思ったとおり、周囲の奥さん方から、ブーイングの嵐が巻き起こる。

「はい、奥さん、あなたはちょっとこっちによけて、……すみませんね、皆さん、どうも迷子が出たらしくて」

 こんなところで、奥さん同士の殴り合いでも始まろうものなら、それこそ目も当てられない。

 女性と子どもたちを台の陰に引っ張りこんでおいて、必死に人々をなだめるスカーフェイス。

 と、そこへ、

「何だ、貴様はっ!?」

 いきなりの怒鳴り声がひびく。

 思わず顔を上げたスカーフェイスの目に飛び込んできたのは――国王親衛隊とともに正門の交通整理にあたっている騎士団・第1部隊の、黒い制服姿である。

 第1部隊は、エックベルトの腹心の部下たちで構成されるエリート集団だ。

 幼い頃から上官への徹底服従を叩き込まれ、何よりも規律を重んじる彼らにとって、わらわらといまいちまとまりのない市民たちの避難ぶりは、どーにも我慢ならないものらしい。

 全員、異様に殺気立っていて、見ていてちょっとコワいものがある。

「あ、リュシアン殿……」

 スカーフェイスは、怒鳴った男が顔見知りだと気付いて、控えめに呼んでみたが、どうやら彼の耳には届かなかったらしい。

 リュシアンは、自分の台にえっちらおっちらとよじ登ってきていた幼い少年の、服の背中をむんずとつかみ、仔ネコでも捕まえるよーにぶら下げて、

「列を乱さず微速前進と、先程から、あれほど言っておるのに分からぬかっ? 指示に従わず勝手な行動をとり、あまつさえ私の台に登るとは、規律を乱す不逞の輩め! ええい、こうしてくれるっ、こうしてくれるっ!」

「ああーっ! うちの子が!」

 ぶんぶんと少年を振り回すリュシアンに、さっきの女性が悲鳴をあげる。

 ――少年のほうは、きゃっきゃっと喜んでいるようだが。

「えっ、あれがお子さん? ちょ、ちょっと、リュシアン殿ーっ! ストップ……って、あああ、奥さん! 待ってくださいっ!」

「やめてくだせ、やめてくだせ、兵隊さん! うちの子がぁーっ!」

「押すなって……さっきから言ってるのが、あんた、分からないのかいっ!? もう我慢ならないよっ! 出てけーっ!」

「そうだよっ! あたしらだって、我慢して並んでんだ、それを……あ痛ぁっ! 誰だい、今、あたしの足を踏ん付けやがったのはっ!?」

「痛っ! ……痛いね! 何すんだい、あたしがやったんじゃないよっ!」

「ええい、騒ぐな、馬鹿者どもが! 列を乱すなと言うのにっ! 許さん! ……うおおっ!?」

「誰がバカだいっ! この、四角四面のコンコンチキっ!」

「うちの子ーっ!」

「押すんじゃないよっ!」

「ひー! 婆さんが、婆さんが!」

「な、何事!? お婆さんが、どうなさったと……わ、わ、うわぁーっ!?」

 一気に乱れた人の流れに押され、スカーフェイスが乗っていた台が、切り倒される木のように、ばったぁ〜ん! と派手にひっくり返る。

 その勢いでぶっ飛んだスカーフェイスは、悲鳴の尾を引きつつ、人ごみのど真ん中に落下した。

 それがさらなる混乱の引き金となり、あっちでもこっちでも台が倒れて――

 大騒ぎになった。



      *      *      *



 王城の正門前が、ハチの巣を突ついたよーな大騒ぎになっている、その同時刻……

 島の南西部、《迷路の森》では、人々の避難が、すでに完了しかけていた。

 残るわずかな人々も、先の人々に続いて、粛々と森に消えてゆく。

 ――静かだ。

 城よりも入り口が広い、ということはあるかもしれないが、受け入れ側の人員は城よりも遥かに少なく、さらに、避難してくる人々の数はずっと多い。

 にもかかわらず、ここまでスムーズに避難が進んだのは、やはり、この人がいたからこそであろう。

「とどこおりなく避難が終わって、なによりだわ」

 手にした真っ白なカップを、優雅に受け皿に戻しながら、マホナンヌは言った。

「陛下のご采配が、確かだったからですわ」

 そう答えて小さく笑ったのは、マホナンヌの対面に座った、赤い髪の女性である。

 彼女の名は、フクシア。

 マホナンヌの腹心にして、この《迷路の森》の管理の一切を任されている有能なおねーさま(……?)だ。

 ちなみに彼女は、マホナンヌのことを『陛下』と呼ぶが、別に深い意味があるわけではなく、単に、マホナンヌが国王だったときからの癖が抜けないためである。

 2人は、森の入り口の草地に白いテーブルと椅子を出し、優雅に午後のお茶を楽しんでいる最中だった。

 ――この平和さを、城門に分けてやりたい。

「他の場所でも、そろそろ、避難が終わっているころでしょうか?」

「どうかしらね。 ところによっては、手間取っているところもあると思うわ」

 言って、苦笑を浮かべるマホナンヌ。フクシアは、指を折って考えはじめた。

「ええと、たしか、にょろの神殿は、ドイッチ様の管轄でしたわね。それから、市街地の研究所は、かっきー様、ババリン様が担当なさっていて、……王城は……あめえば様と、エックベルト様……」

 フクシアの顔が、だんだん引きつってくる。

「……研究所のほうも、ちょっと、というか、かなり心配ですけれど……わたくし、肝心要の王城が、一番心配ですわ。何かロクでもないことが起こっていなければよいのですが……」

 ――ちなみにこの頃、城門前では、騒ぎに気付いたあめえばが殴り合いに乱入し、事態は、いっそう混迷の度合いを深めていた。

「まあ、たしかに心配ではあるけれど、エックベルトもいることだし、おそらく、大丈夫でしょう」

 ――そのエックベルトは、兄の暴走を止めようとして、部下たちとともに乱闘に巻き込まれている。

「そうでしょうか? ならば、よいのですが」

 よくない。

「フクシア様、マホナンヌ様」

 語り合う二人のもとへ、フクシアの弟子、レイチェルが駆け寄ってきた。

「ただ今、避難、終わりましたわ」

「……おや」

 言われて視線を転じてみれば、すでに、列をなす人々の姿は、影もかたちも見えなくなっている。

 この《迷路の森》は、その名のとおり、不用意に踏み込めば、入り口から10メートルも行かないうちに、もう方向が分からなくなってしまう。

 声や物音の聞こえ方さえ外とは違う、不思議な土地だ。

 強い魔力の流れが、人の感覚を狂わせるせいだと言われている。

 現に、こうして外から眺めるかぎり、この森のなかを、今、数千人もの人々がぞろぞろと移動しているなどとはまったく思えなかった。

 枝の折れる音や、葉ずれの音のひとつすら聞こえないのだ。

 ここをまともに歩けるのは、特別な修行を積んだ、フクシアとその弟子たちのみ。

 堅固な壁や、防衛のための戦力があるわけではないにもかかわらず、ここが避難所に指定されている理由が、これだった。

 うっかり踏み込んだ侵入者は、おそらく、フラバーの民を発見するどころか、逃げ帰ることすらできなくなってしまうだろう。

 マホナンヌは、ひとつ大きくうなずくと、さっと立ち上がった。

 一番の臣下にして、孫よりも、娘よりも付き合いの長い親友――フクシアの手をしっかりと握り、その目をまっすぐに見つめて言う。

「では、フクシア。後のことは」

「お任せくださいませ、陛下」

 ぱちん、と、無意味に色っぽいウインクをひとつよこして、フクシアは答えた。

「このわたくしの名にかけて、決して騒ぎは起こさせませんわ。もしも、いたずらに人々の不安を煽り、混乱を招くような愚か者がおりましたら……」

 うん、と自分で力強くうなずき、

「秘伝の毒薬で、速やかに黙らせておきます。ご安心を」

「頼みましたよ」

 ……ホントに頼んでいいのか。

 

      *     *     *



 何だかんだで、夜になった。

 月が、ことのほか明るい。

 城の住人たちにとっては、特別な夜だった。

 明日になれば、迫る戦いに備えるため、いよいよ、それぞれの持ち場へとおもむかねばならない。

 住み慣れた城で過ごすことができるのは、とりあえず、今夜までなのだ。

 のんびりとくつろいで英気を養う者、緊張のあまり自室でハニワのよーになっている者、武器や防具の点検を怠らない者、思わず気分を出して遺言状をしたためる者と、時間の過ごしかたは、人それぞれである。

 たとえば――

「んー……」

 長い前髪の下で目を細め、王女ドーは、愛用の鎌の刃に歪みがないかチェックしていた。

 ここは、ドーの私室である。

 王女の部屋、といえば、豪奢な天蓋付きのベッドやら化粧台やら衣装箱やらが並び、壁には絵画が飾られ、天井からは優美なクリスタルのシャンデリアが……などと誰もが想像するところだが、この部屋は、そんな想像のことごとくを、ものの見事に裏切っていた。

 必要最低限の、それも、かなり簡素で重厚なデザインの調度類が置いてあるほかは、ほとんど飾り気というものがない。 しかも、それらの調度類の色が、木製のものはすべて黒、布製のものは青紫、と統一してあって、余計に重々しかった。

 そのど真ん中に、おもむろに刃物研ぎ用の道具一式が並び、王女自ら、でっかい鎌を研いでいる……

 なかなかに異様な光景である。

 そして、この部屋の異様さをさらに引きたてているのは、王女の周囲にひっそりとかしづく、15人の男たちの存在だった。

 全員、表情が薄く、ローブに似た漆黒の服をまとい、手には大鎌をたずさえている。

 彼らこそ、ドーが隊長をつとめる《突撃隊》の隊員であり、フラバーの敵に《死神》と恐れられる戦士たちなのだ。

 王女の守り役であり召使いであり部下である、とゆー不思議な立場の彼らは、ドーが生まれたとき、あめえばがどこからともなく召集してきたのだが、

(何もわざわざ、こんな不気味な集団にせんでも……)

 と、誰もが思ったものだった。

 ――ドー本人は、いたく気に入っているらしいが。

 と、そのときである。

 こんっ、こんっ、と、ノックの音が響いた。

「ん?」

 ドーが、ひょいと振り返る。

 同時に、男たちが一斉に立ち上がり、動いた。

《突撃隊》の副長が、すっと扉に近づき、残りは壁際に退く。

 15人もいるのに、たった1人の人間が動いたほどの音すら立てない。

「……ドー、いますか?」

 ややあって、扉の向こうから聞こえてきたのは、優しげな女性の声だった。

「あっ。かーさまだ!」

 ドーは、扉のそばに控えた男に向かって、勢いよくうなずいた。

 男が鍵をはずし、扉を開く。

 そこにいたのは、はたして、王妃モジリンであった。

 侍女たちを背後につれて立った彼女は、いつも通りに美しかったが、しかし、その顔には、拭いきれない不安が影を落としているように見えた。

 それも当然である。たった1人の愛娘を帝国との戦争に送り出すというのに、気楽に笑っていられる母親などいない。

「かーさま!」

 母の心配も知らぬげに、にこーっと嬉しそうに笑い、幼い王女は母を出迎えた。

「こんばんは、ドー」

 従ってきた侍女たちは部屋の外に残し、部屋に歩み入ったモジリンは、娘を優しく抱きしめた。

 しかし、その動作がどこか硬いのは、無論、壁際に黙然と控える男たち(鎌を持ったまま)を意識してのことだ。

「支度は、もう終わりましたか?」

「うん」

 男たちのことは敢えて気にしないように努めつつ尋ねたモジリンに、ドーは、こっくりと頷いて部屋の奥を指差した。

 奥の壁のほぼ一面をおおって、フラバー王国旗が掲げられている。

 その前に据えられた櫃の上に置かれているのは、青紫の布地に銀の刺繍をほどこした華麗な戦装束。

 そして、銀色に輝く甲冑と額冠だ。

「あれ、われの。あしたになったらきられる」

 にこにこと語るドーを、モジリンは、どこか痛ましげに見つめた。

 ドーは、心配そうな顔になった。

「かーさま、にあわないとおもうか?」

「え? あ……いいえ、そんなこと、ありませんよ。きっと、とても似合うわ。あれを身に着けたあなたは、とても……凛々しく見えるでしょう」

「りりしく?」

 言葉の意味が分からないらしく、ドーは、長い前髪を揺らして首を傾けた。

「きりっとして、勇ましく、ということですよ」

「そうかあ」

 説明されて、ドーは、心底嬉しそうに笑う。

 そんな、あどけない娘の表情を目の前にして――モジリンは、何かに耐えられなくなったように、壁際を振り返った。

 そこに立つ男たちに向けて、告げる。

「みなさん、申し訳ないのですけれど、少しのあいだ席を外していただけますか?」

 副長が、視線だけを動かした。

 ドーがこっくりと頷くと、彼らはやはり音もなく退出していった。

 廊下に控えていた侍女たちが、ぎょっとして後ずさるのが見える。

 そして、静かに扉が閉まり、あとには、王妃と、その娘だけが残された。

 ドーは、相変わらずにこにこしたまま、モジリンの顔を見つめていた。

 モジリンは、できる限り微笑を浮かべようと努力してはいたが、その表情は、微妙にこわばっていた。

「……ドー」

「うん?」

「いよいよ明日は、出陣するのですね」

「うん!」

 ドーは、勢いよく答えた。

「われ、たたかいのとき、ふねにのる。なんびゃくにんも、きる。そして、ふらばーは、かつ。……かーさまも、ふねにのるか?」

「……いいえ。母さまは、船には乗らないの」

 治癒の魔術に秀でるモジリンは、戦闘には参加せず、戦いが終わった後、負傷者の手当てにあたることになっているのだ。

「そうかー」

 ドーは、ちょっと残念そうに言った。

 そんな娘に、モジリンは、気遣わしげに問いかけた。

「……怖くない? ドー」

「こわい?」

 ドーは、きょとん、とした顔つきになった。

「われ、こわくない。われ、つよい。それに」

 と、突撃隊の男たちが出ていった扉のほうを指して、

「あのものたちがいる」

 そう言ったドーを、モジリンは、急に、強く抱きしめた。

 突然の母の行動に、ドーは、長い前髪の下で、驚いたように目を白黒とさせる。

「――かーさま?」

「ああ、ドー……あなたを、戦争になんか行かせたくない。今までもそうだったけれど、今度ばかりは、本当に……」

 モジリンの声は、震えていた。

「母さまは、怖いわ……! 戦争で、あなたや陛下が大けがでもしたらと思うと、いても立ってもいられない……できるなら、戦争になんか行かないでほしいのに……」

「かーさま」

 自分を抱いて泣いている母の肩を、ドーは、ぽん、ぽん、と叩いた。

「だいじょうぶ」

 その口調は、あまりにも、彼女の父親――あめえばに似ていた。

 はっとして娘の顔を見たモジリンに、ドーは、にっこりと笑いかけた。

「われ、つよい。とーさまも、つよい。ふらばーは、みんな、つよい。だから、かーさま、みんな、だいじょうぶだ。だいじょうぶだよ」

 ――ややあって、ドーの部屋の扉が開き、モジリンが歩み出てきたとき、待っていた侍女たちは、みな、驚いたように顔を見合わせた。

 どれほど彼女たちが慰めても王妃の顔から離れなかった、あの影が、拭い去ったように消えていたからだ。

 王妃と入れ替わるように、《突撃隊》の男たちが、ドーの部屋へと戻ってゆく。

「みなさん」

 モジリンは、その後ろ姿に声をかけた。男たちは、立ち止まり、ゆっくりと振り向いてきた。

 侍女たちが、思わずびくっとする。

「……娘を、頼みます」

 モジリンの言葉に、男たちは、何も答えなかった。ただ、副長だけがかすかに微笑み、王妃の言葉を確かに聞いたことを知らせた。



      *      *      *



 その、同時刻。

「はーうー……まったく、今日は、えらい目に遭ったなぁ」

 国王あめえばは、ぐったりとうめいていた。

 マントと王冠を外し、服の襟元をくつろげ、靴と靴下まで脱いだだらしない格好で、ソファの上に、だらーんと伸びている。

 この姿、とてもじゃないが一国の主とは思えない。

 この部屋の扉には、『あめえば』と記された王冠型の表札などがかけてあったりもして――つまるところ、ここは彼の私室なのだった。

「乱闘には巻き込まれるわ、それで母上にはどやされるわ、おばあさまには怒られるわ……」

 自分から騒ぎに乱入したことについては、都合よく忘れているらしい。

「あぁ、明日からは、もっと働かなければならんとゆーのに、今日からすでに疲れてしまったよ。今夜は、酒でも飲んでさっさと寝るかなぁ」

「飲むのは構いませんが、度を過ごすことのないよう、気をつけていただきたい」

 ソファの上でうにゃうにゃと呟くあめえばに対し、そう言ったのは、この部屋にいたもう一人の人物――

 あめえばの弟、エックベルトだ。

 あめえばが転がっているソファの後ろに、彼は立っていた。

 伸びに伸びているあめえばとは対照的に、彼は、プライベートな時間にも折り目正しい振る舞いを崩さない。

 己を律することが、軍人の本分だと信じているからだ。

 服装も一分の隙すらなく整い、当然、靴と靴下を脱いだりもしていなかった。

「総司令官がふらふらしていたのでは、全軍の士気にかかわります」

「うにょろ〜」

 ……こいつら本当に兄弟だろうか。

 正真正銘の血を分けた兄弟で、ここまで似ていないというのも珍しい。

 容姿から性格まで、ことごとく食い違っている2人である。

 あめえばは、金髪碧眼。

 顔立ちそのものはけっこう整っていて、真面目くさって立っていればそれなりの美男子で通るのに、始終にへらーと笑っているために、よく言えば(?)幸せそう、悪く言えばしまりがない、としか見えないのだった。

 性格は、よく言えば大らか、悪く言えばいい加減。

 やたら鷹揚というか、上下関係などにはほとんど頓着しない。

 そのためか、臣民たちに、つい相手が国王であることを忘れさせてしまうようなところがある。

 指導者としては、失格であると言ってもいいかもしれない。

 しかし、スカーフェイスをはじめとして、あめえばを慕う部下は数多かった。

 開けっ広げで、不器用で、部下たちに全幅の信頼を寄せるあめえばの姿勢は、『我らの力でこの方を支え、盛り立てていかなければ!』という強い使命感をかき立てるのだ。

 ――さて、そんな兄に対して、弟であるエックベルトのほうは。

 黒髪に、紫の瞳。

 女も男もことごとくため息をついて見惚れるほど整った顔立ちは、落ち着いた力強さを感じさせる。

 あめえばよりも当然、年下の彼だが、生粋の軍人らしく、誇り高く謹厳な人柄で、若さゆえの軽率さなど微塵もうかがわせない。

 騎士団の若者たちのなかに、熱狂的な信奉者がいるというのもうなずける。

 彼らのエックベルトに対する心酔ぶりは、すでに信仰の域に達していると言ってもいい。

 指導者の素質という点で見れば、彼は、兄をはるかに上回っていただろう。

 あめえばは、多くのものに慕われているが、エックベルトのように、絶対者として崇められているわけではないのだ。

 エックベルトさまが、先にお生まれになっていれば……。

 そう、ささやく者たちもいる。

 王である兄と、優秀な弟。

 国を割る対立という最悪の事態を招きかねない、なかなか危険な構図である。

 しかし。

 実のところ、エックベルトは、王位なんてものは全然欲しくなかった。

 連日、マホナンヌやししょーにどやされつつ、半分泣きながら、書類にでっかいハンコを押したりサインを入れたり、膨大な数の奏上書に目を通したり、こっそり執務室から逃げ出して後で半殺しにされたりしている兄――

 その背中を見て育った末に、国王になりたい、などと思う人間がいるだろうか。

 ……いや、いないだろう……

「――ま、確かに今夜は、酔いつぶれて爆睡、ってなわけにもいかないしな。やめとくか」

 ソファに転がってうにょうにょしていたあめえばは、不意にそう呟くと、むっくりと身を起こし、いつになく真剣な顔で弟を見つめた。

「エック」

「はっ」

「今回の戦いの趨勢は、ひとえに、ブラックバスの上陸を阻止できるかどうかにかかっている」

 いきなり、真剣な話が始まる。

「敵も海軍、陸上での戦闘には慣れてないだろうが、それはこちらも同じだ。同じ条件で戦ったならば、数で劣るこちらが不利。……何としても、海上でケリを着けなくてはならない」

「兄上が直々に率いられるのです。フラバー海軍は、必ずや勝利をおさめるでしょう」

 エックベルトが、真面目な口調で言う。

 そう、あめえばは、フラバー艦隊総司令官として、海戦の陣頭指揮をとることになっているのだ!

 自ら練り上げた計略で、見事、ブラックバスを撃退することができるだろうか?

「しかし……敵の数は膨大だ。果たして、水際で、その全てを食い止めることができるか……」

 あめえばは深刻な表情で、ひたり、と弟の目を見据え、

「……ま、できるだろーな、とは思うんだが」

「……そ、そうですか」

 自信があるなら、むやみに深刻な顔をしないでほしいもんである。

「しかし、万が一ということもある。もしも上陸された、そのときは、お前の騎士団だけが頼りだ。そこらへんのことは、ばっちり頼んだぞ」

 このフラバー王国で、陸上における大規模戦闘のまともな心得があるのは、ほぼ、エックベルト率いる騎士団の面々だけだと言っても過言ではない。

 まあ、海兵たちだって、普段戦っているのは船の甲板の上なのだから、陸に上がったからといってイキナリ戦えなくなるわけではないのだが、広い場所で戦う際の戦術その他、至らない点は多いだろう。

「お任せを、兄上」

 言って、エックベルトは、胸に手を当てるフラバー式の敬礼をした。

 その姿は、これぞ軍人の鑑とばかり、見事にさまになっている。

「必ずや、ご期待にお応えしましょう」

「いや、できれば期待に応えられるよーな羽目にはなってほしくないとゆーか、そうならなきゃ、それに越したことはないんだが……」

「……そうでした……」

 なかなか難しい。

「まあ、いずれにせよ、備えて備えすぎるということはない。万全を期しておいてくれ」

 言って、あめえばは、ソファの背もたれに、うにゃ〜っと後ろ向きに寄りかかった。

「助かるなぁ、お前がいると。安心して背中を任せられる……」

 寝言のような口調で呟きながら逆さまに自分を見上げてくる兄に、エックベルトは、かすかな笑みを見せた。

 しかし、その笑いは、すぐにかき消えてしまう。

 鋭い目で窓の外の月を見つめる彼は、すでに、その思いを来たるべき戦いの日に馳せているかのようだった。



      *      *      *



 そして、さらに、その同時刻。

 同じ月を、別の場所から眺めている者があった。

「きれいだなあ……」

 石組みの壁に切り抜かれた窓から大きな月を眺めて、ユーリは、子どものように表情をほころばせた。

 ここは、城で一番高い塔の、最上階へと向かう螺旋階段の途中だった。

 で、なぜその階段をユーリがてけてけと登っているのかというと、この塔のてっぺんには、彼の飛竜・ランドローヴァルが眠る竜舎があるからである。

 今まで、城の《鍛錬の間》で、夜の日課の素振り3万回をこなしていたユーリは、ふと窓から見えた月のあまりの美しさに、『よし、塔のてっぺんでお月見をしよう!』と思いたったのだった。

 出陣を明日に控えてお月見とは、なかなかに豪胆なひとである。

 キュルルルゥ……

 ユーリが竜舎に踏み込んでいくと同時、巨大な彫刻のようにうずくまっていたランドローヴァルが、頭を持ち上げ、甘えるように鳴いた。

「おや。起きてたのかい、ランドローヴァル?」

 そう言ったユーリの言葉は、実は間違いだった。

 ランドローヴァルは、今まではぐっすり眠っていたのだけれど、主人の足音を聞きつけて目を覚ましたのだ。

「今夜は、月がとてもきれいだから、ここでお月見をしようと思ってね……」

 ランドローヴァルが飛び立つために、竜舎の窓は、特に大きく作られている。

 月を眺めるには絶好のポイントだ。

 忠実な飛竜のがっしりとした脚に寄りかかり、くつろいだ様子で、ユーリは呟いた。

 その目には、美しい月が丸く映り込んでいる。

 どことなく、口調も夢を見ているようだ。

「いよいよ明日からは、気を引き締めてかからなくちゃね。おまえも、たくさん働かなきゃならないよ。今夜は、よく眠っておいたほうがいい……」

 その言葉が自分に向けられたものとちゃんと分かっているのか、竜は、主人の翡翠色の髪に、やわらかく鼻面をすり寄せた。

 しばし、静かな時間が流れ――

「……眠れないの?」

 不意に言ったユーリの、その言葉は、ランドローヴァルに向けられたものではなかった。

「ううぅぅ〜。眠れないっていうより、眠らせてもらえなかったんだけど……」

 と、疲れ果てたような呻き声とともに、竜舎の入り口にゆらりと姿を現したのは、神官服姿の赤毛の娘――ドイッチだ。

「今の今まで、最終打ち合わせが続いてたんだ。ほら、何しろ、うちの神官たちは、戦いに参加するのなんて初めてだからね。みんな、ガチガチに緊張してしまって」

 今回の戦いには、ドイッチ配下のにょろ神官たちも動員されている。

 しかも、ただ単に動員されている、というだけではない。

 全体の戦局、すなわち王国の命運を大きく左右するほどの、ものすごく重要なポジションを任されているのだ。

 しかし、ドイッチが言った通り、にょろの神官たちは、戦争はおろか、まともなドツキ合いすら一度も経験したことがないよーな人々ばかりである。

 そんなヤツらに、ブラックバスとの戦いを控え、緊張するなというほうが無理な相談だ。

 ――どうせ緊張するなら、自室で1人孤独にハニワになっているより、みんなで仲良く緊張しているほうがまだマシである。

 今まで行われていた話し合い、『最終打ち合わせ』などと名はついているものの、実際は、

「あああああ。本当に大丈夫なのでしょうか……?」

「もしも、何かトラブルが起こったらどうしたらいいのでしょう!?」

「おお、にょろよ、どうか我らを守りたまえ……」

 などと口々に不安を訴える神官たちを、ドイッチがいちいち励まし、力づける、ということの繰り返しだった。

「私は、どうせなら早く寝て明日からに備えたほうがいいんじゃないかなーと思ったんだけど、とうとう今まで放してもらえなくてねー……」

 さすがに、ややげんなりとした調子で笑うドイッチの肩を、ユーリは、ぽんっ、ぽんっ、と叩き、

「まあ、誰でも初陣の前には緊張するものさ。新兵の面倒をちゃんと見てあげるのも、優秀な隊長のつとめの一つだよ」

 と言った。

 と、そのまま、かくん、と首を傾げ、問いかける。

「……ところで、その君は、どうしてここに?」

 言われて、ドイッチは、ちょっと照れたように、ははは、と笑った。

「いや……実は、みんなの心配事を山ほど聞いてるうちに、こっちにも不安が伝染してしまって。……月でも見て、邪念を払おうと思ったんだ。なんといっても、ここから見る月が、一番きれいだから……」

 と。

「モゲ〜ン」

「わぁぁああっ!?」

 突如、何の脈絡もなく聞こえてきたアヤしい声に、ドイッチは驚いて飛びあがった。

 ――いや、声そのものに、そこまで驚いたわけではない。

 なんと、声と同時に、いきなり真っ白な細い腕がにゅーっと突き出してきたのだ。

 しかも、窓の外から。

 思わず髪の毛を逆立てて固まっているドイッチの目の前で、その腕は、窓枠にがっちりと取り付いた。

 そして、それに続くように、ひょこっ、と窓から姿を現したのは――

「も、も、モッサ!?」

 モッサだった。

「なっ……何してるの? どうして、そんなところから……」

「いやいや。ついさっき、オマエが、やたら深刻な顔してこの塔に入っていくのんが見えたもんで、追っかけてきたんや。オマエの緊張をほぐしたろうと思てなぁ」

 トン、と軽やかに床に降り立ち、モッサはしゃあしゃあと言った。

 しかし、その顔は嬉しそうにニヤけていて、どう考えても、単におどかそうとしていたとしか思えない。

 まあ、そのためだけに塔の壁をよじ登ってきたのだとしたら、それはそれでかなりスゴいものがあるが。

「ドイッチを励ますために、わざわざ壁を登ってきたの? すごいなぁ」

 ――ここで素直に感嘆するユーリも、なかなかスゴい。

 そればかりか、突然モッサが窓の外から現れてもまったく驚かないのだから、並の神経でないことだけは確かだ。

「……うー、あー。まぁな」

 彼女にしては珍しくも曖昧にうめいて、モッサは肩をすくめた。

「それにしても、どーも寝られんわー。ほれ、出陣準備で、城ン中ざわついとるやろ。オレ的には、今さら緊張も何もあったもんやないけど、部屋のまわりで、ああガヤガヤやられるとなぁ。……ま、そんなわけで、落ち着いて寝られるようになるまで、オレもここに混ぜてもらうで」

 ちょん、と干し草のかたまりの上に腰を下ろす。

「……いよいよ明日からは、働かなくちゃならないねぇ」

 不意に、ユーリが二人に向かって言った。

「ねえ。ブラックバスって、どのくらい強いと思う?」

「さあ……」

 と、首をひねったのはドイッチだ。

「でも、多分、おばあさまたちも言ってた通り、1人1人はあんまり大したコトないんじゃないかな。ただ、数が膨大なところが、かなりの脅威だけど」

「そうかー……」

「なんや、残念そうやな、ユーリ?」

「うーん。残念、ってわけでもないんだけど」

 そう言いながらも、顔がちょっぴり残念そうなユーリだ。

 ――フラバー王家には、超人的な戦闘力を有する者が多いが、だからといって、戦いが好きだ! というひとが多いというわけではない。

 むしろ、その逆だ(理由はたいてい『面倒くさいから』である)。

 そんな一族のなかにあって、ユーリは、無類の戦い好きとして知られていた。

 それも、有象無象をばったばったとなぎ倒すのが好きなのではなくて、強い相手と一対一で戦うのが大好きなのだ。

「なあユーリ、強いヤツと戦いたいんやったら、いっそのこと、ブラックバスの本拠地に乗り込んでって、敵の皇帝に直接ケンカ売ったったらどうや?」

 モッサが、冗談めかして言う。

「絶対、めっちゃスゴい戦いができるで。皇帝をブッ倒したら、戦争もせんで済むから一石二鳥や。でっかい敵ほど、アタマをバラせば、簡単につぶれるもんやし」

「……う〜ん」

 ユーリは、顎に手をあて、うなり始めた。

 どうやら、本気で今の案を検討しているらしい。

「あ、あのね。そんなに簡単にいくなら、誰も苦労しないってば」

 ちょっと慌てたように言ったのは、ドイッチだ。

「今までにもきっと、いろんな国が、皇帝の暗殺を企てたはず。でも、いまだに皇帝は生きている……。つまり、暗殺計画はことごとく失敗した、ってことだよ。大陸全土を治める皇帝ともなれば、身辺警護もとんでもなく物々しいだろうし。いくらユーリでも、近づく前にやられちゃうと思う……」

 ――と。

「あっ。なあ、その皇帝やねんけど」

 モッサが、いきなり、ふと思いついたように言った。

「……どんなヤツやと思う?」

 その言葉に、ドイッチとユーリは、一瞬、虚を突かれたように固まって、それから、顔を見合わせた。

 皇帝といえば当然、帝国の総司令官。

 これから戦おうという敵の親玉だ。

 しかし、改めて考えてみれば、どんなヤツかなんて、全然考えたこともなかった。

 ――帝国に派遣されたフラバーの密偵たちが持ち帰った情報、というか、ウワサだけなら、たくさん聞いてはいる。

 しかし、帝国の民ですら、皇帝の姿を見たコトがある者は皆無に近いらしいのだ。

 やれ黒い羽根があるの、角が生えてるの、目からビームを発射するのなどという流言蜚語を、まともに信じるわけには無論いかない。

 ましてや人格面など、完全に未知の領域だ。

「……脂ぎったオヤジだったら、イヤだなぁ」

 と、ややあって、ドイッチがぼそっと呟く。

「そりゃ、イヤやな。あと、金と権力の亡者やったりとかな」

 と、モッサ。

「奥さんがいっぱいいたりね」

 にこにこと、ユーリ。

 うんうん、と、うなずきかけて……モッサとドイッチは、思わず「うッ。」と呻き声をあげた。

 ――ひ、人のことが言えない。うちの国王……。

 固まっている二人をさておいて、ユーリは、ふと首を傾げ、続けた。

「でも、ほんとに、どんなひとなんだろうね? 世界を征服したいなんて野望、普通の神経じゃ、なかなか出てこないと思うけど」

「うまいこと、大陸をバーッと自分のもんにできたから、欲が出たんとちゃうか? 人間の欲望っちゅうヤツには、際限があらへんもんなぁ」

「……う〜ん。どうも、私にはいまいちピンと来ないなー」

 と、唸るドイッチ。

「世界なんか征服して、いったい、どうするつもりなんだろうね?」

「そら、やっぱ、あれやろ。金と権力〜

 なにやら妙な口調で、力説するモッサだ。

「それとも……」

 ユーリが、真面目な口調で言う。

「単に戦いたいだけだったり?」

「いやちょっとそれは……ユーリじゃないんだから」

 ドイッチが思わずツッコんだところで、この話題に終止符を打ったのは、この話を始めた、当のモッサだった。

「――ま、結局、皇帝がどんなヤツで何考えてよーが、オレらには関係ないけどな。オレらはとにかく、攻めてくるヤツらを、片っ端からブチ倒すだけや。そんで、勝てたら、それでええねんからな」

「確かに……」

 ドイッチが、苦笑してうなずく。

「あれこれ考えるより、今なすべきことだけに集中したほうがいいね」

「私の考えでは――」

 ユーリが、重々しく締めくくる。

「今一番なすべきことは、とりあえず、明日に備えて寝ることだと思う。もう、夜もだいぶ更けてしまったし」

 ……かくして、3人は、ごそごそと塔から引き上げていった。



      *     *     *



 翌日、ししょーとマホナンヌを除く王族たちをはじめとして、城に詰めていた者たちは、それぞれの持ち場へと散っていった。

 一同、大して言葉はなかった。

 昨夜のうちに、言いたいことがある者は語り尽くしていた。

 ただ、「必ず再会しよう」との意味をこめ、互いの武器を打ち合わせる音が、あちこちで聞かれたばかりだ。

 戦闘配備についた全ての人々が、それぞれの武器を研ぎ澄まし、徐々に緊張感を高めてゆく。

 避難所に集まった女、子ども、老人たちは、戦いにのぞむ家族の無事を祈る。



 ――そして、その日はやってきた。







  4  史上最大の海戦!!



 ぱぱっ……ぱたぱたっ……ぱたたっ!

 羽ばたきにも似た軽やかな音が、断続的に鼓膜を打つ。

 穏やかな海からの風を正面に受け、神官服をはためかせながら、ドイッチは眼下に広がる海を見下ろしていた。

 ――ここは、西の海岸。

 砂浜からやや高くなった場所にそびえ建つ、古い物見の塔――

 その屋上に、彼女はいる。

(う〜ん……覚悟はしていたけれど……)

 石畳の床に錫杖をつき、どーんと仁王立ちになって海上を見やりながら、ドイッチは内心で唸った。

(こうして見ると、やっぱり、めちゃくちゃ多いなぁ)

 見渡す限りの海面を、黒い艦隊が埋め尽くしている。

 ――と、言い切ってしまうのは多少オーバーだったが、守備についている者たちの体感としては、冗談抜きでそんな感じだ。

 しかも敵は、どこの習慣だか知らないが、ドラや太鼓を打ち鳴らし、おどろおどろしい効果音までつけている。

 心理作戦だと分かってはいるものの、やっぱり、不気味なものは不気味だ。

 しかし。

(あれだけ陣形が整っているのに、まだ動かないということは、……やっぱり敵も、こっちの有様を見て不気味がってるに違いないな)

 ドイッチは、半ば苦笑しながら、背後を振り返った。

 物見の塔は円筒形をしているので、屋上の床も、当然円い。

 その円い石畳の床を、今、美しい紋様がおおい尽くしていた。

 様々な色合いの砂で描かれた線が複雑に交わって、いくつもの文字と図形を構成し、それらがまた微妙に組み合わさって、ひとつの巨大な魔法陣を作り上げているのだ。

 にょろ神の御名を称え、その力を現世に呼び入れるための《聖陣》である。

 そして、その聖陣の要所要所には、ドイッチの部下――つまり、にょろの神官たちが、まるで紋様の一部であるかのように、じっとたたずんでいるのだった。

 ドイッチは、その一人一人の顔を、ゆっくりと、順番に見渡してゆく。

 聖陣の頂点、即ち、海に最も近い位置に立っている自分を含めて……総勢、16名。

 これが。

 ――この、たった16名が。

 ここ、西の海岸を守るための、全戦力なのである。

(私がブラックバスでも、これは不気味だと思うよ……)

 白い砂浜は全くの無人で、迎撃のために海上に展開する船団もいない。

 どうぞ、是非ともご自由に上陸してくださいッ! と言わんばかりのこの構えを見て、罠だと思わないヤツはいないだろう。

(きっと、背後の森とかに大量の伏兵が……なんて思ってるんだろうなぁ。実は罠でもなんでもなくて、純粋に人手不足なだけなんだけどね)

 そう。

 主戦場となる南の海に人員の大半を割かねばならないフラバー側は、東ではパール将軍の《必殺の秘策》に、そして西では、ドイッチ率いる神官部隊の法力に、全面的に頼ることにしたのである。

 無論、100や200の兵ならば回せないわけではないが、

「万単位の敵を相手に、その程度の増強は焼け石に水だ。それよりむしろ、上陸地点にだーれもいない、という演出で敵をビビらせてやったほうが面白いと思うんだが、どうだろう!?」

 と、やたら嬉しそうにあめえばが提案した作戦が通って、この状況と相成ったのであった。

 軍船400隻、約40000人の敵を相手に、守りが、たったの16人。

 前代未聞というか空前絶後というか、とにかく、とんでもねー防衛戦である。

 勝っても負けても、これは、必ずや、後世に長く語り継がれる戦いとなるだろう……色々な意味で。

 ――いや。

 ドイッチは、自分で自分の感想を打ち消した。

 負けることなど、考えてはいけない。

 私たちは、必ず勝つ。

 勝たなければならない……!

「――みなさん! 国王陛下よりこの国の命運を託され、命を賭して戦う我らに、王国の守り神たるにょろ様は必ず、その偉大な御力をお示しくださるでしょう! にょろ様がおられる限り、勝利は、常に我らの上に! 聖なるフラバーの地を踏みにじらんとする神敵どもは等しく、にょろ様の怒りによって打ち滅ぼされるのですっ!」

「おお! にょろ神は偉大なり!」

「にょろ神を称えよ!」

 ドイッチの、ちょっぴり過激な演説に、神官たちはそろって錫杖を振りかざし、口々に気迫のこもった叫びをあげた。

 彼らは一様に、微妙に顔色が悪かった。

 しかし、その目は熱に浮かされたように光り、全員、何やら悟りでも開いたかのように、揺るぎない自信の表情を浮かべていた。

 ――どーやら、恐怖やら不安やらが限界に達した挙句に、一線を突き抜けてしまったようである。

 見た目にコワいのが難だが、一同、テンションも集中力も凄まじく上がっており、法力を使うには絶好のコンディションだ。

 ドイッチは力強くうなずき、身を翻して、再びブラックバス艦隊に注意を向けた。

 軽く眉を引き締めて、じっ、と敵の動向を観察する。

 そのドイッチの一挙手一投足を、じっ、と見守る神官たち。

 しばし、息詰まるような沈黙の時間が続き――

「――動いた!」

 ドイッチのくちびるから、鋭い声が洩れた。

 ブラックバス艦隊が、ついに進軍を開始したのだ。

 黒い波のうねりのように、フラバー王国の岸辺めがけて押し寄せてくる。

 この西の海は、水打ち際から100歩ほどのところでイキナリ深みに落ち込む崖のような地形になっているから、もっと接近してから上陸用のボートに乗り換えるつもりらしい。

 じゃぁんじゃぁんじゃぁーん! というけたたましいドラの音とともに、敵方のときの声が、海面をわたり、ドイッチたちが立つ塔の上まではっきりと聞こえてくる。

 ――しかし、ドイッチも神官たちも、根が生えたようにその場に立ち尽くしたまま、動こうとしない。

「……横隊を組んできたか。よし。……みなさん、準備はいいですね? でも、まだです。まだ早い……」

 ぶつぶつと呟くドイッチの額に、わずかに、汗が滲んでいる。

 彼女は、何もしていないわけではない。法力を発動するタイミングをうかがっているのである。

 にょろ神の偉大な力を借りて神官たちが行使する《法力》。

 神秘の力とはいえ、性質はおおむね魔法と同じで、距離が近ければ近いほど、対象に与える影響は大きくなる。

 できる限り敵を引きつけてから仕掛けたほうがいい。

 しかし、あんまりねばり過ぎると、逆に危険が大きくなる。

 万が一、耐え切られてしまった場合、そのまま上陸されてしまうおそれがあるからだ。

 おせじにも接近戦に強いとは言えない神官16名、枕を並べて総員討ち死に、となった日には、シャレにもならない。

 ここを突破されたら後がないのである。

 そのことを重々承知しているドイッチの目は、真剣そのものだ。

 神官たちも、固唾を飲んで、彼女の合図を待ち受けている。

 強い潮風を受けて、16人のローブが、ばたばたばたぁっ、とはためく。

 やがて、……ブラックバス船団の先頭が、海上の、ある一線を越えた。

 その瞬間、ドイッチの朗々たる声が響く!

「おお、にょろよ!」

 錫杖を天に向けてかざし、彼女は神に祈りを捧げた。聖陣の各方位を占める神官たちも、同じポーズで声を合わせる。

『故郷の地を守護せんと戦う我らに、偉大なる御力を授けたまえ!』

 ただ単に祈っているだけに見えるが、神官たちの顔は、ものすごい重荷を背負っているかのように歪んでいる。

 にょろ神の力が、聖陣の内側に集まり始めたのだ。

 今回仕掛ける術は、とんでもなく大がかりなものなので、それに比例し、より多くの神の力が必要だった。

 その膨大な力を制御することは、人の身に恐るべき負担を与えるのである。

「くくっ……」

 神官の1人が、苦しげなうめきを洩らす。

 おいおい大丈夫かっ? ってな横目で、ドイッチはそちらをちらっと見るが、さすがに声をかける余裕はない。

 聖陣が、もし一角でも崩れれば、術は消滅する。

 それだけならまだしも、運が悪ければ、集まっている大量の力が暴走し、神官たちは塔もろとも、一瞬にして蒸発だ。

 そうなったらでたらめである。

 この術、何としてでも成功させなければ……。

(――今だ!)

 天を指していたドイッチの錫杖が、真正面の空間を切り裂くように、すうううっ、と下げられる。

 その先端が、突き進んでくるブラックバス艦隊をひたり、ととらえた。

 その瞬間。

 普段の穏やかなドイッチからは想像もつかない裂帛の気合いが、彼女の口から発せられた!

「食らえ、神罰! 嚇――――ッ!!!」

 同時、聖陣の内側に集まっていたにょろの力が、ドイッチの肉体を、さらに、海に向けられた錫杖を通じてほとばしる!

「くぬぬぬうー……っ!」

 まばゆい光に包まれたドイッチの顔が、今までにも増して大きく歪む。

 膨大な力の奔流に持っていかれそうになるところを、根性で踏み止まり、錫杖の先端はぴくりとも揺らさない。

「お、おおっ!」

 彼女をサポートする神官の一人が、思わず叫んだ。

 放たれた光が、ブラックバス艦隊のど真ん中の海を直撃した、次の瞬間。

 きっちりと船団を組み、恐るべき勢いで迫ってきていた敵の足並みが、急に乱れ始めたのだ。

 さほど強い風が吹いているわけでもないのに、何やら、海面が奇妙に波立ちはじめている。

 人々の戸惑いを示すかのごとく、一瞬の静寂がその場を支配した。

 そして、異変を悟ったブラックバス船団が、何らかの行動を起こす前に――

「……お?」

 はじめは無秩序にわき返っているだけだった波が、徐々に波長をそろえはじめる。

「お……おっ?」

 それは、やがて大きなうねりとなり――

 またたく間に、巨大な渦に姿を変え――

「おっ、おっ、おっ……」

 最初はゆるゆると回っているだけだった渦は、しかし、たちまち回転のスピードを上げて……

 あたかも全てを呑み込む海魔のごとき、超・巨大な渦潮に成長する!!

「……おっ……お、おおおおおおぉーっ!?」

 自分たちの仕業ながら、ここまでダイナミックなコトになるとは予想していなかったらしく、思わず目を剥き、声をそろえて絶叫する神官たち。

 ――その絶叫すらかき消す轟音とともに、渦潮の底で、にょろ神の怒りが大きくその口を開けた。

 これには、さすがのブラックバス艦隊も、ひとたまりもあろうはずがない。

 ズゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……

 渦巻く水のすり鉢の中心に、黒い軍船が、1隻、また1隻と呑み込まれてゆく。

「………………」

 最後の1隻がなす術もなく沈没すると、海面は、たちまちにして鏡のように凪ぎ、まるで何事もなかったかのように澄ました表情に戻った。

 一瞬の凄まじい戦いのあとなど、もはやどこにも見受けられない。

 ――先程までの出来事は、あるいは、すべて夢だったのではあるまいか。

 と。

 呆然としていた神官たちの目の前で、仁王立ちになっていたドイッチの身体が、不意に、ぐらぁっと傾いた。

 カラーン、と音をたてて錫杖が落ち、ドイッチは、その場にばったりと昏倒する。

「わっ? 大神官さま!?」

「だ、大丈夫ですかっ! お気を確かに……!」

 虚脱状態から覚めた神官たちは、慌ててドイッチの側へと駆け寄り、抱き起こした。

 息はある。

 しかし、その顔色は死人のように真っ白だった。

 ダメージを受けたというよりは、体力から精神力から、根こそぎ使い果たしてしまったという感じだ。

「大神官さま!」

「ア……」

 メガネの奥の目が、薄く開いた。

「や、やった。……やりました……ね……」

「そっ、そうです! やりました! 私たちだけで、あれだけの大船団を、撃滅したのですっ!」

「ああ、これぞにょろ神の御力!」

「何と素晴らしい! にょろ神に、感謝の祈りを!」

「ありがたや!」

 極度の緊張から解放された勢いもあり、感極まって、おいおいと泣き出す神官たち。

 何をカン違いしたか、ひらひらと舞い踊り出すヤツまでいる。

「ふぅ……」

 その様子を見て、ドイッチも、ようやく、うっすらと笑みを浮かべた。

 完全無欠の大勝利である。

 あの渦から逃れられた者は、おそらく一人もいないだろう。

 しかし次の瞬間には、ドイッチの顔が、再び軽く引き締まる。

「……大規模な法術は……威力は絶大だが、後が続かない……もし、他の戦場から船団を回されでもしたら……」

 誰にも聞こえないように呟いてから、ドイッチは、長いため息をついた。

 今、ここで考えても仕方のないことだ。

 もし、実際に来たとしても、自分たちには、これ以上、全くどうしようもないのだから。

「まあ……南の戦場には父上たちもいるし……東を守ってるのは、百戦錬磨のパール将軍だ……きっと向こうでも、今ごろ勝利に湧いているだろう……」

 ドイッチがそう呟いたとき、遥か南のほうから、風に乗って、かすかなどよめきが聞こえてきた。



      *     *     *



 ……ドイッチら神官部隊の大勝利から、少々、時間をさかのぼる。

「――行っくぞぉーっ!」

『う・おおおおぉうっ!!!』

 軍船の舳先で長大な剣を振りかざし、雄叫びをあげたあめえばに、同じ船に乗った兵士たちが、気迫に満ちた叫びで応える。

 ときの声は、たちまち他の船にも伝播し、海上に、一種異様な熱気が満ちみちる。

 ここ、南の戦場でも、戦いが始まろうとしていた。

 フラバー艦隊は、準備万端整えて、敵を待ち受けている。

 対するブラックバス船団も、がっちりと密集し、横長の戦列を組んで、今にも動き出しそうな気配だ。

 さすが敵の主戦力が集結しているだけあって、まるで、水平線の全てが真っ黒に染まってしまったかのようである。

 しかも、敵はじゃんじゃかじゃんじゃかとドラを打ち鳴らしていて、やかましいことおびただしい。

 こちらの士気を挫こうという作戦なのだろう。

 しかし、こっちも負けてはいなかった。

「か〜つ〜ぞ〜♪ か〜つ〜ぞ〜♪

 フ〜ラ〜バ〜ァ〜、かぁ〜つぅ〜ぞぉ〜♪」

 勇ましいドラムとトランペットの音に合わせ、異様な歌声が響きわたる。

 スカーフェイスをはじめとする国王親衛隊の騎士たちが、軍楽隊と組んで合唱しているのだった。

 肩など組んで、和気藹々である。

「こぉら、オヤジっ!」

 隣の軍船の甲板から、モッサが、地団駄を踏みながら叫んでいる。

「そのケッタイな歌、今すぐやめさせんかいっ! 歌詞がアホみたいな上に、音もあってへんぞっ! 耳が腐る!」

「なにを言う、モッサ」

 タクトがわりに剣を振りながら、にこにこと、あめえば。

「こうして我らが歌うことにより、全軍の士気を高めよーとゆー……」

「高まるかっ!」

 思い切り否定するが、全く聞いていない。

 あめえばは、兵士一同のほうにぐるりと向き直ると、景気よく声を張り上げる。

「よいかーっ、皆! 敵の数が多いからといって恐れるな! ゼロは、いくら集まってもゼロに過ぎないっ! そんなヤツらに負けてなるものかっ! ――見せつけろ、フラバー海軍の底力ッ!」

『うおおおぉーっ!』

 一同が気勢をあげた、――その瞬間。

「き、来た! ……来ましたぁっ! 敵が、動き出しましたぁーっ!」

 頭上の見張り台から、物見の兵の報告が降ってきた。

「ついに来たかっ!」

 そう叫んだ瞬間、今までとは打って変わったひきしまった顔つきで、あめえばは沖のほうに視線をひるがえす。

 確かに、巨大な艦隊が、先頭から、じりじりと動き始めている。

「……よし。始めるぞ! ……戦闘開始ッ!!」

 国王の号令一下、進撃を告げるトランペットが吹き鳴らされた。

 フラバー艦隊は、驚くほどのスピードで展開し、さあっと前に滑り出る。

 フラバー王国の軍船は、大きさと装甲では帝国のものに劣るが、小回りとスピードでは圧倒的に優れているのだ。

 両軍の間合いが、一気につまる。

 つまるといっても、ブラックバス艦隊は、まだ十分にスピードに乗り切れていない。

 フラバー軍が、数の上で遥かに上回るブラックバス軍に迫っているのだ。

 そして――

 海上を突き進むフラバー艦隊を、圧倒的なスピードで追い抜いて、翼を持った大きな影が、風を切り裂き、空をゆく!

 鳥だろうか?

 いや、あれは――

「よし、出たかっ! 予定通りだなっ」

 目の上に手をかざして日をよけながら見上げ、あめえばが呟く。

 この島に生息するたった一頭の飛竜、ランドローヴァルと、それを駆る若き将軍、フラバー・ユーリの登場だ。

 トランペットの合図と同時に海岸の防壁の上から飛び立った彼は、あっという間に敵陣上空に達する。

「……ああ、あれかな?」

 弓矢も届かぬ上空を悠々と旋回しつつ、ユーリは、敵艦隊のなかに、ひときわ目立つ装飾をほどこした、大きな船を見つけていた。

 後ろのほうにいることから見ても、指揮官の船に間違いない。

「分かりやすいなぁ。……よいしょっと」

 言いながら、ユーリは、鞍の前部にくくりつけていた、ナゾのでっかい物体を持ち上げた。

 一見したところは、一抱えほどの大きさの、ただの壷である。

 しかし、そのフタのあたりから、何やら太短い紐が、ひょん、と出ていた。

 ユーリは、持ってきた火種を押しつけて、その紐に火をつけると、

「行っくぞーっ!」

 叫ぶが早いか、ぐぅーんと急降下し、狙いを定めた敵船めがけて、手にした壷を投げ下ろす!

 と。

 ぼぼぼおぉうっ!

 命中と同時、その船の甲板が、いきなり炎に包まれた。

 それを見届け、ユーリは、にこーっと会心の笑みを浮かべる。

「やった、成功! よーし、第2弾、投下ーっ!」

 たちまち、少し離れた場所で、もう一隻の船が炎をあげて燃え上がる。

「ぎゃああああっ!」

「ひいいいい!?」

 兵士を満載しているところへ、いきなり火事を起こされたのだ。

 火の海となった甲板上では、悲鳴と罵声が入り乱れ、さながら地獄絵図である。

 炎から逃れようと海に飛び込む者、マストに登って煙に巻かれる者、逃げようとした仲間に押し潰される者……

 そんな惨状を目の当たりにした周囲の船にも、次々とパニックが伝染した。

 目に見えて、ブラックバス側の戦列が乱れる。

「よしよし、まずは大成功」

 眼下で繰り広げられる阿鼻叫喚の光景も、この若者には、まるでかかわりがないかのようだった。

 翡翠色の髪を風になびかせ、莞爾と笑った騎竜将軍は、武器の補充をすべく、ランドローヴァルを操って海岸へと戻る。



      *     *     *



「……やったわぁっ! やったわよっ、お姉さま!!」

「そうですわね、かっきー!!」

 海岸の防壁の上に立ち、固唾を飲んで戦いのなりゆきを見守っていた、国王のおば2人組――かっきー&ババリンは、敵船が炎上するのを見るやいなや、手に手を取り合ってぴょんぴょんと跳びはねた。

「あ、あそこで、また燃えたわ! ふーっふふふ、ざ・ま・を・見っ!」

「ホーッホホホ! フラバーの科学力を侮った報い、とくと思い知るがよろしいわっ!」

 並んで両手を腰にやり、胸を反らしておーいばりする二人の足元には、先程ユーリが投げ下ろしたのと全く同じ壷がずらりと並んでいる。

 その数、ざっと4、50個。

 壷の中には、どろりとした液体がいっぱいに詰まっている。だが、液体の正体が何なのか、それは、この2人組のほかは誰も知らなかった。

 油を基本に、あれこれのモロモロをブレンドした代物らしく、やたらよく燃えるうえに、一度火が着けばめったなコトでは消火できない。

 名付けて、必殺最終兵器《フラバーの火(そのまんま)》!

 と、沖に目をこらしていたかっきーが声をあげる。

「あっ、将軍が戻ってくるわ、お姉さま!」

 それを聞いたババリンは、

「う〜ん、もう少し軽量化できれば、一度に、もっとたくさん持ち運べますのに……。今は、二つが限度ですものねぇ。ここはぜひとも、次に向けて、改良の必要がありますわね」

 戦いはまだ始まったばかりだというのに、もう次のことを考えていた。



      *     *     *



 火攻めをくらった上に、いきなり上級指揮官を失って、ブラックバス艦隊は大混乱に陥っていた。

 しかし、その前進は止まらない。

 数と、船の大きさ、装甲で勝っているのを頼みに、勢いに任せ、問答無用で突破しようという考えだ。

 確かに、でっかいブラックバス船の体当たりをまともにくらったら、フラバー船は、マッチ細工みたいにコナゴナにされてしまうだろう。

 両軍の距離が、さらにつまる。船に乗っている者の体感としては、もうぶつかるんじゃないか、ってくらいの近さだ。

「よし今だ、次の合図っ!」

 危ないと止める騎士たちを振り切って、どーんと舳先に陣取っている国王。その命令一下、トランペットが吹き鳴らされる。

 それと同時に、全てのフラバー船で、今まで船室に隠れていた魔術師たちが、だだっとばかりに飛び出してきた。

 盾をかざす兵士たちに守られて舳先に出た彼らは、両手を突き出し、渾身の力を振り絞って、唱えていた呪文を解き放つ!

『破ーっ!!』

 ドゴォン!

 ガボンッ!! ズガーン!!!


 耳を聾せんばかりの大音響が続けざまにとどろき、至近距離で魔術の直撃をくらった敵船の横腹に、ものの見事に大穴が開いた!

「おおっ!」

 フラバーの兵士たちが、思わず知らず拳を固め、興奮した声をあげる。

 ブラックバス船団の被害のほどは、甲板から眺めていても一目瞭然だ。

 いきなり沈没するヤツあり、大きく傾いて隣の船にぶつかるヤツありと、散々なありさまである。

 とはいえ、一撃に全てを込めたフラバーの魔術師たちも、今ので、完璧にしなしなになってしまっているが。

 と。

「――おっ!?」

 あめえばが、声をあげる。

 今まで、驚くべきチームワークで前進していたフラバー艦隊――

 その一部が、なぜかイキナリ、戦列をガタガタに崩して後退をはじめたのだ。

 と、それにつられるように、あっちでもこっちでも逃げ出す船が出始め、ついには、ほとんど総崩れといったありさまになってしまう。

「こらぁーっ!? 何だっ、引き返せーっ、どうなってるーっ!?」

 慌てふためき、大声で叫ぶあめえば。

 ――ブラックバス艦隊は、もちろん、敵の連携が崩れた隙を見逃さなかった。

 ここが好機と、生き残った船が、下がるフラバー艦隊を猛然と追い、王国の岸辺に迫る。

 と。

 あめえばが、にへらっと笑う。

 彼だけではない。

 フラバー艦隊の、おそらく全員が、にやあーっと笑顔になった。

 ――かかった!

「今だぁーっ! 転進せよっ!」

 その瞬間、フラバー艦隊は、一種芸術的なチームワークで船首をひるがえした。

 敵にしてみれば、自分に背を向け、ばらばらと逃げていた相手が、いきなり、全く同時に、くるっ! と振り向いてきたのである。

 ブラックバス艦隊の真上あたりに『うッ。』という文字が浮かんだのを、みんな、見たような気がした。



「行けぇーっ! 殲・滅!!」



 漕ぎ手たちの超人的な働きで、フラバー艦隊は一気に加速した。

 ブラックバス艦隊が密集していたのでは、軽量のフラバー軍は戦いにくい。

 そこで、いったん逃げると見せかけて、わざと追わせ、敵の戦列をがたがたに崩し、分断する。

 古い手だ。

 過去、なんと多くの軍隊が、この戦法にかかって敗れてきたことか。

 しかし分かっていても、対処は難しい。

 フラバー船は、それぞれ1隻ずつ、敵船に狙いを定め、真っ向から猛然と突っ込んでゆく。

 あわや激突、というその瞬間、衝角を、わずかに敵の舳先からずらし――

 そして、一斉にオールを船内に引っ込めた。

 ブラックバス船と、まともにぶつかるのではなく、すれ違うことになる。

 しかし、普通にすれ違うわけではない。

 ブラックバス船は、オールを引っ込めていないのだ。

「全員、こけるなよっ! 盾から手を離すなーっ!」

 バキベキボキバキバキッ!!!

 衝撃が走り、ものすごい音があがる。

 フラバー船の衝角は、ブラックバス船の片側のオールを、ことごとくぶち折った。

 すれ違いざまに、敵兵が飛び移ってこようとするが、あるいは一同が必死の思いで支える船べりの盾に押し戻され、あるいはその場で叩き斬られて、海に転げ落ちてゆく。

 びゅんびゅんと、矢も飛んでくる。

「はっはっはっはっはっ! 狙いが甘い、甘いっ! そんなへなちょこな矢が当たるものかぁっ!」

 舳先に仁王立ちになったまま、堂々と見得を切るあめえば。

 しかし次の瞬間、猛烈な集中攻撃をくらって、

「わっちゃちゃちゃちゃぁっ!?」

 ヘンな生き物のようにかさこそと舳先から這い降り、船べりぞいにずらっと立てられた盾の陰に転がり込んだ。

「あああ、陛下! だから舳先は危ないと申し上げましたのにっ!」

 駆け寄ってきたスカーフェイスが、あめえばを助け起こし、叫ぶ。

「もしも、もしも陛下が、この戦いでお倒れになったら……私たちはっ……」

「ああ、スカーフェイス、心配するな。私は――」

「私たち国王親衛隊は、どうやって次の職場を探したら良いのでしょうっ!?」

 ここで葬ったろか……こいつ……

 しかし、そんな主従の微笑ましい会話の間にも、戦況はさらに進展していた。

 いったん完全にすれ違った、フラバー船とブラックバス船。

 しかしフラバー船は、ただちに再びオールを突き出して転進、今しがたすれ違った敵船の真横に回り込む。

 ブラックバス船も、何とか向きを変えようとしているが、片側のオールが全部折られているため、素早く動くことができない。

「よっしゃ、体当たりをかませっ!」

 十二分に加速して突っ込んだフラバー船の衝角が、動きのとれないブラックバス船の横腹を、ものの見事に突き破った。

 全く同じ戦法で、あっちでもこっちでも、ブラックバス船が沈没してゆく。

 なかには、どてっ腹をブチ抜かれながら、頑固に浮かんでいる船もある。

 そんなときには、2隻のフラバー船が、両側からはさみ込むようにして接舷し、カギのついた渡り板を下ろす。

 板を渡って兵士たちが乗り込んでゆき、船上での斬り合いが始まる。

 いったん乗り込んでしまえば、フラバー側が圧倒的に有利だ。

 何しろ、新兵に毛が生えたよーな者がほとんどのブラックバスの兵士たちに対し、こっちは百戦錬磨の猛者ぞろいなのである。

 特に、王家の者たちの活躍ぶりはめざましかった。

「おらおらおらおらぁっ!」

 モッサの拳がうなり、蹴りが飛ぶ。

 そのたびに数人の敵兵がまとめて吹っ飛び、悲鳴の尾を引いて海に落ちてゆく。

 と、その隣を、まるで死神の団体のよーな真っ黒集団が走り抜けていった。王女ドー率いる《突撃隊》の戦士たちだ。

「とう。とう。とう。とう。」

 部隊の先頭で、巨大な鎌を振るうドー。

 掛け声からは全然気合いが感じられないが、敵を斬り倒すその勢いは、まるで死を招く旋風のようだ。

 世継ぎ王女であるドーが最前線に出ているというのがスゴいが、その父・国王あめえばもまた、最前線のど真ん中で戦っているのだから、もはや何をか言わんやである。

 そのあめえばは、

「どわあぁぁぁっ!?」

 国王だと見抜かれて、敵の精鋭20人に追いまくられているところだった。

「陛下あぁぁぁぁっ!?」

 と、そのあとをさらに追うのは、国王親衛隊。

 主君を追いかけがてら、目に入る敵を、片っ端から斬り倒してゆく。

 そして、上空からは、ユーリが投げ下ろす《フラバーの火》が、順調にブラックバス艦隊を襲っていた。

 うっかり敵味方入り乱れて戦っているところを燃やすことのないよう、ちゃんと気をつけている。

 炎が渦巻き、白刃がひらめく。

 今や、無数の木切れ、布切れ、炎の赤と煤の黒が、波立つ海面を埋め尽くしていた。

 戦いは激しい。

 しかし、勝利の女神がどちらに微笑みつつあるかは、今や、誰の目にもはっきりしている。

 それでも生き残ったブラックバス船は、迷っていた。

 上陸か、撤退か?

 ――彼らの迷いにケリをつけたのは、フラバー王国の海岸の防壁の上に、いきなり姿を現した、無数の銀色の輝きだった。

 エックベルト率いる、フラバー騎士団の姿である。

 彼らが身にまとう鎧、長槍と剣が、日の光をはね返してきらめいているのだ。

 これだけ数が減ったところで、あれだけの敵が待ち構えているところに上陸してもムダである。

 むざむざ斬られに行くようなものだ。

 とすると、逃げるしかないのだが……

 風の船足を誇るフラバー海軍が、それを許すはずもなかった。



      *     *    *



「――うっおぉおおおおーっ!」

 陽光きらめく大海原に、あめえばの、勝利の雄叫びが響きわたる。

「勝ったぞおおおぉぉぉぉっ!!」

『うぉおおおおおーっ!!!』

 モッサやドーや、国王親衛隊の騎士たち、漕ぎ手たち、兵士たち――

 船に乗り組む全員が、声をそろえて勝ちどきをあげる。

 そして、喜んでいる者がいるのは、船の上ばかりではない。

「やったわやったわ、お姉さま!」

「ええ、かっきー。わたくしたち、やりましたのねーっ!」

 防壁の上で抱き合い、ぴょんぴょん飛び跳ねる2人組。

「……まずは、大勝利。よかったよかった」

 上空を、その防壁に向かいつつ、ユーリはにっこりと微笑んだ。

「ランドローヴァル、おまえ、よく頑張ってくれたね。今夜は祝勝の宴がある。魚をいっぱい食べさせてあげるよ」

 キュウウウウウ!

 甲高い喜びの声をあげながら、将軍を乗せた飛竜は、人々の待つ防壁の上に降り立った。



      *     *     *



「――結局、我らの出番はありませんでしたね」

 防壁の上に居並ぶ騎士たちのひとりが、エックベルトに近づいて、苦笑いをしながら言った。

「姿を見せて追い払っただけというのでは、どうも、物足りない気がしますな」

「何を言う」

 部下の言葉に、エックベルトは、笑って言った。

「貴公の気持ちは分かるが、上陸されなければ、それに越したことはないのだ。そんなことを言っては、命がけで戦った海軍の者たちに対して非礼にあたる。
 ……それにしても、兄上の作戦は、見事に図にあたったな」

 勝利に湧くフラバー艦隊――

 そこにいるはずの兄を見るエックベルトの目に、微妙な光が揺れた。

 

      *     *     *



 ドイッチが、倒れたままでかすかに聞いた、南からのどよめきは、このときの、フラバー海軍の勝利の雄叫びであった。



      *     *     *

 

 時を同じくして、東の戦いでも、フラバー海軍は、ブラックバスの別働隊に対して大勝利をおさめていた。

 パール将軍率いる艦隊の巧みな誘導に引っかかって、ブラックバス艦隊は岩礁に誘いこまれ、あっとゆー間に壊滅してしまったのである。

 戦いというのもナニなほどあっけない戦いだったが、自分たちは決して座礁しないように敵を岩礁地帯に誘いこむというのは、ものすごく神経をつかう上に、神業的な操船の腕が必要な離れワザだった。

 パール将軍以下、東の艦隊の船長たちは、この戦いを終えて、白髪が30本ほど増えたという。



      *     *     *



 こうして――

 王国史上最大の海戦の、全ての戦いにおいて、フラバーの民たちは、完全無欠の大勝利をおさめたのである。







      5  予感



「わーははははははは!」

ぽんっ! ぽんぽんっ! ぽぽぽんっ!

 あめえばの、これ以上はないってくらいに極楽トンボな笑い声と、酒瓶のコルクが飛ぶ景気のいい音が入り交じって、フラバーの城の大広間に響きわたった。

「え〜。このたびの〜、フラバーの〜勝〜利を祝いましてぇ〜……!」

 間延びした音頭に合わせて、無数の酒盃が、ぐぐっ、と突き上げられる――

「かんぱぁ〜い!!!」

『かんぱーい!!』

「おめでとう!」

「おめでとう!!」

「万歳っ!」

 あっちでもこっちでも杯のぶつかりあう音がして、どぉっ、と場が湧いた。

 宴が始まってまだ間もないにもかかわらず、集まった人々の陽気なおしゃべりや、楽士たちがじゃんじゃかと奏でるにぎやかな音楽に満たされて、大広間全体が揺れ動かんばかりの大騒ぎだ。

 大きな窓から外を見やれば、太陽はすでにその姿を隠し、地平線のやや上あたりに、見事な月がかかっている。

 月と星々のきらめきに彩られた、雲ひとつなく澄み切った夜空――

 国をあげてのめでたい宴会に、今宵のこの時以上にふさわしいシチュエーションはあるまい。

「さあっ、皆! 今夜は、ここにいる皆、ひとりひとりの労をねぎらう宴だっ! 心ゆくまで飲んでくれっ!」

 両手にそれぞれでっかいボトルを持って、周囲の人々の杯を手当たりしだいに満たしつつ、ついでに自分でもぱかぱか飲んだりしつつ、あめえばは、底抜けに楽しそうな笑顔で言った。

 と、その背後から、出し抜けに、ぬーっと人影が現れる。

「――陛下ぁー! いけませんねぇー!」

「おわぁっ!?」

 間延びした声とともに、いきなりあめえばの首に腕を回してきたのは、スカーフェイスだ。

 すでに顔を真っ赤にした国王親衛隊の若い騎士は、主君の首を遠慮なくぐいぐいと絞め上げながら、愉快そうな大声を張り上げた。

「陛下自らが臣下に酌などー、もったいないですよぉ! 私にも1杯下さい!」

 ――発言の内容が明らかに矛盾しているが、酔っ払い相手にいちいちツッコむのも詮無いことである。

「ぐぐぐぐ……よ、よーし……まあ飲め……」

 首を絞められながらも、あめえばは、スカーフェイスが差し出したゴブレットになみなみと酒を注いだ。

 と、酌を受けたスカーフェイスのほうは、さっそく杯に口をつけたと思うと、喉をそらして、きゅ〜っ……と一息に飲み干してしまう。

 その豪快な飲みっぷりに、周囲から歓声と拍手があがった。

「うおおおおお! スカーフェイス!」

「男だねぇ!」

 どうやら、それに気をよくしたらしい。

 スカーフェイスは、にこーっと笑って、またもやゴブレットを差し出した。

「陛下! もう1杯」

「うぐぐぐぐ……苦し……」

 などと、酔っ払いどもが騒いでいる背後では――

「なあ。これとこれ、混ぜたら美味いかな?」

「うっ……う〜ん、やめといたほうがいいと思うけど……」

 料理や酒が満載された長テーブルのかたわらに陣取り、モッサとドイッチが、そんなことを言い合っている。

「それにしても、すごい盛り上がりようだねぇ」

 パワー全開で騒ぎまくる周囲の人々を、グラス片手にぐるりと見回して、ドイッチは感心したように呟いた。

 祝勝の宴が行われている場所は、この広間だけではないのである。

 各騎士団は、それぞれの本部でおのおの宴会を開いているし、城の庭園は、避難してきた人々に開放され、そこでもごちそうが振るまわれていた。

 そして、もちろん市街地でも、海軍の兵士たちが、自分たちの隊の本部で祝いの杯を酌み交わしているはずだ。

「父上も、なかなか考える……」

 ――今回の勝利は、大局的に見れば、『ブラックバスの攻撃の第1波を退けた』というだけのことだ。

 戦争自体は、まだ終わったわけではない。

 本来ならば、食糧なども、できるだけ節約すべきところではある。

 しかし、この宴は、決して無意味に開かれたわけではないのだ。



 風と海流の具合を計算した結果、ブラックバスの再攻撃までの最短日数が、7日、と割り出されている。

 7日間ものあいだ、今までの緊張感を無理に維持するよりは、ここで一発、気持ちを真っさらに戻して、一から再び士気を高めていったほうがよいだろう、というのが、あめえばの考えだった。

 これには、ししょーやマホナンヌも賛成した。

 何しろ、今回の対ブラックバス海戦は、掛け値なしに、王国始まって以来最大の戦いだったのである。

 自覚があるかないかは別として、皆、相当に気を張っていたはず。

 こうして中休みでも入れておかないと、戦士たちの気力が続かない。

「……ま、せめて今夜だけでも、目いっぱい楽しんどこう、っちゅうコトやろ」

 いつの間にやらドイッチと同じ方向を遠い目で眺めつつ、モッサが、妙にしみじみとした口調で呟いた。

 ドイッチは、思わずぎょっとして、義妹の顔を見つめる。

「そ、その言い方、何だか不吉だなあ。なんか……今生最後の宴、って感じで」

「――え? そーか?」

 モッサは、きょとん、とした表情で振り向いてきた。

「オレ的には、ただ単に、明日からはまた仕事がぎょーさんあって面倒臭いな〜、ゆうことが言いたかってんけども」

 と、いつもの調子で言う。

「あ、そう? ……いや、それならいいんだ。ごめん」

 不吉な想像にとらわれているのは、むしろ自分のほうなのかもしれない。

 これではいけないな、と、ドイッチは軽く頭を振って、己を戒めた。

 そんな彼女の思いを知ってか知らずか、モッサは、ドイッチの袖をぴっぴっと引っぱり、大広間の一角を小さく指差してみせる。

「おい。……見てみ、あそこ」

 言われて、ドイッチが視線を向けた先には――

 マホナンヌとししょー、そして、やや年かさの将軍たちが、ひとかたまりになって談笑していた。

 さすがは年の功と言うべきか、酒は飲んでも、若いヤツらのよーなだらしない有様になってる者はひとりもいない。

 しかし……

「そのとき! わたしは前後から突進してきた敵の刃を、一瞬のタイミングを逃さず見事にかわした! ヤツらは勢いあまって互いの剣に突っこみ、哀れにも自滅……」

「長年の船乗り人生で培ったカンに導かれるまま、わしは操舵手をどっかんと押しのけ、限界まで面舵をきった! 舳先が岩礁の先に擦れる激しい音――しかし、わしのとっさの判断がきいて、正面衝突して沈没、という最悪の事態は、なんとか避けられたわけじゃな」

「我が行く手を阻む気概のある者はひとりもおらず、こちらが名乗りをあげただけで、勝手に逃げ散ってゆく始末よ。楽ではあるが、いささか手応えが不足であったな。わっはっはっ!」

 メンツがメンツだけに、武勇伝、というか自慢話が止まらなくなっている。

 しかも全員が一斉に喋るため、もはや、ナニが何だか分からない。

「……ババもひぃババも、よーあんなモン聞いてられるなぁ……」

「人徳だねぇ……」

 将軍たちの話に、にこやかに耳を傾けているししょーとマホナンヌを見て、思わず恐れ入る2人であった。

 ――ししょーとマホナンヌの耳に、こっそりと《耳栓》が装着されていることを、モッサたちも将軍たちも、無論、知らない。

 それはともかくとして、盛り上がっている集団は、他にもたくさんある。

 広間の中心には、いつのまにかダンスの列ができていて、楽士たちがじゃかじゃかと調子よく奏でる舞踏曲にあわせ、若い者もそうでないのもみな手を取り合って踊っているし、なかには酔っ払ったままくるくる回りすぎて、どたぁ〜ん! と派手にぶっ倒れてるヤツまでいた。

 ダンスの人垣の向こうでは、かっきーとババリンが、珍しくも白衣ではなくドレスをまとい、それぞれ酒のグラスを片手に、《フラバーの火(改)》の構想を、やたら楽しそうに論じあっている。

 さらに、その2人からやや離れたところでは、ドーをはじめとする突撃隊の面々が、無心に豚の丸焼きを食していた。

 みんなで仲良くひとつの皿を囲んでいるのだが、その姿はどこか、敵を取り囲んで無言でナマス切りにしているようにも見えた。

 そのせいか、人のあふれるこの大広間にあって、彼女らの周囲だけは、妙に閑散としている。

 そこまで見渡して、

「――おや?」

 ドイッチは、ふと首を傾げた。

「ユーリは、どこに行っちゃったんだろう?」

 どんな人ごみに紛れていてもすぐに目につく、あの翡翠色の髪が、どこを向いても見えないのだ。

「ああ」

 ドイッチの疑問に、こともなげに答えたのはモッサだった。

「ユーリやったら、さっき、丸太みたいにでっかい魚かついですたすた歩いてるとこを見かけたで」

「………………」

 思わずしばし沈黙したのち、

「――魚?」

 理解に苦しむ、といった表情で聞き返すドイッチ。

「おう。たぶん、あの竜と水入らずで祝杯でもあげるつもりなんやろ」

 その通りだ。

 ちなみに、持ち出したのは魚だけではない。

 果実酒のボトル1ダース入りの木箱まで、さりげに厨房の地下倉から失敬していた。

 ……優しげに整った造作に似合わず、やることなすこと豪快な騎竜将軍である。

「そやから、ユーリは塔として……叔父貴はいつも通り、部屋にこもっとるか、騎士団の詰所にでもおるんやろな」

 エックベルトが、こういった社交の場を苦手としていることは有名だ。

 ドイッチも頷き、苦笑混じりに言う。

「まあ、無理もないよねえ。何しろ、エックベルト様がこんな場にうかつに出てきたりしたら、宴会を楽しむ以前に、大勢の娘さんたちに囲まれて息もできなく――」

 そこまで言って、ドイッチは、不意に言葉を途切れさせた。

「?」

 何とも形容しがたい表情で固まってしまったドイッチを、モッサは不審そうに見やり、それから、その視線をたどってみる。

 その先には――

「陛下ー。大丈夫ですかぁ? 陛下ー?」

 スカーフェイスに首を絞められて、きゅうと目を回しているあめえばの姿があった。

「………………」

「………………」

 すたすたとやってきた侍従たちに、壊れた置き物か何かのよーに担がれて退場してゆく父を、娘たちはしばし、無言で見守り――

「……んで。オマエの母上は、今、市街地やな?」

「あ、うん。そうそう」

 あめえばの姿が完全に消えてから、何事もなかったかのように姿勢を戻して、2人。

 ――今現在、市街地のあちこちが祝勝ムードに湧いているが、どこもかしこもがそうだというわけではない。

 陽気に飲んで騒ぐなど考えられないよーな状況になっている場所もある。

 王国各地の施療院が、その代表だ。

 今回の戦いによって、いつにない数の負傷者が一気に押し寄せたため、どこの施療院も、猫の手も借りたいようなてんてこ舞いの有様なのである。

 ヨネが市街地に出ているのは、その人手不足を少しでも解消しようという心遣いからであった。

 もちろん、彼女のもとで働くメイドたちも協力していて、数人ずつ組を作り、あちこちの施療院に分散して手伝いに行っている。

「それに、モジリン様も出られてるしね」

「おお」

 ドイッチの言葉に、モッサは軽く頷いた。

 王妃自らが施療院の助っ人に出向いていると聞いても驚いた様子もないが、フラバーの人々にとっては、これはいつものコトなのである。

 モジリンは、王国随一の治癒魔術の使い手だ。

 しかし、100万回ドツかれても死ななさそうな夫をはじめ、うっかり階段のてっぺんから転げ落ちてもかすり傷程度で済んでしまうよーな連中に囲まれた日常では、せっかくの能力も宝の持ち腐れである。

 そこで、彼女は普段から、

「西の村で重病人が出た!」

 と聞けば西へ行って癒し、

「東の村で牛に蹴られたヤツがいる!」

 と聞けば東へ走って治療するという、まるで草原王国の出張医師のような生活を送っているのだった。

 ――と、一度は納得したように頷いたモッサだが、次の瞬間、珍しくもちょっと眉を寄せた難しい表情を見せて言う。

「……そやけど、モジリンがこんな時期に街中うろうろしてて、大丈夫なんか?」

 普段から、出かけるときは数人の侍女をともなうだけのモジリンだが、大勝利の直後とはいえ、今は戦時下である。

 一国の王妃が、少々の供を連れただけで安心してぽこぽこ出歩けるよーな状況ではない。

「うん……それは、陛下も同じように思われたみたいだ」

 手の中のグラスの酒をくるくると回しながら、ドイッチは答えた。

「だがら、一応止めてはいらっしゃったようだけど……モジリン様は、普段やってるコトを、自分の身が危険かもしれないからって取りやめるよーな性格の方じゃないからねえ。それに、陛下にしたって、国民のみんなへの示しってものがあるし……」

「なるほどな……」

 きつい蒸留酒を満たしたグラスに口をつけながら、モッサは頷いた。

 確かに、戦時下に王妃が市街地に出歩くなどという行為は、誰がどう考えても危険極まりない。

 しかし、だからといって、彼女の活躍が最も必要とされるこの時期にモジリンを城から出さなければ、「王は身内可愛さに傷ついた人々を見捨てた」ということにもなりかねないのだ。

 今は、何よりも団結が必要な時。国民の不信を招くようなことはできない。

 モッサは、ふむ、と唸って床に視線を落とした。

 彼女の脳裏には、アホ満開で笑っているあめえばの顔が映っていた。

 あの笑顔の裏で、彼は、何を思っていたのだろうか……?

 考え込んだモッサの表情をどう解釈したのか、ドイッチが、安心させるような口調で言う。

「まあ、侍女さんたちも一緒だし、市街地には兵士たちも大勢出ているし。大丈夫なんじゃないかな?」

「おう」

 顔を上げ、ことさらに軽い口調で、モッサは答えた。

「ま、それぞれが自分の本領を発揮できるとこで力を尽くせ、ちゅうコトなんやろな。オレらは戦闘要員やねんから、戦いの時まではアレコレ考えることもない。ゆっくり英気を養わせてもらおうや」

 言って、グラスをくいーっと傾ける義妹に、ドイッチも苦笑して頷く。

「そうだね」

 後は、たわいもない話になった。

 だが。

 つい今しがたまで彼女たちが口にしていた、まさにその事柄が、この国の未来を大きく動かすさだめにあることを――

 彼女たちは無論、この場の誰ひとりとして、いまだ知るよしもなかったのである。



      *      *      *



 バシャン!

 と、いきなり顔面にぶっかけられた大量の水が、

「ふご!?」

 ――運悪く、鼻に入った。

「むぐっ! ふむぐぐっ!? あ……あ痛、痛たたたた!」

 しばし、苦しげな唸り声を発しながら、彼はじたばたともがき回る。

「こらっ。いつまで暴れてんの」

 そんな声とともに、けんっ! と軽く蹴飛ばされて――

「はっ!?」

 あめえばは、ようやく意識を取り戻した。

 一瞬、状況が理解できず、ぱちぱちと目をしばたたく。

「やっと気がついたみたいね!」

 呆れたような口調でそう言ったのは、満天の星空を背景に、腰に両手を当ててこちらを見下ろしてきているドレス姿の女性――

 ししょーだ。

「……あ、あれ?」

「あれ? ではありませんよ、あめえば。しっかりなさい」

 もうひとつの声に、そちらを見れば、ししょーのかたわらに、マホナンヌまでが立っている。

 事ここに至って、あめえばは、ようやく自分のおかれている状況を認識した。

 自分は、大広間から続くテラスの床に、仰向けに寝かされているようである。

 そして、ししょーの足元にでっかい桶が置かれていることからすると、彼に水をぶっかけたのは、どうやらししょーらしい。

 ……それにしても、なぜ、自分はこんなところに寝ているのだろう……?

 むっくりと腹筋の力だけで上体を起こし、しばし沈思黙考したあめえばは、

「――むぅっ!?」

 と何やら思い至って、カッを目を見開いた。

「そ、そうか。確か私は、スカーフェイスに首を絞められて……」

「自分の部下に暗殺されかかってどうするのですか?」

 呆れ返った、という口調で、マホナンヌ。

「暗殺って言うにしちゃ、大っぴら過ぎたよーな気もするけどね」

 その隣から肩をすくめて言ったししょーが、ちらりと肩越しに背後を見やった。

 それにつられるように、マホナンヌとあめえばも同じ方向を見る。

 そこにあるのは、大広間とテラスとを隔てる、分厚い黒檀の扉だ。

 今は閉まっているその扉の向こうからは、いまだ、賑やかしい話し声やら音楽やらが漏れ聞こえてくる。

「……何だか……私がぶっ倒れたっていうのに、みんな、あんまり心配してないみたいですねぇ……」

 ちょっぴり淋しそーに呟いたあめえばに、

「あんたねぇ。何をしみじみ嘆いてるのよ」

 扉のほうをうかがっていた視線を戻して、呆れたようにししょーが言った。

「全然心配されないくらいがちょうどいいのよ。下手に心配なんぞされてみなさい、兵士たちの間に、あっとゆー間にデマが広がっちゃうわ。噂なんてのは、ホントに無責任なもんなんだからね。一度広まったが最後、放っとけば、明日の朝には国王死亡説まで流れてるでしょうよ」

「うっ。……う〜ん」

 あまりにも説得力のあるししょーの言葉に、思わず腕組みをして唸り声をあげるあめえば。

 そこへ、マホナンヌも厳しい調子で言う。

「明日からは、ブラックバスの逆襲に対しての備えをしなければならないのです。せっかく民の士気が高まっているところへ、無用の不安を与えることは禁物ですよ」

「……はい」

 顔を伏せ、神妙な表情でうなずいた国王に、

「あめえば」

 重ねて、マホナンヌが呼びかける。

 緊張気味に顔をあげたあめえばは、祖母の顔を見た瞬間、ちょっと驚いたような表情を浮かべた。

 それまでは厳格な顔つきを保っていたマホナンヌが、自分を見つめて、にっこりと笑っていたからだ。

「今日の戦。――本当によくやりましたね」

「そうね。上出来だったわ」

 ぽん、と横から息子の肩に手を置いて、ししょーも言う。

「戦力において数十倍は上回る相手をあれだけの短時間で叩き潰すなんて芸は、並の力量でできることじゃないわ。……海軍の兵士たち、将軍たち、それにあたしたち王家のメンツ全員が力を合わせたからこその勝利ではあるけれど、それぞれの働きを最も活かすような作戦を組みたてたのはあんたの功績よ、あめえば」

 そこまで言って、彼女もにっこりと微笑みを浮かべる。

 普段の不敵な笑みとはまったく違う、本当に柔らかい笑顔だ。

「あんたは、ほんとに、よくやったわ」

 ――実際、これで状況はかなり楽になったものね、と、ししょーは口に出さずに、心のなかだけで呟いた。

 負けた場合は論外として、同じ勝つにしたって、勝ち方にもいろいろある。

 仮にフラバー軍が、多大な損害を出しつつもどーにかこーにか相手を退散させた、というような情けない勝ち方をしていたら、物資や人材の消耗もさておき、ブラックバスの次なる攻撃に備えようという人々の気力は、完全に挫かれてしまったはずだ。

 しかし、ほとんど完全無欠といっていい大勝利を収められたおかげで、軍の損耗も最小限で済み、兵士たちの気力は、戦が始まる前よりもかえって充実している。

 これならば、ブラックバスの逆襲に対しても備えやすいというものだ。

 ……いや、うまくすれば、逆襲なんてものはないかもしれない。

 あれだけずたぼろになった船団(のなれの果て)が港に戻れば、どんなに情報工作をしようとしたって、ブラックバスがフラバーに負けたという事実を隠し通すことはまず不可能だ。

『不敗の帝国軍、敗れる』の報は、風のように広まるだろう。

 そうすれば、今まで押さえつけられてきたブラックバスの支配地域でも、反帝国活動が活発になるはず……。

 楽観的な考え方をするなら、これを契機に帝国各地で反乱が勃発、ブラックバスを内部から崩壊に導く、ってな可能性も夢ではなくなったのである。

 ――短い言葉のなかに、ししょーはこれだけの思いを込めていた。

 敢えて口に出さないのは、うかつに楽観論を表明して、それが万が一にも人々のあいだに広まってしまった場合、根拠のない期待や過信につながり、軍の統制を乱すおそれがあるからだ。

 さすがは軍を率いて100年余、百戦錬磨のししょーである。思慮が深い。

「いやぁ〜。自分の立てた作戦ながら、ここまでばっちり図に当たるとは思いませんでしたよ」

 と、にこにことした顔つきで、その息子であるところのあめえばは答えた。

「この調子で、2回戦も、ひとつ、ぱぱぁっ! と片付けちゃいたいところですねえ。あははははははは!」

「……2回戦の計画もさておき、目の前の仕事はきちんとできているのでしょうね、あめえば?」

 極楽トンボの大笑いをみせるあめえばに、さりげない調子で、マホナンヌが釘をさした。

「現在、海岸線の警備はどうなっていますか? あなたに任せておいたはずですよ」

「あ、大丈夫です、大丈夫です。いくら何でも、忘れたりしてませんよ」

 笑いを引っ込め、両手を動かして宙に王国の海岸線を描きながら、あめえばが答える。

「現在、海岸のほぼ全周をカバーする形で、歩哨を配置しています――」

「……全周?」

 確認と疑問とが半々くらいに混ざったような口調で問い返したマホナンヌに、

「あ、はい。……島の北側、それから《迷路の森》に塞がれた南西側の海岸にも、念のため、見張りに立ってもらってるんです」

 指を2本立てて、ぴこぴこと左右に振りながら、あめえば。

「そこから上陸することはできなくても、監視の死角があれば、接近することはできますからね。ギリギリのところまでこっそり近づいておいてから、海岸沿いに一気に船を走らせ、上陸ポイントを急襲する、なんて戦法をとられちゃ、たまったもんじゃありませんから……」

「確かな采配ね」

 満足そうに、そして少しばかり感心したように、マホナンヌは孫に向かって頷いてみせた。

 それを受けて、あめえばが、ぶいっ、と2本指を突き出す。

 それから、ふと、苦笑を浮かべて言った。

「しっかし、戦勝祝いで仲間が飲み騒いでるってときに見張りに当たっちゃった人は、こりゃ、悲劇ですよねー。きっと愚痴ってるだろうなぁ」

「そうね」

 ししょーが、息子と似たような表情になって頷き――

 ふと、真顔になって言った。

「しかし、いつも大雑把なあんたにしては、ずいぶんと慎重じゃない? そこまできっちりと備えをしてるなんて」

「う〜ん。……やっぱり、相手は帝国、ってことで、ちょっとビビってるっていうのが本音ですねぇ。今回の戦いは大勝利でしたけど、どうもいまいち安心できないっていうか。……何ていうんですか、こう……これだけでは終わらないぞ、みたいな予感が」

 へらへらした笑顔で、いつになく不吉な物言いをするあめえばに、ししょーとマホナンヌは、揃って顔を見合わせた。

 と、その雰囲気を察したのか、あめえばは、ぱたぱたと軽く手を振る。

「いえ、まあ、あれですよ。備えあれば憂いなしというか。備えて備えすぎる、ってことはないですからねぇ」

「ええ」

 息子の言葉に、ししょーは大きくうなずいた。

「何事も、用心にこしたことはないからね」

「そうね」

 マホナンヌもうなずき、3人は、連れ立って大広間へと戻ってゆく。

 歴代国王そろってのお出ましに、周囲の酔っ払いたちからわあっと歓声が上がった。

 そして、

「陛下――!」

 そのなかから飛び出してきたひとりの男が、感極まったように両腕を広げて叫ぶ……

「生きておられたのですかっ!?」

「お・ま・え・に・殺されかけたんじゃぁぁぁっ!」

 あめえばが叫んで投げつけた銀のお盆(手近にあった)は、ぎゅるるると一直線に空を裂いて飛び、感涙にむせぶスカーフェイスの顔面を思いっきり直撃したのであった。







  6  魔術師



 フラバー王国が完全無欠の大勝利をおさめてから、およそ、18時間が経過した。

 夜である。

 あたりはまだ真っ暗だが、水平線の向こうからは、夜明けがゆっくりと近づいてこようとしていた。

 ……ざっざあぁぁぁぁん……ざっざあぁぁぁぁん……

 遠く、波の音がする。

 ……どっぱぁぁぁん……どっぱぁぁぁん……

 近くでも、やっぱり波の音がする。

 ただし、こっちの方が、重い響きだ。

 ほとんど足の真下、垂直に切り立った崖に、打ち寄せた波がぶつかっては砕ける音である。

 聞くともなしに波の音に聞き入っていた、そのとき――

「ん……?」

 視界の端で何かが動いたような気がして、セクトは、素早くそっちに顔を向け、ついでに槍の穂先も向けた。

 その先にあるのは、黄色い花をつけたでっかい茂みだ。

 パチパチと燃えるかがり火に照らされ、葉っぱが、まるで紅葉しているように赤く染まっている。

「気のせい……か」

 何事もなさげに隣に立っている同僚をちらっと見て、彼は、そう口の中で呟いた。

 ここは、北の海岸である。

 切り立った断崖絶壁が連なり、とてもじゃないがまともな船はつけられないような場所だが、ところどころには、意外と登りやすい場所もある。

 少数精鋭の工作部隊ならば、小船で接岸し、よじ登ってくることも不可能ではない。

 そういうことへの警戒もあって、北側の海岸線には、このセクトを含め、合計で30人の兵士が2人ずつ組み、15ヶ所に分散して配置されているのだった。

 もし、何か異変があったときには、でっかい角笛を吹いて、近くの砦に知らせることになっている。

 ――しかし、当の砦からは、戦勝祝いのどんちゃん騒ぎが聞こえてくるとあって、ヤル気も何も、どーっと失せてしまうのだが。

 まあ、セクトは何事にもマジメな性格だから、こんな任務もマジメにこなしているが、彼の同僚ラウルは、ひとしきりぶつぶつぶつぶつと愚痴をこぼした末に、先ほどからは、しきりにこっくりこっくりと、槍を杖がわりに、立ったまま寝てるよーな有様だ。

 と、そのとき。

 がさり。

「!?」

 不意にはっきりと響いた物音に、セクトは、一度は外した視線を、慌てて茂みに引き戻した。

「……おい!」

 茂みのほうを注意深く睨んだまま、槍の先っちょで、つんっ! とラウルの尻をつつく。

「ぃでっ!? ……って、痛ぇだろが、てめー! 何しやがる!?」

「しっ!」

 憤然と詰め寄ってくる同僚を鋭く制し、セクトは、抑えた声でささやいた。

「待て。そこの茂みに……何か、いるような気がする」

「――は?」

 シリアス極まりない表情で茂みを凝視しているセクトを、ラウルは、ワケ分からん、といった顔つきで見つめた。

「何か……って、何がだよ?」

「いや、分からないが……今、音が……」

「気のせいじゃねぇのか? でなきゃ風とか、ネコとかな」

 と、ラウルは適当なコトを言っているが、茂みだけを狙って吹く風なんつーものがあるはずがない。

 それに、どう考えても、こんなところにネコは出ないだろう。

 それまでひそひそ声で喋っていたセクトは、眼差しを厳しくして槍を腰だめに構え、大声で誰何した。

「誰だ! そこにいるのはっ!」

「……あのなー……」

 ラウルは、思わず苦笑いを浮かべた。

 何事にも真剣なのがこいつのいいところでもあり、悪いところでもあるが、今のところは悪いところが出ていると思う。

 何もいやしねーよ。気にしすぎだって。

 ――ラウルがそう言おうとした、そのときだ。

「ごっ、ごめんなさーいっ!」

 いきなり、そんな声とともに、ガサッ! と音をたてて茂みが割れた。

 そこに潜んでいた何者かが、いきなり立ちあがったのである。

「うお!?」

 と、ラウルがびっくりした隙に、そいつは、がっさがっさと茂みから抜け出ようとした。

「逃がすかっ! ……貴様、何者だ!」

「わああっ! ごめんなさい、許して! ボク、パパを探しにきただけなんだよっ」

 素早く飛びかかったセクトに襟首つかまれ、茂みから引っこ抜かれて、そう喚いたのは――

「何だぁ?」

 ラウルが、呆気にとられて呟く。

「……ガキじゃねーか」

 まったくもってその通り。

 セクトに襟首引っつかまれて、ばたばたばたと暴れているのは、痩せて小柄な少年だった。

 顔つきはほとんど幼いといってもいいくらいで、声がわりもまだらしい。

 甲高い声で喚きたてている。

「放せよーっ! ボクはネコじゃないぞっ! ――わぅっ」

 セクトが、ぱっと手を放したせいで、少年は、どすん、と地面に尻もちをついた。

「痛たたたー……って、いっ?」

 その鼻先に、ちゃっ、と、槍の穂先が突きつけられる。

「おい!?」

 と、肩をつかもうとするラウルの手を払いのけて、

「お前、名前は。ここで何をしている?」

 セクトは、厳しい声で問い詰めた。

 たとえ子どもであっても、不審者には変わりない。

 いや、子どもだからこそ、こんな時間にひとりで外にいるというのは、一層不自然だ。

「え? あの、その、……ボク、ウリーっていうんだけど……ウリー・バレル……。あの、パパのこと、探しに……」

「パパだと?」

「うん、あのね、……なんか、……ウワサで聞いたんだけどさ。昨日の戦いから、パパ、帰ってきてないらしいんだ。それで、心配になって。こっそり、探しに出てきたんだ。街を探して……それから今、海岸を、ぐるっと回ってみてるんだけど……」

「あー……」

 その答えを聞いて、ラウルが、思わず、気まずそうにうめく。

 セクトも、さすがに困った顔で槍を引いた。

 ――戦いにおもむき、そして帰ってこなかったとなれば、そいつがいったいどうなったのか、想像できる答えはただひとつしかない。

「ね、おにーさんたち、パパのこと知らない? 名前、グレンっていうんだけど……」

「……悪いが、心当たりはないな」

「待ってよ。顔だけでもさ、チラッとでも、見たことないかな。ほら、これがパパの顔……」

 言いながら、少年は、首から下げていた小さなロケットペンダントを、ぱちんと開いて見せてきた。

「よし、どれどれ……」

 早速、ラウルが身をかがめてのぞき込む。

 セクトは、先ほど思いっきり怪しんでしまった手前、一緒になって身を乗り出すのは気が引けた。

 遠慮がちに、後ろで待つ。

 ――さらに、待つ。

 それにしても彼は、ずいぶん、熱心に見ている。

 これは、……いくら何でも、長すぎはしないか?

「おい?」

 怪訝そうな声をあげ、同僚の顔をのぞき込み――

 その途端、セクトの顔が、一瞬にしてこわばった。

 ラウルは、驚いたように目を剥いた表情のままで凍りついていた。

 その顔は、すでに、白蝋のような色に変わってしまっている。

 そして――

 その首筋に、少年が顔を埋めていた。

「き、貴様!?」

 思わず裏返った叫びに、少年が、ゆっくりと顔をあげる。

 その目は、揺らめくかがり火の炎を受けて紅い。

 にや、と、真っ赤に汚れたくちびるが弧を描いた。

 その口から尖った顎にかけて、べっとりと付着した、その液体は――

「……マズいね」

 ぷっ、と口に残った血を吐き出し、少年は言った。

「さてと、……そっちは、どうかな?」

 それが自分のことを言っているのだと、理解したのが先か、とっさに身体が動いたのが先か――

「シャアッ!」

 鋭く気合いを吐きざま、セクトは槍を繰り出していた。

 日頃の真面目な訓練が十分に生きた、一撃必殺の突きだ。

 少年には、避ける暇すらなかっただろう。

 そう。避ける暇は、確かになかった。

 どっ、と、穂先が肉に突き刺さる音が響く。

「……なっ……!?」

 しかし、次の瞬間にセクトの口から洩れたのは、激しい狼狽のうめきだった。

「ラウル……なぜ!?」

 槍が今にも少年を串刺しにするという瞬間に、ラウルが身を盾にして、その攻撃を食い止めたのだ。

 しかも、セクトの驚愕はそれだけでは終わらなかった。

 なんとラウルは、自分の腹に槍が刺さっているのも一向に構わず、呆然としているセクトに飛びかかってきたのである。

 あまりのことに反応すらできず、セクトは地面に押し倒された。

 のしかかってくる同僚の顔は、できそこないの仮面でもかぶったように、目玉を剥いた表情のまま固まっている。

 腹を貫通した槍が背中から飛び出し、彼の背中でゆらゆらと揺れている。

 ……悪夢だ。そう、これは、悪い夢に違いない……

「いい子だ」

 少年が、忠実な猟犬を誉める主人のように、よしよしとラウルの頭をなでる。

「そのまましっかり押さえておくんだよ」

 カッと開いた少年の口が、自分の首筋に近づいてくる。

 そこに、真っ白な2本の牙を見たと思う間もなく、セクトの全身をすさまじい冷気が貫き、そして、彼は、何も分からなくなった。



      *     *     *



「んあぁ? ――何だとぉ? もっぺん、言ってみろぉ!」

 北の砦の守備隊長は、報告にやってきた部下に向かって、完全にできあがった胴間声を張り上げた。

 戦勝祝いで呑みまくり、その2次会でも呑みまくり、あっちこっちと流れ流れてウン次会まで呑みまくった結果、頬も赤けりゃ目も真っ赤、鼻の頭まで真っ赤っかという、これはどこからどう見ても、完全無欠の酔っ払いである。

「セクトってのと、ラウルってのが……消えただぁ?」

「はあ……」

 隊長執務室のど真ん中――つまり机をはさんで隊長の真正面に立ち、それでもはっきり感じるほどの酒さにいささかイヤそうな口調で、その兵士は返答した。

「交替要員がその場に行った時には、既に、2人とも姿がなかったそうで……」

「……オイ。『そうで』ってなぁ、何だ? おめえ、直接その、2人が消えたとこを見たわけじゃねえのかあ?」

「はあ。私は、その隣の地点で歩哨に立っておりまして……あ、私はちょうど、その、消えた2人と同じ時間帯の勤務だったんですけど……で、交替要員が来たんで、さあ砦に帰ろうと思ったところで、報せが来て……あ、その来た奴らってのは、ラウルとセクトと交替するはずだった連中なんですが……そいつらに、2人がいなくなってる、帰りついでに砦に連絡してくれ、と言われまして……」

「……はぁん」

 長ったらしい説明を途中でさえぎり、隊長は、びしりと結論を出した。

「サボりやがったな? そいつら。――まあよう、お上の命令は絶対たぁ言え、他の連中がどんちゃんやってる時に仕事ってぇのは、辛いもんがあらぁな。そいつは、俺もよおっく分かる。……それにだ、大体、なんで勝ってまで見張りなんだか、わけが分かんねぇが……」

 ひっく、としゃっくりを間にはさみ、

「任務は任務だぁ。それを、サボってどっかへシケ込むっつうのは、軍の規律に照らして、許せるモンじゃあねぇ。戻ったら、ひとつ、俺様がこってりしぼってやらぁ」

「はぁ……」

 思いっきり宴会でどんちゃんやってた人が『しぼる』とか言ってもなぁ……と、兵士は、ぽりぽりと頭を掻きながら思った。

 ――大体、なーんか、引っかかるんだよなぁ。

 ラウルってのがどんなヤツかはあんまり知らないが、セクトのほうは知っている。

 いまどき、ちょっと珍しいほどの堅物だ。

 そんなヤツが、果たして、ここまで堂々と任務をサボるもんかね?

「あのー、それで、隊長殿?」

「ああ? 何だ……おう、お前、もう行っていいぞ。ご苦労だったなぁ」

「……あ。その、はい。いえ……」

「あああ? うるせえな、何をごちゃごちゃ言ってやがんだ、お前は?」

「あ、はい。……そのう……まあ何といいますか、一応、人間2人が消えたわけですし……警戒とかは?」

「あああああ?」

 真っ赤な酔眼でぎろっと兵士を睨み、隊長はどんと机を叩いて唾を飛ばした。

「ばっかやろう、たかがサボりの2人組を連れ戻すのに、軍隊出動させるつもりかぁ? 放っとけ! 戻ってから、俺がシメる!

 ……おら、帰れ、お前も!」

「あ……はあ。まあ、はい、そうですね。――どうも、失礼しまっす」

 一応、びしと敬礼しておいて、兵士はその場を退出していった。

「――ったく、一体、何考えてんだ、今の奴ぁ?」

 しばし、閉まった扉を睨んでブツブツ呟いていた隊長だが、やがて、よっこらしょっと椅子から立ち上がる。

「あー……こりゃ、どうも、まだ酒が足りねえ感じだな……っと。降りてって、呑み直すかぁ!」

 この瞬間、彼は部下の報告を脳裏から消し去った。

 ――無論、それは間違いだった。

 大き過ぎる間違いだったのだ。



     *     *     *



 その空間は、ほとんど全ての領域が、完全な闇に閉ざされていた――

 ただひとつ、壁にかけられた松明の灯りだけが、四方からのしかかる暗闇の重さに弱々しく抵抗している。

 その光に丸く照らし出された茶色っぽい壁、そして床の一部だけが、この無限とも思える漆黒の空間において《境界》というものを感じさせる唯一の存在だった。

 松明の光に照らされている範囲はごくわずかだが、壁と床が継ぎ目のない一つながりの岩からなることが見て取れる。

 壁はじっとりと湿り、床にはいくつもの水溜りができていた。

 これらの光景から推すに、どうやらここは、どこかの洞窟の内部であるらしい。

 それも、よほど広大な代物だ。

 そして――

 弱々しい光に照らされた壁に、1人の若者が磔にされていた。

 壁に直接埋め込まれた鉄の枷に両手足をつながれ、ぐったりとうなだれている。

 セクトである。

 単に気を失っているだけか、それとも死んでしまっているのか、とにかく、ぴくりとも動かない――

 と、その時、彼は小さな息を吐き、薄く目を開いた。

「グッ……!」

 その途端に首筋に激しい疼きを感じ、彼は、今までの出来事を一瞬で思い出した。

 そうだ、あの少年は――!?

 セクトは慌てて辺りを見回そうとし、その時になって、ようやく自分の置かれている状況に気付いた。

「!?」

 しばし、がちゃがちゃと音を立てて手足を動かしてみるが、自力で逃れられる見込みはゼロに等しいということがはっきりしただけだった。

 と、セクトは急に動きを止め、表情を強張らせる。

「……何だ……このにおい……!?」

 彼が嗅ぎ取ったのは、鉄くさい異臭――

 それは、紛れもなく血のにおいだった。

 若いとはいえセクトも歴とした兵士、血のにおいを嗅ぐのは初めてではない。

 だが、その濃さが尋常ではなかった。

 空気が湿っていることもあるだろうが、それは、ほとんど物理的な圧迫感さえ覚えるほどの強烈な血臭だった。

 その臭いは、彼の周囲の闇の奥から流れ出ていた。

「ウッ! ……ぐ……っ」

 反射的に、猛烈な嘔吐感がこみ上げる。

 だが、足元の水溜りに向いた視線が偶然にあるものをとらえた瞬間、セクトは、思わず吐き気を忘れた。

 松明の炎を映し、彼の顔を下から赤く照らしている水面――

 そこに、真っ白な影が映っていることに気付いたのだ。

 声にならない声をあげ、顔を起こしたセクトの目の前にあったのは、紛れもないひとつの人影。

 あの少年だ。

 気配も感じさせずに、いつの間に現れたのか?

 うつむいて立っているために垂れた前髪にその目は隠れ、しかし、薄い笑みを浮かべた口元だけははっきりと見えた。

 少年の服装は、先ほど――なのかどうか、とにかくセクトが意識を失う前までとは、まったく違うものになっていた。

 透けるほど薄い、まるで屍衣のように真っ白な衣装だ。

 床に届くほど長いすそに足は隠され、反対に、肩はむき出しになっている。

 セクトは、はっとした。

 骨が透けて見えるほど、皮膚も肉も薄い身体。

 それでも、分かった。

 こいつは、少年ではない。

 少女だ。

「き、貴様……は……」

 かすれた声で呻いたセクトに、少女が、さっと顔を上げてくる。

 ――セクトは、その瞬間、声をかけたことを後悔した。

 少女の目は、今や、普通の人間のそれではなかった。

 暗闇にらんらんと光る2つの瞳は猫のように縦長で、その虹彩は、血に染まったように赤い。

「やあ。ようやくお目覚めかい? 遅かったね。……ちょっと焦っちゃったよ」

 少女の、おどけたように軽やかな口振りとは対照的に、セクトの口調は、自分でもいらいらするほどゆっくりとしたものだった。

「貴様は、何者だ……?」

 少女は、盛大なため息をついた。

「やれやれ、礼儀作法のなってない男だな。ひとをいきなり貴様呼ばわりとはねぇ……ま、キミたちに礼儀なんてモノを期待するほうが間違ってるのかもしれないけどさ」

 にやりと笑うと、ありえないほど鋭く伸びた犬歯が見える。

 真っ白な手を胸にあてて、少女は言った。

「ボクは、魔術師。不完全な死とかりそめの生命をつかさどり、生と死のはざまにある者たちを統べる、――なんてね、ふふ。なかなかカッコイイだろ?」

 笑みを浮かべる少女とは反対に、セクトは、表情を激しく引きつらせた。

「死霊術使いかっ……そして、その容貌……やはり、貴様!」

 彼の声は、恐怖と、それにまさる嫌悪に満ちていた。

「ヴァンパ……」

 風を切る音が聞こえた。

 次の瞬間、セクトの頬を、真横に振り抜かれた杖の先端が直撃する。

 手加減のない一撃だった。

 さらに、みぞおちを力任せに突かれ、セクトは、血と一緒に割れた歯の欠片を吐き出した。

 ぎりぎりと杖を押し込みながら、少女は牙を剥いて怒鳴った。

「言葉に気をつけろよ! ボクの名はローザ・マギエル・ヘルムヴント。ブラックバス四天王の一人にして、帝国陸軍魔術歩兵団の総長だ! オマエなんかに、怪物呼ばわりされる筋合いはない!」

「な……に……!?」

 激痛のあまり再び遠のきそうになった意識が、少女の一言で、一瞬にして引き戻される。

 セクトは限界まで目を見開き、叫んだ。

「ブラックバス……四天王だと!?」

「そうさ」

 悪鬼の形相をけろりと笑顔に変え、杖を手のなかでくるりと回して、少女――ローザは、いたって軽い口調でうなずいてくる。

 その言葉に、セクトは思わず声を上擦らせていた。

「馬鹿な! そんな、馬鹿な! なぜ――海岸の守りは、万全だったはずだ!」

「おやおや……」

 セクトの狼狽ぶりを嘲るように、ローザは、ことさらにゆっくりとかぶりを振ってみせる。

「あれで万全だなんて、笑わせてくれるなぁ。あんな警備、穴の開いたザルも同然だったよ……ま、Uボートを泊めたところから、ちょっと泳がなきゃならなかったけどね」

「Uボート……?」

 何のことやら理解できず、繰り返したセクトに、あっけらかんとした口調でローザは言い直した。

「ウンター・ゼー・ボート……水の下を行く船。――潜水艦、さ」

 セクトは、今度こそ愕然とした。

「水中を進む、船だと……」

 そんな代物が、帝国の陣営には既に存在するというのか!?

 これはまさしく、すさまじい脅威だった。

 いかに精強を誇るフラバー海軍といえど、海中から攻撃されてはひとたまりもない。

 いや、そもそも、そんなところから敵が来るなどと、いったい誰が予想できるだろうか――

 そんな思いを、彼の表情から読み取ったのだろう。ローザは、にやりと笑みを浮かべて続けた。

「ああ、大丈夫……帝国でも、まだ実用化はされていないよ。何しろアイツは、ただ動かすだけでも膨大な魔力を食うからねえ。ボクみたいな優秀な術者でもなきゃ、とても操縦なんてできないのさ」

「……なるほど……」

 呻くように、しかし先ほどよりはよほど落ち着いた口調で、セクトは呟いた。

 今のローザの言葉を聞いて、覚悟が決まったのだ。

 ――もはや自分は、ここから生きて戻ることはないのだ、と。

 そうでなければ、相手が、軍の最高機密にもあたる情報をうかうかと漏らすはずがないではないか。

「怪物並みの力が必要ということか。それはずいぶんと難しそうだな」

 挑発するように言うと、ローザの表情が面白いように変わった。

 白蝋のような顔にぱっと朱がさし、長い牙が剥き出しになる。

 みぞおちに押しつけられた杖の先端に、ぐっと圧力がかかった。

 ――これで、おしまいか。これで……。

 セクトは、覚悟を決めて目を閉じた。

 しかし、予測に反して、みぞおちを圧迫する力がふっと消える。

 目を開けると、ローザの背中が見えた。

「怪物、……そうさ。この身体を流れる呪われた血のおかげで、ボクが、どれほど苦しんできたか……炎で追われ、石を投げつけられ、闇に隠れてどれほど長いみじめな夜を過ごしてきたか……」

 呪詛のように、異様に軋んだ声で、ローザは呟いていた。

 その華奢な身体を、すさまじいまでの鬼気がとりまいている。

 振り向いてきた表情の凄惨さは、すでに覚悟を決めたセクトをすら、思わず身震いさせるほど。

「くくく。信じないかもしれないけれどねぇ。昔のボクは、それは素直な優しい子だったんだ。素直で優しくて……愚かだったさ。人々が言うとおり、自分は醜い化け物なんだと信じ込んでいた。渇きに耐え切れず生き血をすすっては、死体に向かって泣きながら謝ったものだよ。素直で優しくて、愚かで、卑屈で、みじめなマリー」

「マリー……?」

 ローザは、一瞬、ぽかんとした。

 それから、はっと目を見開き、――やがて、驚きの表情が、ひどく酷薄な笑いに変わっていった。

「それは昔の名さ。……驚いたよ。まだ覚えていたんだねぇ」

 その笑顔は、まるで自分を笑っているように見えた。

 だからだろうか?

 セクトから離れて遠くに向けられた彼女の眼差しに、少しばかり淋しげな色が混じっているように思えたのは……

 しかし、そう感じた次の瞬間、セクトは、否応無しにそんな感慨を振り捨てねばならなかった。

 相変わらず遠くを見つめているローザの目、そこに、徐々にではあるが、夢見るような光が浮かび上がってきたからだ。

 それは、限りなく狂気の色に似ていた。

「でも……ボクは、変わったんだ。古い名を捨ててね。――彼と、出会ったから」

「彼……だと」

 皇帝のことなのか。

 ――そうに違いない。

 直感的に、セクトは悟っていた。

 これほどの術者を配下にし得る男。

 他には考えられない。

 ローザは、夢見るような口ぶりで続ける。

「嬉しかったなぁ。あんなことは、初めてだった。ほんとに初めてだった……。誰かが、ボクの存在を認めてくれるなんて」

 彼女は笑っていた。

 生まれて初めて花束をもらった少女のような、幸せそうな顔で。

「ボクは、そのとき誓ったのさ。この力を、彼の夢を叶えるために使おうって」

「彼の夢……」

 セクトは、ローザの言葉を繰り返した。

 死にゆく自分にはもはや関係のないことだと理性では判断していても、好奇心は抑え切れない。

 ……あるいはそれは、敵の情報は可能な限り収集しておかなくてはという、兵士としての義務感のためだったのかもしれない。

 彼は尋ねた。

「それは、どんな夢だ。皇帝は、いったい、何を望んでいる……?」

「――世界を、変えることさ」

 ローザは、詩歌を吟じるようによどみなく答えた。

「彼のもとで、世界は生まれ変わる――

 皆があるがままに、持てる力を存分に発揮できる世界……種族だとか姿だとか、そんなくだらないことで差別されることのない世界……全ての者が、その実力によってのみ評価される世界に、ね。
 どうだい、理想的だろ?」

 同意を求めるような調子で投げかけられた問いに、セクトは顔をしかめた。

 ――世界を、変える――

 その言葉は彼の耳に、あまりにも非現実的に響いた。

 いや、その一節だけではない。

 ローザが語った内容は、どれも、あまりに理想的に過ぎて――そのゆえに、セクトに不吉な予感を抱かせる。

 そんな彼を見つめながら、ローザは笑みを深くした。

「喜ぶがいいよ。……キミたちは、その理想を実現するための礎となれるんだ」

 ローザが、手にした杖を優雅に振り上げる。

 同時、辺りの闇が急激に駆逐された。

 その瞬間まで暗がりに沈んでいた無数の焚火に、一斉に火が灯ったのだ。

 光が、闇に隠されていたものを照らし出す。

「………………あ……」

 セクトの喉から、ほとんど声にならない、震える呻きが漏れた。

「見るがいい。キミたちに滅びをもたらす戦士たちの姿を」

 厳かな、しかし抑え難い歓喜に彩られたローザの言葉も、もはや耳には届かない。

 広大な地下空間の床を、びっしりと埋め尽くしたモノたち。

 ――それらが《竜牙兵》というものなのだと、彼は知っていた。

 死霊術師が竜の牙を用いて造り出す、生命も心も持たぬ戦士。

 そして、彼は知っていた。

 竜牙兵を生み出す儀式において、最も重要なもの――

 それは――

「これだけかき集めるのは、なかなか骨が折れたよ。1ヶ所で調達すれば、すぐに怪しまれてしまうからね。
 だから、まずは街中に潜りこんで、あちこちの通りで……そして仕上げには海岸で、分散して調達したんだ。《奴隷》の呪文が使えるからこそ、できた仕事さ。キミたちが自分で歩いてくれなきゃ、ボクの細腕じゃ、とても運び切れなかったもの」

 石の床の真ん中が大きく刳り抜かれ、満々と湛えられた赤黒い液体の中に無数の死体が浮かんでいるのを見ても、セクトは吐かなかった。

「そう、コイツらの原料……」

 いつのまにかローザの手には、長いナイフが握られている。

「キミで最後さ」

「――うぉおおおおおおっ!!」

 恐怖、怒り、自分でも理解できないほど一気に噴き出した感情に任せて、セクトは絶叫した。

「ああ、そうだね」

 少女はその喉に鋭い刃を押しつけ、静かに微笑して言った。

「キミなら、30体分にはなるだろう」







   7  鎖



 夜明けが近い。

 しかし、ここには今のところ、時間のことなどを気にしている余裕のある者は、ただの1人もいなかった。

「……むむむ……。こりゃあ、ひどい。よう今まで我慢できたのう」

 薬と血と膿でべったべたに汚れた包帯を慎重にはがしながら、老医師は派手に顔をしかめた。

 ただし、この爺さんの場合、あんまり顔がしわしわなもので、しかめっ面なのか地顔なのか、周囲の人々にはイマイチ判断がつかない。

 ――ここは、フラバー王国じゅうで最も医療の設備が充実している《中央施療院》である。

 そしてこの爺さんは、ここの院長先生なのだった。

 昨日の海戦、結果はフラバーの大勝利だったが、だからといって、味方に何の被害もなかったというわけではない。

 戦争である以上、やはり死者も出たし、軽傷、重傷取り混ぜて、かなりのケガ人も出た。

 とりあえず手近の施療院に収容されたが、そこでは手に余る、という重傷者が、ここに搬送されてきているのである。

 ひっきりなしに、というほどではないが、何しろ重傷だから、治療にも、それだけ手間と技術がいった。

 おかげで、院長以下20名のスタッフ一同、昨日から、ほとんど完徹の勢いで患者を診続けている。

「ええい、せめて、もっと早くここに来とれば……ここまでなる前に、もうちょっと何とかなったんじゃが」

 悔しげに唸る院長先生に、

「一応、緊急の患者さんは、この人で最後です!」

 と、ベテランスタッフのおばちゃんが答える。

 ――やはり疲れのためか、会話もイマイチ噛み合っていない。

 ベッドに寝かされているその兵士は、右腕の、肩から先がぼろぼろになっていた。

 敵船に接舷するときに使う、三つ鉤のフックでやられたのだ。

 傷が化膿し、それが原因で高熱を発している。

 彼の額から吹き出る汗を、おばちゃんが手早く拭う間に、

「ほい、ほい、ほい、ほい……と、よしっ、これで良かろう!」

 歳に似合わぬ器用さでピンセットとガーゼを操り、傷口の汚れを全て取り除いた老医師は、さっと振り向いて、白いカーテン越しに叫んだ。

「王妃様! もう1名、お頼み申しますじゃ!」

「はいっ!」

 そう答え、カーテンをかき分けて現れたのは、王妃の称号が示した通り、フラバー・モジリンその人である。

 彼女は、数人の侍女たちとともに、昨日からずっとここで手伝いを続けていたのだ。

 無残な傷口を目にした途端、その顔色が、さあっと青ざめる。

 しかしモジリンは、そんな自分を叱咤するように表情を引き締めて、兵士の腕に両手をかざした。

 そのまま目を閉じて、一心に念を凝らしはじめる。

「……おお……」

 昨日から、もう何度も見ている場面だが、それでも老医師は、感動の声を抑えられなかった。

 モジリンの集中が増すにつれて、傷口に向けてかざされた彼女の手が、ほのかな赤い光を発しはじめる。

 やがて、その輝きは、兵士の腕全体を優しくいたわるように包み込んだ。

 潰れた傷口が、ひときわ強い燐光に包まれたかと思うと、徐々に塞がりはじめ、その上を、新たな皮膚が滑らかに被ってゆく。

 ややあって、すうっ……と赤い輝きが薄れたときには、傷口は、すでに真新しい傷跡に変わっていた。

「――よっしゃあ!」

 奇跡のような治療が終わると同時、スタッフのおばちゃんが、ぱん! と拳を平手に打ちつけて、元気よく叫んだ。

「腫れ、完全に引いてます! これで熱もすぐ下がりますわ。さすがやなぁー、王妃様は! それに、院長先生も大変ですよねぇ〜。こないに忙しいのて、もう間違いなしに開院以来はじめてですもんねぇ! あ、そや! 2人とも、昨日から全然寝てはらへんでしょ? これで一段落つきましたし、ちょっと休憩してきはったら? 私、この人、病室に連れていきますから! あーちょっと、そこの兄ちゃん! そうそうあんたや、あんた! ちょっとこっち来て手伝ってぇな。はい、そっち持って。ちょっと、何してんの、そこやがな、そこ! ええか? ええな、よし行くで。いっせーの、せっ!」

 ようやく痛みから解放されて力尽きたように眠り込んだ兵士を、おばちゃんは、呼びつけた若いのと共に、担架で診察室から担ぎ出していった。

「はいそこ邪魔! ……はいはいごめんなー、ちょーっと通してや!」

 というおばちゃんの大声が、カーテンの向こうを、快調に遠ざかってゆく――

「…………。元気な方ですね……」

「はい……たとえわしら全員が過労死しても、カトリーヌくんだけは生き残るじゃろうと、もっぱらの評判ですじゃ……」

 思わず、呆然と呟きあう2人。

 一睡もしていないのは、あのおばちゃんも同じはずなのだが、あのバイタリティは、一体どこから湧いてくるのであろうか?

 ナゾである。

「――お、そうじゃそうじゃ。王妃様。本当に、そろそろ休憩なさってくだされ」

「あ、いえ、私はまだ……」

 モジリンはそう言ったが、老医師は首を振って、

「いやいや。わしゃ、こう見えても医者のはしくれですからな。その人の体調は、見りゃ分かります。王妃様に、これ以上の無理はさせられません。休んでくだされ」

「いえ、本当に、大丈夫ですのよ」

 モジリンは、頑固にそう言った。

 一晩中、ほぼぶっ通しで力を使い続けた彼女は、今や、ほとんど気力だけで保ってるような状態だが、だからこそ、疲れていることを自分で認めたら、そのまま総崩れにへたばってしまいそうな気がする。

 まだ休むわけにはいかない。

 いつ、次の急患が入るかも知れないのだ。

 戦えない自分は、せめてこういう形でしか皆の手伝いができないから、という気持ちと、苦しんでいる人々が目の前にいるのに放ってはおけない、という義務感が、今のモジリンを支えていた。

 と、彼女の顔を見つめていた老医師が、不意に、顔じゅうをしわくちゃにして笑った。

 すごく優しげな、――どこか、聖、と呼びたくなるような感じの笑顔だ。

「王妃様のお気持ちは、よーく分かりますじゃ。……しかし、どうか、皆の気持ちを考えてやってくだされ。王妃様が無理をなさって、もしも引っくり返ってしまわれたら、手伝っていただいたわしらも、治していただいた者たちも、申し訳がのうて、どうしてよいやら分かりませんわい。どうか……」

 しわしわの手で、モジリンの手をしっかりと握って、老医師は言った。

「休んでくだされ、王妃様」

 モジリンは、はっと胸をつかれる思いだった。

 自分が無理をするのは人々のためだ、と思っていたが、それは、まったくの思い違いだったのだ。

 自分は、王妃という立場にある者。

 ここで無理に働いて、万が一にも倒れたりしたら、皆の心の重荷になるばかりか、責任問題にまで発展しかねない。

「……分かりましたわ、院長先生」

 モジリンは、にっこりと笑って、言った。

「わたくし、休ませていただくことにします」

「おお、それがよろしい。スタッフの仮眠室が空いておるはずですから、そこをお使いくだされ。――ちぃっとばかり、散らかっとりますがの」

 自分も椅子の上でう〜んと伸びをしながらそう言って、老医師は笑った。

 

      *      *      *



「――あ!」

 診察室から廊下に出てきたモジリンを見て、侍女の1人が声をあげ、ぱたぱたと駆け寄ってきた。

「王妃様!」

「……ああ、セリーナ。ご苦労様」

「いいえぇ、苦労だなんて。ちっともですよぉ」

 モジリンの前に立ったセリーナは、おかっぱに切りそろえた髪を揺らして、ぶんぶんと元気よく首を振った。

 両手に、包帯を満載したケースを抱えている。

 別に特殊能力を持ってるわけではないモジリンの侍女たちだが、人手不足のこの状況下では、施療院のために大いに貢献していた。

 正規のスタッフたちが治療に専念できるように、綿をカットするとか、ゴミを捨てるとかの単純労働は、セリーナたちが一切がっさい請け負っているのである。

「王妃様こそ、大丈夫ですかぁ? お顔の色が良くないようですよぉ。王妃様、一晩中、術を使っておられたでしょう? 私たち、心配してたんですよぉ。ほんとに、そろそろ休憩なさったほうがいいですよぉ」

「ありがとう、セリーナ。今から、休みに行くところなのですよ」

 すると、セリーナはぱっと明るい笑顔を見せて、

「あ、そうなんですかぁ! それがいいですよぉ。えへへ、実は私たちも、仲間同士で交替しながら、ちょっとずつ寝てたりして。だって、身体が保ちませんもんね〜、絶対。で、王妃様はずーっと働いてるのに、こんなことでいいのかな〜って、みんなで言ってたんですよぉ。それで……」

「うおーい! こっち、包帯が足りてねえーっ! すぐ頼むーっ!」

「あっ? と、はいは〜い! ――それじゃ王妃様、どうか、ぐっすりお休みになってくださいねぇ〜!」

 と、笑顔のまま、軽やかに走っていくセリーナ。

 その後ろ姿を見送ってから、モジリンは仮眠室に向かおうとした。

 しかし。

「王妃様?」

「おお、王妃様……」

 セリーナの大声を聞きつけたらしく、廊下のあっちこっちの扉から、ぞろぞろと人々が顔を出す。

 そのほとんどが兵士たちだ。

 入院中の同僚の見舞いに来ている人々である。

「王妃様、本当にお疲れさまです」

「ありがとうございます、おれの友達も、王妃様に治していただいたそうで」

「私の兄も、他の施療院ではムリだと言われたんですが、王妃様のおかげで――」

 たちまちモジリンは、口々に感謝の言葉を述べる人々の輪に囲まれてしまった。

(うっ。……いや、あの、あたしは今から寝にいくところなんで、邪魔しないでほしいんですけど……)

 ――などとは、口に出すどころか、思いもしないモジリンである。

「いいえ、そんな。わたくしは、戦うことができませんから。それで何もしないのは、この国を守るため、勇敢に戦ってくださった皆さんに対して、申し訳ありませんもの」

 その瞬間、おおおっ、とどよめく男たち。

「おいっ、聞いたかよっ、皆!?」

「くううっ! 俺たちの王さまは、何ていい奥さんをお持ちなんだぁっ! あやかれるもんならあやかりてぇっ!」

「オ、オレは、感激のあまり前が見えねぇ……ううう」

「………………」

 あまりの盛り上がりように、モジリンはさすがに困ったよーな顔で固まってしまった。

 と、そのコトにいち早く気付いた隊長格の1人が、部下たちの頭をぱかぱかぱかっ、と叩いて怒鳴る。

「お、おうおうおうっ、てめえら。泣くんじゃあねえっ。王妃様が困っていらっしゃるじゃあねえかっ。――いや、王妃様、お邪魔をしちまって、申し訳ございやせん。もしかして、これからどこかへいらっしゃるところだったんじゃあございやせんかい?」

 なぜだか口調が江戸っ子だ。

「えっ? ……ああ……わたくしは……そう、あの、少し外の空気でも吸ってこようと思いまして」

 ――ここまで盛り上がられた挙句に『寝てきます』とは、さすがに言い辛いもんがある。

「ああ、さようで。――こらてめえらっ、何をボンヤリしてやがんでぃっ。王妃様に道をお開けしねぇかっ!」

 隊長に一喝され、兵士たちはどよどよと左右に分かれて道を開けた。

 ……開けてくれたのはいいのだが、施療院の廊下の両側をびっしりと兵士たちが埋めているその様は、何だかカン違いした花道みたいで、かなり異様だ。

「さあ、どうぞ」

「は、はい……」

 直立不動の兵士たちに左右を固められ、やや戸惑い気味に、モジリンは外へと通じる施療院の玄関扉に向かいはじめた。

 もうこうなったら、寝るのは一時取りやめにして、外へ空気を吸いに出るしかなかろう――

 バァン!!!

「!?」

 その瞬間、兵士たちの行動は素早かった。

 全員が一斉に武器に手をかけ、モジリンを守るように半円形に展開したのである。

 彼らが今、一様ににらみつけているのは、玄関の扉――

 今までは閉まっていたそれが、今は開いている。

 さっきのドデカい音は、つまり、その扉が開いた音だったのだが……

「何者っ!?」

 鋭い誰何の声が飛んだ。

 開いた扉の、その外には、夜明け前の薄闇が広がっている。

 ――そして――

 それを背景に、一人の男が立っていた。

 ちょっと見かけないくらい屈強な身体つきをした大男だ。

 しかし何やら、煤だらけというか泥だらけというか、全身まんべんなく汚れているために、人相がよく分からない。

 黒く汚れた顔の中に、見開かれた目玉だけが白く浮き上がって、ひどく不気味だ。

 しかも、よく見れば、その全身がわなわなと細かく震えている。

「おっ? ……お前、お仲間かよ!?」

 兵士の1人が、驚いたように声をあげた。

 その男が身に着けているのは、汚れ、あちこち破れてはいるが、紛れもなくフラバー王国軍の兵士の制服だ。

「何だ、おい? ケガしてんのか?」

「何やってんだ?」

「――おい?」

 兵士たちの呼びかけを、しかし、男は、聞いてもいないようだった。

「……た……」

 モジリンたちのほうに、ゆっくりと手を差し伸べながら、消え入りそうなうめき声を発する。

「たすけ……たす、け……て……くれ」

 突き出した手をぶるぶる震わせてそこまで言うと、兵士はそのまま、ばったりと床に倒れ込んだ。

 それきり、ぴくりとも動かなくなる。

 ――あまりに唐突な事態の展開に、

「……おい? こら?」

 一同、とりあえず倒れた兵士をそろそろと取り囲んだものの、それ以上は、どう対処してよいやら分からない。

「おい。おいってば。……生きてっか?」

 とりあえず、爪先でつついてみたりする。

「どうしちまったんだ、こいつ?」

「ま……まさか」

 1人が、はっとしたように言った。

「ブラックバスの間者とかにやられた、ってんじゃないだろうな?」

 その一言に、場の空気がさっと凍りつき、一同は、無言で目を見合わせた。

 ――目の前で人間がブッ倒れたというのに、気付けや手当てといった当然の処置には、まるで気が回っていない。

 そんな兵士たちのなかにあって、いち早く冷静さを取り戻し、然るべき行動を起こしたのは、王妃モジリンだった。

「みなさん! 落ちつきましょう。まだ息はあるようです……さあ、少し、場所を空けてくださいな。この方を、ちゃんと寝かせてさしあげなければ……。あの、すみません、どなたか! 急患です!」

「何ですってっ!」

 急患、の一言に反応し、施療院のスタッフたちが、どやどやどやっ! と現れる。

「もしもし? ……もしもし? 大丈夫ですか?」

 スタッフたちは、意識の有無の確認をはじめ、倒れた兵士のあちこちを手際良く調べ始めた。

 ――ややあって、その一人が、首を傾げながら呟く。

「妙だな。どろどろに汚れてはいるが、外傷はなし。体温も脈も、全く正常。……いったい、何があったんだ?」

 そこへ、

「担架持ってきましたーっ!」

 えっほえっほと、担架を担いだ男たちが走ってくる。

「お……重っ! いくぞ? いっせーの、せっ!」

 かくして、謎のぶっ倒れ兵士は担架に乗せられ、一路、診察室へと運ばれていった。

 モジリンをはじめ、なぜか兵士たちまでが、ぞろぞろと後に続く。気になるらしい。

 ぶっ倒れ兵士の身体は、担架ごと、そーっと診療台に下ろされた。

 そのときだ。

「……うっ?」

 びくっ、と身体を震わせて、兵士が不意に目を開く。

「お、気が付いたか。良かっ――」

「ひぃっ!?」

 ほっとしたようなスタッフの言葉をさえぎったのは、兵士の口から洩れた、かすれた悲鳴だった。

 極度に混乱している――というより、怯えているようである。

 彼は、一同をせわしなく見回しながら、ずるずるずる、と寝台の上を後退ろうとした。

 と、その彼の腕をやわらかく引き止めた、真っ白な手がある。

 兵士は、ぎょっとしたように手の主を見やった。

 モジリンだ。

「兵士さん? そんなに恐がらなくてもよろしいのですよ。もう、戦いは終わったのですから。ここは施療院です。誰もあなたを傷つけたりしませんわ。だから、ね?」

 幼子をあやすように、王妃は、そっと兵士の腕に手を置いた。

「怪我をなさっているの? いったい、何があったのか、教えてくださいな」

「……え? あ……ああ……! あの……あの……」

 さっきよりは、ちょびっとマシになったものの、兵士はまだ混乱から立ち直りきれていないようだった。

 口ごもるばかりで、ちっとも話が進まない。

 一刻も早く事情を知りたい人々からすれば、もどかしい限りだ。

 もしもブラックバスの間者にやられた、などということなら、早急に行動を起こさなければならないのである。

 周囲のやきもきした空気を代表するように、さっきの隊長が、どーんと床を踏み鳴らして一喝した。

「てやんでぃっ! この野郎! 大の男が、ごにょごにょごにょごにょ言ってんじゃねいっ! もちっとシャッキリして、はっきり報告しやがれぃっ!」

「まあ……そんな言い方、いけませんわ」

 大声に驚いて顔を上げたモジリンは、その隊長をたしなめるように見つめ、

「この方、ずいぶんひどい目に遭われたようです。ショックで、すぐには言葉が出てこないのでしょう」

 続いて、優しい口調で、兵士をなだめる。

「兵士さん、無理に、急がなくてもよろしいのですよ。ゆっくりお話しになってね」

「ああ……王妃……様……」

 若い兵士は、モジリンの手をぎゅっと握りしめ、うめくように言った。

「間違いない……ほんとに、王妃様だ……。そうですよね……?」

「ええ、そうですよ」

 何のつもりか、妙なコトを口走る兵士に、それでも優しく答えるモジリン。

 その答えに――

 モジリンの手を掴む力が、不意に増した。

 異様な膂力にモジリンが異変を悟るよりも早く、兵士の目が、ぎらりと不穏な輝きを宿す。

 にいっ、と凄みのある笑みを口元に刻み、兵士は、満足げな台詞を吐き出した。

「……やぁーっと捕まえたぜ」

「――――え?」

 この瞬間。

 誰もが、同時に行動を起こした。

「貴様ぁっ!?」

 2人の周囲を囲んでいた兵士たちが、一斉にそれぞれの武器を抜き放つ。

 施療院のスタッフたちは、状況を見て取るが早いか、すっ飛んで場所を譲った。

 彼らと入れ替わるように、十数の刃が、男に向かって一挙になだれかかる――!

 だが、狭い場所にかたまっていたのが、兵士たちにとって仇となった。

 お互いが邪魔になって、存分に武器を振るうことができなかったのだ。

 そんな兵士たちの動きの一瞬の遅滞をついて、ぐったりしていると見えた男は、驚くほど俊敏な動作で跳ね起きた。

 慣れた身ごなしで壁を背にすると、片腕だけで軽々とモジリンの身体を引き寄せ、殺到する兵士たちを防ぐ盾とする。

「おぉーっと! ……それ以上動くんじゃねーぜ、てめーら」

 先程までの弱々しい口調が嘘のような伝法な恫喝に、兵士たちの動きが止まった。

 ――鈍く光る短剣の刃が、モジリンの白い喉に押し当てられている。

 その短剣も、フラバー王国軍で支給されるものだった。

 小作りではあるが高品質で、薄い金属板くらいなら切り裂くこともできるほどだ。

 正規の兵士ならば誰もが常に装備しているもので、現に今も、謎のニセ兵士を取り巻いた兵士たちの多くがこの短剣を抜いている。

 兵士たちにとって、普段は頼もしい短剣の切れ味だが、しかし、この時ばかりは最悪の脅威でしかなかった。

 診療室は物音すらなく静まり返り、物理的な圧迫感すら覚えるほどの緊張感があたりを支配する。

「あ、あなたは、一体――」

 診療室に落ちた硬い沈黙を破ったのは、ニセ兵士の腕に捕らえられた、モジリンその人の声だった。

「何者ですっ?」

 顔色を青ざめさせつつも、彼女は、自分に刃を押しつけている相手に対して、毅然とした口調で誰何する。

 その問いに、

「ん、オレ様かぁ? おお。そんなに知りたきゃ、教えてやるよ」

 ニセ兵士は、口元のにやにや笑いをさらに深くした。

 次の瞬間。

 彼があげた名乗りに、一同は、度肝を抜かれることとなる。

「オレ様の名は、――カクタス。カクタス・アイゼン・ファウステン! ブラックバス四天王の1人にして、帝国陸軍第3師団長様だ! よぉーっく覚えておきな!」

「なっ――」

「何だとっ!?」

「まさか、そんな……!? 嘘だ!」

 言い放たれた言葉に、あるいは絶句し、あるいは、まともに動揺して叫ぶ兵士たち。

 師団長といえば、軍の最高幹部クラスではないか。

 そんな奴が、

 なぜ、

 いきなり、

 たった一人で、

 このフラバー王国の市街地に現れるのだ!?

 カクタスは、一同の驚きようを小気味良さそうに眺めている。

「けけけ。ビビったか? ビビっただろ? なあ? 全然、分かんなかっただろ。苦労したんだぜー。この、ボロい有様演出するためによ。ま、死体から剥いできたヤツだから、衣装は最初からボロかったけどな。わざわざ、そこらへんの地面、ごろごろ転がってみたりとかな」

 ぺらぺらと喋りながら、おもむろにポケットに手を突っ込み、何やら取り出すカクタス。

 それは、華奢なつくりのガラスの小瓶――に、見えた。

 しかし、ただの小瓶であるはずもない。

 カクタスは、短剣を持った片手をモジリンの首にがっちりと巻き付けたまま、もう一方の手で、器用に小瓶の栓を開けた。

「貴様!? 何をする!」

 さては毒か何かか、と色めき立つ一同には全く構わず、カクタスは、瓶の口をモジリンのほうに向けた。

 さすがに怯えの色を隠し切れないモジリンに、妙に優しい声をかける。

「おいおい。そう、ビビんなくてもいいぜ。全然、痛くねーからよ」

 続いて、彼は何やらごにょごにょと呟いた。

 魔法の使い手がこの場にいたならば、その呟きがマジックアイテムを作動させる呪文であることに気付いたであろう。

 兵士たちのうちに魔法の使い手はいなかったが、しかし、次の瞬間には、誰もがその効果を悟らざるを得なかった。

「…………!」

 モジリンが、悲鳴をあげようとするかのように大きく口を開く。

 しかし、その声が聞かれることはついになかった。

 彼女の姿は、不意に紗幕をとおしたようにぼやけたかと思うと、一瞬にして、跡形もなくその場からかき消えてしまったのである。

「き、……きっ、貴様ァ! よくも王妃様を!」

「許せん!」

「――待ちゃあがれッ! てめぇら早まるんじゃねえ!!」

 怒り狂い、人質を失った敵に一斉に飛びかかろうとする兵士たちを、先程カクタスを怒鳴りつけた隊長が、切りつけるような鋭さで制止した。

 その口調のあまりの激しさに、つんのめりそうになりながらも、どうにか、全員が動きを止める。

「けけっ! どーやら、ちゃんと分かってるヤツもいるみてーだな?」

 カクタスは満足げに笑った。

 ちゃっちゃっ、と、片手に握った小瓶を振ってみせる。

「そのオッサンの思ってる通り……てめぇらの大事な王妃さんは、この瓶のなか、ってわけだ。こいつは、どんなにデカい物体でもたちどころに封印しちまえるとゆーすっげーアイテムでよ、こいつをブッ壊しゃ、封印されてるブツも一緒に粉々。……つまり、今の場合は……と? 分かるよな? ちなみにオレ様の握力、340とちょっとあるんで、そこんとこ、よーく考えて動いたほうがいいぜ」

 と、意地の悪い口調で、

「こいつがオレ様の手のうちにある限り、てめーらはオレ様に手出しできねーってわけさ」

「くっ……」

「こいつをダシにして、てめーらと遊ぶっつうのも面白えかもしれねーが――」

 カクタスは、小瓶を軽く手のなかで転がしてみせると、意味ありげな口調で言った。

「残念ながらオレ様には他の用事があるんで、そろそろ、次の行動に移らせてもらおうか。いいな? 王妃さんの命が惜しけりゃ、そっから動くんじゃねーぜ」

 妙にユーモラスな表情で目を見開き、こちらを指差して念を押すが早いか、

「――っしゃぁっ!」

 カクタスは、気合いとともに、背にしていた壁に強烈な後ろ回し蹴りを叩き込んだ!

 どごん!

 派手な破砕音とともに、漆喰塗りの厚い壁が粉塵をあげて砕け散り、人1人が通れるほどの穴がぽっかりと開く。

 蹴りの1発で壁を、しかも、これほど分厚い壁を砕くとは尋常ではない。

 その非常識なまでのパワーに、一瞬、全員の目が点になった。

 その隙に、カクタスは小瓶を持ったまま、穴をくぐって外へと飛び出す。

「――くそっ!!」

 とんでもない事態が進行してゆく間、為す術もなく立ち尽くしたままだった兵士たちは、せめて敵の行く先だけでも突き止めようと、大慌てで追跡を開始した。

「てめっ、バカヤロっ! もたもたすんな!」

「とっとと出ろよっ! 逃げられちまうぞっ!」

「阿呆! ンなクソ狭い穴に、大勢で群がるんじゃねえ! こっちに、ちゃんとした出口があんだろうが、出口がっ!」

 通りに飛び出した兵士たちを、数人の通行人が、まったくびっくり仰天した表情で迎えた。

 それも当然だ。

 いきなり男が壁をブチ抜いて走り去ったかと思いきや、次の瞬間、殺気だった兵士の一団が雪崩をうって走り出てきたのだから、それは度肝を抜かれもする。

「畜生、あいつっ……どっちに行った? ――あ、おい、そこの奴! 今、壁破って出てきた男、どっちに行った!?」

「あっちか? よし、あっちだな! ……あ、お前とお前、本部に報せに走れっ!」

「応援を呼ぶんだ! 先回りして包囲すれば――」

 怒号と指示とが交錯し、兵士たちは一斉に駆け出した。

 しかし、そのときだ。

 遥か彼方から、風に乗って、悲鳴らしきものが聞こえてきたのだ。

 それも、1人や2人のものではない。

 ――カクタスが逃げたのとは、正反対の方向からだ。

「ああぁ!? 何だぁ、今度はっ!」

 兵士たちの大半は、カクタスを追跡するため、既にその場から走り去っていた。

 最後尾にいた数人だけが悲鳴を聞きつけ、その場に踏み留まる。

 1人は、例の隊長。

 そして後は、奇しくも、全員が彼の部下たちだった。

「何なんだよ、くそっ! ――隊長っ! 行きますかっ!?」

「……おう!」

 隊長は、一瞬の逡巡の後、きっぱりと頷いた。

 人々の悲鳴を聞きながら、無視して走り去ることなどできはしない。

 湧き上がってくる不安を噛みしめながら、彼らは一団となって、悲鳴が聞こえた方向へと急ぐ。

 そして――

 3つ目の四ツ辻を過ぎたところで、先頭を走っていた隊長が、ぴたりと立ち止まった。

 後続の兵士たちも足を止めた。

 いや、止めたというよりも――止まった。

「何だぁ……ありゃあ……」

 彼らは一様に目を見開いて、呆けたように立ち尽くし、同時に、まったく同じ台詞を呟いていた。

 通りの向こうから、人々が、こちらに向かって必死の形相で逃げてくる。

 その後ろから――

 見たこともないモノが、姿を現していた。

 数は、ここから見えているだけでも10体近い。

 外見から判断して、スケルトンの一種のようである。

 だが、普通のスケルトンはあんなにデカくない。

 アレは――アレは、身長2メートルの大男の骨格に、ワニの頭蓋骨をくっつけたもの、と言えばぴったりだ。

 しかも、骨格のあちこちからは凶悪な棘が何本も突き出し、その上に、腕と一続きになっているらしい長槍と剣で武装している。

 兵士たちが見ている前で、逃げ遅れた男が長槍で刺された。

 その身体が、串刺しにされたまま冗談のように振り回され、手近の民家の壁に叩き付けられる。

 血を撒き散らして道に転がった身体は、もはやぴくりとも動かない。

「……う……うおおおおっ!」

「野郎!」

 兵士たちは、口々に怒りの叫びをあげた。

 反射的に、隊長の顔を見て判断を仰ぐ。

 数の上では、圧倒的に不利。

 敵の技量は不明だが、見るからに、楽勝の相手ではない。

 隊長の顔は、青ざめていた。

 しかしそこに浮かんだ表情は恐怖ではない。

 怒りだ。

「……畜生、あンのデカブツ……何だか知らねぇが……俺たちだけで、食い止めきれるかどうかも分からねぇが……」

 食いしばった歯のあいだから、獣が唸るように、彼は言った。

「あんなバケモンが、人殺しをすんのを放っとけるか! おうっ、てめぇらっ! 俺に続け! ……あのバケモンを、ぶっ潰すぞっ!」

『おうっ!』

 その数、わずかに6――

 決死の覚悟で抜かれた剣が、折しも地平線を染めた最初の光を照り返して輝いた。

 これこそが、フラバー島本土で行われることとなる、激しい戦いの幕開けであった。







   8  本土決戦



「――オレが出る」

「なりません」

「何でやねん!」

 モッサは、激しい口調で曾祖母に食ってかかった。

 今にも噛みつきそうな彼女に対して、マホナンヌのほうは、石像のような無表情のままだ。

 モッサは、拳をぎりぎりと握りしめながら、目をつりあげ、軋るような声で言った。

「何でやねん。……ブラックバスのヤツらが、オレらの国に入り込んどんねんぞ。そんで、モジリンをさらいよった上に、街のヤツらを殺しとんねんぞっ!? それを、黙って見とれっちゅうんか!? 今すぐに出て行って、ぐっちょんげっちょんにブチのめしたる!

 竜牙兵どもも、そのカクタスとかいう男も、まとめてブチ殺して海に叩き込んだるわ!」

「自惚れるのではありません!」

 普段、めったに声を荒らげることのない祖母が発した怒鳴り声に、ごく一瞬ではあるが、モッサが怯む。

「……年若さゆえの逸りを、認められる状況ではないのです。今は黙って、下がりなさい」

 再び声のトーンを落とし、マホナンヌは言った。

 ――モッサは、それ以上反論しようとはしなかった。

 祖母の怒りをおそれたというより、常に沈着冷静なマホナンヌが一瞬とはいえ激昂したという事実によって、今、王国が直面している事態がどれほど深刻であるか、改めて思い知ったからだ。

 再び、鉛のような沈黙がわだかまる。

 ――ここは、王城のミッション・ルーム。

 『竜牙兵出現』、そして『モジリン捕われる』の報は、わずか15分ばかり前に、ほとんど同時にもたらされた。

 いずれも、息も絶え絶えになるまで全力疾走してきた兵士たちによってだ。

 その情報が伝わって3分も経たないうちに、マホナンヌの命令により、全ての王族が、このミッション・ルームに召集されたのである。

 集まった人々の顔つきは、当然ながらおそろしく厳しい。

 中でも、先ほどから黙ったまま突っ立っているあめえばは、表情こそ落ち着いているように見えるが、顔面は蒼白で、目の色もどこか尋常ではなかった。

「あめえば」

 ししょーが呼びかけるが、あめえばは、反応すらしない。

(私のミスだ!)

 彼は、爪が手のひらの皮を突き破りそうな強さで拳を握り締めていた。

(もっと、警戒を厳重にしていれば……! あのとき、モジリンをうかつに城から出しさえしなければ……!)

「あめえば!」

 ししょーの厳しい声に、あめえばは、のろのろと顔をあげた。

 ――意外なほどに穏やかな母の眼差しが、王の顔に注がれている。

 ししょーは、静かに続けた。

「……過ぎたことを悔やんでも意味ないわ。今は、今の現実に対処するのが先決よ。そうでしょ?」

「そう、――今はあれこれ思い悩んだり、長々と議論をしていられるような時間はありません」

 マホナンヌが顔を上げ、落ち着いた口調で宣言する。

 それと同時、ヴンッ……という低い唸りとともに、一同の足元の床に、王国の俯瞰図が浮かび上がった。

 わずかにざわめいた一同には構わず、マホナンヌは手にしていた扇をパチンと閉じ、それで俯瞰図を指し示しながら、てきぱきと指示を下しはじめる。

「よろしいですか。敵は、一体いつ、どのようにして我が国に潜入したのか? 総戦力はどの程度なのか? ……まだ何一つ分かってはいませんが、それでも、直ちに行動を起こさねばなりません。
 今までにもたらされた報告によれば、竜牙兵は、市街地の北半分の周辺部に、かなりの数で一斉に現れたようです。
 現在、現場は、相当に混乱しています。各地の兵士たちは、充分な情報もないまま、それぞれの拠点防衛に徹しているはず。このままでは、早晩、各個撃破されてしまうでしょう。……その前に、伝令を送って指令系統を復活させ、統率のとれた抗戦を行えるよう、部隊を編成し直すのです。
 また、それと並行して、傷病兵、医療スタッフなどの非戦闘員の避難も行わなくてはなりません。
 ――無論、わたくしたち王族も出撃します。我々は、先のふたつの命令が実行されるあいだ、市街地で竜牙兵と戦い、国民たちが体勢を立て直す時間を稼ぐのです。
 ……まず、エックベルト。あなたは、騎士団を率いて即時出撃なさい」

 マホナンヌの指令を受け、黒い甲冑に身を固めたエックベルトが、一礼を残して駆け出していく。

 ――で、あろうと、誰もが思っていた。

「……どうしたのです?」

 その場を動かず、マホナンヌを見つめている騎士団長の姿を、その場の全員が訝しげに見やった。

 どんな困難な任務にも甘んじて服し、なおかつ完璧にそれを成し遂げるのがエックベルトの身上だ。

 その彼が、命令を受けたにも関わらず行動を起こさないという状況は、彼を知る者にとって、驚き以外の何者でもない。

「……腹でも痛いのか?」

 あめえばが、思わず、深刻な現状を忘れて心配そーな声をあげる。

 その声も耳に入らない様子で、何かを抑えつけているかのような沈黙を守っていたエックベルトだが、やがて、低い呟きがそのくちびるから洩れる。

「――王の軍は、民衆を守るために」

「その通りです」

 この優秀な孫の意図をいまいち理解し切れないながらも、マホナンヌは、揺るぎのない口調で答えた。

「なぜです!」

 急に跳ね上がったエックベルトの声音に、モッサが思わず「うお」と驚く。

「……いえ、分かっています。それが、我々が第一に果たすべき義務であると……しかし、なぜです?
 なぜ、そんなにも、平然としていられるのですか」

 急速に声のトーンを落とし、最後にはほとんどささやくような声で、彼は言った。

「王妃様のことは、捨て置かれると?」

 あめえばが、表情を変えないまま、拳を握り締めた。

 誰もが心の中で思いつつ、しかし口には出さなかったことを、彼は言ったのだ。

 場が、凍りついたように静まり返り――

「エックベルト」

 その沈黙を破ったのは、再び、マホナンヌの声だった。

「敵は、その場でモジリンを殺さず、拉致したのです。このことから、敵は、彼女を人質として、我々に何らかの要求を突きつけてくるつもりであると考えて間違いないでしょう」

「何を要求してくるのかについては、考えたくもないわね」

 ししょーが、彼女にしては珍しく疲れた口調で、ぼそっと言葉をはさむ。

「でも、このことを逆に考えれば、人質としての価値があるあいだは、敵は、モジリンにむやみに危害を加えたりはしないはずだわ……」

 娘の言葉に、重々しく頷いて、マホナンヌは言葉を続けた。

「モジリンを拉致した、カクタスなる男の行方は、今のところ掴めていません。現在の市街地の混乱のなかから、たった1人の男を捜し出すことは、はっきり言って不可能です。よって、敵方から何らかの意思表示があるまでは、今の状況下で我々にできること、――街の人々を守ることに専念すべきでしょう」

 冷淡ともとれるマホナンヌの言葉だが、筋は完璧に通っている。

 というより、感情論を抜きにして考えれば、現状において、これ以外の選択肢は採りようがない。

「分かりましたね、エックベルト」

「はっ……」

 頭を下げながら、彼は、兄の顔に視線を走らせた。

 しかし、あめえばはまっすぐに前を見つめているだけで、その横顔からは感情が読み取れない。

 身を起こしたエックベルトは、抑制の効いた、いつも通りの口調で言った。

「騎士団の、第1から第4までの部隊を率いて出ます。残る部隊は、城の守備にあたらせましょう」

 びしっ! と、非の打ち所のない敬礼を残し、軍靴の音を響かせて、彼はミッション・ルームを出ていった。

 全員が、無言のままにその後ろ姿を見送り――

 あめえばが、何事か言おうと口を開きかける。

 と、その瞬間。いきなり、彼の横手から、ひょいと誰かの手が挙がった。

「何です? ユーリ」

「えーっと……このタイミングでこういう発言をするのは、非常に心苦しいのですが……」

 マホナンヌに問われ、優しげな顔に心底困った表情を浮かべて、彼は言った。

 ――しかし、すらりと伸びた長身を重装甲でくまなく固め、愛用の巨大な青竜堰月刀まで引っ提げた完全無欠の戦争スタイルが、その穏やかな物言いに、全然マッチしていない。

「私も、今すぐランドローヴァルに乗って出るつもりなのですが、まずは母――っと、ヨネ様の身柄の確保にあたる、ということでいいのでしょうか?」

 ユーリの言葉に、マホナンヌは、一瞬、考え込んだ。

 ……モジリンのことは捨て置き、ヨネの救出は行う、というのでは、公正さを欠くようにも思われる。

 しかし、既に敵の手に落ちてしまったモジリンとは違い、ヨネは、まだ市街地に残されている。

 また、少なくとも数名のメイドたちが、現在、彼女と行動を共にしているはずだ。

 戦闘能力のほとんどない彼女たちを、戦場となる市街地に放置しておくのは、みすみす見殺しにするのと同じである。

「許可しましょう。……しかし、ユーリ。ヨネさんの身柄は良いとして、彼女に同行しているメイドたちを、どうやって救い出します?」

 ランドローヴァルはかなりの重さの荷を負って飛ぶことができるが、それでも、3人乗りが限界である。

 いや、ユーリの武装の重さを計算に入れれば、実質、一度に運べるのは1人だけと考えたほうがいい。

「む〜。それは、今、考えてるところなのですが……」

 どうやら、いい案を思いつけずにいるらしく、苦しそうに唸りながら、ユーリ。

 と。

 ピピーッ!

 「おわ!? 何やねんっ?」

 突如、背後から鳴り響いたナゾの電子音に、モッサが驚いて振り返る。

 彼女がもたれていた壁のスピーカーから、その音は聞こえてきたのだ。

「あら。何か、メッセージが入ったようですわね」

 そう言ったのは、ババリンだ。

 さすが、自分たちが作ったものだけあって、でっかい音がいきなり鳴っても驚かない。

 ぷちっ、とババリンがボタンのひとつを押すと同時、今までは真っ暗だったディスプレイに光が灯る。

 そして、映し出されたものは――

 ヨネの顔だった。

「……へっ?」

「ヨネ?」

 一瞬、状況が理解できず、素っ頓狂な声をあげる人々。

『ああ、良かった。
 通じましたね』

 画面の向こうから、にっこりと微笑むヨネに、

「母上!」

 早くも驚きから立ち直ったユーリが、こちらもにっこりと言った。

「ご無事で何よりです。今、どこにおられるのです? メイドたちも一緒ですか? これから、とりあえずそちらに行こうと思っているのですが……」

 ユーリの言葉に、しかし、ヨネは、軽く首を振った。

『ああ、いえ、その必要はないですよ。

 わたしたちのことなら、大丈夫ですから』

「――は? いえ、しかし……」

 と、何やら言いかけたユーリを、

『え〜と、ですね。
 今から、ちゃんと、何がどうなっているのか説明します』

 穏やかにさえぎって、画面の中のヨネは、自分の背後を示した。

 そこには、この、一同が集うミッション・ルームと似たような内装が映っている。

『ここは、第3研究所なのです』

「あら」

 と、声をあげたのは、ししょーだ。

「そこって確か、……東の臨時避難所のひとつに指定されてる所じゃなかった?」

『あ、その通りです、ししょー様。
 わたしたち、当初は施療院のほうにいたのですが、竜牙兵がこちらへ向かっているという報せが届いたので、付近にいらっしゃった方々とともに、ここに逃げこんだのです。
 防護扉を全て下ろしてありますから、中はすっかり安全ですよ。
 食糧や水の備蓄もちゃんとあるので、しばらくは、ここに立てこもることにしました。
 ――そんなわけで、こちらのことは心配しないで、市街地の皆さんを助けてさしあげてくださいね』

「分かりました、母上!」

 打てば響く、という勢いで、ヨネの言葉に答えるユーリ。

「そうとなれば、私は直ちに出撃し、人々の援護にあたりましょう!」

『ええ、ぜひ、そうしてください。
 それでは。
 第3研究所より、陰ながら、皆さんの武運をお祈りしています〜……』

 にこやかに手を振るヨネの姿を最後に、画像は消えていった。

「……というわけで、出ます。よろしいでしょうか?」

 と、ユーリがマホナンヌを振り向き、

「許可します」

 と、マホナンヌが頷いた。

 ユーリはにこっと笑うと、そのままミッション・ルームを駆け出してゆく。

 ――続いて、あめえばがまたも何やら言いかかるが、

「あーっ! はいっ、はいはいはいっ。わたくしたちも、出撃しますわよ!」

「そーよ、そーそー! 何しろあたしたちには、究極の秘密兵器があるんだから!」

 それよりも一瞬早く、それまで意味ありげに目配せを送りあっていたかっきー&ババリンの2人組が、ほとんど同時に声を張りあげた。

「えェっ!?」

 さすがにこれには虚を突かれ、予定していたセリフを飲み込んで、思わず、といった調子で尋ねるあめえば。

「ちょっと待ってくださいよ。……本気ですか? おば上たちが接近戦というのは、いくら何でも、無謀すぎるよーな気が――」

「ふーっふっふ。あたしたちの科学力をなめてもらっちゃ困るわね」

 ちっちっちっ、と指を振って、かっきー。

 続いてババリンも、

「ホーッホッホ。そうですわよ、国王。このわたくしたちが、素手での殴り合いなどという低次元な戦い方をするとでも思って?」

「……低次元な戦い方で悪かったな……」

 ボソッとモッサ(格闘家)が呟くが、とりあえず、誰の耳にも入らなかった。

「じゃ、一体、どうする気なんです?」

 どうにも分からん、といった顔で首を傾げるあめえばの目の前に、

『じゃーん!』

 と、声すらぴったりハモらせて、かっきー&ババリンが、隠し持っていた1枚の画用紙――もとい、設計図を突きつける。

 そこに描かれていたのは――

「なっ……何なんです? この……太ったダルマに、無理やり人の手足をくっ付けたみたいな物体は……?」

 しかもさりげに『全高/5メートル』とか書いてある。

「ふーっふっふ! 聞いて驚き、見て驚きなさいっ! これぞ、あたしたちが総力を結集して作り上げた、フラバー魔法科学技術の精髄! ――最新鋭の戦闘補助システムにプラスして、対魔術用バリアー発生装置をも組み込んだ、強力無比の装甲スーツよ!」

「すでに、地下の研究室にスタンバイ済みですのよ。これを身につけたわたくしたちの手にかかれば、竜牙兵の100や200、屁の突っ張りにもなりませんわね、ホーッホッホッホッ!……というわけで、行ってきますわ。吉報を待っていてちょうだい!」

 言うだけ言って、大騒ぎしながらミッション・ルームを出てゆく、国王のおば2人組。

「――って、結局殴り合いやないかいっ!」

「ああ、あんなダルマで……」

 思わずあれこれと呟く、残された人々。

「止めないの? お母様」

 ししょーが、マホナンヌに呟く。

「止めるタイミングを逃したわ。……まあ、好きに戦わせるわよ。あの2人のことだから、死にはしないでしょうし」

 ――と。

「大おばさまたちが、出られましたか……」

 いきなり聞こえたそんな声に、一同ははっとして振り向き、驚きの声をあげた。

「ドイッチ!」

「おいおい、オマエ、起きて大丈夫なんか?」

「ああ、もう大丈夫。――ほらこの通り」

 と、入り口に立ち、ひょいと片手を広げてみせたドイッチは、いつものメガネに神官服姿だ。

 大急ぎで着替えてきたらしく、ちょっとボサボサになった赤毛をもう片方の手で撫でつけながら、

「もう、だいぶ元気になりましたよ。今までは、大事をとって、ってコトで、ほとんど無理やり寝かされてたんですけど……どうやら、のんびり寝てられる状況じゃなくなってるみたいですからね」

 と、肩をすくめる。

「ちょっと。まさか出撃するつもり? それは許さないわよ。いくら何でも、一晩寝たくらいで、あれだけの疲労を回復できるわけがないもの」

 ししょーが、ちょっと厳しい口調で言うが、ドイッチは、あっさり首を振った。

「いえ。さすがに、まだそこまでの本調子じゃありません。……だから、戦いには参加できませんが、その代わりに、せめて、神殿への避難の監督だけでもつとめたいのです」

「……おー。なるほど」

 一瞬の後、ししょーは、納得がいったようにうなずいた。

 にょろの神殿は、市街地の南にある。

 竜牙兵は、市街地の北部で暴れているのだから、南へ行く分には、戦う必要はない。

 そして、北からの避難民が街の南側に流入していることを考えると、国民たちの信頼厚い大神官のドイッチは、まさにその監督にうってつけの人材だ。

「いいでしょう。城詰めの騎士を何人か、護衛に連れていきなさい。くれぐれも、無理はしないようにね」

「はいっ。それでは行ってまいります!」

 言って、深々と頭を下げ、駆け出してゆくドイッチ。

 ――と、ここに至ってよーやくタイミングを得たあめえばが、どーんと仁王立ちになり、びしっと親指まで立てて、堂々と決意を表明した。

「よしっ! この未曾有の国難にあたって、エックベルトやユーリやおば上たちが出撃し、疲れ気味なドイッチまでもが働くとなれば、私も当然、黙ってはいられません!
 国王あめえば、親衛隊を率いて、直ちに出ますっ!」

「お待ちなさい」

「…………へ?」

 もう、半ば身をひるがえしかけていたあめえばは、きょとん、とした表情で一回転し、振り返る。

 その視線の先で――

 マホナンヌは、静かに続けた。

「あなたは、残るのです」

 祖母の言葉に、あめえばはしばし、水から揚がった金魚のように口をぱくぱくさせていたが、

「……ど、どうしてですっ? 街が大変なのに、私が――」

 やがて、信じられない、といった口調で言い募る。

「国王である私が出ないで、どうするんですか!?」

「あなたに万が一のことがあれば、国が揺らぐのです、あめえば。軽率な行動は許しません」

 マホナンヌは、厳しい口調でそう言い放った。

「はぁっ? いや……でも、えっ? しかし、おばあさま。海戦のときは――」

「今回の敵は、格が違います」

 半ば混乱状態のあめえばとは対照的に、マホナンヌの口振りは揺るぎない。

「敵は、竜牙兵だけではない。そのことを、忘れているのではありませんか?
 モジリンを拉致した男の言葉を信じるならば――その者は、ブラックバス四天王なのですよ。皇帝直属の配下、最強の4人……仮にもその一角を占める者ならば、並の兵士の100人やそこら、束にしても比べ物にならないほどの実力を持っているはず。うかつに出れば、あなたとて、無事に帰れるという保証はありません。
 というより……敵の狙いは、おそらく、あなたでしょう、あめえば。そうでなければ、わざわざモジリンを人質に取る理由がありませんからね。この状況で出撃するなど、敵の罠に、自らはまりにいくようなもの。事態悪化の可能性を高めるだけです」

 ――そう。

 その通りだ。

 だが、それでもなお、あめえばは、諦め切れない。

「……しかし、そうは仰いますが、おばあさま。仮に私が……」

 彼は祖母に反論すべく、真っ向からその目を見つめて言いかけ――

 不意に、言葉を切った。

 まるで、それより先を、口にすることをためらうように。

「何です?」

「あー、その、ええと。だからですね……」

 促され、一転して半笑いのような微妙な表情を浮かべて、あめえばは言った。

「もしも私が――まあ、あんまり考えたくないことではあるんですけど――戦いで、どーにかなっちゃったとしてもですよ。私に代わる人はいるでしょう? ほら、エックとか」

 彼の言葉に――

 一同は、黙ったまま、彼を見つめていた。

 もっとも、それぞれ微妙に意味合いの異なる沈黙ではあったが。

 一番明白に表情を変えたのは、ししょーだった。

(何を言い出すのかしら、このバカ息子は……)

 とでも言いたげな呆れ顔で、肩をすくめる。

 あめえばは、そのまま言葉を続けた。

「ドーもいることだし……あ、それこそ、母上やおばあさまが頑張って、もう一度即位なさったって――」

「あめえば!!」

 不意に、マホナンヌが怒鳴った。

 全員が、弾かれたようにそちらを見る。

 あめえばも、驚いて口をつぐんだ。

 マホナンヌは、まっすぐに、孫である国王をにらみつけていた。

 その視線の圧力に耐えかねて、あめえばの瞳が、微妙に揺れている。

 目を逸らしたいが、できないでいるのだ。

「一国の王が敵の手にかかって命を落とす、ということが、どういうことか――」

 静かに言いながら、マホナンヌは一歩、また一歩と、あめえばに詰め寄ってゆく。

 上背ならば、あめえばのほうが上。だが、その場の誰の目にも、マホナンヌの姿のほうが大きく映っていた。

 とん、と閉じた扇で、目の前の国王の胸を突き、年老いた建国の女王は問うた。

「それがどういうことか、分かっているのですか」

 沈黙が、落ちた。

 先程とは違い、誰も、ぴくりとも動かずに、成り行きを見守っている。

 ややあって――

「……そう……」

 あめえばは、ぽつりと言った。

「そう……ですね。仰るとおりです。出撃はあきらめます……」

 彼も、理解したのだ。

 国王は、即ち国の象徴。

 そして、あめえばは王国最強の剣士だ。

 万が一にも、その彼が倒された、などということになったら――

 国民たちの戦意は、一挙に挫かれる。

 そうなったら、絶対に、持ちこたえることはできないと。

 重苦しい沈黙に支配されたミッション・ルームに、不意に、明るい声が響いた。

「それなら、われがでる」

「――ドー?」

 今の今まで、黙ったまま事態を見守っていたドーが、いきなり口を開いたのだ。

 幼い王女は、てってってっ、と一同の真ん中に進み出ると、何のつもりか胸の前で手を組み、すーっ、と息を吸い込んだ。

「?」

 疑問符を浮かべて見守る一同の前で、ドーは、朗々と声をあげた。

「はげしいせめいくさでは、いつもせんとうにたち、
 ひっしのにげいくさでは、いつもしんがりをつとめ、
 こくないにききんがあれば、だれよりもまずしいたべものをたべながらも、
 だれよりもりっぱないふくをきて、だれよりもおおごえでわらってみせる。
 それが、おうというものである」

 マホナンヌ、ししょー、そしてあめえばが、思わず、顔を見合わせる。

 それは、古の物語に記され、国王となる者が必ず学ぶ教え。

 マホナンヌも、ししょーも、そしてあめえばも学んできた言葉だ。

 幼いドー――

 未来の女王は、このときすでに、その言葉を自分のものにしていた。

「とーさまは、こくおうだから、ほんとうは、そうしたい。いちばんまえにでて、みんなといっしょにたたかいたい。かーさまを、たすけたい。……けど、いまは、できないからー、われが、かわりにでる」

 事態の深刻さとは無縁の笑顔で、ドーは言った。

「われは、おうじょだから、そうしないといけないんだ」

「……さーて。となればそろそろ、オレも出撃の許可をもらおか」

 その時になって、ドーと並ぶように――

 見方によっては、その前に立とうとするかのように、ずいっと進み出たのは、今まで壁にもたれていたモッサだ。

「なあ、ひぃババ。当然、コイツ、出すんやろ?」

 と、ドーを指し、その指を自分の胸に当てて、

「オレより小っこいコイツが出て、オレがアカンちゅうコトは、当然、ないやろなぁ。――あ。大丈夫や。そのカクタスちゅうヤツには手ェは出さへん。この拳にかけて誓うわ。……どや。これで、ええな?」

 挑むように、マホナンヌを見上げる。

 マホナンヌは、しばし、曾孫の目をじっと見返していたが――

 やがて、小さくため息をついた。

「……やれやれ。わたくしの身内には、どうしてこう、己の意地を貫きたがる者が多いのかしらね」

「それは、たぶんお母さまの影響……」

「――許可しましょう」

 ししょーの呟きは敢えて聞かず、マホナンヌ。

「……ありがとさん。ほな」

「いってくるー」

「気ぃつけてなぁ」

 廊下に出てゆく2人の娘の後ろ姿に、思わず、長老調で手を振るあめえば。

 ドーは振り向いてぱたぱたと手を振り返し、モッサはといえば、対照的にすたすたと歩み去っていくかに見えたが……

「――ああ、そや」

 何かに気付いたかのように、不意に立ち止まった。

 振り返って、言う。

「ババとひぃババは、どうするつもりなんか知らんけど、……オレ的には、オヤジと、城に残っててもらいたいねん。
 何しろ、こんな状況や。前にもいっぺん暴動寸前までいったくらいやし、城に避難してきてる連中、不安で、暴発しよるかもしれへん。そうなったら、オヤジだけで抑え切れるか分からん。
 オレら、出たはええけど、そのあいだに内応で城が陥ちて帰るとこがなくなりました、なんちゅーコトになったら、笑い話にもならへんからなぁ」

「し、信用ないな〜……」

 娘の辛辣な言葉に、思わず、頭を抱えるあめえば。

「それに」

 びしっ、と指を突きつけて、モッサは、言葉を続けた。

「四天王、やで。カクタスとかゆうのんの他に、あと3人。――セットで動いてる可能性も捨て切られへん。最終兵器は、温存しとくべきや」

 そこまで言って、ひらっと手を振り、未練もなく背を向けて歩み去ってゆく。

 ややあって、残った3人は――

「……策士だわ」

「あんたも見習いなさいね」

「ううう」

 それぞれに、思い思いのコメントを洩らしたのだった。







   9  きらめき



 街の西側の、その通りに、人影は全くなかった。

 閑静な住宅街の一角である。

 すでに、この辺りの施療院にいた人々のほとんどは、ここから程近い《迷路の森》に避難を完了していた。

 この付近には、まだ竜牙兵も姿を現しておらず、人々にとっては状況がよく分からないままの避難だったのだが、それでも大した混乱が起こらなかったのは、ひとえに、この地域を管轄していた警備隊の的確な指示のおかげだった。

 避難の際、人々の先導をしたり、ケガ人に肩を貸したりと活躍した兵士たちも、すでにその役目を終え、街の北側――激しい戦いが起こっている辺りに、応援に赴いている。

 街は、からっぽになっていた。

 と、そこへ――

 無人の通りをこちらに近づく、ザッザッザッという足音が聞こえてくる。

 ややあって、駆け足で姿を現したのは、5つの人影だった。

 全員が、フラバー王国魔術師団のトレードマーク、水色のローブをまとっている。

 しかし。

 見るものが見れば、即座に、この状況の不自然さに気づいただろう。

 おおかたの魔術師は、接近戦には涙が出るほど弱い。

 のたのた呪文を唱えているあいだにガツンとやられればおしまいだ。

 そこで、戦いの場においては常に、壁となってくれる戦士と共に行動するのが、魔術師のならいである。

 ――だからこそ、この戦時下の街で、魔術師ばかりが、5人という中途半端な人数で連れ立っているというのは、どう考えても妙なのだ。

 さて、この奇妙な集団がようやく足を止めたのは、ある路地の横を通り過ぎた瞬間だった。

「とっ、とと……」

 いったん路地を行き過ぎた先頭の1人が、わたわたっと腕を振って止まった。

 付き従う4人が、ひたり、と足を止める。

「……い、今、チラッとみ、見えたの……もしかしてそ、そうかな?」

 聞き取りづらい呟きを洩らしながら、その人物は、そろそろと戻ってきた。

 その声は、高くかすれてはいたが、紛れもなく少年のものである。

 少年は水色のフードを後ろにずらし、恐る恐るといった様子で暗い路地――というより、家と家のあいだの隙間――をのぞき込んだ。

 わずかに波打った、薄茶色の長い前髪が、両目をほとんど隠している。

 顔立ちはのっぺりとしていて、肌は青白い。

 体格もひょろひょろで、どうにも不健康そうな印象だ。

「……あ、あ、あった! ……あ、あれがそ、そうだ、きっと……」

 指差して――というか、指先がやたらと震えているので正確には指差せていなかったが、とにかく少年はそう叫んだ。

 路地の少し奥まったあたりの地面に、何やら大きなメダルのようなものがはめ込まれている。

 少年は、おどおどとあたりの様子をうかがってから、まるで地雷原を行くようなおっかなびっくりの足取りで、路地に足を踏み入れた。

 1メートル進むのにたっぷり10秒はかけつつ、ようやく目的の場所までたどり着く。

「ま、ま、ま、間違いな、ない……。こ……ここ、これだ……」

 緊張のあまり卒倒しそうな表情で少年が見下ろしているのは、石畳に埋め込まれた、大きな黒いメダルとでもいうべきモノだった。

 ――マンホールである。

 しかし、これは、ただの下水道とか上水道とかに通じるマンホールではない。

 黒光りするフタの表面には、草花がからみあったような複雑な模様が刻印され、その周囲を囲むように、こんな文字が記されていた。

『ふらばぁ・ねっとわーく』

 少年はしばし、握った両拳をぶるぶる震わせながら、その文字を凝視していた。

 ……が、ややあって、自分が一人でひたすら力んでいても事態はまったく進展しないということに気付いたらしい。

「グ、グノシェンヌ!」

 緊張のゆえか、中途半端に裏返った情けない声で、彼は、背後に呼びかけた。

 1列で控えていた4人のうち、先頭の1人が、無言のまま前に出てくる。

 この様子を見る限り、どうやらこの5人組のうち、一番エラいのが少年であるらしい。

 しかし、体格といい物腰といい、進み出てきたローブ姿のほうが、十数倍は貫禄がある。

「こ……こここれを開けてほ、ほしいんだけど……あっ……」

 ぽん――というほど勢いよくはなく、ぺた、という感じで手を打って、少年は呟いた。

「そ、その服、君には、ジャマだろ……? もう、ぬ、脱いでも構わないよ。他のみ、皆も、脱いでいいから……」

 その言葉に――

 すっ、と全く同時に、全く同じ動きで、4人の男たちはローブに手をかけた。

 ゆったりとした袖口に隠されていた手は、金属製の手甲で完全に覆われている。

 ――いや――

 ばっ! とローブを脱ぎ捨てた男たちの姿を、その瞬間、もしも目撃していた者がいたならば、悲鳴すら上げられずにその場にへたり込んだかもしれない。

 その男たちは、人間ではなかった。

 ……いや、生物ですらなかった。

 まるで、人型ロボットと、皮を剥いだ人体を無理やり組み合わせたような、異様な外見だ。

 金属製の外骨格の隙間から、ぶよぶよとした真っ赤な人工筋肉がうごめいているのが見える。

 先ほど手甲と見えたものは、彼らの手そのものだったのだ。

 ――ガーディアン。

 少年は、こいつらをそう呼んでいる。

「……う、く……よっ……よいしょっ、と……」

 ガーディアンたちの10倍ほどの時間をかけて、少年は、ようやくローブを脱ぎ捨てた。

 水色の布地の下に隠されていたのは、妙に不似合いな、黒い軍服姿である。

 不似合いといえば、その胸元にずらりと並んだ略章も、少年の外見とはやたらにアンバランスだった。

 ひょろひょろの体格は軍人には見えないし、ましてや、優秀な軍人には到底見えないのだが……

「よ、よし。や、や、やるんだ、グノシェンヌ!」

 慌て気味に脇へよけ、少年が叫ぶ。

 その瞬間、じゃきんっ! という音と共に、グノシェンヌと呼ばれたガーディアンの手首から、長大な三日月型のブレードが飛び出した。

 命令に応えて、彼(?)は無造作にその手を振り上げ、機械ならではのためらいのなさで、勢いよく振り下ろす!

 ガチン!!

 赤い火花が飛び散り、地面と蓋とのあいだに鎌の刃が突き刺さった。

「い、いいぞ! そ、そのまま、開けて……」

 主人の命令に従い、グノシェンヌは刃をぐりぐりと捻って角度を調整すると、一気に身体を傾ける。

 ごっ……! と鈍い音が上がると同時、蓋がずれ、まん丸い穴と、――その下の溝に収められた、色とりどりの回線の束が姿を現した。

「や……やった」

 それらを見下ろし、引きつった、しかし今までとは微妙に違う真剣さのこもった声で少年は呟いた。

 細い指が、無意識のうちに、軍服の胸元につけられた紋章をまさぐっている。

 その意匠は《牙持つ魚》――

 少年の名は、ロータス・ヘル・エーガーラント。

 ブラックバス帝国陸軍、電脳研究所特別主任。

「……うう……い、いくら、敵の目を欺くためってい、言っても……こ、こんな場所でダイブして、ホ、ホントに、だだ大丈夫かな……? ちょ、ちょ、ちょっとだけ……てゆーか、か、かなり怖いなぁ……。で、で、でも、ほ、他の人たちも、頑張ってるんだし……や、やらないと、おおお、怒られちゃうし……」

 物々しい肩書きにそぐわない、とことん情けない口調で呻きながら、ロータスは穴の縁にしゃがみ込んだ。

「や……やるしか、ない。やるしかないよ……やるんだ……ぼ、僕はロータス・ヘル・エーガーラント、こ、この僕に、破れないセキュリティは、な、ないんだから……!」

 自分に暗示をかけるようにぶつぶつぶつぶつと呟きながら、首の後ろに片手を回す。

 しゅっ! しゅっ! しゅんっ!

 髪の中に隠されていたケーブルが、続けざまに引き出された。

 と同時、配線の束にかかったロータスのもう一方の手の指先は、まるでロボットのように素早く動き、接続に必要な端末を選び出している。

 ――見かけはとことん情けないが、どうやら、あなどってかかれる敵ではなさそうだ。

「こ、こ、これは、い、一瞬の勝負だよ……フラバーが走らせてる《偵察》に《隠形》で対抗しながら《溶解》でセキュリティの壁を突破……し、しかも、破ったことがバレないように《幻覚》も仕掛けなきゃ……」

 余人には何だか分からん呟きを漏らしつつ、ロータスは、選び出した端末に、手早くケーブルをつないでゆく。

 そして、

「よ、よ、よ、よしっ……い、い、い、い……行くぞ……ッ!!」

 どうも気合いの入りきらない掛け声とともに、最後のケーブルが、カチッと音を立てて接続された――



      *     *     *



「……あらっ?」

 いつもは愛嬌のあるにこにこ顔に、今は隠し切れない不安を浮かべて両手を揉み合わせながら部屋のなかをうろうろしていたエリスは、ふと、あるモノに目を留めて小さく声をあげた。

 第3研究所――正確に言えば『王立魔法科学技術研究所・第3支部』の建物の中枢部である、地上階のコンピュータ・ルーム。

 廊下や他の部屋は、避難してきた大勢の非戦闘員たちであふれ返っているのだが、この広大な空間にいるのは、エリスと、彼女の同僚であるメイドたち――

 そして、もう1人だけ。

 部屋の中央、巨大な柱のようにそびえ立つ《電脳》と向き合うように、ネットランニング用のゆったりとした椅子が設置されている。

 そこに横になっているのは、フラバー最高の《電脳使い》たるヨネだ。

 エリスが声をあげた原因は、そのヨネの、枕元に置かれたひとつの物体であった。

 ――手のひらに乗っかりそうなサイズの、かわいい女の子の人形。

 しかし、エリスが思わず注目した理由は、無機的なコンピュータ・ルームのど真ん中にかわいらしいお人形、というシュールなミスマッチさのためではない。

 彼女は、その人形に見覚えがあったのである。

「まあ……! ヨネ様! それって、みっちい様に差し上げたお人形の片割れさんですよね? ひょっとして、持ち歩いておいでになってたんですか?」

「え? ……あっ、はい。そうなんです」

 にこにこと、ヨネが答える。

「何となく、置きっぱなしにできなくて。――というより、このお人形があると、何だか心強い感じがするのですわ。まるで、本当にみっちいさんが側にいらっしゃるような気がして……」

 栗色の髪の人形は、元・フラバー王国宰相(にして国王の愛人)であるみっちいの面影を、驚くほどよく留めていた。

 ヨネが手ずから縫い上げた2体のうちの1体だ。

 そして、もう1体は、遥か時空を超えた世界――

 今は元の世界に戻っている、みっちいの手元にあるはずだった。

「……何だか、懐かしいですよね。まだ、みっちい様が元の世界に還られてから、ひと月ちょっとしか経ってないのに」

 少しばかりしみじみとした口調で、エリスの同僚であるメイドの一人が呟く。

 そもそも思い返せば、みっちいが元の世界へ帰還することになったのも、ブラックバス帝国の侵攻が決定的になったからだった。

 それからほんのひと月で、本当に戦争が始まってしまうとは、あの時には全く実感できていなかったが。

 エリスはため息をついた。

 ここまで先行きが不透明な事態というものを、彼女は今まで、ついぞ経験したことがなかった。

 俗に、戦闘は水物というが、まったくその通りである。

 つい昨日、大勝利に湧いたと思っていたら、今日は運命のルーレットが引っくり返ったかのような形勢逆転だ。

 この目で直接見たわけではないが、敵は、竜牙兵と呼ばれる魔法兵器を駆使しているという。

 この第3研究所の周囲にも、今、そいつらがいるそうだが……。

 本当に、大丈夫なのだろうか。

 防護扉はすべて下ろしてあるが、もしも、それが破られてしまったら?

 もしも、何かの間違いで、扉が開いてしまったら――?

「大丈夫ですよ」

 メイドたちの表情に色濃く現れている不安を見てとり、ヨネは、力づけるような調子で言った。

「息子のユーリ――それに、かっきー様やババリン様、モッサさんも出撃なさっているはずです。王国軍の兵士の方々も、奮戦なさっているでしょう。大丈夫。フラバーが負けることは、ありませんよ」

「そ……そうですね、ヨネ様。そうですよね!」

 メイドたちは、うんうんと何度も頷いた。

「弱気になっちゃ、いけませんわよね!」

「よおし! あたしも気合い、入れなくっちゃ」

「その意気です〜。やっと、いつもの皆さんらしくなりましたね」

 にこやかに言うヨネ。

「この国が平和になれば、また、みっちいさんにも遊びにきていただけるでしょう。1日も早くそうなるように、私たちもがんばらなくては」

「はいっ、ヨネ様!」

 一同を代表するように、エリスが、びしと気をつけの姿勢で敬礼する。

 左手の指は、腰に下げたレイピアの柄にかかっていた。

 この場にいるメイドたちは、全員が、軽い革の鎧に身を包み、おそろいのレイピアをたずさえているのだった。

 ……非常時ということで、万が一の事態に備えて武装しているわけだが、一介のメイドが剣をぶん回さざるを得ないような『万が一の事態』が本当に来てしまったら、それは、もはやダメなんじゃないのかという気もする。

「ヨネ様の戦場は、ネットワーク上ですもんね。あたしは、そーゆーの、まったくてんで分かりませんけど……。でも、ヨネ様が

《あっち側》で心置きなく戦えるように、お身体のほうはばっちり、このエリスにお任せください! もしもの時は、このあたしが、命に替えてもお守りしますからねっ!」

 意気込むエリスに、ヨネはちょっと困ったような、微妙な表情を向けた。

 エリスは気立ての優しい、争いには向かない娘だ。

 本当なら、剣どころか、棒切れ1本握るのもふさわしくないような子なのだが……。

「ええ……お願いしますよ」

「はいっ。必ず!」

 ヨネの心の内を知ってか知らずか、エリスは固い決意を表情にみなぎらせて、ぐっと拳をかためたのだった。



      *     *     *



 薄暗く狭い路地の奥――

 ガーディアンたちに見守られながら、ロータスは地面にあぐらをかいて座りこみ、微動だにせずうつむいていた。

 その後ろ髪の中に混じって伸びた数本のケーブルは、彼の目の前に開いたマンホールの中の、色鮮やかな回線の束へと繋がっている。

 他の者が見れば、単に瞑想しているようにしか見えないが、現在、ロータスの頭脳はとてつもなく高度な演算処理を行なっている真っ最中だった。

 彼が接続しているケーブルは、フラバーたちが利用している通信回線。

 各《研究所》を結び、王城のコンピュータ・ルームにも繋がっている、いわば、フラバー王国の情報面での大動脈とも呼ぶべき代物だ。

 もちろん、それだけに厳重な防衛プログラムが幾重にも仕掛けられており、その壁を突破することは、生半可な知識と技術では到底不可能である。

 ましてや、フラバーたちに気付かれないように、となると、これはもうほとんど神業に近い能力が必要だ――

 その神業的能力を持ち合わせた者が、ここにいた。

「……でっ……で、できたぁ!」

 それまでぴくりとも動かず、一心に集中していたロータスが、急にがばぁっ! と立ち上がった。

 普通の人間なら驚いてのけぞるところだが、感情を持ち合わせないガーディアンたちは平然としている。

「とっ、突破したぞ! えへ……えへへ。や、やった。ねえ、やったよ、グノシェンヌ……! こ、これでヤツらの電脳に、ア、アクセスできる。ね、ぼ、僕が言った通りだったろ。僕に、破れないセ、セキュリティは、な、ないんだって……」

 ロータスは、忠実なガーディアンの肩に細い指を置いて、真剣に言い聞かせた。

 迂闊に深夜にでも目撃しようもんなら一生トラウマになりそうな醜悪な外見のガーディアンたちだが、ロータスにとっては、彼らこそが、唯一心を許せる友人なのだった。

「そ、それじゃあ、――よし、ぼ、僕は、僕の任務を果たさなくちゃ……。グノシェンヌ、ぼ、僕はこれから、ネットランニングに入るからね。な、何があっても僕をし、しっかり、守るんだよ。いいね?」

 ガーディアンは、ボールのような頭を上下させ、うなずくような仕草を見せた。

「ノクチュルヌも、サラバンドも、ジムノぺディも、わ、分かったね?」

 舌を噛みそうなガーディアンたちの名だけは、すらすらと口から出てくるロータスである。そんな主人の言葉に応え、彼ら――と呼んでいいものか――は、一斉に頭を下げた。

 安心したように、自分もひとつ頷いて、ロータスは、再びぺたりとその場に座り込む。

 同時に、その頭が、かくん、と仰け反った。

 長い前髪が分かれ、薄い眉と、両目があらわれる。

 だが、その色は分からない。

 眼球が裏返り、わずかに開いたまぶたのあいだには、白目だけが見えている。

 ガーディアンたちは、主の命令を遂行するため、音も立てずに立ち上がった。

 ロータスを守るように半円形に展開し、ブレードを装備した右腕を構える。

 それきり、まるで時が止まったかのように、この場に、動くものはひとつもなくなった。



      *      *      *



 ――ロータスは、光に満ちたどことも知れない空間に、たった一人で立っていた。

 普段なら、ガーディアンたちを連れずには、自分の部屋の外にも出られない彼だ。

 しかし、ここでは違う。

 ネットワーク上に、彼を傷つけられる者はいないのだ。

 そこにいるのは、もはや、おどおどとした痩せっぽちの少年ではなかった。

 力強さのなかにもしなやかさを感じさせる、引き締まった肉体。

 意志の強そうな、精悍な面立ち。

 流れるようなまっすぐな髪。

 その全身は薄い炎のヴェールに覆われたように輝き、身動きするたびに流れるような残像を描く。

 まるで若い神のような、美しい姿だった。

 幼い頃から、こうだったらいいのにと願い続けてきた、理想の姿だ。

 ネットランニングの能力を開花させ、彼は望み通りの姿を手に入れた。

 ここでなら、誰も彼を笑わない。

 誰も、自分を傷つけられない。

 《目指すは――奴らの城だ》

 自信に満ちた呟きを洩らすと、彼は、ふいっと《地面》から足を離し、前傾姿勢になった。

 瞬間、彼の両手足、そして髪の先端が、ジェット気流に吹かれたようにかすむ。

 地上のあらゆる障害物を透過し、ロータスの精神は、目的地へと飛んだ。



      *      *      *



 その、ほぼ同時刻。

 第3研究所の中枢、コンピュータ・ルーム。

「!」

 エリスとたわいもない会話を続けていたヨネの顔が、ふとこわばった。

「……えっ?」

 エリスは、すぐに主人の変化に気付いた。

 怪訝そうに声をかける。

「ヨネ様? どうなさ……」

「……侵入者」

「――え!?」

 ほとんど聞き取れないほどの声で呟かれた、その内容を理解してエリスが声をあげたときには、ヨネはまるで糸紡ぎの針に刺された姫が眠りにつくように、一瞬で意識を沈ませていた。

 目の焦点がフッとずれ、まぶたを半分下げたまま、ぴくりとも動かなくなる。

「よ、ヨネ様!? それって……あの、ヨネ様!?」

 思わず腕を揺さぶるが、もはや反応はまったくない。

 ヨネは肉体を置き去りにして、エリスの手の届かない《あちら側》へ入ってしまったのだ。

「――どうしたのっ!? ヨネ様に何か?」

「エリス! 何よ、どうしたのよ!?」

 あちこちにかたまって話し合っていた他のメイドたちが、状況を理解できず、口々に騒ぎ始める。

 エリスにとっても、状況が理解できないのは同じだったが、

「あ……いや、何でもないの!」

 彼女は同僚たちを振り向くと、笑顔でぱたぱたと手を振り、極力、軽い口調で言った。

「ごめんね。ヨネ様が急にダイブなさったから、びっくりしちゃって。ネットワークの見回りのお時間なんですって」

「え、そうなの?」

「急に?」

「う、うん。見回りのお時間、決めてらしたんだって。大丈夫よ。すぐ戻られるっておっしゃってたから……」

「――そう?」

 首を傾げながらも、とりあえず、再び自分たちの話に戻るメイドたち。

「…………」

 横たわるヨネのほうに向き直った瞬間、それまで浮かべていた笑顔をかき消して、エリスは、じっと考え込んだ。

(ヨネ様、さっき確かに『侵入者』っておっしゃった……。フラバー・ネットワークの守りの壁を突破できる者は、ほとんどいないって聞いていたのに……まさか、ブラックバスの手の者が……!?)

 この時始めて、エリスは本物の恐怖がみぞおちのあたりに湧きあがるのを感じた。

 フラバー・ネットワークは、王国じゅうの研究所や王城といった情報の要点をつないでいる。

 ここに敵の侵入を許すということは、いわば、大動脈に毒を打ち込まれるにも等しい出来事なのだ。

(ま、まさか……まさかね! そんなはずない。もし、もしも、仮にそうだとしても……ヨネ様が負けるはず、ないもの!)

 少し震える指で、エリスはそっと、ヨネのまぶたを閉じさせる。

 もう一方の手の指はずっと、レイピアの柄をにぎりしめていた。



      *      *      *



 燃える矢のように一直線に《飛んで》いたロータスは、金色の光の粉を撒き散らしながら急停止した。

 同時に、彼の目の前に、空間からにじみ出るように何者かが姿を現す。

 ヒトの姿をしているようだが、水を思わせる光の膜に包まれたその容姿は、はっきりとは確認できない。

 ロータスは冷静に目を細めた。

 揺らぎ、震えながら不規則に明滅する、不思議な輝きだ。

 何色だろう……銀?

 そのきらめきが、言葉を発した。

 いや、それは言葉ではない。

 言葉よりも遥かに速く、鮮明な、それは、意志そのもの。

《何者です?》

 ロータスは、迷わなかった。

《――死!》

 その瞬間、たった2人の戦いが始まった。









   10 キングオブファイターズ



『竜牙兵は、非常に強い再生能力を持つモンスターである』――

 このことは、チラッとでもその方面に興味のある人間にならば、けっこう知られている事実だった。

 そして、その再生能力の核となっているモノこそ、彼らの頭蓋骨の中に隠されている《竜牙》である。

 こいつを破壊しない限り、竜牙兵は、何度倒しても、それこそバラバラに分解したとしても、すぐさま原形を取り戻して襲いかかってくるのだ。

 と、通常ならば、そのしぶとさゆえに恐れられる竜牙兵であるが――

「っしゃあッ!!」

 ビキィィィン!

 気合い一閃、真っ向から稲妻のように叩きつけられた少女の手刀が、竜牙兵の頭を真っ二つに叩き割る!

 いかにしぶとい竜牙兵といえども、一撃で頭蓋骨を竜牙ごと粉砕されてしまったのでは、さすがにどーしよーもない。

 頭を砕かれた竜牙兵は、一瞬、その場に静止し、やがて糸が切れた操り人形のように、がちゃんっ、と前のめりに倒れ伏した。

「ふんっ! 手応えのない奴らやっ!」

 ビシッ! バシッ!! ドスッ!!!

 細身で小柄な姿からは想像もつかないほど重い拳、蹴り、そして突きが続けざまに繰り出され、さらに3体の竜牙兵が、急所を破壊されて崩れ落ちてゆく。

「おのれらみたいなデクどもが相手じゃ、腕ならしにもならんわっ! 10年修行して、出直して来んかあああぁッ!」

 ドゴォッ!!!

 見事な空中回し蹴りで、別の1体の頭を四散させ、モッサは、すたっ、と地面に降り立った。

 目の前にブチ倒れた竜牙兵に向かって、吐き捨てるように文句を並べ立てる。

「だいたい何の酔狂でこのオレが、おのれらみたいなクソしょぉぉぉぉもないのんと戦わなならんねん!? あー、何か、腹立ってきたっ!」

「……長」

 今にも地団駄を踏みそうな調子のモッサの背後から、いきなり、冷静そのものの声がかかった。

「お気持ちは分かりますが、どうか、心をお鎮めください。激昂は技を鈍らせます」

「オマエに言われるまでもないわい」

 モッサは振り向き、声の主をじろっと見やった。

 そこに立っていたのは、白皙の美青年、という表現がぴったりあてはまる長身の男だ。

 こざっぱりした服装といい、丁寧に櫛を入れた髪といい、とどめに銀縁の眼鏡といい、どこからどう見ても、散歩に出てきた若手の学者としか見えない。

 しかし。

 何を隠そう彼こそは、《キングオブファイターズ》――モッサ自身の肩書きであり、また、彼女が率いる戦闘集団の呼び名でもある――の副長、つまりはモッサの右腕であるところの、熟練した挌闘家なのだった。

 その名を、ゼータという。

「だいたい、こんなヤツら相手に少々技のキレが鈍ったところで、不足あらへん!」

「獅子は仔兎を追うにも全力を尽くすと申します」

 相も変わらぬ冷静な調子で言うゼータに、モッサは、少々呆れたような表情で周囲を指し示し、

「……こんなん相手に、本気になれるか? オマエは」

「気構えの問題です。油断は禁物かと」

 しゃあしゃあと答えるゼータだが、ドツキ合いをやらかすのに銀縁眼鏡をかけたままというほうが、よほど敵をなめ切っているように見える。

 しかしモッサは、あえてそのことにはツッコまなかった。

 どー考えても戦いにはふさわしくない身ぎれいな格好が、『決して敵の拳を受けない』という、彼なりの気合いの表明であることを理解しているからだ。

 ――と、一見のんびりと突っ立ったままで言葉を交わしているかに思える2人だが、実は今までの会話の間にも、休むことなく周囲の竜牙兵を叩き潰し続けている。

 しかも、戦っているのは、モッサたち2人だけではない。

「ウラウラウラウラァッ!」

「せいッ!」

「ふおおおおおぉ〜っ!!」

 ズバッ! ガツンッ!! ビシィッ!!!

 男、女、若者、壮年。

 いかにも挌闘家然としたゴッツイのから、爽やか系、ホントにお前は大丈夫か的へろれ系まで取り混ぜて、とにかく多彩な《キングオブファイターズ》の面々が、2人の周囲で技を競っていた。

 押し寄せる竜牙兵どもが、まるで練習用の丸太か何かのように容赦なく蹴られ、殴られ、ブン投げられて、たちまちのうちにただの白骨の山と化してゆく。

 ――さらに、この場にいる戦士は《キングオブファイターズ》の人々だけではなかった。

「とおおおおおぉう。」

 カカカカカカカッ!

 銀色に輝く大鎌が一閃し、その軌道上にあった竜牙兵の頭が、中身の竜牙もろともに、ことごとく横一文字に切り裂かれる!

 ドーの攻撃だ。

 彼女の率いる《突撃隊》が、今、モッサらと共に戦っているのだった。

 黒装束の陰気な男たちが無言で鎌をブン回す様は《キングオブファイターズ》の熱い戦いぶりとは好対照だが、挙げている戦果はどっこいで、また、気迫の点でもまったく同格であった。

 ……というか、不気味さの分、こっちが勝ってるかも知れない。

 いずれにせよ、この無敵の混成部隊の前には、たとえ千、万の単位で来ようとも、竜牙兵などがてんで相手にならないことは誰 の目にも明らかである。

 ほどなく、周辺一帯に、立って動いている竜牙兵は1体もいなくなった。

 辺りの地面は、倒された竜牙兵の残骸でうずまり、石畳のモザイク模様も見えないような有様である。

「……よっしゃ。そろそろ、このへんも潮時やな。……ここらで、散ろか」

「は?」

 ぼそっと呟いたモッサの言葉がよく聞き取れなかったらしく、理知的な顔に少々怪訝そうな表情を浮かべて、ゼータが聞き返した。

「今、何と仰ったのですか?」

「戦力を分散させる」

 腹心の顔を見据えて、モッサは、きっぱりと言った。

「竜牙兵どもが全部で何匹おるか知らんが、相当広い範囲にうじゃうじゃしとるはずや。オレらも、1ヶ所に固まっとるより、何人かずつで、あちこちに分散して戦ったほうが効率がええ。そやろ?」

「――そのプランは、危険ではありませんか?」

「危険?」

 青紫色の目を、ちょっと剣呑な感じに細めて、モッサ。

「……オレが、こんなデクどもに後れを取るとでも思てんのか?」

「いいえ」

 モッサの一睨みを受けても、ゼータはびくともしなかった。

「私が危険と申し上げたのは、竜牙兵のことではありません。――王妃様を拉致したカクタスなる者は、まだ市街地に潜伏してい ると聞いております。こちらが少数で行動しているところを、その者に不意打ちされましたら、少々厄介なことになるのではないかと」

「……あのな」

 苦笑を浮かべて、モッサは言った。

「四天王のひとりに不意打ちなんか食らったら、こっちの人数がどんだけおろうが、大して関係ないやろ。――だいたい、モジリンちゅう切り札があっちの手の内にある以上、戦いになったとしても、こっちには、反撃のしようがあらへんのやからな。そない考えたら、5人で出くわそうが50人で出くわそうが、同じこっちゃ。そこらへんは運を天に任して、オレらは、やるだけやるしかない」

 この反駁には、ゼータは、それ以上言い返すことができなかった。

 『心配ない』というよりは『この際、心配してもムダだ』という結論なのだが、とにかく筋は通っている。

 ――しかし。

 部下たちの手前、こうは言ったものの、モッサはこの時、いざとなったらモジリンを見捨てることも仕方がない、と、9割方本気で考えていたのである。

 もともとドライでシビアな性質だということもあるが、『あっちの世界』の孤児院で育ち、国王あめえばの希望によって無理やり『こっちの世界』に召喚されてしまったモッサは、基本的に、王家の人々に対して、身内的な感覚をあまり持っていない。

 まあ、直接の『親』であるあめえばやみっちいには、良くも悪くもそれなりの思い入れを持っているし、年の近いドイッチやユーリに対しては、まだ『友人』としての意識があるが、それ以外の人々に関しては、ほとんど他人と変わりないよーに認識している。

 いや……むしろ、今までほとんど付き合いがなかった親戚の家に、急に居候することになったよーなというか、親が再婚して、見も知らぬ相手と急に家族として生活を共にすることになったよーなというか、そんな感じの妙な居心地の悪さがあるせいで、赤の他人に対するよりも、いっそう突き放した意識が働いているのかもしれない。

 そう、特に――

「………………」

 怪しい黒ずくめ集団と一緒に、竜牙兵の残骸を鎌の先っちょで突ついているドーを、モッサは、ちょっと形容しがたい表情でちらりと眺めやった。

 それから、周囲の部下たちに向かって声を張り上げる。

「よっしゃ、皆、聞け! オレらはこれから、戦いの効率を上げるために、分散して動くことにする。数人で組になって散れ! 
 ――ゼータ、マベル、シェアは、オレと一緒に来い!」

「オッス!」

「はっ!」

 たちまち、赤毛を逆立てた若者と、ベリーショートの金髪の女性が、威勢のいい返事とともにモッサのもとへと駆けつけた。

「……もっさ?」

 義姉の急な動きに、ドーが、戸惑ったような声をあげる――

 それを無視して、モッサはきっぱりと言った。

「行くでっ!」

 声と同時に、駆け出す。

 ドーが後ろから何やら叫んだようだったが、モッサはそれを敢えて聞かなかった。

「…………」

 まっすぐに唇を引き結び、不機嫌そうに走るモッサの横顔を、脇をかためるゼータが、気付かれないように横目で見やる。

 ――この王国で、おそらく最もモッサと付き合いの長い彼には、彼女の気持ちが手に取るように分かった。

 モッサは、ドーを嫌っている。

 急に戦力を分散させるなどと言い出したのも、半分は戦略的に考えてのことだろうが、もう半分は、これ以上、ドーと同じ場所にいるのが嫌だったからだろう。

 彼女がなぜドーを嫌っているのか、はっきりとした理由は、彼は知らない。

 しかし世の中には、明瞭な理由などなくとも、なんとなく合わない相手というのがあるものだ。

 あるいは、かつて孤児院にいたというモッサは、ただ1人の世継ぎ王女として誰からも大切にされるドーの姿に無意識の羨望を抱き、その裏返しとして反発を覚えているのかも知れない……

 しかも、当のドー自身があまりにも天衣無縫な気質で、モッサが自分をどう思っているか、まったく悟っていないところが更なる問題だった。

 互いに憎み合うならば、まだ張り合いもあるが、ドーのほうはモッサを嫌うどころか、新しい姉として、無邪気に慕っているのである。

「……あなたは、気の毒な方だ」

「――は?」

 かたわらからぼそっと降ってきた言葉をはっきりと聞き取れず、モッサは走りながら、怪訝な顔をしてゼータを見上げた。

「今、何か言うたか?」

「いえ。何も」

「……ふん?」

 信用した顔つきではなかったが、問い質したところで答えるはずもないと判断したのだろう、モッサは再び前を向く。

 長い付き合いのおかげで、モッサのほうも、この男の人となりはおおよそ把握しているのだった。

 無人の通りに、戦いを求めて走る4人の足音だけが響く――

 その時。

「!」

 モッサは、目を見開いた。

 それは、通り過ぎざま、ほんの一瞬のことだった。

 見間違いだろうか?

 いや、違う。

 確かに見えた。

 つい今しがた――

 ――右側の、路地の奥に――

 モッサは、走る速度は緩めないまま部下たちを振り返ると、声は出さずに、ややこしいジェスチャーだけで「もう少しこのまま走る。あの角を曲がったところで停まれ。ちなみに喋り厳禁」と合図を出した。

「……?」

 モッサの意図が見えないながらも、とりあえず「了解」の合図を返す部下たち。

 はたして、モッサたち4人組は次の角で立ち止まり、道端の窪みにさっと身を隠した。

「何です、長?」

 ――というのを、ゼータが、これまた分かりにくいジェスチャーでやってくる。

 モッサは、手をラッパにして、ひそひそと言った。

「敵や! さっき通り過ぎた路地の、奥のほうにおったぞ……! なんか機械もどきみたいなキモイのが、数匹見えた」

「え!?」

「マジっすか!?」

 まったく気付いていなかったらしく、シェアとマベルが思わず大声をあげそうになって、慌てて口を押さえた。

「……気付きませんでした。不覚の至りです」

 ゼータも悔しそうに呟く。

「いや、あれは無理ないで。気配がまったく無かったからな。多分、人間やないんやろ……なんか金属っぽかったし。――オレも、たまたまチラッと見えたから気がついたんや。まあ何にせよ、気付いたからにはブチ殺すけども……あんなとこに隠れて、何しとるんや? あいつら」

 モッサの言葉に、ゼータが、はっとしたように顔を上げた。

「長。この辺りには確か、フラバー・ネットワークの回線の地表最接近ポイントがあるはずです」

「なるほど。絶対それやな。――よし」

 モッサは腕を組み、一瞬だけ考え込むと、すぐに部下たちの顔を見回した。

「……さっき通り過ぎた時、あいつらは多分、こっちの存在に気付いたやろ。やけども、素通りしたわけやから、こっちがあっちに気付いたゆうことまでは、分かってないはずや。――その油断と、敵が作業に気を取られて注意が逸れてるところに乗じ、一気に叩く!」

「了解しました!」

 若いマベルが、勢いこんで拳を固める。

「それで長、作戦は!?」

「待て。今から、10秒で考える」



   *   *   *



《燃えろ!》

《溶けよ!》

 泡の弾けるような意志の爆発と共に、繰り出された攻撃がぶつかり合い、相殺しあって光の塵と化し、消える。

 ロータスとヨネの戦いは、全く互角の展開を見せていた。

 いや、進展がない、と言ったほうが当たっているか。

 ロータスがまとう炎は、彼の身を敵の攻撃から守ると同時、フラバー側がネットワーク上に走らせている防衛プログラムの目をくらませる役割を果たしていた。

 それを見抜いたヨネは、新たなプログラムを織り成して彼の防御を切り崩そうとした。

 あの炎さえ剥ぎ取ってしまえば、ロータスは一瞬で防衛プログラムの餌食だ。

 そうはさせじとロータスも、対抗するプログラムを織ってヨネの攻撃を無効化する。

 先ほどから延々と、この繰り返しだ。

 とはいっても、現実の時間にすれば一瞬のことなのだが。

《くそ!》

 ロータスは歯噛みした。

 歯噛みしつつも、ものすごい勢いでプログラムを織り続ける。

 ネットワーク上の戦いは、速さが勝負だ。

 先に相手に攻撃を当てれば、一撃必殺で大抵は勝てる。

 だが、当てるのは難しい。

 熟練の者同士の戦いならばなおさらだ。

 相手も防御のためのプログラムをまとっているし、こちらの攻撃を正確に先読みして、それに対抗するプログラムを織ってくるからだ。

《こんなところで、手間取っているわけには……!》

 ロータスの任務は、王城のメインコンピュータを乗っ取ることだった。

 そこからなら、王国中のすべての研究所のコンピュータを操ることもできる。

 だが、こんなところでぐずぐずしていては、腕力バカのカクタスや怪物のローザに、おいしいところを全部持っていかれてしまうではないか。

《邪魔だ、どけえぇぇぇ!》

《ここは通しません!》

 ヨネの凛とした《声》が、そのまま光り輝く幾本もの槍となってロータスを襲う。

 伯仲する戦い。

 この戦いに決着をつけるためには、お互い、たったひとつの方法しかなかった。

 すなわち、相手の演算速度を上回ること。

 だが、どちらも現状で目いっぱい飛ばしている。

 これ以上、無理に演算処理の速度を上げれば、脳に甚大な不可がかかることを覚悟しなければならない。

 最悪、血管が弾けてそのまま死ぬか、廃人になる可能性もあった。

 それでも。

《だああぁあぁぁ!》

《あああああああっ!》

 フラバー最強の電脳使いと、ブラックバス最強の電脳使いは、共に己の限界に挑んだ。

 絶え間なく応酬されていた攻撃の嵐が止み、一瞬、空間が静まり返る。

 ヨネは自分自身への防御を後回しにし、相手の足をその場に留めるため、そして相手を打ち砕くためのプログラムを織り成すことに全力を注ぎ込んだ。

 そして、ロータスは――

 すさまじい高速演算のさなかで敵をうかがったヨネは、思わず、目を見開いた。

《……攻撃プログラムを、編んでいない!?》

 いや、違う!

《行っけぇぇぇ!》

 彼が突き出した手のひらから、無数の羽虫の塊のような光が飛び出して、一瞬でヨネの傍らをすり抜けた。

《――しまった!》

 それが何であるのか、ヨネにははっきりと知覚できた。

 ネットワーク上でここから最も近い情報の要点は、第3研究所。

 その第3研究所――ヨネの本体、そしてメイドたちがいる場所を、ロータスは直接狙って攻撃したのだ。

 しかもあれは、研究所の《防壁》を正面からぶち破ろうとするようなものではない。

 監視の目をすり抜け、防衛システム自体を侵蝕して狂わせるような、タチの悪いプログラムだ――

《……!》

 ヨネは一瞬、迷った。

 あれが研究所に侵入する前に止めるべきか、それとも目の前の敵を先に倒すべきか――

 そこに、ロータスが肉迫した!

《滅びろ!》

 ロータスの手の中に出現した長大な槍が、光の膜を貫く。

 同時に、ヨネの腕に光が巻きついて盾の形をなした。

 ヨネはそれを目の前に掲げた。

 だが、ロータスの速度がわずかに上回った。

 輝く槍の穂先が、ヨネの胸に突き刺さる!

 ヨネは空間そのものを震わせるような、甲高い叫びをあげた。

 その波動は、そのまま各研究所へと伝わり、コンピュータ・ルームのスピーカーからは警報音として、ディスプレイ上には《WARNING!》の文字として出現した。

 ヨネの身体が、熱帯の蝶の鱗粉のように砕け散ってゆく。

 だが、その直前の一瞬、ヨネは自分を貫いた槍の柄に触れて呟いていた。

《……崩壊せよ!》

 ヨネの指が触れた箇所から、ジグソーパズルを引っくり返すように、ざあっと槍の形が崩れてゆく。

《!》

 ロータスは慌てて武器を手放した。

 それでも一瞬遅く、《崩壊》はロータスの手をとらえ、群がる蟻のようにその腕を這い登った。



   *   *   *



 ビーッ! ビーッ! ビーッ!

「なっ……!?」

 突如として鳴り響きはじめた警報と、画面上に現れた《WARNING!》の文字に、エリスはぎょっとして立ちすくんだ。

「きゃっ!? なっなな何何何っ!? 何なのよっコレっ!?」

「知るわけないでしょ!? ……とにかく、この音を止めなきゃ! 騒ぎになる!」

「どうすれば止まるのよぉー!」

「原因は!?」

 急にどたばたと慌ただしい雰囲気に包まれる、第3研究所のコンピュータ・ルーム。

 そんな中、ふとヨネの顔に視線を落としたエリスは、もう少しで、衝撃のあまり卒倒しそうになった。

 何の前触れもなく、ヨネの目がカッと見開かれ、その眼の縁から、真っ赤な涙がつうっと流れ落ちたのだ。

「よ、……ヨネ様っ!? うそ、嫌、ヨネ様!」

 ヨネが残した「侵入者」という言葉。

 それと照らし合わせて考えれば、《あちら側》で何かがあった――おそらくは戦闘があったのだろうということは、容易に想像がついた。

 そしてエリスは、ネットワーク上の戦いで敗れた者がどうなるかについても、ヨネから聞かされていた。

 世界中で、過去、幾人もの優秀な電脳使いが脳の血管を弾けさせて死に、たとえ肉体の形は無事でも、魂のない抜け殻のようになってしまったと――

「いっ――嫌ぁ! 嫌ですよ、ちょっと! ちょっ……ヨネ様! ヨネ様、起きて! お願い! ヨネ様ぁ!」

 蒼然とした同僚たちへのフォローももはや忘れて、エリスは狂ったようにヨネの身体を揺さぶり続けた。

 だが、いくら揺すっても、ヨネの身体は、壊れた人形のようにぐらぐらと首が動くばかりで、まったく反応がない。

 その枕元から、ころんと、みっちろ人形が床に転がり落ちる。

「――あ――」

 それを視界の隅にとらえたエリスは、反射的に、拾おうと身をかがめた。

 と、その時だ。

 ゴゥン…… ゴゥ……ン

 研究所の表のほうから、何やら、鈍く重い震動が伝わってきた。

 みっちろ人形を胸に抱き締め、エリスは涙に濡れた目をそちらに向けた。

「なっ、何なの……」



   *   *   *



《く……くっそぉぉぉっ!》

 光の空間の中で、ロータスはもがき苦しんでいた。

 その右腕の、肩から先がない。

 消え去る直前にヨネがしかけた《崩壊》は、彼の右腕のほとんど全部を侵蝕し、分解してしまった。

 それなのに、こうしてロータスがまだ存在し続けているのは、《崩壊》の効果が全身に及ぶ前に、ロータス自身が自分の右腕をもぎ取って、侵蝕を食い止めたからだ。

 電脳空間での身体のこととはいえ、傷つけば《痛み》は感じる。 

 それも、傷付いた箇所だけではなく、全身に激しい衝撃が走るのだ。

《はぁっ! はぁ……ふぅっ……》

 ようやく落ち着いたロータスは、再び精神を集中し、高速演算を再開した。

 だが、受けたダメージが残っているために、先ほどまでの処理速度には遠く及ばない。

 ロータスは、自分と戦った《銀の女》がどこから現れたのか、その足跡をたどり始めた。

 倒した、という手応えはあった。

 だが、相手がそう見せかけただけという可能性も否定し切れない。

 あれだけの実力を持った相手だ。

 万が一にも不意打ちを食らうようなことがあれば、倒されるのは自分だろう。

 だからこそ、今のうちに本体のありかを突き止め、確実にとどめをさしておかなければならない。

 本体と接続しているコンピュータを操って、脳に電流を流し、完全に破壊するのだ。

 彼は鱗粉のきらめきのようなかすかな痕跡を見極め、ゆっくりとたどっていった。

 そして、その行き着く先を見つけだしたとき――

《おや? ……ああ! そうか。何だ、そうだったのか。……あははははぁ!》

 ロータスは全身をきらきらと揺らして笑った。

 彼の目の前にそびえ立っている光の城壁は、第3研究所のメイン・コンピュータ。

 ――先ほど、《銀の女》の注意を逸らすために、一番近いここに攻撃を仕掛けた。

 そのときに彼が放ったプログラムは、すでにあの光の壁を越え、第3研究所の防衛システムを狂わせているはずだ。

 おそらく現実世界の第3研究所では、敵を迎え撃つレーザー警備システムは反応しないわ、敵の侵入を防ぐ防護扉は勝手にばたばた開くわ、と大騒ぎになっているだろう。

《……わざわざ、僕自らがとどめをさすほどのこともないか?》

 単に一番近いというだけの理由で攻撃を仕掛けたここが、たまたま《銀の女》の本拠地だったとは、極めつけのスーパーミラクルラッキーだ。

 この分では《銀の女》の本体は、放っておいても、あの怪物のローザが放っているはずの竜牙兵どもが餌食にしてくれるに違いない。

《――いや。やはりここは、念には念を入れたほうがいいな……》

 しばしの思考の末、ロータスは、そう決断した。

 ここで油断をしたがために、後で1発大逆転などというみっともない展開だけは、是非とも避けなければならない。

 ロータスは左手を開いた。

 そこには、あの《銀の女》が残したきらめきの欠片があった。

 ロータスがそこにふっと息を吹きかけると、銀の塵のようなそのかけらは舞い上がり、さらに幾万にも砕けて霧のようになり、彼の全身を包んだ。

 完璧な偽装だ。

 ロータスはにやりと笑うと、すうっと光の壁に近寄り、その壁に向かって――それは、高度な敵味方識別プログラムと攻撃プログラムを織り合わせてつくられた代物だった――優しく語りかけた。

《我はこの者……壁よ、我が前に扉を開け》



   *    *    *



 ガーディアンたちは全員、路地の入り口方向を見据えていた。

 先ほど、表通りを、4人のフラバーたちが走り去っていったのである。

 しかしガーディアンたちに与えられた任務は『ネットランニング中のロータスの本体を守る』ことであり、積極的にフラバーを攻撃することではなかったので、彼らは、4人組をそのまま見送ったのだった。

 その4人組は、こちらにはまったく気付かずに通り過ぎていったようなので、おそらく、このまま何事もなく済むであろう……

 ――と、そのことに最初に気付いたのは、ロータスの1のガーディアン、グノシェンヌだった。

「!」

 ぎゅんっと素早く頭を上げて頭上を振り仰いだ、その目に、路地の屋根の上から飛び降りてきた小柄な影が映る!

「だぁらっしゃぁ!」

 ズドン!

 ぎゅぎょぎょぎょん!


「……けっ! 思ったよりやるやないかい、気っ色悪い見てくれのわりにはなぁ!」

 手にした凶器をぎりぎりと押し込みながら、モッサは凶暴な口調で唸った。

 グノシェンヌが、彼女の攻撃を間一髪で受け止め、関節をきしませながら押し返しているのである。

 ちなみにモッサが手にした凶器とは、手近の家の庭先から引っこ抜いてきた、あめえばの等身大石像であったりする。

 衝撃でその首がぼっきり折れるという不吉なコトになっていたが、この際、細かいことには構っていられない。

 モッサは、剥き出しになったフラバー・ネットワークの回線に接続したまま、忘我の表情で地面に座り込んでいる少年の姿を認め、犬歯を剥き出した。

「おお、おのれがこいつらのボスかっ? ほな、おのれから死んだらんかいっ!」

 ぎゃりんっ! と滑らせるようにあめえばの石像でグノシェンヌの体勢を崩し、その隙に、地面に転がったあめえばの首(石)を引っつかんだモッサは、そいつをぐおんと振りかぶったと思う間もなく、

「――っしゃあっ!」

 150キロ級の豪腕で、ロータス目掛けて投げつけた。

 ゴッ!

 あと1歩でロータスの頭を叩き潰すところだったその球を、軌道上に飛び込んだサラバンドが胸の装甲で受ける。

 モッサたちは当然知るよしもないことだが、ガーディアンたちには、帝国の優れた戦士たちの攻撃パターンが数百通りもプログラムされているのだ。

 元々の運動能力が人間のそれを上回っていることもあり、彼らを倒すことはおろか、彼らの守りをかいくぐってロータスに接近することすら、通り一遍の実力ではまず不可能なのである。

 モッサたちの実力は、無論、通り一遍どころの騒ぎではなかったが、それでもモッサは、ガーディアンたちの強さを厄介なものだと感じた。

「ちッ! クソ鬱陶しい奴らやのぉ!」

 モッサがそう怒鳴ると同時、出し抜けに、サラバンドの背後からノクチュルヌが跳躍し、モッサの背後に降り立った。

『――長!』

「分かってるっ」

 ノクチュルヌの右腕のブレードは、モッサの残像だけを貫いた。

 モッサは一瞬速く高々と跳び上がり、左右の壁に両足をついて身体を支えている。

 そこへ、先ほどの警告の主――路地の奥へと回り込んでいたマベル&シェアが、力を合わせて大技を放った!

『食らえ必殺! 鉄腕ビィーム!!』

 声すらハモらせ、2人が突き出した手のひらに《気》の力が集中し、

 グオォッ!!

 強力な衝撃波となって、路地にいたガーディアンたちをぶっ飛ばす!

「――いらっしゃいませ」

 表通りに転げ出たノクチュルヌとサラバンドを、冷ややかな一瞥で迎えたのはゼータだった。

 一方、持ちこたえたガーディアンもいる。忘我のロータスを守るように抱え込んだグノシェンヌと、その背後を守るジムノペディだ。

「さっさと壊れんかい、デクがぁっ!」

 モッサとジムノペディが激しく拳を交えるあいだに、グノシェンヌは、左手中指からシャキンッ! と小さな針を出した。

 そしてその針を、何のためらいもなく主の身体にぷつんと突き刺す。

 バチッ!

 小規模な電撃に撃たれ、ロータスの身体がびくんと痙攣した。



      *     *     *



《――承認しました、主よ》

 しばしの沈黙の後、もの柔らかな光の壁の《声》が、ロータスの耳を打った。

 同時に、彼の全身を探るように動いていた、壁から生えた何百本もの触手がすっと引っ込み、彼の目の前に扉が現れる。

《ようこそ第3研究所メイン・コンピュータへ》

 ロータスは笑みを浮かべた。これでは、あまりにもあっけないではないか……

 パキィン!

《ぐぁっ!?》

 扉をくぐろうとした瞬間、全身に走った異様な感覚に、彼は悲鳴をあげた。

 まさか、セキュリティをごまかし切れなかったというのか!?

 まるで、超強力な静電気を全身に浴びたような衝撃。

 ――いや、それだけではない。

 まるで、目には見えない巨大な手に襟首を引っつかまれ、扉から引き離されようとしているような――

《……こ、これは!?》

 

    *    *    *



 バチッ!

 グノシェンヌは、ロータスに繰り返し電気ショックを与えた。

『彼』は、この場を危険と判断し、主の意識を現実に引き戻そうとしているのだ。

「おのれっ、逃がすか!」

 そこへいち早く駆け付けたシェアが、ぐったりとしたロータスに蹴りを叩き込もうとする。

 しかしグノシェンヌは、右手のブレードをぎゅんぎゅんと薙ぎ払って彼女を近付けず、再びロータスに電気ショックを与えた。

 バチッ!!

「――っかっ!?」

 大きくのたうったロータスが、喉を鳴らした。ほとんど裏返っていた眼球に、すとん、と淡い水色の瞳が戻る。

 一瞬、何が起きたのか理解できず呆然とした彼の目に、いきなり、雄叫びをあげる逞しい男の姿が飛び込んできた。

「どぉりゃああああっ!」

 ばしっ! ぎゅおん!

「ふんむ! ふんふんふん! ふりゃああああ!」

 何だか分からんけったいな掛け声は、マベルのものだ。

 彼が、グノシェンヌのブレードを真剣白刃取りし、ぎりぎりと捻ってへし折ろうとしているのである。

「であああっ!」

 ビキィン!

 気合い1発、マベルが勢いよく身体を倒すと同時に、踏み止まろうとしたグノシェンヌとの合力で、甲高い音を立て、ブレードが根元からへし折れる。

 だが同時に、グノシェンヌが薙ぎ払った左手の鉤爪が、マベルの右腕を引っ掻いた。

「ぐっ!」

 ぱたぱたっ! と真っ赤な血が飛び、地面にへたり込んでいるロータスの顔面に降り注ぐ。

 その瞬間、ロータスははっと我に返り、裏返りまくった悲鳴を張り上げた。

「ひっひ……ひっひっひえぇぇええええ!?」

「マベル、シェア、そいつを逃がすな!」

 ジムノペディと殴り合っていたモッサが、鋭い口調で指示を飛ばす。

 だが、主が意識を取り戻したと分かるが早いか、グノシェンヌはロータスの首に繋がっているケーブルを引きちぎり、彼の身体を軽々と横抱きにして跳躍した。

 両側の壁に足の鉤爪を食い込ませてガシガシと屋根まで駆け登り、そのまま遁走する。

「ちぃっ!」

 それを見て取ったモッサは、ジムノペディを無視して自分も屋根に跳び上がった。

「追うぞ! ……あのひょろい奴の紋章見たか!? あいつ、四天王や! 絶対、1発でぶっ殺す!」

「――四天王!?」

 ノクチュルヌとサラバンドの2体を相手に互角の戦いを繰り広げていたゼータが、銀縁眼鏡の奥で目を見開いた。

「ならば深追いはなりません、長! 四天王は決して追わぬと、祖母君に……」

「ああ、確かに約束した」

 屋根の上からゼータを見下ろし、モッサはにやっと笑った。

「カクタスには手は出さん、てな」

 それだけ言い残し、あっという間に重なり合う屋根の向こうへ消える。

「長! お待ちを! ……ええい、しまった! 一生の不覚!」

 2体のガーディアンに牽制され、きりりと歯噛みしたゼータの横手から、

「先っ輩っ!」

 どごん! と派手な音を立て、ジムノペディを吹っ飛ばしてマベルとシェアが駆け出してくる。

「ここはお任せを。お早く、長のもとへ!」

「コレはかすり傷ですからっ! 心配ねーっすよ!」

 真剣な表情で叫ぶシェアと、ぼたぼたと血を流しながらVサインを出してきたマベルをちらりと見やり――ゼータはだっと地面を蹴って、音もなく屋根の上に降り立った。

「すまん、ここは任せた! ……すぐに来い!」

 言い残し、それきり振り返ることもなく、瓦に残った引っ掻き傷――グノシェンヌの鉤爪によるものだ――を追って、ゼータは走った。

(長、己の力を過信なさってはいけない! たとえどのように見えようと、相手は四天王……どのような策を弄してくるか分かりません!)

 モッサの挌闘家としての実力は相当なものだ。

 まともに戦えば、ほとんどの相手を打ち砕くだろう。

 だが、まともでない戦いこそが実戦。

 油断していれば足元をすくわれ、奈落に落ちかねない。

 そして、若さゆえの激し易さ、驕りが、ますます彼女の足場を危ういものにする。

(功を急ぎ、早まられることがなければよいが、……ん?)

 足跡を追って走り続けていたゼータは、ふと、その先に何があるかに思い至っていた。

(まさか)

 足跡が向かう、その遥か先にあるもの――

 第4研究所。

 国王のおば2人組・かっきー&ババリンが、新兵器の研究開発のために造らせていた、建設途中の建物だ。

 ひと月ほど前、ブラックバスとの戦争に全国力を注ぎ込むためにと、建造が一時中断されたのである。

 まだ研究所としての役割を果たしてはいないが、将来は軍事施設になるはずの建物である。

 万が一にも、爆発物だの盗聴器だのを仕掛けられたりすることのないよう、無数の防御装置が設置されていたはずだ。

 そのことに思い至った瞬間、ゼータは、言い知れず嫌な予感がした。

(……まさか……)

 不幸にして――

 彼のその予感は、的中することとなる。







   11  取り引き



「伏せろ!」

 叫びと共に激しい体当たりを受け、若い騎士はその場に押し倒された。

 それとほぼ同時、一瞬前まで彼の背中があった場所を、竜牙兵の大槍が刺し貫く。

「……も、申し訳ありません!」

 自分にぶちかましをかけた相手の顔を見た途端、騎士は目を見開いて、反射的に謝罪の言葉を口走った。

「謝っている暇などないぞっ!」

 そう怒鳴りながら騎士の上から跳ね起きたのは、厳しい顔つきをしていても思わず見惚れてしまうほど、軍神の化身かと見紛うばかりに美しい若者だ。

 エックベルトである。

 槍の攻撃を空振りし、今度は剣で切りつけようと腕を振りかぶっていた竜牙兵の頭を、彼が立ちあがりざま横殴りに叩きつけた一撃が、ものの見事に打ち砕いた。

「そんな暇があったら剣を…………っ」

 なおも言葉を続けようとしたエックベルトだが、相手のほうを振り向いた瞬間、思わず絶句してしまった。

 彼が押し倒した若い騎士は、その場に倒れたまま起き上がることも忘れて、エックベルトの勇姿に見惚れていたのである。

「ウィルフレドっ!!」

「! ……はっ!」

 一喝されて初めて自分を取り戻したように、慌てて身を起こす騎士。

 殺伐とした戦場に、何だかあやしい空気が漂った一瞬だった。

「…………」

 一瞬、頭痛でもするかのようにこめかみの辺りを押さえたエックベルトだが、不意に背後から殺気を感じ、振り向くいとまもあらばこそ、真横に身を躍らせる。

 がしゃん! と激しい音があがった。

 竜牙兵の剣が、エックベルトの立っていた石畳を叩いたのだ。

「無様な戦い方だ」

 ぎこちなく向き直る敵を見据えて、エックベルトは頬を歪めた。

「技も気概もない。ただ数を頼みの力押し……」

 振り下ろされてきた剣を、再び真横に跳んでかわす――

「それでは勝てない」

 言葉と共に、エックベルトの身体が宙に躍った。

「おおっ!?」

 という声は無論、竜牙兵ではなく、たまたまその瞬間を目撃していた騎士があげたものだ。

 何とエックベルトは、今しがたよけた分の距離を戻したばかりか、竜牙兵の身長よりも高く、その頭上に跳躍したのである。

 常人離れした体技に、当の竜牙兵のみならず、周囲で戦っていた者たち全てが、思わず一瞬、その姿を振り仰ぐ――

 逆光の中、不吉な大烏のようなその影から銀色の光が縦一文字に閃いた、と誰もが認めた瞬間、竜牙兵の身体は、文字通り真っ二つに断ち割られて石畳の上に転がっていた。

『うおおぉぉぉぉっ!』

 団長の活躍に、騎士たちが剣を突き上げて歓声をあげる。

 感情を持たぬはずの竜牙兵たちも、自分たちを遥かに上回る実力を持つ者の存在を悟ったのか、ざわり、と動揺するような様子を見せた。

 ――と。

「……へえぇぇぇ……。なっかなかのモンじゃねーか?」

 声が、聞こえた。

 馬鹿にするような、同時に、感心するような調子の声が。

 騎士たちの表情が一変する。

 誰も聞き覚えのないその声は、手近の民家の塀の上から聞こえてきたのだった。

「何者っ!?」

 厳しい誰何と同時、一斉にそちらに切っ先が向けられる――

「こーんなちっこい島国の王族なんて、ショボい戦士しかいねーと思ってたけどな。こいつぁ、ちったぁ面白そうな予感がしてきたぜ」

 いったいいつから、そこにいたのだろうか?

 剣を向けられながらも、陽気な笑みを崩さずにそう言ったのは、塀の上に突っ立った大柄な若者だった。

 浅黒く日に焼けた肌。

 泥まみれになったフラバー海軍の制服を、前をはだけてだらしなく羽織り、右肩に、黒光りする鉄のかたまりのようなモノを担いでいる。

「……貴様は……」

 ほとんど意識せずに剣を構えなおしながら、エックベルトはそう呟いていた。

 緊急会議で与えられた情報が、彼に、相手の正体を悟らせていた。

 突きつけた切っ先よりも鋭く、その名を叫ぶ。

「――カクタスとかいう男は、貴様かっ!?」

 男は、にっと笑った。

 その瞬間、エックベルトの思考回路の箍が外れた。

 部下たちが止める間もなかった。

 神速の突進!

 跳び上がりざま、拝み打ちに振り下ろした銀光一閃、カクタスの顔面は真っ二つに断ち切られていた。

 ――その、残像だけが。

「やるじゃねーか、兄さん」

 気楽そうに笑う顔は、一瞬で、同じ塀の上、5メートルも遠ざかった場所にあった。

「貴様……」

「まあ、待ちな。こんな場所じゃ、戦いにくくていけねーや」

 カクタスは、あっさりと塀から飛び降りた。

 ずしん、と重い音がする。

 エックベルトは、ざわりと距離を詰めた騎士たちを、片手で制した。

 どれほどの実力を持つ相手か、読みきれていないこともある。

 何らかの隠し玉を警戒したこともある。

 だが、彼にその行動をとらせたのは、何よりも、目の前の男の首を自分の手で絞め上げてやりたいという思いだった。

 それでも表面的には冷ややかさを保ったまま、エックベルトもまた、塀から飛び降りる。

「おっ?」

 驚いたように呟いたのは、カクタスだ。

 ――この瞬間、それまでは戸惑うかのように停止していた竜牙兵たちが、ふたたび動き始めたのである。

 彼らはざわざわと移動すると、エックベルトたち、そして、カクタスをも包囲するように展開した。

 竜牙兵というヤツは、攻撃力こそ高いものの、基本的に単純な命令しか受け付けない上に、状況の判断というものがほとんどできない。

 要するに今の場合、彼らはただ単に『生きているものをすべて倒す』というコマンドに従っているだけで、その相手がエックベルトたちだろうが、カクタスだろうがおかまいなしなのである。

 カクタスは、心底イヤそうに顔をしかめた。

「うざってぇーなぁ……」

 呟くと同時、右肩に担いでいた黒光りするモノを、無造作に地面に投げ出す。

 じゃらんっ!

 重い音を立てて石畳の上にわだかまったモノ。

 それは、鈍色に光る長大な鉄の鎖だった。

「ふんっ!」

 ぐおん!

 カクタスの腕が盛り上がり、軽く人間の腕ほどの太さがある鉄鎖が、見えない速度で唸りを上げた!

 バキボキベキボキバキッ!!

 あまりにも凄まじい光景に、さしもの手練の騎士たちが、息を呑んで立ち尽くす。

 攻撃の範囲内に立っていたすべての竜牙兵は、まさに一瞬で、嵐に巻き込まれたマッチ細工のごとく打ち砕かれていた。

 単に打ち倒されたというのではない。

 文字通りの『粉砕』だ。

 頭蓋に守られていたはずの竜牙さえ、なすすべもなく破壊されたか、復活してくるヤツは一体もいない。

「けっ、バーカ。敵と味方の区別くらいつけろよなぁ」

 うんざりした調子で言ったカクタスに、息の上がった様子はカケラもなかった。

 エックベルトと視線が合うと、にやりと笑ってくる。

「なに、そう、驚くこたねえぜ。話し合いに邪魔を入れたくねーんでな……っと!」

 ひゅんっ!

 エックベルトの剣が音速に迫る速度で、カクタスの首筋を狙った。

 激しい舞のように優雅な動きながら、太刀筋には殺気がみなぎっている。

 光のごとくひるがえり、またひるがえっては襲いかかる凄まじい斬撃。

 常人ならば、何が起きたかすら分からぬうちに肉塊と化していたに違いない。

 2人の戦士のはざまで、火花が散る!

 エックベルトの猛攻、そのことごとくを、カクタスは手にした鉄鎖で受け流してみせた。

「くくく……短気だなぁ、兄さん」

 さすがに全ては避け切れなかったか、片頬から滴った血をぺろりと舐めて、カクタスはなおも笑みを浮かべる。

 彼は、不意に懐に手を入れると、小さな小瓶を取り出して掲げてみせた。

 その瞬間、必殺の攻撃に転じようとしていたエックベルトの動きが、止まった。

 意識してのことではないが、切っ先がわずかに下がる。

「……それは……」

 かすれた呟きに、カクタスは、不敵な笑いを深くした。

「もう、情報は回ってんだな。話が早くて助かるぜ」

 満足げに頷き、ハエでも追うように、しっしっと騎士たちに向かって手を振る。

「おう、てめーら! 有象無象は下がりな。オレ様の用があんのは、この兄さんだけだ!」

「――何をっ!?」

 敵の圧倒的な実力に、ほとんど見ているしかなかった騎士たちだが、さすがにこのなめ切った言い草には頭に血が昇ったらしい。

 全員が一斉に構えをとり、カクタスに向かって突進しようとする――

「……待てぇっ!!」

 その動きを止めたのは、エックベルトの怒鳴り声だった。

 血を吐くような響きに驚いて足を止め、リュシアンが、信じられないといった面持ちで叫ぶ。

「し、しかし、エックベルト様!」

「構わん! ……皆……下がれ」

「――しかし!」

「命令だ! 下がれっ!」

 普段の彼にはありえない、頭ごなしに怒鳴りつけるような口調。

 騎士たちは互いに目を見合わせたが、最後には、エックベルトの指示に従った。

「それじゃ兄さんだけ、こっちについてきてもらおうかい」

 言ってあっさりとエックベルトに背を向け、とっとと走り出すカクタス。

 今、仕掛ければ、あるいは倒すことができるかもしれない。

 だが、万が一を恐れる心――

 囚われのモジリンの身を案じる心が、エックベルトの手を止めさせていた。

 やがて2人は、人気のない四辻で向かい合った。

「その瓶を渡せ」

 押し殺した声で告げたエックベルトに――

 カクタスは、一瞬奇妙な顔をした、と思うと、ぶわはははははは、といきなり遠慮のカケラもない大爆笑を始めた。

「何がおかしい!?」

「いっ……いや、すまねーな」

 涙をぬぐいながら、カクタス。

「あんたの台詞が、あんまりマヌケだったもんでよ……。わざわざとった人質を、ちっとばかしスゴまれたからって、ハイどうぞと返すバカがいるかっつーの」

「黙れ。王家との取り引きを望むなら、貴様ごときでは役者が不足……。皇帝自ら出向いてくるがいい!」

「オレ様が取り引きをしにきた相手は、フラバー王家じゃねえ」

 カクタスの目が、不穏な輝きを宿した。

「他でもねえ、あんたさ。――フラバーのエックベルトさんよ」

「……何だと……?」

「そう、意地を張るこたぁねえよ」

 カクタスは訳知り顔で頷くと、片手で瓶をもてあそびながら、声をひそめて囁いた。

「なぁ。あんた。どうあっても、無傷で取り戻したいんだろ? ……愛しい、愛しい王妃様を、な」

 その瞬間、エックベルトの表情に激しい動揺が走った。

 ……そうだ。

 彼女が、兄の花嫁としてこの王国にやってきた日から――

 ずっと、この想いを殺し続けてきた。

 彼女があめえばに向ける笑顔、優しく重ねられた手、気遣いの言葉、それら全てを自分のものにしたいと願いながら、決してそれを表に出すことはしなかった。

 どれほど愛していても、彼には、超えることのできない壁があった――

 王への忠誠が。

 そして、兄への愛情が。

 そんな、腹心の部下にさえ決して明かさなかった心の内を……なぜ、目の前の男が知っている!?

「可哀想になぁ。――惚れた女が、兄貴の奥方だとはよ」

「黙れ!」

 思わず我を失って叫び、それでもなお、何とか自制を取り戻そうとするのは、さすが己を律することを身上とするエックベルトというべきか。

「黙れ……貴様……何を」

「皇帝陛下の目と耳は、どこにでもあるのさ。お前らがいったい何百人の密偵を斬ったか知らねーが、ひとり見かけたら、30人はいると思いなってな。――ま、ここはひとつ、腹を割って談合といこうじゃねーか?」

「貴様と話し合うことなど、何もない……」

「そうか? そういう顔には見えねーぜ。……ま、オレ様的には、こーゆーやり方は、あんまり好きじゃねぇんだけどよ……」

 最後の一言は、まるで独り言のような調子で口にされた。

 あるいは、それがカクタスの真情だったかもしれない。

 だが転瞬、彼もまた、一瞬かいま見せた本心を覆い隠し、元のおどけたような、バカにするような表情に戻っていた。

「大事な王妃様を助けたきゃ、方法はひとつしかねえ。 ――お前。王の首を取りな」

 あまりにもあっけない口調で示された、その提案に――

「……見くびるな、下郎」

 エックベルトは、真っ向から鋭い視線を叩きつけ、それにもまさる冷然とした答えを返した。

「この私が、そんな誘いに乗るとでも思ったか? 帝国ではどうか知らんが、フラバー王国軍の軍人は皆、最高司令官たる国王に忠誠を誓っているのだ! 剣を捧げた相手に刃を向けるような裏切り者は、この私を含めて一人もおらぬ!」

「ははぁ」

 切りつけるような返答に、カクタスは、動じなかった。

「さすが、軍人の鑑だねぇ。任務に私情ははさまねーってか? ……だが、考えてもみな。軍人の仕事ってな、何だ? 国を守ることじゃねえのかい。皇帝陛下は、フラバーの王さえ討てば、これ以上この島を攻撃しねえって言ってるんだ。王妃様だって、無傷で返してやるんだぜ」

「卑劣な真似を! そんな甘言を弄して、私に兄を斬らせようというのかっ」

「阿呆、落ち着いて聞け! ……ったく、短気な野郎だぜっ。いいかぁ? そもそも、てめーら王族が頑固に帝国に逆らったから、今、こんなとんでもねーコトになってるんじゃねーか。てめーらがさっさと国を明け渡してりゃあ、こんなに血は流さずに済んだんだぜ」

「これは、王家のみの意志ではない! 帝国と戦うことは、この国に住む者全ての意志だ!」

「へぇ。そうかよ?」

 カクタスの口の端に、シニカルな笑みが浮かんだ。

「こうなっても、国民全部がそう思い続けてると、あんたは信じてるのかい」

 エックベルトは、用意していた言葉が喉につかえるのを感じた。

 今、この瞬間にも、王国各地では人々が必死の防戦を繰り広げているはず。

 彼らは――

 果たして、この状況で、このまま戦い抜くことを望んでいるのだろうか?

『あんたらさえ、帝国に逆らわなけりゃあ……』

『あんたらが……犠牲になってくれりゃあ、こんなことにはならなかった!』

 城壁の上で聞いた、男たちの叫びを、彼は思い出した。

 あれが、人々の心の内だとすれば――

 そうだとすれば――

 自分たちが今、していることは……?

「ハッキリ言わせてもらうが、このままじゃ、てめーらに勝ち目はねぇ。戦いを続けたところで、城を枕に総員討ち死にが関の山だ。吟遊詩人の語りぐさくらいにはなるかもしれんが、生きてこの戦いを語り継げる奴は誰も残らねーだろうよ」

 黙ってしまったエックベルトに向かって、カクタスは、淡々と告げる。

「だからよ、もう一度、チャンスをやるって言ってるんじゃねえか。国民の奴らを、勝ち目のねえ戦いでわんさか死なすよりは……たった一人の犠牲で、全部の命があがなえるんだぜ。王妃様の命も助かる。これを、有利な取り引きだと思わねー奴はバカだよ」

「…………」

「ま、そういうことさね。じゃ、オレはこのへんで」

「――待て!」

 言うだけ言って、さっさと消えようとするカクタスに、エックベルトは慌てて叫んだ。

 振り向いてきたカクタスに、しかし、それ以上告げる言葉を見つけられずに立ち尽くす。

 カクタスの顔を、不思議な表情がよぎった。

 それは勝利を確信した笑みのようでもあり、あるいは、哀れみのようでもあり――

「後はあんたの胸ひとつだ。……ま、後悔しねーようにやりな」

 小瓶を収めた胸のあたりを軽く叩いてみせ、カクタスは、あっという間に姿を消した。

 1人残されたエックベルトは、その場に立ち尽くし、じっと一点を見つめていた。

「……エックベルト様!」

「ご無事ですか!?」

 しばしの後、団長の身を案じた騎士たちが駆けつけてくる。

 ――ゆっくりと振り向いた、エックベルトの目には。

 今しも、ひとつの決意があらわれようとしていた。







   12  守るべきもの



「落ち着いて、落ち着いて、落ち着いて……」

 呪文のようにぶつぶつぶつと呟いておいて、

「すうーっ……はぁぁぁぁっ」

 深呼吸をひとつ。

 ヨネに仕えるメイド・エリスは、意を決して、第3研究所でもっとも高い塔の窓から、そっと顔をのぞかせた。

 あの『ゴウン……ゴウン』という奇妙な物音から、およそ30分が経過している。

 ――あれからの30分。

 第3研究所の中は、控えめに言っても、蜂の巣を蹴たぐり回したかのよーな大騒ぎだった。

 あの音の正体は、敵の侵入を防ぐための防護壁が上がる駆動音だったのだ。

 機械の故障か、それとも、何らかの原因が他にあったのか。

 とにかく、命綱とも言える防護壁が、なぜか勝手に開いてしまったと分かった瞬間、

「も……もう、ダメだぁっ!」

「ぎゃああああ! おしまいだあ! 死ぬうううう!!」

「ひーっ! お助けーっ!!」

 さすがにその場の全員が、一瞬パニックに陥りかけた。

 しかしながら、次の瞬間――

「でえぇぇえーいっ! やっかましいいい! てめぇら全員、ガタガタ騒ぐんじゃあねぇっ!」

 1人のおっさんが発した、とんでもない怒鳴り声が、致命的な混乱を食い止めた。

「いーか、てめぇら!」

 でーん! と大見得を切り、叫ぶおっさん。

「なんで、扉が開いたか! 原因は、さっぱり分からねぇ!
 しかし! 開いちまったモンは、もっぺん、閉めりゃいいだけのハナシだっ!
 おう、てめぇらっ! グジャグジャグジャグジャしょーもねーコト喚いてるヒマがあったら、手近のモン、何でもかついで、俺についてきやがれぃっ!」

 こうして――

 いったんは開いた扉を、おっさんをはじめとした男たちが、ケガを押して力を合わせ、強引に閉めなおしたのである。

 扉の内側には、みなが協力して研究室から引っぺがしたでっかい機械類が、バリケードがわりに積み上げられた。

 そして、それは、まさに間一髪のギリギリセーフだった。

 全ての扉が閉めなおされた、その直後に、第3研究所の周囲は、竜牙兵たちによって、完全に包囲されてしまったのだ。

 もしも扉を閉めるのが、あと少しでも遅れていたら、戦闘力のほとんどないメイドたちをはじめとして、ここに避難してきていた人々の大半は、なす術もなくやられてしまっていただろう。

「うー……」

 おそるおそる、目だけを窓わくの上に出し、エリスは、周囲の様子を見渡した。

 彼女は、今や即席防衛隊の隊長となったおっさんから、重要な任務を言いつかっていた。

 どうにかギリギリで間に合いはしたものの、やはり、急ごしらえのバリケードでは限界があったか、正面玄関の第1の扉はすでに突破され、次の扉でなんとか持ちこたえているという状態だ。

 このまま無策に立てこもっていたのでは、遅かれ早かれ、いつかは破綻がやってくるだろう。

 その時が来るまでに、何とか脱出の算段をしなければならない。

 そこで、エリスが塔のてっぺんから辺りの様子を探り、脱出できそうな経路を探す、ということになったのである。

 ――と。

(こ……これって……)

 塔の四方に開かれた窓をぐるりと巡って、竜牙兵たちの動きを観察していたエリスは、ふと、あることに気がついた。

 不気味に白く、いったい何十体いるのか見分けがつかないほど、わらわらと群れてうごめく竜牙兵たち。

 ――しかし。

 建物の、ある一辺にだけ、その姿がまったく見えないのである。

 よく見ると、突破された正面玄関のほうに大量の竜牙兵が集まっており、今なお、その数は増し続けている。

 しかし、そのちょうど反対側には、1体の竜牙兵もいない。

(ひょっとして……)

 エリスの脳裏に、ある考えがひらめいた。

(あいつら……突破できそうなところに、全員が集中してる……?
 これって、今なら、反対側から脱出できるんじゃないかしら!?
 ……いえ、待って。こっちを油断させるための偽装ってことも……?
 あ、でも、竜牙兵は単純な判断しかできないって話だし……。
 だとすれば……)

 時間にすればほんの数秒。

 めまぐるしく思考を回転させて、エリスはぱっと立ち上がった。

(これは、チャンスだわ!)

 だだだだだ、と転げ落ちるように塔の螺旋階段を駆け下り、廊下を猛然とダッシュする。

 やがて、巨大な扉と、手前に山と積み上げられたガラクタ、そして、それを内側から押し返す男たちの姿が目に入った。

 ――そして、その扉の向こうからは、ドシン、ガシャン、という音が絶え間なく響いている。

 竜牙兵たちが、向こう側から体当たりをかまして、扉をブチ破ろうとしているのだ。

「おう、嬢ちゃん!」

 ひときわデカい体格をしたヒゲ面のおっさんが、幅の広い肩でバリケードを押さえつけながら振り向いてきた。

 片腕を三角巾で吊っているが、残ったもう一方の腕だけでも、棍棒なみの破壊力がありそうだ。

 このおっさんこそ、最悪のパニックを気合いで回避し、即席防衛隊を組織した、例の偉大な男である。

 彼のかたわらでは、数人の男たちが必死の形相で、同じようにバリケードを押し返していた。

「やっ……破られそうなんですか!?」

「いや、手前ミソながら、こいつぁかなり頑丈なバリケードでな! 俺たちがどいても、しばらくはもつだろう」

 ぐわっと豪快な笑顔で応えてきたおっさんは、

「……で、どうだ。抜けられそうか?」

 最後の一言だけ真剣な顔つきになり、顔を近づけて囁いてきた。

「ええ! ……っ」

 勢い込んで叫んでから、慌てて口を押さえるエリス。

 竜牙兵が、人間の言葉を解するものかどうかは知らないが、万が一にも扉の向こうにこっちの計画が漏れたら、一巻の終わりだ。

 ひそひそとした、しかしやっぱり勢い込んだ口調で、エリスは物見の成果を告げた。

「正面玄関が突破されたおかげで、逆に、敵が完全にこっちにかたまって、裏のほうがガラ空きになってるんですよ! 今なら、裏から逃げられそうです!」

「そうか……!」

 おっさんの顔が輝いた。

 よくやった、というつもりだろう、ばしっ! とエリスの肩を叩いてから、よろめいた彼女には構わず、周囲の人々に、抑えぎみの声で告げる。

「よし皆、聞け! 今、研究所の裏手には、敵が全くいねえらしい。敵がこっちを突破しようと集まってるあいだに、俺たちは、裏から秘密裏に脱出する。
 ――だがっ! いっくら敵が間抜けでも、そういつまでも裏がノーマークだって保証はねえ。それに、ここのバリケードだって永遠にもつわけじゃねえからな。できる限り、素早く出るぞっ!」

 そこまで言って、彼は、手近の若者の背中をどんと押しやった。

「よし行け! 裏の奴らにも事情を説明して、そっちのバリケードをどけて出ろ。メイドの嬢ちゃんがたも連れていけ! 間違っても、デカい音やら声やら立てるんじゃねーぞ! ――素早く、かつ、こそこそ行け! 分かったかっ!?」

「わ、分かった!」

 おっさんの的確な指示に、こいつは助かりそうだ、という安心感を得たのだろう。

 笑顔さえ見せて頷いて、今までバリケードを押さえていた人々は、裏手に向かって一斉に走り出した。

「――嬢ちゃん」

 極めて素早く展開した事態に、完全に取り残された形でエリスが突っ立っていると、その背後から、おっさんが声をかけてきた。

「あんた……あの姐さん、一体どうする気なんだ?」

「へ?」

 きょとん、とした表情で振り向くエリス。

 と、その瞬間、彼女は気がついた。

 ――今の今まで、自分が、ヨネの存在を完全に忘れ去っていたということに。

「あっ……」

 何となく、全員で一緒に逃げられるような気になっていた。

 だが、インターフェースジャックを外せない以上、ヨネをあの部屋から動かすことは不可能なのだ。自分で、そう言っていたのに。

「……私……私は……」

 エリスは、半ば意識せずに呟いた。

「嬢ちゃん!」

 その呟きを、おっさんは「ここに残る」という意味に解釈したらしい。

 彼はエリスの肩をつかむと、強く揺さぶって言った。

「あの姐さんは、多分、もうダメだ。捨てていくしかねえ。一緒に来い!」

「イヤですっ!」

 その瞬間、エリスは自分でも驚くほどの勢いで叫び、身体をよじっておっさんの手をもぎ離した。

 そのまま、堰を切ったように、一息に怒鳴る。

「ダ……ダメって、何ですか!? それに、捨てるとか、ひどいこと言わないでください! ヨネさまは、まだ、生きてるんです! 私は、ヨネさまをお守りしなくちゃならないんですっ!
 だから、私は、ここに残ります!」

「……あのなぁ……」

 まなじりを吊り上げて叫ぶエリスに、ヒゲのおっさんは、少なからず呆れたような調子で呻いた。

 この、まともに剣を握ったこともないであろう細っこい娘が、人1人を守って竜牙兵相手に戦い抜くのは、何がどう転んだところで、完全無欠に不可能である。

 ここに残らせたのでは、はっきり言って、殺すのとほとんど変わらない。

 仕方ない、と、彼は心の中で呟いた。

 多少かわいそうではあるが、ここは当て身でも食らわせて、担いでいくしかないだろう。

 ――と、その瞬間、おっさんにとってはちょっと意外なことが起こった。

 彼が何をしようとしているのかを敏感に察知したエリスが、素早く腰のレイピアを抜き、彼に向かって構えたのである。

「や……やめてください」

 奇妙に震える、しかしそれだけに本気の伝わる声音で、エリスは目を見開き、ささやくように言った。

「私、ここに、残ります!」

「…………そうか……」

 ヒゲのおっさんは、憐れみと、それだけではない感慨のようなものを眼差しににじませて、エリスを見つめた。

 本当は、このレイピアを払いのけ、ブン殴ってでも連れていくのが正しいのだろう。

 だが、それでは、彼女の大切な人間、まだ死んでもいない人間を見捨てさせることになる。

 彼女は一生、自分の無力さを悔やみ、自責の念に苛まれながら過ごすことになるのだ。

 ……ここでぐずぐず迷っている暇はない。

 おっさんは、ちらりと背後――人々が逃げていったほうを振り返り、またエリスに目を戻して、言った。

「嬢ちゃんの男気に付き合って残りたいとこだが、俺は、外に出た連中を守らなきゃならねえ。――いいか、嬢ちゃん。そのレイピアかざして特攻かけるのは、最後の手段だ。部屋のドアをしっかり閉めて、バリケード作って……石みてえに静かにしてな。案外と、敵さん、素通りしてくれるかもしれねえからな」

「……はい!」

 おっさんのアドバイスに、用心深くレイピアは構えたままであるものの、とにかくエリスは素直に頷いた。

 おっさんもひとつ頷き返すと、そのまま踵を返してたたっと走り去る。

 と、彼は10歩ほど行ったところで、いきなり、くるっと振り返り、

「――生きてまた会えたら、おっちゃんとデートしてくれよ!」

 笑顔でひらっと手を振って、今度こそ、廊下の闇の向こうに消えていった。

 エリスはただ1人、コンピュータ・ルームに駆け戻る。

 部屋に入るやいなや、彼女はばんと扉を閉め、鍵をかけ、棚やテーブルなどの動かせそうなモノを全部ぐわーっと扉の前に押していって、即席のバリケードを作った。

 か弱い女の子1人にこんなコトができるとは、見ている者があれば驚いただろう。

 まさに火事場のナントヤラだ。

 本気で命が――それも二人分の命がかかっているとなれば、人間、たいていのことはできる。

 ハードな作業を終え、ぜいぜいと息を荒らげながら、エリスはヨネのそばに戻ってきた。

 横たわり、眠り続けているヨネは、まるで機械の一部と化してしまったかのようにぴくりとも動かない。

 そのかたわらから、みっちろ人形が、黒い目でじっとこちらを見上げてきている。

 あちらこちらで点滅するランプ。

 遠くから聞こえてくる破壊の物音は、ゆっくりと、しかし確実に近付いてくる――

(やっぱり、怖い……!)

 不意に、巨大な恐怖感が襲ってきた。

 エリスは床にしゃがみこんだ。

(怖い……淋しい……! やっぱり、みんなと一緒に逃げればよかった――!
 戻ってきて、みんな……! お願い、目を覚ましてください、ヨネさま……!)

 ガシャアアァァアン!

 出し抜けに、すさまじい破砕音が耳に届いた。

 ついに最後の扉が破られたのだ。

 やがて、無数の足音が聞こえてきた。

(き、来た……!)

 不思議なもので、人間どれほどくよくよ迷っていても、マジで完全にとことん追い詰められた時には、不思議と肝が据わるものである。

 敵が来た――

 そう思った瞬間、エリスは、再び立ち上がっていた。

 冷や汗を浮かべながらも、レイピアの柄をにぎりしめ、鞘から抜き放った。

 ヨネを守るように立ち、バリケードでふさがれた扉をにらみつける。

 不気味にテンポのそろった硬質の足音は、止まることなく近付いてきて――

 やがて彼女たちがいる部屋の真ん前に達したところで、ぴたりと止まった。

 ここは、この部屋だけは素通りしてくれるかもしれない。

 いや、きっと、そうなるに違いない――

 心のどこかにあったそんな考えは、どうやら甘かったようだ。

 数瞬の不気味な静けさの後、

 ドシン! ガッシャン! バキッ、バキバキッ……

 激しい物音とともに、バリケードがガタガタと揺れはじめる。

「き、来た。来た来た来た……」

 エリスは早口で呟いた。

 顔は極度の緊張で引きつり、自分が呟いているということにさえも気がついていない。

「よし、わかった、いいわ、来るなら来なさいよ……あたしは、やられやしないんだから……! 何が何でも、ヨネ様をお守りするんだから……!」

 バシャアアアアン!!

 バリケードごと扉が吹っ飛び、飛び散った破片の向こうから、ぬっと白い姿が現れた。

「…………う……」

 塔からの物見で、竜牙兵の姿は知っていた。

 だが、今、目の当たりにした敵は、塔の上から見下ろしたときとは比べ物にならないほど巨大に見えた。

 そして、あのときは華奢に見えた骨格は、エリスの生身の腕よりもずっと太く、頑丈そうだった。

「う……わあああああああっ!」

 怯んだのも束の間、プッツンというかヤケクソというか、次の瞬間、エリスはこんかぎりの大声で叫んでいた。

 その勢いのまま、レイピアを構え、いきなり突っ込んでいく。

 ――いや、突っ込もうとした。

 だが足が動かなかった。

 まるで、誰かが足の裏をボンドで床に貼り付けでもしたみたいに。

「あ、れ?」

 目を丸くしたまま――

 どすん、と音を立てて、彼女は床にへたり込んだ。

 緊張のあまりに気がついていなかったが、敵の姿を目の当たりにした瞬間、彼女の腰は抜けていたのだ。

「う……そ」

 一瞬、空虚になったエリスの顔を、すぐに、べったりと恐怖の色が塗りつぶした。

「…………うあ……あ……ああああ」

 立ち上がれないまま、ずるずると後ろ向きに這って後退する。

 竜牙兵たちは、槍を突き出しながら、無表情に迫ってくる。

「あああああ」

 背中が、ヨネが眠るベッドにぶつかった。

 そのとき、エリスの目に、必死の光が浮かんだ。

 ――まだだ。

 あたしはまだ、死にたくない。

 なんとかすれば、助かるかもしれない。

 ……そうだ、このまま、ヨネさまを放り出して逃げようか?

 それとも、いっそ……

 彼女を、囮にしようか?

 そうだ……竜牙兵たちが彼女に気を取られているすきに、自分1人だけなら、なんとか脱出できるのではないか……?

 エリスの手が、動かないヨネの腕をつかむ。

 ――『お身体のほうはばっちり、このエリスにお任せください! もしもの時は、このあたしが、命に替えてもお守りしますからねっ!』

『ヨネさまはまだ、生きてるんです! あたしは、ヨネ様をお守りしなくちゃならないんですっ!』

『何が何でも、ヨネさまをお守りするんだから……!』

 エリスは、目を見開いた。

 ……そう……そうだ。

 あたしは、そう言った。

 他の誰でもない、自分自身に、そのことを誓った。

 あたしはヨネさまが……優しくて、いつも皆のことを考えてくださるヨネさまが、大好きだったから。

 その誓いを、あたしは、破ることができるのか?

 エリスは、指先にかろうじて引っかかっていたレイピアをぐっと握り、立ちあがった。

 すでに槍が届く間合いまで踏み込んできていた、先頭の竜牙兵が立ち止まる。

 かくん、と首を傾げたその仕草は、状況が許せば、ユーモラスとさえ言えただろう。

「く、来るなッ!」

 レイピアを突き出す。

 膝が笑い、切っ先もぶるぶると震えていて、ろくに狙いも定まらず、誰が見ても素人丸出しだ。

 鬼気迫る表情は迫力充分だが、それだけではどうにもならない。

 竜牙兵は、何の感銘を受けた様子もなく、無造作に槍を引いた。

 だめだ、殺される……

 エリスは目を閉じた。

 自分には、やっぱり無理だったのだ。

 ごめんなさい、ヨネさま、あなたをお守りできなかった。

 ごめんなさい、陛下。

 みんな、もう一度会いたかった――

 ズッシィ――ン!!!

 ばきばき、めきっ、メキメキ……

 ぐわらぐわら、どっしゃ――――ん!!!!


 …………一体?

「……?」

 固く目をつぶっていたエリスは、恐る恐る、薄目を開けてみた。

 その視界に飛び込んできたのは――

 彼女の予想を、遥かに越えた光景だった。

 目の前にあったはずの竜牙兵の姿は、消え失せていた。

 それだけではない。

「な…………?」

 部屋の壁も、屋根さえも。

 とにかく、今まで目の前に存在していたもの全てが、跡形もなくなっていたのである。

 そのかわりにあったのは、うずたかくそそり立つ瓦礫の山と、そのてっぺんに、青空を背景にそびえ立った巨大な影――

 と、その影の上に乗った誰かが、長大な槍のような武器を振りかざし、大音声で名乗りをあげた。

「やあやあ、遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ! 我が名は、騎竜将軍フラバー・ユーリ! 我が母上に仇なす不埒者は、この私が成敗……って……」

 そのときになって、ふと何かに気付いたように、ぶつ切りに名乗りが止まった。

 ややあって、悲鳴のような叫び声が聞こえてくる。

「……はうううっ!? まさかっ! 母上まで一緒に潰してしまったっ!?」

「ユーリさまっ!!!」

「ん?」

 喉も裂けよとばかりに叫んだエリスを、巨大な影――飛竜ランドローヴァルに乗った若武者、ユーリの目がとらえた。

 その瞬間、彼の顔が、ぱっと輝く。

「あ、エリスさん! ――ああっ、母上も! 良かった! 私はまた、てっきり、竜牙兵もろとも殺ってしまったかと思いましたよ! あはははは!」

「あ、あははは……って……」

 とんでもねーコトを言って爽やかに笑っている騎竜将軍に、まだ脳の8割方は呆然としたまま、エリスは腕を振り、周囲の瓦礫を示した。

「あの……これは……あの……一体、何が……?」

「ああ」

 どこまでもにこやかに、ユーリ。

「驚かせてしまったようで、申し訳ありません。竜牙兵がこの研究所に入りこんでいるという知らせを受けたので、上空から、大おばさまたちが開発なさった《フラバーの鉄槌》――爆裂弾を投下したんです」

 その爆発の威力でガタがきていたところに、ユーリたちが思いっきり着地したのがとどめとなって、建物が一気に崩れ落ちたというわけである。

 ……研究所に侵入した竜牙兵たちを一気に叩き潰すという作戦だったのだろうが、予定よりも、ちょっと余計に崩れ過ぎたらしい。

 1歩どころか半歩でも間違っていれば、自分たちも本気で危険だったのだが、エリスにとって、それはもはや大した問題ではなかった。

 自分たちは、今、こうして、生きている。

 生きている……

 そう、生きているのだ!

「助かりましたわ。ありがとうございます、ユーリさま!」

「ええ!」

 翡翠色の髪をひるがえし、ユーリはひらりと地面に降り立った。

「それにしても、このタイミングで駆けつけられたのは、本当に幸運でした! たまたまこの辺りに飛んできて、ふと地上を見下ろしたら、こちらに逃げてくる人の列が見えたんです。それで、どうしたのかと思って降りて聞いてみたら、この研究所から逃げてきたというので……」

「じゃあ皆さん、無事なんですかっ!?」

 勢い込んでたずねたエリスに、にっこりと頷くユーリ。

「ええ。おそらく今頃は、私と一緒にこちらに向かっていた兵士たちに保護されているでしょう」

「よ……よかったぁぁ……!」

「いやあ、それにしても、本気で焦りましたよ。竜牙兵が研究所に入りこんで、しかも、エリスさんと母上が、まだ中央管制室に残ってるっていうじゃありませんか! それだけ聞いて、あとはもう、とりあえず大急ぎで――」

 そこまで言ったとき、ユーリの視線が、ある1点に留まった。

 ベッドの上で身動きもせずに眠り続ける、ヨネの姿の上に。

「母上……?」

 思わず、という感じで数歩、そちらに歩み寄ったユーリの足が、ぴたりと止まった。

「…………まさか……」

「違います!」

 騎竜将軍の考えを察し、大声をあげるエリス。

「生きていらっしゃいますわ。でも……意識が戻らないのです。ヨネさまは、どうやら、ネット上で何者かと戦われたみたいで……精神に大ダメージを受けて、そのまま昏睡に陥ってしまわれたのです。先程から、ずっとこの状態で……呼びかけても、まったく反応なさいませんし……」

「そんな……」

 ユーリはヨネのかたわらに労しげに膝をつき、動かない母の身体をそっと抱き上げようとした。

「なりませんっ!」

 それを、慌ててエリスが止める。

「どうしてです?」

 その剣幕に驚いて手を引っ込め、尋ねたユーリに、エリスは、ヨネの首の真後ろから伸びるコードを指差した。

「? ……こんなもの、叩き切ってしまえば……」

「そうは参りませんっ! そんなことができるなら、あたしがとっくにヨネさまをお連れして逃げておりますわ! このコードは、特殊な魔法によって、ヨネさまの脳と直接繋がっているのです! 意識が戻らないまま、これを無理に断ち切ったりしたら、ヨネさまは致命的なダメージを受けてしまいます!」

「……う〜ん……」

 眉間に深いシワを刻み、頭を抱え込んで、ユーリ。

「では、母上をここから動かすことはできないのですね?」

「はい……ヨネさまがご自分で意識を取り戻されるまでは、わたくしたちには、どうすることもできません……」

 エリスの言葉を聞きながら、ユーリは、頭を抱えたポーズのままで考え込んだ。

 彼はもともと、ヨネたちを助け出し《迷路の森》にまで送り届けた後、再び市街地での戦いに参加しようと考えていた。

 しかし、ヨネが動かせないとなると、この案はいきなりボツだ。

 ――ユーリが上空から見下ろしたとき、この第3研究所のまわりには、かなり多くの竜牙兵たちが集まっていた。

 そのうち、研究所内に踏み込んでいたものは、今の『建物ぶっ潰して、諸共に埋める作戦』によって全て倒したはず。

 となると、残る問題は、建物の周囲にいたヤツらなのだが――

 キュオオオオン!

 突然、瓦礫の山のてっぺんでランドローヴァルが一声咆哮し、翼をたたんだまま、ぶうん! と尻尾を振り回した。

 ばきばきばきっ! と派手な破壊音があがり、続いて、竜牙兵の残骸らしきモノがぶっ飛んでくる。

「きゃあっ!?」

 すぐそばに落下してきた竜牙兵の頭に、エリスが悲鳴をあげてヨネをかばった。

 キュウウウィッ!

 ランドローヴァルは、そのまま猛然と瓦礫の山を駆け下りていった。

 ドスドスという彼の足音と、バキッ! とかボキッ! とかいう、やたら生々しい音が、いっしょくたになって聞こえてくる。

 その音から察するに、どうやら、山の向こう側の斜面を這い上がってきていた竜牙兵どもを、ランドローヴァルが一掃しているようである。

 と、

「……ああっ! そうだ!」

 突然、天啓のごとき閃きを得たらしく、ユーリは、ぽんっ! と手を打ち、顔を上げた。

「ランドローヴァル!」

 キュウウウウウッ!

 瓦礫の山の向こうから、甲高い返事が聞こえてくる。

 無論そのあいだも、破壊の物音はやまない。

「いいかい、よく聞いておくれ! 私はこれから城に戻り、マホナンヌさまを呼んでくる! マホナンヌさまなら、おそらく、母上を魔法で何とかできるに違いない!」

 はなはだ安直な思いつきではあったが、現にこれまでは、いつでもそれで何とかなってきたのである。

 ――困ったときのマホナンヌ頼み。

「おまえはそれまでここにいて、エリスと母上を守るんだ! たとえ一兵たりとも、ここに近づけてはいけないよ。いいね?」

 キュイッ!

 まっかせてください!

 そんな、忠実な飛竜の答えに、ユーリは一瞬だけ、いつものにっこりとした笑顔を見せた。

「よし、いい子だ。……というわけで、エリスさん! 私たちが戻るまで、母上のことは頼みましたよ!」

「ち……ちょっとお待ちを、ユーリさま!」

 慌てて叫ぶエリス。

「あの竜を残してゆかれるのですか?」

「ええ。ランドローヴァルは飛竜で、本来は地上での直接戦闘向きではないのですが、竜牙兵ごときが相手ならば不足はありませんよ。……不安ですか?」

「いえ! あの、そういう意味ではなく……ユーリさまはここから、どうやって城までお戻りになるのですか!? 市街地には、敵があふれて――」

「大丈夫」

 ユーリは、笑顔で頷いた。

「走って帰ります!」

「………………は?」

 きっぱりはっきり言い放つが早いか、目を丸くするエリスには、もはやかまわず――

「やあやあ、遠からん者は音にも……はぃやあああああああァっ!!

(推定)百キロの青竜堰月刀をド派手にブン回しつつ、フラバー・ユーリは嵐のように敵中を突破していった!

 その雄叫びが、快調に遠ざかってゆく。

 ランドローヴァルの奮戦の物音も、相変わらず続いている――

「ほ……」

 それを、呆然と聞きながら、

「……ほへえええ……」

 安心したのと呆れたのとで、エリスは、ふにゃふにゃになってヨネのかたわらに座り込んだのだった。







      13  ゴキブリ退治



 第3研究所にて、からくも命を拾ったエリスが、ヨネのかたわらでふにゃふにゃになっていたころ――

 それより、やや東よりの地区では。

『どおぅりゃぁぁぁぁっ!!』

 ザガガガガガガッ!

『そーれーっ!!』

 ピコォォォォン!

 ――ひと言で言って、ものすごいコトになっていた。

『……お姉さまっ! このままじゃあ、キリがないわよっ!』

 装甲スーツに身を包み、豪快に巨大ハリセンをぶん回して竜牙兵を粉砕しつつ、かっきーが言えば、

『ええ、そうですわねっ! ――確かにそうなのですけれど、とりあえずは、目の前の敵を片付けることが先決ですわっ!』

 やっぱり装甲スーツに身を包み、巨大ぴこぴこハンマーで、3体の竜牙兵をまとめて叩き潰しつつ、答えるババリン。

 ハンマーが地面に激突すると同時、石畳が粉々に爆砕し、ピコーン! とものすごい音が響く。

 この2人組、街に出てこのかた、延々この調子で、休みもせずに竜牙兵を潰しまくっているのだ。

 ほとんど、モグラ叩きかゴキブリ退治のノリである。

「す……すっげぇーなぁ……」

「お、おう……こりゃ、なんつうか……」

「……豪快すぎるよなあ……」

 味方の兵士までもが、思わず呆然とするほどの暴れぶりだ。

 この大暴れの秘密は、彼女らが身に着けている装甲スーツの内部にあった。

 何と、この装甲スーツには、着込んだ者の意志に応じて動作のスピードを3倍に、腕力を10倍に引き上げる、最新鋭の戦闘補助システム(ババリン作)が組み込まれているのである!

 ――これで大量生産が可能、かつ、もーちょっと外見が格好よければ、何も言うことはないのだが……

 今の2人の姿は、どこからどう見ても『でっかいダルマに手足をくっつけたよーな巨大物体』だ。

 こんなもんが暴れ倒している場面に居合わせて、呆然とするなと言うほうが無茶である。

 しかも、武器はハリセンとぴこぴこハンマー(かっきー作)。

 ……それはさておき、2人から少し離れた周囲では、兵士たち&魔術師たちも、かなりの活躍を見せていた。

 かっきー&ババリンが戦っている騒ぎを聞きつけて、自然と集まってきた者たちだ。

 当初はなかなか連携がうまくいかず、苦戦していたのだが、

『まず魔術師が衝撃波を撃って、敵をバラバラにする。次に、すかさず兵士が走り寄り、竜牙を砕いてトドメをさす』

 という戦法が確立されてからは、1体ずつ確実に竜牙兵を仕留められるようになっている。

 一見、効率が悪い戦法のようだが、これならばむやみに大技でブッ飛ばす方法よりも魔術師の消耗が少なくてすみ、長期戦が可能だ。

 しかも、復活するヤツがいなくなったおかげで、敵の数は目に見えて減りつつあった。

 かなり画期的な戦術である。

『この戦術を、あちこちで戦っている別の部隊にも広めよう!』ということになり、つい先程、3人の伝令が出発していた。

 しかし、果たして伝令たちは、目指す部隊に、無事にたどり着くことができるだろうか?

 戦いが繰り広げられている場所は、ここだけではないのだ――

 と、ババリンが、一瞬の物思いにとらわれた隙に。

「ひ……ひぇ……」

 情けない声をあげて腰を抜かし、座り込んだ魔術師めがけて、大槍を振りかぶる竜牙兵!

 バキィッ!!!

 彼が串刺しになるより一瞬速く、駆け寄ったババリンが繰り出した裏手パンチが、ものの見事に竜牙兵を張り飛ばす!

「――う、うるぁっ! この、このこのこのっ!」

「でええええーいっ!」

「どりゃっ! どりゃっ!」

 手近の壁に叩きつけられ、バラバラになった竜牙兵に、ここぞとばかりに殺到する兵士たち。

「あらあら……みなさん、いきなり強気になられて……そんな元気がおありなら、もう少し早く助けに行って差し上げればよろしいのに……」

 なかなか辛口の呟きを、マイクに拾われないほどの大きさでぼそっと漏らすと、ババリンは、いまだへたり込んで震えている魔術師に声をかけた。

『そこのあなた、ご無事でいらして?』

「は……はひう……」

 ほとんど吐息のような声ながら、一応返事をして、かくかくと頷く魔術師。

『……そう。良かったですわ』

 と、少し落ち着いて辺りを見わたせば、この辺りの竜牙兵は、あらかた退治し終わったらしい。

 瓦礫に混じって地面に散らばった竜牙兵の白骨が、再生しようとぴょこぴょこ跳ねまわっているが、兵士の1人が斧を振り下ろして最後の竜牙を砕くと、見えない糸が断ち切られたように、ぱたっとその動きも止まる。

 ババリンはかがみ込み、魔術師に、装甲スーツのでっかい手(というか指先)を貸して立ち上がらせてやった。

『ふーっ、やーれやれ。よーやっと小休止、ってとこね』

 がっしょがっしょと足音を立て、傍らにやってきたかっきーが、セリフの内容ほどには疲れを感じさせない、だが、どこか不安そうな口調で、言った。

『けど、きっとすぐまた、どっからともなく湧いてくるわよ。……ねえ、お姉さま。このままここに陣取って、やってくるヤツらをぷちぷちぷちぷち潰していっても、あんまり意味がないような気がしない?』

『確かに、そうですわね』

 ババリンは、考え深げに唸った。

 妹の不安は、実は、ババリン自身も感じていたものだった。

 いや、不安というのとは、ちょっと違う。

 あまりにも、手応えがなさすぎるのだ。

 そりゃ生身の一般人にしてみれば、竜牙兵は充分以上の脅威だが、装甲スーツを着込んだ彼女らにとっては、朝飯前にブチ倒せる相手である。

 何というか――このままでは、もったいない。

 この強大な戦力は、もっと、役に立つはずなのだ。

 しかし、かっきーもババリンも、根っから研究・開発畑の人間である。

 偉大な科学者の頭脳も、戦術的な思考には、あまり向いていなかった。

『どーしたもんかしら……』

『……う〜ん……』

 と、装甲スーツ姿のまま、まったく同じポーズで腕組みし、2人なかよく考え込んでいると。

「あ、あのう……」

 気弱げに言葉をかけてきたのは、たった今、ババリンが手を貸してやった、あの魔術師だった。

「それでしたら、発生源を叩けばよろしいんじゃないですか……?」

『――発生源?』

 かっきー&ババリンの声が、期せずして、きれいにハモった。

 がしょん、と全身で振り向いてくる2人に、魔術師はややビビったようだったが、逃げ腰になりながらも、言葉だけは続けてくる。

「は、はい。竜牙兵がここに出てくるということは、それを作成し、操っている者が、この島のどこかにいるということでしょう?

 私が発生源、と申しましたのは、その術者のことです。

 ……術者を倒すことさえできれば、その者の魔力によって動いている竜牙兵を、すべて、一気に無力化できるのですが……」

『な、なぁるほど!』

 ずむっ! と、でっかい拳をでっかい手のひらに打ちつけて、かっきー。

『それって、すっごいグッドアイデアだわよ! ね、お姉さま?』

『……確かに、グッドアイデアですわ。けれど、その術者がどこにいるのか、どうすれば分かるのかしら?』

『――あ』

 かっきーが、あからさまに落胆した声を出す。

『そういえば、そうよね。しらみつぶしに探すにしちゃ、この街は広すぎる……。住人が避難して、空っぽになってる家も多いのよね? そんなとこに隠れてるなら、見つけようがないわ。まさか、片っ端から屋根をひっぺがして中をあらためる、なんてコトをするわけにもいかないし――』

「あ、それでしたら、大丈夫だと思います」

 かっきーの言葉をさえぎって、魔術師が言った。

『……屋根、ひっぺがしてもいいって?』

「は? い、いえ、そうではなく、……つまりですね」

 まるで生徒に講義をする教師のような調子で、魔術師は言った。

「竜牙兵の召喚には、かなり広いスペースが必要なんですよ。……要するに、それなりの広さの魔方陣が必要だ、ということですが。普通の民家の中では、まず、無理でしょう。
 それに、あれだけの竜牙兵を作り出したとなると、材料の竜牙も、相当な量になるはず。その置き場だけでも、かなりのスペースが必要かと思われます」

『ほぉ〜う。なるほどね、筋の通った意見だわ。……とすると……?』

 かっきーは、あまり戦術向きとはいえない頭脳をフル回転させて、考えた。

 広いスペース。

 とすると、広場?

 ――いやいや。

 いくら何でも、敵地のど真ん中の、そんな目立つところで、竜牙兵召喚の儀式なんかするはずがない。

 では、役場や神殿、劇場などの、大きな建物の中だろうか……?

 ――いやいや、待て。

 かっきーは、耳から煙を吹きそうになりながら、必死で考えた。

 さっきまで、頑張って砕きまくっていた、あの竜牙――1本が、大人の腕の、肘から先くらいの長さがある。

 あんなもんを何百本も抱えて、街中に運び込むことができるだろうか?

 敵は、海から来たのだ。

 海岸から、そんな大荷物を抱えて歩いてくるヤツがいれば、いくら何でも、見回りの兵士たちが見咎めなかったはずがない……。

(――む?)

 連鎖的な思考の最中、ナニかが、かっきーの意識にぴっと触れた。

 だが、そのナニかの正体が分からない。

 こういうとき、慌てることは禁物である。

 彼女はひとつ深呼吸をし、心を落ちつけてから、注意深く、自分の考えを一からたどり直し――

『……海。……海岸?』

 その瞬間、

『――あああぁぁっ!?』

 天才科学者の頭脳に、天啓のごとく答えがひらめいた。

『きゃっ!? ……もう! かっきー、驚かさないでちょうだい。一体どうしましたの? 突然、そんな大声を出して……』

 と、驚いたポーズをしつつ抗議の声をあげるババリンだが、何しろ外見がごっつい装甲スーツであるため、端から見ると、ものすごくヘンだ。

 しかし、そんなコトには一切構わず、かっきーは興奮しまくった声で姉に告げた。

『あたし、分かった! 分かったわよっ、敵の発生源がどこだか!』

『……まあ。本当?』

 1人で盛り上がるかっきーとは対照的に、いまいち半信半疑の口調で呟くババリン。

『分かったのなら、はやく教えてちょうだいな。それは、一体どこですの?』

『うん。あのね、よーく聞いて。――いい? この国は島国なんだから、当然、敵は海から来たはずなのよ』

 ぴこぴこと指を――無論、装甲スーツの指も――振りながら、かっきーは、噛んで含めるような口ぶりで説明を始めた。

『さて。ここで、ひとつ敵の気持ちになって考えてみてちょうだい。
 ……自分は、大荷物を抱えている。なおかつ、広いスペースを確保する必要がある。
 となれば――
 危険を冒して街中に潜入するよりは、海で竜牙兵を作っちゃったほうがいいって、考えると思わない?』

『海で……ですって?』

 ますます胡散臭げな声音で、ババリン。

『術者は、水の中にいるということ?』

『いいえ。違うわ』

 かっきーは、ばったばった、とでっかい手を振り、びしっとでっかい指を立てて、言った。

海岸よ! それも、たぶん、のね。
 ……お姉さま、知ってる? 北の海岸線には、石灰岩質の岩肌が露出していて、たくさんの洞窟が開いてるのよ。中には、相当広いものもあるわ。床に、でっかい魔方陣を楽々と描けるくらいにね。
 ……それに、よく考えたら、今、街の北半分に竜牙兵が集中してるんだから、当然、そっちから湧いてきたって考えるのが妥当よね。
 うん。非常に論理的だわ』

 言って、自分でうなずいている妹の(正確には、装甲スーツの)姿を、ババリンは、しばし、じーっと見つめていたが――

 ややあって、そのくちびるに、にいっ、と笑みが浮かんだ。

 学者肌の彼女にしては珍しい、少々凄味のある笑い方だ。

『かっきー……』

 言いながら、ババリンは、でっかい手をゆっくりと上げ、

『見事な推理ですわっ! ホーッホッホ、これで、この勝負はいただきだわねっ!』

 ぐりぐりぐりっ! と、装甲スーツの頭を撫でくりまわす。

『わっはああ! ちょっとお姉さまっ! 頭撫でるのはやめてーっ!』

 などと、ひとしきり無意味に騒いでから――

『それでは、かっきー! 今こそ諸悪の根源を、事象の地平の彼方に葬り去るために!』

『そうよ! 北へ!』

『ええ! 北へ!』

 何やら2人あわせて複雑なポーズを決めながらそう叫んだと思うと、恐るべき姉妹は、巨大な足で石畳を蹂躙し、粉塵を巻き上げつつ爆走しはじめた。

 そのときになって、

「ちょ、ちょ、ちょっとお待ちをーっ!」

 姉妹のやりとりを半ば呆然として見守っていた人々が、はっと我に返り、慌てた声を張り上げる。

「我々は、……我々は一体、どうすればっ!?」

 自分たちが立てている騒音の中から、その必死の叫びを聞き取ったらしく、かっきーとババリンは、がっしょんと立ち止まった。

 かっきーの方が、スピーカーを通した大声で答える。

『――今から戦いに行く敵は、あれだけの数の竜牙兵を生み出した相手よ。バカにするわけじゃないけど、あんたたちの力じゃ、多分歯が立たないわ。ここに残って、向かってくる竜牙兵どもを食い止めてて!』

「わ、私たちだけで、可能でしょうか……?」

 不安を隠しきれない声音でうめく兵士たちに答えたのは、ババリンだった。

『まあ、何を弱気になっておられるの? あなたがたが編み出した、あの戦法をもってすれば、わたくしたちの助けなどなくても、充分に戦うことができましてよ。
 ……それに、あなたがたは、そう長いこと戦う必要はありませんわ』

「……?」

 どういうことやら分からず、訝しげな表情で顔を見合わせあう人々に、ババリンは、いたずらっぽく片目をつぶってみせた。

 ――装甲の内側でやっても、皆には見えないのだが、口調から、その雰囲気は充分に伝わってきた。

『ゴキブリ退治は巣から始めろ、と言いますでしょう。わたくしたちが、必ず、敵の大元を絶ってみせますわ。……たとえ、この命に替えてもね』







      14  義姉妹



「ふん……」

 ざっ! と足を止めて、モッサは目の前にそびえる建物をにらみつけた。

 その額には1粒の汗すら浮かんでいず、息もまったく上がっていない。

 10分近く全力疾走を続けてきた直後の姿とはとても思えないが、彼女の日頃の厳しい修練ぶりを知る者にとっては、それほど驚くべきことでもなかった。

 今、モッサの目の前にそびえたつのは、いまだ建造途中の巨大な建物――

 第4研究所、だ。

 ロータスを抱いて逃げたガーディアン・グノシェンヌの特徴的な足跡は、くっきりと一直線を描いて、研究所の正面玄関へと向かっている。

 玄関の扉の隅のほうが無理やりこじ開けたようにゆがみ、隙間が開いていた。

 どうやら、あそこから研究所の内部に侵入したらしい。

 その足跡を踏んでたどりながら、モッサは心の中で呟いた。

(確かここ、かっきーとババリンが、侵入者よけとか言うて、ぎょーさんカメラやら警備システムやらを取り付けとったはずや……。それを知らんと突っ込むとは、マヌケなヤツらやで。今頃あいつら、中で黒コゲになっとるんちゃうか?)

 しかし、実際に自分の目で確かめてみないことには安心はできない。

 モッサは油断のない足取りで正面玄関まで進むと、中の暗がりをのぞき込んだ。

 人の気配はない。

 しかし、モッサは、不用意に中に踏み込んだりはしなかった。

 手近にあった小石を拾い、扉の隙間から投げ込んでみる。

 ジャジャジャジャジャッ!!

 ものすごい光がスパークし、石は一瞬で黒コゲになって、ぼろぼろと床に崩れ落ちた。

「警備システムは、まだ生きとるな……。あいつら、これをかいくぐって行きよったんか?」

 ――妙な話だ。

 彼らはなぜ、そこまでして、こんな建設も終わっていない研究所に侵入しようとしたのだろうか?

 身を隠すなら、これほどの危険をおかすより、もっと目立たず、見つかりにくいところを選べばよさそうなものだが……

 いぶかしげに寄せられた眉が、しばしの後、はっとしたように開かれる。

「……そうか」

 この第4研究所は、内装と、一部の棟の建造こそまだ終わっていないものの、すでに研究所として機能するだけのライフラインは引かれていたはずだ。

 もちろん、その中には、ネットワークに接続するためのケーブルも含まれている。

「なるほど……あいつら、ここで、改めてフラバーネットワークに侵入しようっちゅうことか!」

 さすがに一瞬、表情をこわばらせたモッサだが、次の瞬間には、にいっ、と獲物を見つけた豹みたいな笑みを浮かべる。

「こらぁ、面白なってきたやんけ……! そっちがその気ィやったら、このオレ様がその計画、とことん邪魔して叩き潰したろうやないかい!」

 ばしっ! と拳を手のひらに叩きつけ、その腕をぐるんと回すと――

 次の瞬間、なんとモッサは、厳重な警備システムに守られた研究所内へと、ためらいもなく跳び込んでいった!

 ジャジャジャジャジャッ! ジャッ!!

「ホ――――ッ!」

 とんでもない奇声を上げながら、続けざまに襲いかかる電撃の、そのことごとくをかわしてのける!

 しかも、ただ身をかわしているだけではない。

 電撃を避けながら、ものすごいスピードで研究所の奥へと突進しているのだ。

 転がり、跳び、身を沈め、時にはだだだだだだだだと壁すら駆け抜ける神業級の体技である。

「はいやーッ!」

 ビキィィィィン!

 跳び上がりざま、電撃を発射するボルトガンを手刀でへし折り、彼女はずざざざざっと角を曲がった。

「はっ、はっ、ほっほっほっほっほっ……!」

 今度は、薄暗い廊下に張り巡らされたレーザーセンサーを、踊るようなステップで次々とクリア。

 もちろん、センサーが発するレーザーは目に見えるものではないのだが、彼女ほどのレベルの格闘家ともなれば、ほんのわずかな温度の違いを『気配』として感じ取るくらいのことは朝飯前だ。

 そして、確実にレーザーをかわし続けながらも、モッサは床や壁のあちこちに残された、敵の痕跡を見逃しはしなかった。

(ここにも足跡……間違いない。奴らはこの先や! あのひょろいのがネットワークに接続する前に、何としてでも止めるでぇ!)

 さらにいくつかのトラップをかいくぐり、2、3度はスレスレセーフの危機にも見舞われつつ――

 彼女はとうとう、研究所の最奥、中央コンピュータ・ルームへとたどり着いた。

「はあああああぁぁぁぁーっ!」

 ドバァンッ!!!

 腰だめに引いた拳に『気』を溜めて、気合い一閃、渾身のパンチ!

 金属製の扉は、その一撃で隕石でもブチ当たったみたいに大きくへこみ、ギギギギギギ……と断末魔のごとき音をたてて、ゆっくりと内側に倒れこんでいった。

「……おぉっ!?」

 シュイン!

 その瞬間、大きくのけぞった彼女の額すれすれを、銀色のブレードが襲った。

 扉のすぐ内側に潜んでいたグノシェンヌだ。

「でぇいっ!」

 まともに食らえば岩も砕けるモッサの回し蹴りを、グノシェンヌは一瞬早く飛び退ってかわした。

 がしょんっ、と着地したガーディアンの向こう、広間の一番奥に、ロータスがあたふたと座り込み、床を剥がしてむき出しにしたケーブルをインターフェイスジャックに接続しようとしている。

「さっせるかぁ!」

 だんと床を蹴り、モッサは突進した。

 ここでロータスに《接続》を完了されてしまったら、事態は果てしなく厄介なコトになる。

 今すぐ、あのひょろひょろ男を抹殺しておかなければ――

 モッサの判断はまさしく正しかったが、残念ながら、実行は判断ほどに簡単ではなかった。

 シュッ! ヒュッ!

「くっ……!」

 主を守るように立ちはだかり、すさまじい速度で刃を振るうグノシェンヌの猛攻に、さしものモッサも突撃の速度が鈍る。

 スピードを生かした一撃必殺を身上とするモッサは、軽量の利点を最大限に生かすため、最低限の装甲しかまとっていない。

 それはつまり、一撃でも受ければダメージをもろに食らってしまうということでもある。

 防御をかえりみず、捨て身でかかるという戦法もあるが、ロータスを倒す前にグノシェンヌにやられてしまったのでは意味がない。

(くそ!)

 モッサの顔に、強い焦燥の色が浮かんだ。

 ちらりと見えたロータスはいまや、忘我の表情で床に座り込んでいる。

 モッサにはネットランニングの知識はほとんどないが、現実世界で1呼吸するほどの時間が、ネット上では1時間にも相当するということは聞きかじっていた。

 もう、一刻の猶予もない――

 と、そのとき。

『……モッサ』

 不意に、懐かしい声が耳に響いた。

(誰や……?)

 その疑問に応えるように、映像がひらめく。

 自分の目の前に立っている、一人の女性。

 あれは――

 そう、あれは、自分がこのフラバー王国にやってきて間もないころ。

 格闘技の修行を、はじめたばかりのころ――

『分かるかしら? なぜ、あなたの拳が私に当たらないのか』

『知るかい、そんなもん!』

 叫んで打ちかかった拳を、ししょーは、手のひら1枚分ほどの動きであっさりとかわしてのけた。

 モッサは続けざまに踏み込み、何度も、何度も打ち込んだ。

 突き、蹴り、手刀を繰り出す。

 その打撃は、すでに電光の速度を持っていたが、ただの1撃も、ししょーの身体をかすめることすらできなかった。

『くっそぉぉぉ! なんで……なんで当たらへんのじゃあ!』

『焦りと、怒りがあるから』

 床に拳を叩きつけたモッサに、ししょーは静かに言った。

 思わず顔をあげると、義理の祖母は、静かに微笑んでいた。

『――心が静かでなければ、拳は当たらない』



   *      *      *



「おのれぇっ!」

 目の前に立ちふさがった何十体目かの竜牙兵をすさまじい蹴りの一撃で粉砕して、ゼータは歯軋りをせんばかりに呻いた。

「こんなことでは、長に追いつけぬ……!」

 四天王の1人・ロータスを連れて逃げた、ガーディアン・グノシェンヌ。

 それを追跡したモッサをさらに追いかけて、彼はここまで来たのだった。

 だが、運悪く途中で竜牙兵の大群に出くわしてしまい、思いがけず足止めを食ってしまったのである。

 彼も天下の《キングオブファイターズ》の副長、竜牙兵ごときに苦戦するようなヘボでは決してない。

 しかし、敵の数はあまりにも多く、倒しても倒しても尽きることなくわいてくる。

 しかも四方八方からぞろぞろと集まってくるため、もはや避けて通ることもできなくなっていた。

「くそっ!」

 ずれた銀縁メガネを直しながら、思わず知らず、日ごろは嫌っている荒っぽい罵声が口をつく。

 こんなモノどもの相手をしている場合ではないのだ。

 彼は、モッサの実力を十分に承知していたが、ブラックバス四天王の底力を見くびってもいなかった。

 どんな手を使ってくるか分からないヤツらだ。

 一刻もはやく長に追いつかなければ、取り返しのつかない事態になってしまうかもしれない……

「どけぇぇぇえっ!」

 修羅のごとく竜牙兵どもを薙ぎ払い、ゼータは突進する――

 その横手を、

「!」

 一陣の、青い疾風が吹きぬけていった。



    *      *      *



 モッサは、目を見開いた。

(……心が……静かでなければ)

 早くこいつを倒さなければこの国が危うい、という焦り。

 そしてガーディアンごときに前進を妨げられている、自分自身に対する怒り。

 ――それは、傲慢の裏返しではなかったか?

 他の誰にも、この手柄は譲れない。

 敵にも、味方にも負けたくはない。

 自分にならばやれる、自分ならば、たやすく勝てる。

 そのはずだ。

 いや、そうでなければならない!

 そんな気負いと驕りが、踏み込みを、間合いを、拳の狙いを、知らず知らずのうちに甘くしていた……

(そうか……)

 湖面のように静まった心に、映ったひとつの面影がある。

 義妹、ドー。

(オレは……そうや。オレは、誰よりも、アイツにだけは負けとうなかった。そのために……これまで、ずっと、勝ちを急いどった……)

 時間にすれば、まさに一瞬。

 その一瞬で、モッサの意識は、清澄の境地に達していた。

 なぜ、今この瞬間になって、このような心境の変化が起こったのかわからない。

 だが、そんなことすらも、もはや気にはならなかった。

(もう……関係ない)

 この国に来てからというもの、ずっと張り続けていた片意地が、溶けて流れるように消えていった。

 焦りや怒り、不安、プライドといった、ありとあらゆるわだかまりがほぐれ、消えていった。

(そうや)

 軽く、晴れやかな心。

 まるで身体の内側すべてが、淡く輝く炎に満たされているようだ。

 ただ、目の前の敵と拳を交えることへの歓びだけが湧き上がってくる――

 ユーリは、いつもこんな気分で戦っていたのだろうか。

 思う、そのくちびるに、笑みすら浮かんだ。

(ただ、この拳に、全てを――)

 モッサの両の拳から、コオオオッ……! と青白いオーラが流れ出した。

 そのオーラは、拳から腕、身体全体へと広がり、ゆらめく闘気の炎となってモッサの全身を包み込んだ。

 かつて、ししょーはこう語った。

 拳士の修行の行き着く果てとは『無念無想』――

 そこに達することができた者は、計り知れぬ力を得るのだと。

 グノシェンヌが、後ずさった。

 感情を持たぬはずのガーディアンが、怯えていた。

 ――その刹那!

「おおおおおおおおおおっ!」

 ごうっ! と大気を渦巻かせる風圧の変化すらともなって、モッサが奔った!

 まさに一瞬。

 防ごうとブレードをかざしたグノシェンヌの、そのブレードすらも打ち砕き――

 渾身の拳の一撃が、ガーディアンの分厚い胸甲を貫通する!

 グノシェンヌのボディが痙攣した。

 壊れた人形のように頭部が揺れ、がくがくとぎこちなく腕が持ち上がる。

 ブレードの先端が、執拗にモッサの首を狙った。

「はあぁ――――っ!」

 モッサの拳に込められた『気』のパワーが炸裂する!

 ドゴバァ―――ン!!!

 グノシェンヌのボディが、内側から爆発して吹き飛んだ。

 そこだけは完全な破壊をまぬかれた頭部が、くるくると宙を舞い、がしょんっ、と床に落下する。

 モノアイが最後の抵抗のようにちかちかと点滅していたが、その光も、すぐに消えた。

 モッサは拳を解かぬまま、流れるように奥のロータスを振り返った。

 彼は――

 立ち上がっていた。

 髪の中から無数のコードが延びている。

 前髪にかくされた目、その視線が、モッサの視線と真っ向からぶつかった。

 その瞬間。

 中央コンピュータ・ルームの壁面、全ての方位から数千度のレーザーが降り注ぎ、モッサの身体を直撃した。

「…………あれ?」

 モッサが立っていた床は、超高熱に溶け崩れ、煮えたぎる沼のようになっている。

 ゆらめく空気の向こうを見透かすようにして、ロータスは、薄笑いを浮かべながら呟いた。

「なんだ……。避けちゃったの」

「……悪いけど、オレはさっきから悟り気味なんや」

 こちらもかすかな笑いを浮かべて、モッサ。

「あんなこけおどしが当たるわけないやろ」

「それは残念……一思いに当たったほうが楽だったのにねぇ」

「機械と繋がらんかったら何もできん若造のくせに、偉そうな口利いてるんちゃうで。……だいたい、おまえ、こんなことしてる場合とちゃうんちゃうか?」

「くくく……いったん《接続》さえ完了してしまえば、きみたちのネットワークを乗っ取ることなんていつでもできるんだよ」

 普段とは似ても似つかぬ、自信にあふれたよどみない口調でロータスは言った。

 現実世界にあっても、圧倒的な防衛システムと繋がっているという安心感が、彼を尊大にさせていたのだ。

「だから、さ。その前に、きみにお礼をさせてもらいたくてね……。 僕の大事なガーディアンたちを壊してくれたきみに、ねっ!!!」

 ジャアアアアアッ!!!

 熱線が縦横に空間を切り裂き、シャワーのようにモッサに襲いかかる。

 モッサは超人的な反射速度で光の嵐を裂け、ロータスに迫ろうとした。

 だが、レーザーの攻撃のあまりの苛烈さに、さすがに近付くことができない。

 しかも、状況は刻一刻と悪くなりつつあった。

 足場が徐々に不安定になってきているのだ。

 レーザーが照射された箇所はボコボコと泡立つ溶岩だまりのようになっていて、うかつに着地しようものなら、一瞬で足が焼け焦げてしまう。

 モッサの服に、髪に、いくつもの焦げ痕ができた。

 肌にも、真っ赤な火ぶくれの筋が走りはじめる。

「あっはははははは! 終わりだ! 潔く黒焦げになれ!」

「――もっさーっ!」

 とことんすっとんきょうな声が聞こえてきたのは、狂気にも似たロータスの哄笑が響いた、ちょうど、その瞬間だった。

 出し抜けに、天井の一部が巨大な円形に切り抜かれ、そのまままっすぐに落下してくる!

「おぉっ!?」

 ズドオオオオン!

 さすがに火気管制の情報処理がストップし、レーザーの攻撃が途切れる。

 慌てて後ずさったロータスの目の前に、青い戦装束に身を包み、銀色の鎌を振りかぶった幼き王女の姿があった。

「やあーっ!」

 問答無用で、大鎌の一閃!

 この一撃をロータスがかわし得たのは、まさに奇跡に等しかった。

 かわした、というよりも、腰が抜けた、というほうが正しかったかもしれない。

 ほとんど真後ろに倒れこむようにして、ロータスは床に転がった。

「こっ、このぉっ……!」

 その表情は、驚きと、プライドを傷つけられた怒りに大きく歪んでいる。

「なっ、なな何だか知らないけど……っ! おまえも、燃えちゃえぇーっ!」

「させるかぁぁぁぁーっ!!」

 吠えて、モッサが突進した!

 ドーの身体を、思い切り横手に突き飛ばし、そのままロータスに向かって突っ込んでゆく!

 義妹をレーザーの攻撃からかばい、自分は捨て身で敵を討つ、覚悟の特攻だ。

「もっさ!」

 ドーが叫ぶ。

 ロータスが勝利の笑みを浮かべる。

 ドゥッ!!!

 ――その目が、ゆっくりと見開かれた。

 信じられないというように。

 レーザーは、発射、されなかった。

 そして、モッサが突き出した傷だらけの拳の一撃は。

 ロータスの胸板を、まともに貫いていた――

 ……彼は、気づいていなかったのだ。

 ドーの最初の一撃が、彼とコンピュータとを繋ぐケーブルの束の、一部を切断していたことに。

 ロータスが通常の状態だったならば、確実に気づいたはずだった。

 だが、彼はモッサと、ドーとの戦いにあまりにも意識を集中しすぎた。

 現実世界と、ネットワーク世界の両方に一度に相対するという離れ業は、いかなブラックバス四天王にとっても不可能だったのだ。

「……い……」

 乱れた髪の中から、絶望的な表情をたたえた目がモッサを凝視する。

「い、嫌だよ……僕……こんなの……い…………や」

「甘ったれるんやない」

 赤い筋がいくつも走った顔で、モッサは言い放った。

「ケガもせえへん戦いなんか、あるか。自分の身体に傷をつくって、その痛さを乗り越えて、生き延びたヤツだけが強うなれるんやんか。
 機械に戦わして、ネットワークの中でだけ好き勝手にやって、自分が強いような気になってたおまえは……ほんま、救いがたいドアホやで……」

 そのことばの意味が、理解できたかどうか。

 ロータス・ヘル・エーガーラントは崩れ落ちた。

 その身体は小さく、軽く、布切れが落ちたような音しかしなかった。

「もっさー!」

 てててて、とドーが駆け寄ってくる。

 幼い王女は、がらんっ、と鎌を放り出し、義理の姉にひっしと抱きついた。

「ありがとうー! われ、たすけにきたのに、たすけられた」

「……ああ……」

 ゆっくりと手を挙げて、モッサは、義妹のやわらかな髪の毛に触れた。

「ええねん。……きょうだい、やからな」

 初めて口にするセリフ。

 鳥肌が立つかと思っていたが、そのことばは、不思議と自然に響いた。

「われ、もっさと、いっしょにたたかおうとおもって、あしあと、おいかけてきた……。あ。そういえば、くるとき、もっさのぶかが、ひとりでたたかってるのをみた」

「……ゼータか」

 思わず苦笑いが浮かぶ。

 あいつのことだから、自分を追いかけようとして、途中で余計な戦いに巻き込まれたに違いない。

 そして、まだここに来ないということは、恐らく、苦戦しているのだ。

「どうも、アイツは……計算高いように見えて、要領悪いっちゅうか。難儀なやっちゃで」

 ばりばりと頭をかき、モッサは、ドーの頭をぽんと叩いた。

「おい、ドー。おまえは、先に城のほうに戻っとれ」

「……え?」

「ええか」

 気負いも、嫉妬もなく、モッサは穏やかに説き聞かせる。

「四天王は、まだ3人も残っとるんやで。1人でもあんだけ手強いヤツが、3人や。このまま城を手薄にしとくのは危ない。

 ……オレは、おせっかいの部下どもを助けて、後から行く。おまえは先に戻れ。

 おまえが、親父と一緒に……オレたちの家を、守るんや」

「うん! わかったー!」

 勢いよく前髪を揺らして笑顔でうなずき、ドーは駆け出した。

「…………ドー!」

 その後ろ姿に、叫ぶ。

「来てくれてありがとう。あのとき、おまえが来んかったら……オレは、あかんかったわ」

 ドーは振り向いてにっこり笑い、それから、あっという間に姿を消した。

「……さーて……」

 身体じゅう傷だらけ、あちこちの火傷がひりひりと痛むが、身体の奥底から新たな力が湧いてくる。

 戦いは、まだ終わっていない。

 モッサは研究所の外に出ると、ぐるんと肩を回し、それから、ダッシュで走り出した。

(親父、ドー、後は任したぞ……オレは、オレの拳ひとつでできることを、できるとこまでやるだけや! 待っとれよ、ゼータッ!!)







   15  すれ違った男



 モッサ&ドーの勝利から、ちょっとばかり時間をさかのぼる。

「さあ、ゆっくりと、でも立ち止まらないで! ……大丈夫、そのまま進んでください!」

 一様に不安げな顔をした人々が、川の流れのように滔々と通りを流れてゆく。

 そこに、場違いなほど明るく、朗らかな声が響きわたった。

「大丈夫です。こちらには、敵はいません! 騎士さんたちが先に行って、様子を見てくださっていますからね!」

 ドイッチである。

 大神官の法衣を着た彼女は、避難する人々の流れのど真ん中を、自分の足で歩いていた。

 不安そうな人々に笑顔を見せ、元気よく錫杖を振って進んでゆく。

 大神官ともなれば、普通はちょっと外出するにも先触れを出し、ぞろぞろと大勢の供をつれて、輿などにのって移動するものだ。

 だが、ドイッチはふだんから市民たちと交わり、直接おしゃべりをしたり、人生相談のようなこともすすんで引き受ける気さくな大神官だった。

 そんな彼女だからこそ、この危急の事態にあたって、市民たちの冷静な避難を誘導することができたのである。

 この方についていけば、きっと助かる――

 そんな安心感がなければ、今ごろ、敵への恐怖から全員がパニックに陥り、目もあてられない有様になっていただろう。

 彼女の配下として同行するのは、城づめの騎士たちが30名。

 彼らはそれぞれ、先頭としんがりに分かれ、市民たちの安全を守っていた。

 ドイッチのすぐそばには、1人の護衛もいない。

「だ、大神官さま……」

「おお……」

 避難民たちは、ほとんどが女性、老人、怪我人と子どもたちだった。

 戦える男たちは、今この瞬間にも、命をかけて北の街の防衛にあたっているのだ。

 それはつまり、ここにいる避難民たちのほぼ全員が、家族の誰かを街に残してきているということだった。

「こ、怖いよぉ……」

「お父さんは? いつ来るの……?」

「兄貴は……大丈夫だよね!? やられてたり、しないよね!?」

「バカッ、縁起でもないこと言わないで! 大丈夫よ、きっと……!」

 みなが肉親と別れる淋しさ、そして、これが永遠の別れになるのではないかという恐怖と戦っていた。

「い……嫌、やっぱり嫌ぁ! あの人を残していくのは……! 私、戻るわ!」

「――いけません!」

 突然、絶叫して身をひるがえした女性の手を、ドイッチがはっしとつかんだ。

「は、離して……! 私、あの人のところに行くわ! あの人を見捨てて、自分だけ逃げるなんてできない……!」

 人々が、はっと胸を突かれたような表情になった。女性のそばにいた人々の足が止まり、流れが滞った。

「そうじゃない!」

 ドイッチは、ふだんの穏やかな語調を捨て、鋭く叫んだ。

 目の前の女性に向かって語りかけると同時に、周囲の全員に向かって訴えているのだ。

「わたしたちは、彼らを見捨てて、逃げているのではありません! 考えてください、今、街を守って戦っている人々の心を……! 彼らは、何よりも大切な、あなたがたの命を守るためにこそ、己の命をかけているのです!
 不安はわかります。自分たちだけが、という、その気持ちもわかる。
 でも、今、ここで私たちが戻って……武器も持たず、戦いのすべも知らずに戦いの中へ戻って、どうなります!?
 考えてください。あなたたちのために戦っている彼らが、はたして、そんなことを望むでしょうか……!?」

 目にいっぱいに涙をためた女性は、ついにこらえきれなくなったように、その場にわっと泣き伏した。

 ドイッチはなぐさめるようにその女性の肩を抱き、周囲を警戒している騎士たちのひとりを呼んだ。

「さあ、この方に、肩を貸してさしあげてください。――みなさん、神殿まで、あと少しです。進みましょう!」

 ドイッチの朗々たる声に導かれるように、ふたたび、ゆっくりと人の流れが動き出す。

(自分だけ、逃げたりはできない……か)

 表情から笑みを絶やさぬようにしながら、ドイッチは、内心で深いため息をついた。

(これが、逃げじゃないってことは、分かってる。
 ……でも、わたしだって、本当は……)

 騎竜将軍ユーリ。

 キングオブファイターズ・モッサ。

 そして、王女ドー。

 姉妹たちがみな戦場におもむいているというのに、自分だけが、戦いに背を向けている。

 その思いは、ドイッチの胸にもまた、重くわだかまっているのだった。

 ――戦いが、好きなわけではない。

 というか、むしろ嫌いだ。

 できるならば避けたい。

 だが、それでも。

 人には、どうしても戦わずにはいられないときというものが、あるのではないだろうか――

 ドイッチは、騎士に付き添われてよろよろと進む女性に、複雑な視線を向けた。

(わたしがあなたなら、きっと、あなたと同じように言ったでしょう……。でも、わたしは大神官です。あなたたちを無事に避難させることこそ、にょろ神より授かったわたしの使命……)

「――おお!」

 先頭をゆく騎士たちの声が、ドイッチの意識を物思いから引き戻した。

「神殿だ!」

「ありがたい……」

 彼らの指差す先に、にょろ神殿の荘厳な大ドームが見えてきた。

 ドイッチは、ずっと張り詰めていた緊張の糸が、わずかにゆるむのを感じた。

 あそこにたどり着くことさえできれば、とりあえずは安全だ。

 にょろの神殿は、海戦のおりにも避難所となっていた場所である。

 籠城の備えはすでにできている。

 自分が城で寝かされているあいだに、神官たちによって、市民たちの受け入れ態勢も改めてととのえられているはずだ。

(みなを避難させたら……わたしは、1人で市街地に戻ろう)

 ドイッチは、そう決めていた。

 ししょーに諭され、ここまでは戦いを避けていたが、海戦で受けたダメージは、すでにおおむね回復している。

 法力も、体調が万全のときほどではないが、まあ不足ない程度にならば使いこなせそうだ。

 そう……家族たちを、助けなければならない。

 と、その瞬間。

「!?」

 ドイッチは思わず、足を止めた。

「……?」

「大神官さま?」

 ――だが、それは、ほんの一瞬のこと。

「……ああ、すみません。大丈夫ですよ」

 周囲からの怪訝そうな視線に笑顔で答えながら、ドイッチは、ふたたび歩き出していた。

 前方は、にょろ神の神殿だ。

 左右は、通りに面したごくふつうの家並み。

 気にかかるようなところなど、どこにも――

(……いや……)

 さきほどの一瞬、確かに見えたのだ。

 右手の家並み。

 その、ほんのわずかな隙間から――

 通りを1本隔てて、1人の男が、自分たちとすれ違った。

 その刹那、目が、合った。

(なぜ……この状況で、1人……逆進する?)

 本来ならば、気にするほどのことではなかったかもしれない。

 だが、ドイッチは、何とも言えない嫌な予感に襲われていた。

 ふだんならば、記憶にも残らないような一瞬の出来事だ。

 だが……鉤爪のように心に引っかかった、あの目。

 笑っていた、ように、見えた。

「…………まさか」

 そこまで考えて、目を見開く。

(まさか……ブラックバスの手の者……?)

 だとすれば――

 今、神殿は?

「……大神官さまあああぁ〜っ!!!」

 出し抜けに、感極まったような大声が響きわたり、ドイッチはぎょっとして足を止めた。

 見れば、前方のにょろ神殿から、満面の笑みをうかべた神官たちが、手を振りながらどどどどと走り出てきている。

 その中には、海戦で彼女とともに戦った神官たちもまじっていた。

(ぶ、無事だった……のか?)

「ご無事で、ドイッチ様!」

「さあさあ、みなさん、こちらへどうぞ!」

「にょろの神殿にようこそ! ここまで来れば、もう安心ですよ」

 安心、というか拍子抜けというか、ドイッチが呆然と突っ立っているあいだに、神官たちが、てきぱきと市民たちを案内してゆく。

「……ドイッチ様! 戦況のほうは、どうなっておりましょうか?」

 意地のように笑顔を保ったまま、ぴたりと身を寄せ、囁いてくる神官に、

「国王陛下の指揮のもと、みな、一丸となって奮戦しています」

 ドイッチは、やはり笑顔のまま、くちびるをほとんど動かさずに答えた。

 奮戦といっても、彼女はほとんど戦いの様子を見ていないのだが、ここは、たとえ嘘でも相手を安心させておかなければならない。

 やがて、市民たちの誘導を終えた神官たちが、ぞくそくとドイッチのまわりに集まってきた。

「大神官さま、よくぞご無事で!」

「案じておりました……。にょろ神のご守護に感謝を!」

「北のほうは、敵であふれているとか……!?」

「ここにも、ブラックバスの軍隊が来るのでしょうか!?」

 口々に言う神官たちを、すっ、と片手を挙げ制して、ドイッチは落ち着いた口調で言った。

「――籠城の備えは、できていますね」

「は、はい……! 大神官さまが王城におられるあいだに、かねてよりの打ち合わせどおり、我々で準備を進めさせていただきました」

 報告を聞き、ドイッチは大きくうなずく。

 迫りくる敵の恐怖に耐えながら、しかも大神官不在という不安な状況のなかで、よくぞみんながんばってくれた、という心境だ。

 1ヶ月前の彼らならば、恐慌をきたして総崩れになっていたかもしれないが、先の海戦での経験が、よくも悪くも彼らを鍛え上げたようである。

「籠城ということは……やはり、ここにも敵が押し寄せて来ると……!?」

「念のためですよ」

 できるだけ軽い口調で、ドイッチは言った。

「にょろ神のご守護ある限り、フラバーが落ちることはありません。

 しかし、どのような状況においても、万が一の事態に備えておく心構えが必要ですからね。あなたがたは市民のみなさんを守り、王城から別命あるまで、この神殿に立てこもるのです」

「あなたがたは……?」

「だ、大神官さまは、どうなさるのですか!?」

 口々に訴える神官たち、ひとりひとりの目を見返して、ドイッチはきっぱりと答えた。

「――私は、市街地に戻ります」

 そんな、と言いかける神官たちを、片手で制する。

「行かなければならない……。いや、行きたいのです。どうしても」

 神官たちは、目を見合わせた。

 彼らが知るドイッチは、いつも自分の希望より、人々の願いを優先させる人物だった。

 それは、大神官としての立場ゆえというよりも、性格によるものだっただろう。

 だからこそ、彼女はここまで人々に慕われるようになったのだ。

 その彼女が、自分の望みを、明確に口にした。

「……わかりましたっ!」

 神官たちは、期せずして同時にうなずいた。

「お留守のあいだのことは、すべて我々にお任せくださいっ!」

「大神官さまは、御心のままに……」

「国王陛下とともに、どうか、この国を!」

「ありがとう、皆さん……!」

 ドイッチは、その場にいる神官たち全員の手を固く握った。

 ――これが最後になるかもしれない、という気がした。

 もちろん、そうならないためにこそ戦うのだが、それでも、居並ぶ神官たちの笑顔を眺めわたすと万感の思いがこみ上げてくる。

 不思議なことに、それは恐怖感や悲壮感ではなかった。

「……にょろ神よ……」

 何度もこちらを振り返り、振り返りしながら神殿へと戻ってゆく神官たちを見送りながら、ドイッチはつぶやいた。

「私を、彼らと巡りあわせてくださったお導きに感謝します。
 彼らのために……家族のために……
 そしてこの国の人々のために、私は、命をかけて戦います!」

 そしてドイッチは身をひるがえし、走り出した。

 迷うことなく、先ほどすれ違った男を追う。

 来た道を、1本隔てて逆走することになった。

 ほとんど直線と言ってもよいような道なのだが、相手の足取りは予想以上に速いらしく、まだ後ろ姿も確認することができない。

(どんな男だった……?)

 必死に記憶の糸をたぐる。

 だが、あまりにも一瞬の出来事だったため、交差した視線の印象が強烈すぎて、顔かたちなど他の部分はほとんど思い出せなかった。

 記憶を呼び起こすことをあきらめたドイッチは、体力を消耗しすぎないよう、慎重にペースを配分して走ることに専念しようとした。

 だが、完全に無心になって走るなどという芸はしょせん不可能で、やがて、彼女は自分でも意識しないうちに、今回の戦いにまつわる様々なことがらに思いを馳せはじめた。

 ブラックバス帝国からやってきた使節団。

 交渉の席で、父王あめえばがやらかしたド派手な一幕。

 国民たちの動揺。

 内乱寸前まで行ったが、ししょーとマホナンヌの熱弁がそれを食い止めたこと。

 そして、あの歴史的な海戦での勝利――

「そうだ……」

 彼女はやがて、ひとつの根本的な事実に気づいて愕然とした。

「まだ、あの海戦が終わってから、1日も経ってないんだ……」



     *       *       *



「……おかしい」

 あめえばは、突然立ち止まると、ぼそりと呟いた。

 ミッション・ルームから場所を移して、城の塔の頂上近くにある、国王の執務室。

 その床を、今の今まで、オリに閉じ込められた動物のようにうろうろと歩き回っていた彼である。

「そりゃまあ、そんだけぐるんぐるん歩き回ってりゃ、頭もヘンになるわね!」

 対照的に、部屋の隅のソファにどっしりとおさまったししょーが、きっぱりと言った。そのかたわらには、マホナンヌもいる。

 ふたりの前のテーブルには、魔術によって描き出された王国の全島図が浮かんでいた。

 時折、将官たちがばたばたと走ってきては、戦況を報告していく。

 それによれば、フラバー王国軍は各地で竜牙兵を撃破――

 全島図に緑色であらわされた『支配地域』は確実に拡大していた。

 それでも彼女らの表情が晴れないのは、いまだ、モジリンが敵の手中にあるという事実のためだった。

「あんたがいっくらうろうろしたって、それで、事態がよくなるわけじゃないんだから。ちょっとは落ち着きなさいよ」

「ししょーの言う通りです。とにかく、お座りなさい」

「いや……そうじゃなくて」

 あめえばは、どうにも解せない、という顔つきで王冠を持ち上げ、がさがさと髪をかきまわした。

「どうしても、納得がいかないんです……。
 海戦が終わってから、まだ、しめて1日も経っていないんだ。ブラックバスの前線基地から、この島までは7日かかる……それなのに、こんなに早く第2陣の攻撃があるなんて、どう考えても、おかしいですよ!
 ……まさか……」

 自分でも信じられない、だが、それ以外にはどうしても思いつかない、という口調で、

「まさか、第1陣の攻撃……あれは……
 あれそのものが、陽動だったのでは?」

 一瞬、しんとした。

「…………10万単位で、陽動をかけてきたっていうの?」

 にわかには信じがたいという表情で、ししょーも呟く。

「敵は、戦勝祝いのただなかを狙いすまして、少数精鋭で入り込んできたんです……。そういえば、こんな話ありましたよね。なんでしたっけ、ほら、『木馬』とか何とかって……」

「では、わたくしたちは、まんまと引っかけられたというわけかしら?」

 憮然とした、というより、妙に淡々とした調子で、マホナンヌ。

 ひらひらと動かしていた扇を、ぱちんと閉じて、

「もしもそうだとすれば、敵ながら天晴れ――。わたくしたちの力を、甘く見てはいなかったということですわね。
 相手にとって不足なし。
 こうなったらこちらとしても、全身全霊全力全開で帰っていただくしかないでしょう」

 不動というか、不惑というか、不撓不屈というか。

 このフラバー最強の女性は、敗北の可能性なんぞ、これっぽっちも考えていないようだ。

 というか、こんな状況で弱腰になったりしたら、あとは滅亡まで一気に転げ落ちるしかない。

 人々の士気をおもんぱかって、ムリにでも強気の態度を崩さないようにしている……と考えるのが普通だが、マホナンヌの場合、本気で勝つ気でいるという可能性も捨て切れなかった。

 ちなみにこの瞬間、あめえばたちが存在を認識しているブラックバス勢は「竜牙兵をあやつっているはずの術者」、「モジリンを攫った男」、「キングオブファイターズと一戦交え、逃げた男」の3人だけだった。

 ちなみに3人目についての情報が最新で、モッサの配下のひとりによってもたらされたものである。

 フラバーネットワークに細工をしようとしたところをモッサが発見し、現在、追撃中。

 ――実は、現時点ではすでに倒されているのだが、その情報は、まだドーがここに到着していないために届いていない。

 2人目の「モジリン誘拐犯」については、カクタスという名前と、武器として鉄鎖を使うということが判明しているだけで、今どこにいるのかも分かっていなかった。

 そして1人目の「術者」は、どこかにいるはずだ、と存在が推定されているというだけで、今、かっきー&ババリンがそいつを探している。

「なんか……こうして状況を整理すると、有利なんだか、不利なんだか……」

「というより、見事に引っかき回されてる、って感じよね」

 ふんむ、と腕を組んで、ししょー。

「でも、市街地の混乱は、確実におさまってきてる。こっちの領分に侵入された……ってのは確かにショッキングなことかもしれないけど、見方を変えれば、私たちのホームグラウンドで試合ができるってことよ。
 最初のごちゃごちゃは、もう乗り切ったと見ていいし、ここから先は、むしろ私たちが有利だわ」

 ――3人とも、あえて口には出さなかった。

 モジリンが敵の手中にあるという、最大の懸案事項を。

 彼女のことを度外視すれば、ししょーの言う通り、ここから先の戦いは、むしろフラバーたちが有利であると言ってもいい。

 だが、彼女の身の安全をはかろうと考えた瞬間、事態はどこまでも果てしなくややこしくなってゆく――

 見捨てろ、と言うのは簡単だ。

 だが、ししょーもマホナンヌも、その提案だけは決して口に出さなかった。

 今の今まで「静観」していること自体が、あめえばにとって最大限の譲歩であると、2人ともわかっていたからである。

「……ま、どうにかなるでしょう。百戦錬磨のフラバーの底力、あいつらに思い知らせてやらなきゃね!」

 内心のモロモロをカケラほども表に出さず、ししょーは、あっけらかんと言い放った。

 あまりにもふだんと変わりのないその物言いに、沈滞しかけた空気が和らぐ。

「……そうですね」

 あめえばも、にっこりと笑う。

「皆もがんばってくれているし、きっと――」

 ズドォォォン!!!

 あめえばのセリフは、轟音にかき消された。

 窓ガラスが、床が、びりびりと震える。

 ししょーとマホナンヌが即座に立ち上がり、あめえばとともに、ダッシュで窓辺に駆け寄る。

「……あ、あれを……!」

 目を見開き、あめえばが市街地の一点を指差した。

 城から、ほんの数百メートルしか離れていない地点。

 そこから、すさまじい黒煙が立ち上っていた。



    *     *     *



 あめえばたちが爆音に度肝を抜かれた瞬間から、またも、少々時間をさかのぼる。

(いた……!)

 たったかたったか走り続けて、いいかげん横腹がきりきりと痛みはじめたそのとき、ドイッチはようやく、目指す男のうしろ姿を視界にとらえた。

 長い金髪を後ろでたばね、ありふれた身軽そうな服を身につけている。

 ここから見てわかる範囲では、武器は持っていないようだが、あの体格は明らかに、鍛え上げられた戦士のものだ。

 フラバー海軍の兵士ならば、海軍の制服を着ているはず。

 この戦時下に、どこの誰だかわからん強そうな男がうろうろしているとなれば、これはもう、100パーセント敵だと思ってかかったほうがいい。

 ――万が一、張り倒したあとで「実は4丁目のロバートさんでした。」などと判明したら申し訳なさすぎるが、今は、背に腹は変えられない状況だ。

 男は、つかつかつかとけっこうな早足で、まっすぐに城に向かっている。

 城は、もうすぐそこに見えていて、このまま放っておけば、あと数分でたどり着いてしまいそうだ。

(……いつ、仕掛ける!?)

 ドイッチは、ぐっと杖を握りしめた。

 法力での攻撃は、基本的に、細かい威力の調整ができない。

 何かを吹っ飛ばすとなれば、周囲ごとドカンと豪快にぶっ飛ばすことになる。

 つまり今、ここで仕掛けておかなければ、城にまで被害を及ぼすことになるかもしれない――

(よし!)

 彼女は、迷わなかった。

 だだっと数歩走って、ぴたりと道の端に身を寄せる。

 杖の先端で男の背中に狙いをつけ、すうっと息を吸い込んで、呪文を――

「おいっ!」

 その途端、とげとげしい誰何の声が響き、ドイッチは思わず呪文を中断した。

 声は、ドイッチに向けられたものではなかった。

 先をゆく男――

 その前に、ばらばらと十数人の男たちが立ちはだかり、あるいは剣、あるいは槍を構えて行く手をふさいだのである。

 見れば、彼らがそろって身につけているのは、まぎれもなくフラバー海軍の正規の装備だ。

 どうやら、城の周囲をかためていた連中が、あやしい男と見て出てきてくれたらしい。

「あやしい奴! 姓名、所属を名乗れ!」

「何者だっ!?」

 今にも刺さりそうな勢いで武器を突きつけられ、厳しく誰何されながら、男は、気楽な態度で肩をすくめた。

「……あやしい奴なら、俺の後ろにもいるぞ。さっきから、こそこそ後をつけてきてる」

 ――ばれていたか!?

 だが、動揺したのは、ほんの一瞬。

 ドイッチは、道の真ん中に堂々と進み出た。

「私は、怪しいものなんかじゃありませんよ」

「……おお!?」

「ドイッチさま!」

 叫ぶ兵士たち。

 当然だが、大神官たるドイッチの名は、国民全員にあまねく知られている。

 さらに、ふだんからぽこぽこ城下を歩き回ることの多かった彼女は、名前のみならず、顔もしっかり皆に覚えられているのである。

 男が、初めて振り返った。

 精悍な印象の、なかなかの美男子である。

 左の頬に、大きな刀傷があった。

 彼は、ほう、という顔つきになってドイッチを見つめた。

「そうか……。お前が、か」

 あまりにも泰然としたその態度に、一瞬ぼーぜんとした兵士たちだが、すぐに自分を取り戻し、

「貴様! ドイッチさまを知らないとは、怪しいぞ!」

「さてはブラックバスのスパイだなっ!?」

 口々に怒鳴って、ぐぐっ、と包囲の輪を縮める。

「スパイ?」

 男は、苦笑した。

「違うな」

(な、何だ!?)

 その瞬間。

 ドイッチは、いまだかつて味わったことのない、強烈な圧迫感を覚えた。

 男は、ただそこに立っているだけで、術のたぐいを使っているわけでも、何か他の小細工を仕掛けているわけでもなさそうだ。

 ただ、彼が、そこにいるだけで――

「……もっと上だ」

 ぐうっ! と圧力が一気に増し、さしものドイッチが思わず1歩、たたらを踏む。

 兵士たちの中には、大きくよろめき、膝をついたものさえあった。

「お、おまえはっ……!?」

 もしもモッサがこの場にいれば、男の周囲にゆらめく、すさまじいまでのオーラを見ることができたはずだ。

 ただ、そこにいるだけで、相手の闘志を圧し潰し、戦意を打ち砕くその男――

「ガーベル」

 ブラックバス四天王筆頭は、片手を胸に当て、こともなげに名乗った。

「帝国陸軍第1師団長、ガーベル・シュトルツ・コールシュタイン。――俺の前を塞ぐ気概のない者は、消えろ」

「ひっ、ひ……!」

 ガーベルの目に見据えられた兵士たちは、軒並み腰を抜かしてへたり込み、ずりずりずりと後ずさった。

 彼らとて歴戦のフラバーの戦士、決して臆病者ではない。

 ましてや、城の守備を任されるほどの猛者たちである。

 だが、この場合、彼我の実力の差が、あまりにも明らかでありすぎた。

「……ほう?」

 ガーベルは、面白そうに眉を上げた。

「貴様も、逃げてもいいのだぞ。俺は、背を見せた敵に興味はないのでな」

「……そんなヘンな騎士道披露されても、別に感心しませんからね」

 ドイッチは、道のど真ん中に堂々と立ったままで言い放った。

 最初に引いた、ただ1歩。

 その1歩だけで、彼女は踏みとどまっている。

 ガーベルが城を背にして立ち、ドイッチが彼と向かい合うという、防衛戦としては奇妙な構図になっているが、この際、そんな細かいコトには構っちゃいられない。

「ちなみに私は神に仕える身ですが、別に、そのへんにこだわりはありませんから。あなたが背中を見せた瞬間、遠慮なくふっ飛ばさせていただきます。
 にょろ神のありがたーい教えに曰く――『ケンカに王道はない』」

「同感だな」

 面白そうに笑ったまま、ガーベルは言った。

 すさまじい威圧感は、依然として衰えていない。

 根性のない奴なら、この場に出くわした瞬間に頓死しかねなかった。

 それほどの圧力を受けながら、ドイッチもまた、1歩も引かぬ。

「……教えていただけますか? あなた、さっき、神殿を素通りしましたよね。今も、兵士たちを見逃した。
 そのヘンな騎士道、何か、理由でもあるんですか?」

「理由?」

 ガーベルは、ふっと笑った。

「簡単なことだ。俺は誇り高きブラックバスの戦士。戦士としての戦いしかせぬ」

 ――よしっ、のってきたっ、とドイッチは心のなかで叫んだ。

 顔を見た瞬間に、わかった。

 異常にプライドが高く、自分の強さに絶対的な自信を持っているヤツだと。

 こういうヤツは、適度にプライドをつっついてやれば、案外ぽろっと弱点をさらしてくれたりするものだ。

 それに、正直、今の体調でこいつと真っ向から勝負できるという気はしない。

 何とかして、時間を稼がなければ。

 そうだ――今の兵士たちが走って、城に知らせをもたらしてくれさえすれば――

「自力で俺の前に立つこともできぬ虫ケラどもなど、相手どるに値せん。戦士の誇りが汚れるというものだ」

「なるほど」

 ドイッチは、にやり、と笑った。

「じゃあ、自力であなたの前に立てれば、あなたと戦う資格があるんですね?」

「……愚民どもの相手ばかりで飽き飽きしたか?」

 ガーベルの笑顔は、優しげとさえ言えるものになっている。

「正直なところ、俺も退屈していたんだ。……失望させないでもらいたいものだな」

「無論っ!」

 叫び、杖を突き出した。

 守りたい。

 自分の家族を、自分を頼ってくれる人々を。

 自分が愛する、この王国を――!

「にょろよ! 我に、力をッ!!!」

 すさまじい爆発。

 摂氏2000℃のにょろ神の怒りが炸裂し、四天王筆頭を大量の土砂もろとも爆散さた。







16  一騎打ち



「やあやあ遠からんものは音にも……以下、省略ッ!」

 げしっ! ゴキッ! ずしゃあぁッ!

 竜巻のごとく風を切り裂く青竜堰月刀が、気合い一閃、立ちふさがるもの全てを粉々に打ち砕いて道を切り開く。

 騎竜将軍フラバー・ユーリは、一路、城を目指して進撃を続けていた。

 とにかく、ものすごい勢いである。

 第3研究所をスタートしてからというもの、数え切れないほどの竜牙兵と遭遇しているユーリだが、ここに至るまで、足を止めたことは一度としてなかった。

 要するに、出くわす敵のことごとくを張り倒しながら突き進んできているのだ。

 いかに相手が竜牙兵とはいえ、この強さ、やはり只者ではない。

 ――しかし、さすがのユーリといえども、竜牙兵と戦いながらでは本来の速度は望めない。

 本人としては、いささか歯がゆいスピードしか出せていないのである。

「そーれーっ!」

 ぼりんぼりんぼりんっ!

 いささかのんきな掛け声とは裏腹に、青竜堰月刀で竜牙兵3体のどたまをまとめてカチ割り、ユーリは、よーやく竜牙兵の群れを突破しきった。

「……いち、にっ、さん、しっ」

 いきなり、屈伸と伸脚をはじめる。

 ここからやっと心おきなく自分のペースで走れる、ということなのだが、ここらへんの感性が、やはりタダ者ではないユーリであった。

 かくして、ユーリは爆走を開始する。

 速い!

 とにかくひたすら、べらぼうに速い。

 もしも競走するとしたら、あめえばなどスタートと同時に「あああぁぁぁぁ。」と置き去られること必定の猛スピードである。

(……おや?)

 このペースならば、城まであと10分足らず――

 そんなところで、ユーリはふと、妙なことに気付いた。

 ――いつのまにか、家並みをひとつ隔てた隣の通りを、何者かが、自分とほぼ並んで爆走しているのである。

 建物の間の狭い隙間ごしには姿を確かめることはできないが、ユーリの研ぎ澄まされた聴覚は、かすかな足音から、そいつの位置を正確に割り出していた。

(誰だろう……?)

 走る速度はまったく緩めないまま、胸中で首を傾げる。

 彼の走りについてこられる者は、王家の人間のうちにも多くはない。

 マホナンヌやししょーならば無論、可能だろうが、もしも彼女らだとしたら、黙って並走したりせずに、何か声をかけてくるはずだ。

 それにそもそも、マホナンヌもししょーも、今は父王あめえばと共に城を守っていて、ここにはいないはず――

(ってことは、敵なんだろうな。きっと)

 大して緊張したふうもなくひとりごちて、ユーリは、青竜堰月刀の柄をぐっと握り込んだ。

 抜き打ちに備えつつ走る、走る。

 行く手に広場が見えてきた。いくつもの道が交わるその広場で、隣の通りとこの通りも、また交わることになるのだ。

(飛び出した、その瞬間が勝負だ――)

 と思った、その瞬間。

 ドッゴオオオオォォン!

 いきなり、横手の民家の壁が爆裂した!

「わあっ!?」

 さすがに驚きの声をあげるユーリ。

 普通のヤツなら爆風と破片になすすべもなく打ち倒されるところを、青竜堰月刀をブン回して盾となし、飛来したつぶてのことごとくを打ち払う。

 壁をブチ抜かれた民家が、ゆっくりと倒壊してゆく。

 じゃらんっ、と鎖の音が鳴る。

 もうもうと立ち込めた土ぼこりのなかから、ひとつの人影があらわれた。

「――よぉう」

 フラバーの軍服をだらしなくはおり、長大な鉄鎖をかついだ男は、騎竜将軍ユーリに親しげに声をかけた。

「…………誰ですか?」

 真剣に首をかしげるユーリ。

 無理もない。

 どちらも、直接顔をあわせるのははじめてだ。

「俺かあ? 俺はな、カクタス・アイゼン・ファウステンってもんだ」

「カクタス?」

 きょとん、と繰り返してから、

「……は! まさか、王妃様を誘拐したという、あの!?」

「そうだぜ」

「むう……。それは、困りました」

 あんまり困ってなさそうな調子でそう言うと、ユーリは、うーんと唸りながら考え始めた。

 そもそも、なぜユーリがこの道を爆走していたかといえば、いまだ《電脳》とつながったままで第3研究所(跡地)に残されている母・ヨネを救うため、王城までマホナンヌを呼びに行くのが目的なのである。

 飛竜・ランドローヴァルを守りに残してきたとはいえ、意識のないヨネ、そして戦えないエリスを長いあいだ放ったらかしておくわけにはいかない。

 とすれば、一刻も早く王城に向かうのが正解だが、こんなところでモジリンを拉致した相手に出くわしたとなれば、これは何とかしないわけにはいかない。

 しかも、この場合は、単に相手をブッ倒せばいいという問題ではなかった。

 モジリンが今、どこに、どういう状況でいるのか分からない以上、うかつに手を出すのも危険である。

 さて――

「とりあえず、王妃様を返していただけませんでしょうか?」

「そうはいかねー」

 思いっきり直球で要求したユーリに、これまた真正面から拒絶するカクタス。

「王妃様の身柄は、ある場所に隠してある。こればっかりは、タダでホイホイと教えるわけにはいかねーな。……ま、人質だの何だのってぇ回りくどいやり口は、俺的には、キライなんだけどよ。一応、こっちにも、立場ってモンがあってよぉ」

 と、ほんとにイヤそうな顔でぼりぼりと頭をかき、

「任務は果たさなきゃならねーからな。ここで簡単に王妃さんを逃がしちまったんじゃ、俺らの作戦が成りたたねぇ」

「作戦?」

 聞きとがめて繰り返したユーリだが、それは完全にスルーされた。

 カクタスは黙ったまま、じっとユーリを見ている。

 奇妙な沈黙。

「…………。あの」

 それが、およそ10秒ほども続いた時点で、ユーリは、素朴な疑問を口にした。

「あなた、いったい何しに出てきたんですか?」

 もっともな質問だ。

 登場の仕方こそド派手だったものの、それから問答無用で襲いかかってくるふうでもなく、笑顔で声をかけてきたり、よくわからんコトを愚痴ってみたり、行動の意図がいまいち不明だ。

「ああ……いや、なに」

 にいっ、とカクタスは笑った。

「簡単なこった。
 あんたと、戦ってみたくなってなぁ」

「――は?」

「……実はオレ様、朝から、全然まったく、ひとっつも戦ってなくてよー!」

 あっけにとられるユーリには構わず、いきなり拳を握りしめ、熱く叫ぶ。

「いい加減、欲求不満なんだよ! 延々と人質のお守りばっかさせられてよぉ。ったくガーベルのヤロー! ちっとばかし年が上だからって、自分ばっか、おいしい任務を持っていきやがって! 冗談じゃねーぜ!」

「……ガーベル?」

「とにかく、だ!」

 困ったようなユーリの呟きを打ち切って、カクタスは言い切った。

「オレは戦いたいんだよっ!
 で、ついさっき、あんたを見かけた瞬間に、ビビッと来ちまってよ。
 出てきちゃ、いけなかったんだけどな。ホントは。
 もう、止められねーんだ。
 なあ、あんた、強いだろ。オレと戦ってくれよ」

 渇望。

 そう呼ぶしかない感情が、カクタスの声にみなぎっていた。

 言い方こそふざけているようにしか思えないが、眼差しはこの上なく真剣だ。

 強敵を求める心。

 この人は、自分と似ている――ユーリは、ふとそう感じた。

 だが。

「そんなこと言われても、困りますよ」

 今、ここで、戦うことに全てをかけるわけにはいかなかった。

 母が、エリスが、自分を待っているのだ。

 そう、それに、王妃モジリンの安否は。

「えーと……あ! それじゃあ、ちょっとここで待ってていただけます? 実はわたし、非常に急ぐ用事がありまして。それを済ませてから、改めて戦うということで。
 ここはひとつ、いったん勝負を――」

 言葉半ばで。

 ユーリは跳んだ!

 一瞬前まで彼の頭があった場所を、鋼の鎖が薙ぎ払う!

 黒い鎖は、何の罪もない立ち木の幹を木っ端微塵に打ち砕き、それでも勢いを失わぬまま、民家の壁を直撃して大穴を開けた。

 振るい手の、非常識なまでの腕力が、一目で分かる一撃である。

「……預ける……というわけには……どうやら、いかないみたいですね」

 跳び退りながら青竜堰月刀を構え、着地と同時に、苦り切った口調で、ユーリ。

 だがしかし、苦り切ってはいるものの、今の一撃を目の当たりにして全くビビっていないところが、彼のスゴいところである。

 並の兵士なら、とっくに頭を砕かれてあの世行き――どうにか避けたとしても、呆然とするか慄然とするか、とにかくとても戦うどころじゃなくなるはずだ。

 かなり迷惑そうながらも、平然としているユーリを見て、カクタスは、にやっと笑った。

 嘲笑ではない。

 楽しげな――嬉しそうな、と言ってもいい笑顔だ。

「くくく。思った通りだ。……やっぱ強いな、あんた?」

「まあ、並より上とは思いますけど」

 他の者たちが聞いたら引っくり返りそうなセリフを、ユーリは大真面目に言った。

 謙遜しているわけではないところが、また恐ろしい。

「謙虚だねぇ。気に入った。――ますます戦いたくなってきたぜぇ」

 ユーリは眉を寄せた。

 彼の心の中で、ふたつの相反する思いがふつふつとたぎり、激しく争いはじめた。

 ……戦いたい。

 持てる力の限りを尽くし、目の前にいる強敵と、心ゆくまで戦いたい。

 今までユーリの前に現れた敵のうち、全力を出して相手どるに足る者はひとりもいなかった。どの敵も皆、彼にとっては弱すぎたのだ。

 そう、他のすべてを忘れることができるような死闘にこそ、彼はずっと憧れ続けていた――

 だが、ヨネたちを放ってはおけない。

 モジリンの安否を、捨て置くこともできない。

「………………」

 ユーリの迷いを、カクタスは、その表情から読み取っていた。

 カクタスも、同じ。

 今まで彼の前に現れた敵のうち、全力を出して相手どるに足る者はひとりもいなかった。

 どの敵も皆、彼にとっては弱すぎたのだ。

 そうだ。

 他のすべてを忘れることができるような死闘。

 そのチャンスが、今、目の前にある。

 ――しばしの沈黙の後、

「……じゃ、こういうのはどうだ?」

 カクタスは、ひとつの提案を持ち出した――







17  筆頭、相まみえる



 すさまじい爆音が連続して響きわたり、そのたびに大量の土煙が吹き上がって景色をまだらに染める。

 窓ガラスにはりつき、あめえばは呻くように言った。

「だ、ダメだ。このままでは……!」

 ちょうど報告に来て、そのまま一緒に下の様子を眺めていた将官たちが、動揺を隠しきれずにざわめく。

「あめえば!」

 ししょーが鋭くたしなめた。

 だが、あめえばはそれを耳に入れた様子もなく、目を見開いて下の光景を見続けるばかりだ。

 ――眼下の市街地で、ドイッチが戦っている。

 あの爆発が法力によるものであることは間違いない。

 全力疾走してきた兵士たちの報せによって、その相手が四天王筆頭であることもわかっていた。

 その爆発の位置が、だんだんと城のほうに近付いている。

 威力も、目に見えて弱まってきていた。

「いけない、圧されてる……! 早く、援護に出なくては!」

 あめえばの呻きに、将官たちは、目を見合わせた。

 ドイッチを見殺しにしよう、などと思っている者はひとりもいない。

 ここを抜かれたら後がないという実質的な問題ばかりではなく、誰もが、ドイッチの人柄を慕っていたからだ。

 だが、敵はひとりとはいえ、ブラックバス四天王筆頭――

 大神官さえ、手もなく圧倒する相手である。

 そんなヤツが相手では、たとえ何人束になってかかっていっても、一瞬で蹴散らされるのがオチだ。

 それがわかっているからこそ、誰も、声をあげることができない。

 ――いや――

「陛下!」

 決然と叫んだのは、隊長のひとりだった。

「我が部隊が、大神官さまの援護に出ます。どうか、出撃の許可を!」

「わ、我々も!」

 口々に声があがった。

「力は及ばぬかもしれませぬが……それでも、このまま座視するわけには!」

「そうです! フラバーの心意気、今こそ見せるとき! この命を懸けて、ドイッチさまをお守りいたします!」

「絶対に、城を抜かせはしませんよ……!」

「……みんな……」

 固い決意を浮かべた一同の顔を見渡し、あめえばは呟いた。

 最後の砦である王城に、四天王筆頭が肉迫してきた……

 いまや、終わりの時が打たれたのだろうか?

 ――いや。

 まだだ。

 まだ、誰もあきらめていない。

「……待ちなさいって」

 張り詰めた、熱い空気。

 そこへ、裏手パンチの手など出しつつ、あっさりこんと割って入ったのは、ししょーだった。

「あのね。ヤル気と根性だけじゃ、物事は解決しないわよ。冷静になりなさい。

 ハッキリ言って、あんたたちじゃ、あれに勝てやしないでしょ?」

「ち……ちょっと、母上!?」

 身もフタもないししょーの発言に、慌ててあめえばが叫ぶが、

「だ・か・ら」

 ししょーは、いたって涼しい顔で続けた。

「わたしが出る、って言ってるんじゃないの」

「…………?」

 数秒、空白の時間が流れた。

「……へ?」

「わたしが、出撃するわ」

「どえぇえぇぇええっ!?」

 再度、きっぱり言い放ったししょーに、あめえばを含めた全員がのけぞり、驚愕の声をあげる。

「しっ……ししょー様あぁっ!? お、おち、落ち着いてくださいーっ!」

「そ、そうです! ししょー様が御自ら戦うなど……! そんなコトになったら、この城がぶっ潰れかねません!」

「ああああっ! とうとうこの世に地獄の黙示録が現出……!?」

「――だあああぁっ! やっかましぃぃぃっ!」

 騒ぐ臣下たちを、ごすごすごす! と鉄拳降らせて黙らせて、ししょーは、ぴっ! と指を立てた。

「地獄の黙示録だろーが何だろーが、とにかく、ブラックバスをこの島から叩き出さないことには話になんないでしょうが!

 とりあえずわたしが出撃して、四天王筆頭とかいう奴とケリをつけてくるから。あんたたちはバタバタせず、どーんと落ち着いて、城を守ることだけ考えなさい。

 ここには、民間人がいっぱいいるんだってこと、忘れちゃだめよ」

 最後の一言と同時に、ししょーは鋭いまなざしをあめえばに向けた。

(母上……)

(――あめえば、ここはあんたに任せたわ。あんたなら、きっとやれる……)

 母と子のあいだに火花のような眼差しが行き交い、次の瞬間、ししょーは視線をあさっての方向へ向けて、笑顔で景気よく言い放った。

「さぁーて、それじゃ、ひとつ片付けてくるとしますかっ!」

「……お待ちなさい」

 言って、ぱちん、と扇を閉じ、ゆっくりと立ち上がったのはマホナンヌだ。

「わたくしも行きましょう」

 ――一同、あんぐりと口を開け、もはや言葉もない。

 周囲の驚きを意にも介さず、マホナンヌは、閉じた扇を口元にかざしてほほほと笑う。

「朝から延々と座ってばかりで、さすがに退屈してきましたからね。ボケ防止のためにも、すこし運動してくるとしましょう」

(お母さま……?)

(――あの男、本物の強敵です。わたくしも援護するわよ、ししょー)

 涼しい顔の下にひそかな決意を沈め、2人の女は微笑んだ。

「母上……おばあさま……」

 彼女たちの息子、そして孫である男は、2人の心がすでに決まっていること、そして、それをひるがえそうとすることは、神の手をもってしてもムダであることを悟った。

 彼はしばらく黙っていたが、やがて、呟くように言った。

「……ドイッチを、どうか」

「任せて」

 ぐっと拳を突き出し、親指を立てて、ししょー。

 後ろでこっそり、マホナンヌが相似形のポーズをとっている。

「それじゃ、ね。留守番は頼んだわよ!」

「ほほほ。大臣たちを説得するのが面倒だけれど、まあ適当に何とかしましょう」

 そして、2人の女たちは出て行った。

 服のすそを颯爽とひるがえし、残された者たちを、一度も振り返ることなく。

「陛下……」

 たたずむあめえばに、将官たちがおずおずと声をかける。

「……おー」

 くるっ、と振り向いたあめえばは、すっかりいつも通りのにこやかさを取り戻していた。

 やあやあ、という感じで手など挙げつつ、言う。

「ま、そういうわけだっ!

 みんな、安心してくれ。母上とおばあさまが出られた以上は、この戦い、負けは絶対ないからな!」

「そ……そうですな!」

「いかにブラックバス四天王筆頭といえども、あのお2人の前には、おそらく手も足も出ますまい……!」

「そう、その通りだ。これで安心、安心!」

 にこやかに何度も頷いて――

 あめえばは、ふっ、と視線を窓の外に戻した。

「えーっと……すまないが、少し、一人にしてくれないかな」

 男たちはあめえばの意図を察すると、互いの目を見合わせ、静かに頭を下げて退出していった。

 1人になったあめえばは、自分の執務机から椅子だけをずるずると引っ張ってくると、窓のそばに据えて腰を下ろした。

 市街地を見下ろし、ドイッチが戦っているのであろう場所を食い入るように見つめる。

 爆発はまだ、散発的に続いている。

「死ぬな……死ぬなよ……絶対に……」

 彼は呪文のようにぶつぶつと呟いた。

 ――案じているのは、ドイッチの身だけではない。

 ユーリは、モッサは、ドーは、今いったいどうしているのか?

 どこかで傷付き、倒れているのではないか?

 いやいや、まさか、あいつらに限って。

 ……でも……

 ばたばたと慌ただしい足音が近付いてきたかと思うと、扉の前で膝をつく音が聞こえた。

「国王陛下、ただ今、エックベルト様がお戻りに……。大至急、お目にかかりたいと」

「……通してくれ」

 あめえばの視線は、下の戦いから離れない。



     *      *       *



 ドカッ!

「ぐうっ……!」

 重い蹴りを錫杖でどうにか受けたものの、衝撃を殺すことまではできない。

 ドイッチはずざーっと石畳の上を滑り、民家の壁に激突した。

「ぐはっ!」

「何だ、もう終わりか? 少しは骨のあるヤツかと思ったが……いささか期待はずれだな」

 ひょいと肩をすくめて、ガーベルが言う。

 その姿には、わずかな傷さえもついていない。

(つ、強い……! 桁外れだ!)

 朦朧とした意識のなかで、ドイッチは歯噛みをした。

 先ほどから相打ち覚悟で法力の連打をかけているものの、相手の動きが早すぎて、まったく捉えることができない。

 それどころか、術の合間を縫って拳と蹴りの攻撃を受け、もはや体力が限界に来ている。

 しかも、相手はまったく本気になっていないのだ。

「これでは腕慣らしにもならんな」

 本気でつまらなさそうに、ガーベルは言った。

 つかつかと歩み寄り、ぼろぼろになったドイッチの法衣の胸元をつかんで引き起こす。

「そろそろ、とどめをささせてもらおうか」

(……ここまでか……)

 妙に冷静に、ドイッチはそう思った。

 反撃しようにも、もう自分の腕を持ち上げることすらも難しい。

(ここで死ぬ……運命か……)

 ――と、その時だ!

 きゅん!

 閃光の如きスピードで飛来した何かが、ギリギリのところで跳び退ったガーベルの顔をかすめた。

 耳の痛くなるような風切り音を残し、それは持ち主のもとへと戻る。

「貴様らは……」

 頬に走った一筋の傷から血を滴らせながら、ガーベルは新たに現れた『敵』を睨みつけた。

 その視線の先には、ふたつの人影。

 華麗な戦装束に身を包み、あるいは扇を、あるいは拳をかまえて優雅に佇む2人の女たち――

 そう、フラバー・マホナンヌと、フラバー・ししょーの登場だ!

 ちなみに、先程ガーベルを襲った青い何かの正体は、マホナンヌが投じた扇である。

 戦闘用に、縁に鋼の刃を仕込んだ凶悪なシロモノだ。

 ししょーがガーベルを牽制している間に、マホナンヌはさっと扇を閉じ、ガーベルの血を優雅な手つきで振り払うと、ドイッチの傍らにそっと膝をついた。

 そして、孫娘を優しく抱き起こす。

「大丈夫、ドイッチ?」

「う……う」

 マホナンヌの呼びかけに、ドイッチは薄く目を開けた。

 そして、自分を抱きかかえている女性が誰であるか知ると、苦しそうな表情を浮かべて、マホナンヌの腕をぎゅっと掴む。

「も、申しわけ……ありません、マホナンヌ様、ししょー様……修行不足の私では、法力が足りず……」

「いいえ!」

 隣に立ったししょーが、にっこりと笑って言う。

「あなたは、とてもよくやってくれたわ。私たちが来たからには、もう大丈夫よ。安心して休みなさい。よく頑張ったわね、ドイッチ」

 その言葉を聞いて安心したのか、ドイッチはかすかに微笑み、ゆっくりと眼を閉じた。

 その首が、がくりと仰け反る。

 ししょーはハッとしてマホナンヌを見た。

「心配はいりません、ししょー。気を失っただけよ」

「よかった……」

 優しげに笑い合った2人の女たちは、しかし次の瞬間、怒りに燃える視線をガーベルに叩きつけた。

「さあて……私たちのホームグラウンドで、よくもまあ好き勝手散々にやってくれたわね」

 バキボキと指を鳴らしながら、ししょー。

「さっき仕留められなかったのは、返す返すも残念だわ」

 と、マホナンヌ。

「わたくしとしたことが、敵を見くびり過ぎていたようね。まさか、気付かれるとは思っていなかったのだけれど」

「なるほど……な。俺の慢心を誘うため、孫娘を囮にしたというわけか……」

 嘲るような、そして同時に、感心するような口調で、ガーベルは言った。

「とどめをさす瞬間に、最大のスキが生まれる。それを狙って、こいつを見殺しにしていたんだろう? フラバーどもは皆、戦いを知らぬ愚か者ばかりかと思っていたが……なかなか、楽しめそうな奴もいるようだ」

 そんなガーベルの言葉に――

「……フッ……」

「フフフ……ホーッホホホホホ!」

 ししょーとマホナンヌは、顔を見合わせ、声を上げて笑いはじめた。 馬鹿にするかのような2人の態度に、ガーベルの表情が険しくなる。

「何故笑う? 女ども」

「ホッホッホ……何故ですって? そんなことも分からないなんて、お馬鹿さんですわねえ」

 ドイッチを片手で抱きかかえ、扇で口元を隠して笑いながら、マホナンヌ。

「きっと間違えて、脳ミソの代わりに筋肉でも詰めて来ちゃったのね。あ〜イヤだわ、頭の悪い男は、アホ父上とぼけぼけディラールだけで充分なのに」

 ししょーが言って、ふぅ、とわざとらしい溜め息をつく。

「何?」

 ガーベルの眼に宿る光が、ぎらり、とその凶暴さを増した。

 普段は冷徹無情な彼だが、何しろ『アホ父上とぼけぼけディラール』と同列扱いされたのだから、腹を立てるのも無理はない。

「その言葉――後悔するぞ、女ども」

「させてごらんなさいな」

 マホナンヌは余裕の口調で、ガーベルを挑発するように、ゆらゆらと扇を揺らす。

「わたくしたちが笑ったのは、あなたが何も分かっていないからですわ。
 ――訂正しておくと、私たちの登場が遅れたのは、ただ単に、引き留めようとしつこい大臣たちを説得するのに手間取ったからです!」

「……まあ、結局めんどくさくなって全員張り倒したんだけどね」

 マホナンヌ、250歳。ししょー、169歳。

 にも関わらず、並みいる家臣たちをことごとく張り倒して息一つ乱さずに走って来られるよーな人々だからこそ、フラバーたちを治めていられるのである!

「味方でさえ平然と捨て駒扱いするあなたがたと、わたくしたちを一緒にしないでいただきたいものですわね。このわたくしが、可愛い孫娘を囮になんてするはずがないではありませんか」

「……そーかしら……?」

 横から、ちょっと胡散臭そうに、ししょー。

「……あら。あなた、何か異存でも?」

「え。だってお母様、いざとなったらそれくらいなさるんじゃ……。何しろ、父上を容赦なく毒殺なさったし……」

 ししょーの言葉に、マホナンヌは、はあぁ――――っ、と深い溜め息をつき、

「あのねえ、あなた? 可愛い可愛いドイッチと、どこまでも果てしなく馬鹿かつケシ粒にもかなわないよーな役立たず、存在そのものが無意味なくせにトラブルだけはいっちょまえに引き起こすドリンを一緒にするなんて、そんなことをしたら、ドイッチがかわいそうじゃないの」

「ああ! なるほど、それもそうですね」

 と、ししょーがにこやかに頷いた――その瞬間!

 唸りをあげて、目に見えぬエネルギーの刃が一閃し、容赦なく2人を薙ぎ払う!

 一拍遅れて、爆音がとどろいた。

 摩擦で大気が燃えあがり、大地を焼き焦がす。

 熱に揺らめく空気の向こう、二人が立っていた場所を睨みつけながら、ガーベルは吐き捨てた。

「愚かな女ども……! この俺に戦いを挑んでおきながら、こうも易々と隙を見せるとは……!」

「――愚か者は、いったいどっちかしら?」

 突然、ひとつの声が朗々と響く。

「何っ!?」

 ガーベルは眼を見開いた。

 それは、紛れもなく、倒したはずのししょーのものだった。

 その声は、はるか上空から聞こえてきたのだった。

 彼は、ハッと状況を悟り、

「……貴様らぁっ!」

 素早く、そちらに向けて不可視の剣を振るう。

 しかし、時すでに遅し!

「これでも食らいなさい! シショー・ラブラブ・アタァ――――ック!!

 ドゴオ――――ン!!!!

 上空からししょーが叩きつけた魔力弾が、ガーベルを直撃する!

 轟音と共に、大地が抉れた。

 強烈な衝撃に大気が揺らぎ、数トン分の土砂が吹っ飛ぶ。

 そんな中――

 すたっ、と地面に降り立ったししょーは、燃えあがる草原を背景に、あさっての方向に向けてびしっと渋いキメポーズを取り、そして呟いた。

「……愛は、地球を救う!」

「見事でしたわ、ししょー!」

 どこへともなく身をかわしていたらしいマホナンヌが、どこからともなく現れ、ドイッチを抱いたまま、ぱちぱちと拍手を贈った。

「あの男が大気を燃やしたことによって生じた上昇気流に乗って飛翔し、上空から奇襲をしかけるとは……!」

 そう。

 これぞ、フラバー王家に伝説の技として伝わり、一族の中で、格闘の奥義を極めた者にのみ可能となる《秘技・火焔飛翔撃》であった!

 何やら、物理的に(……と限ったことでもなく)様々な疑問の残る技ではあるが、何しろししょーだから、そんなワザが使えたとしても別に驚くべきことではない。

 しかし、マホナンヌの賛辞に、ししょーは厳しい表情で答えた。

「いいえ、まだです、お母様!」

 グオウッ!

 炎を切り裂き、再び長大な不可視の刃がひるがえった。

 ししょーと、ドイッチを抱えたマホナンヌは素早く飛び退き、その攻撃から身をかわす。

「――しつこい男ですわね! そんなことでは、女性にもてませんわよ」

 イヤそうに、マホナンヌ。

 炎の中から、ガーベルが歩み出てきた。

 その身には、傷一つついていない。

 不可視の剣を作り上げているのと同じエネルギーがガーベルの身体を包み込み、バリアの役割を果たしているのだ。

「不可視の剣に、不可視の鎧というわけね……どうせ、あちらの皇帝から授けられたものでしょうけれど、まったく最近の若い者は、分に過ぎる贅沢をして……」

「ちっ、なかなか厄介なものを持ち出してくる……!」

 マホナンヌ&ししょーが、鋭く呟く。

 ガーベルの、怨嗟に満ちた言葉が、彼女たちの耳に届いた。

「あの程度で、俺を倒せるとでも思ったか? 俺もなめられたものだ。このガーベルが、四天王筆頭である、この俺が……」

 彼の眼には、周囲の炎すら色褪せさせる、憎悪と殺意の火焔が燃えていた。

 風を巻き、煙を引き裂いて、ガーベルの刃が二人を切り刻もうと唸りを上げて迫る。

「貴様らのごとき虫けらに後れを取るなど! 我が誇りが許さん!」

「お母様、下がって!」

 ドイッチを抱いたマホナンヌをかばい、ししょーはガーベルの攻撃の前に真っ向から立ち向かっていった。

「死ね!」

「そうと言われて、おとなしく死ねるもんですかっ!」

 左右、上下、前後。

 あらゆる方向から襲いかかる刃を、ししょーは耳と勘だけで見事にかわす!

 マホナンヌは、その様子を見つめ、

「こっ……これはっ……! 笑う場面では、ないのだけれど……」

 生死紙一重のきわどい勝負!

 しかし、残念ながら、というか何というか、何しろ剣が見えないために、ハタ目には、離れて向き合ったししょーとガーベルが、2人して真顔でばたばたと暴れているようにしか見えないのであった……。

 緊張感も何もあったものではないが、しかし、やってる本人としては真剣勝負だ!

「ちいぃっ!」

 ししょーは目を細め、舌打ちした。

 幾度かの攻撃がかすり、服のあちこちが破れ、血(緑)がにじむ。

 今までのところ、直撃したものはひとつもないが、いつまでもこの調子では、体力を削られてジリ貧だ。

「こうなったら……やるっきゃないわねっ! アレをっ!」

 ししょーは、自分自身に気合いを入れるように、そう叫んだ。

 アレ、とは――

 フラバー格闘術の奥義のひとつ《太極拳》。

 といっても無論、健康体操などではない。

 己の拳に《気》の力を溜め、直接敵をブン殴るという荒業だ。

 荒っぽいわりに高度な技で、極度の精神集中が必要となる。

 常人なら、集中している間に細切れにされてしまうところだ。

 だが、ししょーほどの達人になると、身体は絶え間なく攻撃をかわし続けながら、精神のみで集中を完了することができるのだ!

 ハッキリ言って人間業ではないが、これも、ししょーなので何となく納得できる。

「はあぁぁぁ――――っ!」

 裂帛の気合いとともに突き出されたししょーの両手に、青白い光が宿った。

 同時に、ししょーの真正面から、ガーベルの剣が迫る!

 ガギュッ!!!

 空間そのものが軋むような音を上げ、剣が止まった。

 ししょーは、太極拳で、ガーベルの剣を真剣白刃取りしたのだ!

 だが、しかし。

 そんな状況においてなお、ガーベルには余裕があった。

「ふ……やるな、女!」

 ぎりぎりと刃を押し込みながら、にやりと笑う。

「しかし、その力、いつまでもつかな?」

「くっ……」

 四天王筆頭の名はダテではない。

 真っ向からの体力勝負なら、ガーベルのほうが有利だ。

 ししょーは、真剣白刃取りの体勢のままで、じりじりと後退する。

「ししょー!」

 マホナンヌが叫ぶ。

 普段なら、即座に走っていって蹴りの30連発くらい叩き込んでいるところだが、重傷のドイッチをかばった今の状況では、下手な動きはできない。

 ガーベルは、なおも容赦なく刃を押し込んでくる。

 このまま力尽きれば、ししょーは一瞬にして一刀両断にされてしまうだろう。

(これは……まずい!)

 ししょーの表情に一瞬の揺らぎが走った、その瞬間。

 危うい均衡状態は急に崩れた。

 ガーベルが、何の前触れもなく剣を引いたのだ。

「!?」

 今まで渾身の力で押し返していた、その勢いをとっさに殺しかね、ほんのわずかに、ししょーの身体が前に泳ぐ――

 その、一瞬の隙を突き。

 どんっ!

 繰り出されたガーベルの手が、ししょーの左胸を貫いた――

「ししょー!!」

 さしものマホナンヌが、この瞬間、普段の冷静さを忘れて娘の名を呼び、立ち上がる。

「……あ…………」

 ししょーは、信じられないといった表情で、自分の胸を貫いた敵の手を見下ろした。

 その手が、ずるり、と抜き出される。

 大量の血を引きずって現れたガーベルの手には、ししょーの心臓が握られていた。

 それを映したマホナンヌの目が、真円に近く見開かれる。

 ししょーの膝が、ゆっくりと崩れてゆく。

「くふ……ふ、ふははははははは! こんなものか!?」

 勝ち誇った高笑いと共に、ガーベルは、ししょーの心臓を高々と差し上げ、そして、あっさりと握りつぶした。

 まだ温かい血が飛び散り、四天王筆頭の顔をまだらに染める。

「かつてはフラバーの王であった女……こんなものか!」

 ――だが。

 そう叫んだガーベルの表情は、次の瞬間、一転して凄まじく引きつることとなった。

 彼の左の二の腕を、何者かの手が、がっちりとつかんだのだ。

 その何者かとは――

 あろうことか、彼の目の前にいる、ししょーその人だった!

「…………なっ」

 驚愕のあまり反応が遅れたガーベルの腕を、ししょーの手が一瞬で捻り上げ、そのまま、一気にへし折る!

「があぁぁぁっ!?」

 さすがにたまらず苦鳴をあげて、ガーベルは折られた腕をかばい、跳び退った。

 その目は苦痛と、それにまさる衝撃に見開かれている。

 今のししょーの動きは、単なる断末魔のあがきなどではありえなかった。

 その証拠に――

「……ししょー!」

 マホナンヌが、安堵半分、叱咤半分といった感じの叫びをあげる。

 それを受けたししょーは、何と、少しばかりふらつきながらも、ぱたぱたと片手を振ってきたではないか。

 彼女は、目を剥いているガーベルに視線を戻し――

 自身の血に塗れた凄絶な姿で、にやりと笑う。

「わたしに心臓がひとつしかないなんて思わないでよ」

「……くっ!」

 再び睨み合う2人。

 戦場は、完全な膠着状態に陥った。







   18  造反



 その扉が、大きな音を立てて開かれたとき――

 あめえばは、執務室の奥の壁をほぼ一面占領している巨大な窓から、激戦が行われる市街地の様子を見下ろしていた。

 大きな椅子を窓のほうに向け、それに腰を下ろしている。

 海黒檀の巨木を彫り込んだ、立派な椅子だ。

 華やかな草花模様が彫刻された背もたれは、国王の姿をほとんど隠してしまっている。

 執務机と対になったこの椅子は、マホナンヌの代から、国王の位を持つ者に受け継がれてきた、由緒正しいものだった。

 だが立派な見かけとは裏腹にやたらとクッションが悪く、長く腰掛けていると、必ず腰が痛くなった。

「……あー……」

 その、クッションの悪い椅子に、深々と腰をかけたままで。

「それで……」

 国王あめえばは、寝入り端を叩き起こされた者のような声で言った。

 不機嫌な、というわけではなく、ただ単に、ぼんやりとしている。

「つまり……どういうことかな、これは?」

「御覧になって、お分かりになりませんか」

 応えたその声は、あめえばのどうにもしまらない声音とは対照的な、触れれば切れそうな鋭さと硬度を備えていた。

 ちょうど、その主の手の中で輝いている、剣の刃のように。

「……まだ、見てないんでね。できれば、このまま、振り向きたくないんだが……」

 あめえばは、言葉をつぎながら、ゆっくりと立ち上がった。

「どうやら、そうもいかないみたいだな」

 そして、振り向いた。

 国王がまとう青いトーガすれすれに、光るいくつもの切っ先が突きつけられる。

 彼がうかつな動きを見せれば、それらは即座に突き出されるだろう。

 あめえばは、己の心臓に真っ向から擬されている切っ先に、ゆっくりと視線を落とした。

 微動だにしないその切っ先は、氷のような輝きを放つ刀身に続いている。

 そして、その柄を握る者の目は。

 刃よりも冷たく、凍てついていた。

「どういうことだ、エック。こんな時に――」

「こんな時……ですと?」

 極限まで抑えた声量で、エックベルトは呟いた。

「こんな時だから、こうせざるを得ないのですよ。
 戦況をご覧になるがいい……。もはや、城が陥ちるのは時間の問題だ。
 このままでは、わが国は滅びる。
 それを防ぐには、たったひとつの道しか残されていない。
 ――あなたの首と引き換えに、帝国と講和条約を結ぶ」

「……正気か? エック……」

「勝ち目のない戦いを続けることは、勇気ではなく罪悪だ。――この王国を存続させるためには、今の時点で講和に持ち込むしかない!」

「王国の存続!?」

 初めて、あめえばが声を荒らげた。

「何を言っている、エック! 今までのブラックバスのやり方を、お前も知っているだろう! 統治のためにそれまでの体制を残した場合でも、それは、形だけのあやつり人形にすぎない! 一度、帝国に飲み込まれてしまったら……私たちの民の自由は、もう取り戻すことができないんだ!」

「それでも……」

 エックベルトは、きっと兄を睨みつけた。

「もはや、他に道は残されていない!」

「エックベルト!」

 そのときだ。

 いきなり廊下のほうから、ものすごい鬨の声がきこえてきた。

 続いて、甲高い金属の響き。

「な!?」

 一体何が起こったんだ、と思わず目を丸くしたあめえばの耳に、聞き慣れた声が飛び込んでくる。

「陛下あぁ! ご無事ですかっ!?」

「――スカーフェイスか!?」

 剣を突き付けられながら、思わずゾウガメのように首を伸ばして、あめえばは廊下のほうに向かって叫び返した。

 その声が聞こえなかったのか、それともそれどころではないのか、スカーフェイスからの返事はない。

 かわりに、激しく剣の打ち合う音、幾人もの怒号が響いてくる。

「精強の第1騎士団が、ブラックバスに寝返ったのか!? 情けない! 恥を知れっ!」

「進め! 何としても、陛下をお助けするのだっ!」

 主君の危険を察知して駆けつけた国王親衛隊と、廊下を封鎖した第1騎士団とが激突したのだ。

 あめえばは唇を噛んだ。

 こんな騒ぎが続けば、エックベルトの造反が城じゅうに知れ渡りかねない。

 それは、人々の士気に対して、致命的な一撃となるだろう――

 ダァンッ!!

 自分に剣を突きつけている者たちの注意が、いやがうえにも廊下の方に引き寄せられた、その一瞬の隙を突き。

 出し抜けに、あめえばは跳び退った。

 それもただ後退したのではなく、執務机に片手を突き、とんぼを切って机の向こう側へ飛び降りたのだ。

 一瞬前まであめえばが立っていた場所を、無数の切っ先がぶつかり合いながら貫く。

 しかし、その時には既に、机の上に横たえられていたはずの剣が、あめえばの手の中で不吉な輝きを放っていた。

「……先に、この剣をどっかにやっとかなかったのは、失敗だったな……」

 あめえばの暗澹たる呟きに、リュシアンたちが、動揺したようにわずかに踵を下げる。

 国王の剣術の腕は、王国随一。

 その彼の手に得物が戻った今、もしも、この場で戦いになれば……

 果たして、守り切れるだろうか?

 エックベルトを。

 自分たちの、新しい王を――

 騎士たちのあいだに流れる空気が、硬い緊張をはらむ。

「………………。む〜ん

 机ひとつ隔てて彼らに取り囲まれ、真剣な顔をしていたあめえばが、不意に、妙な唸り声を発した。

 は? という顔つきになった騎士たちの目の前で、あめえばは手にした剣の切っ先を、とん! と絨毯に突き刺し、

「ま、そんな用意周到にやられても困るが。
 ……よーし! エック、それに皆! もうやめだ。このへんで、やめにしよう。なっ!」

 にこにこにこーっと笑って、言う。

「……………。」

 極限まで張り詰めていた雰囲気を、一撃でプッツンとブチ切ってくれた国王の言動に、思わず脱力しそうになりながら、ギリギリのところで踏み止まる騎士たち。

 ――それまで緊張した面持ちを崩さなかったエックベルトの唇に、このとき初めて、笑みが浮かんだ。

「……兄上……」

 彼は溜め息をつき、左手を水平に挙げる仕草だけで騎士たちを後退させた。

「まったく、あなたという方は、いつもいつも……」

 執務机を隔て、一対一で兄と向き合ったエックベルトは、

「いつでも……国王であるには、優しすぎる」

 凄まじい視線で、兄王を睨みつけた。

「エック……」

 目の前に立つ弟から本物の殺気を感じ取り、無意識のうちに、あめえばは剣を握る指に力を込める。

「剣を捨てられよ」

 エックベルトは冷然と告げた。 「あくまでも、無駄なあがきをなさるというのなら……兄上の部下たちを、あなたを傷つけるといって投降させ、彼らを、あなたに対する人質として使うこともできる」

「…………」

 あめえばは、言葉を失った。

 懐柔も説得も、もはや無意味であることを、突き刺さるような視線が雄弁に告げている。

「――なぜだ? エック」

 ややあって、あめえばは、くしゃっと顔を曲げた。

 笑うとも泣くともつかない中途半端な表情で、静かに言った。

「なぜだ?」

「そう、なぜ……」

 問われて、エックベルトは、わざと質問の意図を取り違えた。

「王国最高の剣士であるあなたにこんなふうに挑んで、勝てるなどと考えているのか? 
 簡単ですよ。知っているからだ。
 ――あなたは、決して、身内に対して剣を振るうことのできぬ方だと」

「………………」

 あめえばは、しばらく何も言わなかったが。

 その沈黙のあいだに、彼の表情はゆっくりと変わっていった。

 ぎゅっと寄せられていた眉が開き、奥歯を噛み締めていた顎から力が抜ける。

 表れていた感情が、ひとつひとつ拭い去られ――

 平坦な眼差しで、彼は呟いた。

「……もしも、できたら?」

「私の首は今頃なくなっているでしょうな」

 エックベルトは、吐き捨てるように言った。

「下手な芝居だ、兄上! 生まれたときからずっとあなたの後ろにいた私に、見破れぬとでもお思いか? 私があなたならば、今この瞬間、決して裏切り者を生かしてはおかぬ! さあ、その剣で、この首を刎ねてみられよ。できるものならな!」

 真っ向から叩きつけられた弟の怒号に――

「……できるわけないだろ……」

 ひどく苦労して作った、平坦な表情のままで、あめえばは奇妙に震える声で言った。

 今にも絶叫に変わりそうで……泣き声にもなりそうで、それを無理に押し留めている、そんな声で。

「兄弟なのに……弟のおまえを斬るなんてことは、私にはできないよ……」

「それがあなたの最大の落ち度だ」

 エックベルトは冷ややかに言った。

「あなたは、何もかも守ろうとする。

 自分の身内、臣下、王国の民すべて――

 今のまま、何もかも、何ひとつ失うことなく留められることを望んでいる。

 それゆえに」

 彼の言葉は剣の切っ先のように、あめえばの肺腑に突き刺さる。

「あなたは今、何もかも失おうとしているのだ」

 兄弟のあいだに、沈黙が横たわった。

 廊下で行なわれている、第1騎士団と国王親衛隊の激しい戦いの物音すら、遠ざかったように感じられるほどの沈黙。

 それを破ったのは、再び、エックベルトの言葉だった。

「このままでは、本当に何もかもが失われてしまう。兄上、私は思うのです。どれほど巨大な犠牲を払っても、すべてを失うよりはましではないかと、ね……」

 彼は話しながらじりじりと執務机の横を回り、動かない兄の首筋に、ぴたりと刃を当てた。

 あと、ほんのわずか引けば、血が噴き出る。

「ああ、そうだ。裏切り者、肉親殺しと罵られるがいい。私には、たとえ他のすべてを失っても守り抜こうと決めたものがある。そのためならば――どれほどの代償を支払おうとも、後悔はしない!」

 あめえばは、長いこと弟を見つめていた。

 緑の目に宿るとらえどころのない光、青の目に宿る全てを貫き通すような光。

 ふたつの視線が真っ向からぶつかり合い、絡み合って――

「……あの森……」

 あめえばの視線が、ふと横手に流れた。

 巨大な窓の外に広がる、王国の大地。

 市街地のあちこちからは、戦いの煙が上がっている。

 その向こうには丘と森が広がり――さらに彼方は、海。

 剣を床に放り出し、その手を挙げて遠くのほうを指差しながら、あめえばは言った。

「覚えているか? 小さい頃、よく2人でセミ取りに行って……私がセミに追いかけられて水溜まりにはまった」

「――兄上」

 エックベルトは隠そうともせず、うんざりした表情を浮かべた。

「いささか、感傷的に過ぎるのではないですかな」

「あの川。泳ぐなと言われていたのに勝手に入って……そうだ、何日も降り続いた雨が、やっとあがった朝だったんだな。止めようとしたおまえごと鉄砲水に流されて、死ぬかと思った」

 あめえばは、弟のことばを聞いた様子もなく、呟くように言い続けた。

 眼下に広がる景色をなぞるように、ゆっくりと指を動かしながら。

「どこにも、思い出がある。思い出のない場所はひとつもない……。私たちだけの、ではない。この国の民すべてが、この島で生きて、死んでいった、すべての記憶がこの土の上に残されている。
 ……私は、こんなに美しい国は世界のどこにもないと思うよ。
 緑の森――
 花の咲きこぼれる、豊かな土地――
 そこで平和に暮らす人々――」

 それら全てをいつくしむように、あめえばの指が窓ガラスを撫で、そっと離れる。

「それらが今、永遠に失われようとしているんだ。

 エック、私は、この国を守りたい。この国のすべてを。
 そのために戦おうとするのは、愚かなことだろうか?」

(……兄上……)

 心ならずも、エックベルトは、兄のことばに胸を突かれた。

 緑の森。

 花の咲きこぼれる、豊かな土地。

 そこで平和に暮らす人々。

 ――そうだ。

 大切だった。

 守りたかった。

「兄上、私が間違っていました」――そう、言うことができたら。

 兄の前にひざまずき、その手をとることができれば、どんなに良かったか……

 だが、もう引き返せない。

 ひとたび王に向けた刃を、鞘から抜かなかったことにはできないのだ。

 そう、王に、兄にさえ背いた。

 ――全ては、彼女を守るために――

 エックベルトは内心の葛藤を完璧に封じ込め、鉄壁の表情を守った。

「……私は、この国を守りたい。 ……守りたかった」

 あめえばの肩が落ちた。

 彼は静かにうなだれ――再び顔を上げた時には、力ない微笑を浮かべている。

「駄目だったかな。私では」

 あめえばは、しばし、弟の顔を見つめていたが、

「そうか……。私も、自分は国王に向いていないと、よく思ったものだよ。最近は、特に。母上は、向いているとか向いていないとかじゃなく、自分の責務を果たすだけだと仰ったが……。
 そう……その通りかもしれないな」

 どこか悟ったような、さばさばとした口調で言い、弟に笑いかける。

「ダメな王だったかもしれないが、私は、それでも、フラバーの王位を受け継いだ者だ。
 ――せめて、王らしく死なせてくれ」

 騎士たちが、動揺を隠し切れずにざわめいた。

 エックベルトは彼らを視線で制し、無言のまま剣を引いた。

 あめえばは、ゆっくりと執務机の引き出しを開け、手の付けようがないほど乱雑に積め込まれたがらくたの中から、黒い小瓶を拾い上げた。

 それを持ったまま、大股に歩いて部屋の隅の棚に近付くあめえばの姿を、エックベルトはその場に立ったまま見送った。

 騎士たちが、気圧されたように下がって場所を空ける。

 あめえばは、棚におさまっていた新しい酒のボトルを取り出すと、封を切り、栓を抜き、グラスを取って中身を注いだ。

 そしてそのグラスの上で、懐から取り出した小瓶を傾ける。

 赤みがかった透明な液体は、琥珀色の酒にあっという間に混ざった。

「じゃ、皆――
 さよなら」

 誰が言葉を発する間もなく、あめえばは軽くグラスを掲げたと思うと、一気に中身をあおった。

「陛下あぁ!」

 執務室で何が起こっているのか、知りようもないはずのスカーフェイスの絶叫が、廊下からかすかに響く。

「……あいつ」

 あめえばの顔に苦笑が浮かんだ。

 ――振り向こうとした、その手から、グラスが離れて床に転がる。

 薄く開いた口の端から、つうっと、一筋の血が流れ落ちる。

 その最初の一滴が床に落ちるよりも先に、あめえばの身体がぐらりと傾いだ。

 ゆっくりと、床にひざをつきながら……

 彼は残る力を振り絞って顔をあげ、万感の思いを込めて、弟の瞳をまっすぐに見つめ――

 前のめりに倒れ伏した。

 王権を示す緋色のマントが、その身体を覆うように広がり、ぱさり……と乾いた音を立てた。

 エックベルトは、動かなくなった兄の傍らに歩み寄った。

 ――いや、歩み寄ろうとした。

 自分の足が凍りついたように動かないことに、その時、彼ははじめて気づいた。

「エ、エックベルト様……」

 リュシアンが声をかける。

 エックベルトは片手を挙げてそれを押し留め、わずかに震える足を無理やり床から引きはがした。

 兄の遺体を見下ろして立ち、彼は、剣を振り上げた。

「これで……良かったのだ。これで……」

 エックベルトは祈るように、あるいは苦痛に耐えるように目を閉じた。

 欺瞞と分かっていても、この瞬間だけは、信じたかったのだ。

 兄の首を落とす剣を振り上げたこの手は、自分のものではないと――

 

 そして蛇のようにしなる何かが、彼の足を払った。

 

 ……………………。

 ――あれ?

「うおぉっ!?」

 まったく何の前触れもなく強烈な足払いをかけられ、さすがにたまらず、ド派手にひっくりこけるエックベルト。

「――っしゃあっ!」

 その隙に、国王の死体(!)が跳ね起きた!

 弟に足払いをかけたその腕で、元気良くガッツポーズを取り、ついでに、口の端から垂れている血を、ささっとマントで拭く。

 そして、あまりの事態に呆然としているエックベルトの部下たちを、

「どぉおぉおおりゃああぁ〜っ!!」

 ヘンな体当たりで次々に跳ね飛ばしつつ、奥の壁――巨大な窓に突進した!

「しまった!」

「止めろ!」

 騎士たちの狼狽の声が交錯する。

 が、時すでに遅し!

 国王は突進の勢いをまったく緩めることなく、

「せいやーっ!」

 真っ向からガラスに体当たり!

 澄み切った音が響いた。

 一瞬のうちに、高価な一枚板のガラスの表面に蜘蛛の巣のようなひび割れが走り、さらに転瞬、きらきらと砕け散るガラス片のなかを、国王の身体が落下してゆく――

 誰しもが、思考停止してしまったかのような顔で、その光景を見つめていた。

 そして数秒の後、遥か下から、ドボーン! というものすごい水音が聞こえてくる。

 エックベルトは、信じられないといった面持ちで起き上がった。



     *      *      *



 城の濠の周囲には、四季を通じて美しい花をつける植え込みがあった。

 今の時期はちょうど、やわらかな薄桃色の花が満開である。

 その、花咲く茂みに隠された濠の縁から――

 何の脈絡もなく、ずぶ濡れの一本の腕が、にゅっと突き出た。

 その腕は、しばし辺りを探るようにあちこち動き(単に、ふらついているだけのようにも見えたが)やがて、べたし、と地面に取り付く。

 続いて、壁にへばりつくヤモリのよーな姿勢で、全身緑色の若者が這いあがってきた。

 事情を知らない者が目撃しようものなら、即座に失神しそうなブキミな姿だ。

 髪から服から、植物性プランクトン混じりの水がぼたぼたと滴り落ち、あまつさえ、口からだらんと藻が垂れている。

 頭に載っている王冠がなければ、国王親衛隊の騎士たちでさえ、あめえばとは見分けがつかずに問答無用で成敗していただろう。

「っげふぅ。ぶほ……おえッ」

 国王あめえばは、ナゾの呻き声を発して緑色の水を吐き出し、ついでに藻も吐き出した。

「うぐぐ……。いっくら脱出のためとはいえ、古くなった香水なんて、飲むんじゃなかった……。気持ち悪ぅおええええぇ」

 ――つまり、そういうからくりなのであった。

 服毒自殺をすると見せかけて偽の毒をあおり、死んだフリで相手の油断を誘うという、涙が出るほどセコい戦法である。

 偽の毒の正体は、かつて、みっちいにねだり倒してイヤイヤながら誕生日に贈ってもらった香水だった。

 嬉しすぎて使えず、結局、新品同様のまま封印されていた代物である。

 アルコール同士なら、何とかいい感じに混ざるだろう……と思ったのだが、少々、見通しが甘かったようだ。

 あめえばは地面にぶっ倒れたまま、何度も深呼吸を繰り返し――

 どうにか吐き気がおさまったところで、ぽつり、と呟いた。

「……いや、しかし……死ぬかと思ったな。ちょっと本気で」

 この言葉の意味は別に、弟エックベルトに首を落とされかけた、ということではない。

 守備よく濠に飛び込んだはいいが、その後がいけなかったのである。

「ううう。鎧着てるの、すっかり忘れてた……」

 さすがのあめえばといえども、合計40キロ以上もある金属のカタマリを身に着けたまま泳ぐ、などという芸当はできない。

 ものすごい勢いで沈降してゆく自分にびっくり仰天、そうか、こいつのせいかっ! と、大慌てで鎧一式を脱ぎ捨てたが、本格的な鎧は着脱にめちゃくちゃ時間がかかる。

 全部脱ぎ終わるころには、きっちり底まで沈んでしまっていた。

 水圧で身体が押しつぶされそうになるわ、溜まりに溜まった泥に足をとられるわ、うっかり鎧と一緒に王冠まで投げ捨てたことに気付き、慌てて拾うわ、と、本当にもう死ぬかと思った。

 それでもどうにか根性で泳ぎ、ようやく、ここまでたどり着いたのである。

 疲れ果てていた。

 あめえばは、力なく呻きながら、花陰に仰向けになった。

 空が――見える――

 薄桃色の花弁を、重なり合う葉を透かして、美しい空が――

「……あああっ! いかぁーんっ!」

 静かに閉じようとしていたまぶたをカッと見開き、あめえばは、がばと起き上がった。

「今、ちょっと真剣に現実逃避しかかってたぞ私はっ! いかんいかん! 確かに、花々に看取られて静かに横たわる王、というのはかなり絵になるシチュエーションだが、皆が必死こいて戦ってる時に、私だけこんなとこで転がってるわけにはいかあぁぁぁぁん!」

 叫びながら、立ち上がる。

 ――まあ、全身緑色のこのありさまでは、たとえ花々に看取られて静かに横たわっていたとしても、イマイチ決まらないであろう。

「さぁーて……これから、一体どうしたもんかな……」

 ここからでは、城内でどんな動きが起こっているのか、ほとんど窺い知ることはできない。

 人質だった当の国王が脱出したことに、スカーフェイスたちは気付いただろうか?

 もしもそのことに気付けば、彼らは、一気に反乱軍を制圧しようとするだろう。

 それとも、いまだ睨み合いが続いているのだろうか?

 あめえばはしばし、目を細めて、先程自分が飛び降りてきた窓を見つめた。







   19  遅すぎた勝利



 バグンッ!

「くっ!?」

 風を巻いて耳元をかすめ過ぎる、鉄の鎖。

 同時に、肩を守る鎧が弾け飛ぶ。

 幾筋かの髪が巻き込まれ、引きちぎられる。

 顔めがけて真正面から飛んできた一撃を、間一髪でかわした途端に、鎖のもう一方の端がうなりをあげて迫る!

「はあああああぁっ!」

 雄叫びとともに、ユーリは青竜堰月刀を振るった!

 超・高速で回転しているために、もはや1本の武器ではなく刃を持つ円盤としか見えぬ青竜堰月刀が、太い鎖にぶち当たってその軌道を大きく変える。

 火花が飛び散り、焦げくさい異臭さえ漂うほどの衝撃だ。

 並の人間なら、その衝撃だけで手首どころか肩から先が吹っ飛びかねないほどだったが、ユーリはまるでダメージを受けた様子もなく、スキップでもするように軽々と跳び退って敵との間合いをとった。

「……うーん」

 ばさりと頭を振って乱れた髪を整え、ユーリは、感慨深げに唸ってひとりごちる。

「いけないな……」

「あぁ?」

 不審げに、カクタス。

「何、ぶつぶつ言ってんだ?」

「いえ」

 にこっ、と笑って、続けた。

「あなたとの戦いが、あんまり面白いものですから。今、うっかり他のことを全部忘れそうになってました」

 そう言ったユーリの視線の先には、彼らから少し離れた塀の上にちょこんと置かれた、きらきら光る小さな品物があった。

 先ほど――

 戦いをしぶるユーリに、カクタスが持ちかけた提案とは、驚くべきものだった。

『オレと戦って、もし、おまえが勝ったら……ほれ。こいつを持ってってもいいぜ』

 言って、カクタスが懐から取り出し、無造作に塀の上に置いたもの。

 それは、繊細な彫琢のほどこされた、ガラスの小瓶だった。

『……それは……』

 ソレがいったい何であるかを悟り、さすがに目を見開いたユーリに、カクタスは深く頷いて、

『そうそう! こん中に、おまえんとこの王妃様が入ってんだよ』

 すごい説明だ。

『人質なんてぇ無粋なモンとったままじゃ、おもしれぇ勝負なんて、できやしねーからな! ――てなわけで、こいつを、ここに置いといて。
 オレが勝ったら、オレがこいつを取る。おまえが勝ったら、おまえが取る。こういうことにしようや。
 どうだ? これなら、おまえだってヤル気出るだろっ?』

『……まあ……そうですけど……』

 困ったように、ユーリ。

『いいんですか? ブラックバスの四天王ともあろう方が、そんなことで』

 すばらしいフェアプレーの精神ではあったが、これは仮にも戦争である。

 あまりにもバカ正直すぎて、かえって裏があるのでは……などと疑っているわけではなく、敵として本当にそれでいいのかと純粋に心配しているところが、ユーリのユーリたる所以だった。

『……いーだろ、もう。多分な』

 何だか急に面白くなさそうな口調で、カクタスはぼそっと呟いた。

 何だろう、と一瞬、首を傾げたユーリだが、

『わかりました。そういうことなら、やりましょう!』

 にこーっ、と笑って、明るくそう言い放った。

 ――このビンには、果たして本当にモジリンが封印されているのか?

 実は真っ赤なニセモノではないのだろうか?

 もし本物だとしても、モジリンはすでに別の場所に移されているとか、あるいは、最悪の場合、すでに殺されているのではないだろうか……?

 驚くべきことに、若き騎竜将軍は、そんなモロモロの疑いをカケラほども持たなかった。

 戦士としての感覚が、彼に告げていたのだ。

 目の前の敵は、真実を語っている、と。

 こうして。

 小さな小さなガラスの小瓶を――

 一国の命運を賭けた、2人きりの戦いは、その幕を上げた!

「しっかし、何だかなぁ……」

 カクタスが言った。

 言いながら、じりじりと姿勢を変えている。

 鉄鎖を握った両手を肩の高さにぴたりと構え、ごくわずかずつ、摺り足で前進しているのだ。

「おまえみてーなのが、フラバーにもいたなんてな。……惜しかったなぁ。おまえが、帝国に生まれてさえいりゃあ……」

 カクタスは、いったい何と続けようとしたのか。

 その続きは、口にされることはなかった。

「それは無理ですよ」

 ユーリが、笑顔であっさりとそう言い切ったからだ。

「私は……この国が、好きですから!」

 同時、閃光の突進!

 青竜堰月刀が甲高い風切り音を立てた。

 それは、死神の叫喚にも似ていた。

 舞のごとく流麗にして、怒涛のごとく凄まじい破壊力を秘めた斬撃。

 その速度は、常人の視力では、本体どころか残像さえも捉えることはできない――

「はっ、そうかよっ!!!」

 口元に笑みさえ浮かべ、カクタスも奔る!

 彼の膂力が、太い鎖をまるで一本鞭のように扱うことを可能にしていた。

 触れるもの全てを砂塵レベルにまで粉砕する攻撃が、蛇のようにうねり、青竜堰月刀の軌跡をかいくぐってユーリに迫る。

 コンマ1秒で、交錯する――

「がっ!」

 カクタスの分厚い胸甲の中央が砕ける。

「くぁっ!?」

 ユーリの額を守る額冠が弾ける。

 まさに一瞬でその位置を入れ替えた戦士たちは、寸時の油断もなくふたたび向き合った。

 カクタスは胸から、ユーリは額から血を流し、それぞれに半身と顔面を朱に染めた壮烈な姿だ。

 それでも。

「楽しいなぁ」

 カクタスは、笑っていた。

 心底嬉しそうに。

「これほど面白ぇ戦いは、本当に久しぶりだ……!」

「私もです」

 ユーリもまた、青竜堰月刀を構えながら、翡翠色の髪を揺らして笑った。

 傷付き、血を流して――だからこそ、ユーリは笑っているのだ。

 彼が常に求め続けてきた、力と技を存分に尽くすことのできる戦い。

 全身全霊を、命を懸けるに値する戦い。

 これこそがそうだと、ユーリは感じていた。

「……あの、ひとつだけ、訊いていいですか?」

「あ?」

「いえ、素朴な疑問なんですけど。
 あなたがたの首領――ブラックバスの皇帝って、どんな方なんです?」

「……唐突な奴だな……」

 突然の問いに、カクタスは、本気で困ったようだった。

「どんなとか、急に言われても……。えーとなぁ……そう……そうだな」

 何やら思いついたらしく、うん、と頷いて、

「あの人は――」

 そう口にしたとき、カクタスの顔からは、野生の獣を思わせる凄味が拭い去ったように消えていた。

 かわりに浮かんでいたのは、大らかな、開けっ広げなといってもいいような表情だ。

 大きなものを見たときの、少年の顔に似ていた。

「いつでも、前だけ見てるんだ。前しか見ねー人なんだよ。
 振り向くことなんかしねぇ。立ち止まりもしねぇ。
 自分の夢を叶えるために、とにかく戦って戦って戦って戦って、勝つ。
 ……まあ……何つーか……
 そんだけの人なんだけどな」

「ああ……!」

 何を、いったいどう納得したのか。

「やっぱり」

 ユーリは、満足そうに大きく頷いた。

「きっとそうだろうと思いました。

 あなたほどの男が、凡百の将になんか従うはずがないもの」

 ユーリとカクタス、2人の視線が静かに交わる。

 そして、彼らは、にっこりと笑いあった。

 別の運命、別の生き方のなかで出会っていたなら、分かりあい、高めあい、無二の親友となっていたかもしれない2人だ。

 一陣の風が巻き起こり、ユーリの翡翠色の髪を揺らし、カクタスの黒髪をざわめかせる。

 その風に乗って吹き交わされたのは、憎しみでもなく殺意でもない、あまりにも澄み切った何か――

「――行くぜェッ!!!」

「応!!!」

 動いたのは、まったく同時。

 これが最後。

 一瞬の勝負になるだろうと、2人ともわかっている。

 ダッ!

 地面を蹴り、カクタスが跳んだ。

 傷を負っていても、それをまったく感じさせない、まるで風に巻き上げられたかのような動き。

 鉄鎖が、1本の棍棒のようになって横一文字に振り抜かれる。

 迅い!

 この地上の何人も、受けもかわしもできなかっただろう迅さ――

「!」

 それでも、なお。

 ユーリの速度が、それを上回っていたのだった。

 装甲の砕けた胸に、もう一撃。

 そして、カクタスは崩れ落ちた。

「……かはっ」

 ユーリはがくんと膝をついた。

 青竜堰月刀の柄が、その指から滑り落ちる。

 彼は両手で喉を押さえて激しく咳き込み、喘いだ。

 カクタスが繰り出した鉄鎖の先端が、喉笛をかすっていたのだ。

 まともにくらっていたら、声を潰されるどころか、頭を吹っ飛ばされていただろう。

「…………、……」

 ほとんど聞き取れないほどのかすかな声が、風に乗って耳に届く。

 ユーリは顔をあげた。

 倒れたカクタスが、最後の力で指先を動かし、血溜まりの中からユーリを手招いていた。

「あんたの……勝ちだ……」

 膝でいざってすぐ側まで近づいたユーリの耳に、カクタスはささやいた。

「約束……だ。あの瓶、持っていけ……。栓……抜けばい……い……
 オレ……怒られる……だろうが、もう……関係ない……」

 真っ赤な血をどくどくとあふれさせている胸の傷は、どう見ても致命傷だ。

 戦士の顔を、急速に死の影がおおいつつある。

 けれども、カクタスは、先ほどとまったく変わらない笑みを浮かべていた。

「ああ……楽しかったなぁ……! オレは……あんたと、たたかえて……たのし……か……た……ぜ」

 黒い目から、何かが飛び去ったように、光が消える。

「カクタス・アイゼン・ファウステン」

 本当に誇らしげに、

「……私は、あなたに勝てたことを、誇りに思います」

 そして、少し淋しげに呟いて、ユーリは立ち上がり、斃れた宿敵に背を向けた。

 塀の上でキラキラと輝いていた小瓶を取り上げ、ためらわずに栓を抜く。

 シュオオオオッ!

 金色の光の粒が噴き出し、それがたちまち人のかたちになったと思うと、

「……し……将軍!?」

「ご無事でなによりです、王妃様」

 いきなり解放されて、状況が理解できない様子のモジリンに、ユーリはにっこりと微笑みかけた。

「わ、わたくし、施療院に……。はっ!? 将軍、そのケガは……」

 言いかけて、モジリンの目は倒れたカクタスの姿を捉え、大きく見開かれる。

「王妃様」

 混乱状態のモジリンの手をとり、ユーリは真剣に言った。

「これまでの経過を説明し申し上げたいのはやまやまなのですが、残念ながら、今は、その時間がありません。とにかく何もおっしゃらず、わたしと一緒に、王城までお戻りください!」

「え――ええ!」

「では、失礼を!」

 花束でも持ち上げるみたいに軽々とモジリンを横抱きにして、ユーリは再びだだだだだーっと走り出す!

 こうして王妃の身柄は奪還された。

 ――この、ユーリの勝利が、いま少し早ければ。

 それによるモジリンの救出が、少しでも早かったならば。

 王国の運命は、あるいは、変わっていたかもしれなかった――







20  兄と弟



 ユーリがカクタスとの死闘に辛くも勝利を拾った――ちょうど、その頃。

「えっほっ、えっほっ、えっほっ」

 国王あめえばは、広い広い城内の庭園を一目散に走っていた。

 あの後――

 エックベルトの造反によって第1騎士団に包囲され、奇策を用いて窓から脱出した後、あめえばは、迷った。

 戻るべきか、それとも否か、と。

 答えはすぐに出た。

 城の外が、静かすぎるのだ。

 外ではドイッチに、マホナンヌ、ししょーが加勢して、ブラックバス四天王筆頭と決戦を繰り広げているはずだった。

 だが、最初にものすごい爆音が響いて以降、その後は、うんともすんともいわない。

 マホナンヌたちが凱旋してくるわけでもなく、四天王筆頭がなだれ込んでくるわけでもなく、こうして静まり返っているというのは、戦闘がよほど膠着した状態になっているからに違いなかった。

 そして、マホナンヌ・ししょー両人の加勢を入れても「膠着状態」に留まっているということこそ、敵の実力が、真に恐るべきものであるという証明に他ならない――

 すなわち今こそ、自分の力が必要とされるとき。

 あめえばは、そう判断したのである。

「えっほ、えっほほ、えっほっほぅ」

 ――判断は極めて的確なのだが、掛け声にはどうにも力が入らず、イマイチ緊迫感がなかった。

 それも無理なく、いまだ全身ずぶ濡れの緑色、重い鎧に、でっかい愛剣をかついでいるというあめえばである。

 マントはべちゃべちゃと身体にまとわりつくし、走っているうちに王冠が傾いてくるので絶えず片手で直し続けなければならないという最悪のコンディションだ。

 それでも意地のようにこのスタイルを保ち続けているのは、仮にも国王ともあろうものが敵との直接対決にあたってショボい格好を見せるわけにはいかん、という矜持のためだったが、何しろ全身が緑色なので、この際どうがんばってもあまり意味がないような気もする。

 さっきから走る1歩ごとに、脱ぎ捨てようか、やめとこうかと迷い迷っているが、どうにも決断がつかないため、たぶんこのまま戦闘に突入することになるであろう。

 ……だが、戦闘となればこの服装は走っているときよりも遥かに邪魔になることは必定で、そう考えるとやっぱり今脱いでおいたほうがいいのだが……

 王権を示すマントや王冠をそこらへんに捨てるというのはやはり抵抗があるし、かといって鎧や剣を捨てたら戦えないし、じゃあいっそのこと服だけでも脱ごうか、いや待てそれでは国王というより単なる変態だ。

 などとラチもないことを考えつつ、いくつもの茂みを飛び越え踏み越えかいくぐり、ひたすらに走り通していたあめえばだが――

「!」

 だしぬけに、背後に異様な圧迫感を感じ、振り向くいとまもあらばこそ、とっさに真横にすっ跳んだ!

 同時、跳んだあめえばの真横の空間を、灼熱の炎がなぎ払う!

「おわぁっ!?」

 ごろごろごろっと勢いよく転がって身をかわし、弾けるように立ち上がったあめえばの目の前に白刃がきらめいた。

 ギュインッ!!!

 激しい金属音を立て、ふたつの刃がぶつかり合う!

 あめえばが神速で抜き放った剣が、彼の顔面すれすれのところで、敵の一撃を受け止めたのだ。

「――え――」

 あめえばの目が、真円に近く見開かれる。

「エックベルト!?」

「……さすがは兄上」

 ぐぐ、と剣を押し込みながら、彼の弟はにやっと笑った。

「一撃で倒してさしあげるつもりだったのですがね。……やはり、あなたは剣士としては超一流だ」

「な、なぜ……」

 目を丸くしたまま、呻くあめえば。

 2つのことがらが、彼を混乱させていた。

 まずは、先ほどの、炎による一撃――

 紛れもなく、魔術による攻撃だった。

 この庭園には現在、あめえばとエックベルトの他には誰もいない。

 となれば当然、あの炎はエックベルトが放ったものということになるが、エックベルトはあめえばと同じく、剣の道を一筋に極めんとしてきた男だ。

 弟が魔術を使うなどとは、あめえばは聞いたことさえなかったし、想像すらもしなかった――

 そして……そもそも、なぜエックベルトがここにいるのだ!?

 彼らが立てこもっていた執務室から外へと続く廊下は、国王親衛隊によって封鎖されているはずだ。

 彼らの包囲を力ずくで突破したということもあり得るかもしれないが、それにしては来るのが早すぎるし、あめえばを追って決死のダイビングを敢行したのでもないことは、濡れたあとひとつない彼の衣服を見ればわかる。

 では、どうやって――

 あめえばが疑問に気をとられた、その刹那、

「はああぁぁあっ!」

 エックベルトの喉から裂帛の気合いがほとばしり、

 ゴオウッ!!!

 同時、彼の剣の刀身がすさまじい炎に包まれる!

「どぉうわっちゃちゃちゃあーっ!?」

 顔面をいきなり炎に襲われて、奇怪至極な悲鳴を発し、あめえばはばたばたと後ずさった。

 赤熱を通り越し、蒼くさえ見える超高温の炎だ。

 わずかにでも反応が遅れていれば、冗談抜きで頭が丸焦げになっている。

「ちいっ!」

 炎をまとった刃を構え、エックベルトが、飛んだ!

「――!?」

 さしものあめえばが、危険を忘れて思わず、固まる。

 エックベルトの身体は、重力を無視して宙に留まった。

 跳躍ではない。

 飛行だ。

「はあああぁぁっ!」

 さながら獲物を狙う鷹のごとく、刃を先にエックベルトが突っ込んでくる!

「……ひょおおぉっ!?」

 あめえばのすっとんきょうな悲鳴と同時、ぎゃりんっ! と嫌な音が響いた。

 エックベルトの攻撃を寸前で見切ったあめえばが、自らの剣で弟の切っ先を何とか払いのけたのである。

 急降下したエックベルトは、地面に激突する寸前で鳥のように舞い上がり、恐ろしい速度で反転して再び襲いかかった。

 その刀身が、あめえばの剣とぶつかるたびに、蒼い炎が千切れ跳び、火花が飛び散る。

「うわあぁっ!」

 高温の炎が肩口に降りかかり、あめえばは思わず苦鳴を漏らした。

 熱ッ! と感じた瞬間に迷いなく脱ぎ払ったために、何とか火傷は免れている。

 脱いだマントを投網のように左手に構え、炎を防ぐ盾とした。

「セーフ……」

 エックベルトの動きから一瞬たりとも目を離さずに、真剣に呟くあめえば。

 もしも、このマントが濠の水でしけっていなかったら、今ごろ全身火ダルマの運命に見舞われていたところである。

 ちなみに王冠はとっくの昔に頭からぶっ飛び、芝生に転がっていた。

 拾いにいく余裕など無論あるわけがなく、それどころか、ぶっ飛んだこと自体にも気付いていない。

 無理もないが。

「……そうか……」

 ふと、あめえばは気付いて呟いた。

 エックベルトがこれほど早く自分に追いついてくることができたのは、窓から、飛行の魔術で脱出したからに違いない。

 だとすれば、エックベルトの部下たちは、いまだ執務室に残り、国王親衛隊の攻撃を防ぎ続けているのだろう。

(エック……そこまでして……)

 あめえばから10歩ほど離れた地面に、エックベルトが、すたっ、と降り立った。

 魔術の制御、かつ凄まじい連撃によって、さすがに息が上がったか、すぐにはこちらに襲い掛かろうとせず、激しく肩を上下させながらその場に留まっている。

 刀身を覆う炎も、少し小さくなり、彼の息遣いに合わせてゆらゆらと揺らめいていた。

「……どうなってるんだ、エックベルト」

 やがて、あめえばは呻いた。

「魔術……これほどの技……いったい、いつの間に……?」

「ふ……」

 エックベルトは、口の端に不敵な笑みを浮かべた。

 だが、その笑みはどこか哀しげに見えた。

「あなたには……生まれながらに国王の地位を約束され、天賦の剣の才を持ち……そんな己の幸運に安住してきたあなたには、知る由もなかったでしょうな。
 わたしは……わたしは、ずっと、血の滲むような修練を重ねてきたのだ!
 あなたの知らぬところで……あなたを、超えるためになっ!」

 どれほど自分を追い込み、鍛え上げても、兄の剣術の腕には今一歩、及ばなかった。

 エックベルトは、運命の女神の不公平さを呪った。

 兄あめえばは、いつでも彼より多くのものを持っていた。

 剣術の才能。

 至高の地位。

 家族の愛情。

 モジリンの愛情。

 兄の周りには、いつでも笑顔の輪があった。

 自分もその輪に加わればいい、温かく迎えられるだろうと判っていながら、できなかった。

 立場をわきまえ、妬むことがあってはならないと自分を律してきたが、鬱積した感情は気付かぬうちに、少しずつ降り積もって心を押し潰していった――

「わたしは、ずっと兄上が羨ましかった! 兄上のようになりたいと憧れ、羨んで……だが……できなかった……」

 限られた者しか閲覧を許されない王立図書館の書庫から、古代の魔術書を持ち出してひそかに修練を始めたのはずいぶん昔のことだ。

 魔術を学びはじめたきっかけは、兄にはない力を身につけることによって、自分の心を満足させるためだった。

 剣聖とうたわれるあめえばも、魔術に関してはとにかくひたすらからっきしで、ししょーやマホナンヌにいくらしごかれても、サッパリ身につかなかった。

 兄にできないことが、自分にはできる、その優越感で心を慰めようとしたのだ。

 修行のことを秘密にしたのも、口さがない輩に『国王に対する叛意』を勘繰られないようにするためだった。

 だが――

『国王に対する叛意』が自分の中にまったくなかったと、果たして、言い切れるだろうか?

 身につけた魔術の力を実際に振るってみたい、兄を屈服させたい、自分を兄よりも軽く見た者たちを見返してやりたいとは、思わなかったか……?

 そう、カクタスによって種を蒔かれるまでもなく、造反の芽は、すでに彼の心のうちに深く根をはっていたのだ。

「わたしは……」

 エックベルトの目から涙が流れた。

 彼は、そのことに気付いていなかったが。

「わたしは、今、あなたを超えてみせる! ――死ね! 兄上!」

 炎が一気に膨れ上がり、長大な鞭のようにしなった。

「はぁあっ!」

 だぁん、と地面を蹴り、エックベルトが飛ぶ。

 振り上げられた剣の周囲で、竜のごとき炎の帯が唸りをあげる。

 そして次の瞬間、それは雷光の速度をもって、あめえばの頭上から雪崩落としに襲いかかった!

 ――青い炎を斜めに切り裂き、白い閃光が走った。

「……何!?」

 エックベルトがあげた声は、驚愕にかすれていた。

 あめえばがたずさえる長剣。

 王家に代々伝わる名剣とはいえ、魔術や小細工の類とは無縁の、ただの剣だ。

 その、ただの剣の、ただの一閃が。

 魔術の炎を切り裂いた。

「……ごめんな……エック」

 薄れて消えた炎の向こうから、あめえばの姿が現れる。

 その表情は、ぐしゃぐしゃに歪んでいた。

「お、おまえが……っ」

 涙どころか、顔から出るものが全部出ている状態だ。

「おまえが、そこまで思い詰めてるなんて、さっぱり知らずにっ……
 わたしは、いつも思ってたよ……
 おまえが、羨ましいって」

 一瞬、エックベルトは、兄が何を言っているのか理解できなかった。

「……わたし……が?」

「ああ、そうだ。頭がよくて、歴史や政治の勉強なんかも、わたしよりずっとよくできて……見た目も堂々としてカッコよくて、部下たちにも尊敬されてるし、母上やおばあさまにも、信頼されてるし……」

 エックベルトは、目を見開いた。

 不意に、記憶の端に引っかかるものを感じたのだ。

 遠い昔――

 兄が、今とまったく同じようなことを言っていなかったか?

「……あー……」

 あめえばもまた、懐かしそうな顔をする。

「昔……これと、同じような話をしたよなぁ……。
 ほら、わたしの部屋でさ――」



『……どうしたんです、兄上? 机の下になんか隠れて』

『どぉうわッ!? ――しーっ、しーっ! 静かにっ! 母上たちに、見つかっちゃうだろうがっ!』

『母上たちから、隠れておられるのですか? なぜ?』

『……もう、イヤなんだよっ。王様になる勉強するのっ。ボクは、王様になんかならないんだっ!』

『ええっ?』

 幼いエックベルトは、兄の発言に本気で驚いた。

『そ、そんな。……兄上、そんなわがままを仰ってはいけません。あなたがならずに、他の誰がフラバーの王になるというのですか?』

『うわーん!』

 弟に説教されて、あめえばは机の下に引っくり返ってばたばたと暴れた。

『どーしてボクなんかが、才能もないのに王様にならなきゃなんないんだーっ!? たまたま、母上の長男に生まれたってだけなのにー!』

『さ、才能?』

『ボクは計算が苦手だから、税金とかの計算なんか全然できないし、じっとしてるのがキライだから王座に座って何時間も謁見したり、書類にハンコ捺したりするなんて絶対ムリだー!
 それに王様は一番エライから、もしもこの国に何かあったら、ボクが責任とらなきゃならないんだ! ……ぎゃあああ〜、イヤだぁ〜! 切腹はイヤだぁぁぁぁ」

『切腹!?』

『ううう……ボク、城じゃなくてセミ獲り名人の家に生まれればよかった……。そしたら、毎日セミを獲ってるだけでいいのに』

『……そんな職業ないと思いますけど……それに春と秋と冬は仕事ないですよ』

『セミの幼虫を育てるからいいんだ……』

『……そうですか……』

『いいなぁ、エックは……。おまえは、王様にならなくていいんだから……』

 ぐすぐすと泣きべそをかきながら、あめえばは、エックベルトを見つめた。

『おまえが王様になればいいのに……。ボクより勉強ができるし、顔もいいし、おばあさまや母上にもよく誉められてるし……。
 城のみんなも言ってるよ。おまえのほうが、先に生まれればよかったって……』



 そう……

 国王という立場がもたらすであろう、凄まじい重圧。

 自分の未来を否応なしに決められてしまうことへの反発。

 優秀な弟と絶え間なく比べられることへの恐れ。

 全てを捨てて逃げ出したいと、いつも思っていた。

 やがて、本当に国王になってからも、その気持ちは、常にあめえばの心の底にあって変わることはなかった――

「……わたしは、甘えていたのかもしれないなぁ」

 静かな声で、あめえばが呟く。

「おまえを羨むことで、甘えていたんだ。国王なんて仕事、好きでやってるんじゃない。もっと向いているエックがいるのに、周りがムリにやらせたんだ。我慢して続けてるだけでも自分は偉いんだ、ってね……」

「……兄上……」

「でも」

 涙と鼻水を、焦げたマントで拭き、

「今は、もう、そんなこと言ってる場合じゃないよな」

 それを、ぽい、と捨てて、あめえばは顔を上げた。

 その兄の表情に、エックベルトは、圧倒された。

 ――笑顔だった。

 明るい笑顔。

 決して曲がることも折れることもない決意に満ちた、満面の笑顔。

「いいかーっ、エック! わたしは、今すぐにドイッチたちのところへ行かなきゃならないんだ! 頼む! 退いてくれ。

 ……退かないなら……」

 強い視線を外さないまま、あめえばが自らの長剣を構える。

 そして――

 あろうことか、それを、ぽいっと芝生に放り捨てた!

 そして両手を頭上に掲げ、びしいっ! と『鶴の舞』のポーズを決める!

「退かないなら! おまえを、本気でぶち倒すっ! 20歳の誕生日パーティーの席で披露して足を挫いて以来、封印していた禁断の技《スーパーあめえばスライド式ローリングアタック》だ! 痛いぞ! 骨折しても恨むなよっ!?」

「……あ……あ……」

 エックベルトは、目を見開き、口をぱくぱくさせた。

「あ、あなたは、バカなのか、兄上!? なぜ剣を捨てる……!? こちらは本気なんだ! わ、わたしを、どこまで甘く見れば……」

「バカはおまえだっ、この、超絶底抜け大たわけーっ!」

 鶴の舞の手をばっさばっさと羽ばたかせて威嚇し、びし! と右手でこちらを指差して、あめえば。

「誰が、弟を斬ったりするかっ! おまえを斬ってしまったら、何のために戦ってるのか、さっぱり意味が判らなくなるじゃないかッ」

「――!」

 エックベルトは、衝撃とともに理解した。

 そうだ。

 あめえばの行動は……変わっていない。

 どれほど状況が変わろうとも、彼の行動は、最初から今の今まで、1ミリたりともブレていないのだ。

 ――彼は、守ろうとしている。

 家族を。

 人々を。

 自分たちが生まれて、大騒ぎしながら生きてきた、この国のすべてを――

「うおおおおおおおおおおっ!」

 エックベルトは剣を構え、雄叫びとともに突っ込んだ。

 理解して、それでも、もはや退くことはできなかったのだ。

 先ほどのように高度はとらず、ただ、疾風の速度に全てを賭けて飛ぶ!

「どぅおおおおおおおぉ〜っ!」

 あめえばもまた、激しく回転しつつ奔った!

 何の小細工もない、文字通りの真っ向勝負だ。

 この瞬間、どちらも己の実力を、勝利を信じている。

 2人の間でぶつかり合うものは、もはや意地や信念の域を超えて、それぞれの運命そのもの。

 エックベルトの剣が速いか――

 それとも、あめえばの拳が速いか――

 ふたつの運命が、交錯する!

 ――その、瞬間だった。

「!」

 彼方から飛来した……1本の、矢が。

「!?」

 エックベルトの肩に突き立った。

 ふたりとも、目を見開いた。

 だが、動きは止まらない。

 エックベルトの剣は、心臓を狙った本来の軌跡をわずかに外れ、ぐっと身体をひねったあめえばの左上腕を浅く裂いた。

 そして、回転しながら突き出された、あめえばの拳は。

 狙いあやまたず、エックベルトの頬をまともにとらえた――

 ズザアアァァァッ!

 全体重と回転の勢いをのせた凄まじい一撃に、エックベルトの身体は人形のように吹っ飛び、芝生の上を激しく転がって止まる。

「……あ……」

 そこへ、信じられない、という調子で呻きながら駆けつけてきたのは――

「当たっ、たッ……!?」

 国王親衛隊の制服をまとった、1人の若者。

「ス……」

 その顔を見た瞬間、あめえばは思わず叫んでいた。

「スカーフェイスっ!? お……おまえかぁっ!? 今、撃ったの!?」

「そっ……そうですよ、陛下……」

 ボウガンを握りしめて走ってきた彼は、全身血まみれのぼろぼろ、ぜいぜいと息も荒く、今この場に立っているのが不思議なくらいの有様だった。

 そのまま、ふらふらぁっ、と倒れ掛かってくる彼の身体を、あめえばは慌てて受け止める。

「あ、どうも陛下……というか……さっきからもうちょっと本気で死にそうなんですけど……
 ほんと、リュシアン殿ってば、手加減ないんだからなぁ……こっちも、必死でしたよ……」

「こ、殺したのか!?」

「いえ……」

 目を見開いたあめえばに、ちょっと傾きながらも親指を立てて、スカーフェイス。

「どーにかこーにか穏便に張り倒して、絨毯でス巻きにしときました」

「そ、そーか……」

「――というか、陛下!」

 急にカッ、と目を見開き、スカーフェイスはあめえばの肩をつかんだ。

「ぬわにをやってらっしゃるんですか、何をーっ!? 剣持った相手に、素手で回転しながら向かっていくなんて、いったいどおおぉぉゆうことなんですかっ!? いかに弟君相手とはいえ、あんな、自殺行為……」

 くっ、と横を向いて涙を抑え、

「このスカーフェイス――これまでも陛下はアホだアホだと内心思っておりましたが、ここまでウルトラ級のアホだとまでは、さすがに思い至りませんでしたッ!」

「だ、誰が、ウルトラ級のアホだっ!?
 ……というか、これまでも内心アホだと思ってたのかっ!? そうなのかっ!?」

「な、何とっ!? 畏れ多くも陛下に向かい、そのように無礼なことを誰が……」

「おまえだぁぁぁぁっ!!」

「……兄上……」

 かすれた声が、2人の男の言い争いをぴたりと止めた。

「エック! 大丈夫かっ!?」

 芝生に倒れたエックベルトが、ゆっくりと片肘をついて身を起こしている。

 右肩に折れた矢が突き刺さり、頬を派手に腫らしてはいるものの、命に別状はなさそうだ。

 剣は彼の手から10歩も離れたところに吹っ飛んでいて、炎もすでに消えていたが、エックベルトは、もはやそちらを見もしなかった。

 もはや、勝負は着いたのだ。

 彼は、ふっと笑った。

「やはり……わたしには、兄上を超えることは、できなかったというわけですな……」

「――なぁーにを言ってるんだっ!」

 ぽこぽこと弟に近寄って、その肩(無事なほう)をどーんと叩き、呻く彼には構わず、あめえばはあっけらかんと言った。

「そうがっかりするな! 今のは、無効試合だ!」

「む、無効……?」

「うん」

 頷いて、びし、とスカーフェイスを指差す。

「あいつの反則」

「ええッ!? 陛下、わたしが一体何をしたと――」

 抗議するスカーフェイスを完璧に無視し、あめえばは、にっこりと笑う。

「ブラックバスを追い出したら、また、改めて勝負をしよう! 今度は、正々堂々とおまえに勝つぞ。勉強と顔だけじゃなく、剣でも負けたりした日には、わたしはちょっと悲しい気持ちになってしまうからな」

「兄上……」

「――スカーフェイス、皆に伝えろ。エックベルトとわたしは、晩御飯のおかずを取り合ってちょっと派手にケンカしたが、6・4で和解が成立したため心配はいらない」

「晩御飯!?」

「6・4って……」

 どうやらあめえばが6っぽい。

「あー……まあ、それじゃ」

 わし、と後ろ頭をかき、たんたんと足踏みをして城門のほうを指差しながら、あめえばは言った。

「そういうわけで。

 わたしは、ドイッチたちを助けてくるから。後のことは頼んだぞ」

「――兄上」

 先ほど放り出した剣を拾い、しかし冠は拾い忘れたままでとっとこ走っていこうとする兄を、弟が呼び止める。

 何じゃいな、という顔で振り向いたあめえばに、エックベルトは、静かに言った。

「モジリン様を……どうか」

「……わかってる」

 ぐっ、と親指を立て、今度こそ振り返らずに、たったか走ってゆくあめえば。

 主君の後姿を見送っていたスカーフェイスが、ふと視線を戻し、

「エックベルト様」

 真剣な顔で、エックベルトを見た。

「私の反則って何のことでしょう?」

「いいから、この矢を抜いてくれ……」







  21  市街戦、決着

『い、いたーっ!』

 ぐおっ! と腰を――かがめていた装甲スーツの腰を一気に伸ばして、かっきーは喚いた。

『いたいたっ! こっちにいたわよーっ、お姉さまっ!』

 ここは、北の海岸。

 見渡すかぎりの灰色の岸壁に、大小とりまぜて無数の洞窟が口を開けている。

 ここに着いてからというもの、かっきーとババリンは、手分けしてひたすらに《竜牙兵を生み出した術者》の捜索を続けていた 。

 ――そして今、とうとう、かっきーが、敵が潜んでいるとおぼしき洞窟を発見したのである。

『何ですって?』

 ぐうん、と大きな岩の陰から、ババリンの装甲スーツの頭がのぞく。

『ここよ、ここっ! ここに隠れてるのっ!』

 ぶんぶんと大きく手を振って招いてくるかっきーに、がっしょがっしょと近付きながら、ババリンは呆れたような表情を浮かべた。

『それは分かったけれど……。あなた、もう少し静かに呼べませんの? 不意打ちをかけることもできましたのに』

『いや、それが……それはあんまし関係ないみたいなのよ』

 かっきーは、あっさりと言った。

『とにかく、こっちに来て見てちょうだい!』

 2人の女たち(装甲スーツ)は、そろって洞窟の中をのぞき込んだ。

 その洞窟は、装甲スーツでもじゅうぶんに踏み込めるほどに広そうだったが、内部は暗く、奥までを見通すことはできない。

 だが、その必要はなかった。

 洞窟の入り口を入ってすぐに、奇妙なモノが、行く手を塞いでいたのである。

『……これって……』

『ええ』

 ババリンは、落ち着いてうなずく。

『魔術による結界ですわね』

 灰色に濁った、巨大な泡の表面、とでもいうのだろうか。

 そんなドデカい膜が、今、かっきーたちの前に立ちはだかっている。

 しかも、それがただの液体の膜などではない証拠に、表面を時折かすかなスパークが走り抜けるのだ。

『これ……全速力で思いっ切り突っ込んだら、ズボッて抜けられないかしら?』

 結界の表面ギリギリまで近付いて、ためつすがめつしながら、かっきー。

『けっこう、簡単に破れそうに見えるけど……』

『やめたほうがいいでしょうね』

 かっきーの呟きに、ババリンは、きっぱりと首を横に振った。

『相手は、おそらくはブラックバス四天王の1人。そうやすやすと破られるような、しょうもない術は仕掛けないでしょう。
 確かに、見た目はもろそうだけれど……強引に押し通ろうとすれば、どんなしっぺ返しが来るか分かりませんわ』

『じゃあ、いったい、どうするのよーっ!?』

 先ほどから延々と地道に洞窟をのぞきまくっていた反動か、かっきーは、けっこうラディカルになっている。

『きっと敵がこの中にいるってのに、このまま、ここで手出しもせずに見守るってのっ!?
 そりゃ、兵糧攻めって手もないわけじゃないけど、そんなノンキなコトしてるあいだに、あたしたちの国が滅びちゃったらどうすんのよーっ!?』

 妹のきゃいきゃい声を聞き流しつつ、ババリンは、側の岩肌に装甲スーツの指先を押し付け、ぐりごりと擦ってみた。

 ぎぎぎぎぎ、と嫌な音がして表面がわずかに削れ、細かい屑がぱらぱらと落ちるが、それだけだ。

 正面突破がダメならば、わき道からトンネルを掘りぬいて突入するという手はどうかと思ったのだが、岩盤は意外と頑丈で、これでは、それこそ地道に掘ってるあいだに国が滅びかねない。

『――お姉さまっ!!』

『ふっ。こんなことなら、アームをアタッチメント方式にして、ドリルバージョンでも用意しておけば良かったわ。……ま、ないものは、仕方がないけれどね』

 苛立ったかっきーの叫びにはいっさい構わず、ババリンは、急に、くるっと結界に背を向けた。

 そして、そのまま、すたすたと洞窟を出て行く。

『……え? ……ちょ……』

 まさか、このまま撤退するというのか?

 いや、この姉に限って、そんなはずはない。

 でも、いったいどうするつもりなのだろう?

 大量の疑問符を飛ばしつつ、かっきーも思わずババリンの後に続く。

 入り口を出たところで、ババリンは突然、がっしょん、と立ち止まり――

 何を思ったか、いきなり入り口横の壁に取り付くと、出っ張りを器用に手がかり足がかりとして、岸壁をひょいひょいよじ登ってゆく!

『………………』

 装甲スーツが岸壁をよじ登る、というシュール極まりない光景に、かっきーはしばし唖然としたが、

『ち……ちょっと、お姉さまっ? もう、一体、どうなってんのよーっ!?』

 とりあえず、姉の後を追って自分もよじ登っていった。

『――さて。この辺りかしらね』

 と、ババリンがようやく立ち止まったのは、崖を完全に登り切り、平らな地面に立ったときのことである。

 崖のとっぷちから十数メートル離れた、おそらくこの真下あたりに術者がいるのでは、と推測される辺りだ。

『正面がダメ、横がダメなら、上から攻めてみようってわけ?』

 とにかくついてはきたものの、かっきーは、懐疑的な口調だ。

『でも、お姉さま。上からだろうと横からだろうと、岩盤の強度自体は変わらないのよ。ここを掘るにしたって、相当、根気のいる作業になるわ――』

『ふっ……』

 言い募るかっきーのことばは、自信に満ちたババリンの含み笑いによって遮られた。

『かっきー、どうやら、あなたもまだまだのようですわね。……いったいどこの誰が、ここを「掘る」なんて言いましたの?』

『えっ?』

 意表を突かれ、かっきーは呻いた。

 地面を掘るのでないとすれば、何のために、ここへ?

 まさかと思うが、事ここに至って「もう諦めて帰りましょう」などと言い出すつもりでは――

 そんなかっきーの疑念は、シャッ、とババリンの装甲スーツの搭乗口が開き、コックピットに乗り組む姉の顔が見えた瞬間に、きれいに吹っ飛んだ。

 新しい発明のアイデアを思いついたときにいつも見せる、意気揚々とした表情。

 まさに、その表情を、姉は浮かべていたのである。

『お姉さま……』

「科学の力を、見せてやりましょ!」

 不敵に笑って、ババリンは言った。



     *     *     *



「……・……・……」

 真っ暗な洞窟の中で、ローザは地面にうずくまり、ひたすらにぶつぶつと呟き続けていた。

 だが、今の彼女を見て、それがブラックバス魔術師団長ローザ・マギエル・ヘルムヴントであると即座に判別できるものはいないに違いない。

 真珠のようであった真っ白な肌は張りを失い、無数のシワが深く刻まれている。

 衣のすそからのぞく手は枯れ木のようにやせ細り、完全にみずみずしさを失っていた。

 数千もの竜牙兵を、たった1人で生み出し、操る。

 ――その難事業は、術師の肉体に恐るべき消耗をもたらしていた。

 もはやまっすぐに立つこともできず、地べたに手をつき、顔を伏せながら呪文を唱え続ける。

 だが、しかし、バサバサに乱れて灰色に変わった髪からのぞく口元には、笑みが浮かんでいた。

(夢を叶えるんだ……陛下と、ボクとの……)

 すべての者が、生まれではなく、実力によって評価される世界。

 力を示しさえすれば認められ、のし上がることができる世界。

 そんな理想世界を、陛下が創り上げてくださる。

(ボクは――陛下の力になりたい――この命、この存在のすべてを賭けて――!)

 と、その時だ!

 グバァァァァン!

「!?」

 不意に、地面自体が意思を持って跳ね上がったかのような激震が襲い、ローザはもんどりうって転がった。

 魔術による攻撃!?

 ――いや、そんなバカな!

 これほどの攻撃を仕掛けられるほどの魔術師が接近していたなら、この自分が、それを感じないはずはない……!

 グボオオオン!

 ドカアアアンッ!!


 凄まじい爆発音はさらに連続し、やがて、そこに今までとは違う音が混じり始める。

 まるで孵化直前の卵のような、ピシ、ピシッ……という鋭い破砕音だ。

「い……」

 ローザは目を見開いた。

 彼女はヴァンパイア。

 その肉体は、陽光には耐えられぬ。

(嫌だ! こんなところで!)

 ローザは杖を掲げ、ひび割れ始めた天井に向けた。

(ボクの夢! 陛下の夢! 終わってたまるか! こんなところで、ボクは――!)

 ズッガアアアアアァン!!

 これまでで最大の爆音が響くと同時に、天井そのものが砕けて落下してきた。

 崩れた箇所から、日の光が容赦なく洞窟に射し込む。

 杖を掲げ、今しも術を放とうとしたローザの肉体を、金色のビームが直撃した!

(……ボクは……!)

 燃える。

 砕ける。

 ひび割れる。

 強烈な光の中に意識が消え去る瞬間、ローザ・マギエル・ヘルムヴントが思い浮かべたのは、彼女が唯一仕え、そして愛した男の姿だった。



     *     *     *  



「ホーッホッホッホ! オーッホッホッ、ホォーッホッホッホーッ!」

 太陽の照る、崖の上。

 胸を反らして仁王立ちになり、片手を頬に当てたババリンの勝ち誇った高笑いがこだまする。

 彼女の足元には、岩盤が崩落してできた、ドデカい穴が口を開けていた。

 人間の力では無論のこと、たとえ装甲スーツで100連続パンチを食らわせたとしても、ここまでド派手にブッ壊れるものではない。

 魔術を用いたのでないとすれば、説明がつかないほどの大破壊だ。

「すっ……すっごぉーい!」

 シャッ、とコックピットの開口部から顔を出し、感動しまくった面持ちでかっきーは唸った。

 科学の知識のあるものならば、この大破壊の原因は、あたりに漂う臭気をかぎさえすれば分かっただろう。

 風に漂う硝煙の香り。

 ――すなわち、火薬の爆発だ。

「まさか、あたしの知らないあいだに、装甲スーツにこれほどの火薬を装備なさってたなんて……! まったく、ホントに素晴らしい先見の明だわっ、お姉さま!」

 かっきー・ババリン両人の装甲スーツ――

 その背中の装甲の内側には、大量の火薬が搭載されていたのである。

 ババリンが極秘裏に施した改造であり、実の妹のかっきーですら、こんな隠し玉があるなどとは、今の今まで、夢にも思っていなかった。

「ホーッホッホッホ!」

 妹の賛辞に、ひっくり返らんばかりにそっくり返り、ババリンが高笑いをあげる。

「当然ですわ! 一流の科学者には、いかなる予想外の事態に直面した場合も、瞬時に適切な対応が求められるもの!

 ――つまり、このわたくしのように、フレキシビリティ溢れる頭脳を持つことが肝要だということですわねっ! オーッホッホッホッホ!」

「は? ……フレキシビリティ……?」

 脈絡の通らない姉の発言に、かっきーは思わず怪訝な顔をした。

 それは、つまり……あの火薬は、こういう事態に備えて装備していたわけではない、ということだろうか?

 疑問符を浮かべるかっきーには一切構わず、ホーッホッホッホ! とさらに高らかな自己陶酔笑いをあげて、ふんむ! と胸を張るババリン。

「自爆用の火薬を、敵を守る岩盤を破壊するために使うとは、これぞまさしく発想の一大転換! 王国の敵は、わたくしの臨機応 変な頭脳の前に敗れ去ったというわけですわねっ! オーホホホホホホホ!」

「ちょ、ちょっ――!? ちょっと、待ってよーっ!?」

 そのセリフを耳にした瞬間、かっきーは思わず、ババリンの乗る装甲スーツにつかみかかった。

 喉もとの辺りをぐわしと引っつかみ、ぐぐぐぐぐっ! と迫る。

「お姉さま、今、何て仰ったのっ!? 自爆……って、一体何を考えてるのよっ!? 今までそんなモン背負ってボカスカ戦ってたなんて、危険すぎるじゃないのーっ!」

「ふっ。どうやら、まだ理解できていないようですわね、かっきー。今から説明してあげるから、よーくお聞きなさい」

 かっきーにすごい剣幕で詰め寄られても、ババリンは優雅な落ち着きを崩さなかった。

 いきり立つ妹の――装甲スーツの――肩にぽんっ、と手を置き、姉らしい威厳をもって、諭すように言う。

「最新鋭の発明は、常に、その秘密を解き明かそうとする輩に狙われるもの……。

 万が一にもこの戦いで、わたくしかあなたのどちらかが捕虜になり、装甲スーツ量産のノウハウが敵の手に渡ってごらんなさい。そんなことになれば、この国のみならず、全世界に災いの種を撒くことにもなりかねませんのよ。

 ――そこのところを、あなたもよくよくわきまえなければいけませんわね、かっきー」

「だっ……だからって! あたしに無断で取り付けないでよねっ、自爆用の火薬なんて物騒なシロモノ!」

「あら。いかなる時にも科学の発展のために命を捧げる覚悟がなくては、真に偉大な科学者とは言えませんわよ……」

「この際、全っ然関係ないんだけど!? 科学の発展とか!」

「――ああ、そういえば」

 ぐおんぐおんと妹に揺さぶられながら、まったく意に介した様子もなく、ババリンはコックピットで優雅に首を傾げた。

「これで、大元は絶ったわけですけれど……あのゴキブリどもは、ちゃんと止まったのかしら?」

 

     *      *      *   



 その頃。

「……お……?」

 今しも振りかぶった拳をぴたりと止めて、モッサは、目をぱちくりとさせた。

「長、これは……」

 戸惑ったような表情で、ゼータも唸る。

 その顔から、トレードマークの銀縁眼鏡はとうに吹っ飛んでおり、いつも丁寧に整えられていた髪形も、今は見る影もなくバサバサに乱れていた。

 モッサたちの驚きも無理はない。

 彼女たちが、今の今まで相手にしていた無数の竜牙兵たちが、不意に、糸が切れたように動きを止め、がしゃん! がしゃん! と次々に倒れ伏していったのだ。

「おぉ……どうやら、かっきーとババリンが……やったみたいやな……」

 呟き、がくっ、と膝をつくモッサに、ゼータが慌てて駆け寄り、肩を貸す。

 ――これまでのモッサであれば「いらんコトすんなや!」などと強がって、その手を払いのけているところだが、

「すまんな」

 と穏やかに言ったモッサに、肩を貸したゼータのほうがびっくりした顔をした。

「さあて……」

 泥にまみれた顔で辺りを見回し、モッサは呟いた。

「……他んとこは、どないなっとんのや……?」



     *     *     * 



 その頃。

「あれ」

 すかっ、と大鎌を空振りし、ドーはきょとんとした声をあげた。

 城に向かって一目散に駆け戻る途中、竜牙兵の大群に囲まれ、小さな竜巻のように鎌を振り回して勇戦していたドーである。

 そんな彼女の目の前で、

 ガラン……

 ガランガラァン

 ガンガラガッシャアアアン!


 それまで戦っていた竜牙兵たちが、ドミノ倒しのように次々と勝手に倒れていったのだ。

「……?」

 いったいどうなっとるんじゃいな、と言いたげな表情でかっくんと小首を傾げたドーだが、すぐに、こんなところでボーッとしてる場合ではないということを思い出す。

「そうだ……われ、はやく、しろにいかないといけないんだ」

 一刻も早く、モッサたちのところに援軍を送り、父たちに加勢しなければ。

「ぬおー」

 いまいち気合の入らない掛け声をあげ、フラバーの世継ぎ王女は、とっとっとっと駆け出したのだった。



     *     *     *



 その頃。

「な……何だか、急に静かになったわね……」

 第3研究所(跡地)で、棒切れを握りしめたまま、エリスは恐るおそる周囲を見回した。

 一度、生死の境を見たことで腰が据わったか、今の今まで、奮戦しまくるランドローヴァルとともに、自分も棒切れを振り回して勇敢に戦っていたエリスである。

 先ほどなど、真正面から跳びかかってきた竜牙兵の頭を、横殴りのフルスイングでぶっ飛ばしてやったくらいだ。

 しん、と痛いほどの静けさの中、周囲を警戒しつつ、がれきの山に這い登り――

「こ、これって……!?」

 斜面の向こう側に倒れ伏した、無数の竜牙兵たちの姿を見て、エリスは思わず驚きの声をあげた。

 そこらじゅうに、竜牙兵たちがばたばたと倒れている。

 どれも、完全な姿のままだ。

 まるで、誰かが大量のリモコン人形のスイッチを一気に切ったかのような状態である。

「な、何が何だか、よく分からないけど……とりあえず、当面は助かったってことよね、これ……?」

 キュウ、と、傍らからうなずくような鳴き声があがった。

「あ……ランドローヴァル……」

 のしのしと近付いてきた勇敢な飛竜の鼻面を、よしよしと撫でてやる。

 これまでの彼女であれば、獰猛であると言われる飛竜にこれほど近づくことなど考えられもしなかっただろうが、今の彼女は、よくも悪くも「リミッターがぶっ飛んだ」状態だ。

「あたしたち、あれから、どれくらい戦ってたんだろ……? あなたのご主人……ユーリさまは、もう城にお着きになったのかしら?」

 独り言のようなエリスの問いかけに、ランドローヴァルはキュウキュウと甘えるように鳴いて、鼻面をすり寄せた。

 その様子は、どこか自信ありげであった。

 少女と飛竜は、がれきの上に並んで腰を下ろし、運命を待ち受けることにした。

 自分たちの運命。

 自分たちが生まれ、生きてきた、この王国の運命を――







   22  集結

 フラバーの王城を間近にのぞむその場所は、凍りつきそうな冷気と、燃え上がりそうな熱に同時に支配されているかのようだった。

 ししょーと、ブラックバス四天王筆頭・ガーベルとの睨み合いはいまだに続いている。

 どちらもかなりの深手を負いながら、その眼光に込められた覇気はいささかも衰えていない。

 視線の交点にうっかり踏み込めば、気死しかねぬほどの圧力がその場にはあった。

 双方とも先ほどから微動だにしないが、断じて休んでいるわけではない。

 互いに、相手に一片の隙あらば、その瞬間に必殺の一撃を繰り出さんと狙っているのだ。

 ――達人同士の戦いゆえに、そうなった時、おそらく、決着は一瞬。

 ドイッチを庇っているマホナンヌもまた、動かない。

 次に何らかの動きが起こったとき、この場の誰かが命を落とすだろう。

 それが、ドイッチであってはならないのだ。

 ――この娘の父親に、約束したから……

 すうっと、ししょーの両手が流れるように動いた。

 水のように、風のように緩やかな動き。

 呼応するように、ガーベルの姿勢が低くなる。

 獲物に飛び掛かる寸前の獣のように。

 いずこかから風に運ばれ、ひとひらの葉が、2人の戦士のあいだを舞い過ぎる。

 ぱっ……

 音もなく。

 その葉が粉々に霧散する。

 その瞬間、ししょーとガーベルの肉体が奔流と化した。

 目にも留まらず、耳にも捉えることはできぬ。

 ただ一撃に全てを込めた激突。

 運命が交わり、その結果が明らかになろうとする――

 その瞬間!

「はいやぁぁぁぁぁっ!!」

 戦場に、光のように飛び込んできた1人の若武者が、刃を振りかざし、ガーベルの背後から猛然と襲いかかった!

「!」

 銀光、一閃。

 ガーベルの片腕が、肩口からばさりと落ちた。

 だが、さすがはブラックバス四天王筆頭。

 斬られたのは、ししょーに折られた側の腕だ。

 何千分の一秒で生と死が入れ替わる世界で、ガーベルは、使い物にならぬ腕を犠牲にして自らの命を拾ったのである。

 ししょーの拳は、風を巻いてガーベルの身体をかすめ、そのまま行き過ぎ――

 だだだだだだーっ、と数メートルも走って互いに位置を入れ替えたところで、

「あ、あ、あ……」

 非常に珍しいことに、ししょーが感情を表に出した。

 握ったままの拳をぷるぷるさせながら、こんかぎりの大声で怒鳴る。

「あ、アホーっ! 危ないでしょーがっ! 今、もーちょっとで、あんたに当たるとこだったわよーっ!?」

 あんた、と呼ばれたその人物は、ちょうど激突の交点だった場所にすっくと立っていた。

 重装の鎧に身を固め、長大な青竜堰月刀を構えた若き将軍――

「ふん……後ろから、不意打ちか!」

 肩口から腕を失いつつも、よろめきもせず、ガーベルは凄絶な眼光でその乱入者を睨みつける。

 すると、

「……あ!」

 これにはガーベル本人も驚いたのだが、若武者は、いたずらの現場を押さえられた子どものようにびしっと固まり、だらりと武器を下ろした。

 ――ややあって、反省しきり、といった口調でぶつぶつと呟くのが、一同の耳に届く。

「しまった……。ししょー様が何だか大怪我をしておられるようだったので、つい慌てて、名乗りを失念して打ちかかってしまいました。

 ああ、私としたことが、何て無作法な真似を……」

「ユーリ!」

 ししょーとマホナンヌ、両者がまったく同時に、声をハモらせてその名を呼んだ。

「はい、私です」

 春の陽射しのように穏やかな彼の声は、常とまったく変わっていない。

「あと、私だけじゃないんですよね」

「――ああ、大変、ししょー様! それにマホナンヌ様、ドイッチさんも……!」

 その場に息せき切って駆け込んできた人物の姿に、ししょーとマホナンヌの目が、再び真ん丸くなる。

「……モジリン!」

「騎竜将軍から、お話は全てうかがいましたわ。わたくしのためにご迷惑をおかけして、本当に申し訳ございませんでした……」

はらはらと涙を流す王妃の姿に、ガーベルの表情が歪んだ。

彼女が、ここにこうして現れたということは、カクタスは倒された、ということだ。

 モジリンは、ししょーとマホナンヌに交互に視線を投げかけた。

 ドイッチの呼吸を確かめたマホナンヌがぐっと親指を立ててみせると、モジリンはほっとしたように頷きを返し、まずはししょーの傷を一心に癒しはじめる。

「えー、私はですね、母上とエリスとランドローヴァルが第3研究所で救援を待っているということを、マホナンヌさまたちにお伝えに来たのですが……」

 あくまでもマイペースに、ユーリが口を開いた。

 その場の全員を眺め渡し、最後に、困ったようにガーベルを見つめて、

「どうやら、こちらも取り込み中のようですね……。どなたですか、この方は? さぞかし名のあるブラックバスの武将とお見受けしましたが」

「ガーベルと呼んでもらおうか」

 四天王筆頭は、気楽な口調で名乗った。

「もっとも、そう長い付き合いにはなるまいがな」

「ええ」

 ユーリは、平然と頷いた。

「あなたのような方を倒さねばならないと思うと残念です。先ほども1人、優れた戦士の命を奪ってしまいました……」

 それを聞いたガーベルの目の色が変わった。

「……カクタスを倒したのは、貴様か……」

 哀しみ? 怒り?

 いや、そうではない。

 その目に浮かぶのは、手強い敵を目前にした獰猛な興奮だ。

 それを受け、なお落ち着き払った様子で、ユーリは青竜堰月刀を構えた。

「マホナンヌさま、ここは私が。――話せば長くなるのですが、母上は現在、第3研究所から離れられない状態なのです。今も、エリスやランドローヴァルともども、竜牙兵の攻撃を受けているはず……。どうか救って差し上げてください」

 と、その時だ!

「あぁ〜ら。その必要はないわ!」

 朗々と響きわたったその高い声が誰のものなのか、場の全員が一瞬、判断できなかった。

 一同の視線が、申し合わせたようにある方向を向く。

 そこ――

 手近の民家の屋根の上に、1人の女が、太陽を背に仁王立ちになっていた。

「……ミ……」

 その場にいた、彼女の名を知る限りの者たちが、信じられないといった調子でその名を叫ぶ。

「ミカっ!?」

「オーッホホホホホ! なぁーに、その間抜け面は? あたくしがここにいることが、よほど意外だったようねっ!
 ――とうっ!」

 ワインレッドのマントを翻し、黒い網タイツを宙にひらめかせて、フラバーの隣国・ミカヅキモ王国の若き女王は、軽々と地面に飛び降りた。

 露出度満点の衣装と、手にした凶悪なモーニングスター&1本鞭が非常にミスマッチだ。

 いや、ある意味では、この上なくふさわしいか。

「私もいますよ〜」

「も……!?」

 ミカの後から、よっこらせっとばかりに飛び降りてきたのは、法衣を身にまとい、錫杖を手にした、目の細い若者だった。

 ミカヅキモ王国の法務大臣にして第2王位継承者「も」である。

 突然のミカヅキモ勢の登場に驚きを隠せないフラバーたちに向かって、ミカは、びしいっ! と指を突き付け、堂々と言った。

「よぉーっくお聞きなさい。あんたたちに、吉報を持ってきてやったわよっ! ――そこの男が心配してる竜牙兵どもは、ついさっき、完全に停止したわっ! どうやら、術者が倒されたようねっ!」

「本当ですか!?」

 ミカに『そこの男』呼ばわりされても不機嫌そうな素振りさえ見せず、ユーリが満面の笑顔を見せる。

「ということは、母上たちは、当面は安全だということですね!? あー、よかった! これで一安心です」

「よしっ……!」

「かっきーとババリンが、とうとうやったんだわ!」

 マホナンヌとししょーもまた、顔を見合わせてガッツポーズをとる。

「まさか……あれも、死んだのか。あの化け物が」

 さしものガーベルも、これには動揺を隠し切れなかった。

 カクタスとローザ。

 ブラックバス四天王のうち、これで2人までが倒されたことになる。

 ――ロータスがどうしているのかはよく分からないが、この分では、あいつもやられたと考えたほうがいいかもしれない。

 ガーベルに、仲間の死を悼む感情などはカケラもなかったが、それ以前に、彼らが死んだということそのものが、彼にはいまだ信じられなかった。

 ブラックバス四天王は、これまで互いに助け合うことも、連携プレイもしたことがない。

 ただ、それぞれで勝手に暴れているあいだに敵が壊滅している、というのがいつものパターンだった。

 味方がどこでどうしているかなど考える必要はなかったし、誰かがやられるかもしれないなどと考えたこともなかった。

 それを信頼と呼ぶならば、まさしく互いに全幅の信頼を置いていたとも言える。

 だからこそ、まさかこのような事態が訪れようとは、予測どころか、想像すらもしたことがなかったのだ。

「オーッホホホホホ! どうやら、衝撃の事実だったようねっ! 知らせてやったあたくしに感謝なさいっ!」

 そっくり返って高笑いをするミカだが、

「――てゆーか、ミカヅキモの王族が2人もそろって、こんな所で何してんの?」

 ししょー(治った)に、極めて軽い口調であっさりこんとツッコまれ、その場にどべっ! と転がった。

 女王であるわりに、なかなかリアクションの大きい女性である。

「なっ……何してんの、とは、ご挨拶ねっ! せっかく、このあたくしたちが直々に、あなたがたに力を貸してやろうというのっ!」

「力を……?」

「そうなんですよ〜」

 と、横からにこにこと割って入って、

「何しろ、フラバー王国が陥落すれば、我らがミカヅキモ王国まで、帝国軍の進路をさえぎるものが何もなくなりますからねぇ。そうなっては困りますので、今のうちに、協力して敵を叩いておこうかと――」

「……今のうち、って……ちょっと来方が遅いんじゃ……?」

「どうせなら、もっと早く来てほしかったわよねぇ」

「しかも、たった2人だし……」

「少しは役に立つかどうか……まったく意味がないのと紙一重というか、すごく微妙なところですよねえ」

 ぼそぼそと言い合うフラバーたちに、青筋を立ててぷるぷる震えるミカ。

「ええいッ、やっかましいッ! 贅沢を言うんじゃないわよ! こっちだって、議会がどうたら世論がこうたら、ややこしい問題をあれこれ抱えてるのっ!
 とにかく、こうして来てやったんだから、ひれ伏して感謝なさいっ!」

 ミカが、そう怒鳴ったときだ。

「きゃあっ!?」

 不意に、モジリンの悲鳴が響いた。

 すわ何事、と身構えた一同の目に映ったのは、地面に突き倒されたモジリンの姿と、それから――

「……ちょっ……!?」

 表情をこわばらせ、そちらに1歩、進み出たのはミカだ。

も……!? あんた、一体、何のつもりっ!?」

「……見ての通り、なんですけれどもね」

 相変わらずのニコニコ顔のまま、ミカヅキモの男は、屈託なく言い放った。

 だが、その手にはいつの間にか、細身の長いナイフが握られている。

 錫杖の中に仕込んであったのだ。

 そして今、鋭利なその刃が、ししょーの首筋に背後からぴったりと当てられていた。

「……ミスったわね」

 苦々しげに、ししょー。

「このわたしが、うっかり後ろをとられるなんて……。歳はとりたくないもんだわ」

「――え!? おっ!? あっ! おばあさまっ!?」

 その時になって、モジリンの治療により目覚めたドイッチが、状況が分からずにきょろきょろする。

 それを落ち着いて片手で抑え、視線だけを横に動かして、ししょーは言った。

、あんたは、ブラックバスの手先だったってワケね。祖国が帝国に呑み込まれた後は、地方官のポストでも貰えるってことなのかしら?」

「できるなら、もう少し上が望ましいですがね〜」

「ふん、悪びれないわね。まあ、そんなタマじゃないってことは分かりきってたけれど……。

 ちょっと、ミカさん。あんた、自分の身内くらい、しっかり手綱を締めといてもらわなきゃ困るわよっ!」

「そ、そんな……一体、いつから……」

 ミカのほうは本当に何も知らなかったようで、蒼ざめてぶつぶつと呟いている。

 一方、あらかじめ全てを把握していたガーベルは、にやりと笑って言った。

「王手だな、フラバーの諸君。その女を殺されたくなければ、大人しく俺に従うがいい。

 ――全員、そこに並べ。首を刎ねる手間が一度で済むようにな」

 どうするっ!? というように、鋭い視線がフラバーたちのあいだを行き交った。

 もちろん、このままししょーを見殺しにするなど論外である。

 しかし、この状況下で有効などんでん返しの方法を、誰も思いつかない。

 だが、

「……もしかして本物のバカじゃない? あんた」

 本気で、心の底から、バカにするかのように。

 首筋に刃を当てられながら、ししょーはあっさりキッパリ堂々と、ガーベルに向かってどーんと指を突き付け、言い放った!

「わたし1人分の命じゃ、他の全員の命と引き換えにするには、明らかに不足でしょーがっ!
 ユーリ! わたしのことは構わないわ。
 そこの筋肉バカを、今すぐ即座に、バッサリすっぱりやっちゃいなさいっ!」

 この態度に、ガーベルの目がぎらりと光った。

「……愚か者はそっちだ」

 そっけないとすら言えそうな口調で、に向かって顎をしゃくる。 

「やれ」

「――あ」

 マホナンヌが、ドイッチが、ユーリが、モジリンが。

 ししょーを救うため、捨て身を覚悟で一斉に跳びかかろうとした、その刹那。

 の口から、妙な声が漏れた。

 ややあって、

「…………あ?」

 ししょー当人が、胡乱げに問い返す。

 無論、彼女の首はまだ、胴体とつながったままだ。

「あ……ええと」

 不自然に硬直したまま、何やらごにょごにょと唸るに、勝利を確信していたガーベルの眼差しにも不審の色が混ざる。

「貴様……何をしている……?」

「いやあの……」

 やはり妙に歯切れの悪い口調で、

「つまり、アレなんですよ〜。ちょっと今……そう、その、ちょっとした問題が発生いたしまして……」

「ええっ!? う……うそぉっ!?」

 思わず叫んだのは、ドイッチだ。

「わあ。ミカヅキモ王族が勢揃いだなぁ」

 のんびりと、ユーリが声をあげる。

 ししょーを人質にとったの、さらに背後。

 そこから、小柄な人影が、ゆっくりと姿を現した。

 その姿を目にしたミカがあんぐりと口を開け、それから、遠慮のない大声で騒ぎ始める。

「あっ……あ、あ、あ、あなたーっ!? ちょっと、こんなところで何してるのよっ!? あなたは、あたくしの名代として、国に残ってるはずでしょーっ!?」

「ミカを傷つけることは、ボクが許さないよ」

「……ヅキくん」

 自分の背中、心臓の真後ろに背後からニードルを突きつけている少年(?)に対して、は、ゆっくりと両手を挙げながら呼びかけた。

 その口調からは、いささかの動揺も感じられない。

 ただし、柔和な笑顔が、ほんのわずかにだが強張っている。

「なぜ、あなたがここに?」

「オマエの企みにはとっくに気付いていた」

 少年(?)――ミカヅキモ王国第1王位継承者・ヅキは、相変わらず感情を置き忘れたような声で答えた。

 その表情も、人形かと見紛うほどに動きが少ない。

 相手を威圧するための演技、ではない。

 これが地なのだ。

「オマエが国を出たときから、ボクは、ずっとオマエの後ろにいた。オマエは気がつかなかったみたいだが」

 は、ふぅ、とため息をついた。

「……やれやれ。ミカさんはともかく、あなたをごまかすのは至難の業だなーと思っていましたが……」

「どーゆー意味よ……?」

 憮然としたミカの言葉はあっさりと無視し、

「どうやら、やっぱり無理だったみたいですねー」

 挙げていた右手を曲げてぽりぽりと頭をかき、不意に、にっこりとガーベルのほうを向いて、

「と、ゆーわけですので。申し訳ありませんが、やっぱりお一人でがんばってください」

 ぺこり、と頭を下げる。

「貴様」

 怒り、というよりは軽蔑に近い眼差しでを睨みつけ、ガーベルは押し殺した声音で告げた。

「ブラックバスには、役立たずにかける情けはないぞ」

「ええ、それはもう、重々承知いたしておりますとも」

 気の弱いヤツなら2秒で睨み殺されかねないガーベルの視線を受けて、の口調は、あくまでも軽い。

「承知してはいるんですが……もし、ここであなたに協力しようなんて素振りでも見せよーものなら、たちまち、ヅキくんにブス リとやられちゃいますからね〜……」

 言いながら、は、何やら思案を巡らすように視線を漂わせた。

 ――といっても、そんな様子を見せた、というだけで、彼のニコ目が実際にどこを見ているのかは、周囲からはイマイチ判断が つかない。

「……ヅキくん」

 数秒の沈黙の後、は、

「もしも、わたしがもう一度寝返って……あなたたちと協力して彼を倒す、と言ったら、どうしますか?」

「――いいだろう」

「ヅキ!?」

 言下に承諾したヅキに、ミカが驚き半分、非難半分といった声をあげる。

 だが、ヅキは動じない。

「コレは」

 相も変わらず無感動な表情のまま、ヅキはを指差した。

 さらにその指をごく無造作に動かして、ガーベルを指す。

「アレよりも弱い。もしもコレが、この後また裏切ってボクたちを殺したとしても、アレは、必ずコレを殺すよ。ブラックバスは 、一度自分たちを裏切った者を許すほど甘くはない」

「……ふっ、やるじゃないの。このお嬢ちゃん」

「あら、お坊ちゃんかと思っていたけれど……?」

 呟きあう、ししょーとマホナンヌ。

 もちろん、ヅキの表情には何の変化も表れなかった。

「コレも、そのコトが分かっているから、いちかばちか、ボクたちと組んでアレを倒すほうに賭けたんだ。コレが生き残る道は、 もう、それしかなくなったんだよ」

「ははは、分かってますね〜。ヅキくん」

「たとえあの筋肉バカをブッ倒せたとしても、あんたが生き延びられるとは限らなくてよ……」

 底知れない怨念を漂わせつつ唸るミカに、

「しかしまあ、今のところは、力を合わせて彼を倒さないことには全員がオダブツですし〜?」

 やはり気楽な口調で、

 ミカはしばし、くっ、とくちびるを噛んでその顔を睨みつけていたが、今は、どう考えても仲間内でモメていられる状況ではな い。

 数秒の逡巡の後、彼女は半ばヤケクソのように叫んだ。

「ええいッ、いいでしょう! あんたの処遇は、筋肉バカを倒すまでは保留にしておいてあげるわっ! さあっ、とっととやって おしまいっ! それなりの働きを示せば、いくらか処分が軽くなるかも知れなくてよっ!」

「わあ、有り難いなぁ〜」

 ふざけたバンザイの姿勢でそう言ったの両手が流れるように動いて、宙に複雑な図形を描き出した。

「腐敗せよ!」

 カッ! とその図形がビームのような光を放つ。

 ガーベルが弾けるように飛び退いた地面を、赤いビームが直撃した。

 ジュワジュワジュワジュワッ!!

 白煙が立ち込め、激しい刺激臭が漂った。

 思わず全員が袖で口と鼻とをかばう。

 ビームを受けた地面は、まるで強酸でも浴びたように焼け爛れていた。

「……ずいぶんと、えげつない術を使いますわね」

「でも、当たらなきゃ意味ありませんしね〜」

 地面の有様を見てイヤそうに呟いたマホナンヌに、気にした様子もなく、

 一同は口に出して打ち合わせるまでもなく、ガーベルを取り囲むように半円形に展開した。

 今や、完全に形勢逆転。

 最前までは圧倒的に優位に立っていたガーベルが、逆に包囲される形となったわけだ。

 と、そこへ、

「あーっ! かーさまだ!」

「――ドー!?」

 底抜けにのん気な声をあげながら、とっとことっとこと、フラバーの世継ぎ王女が駆けてくる。

 モジリンが広げた両腕に飛び込み、ひしと抱きしめられながら、ドーは言った。

「ひーばー、モッサたちが、むこうでたたかってる。でも、りゅうがへいがとまったから、きっとだいじょうぶだ……。われ、ここで、ひーばーたちをてつだう」

 母親の腕を優しくほどき、ドーは、ぐるりとガーベルに向き直った。

「……あれ、きったらいいのか?」

「これで、9対1よっ! あきらめなさいっ!」

「今、投降すれば、気絶するまでタコ殴りにするくらいで勘弁してあげます」

 鋭い口調で告げるししょーの後から、真剣な表情で、ドイッチ。

 ガーベルは――

 にい、と笑った。

「望みを失うのは、貴様らのほうだ」

 言って、くいと顎をしゃくってみせる。

「あれを見るがいい」

 彼が示したのは、皆の背後。

 ――王城が聳え立つ方角。

「とか何とか言って、よそ見した隙に攻撃しようって魂胆じゃないでしょうね……」

「いくら何でも、そんなセコい真似はしないと思いますけど……」

 ぶつぶつ言いながら、それでも、ちらりと背後を振り返り――

「あ……」

 全員が、我が目を疑った。

「あれを……!!」







   23 牙持つ魚の旗

「どうなさいました、長?」

 不意にぴたりと足を止めたモッサに、ゼータが不審そうに問いかけた。

 全ての竜牙兵が停止してから、10分弱が経過している。

 モッサとゼータは、一族の者たちに合流すべく、城に向かって一心にダッシュをかけていた。

 あちこちに分散して戦っていたキングオブファイターズの面々も再び結集しており、モッサを先頭に、ここまでひた走ってきたのだ。

 と、そのモッサが、何を思ったか、道のど真ん中で突然立ち止まったのである。

「……長?」

 一同の不審げな問いかけにも反応せず、モッサは、前方のある一点を凝視していた。

 目を見開き、まるで、醒めながらにして悪夢でも見ているかのように――

 そして、その視線を追いかけた一同もまた、モッサとまったく同じ表情で凍り付くこととなった。

「……う……」

 震える唇から、声が漏れる。

 ――彼方に見える、王城の塔。

 王国で最も高い建造物であるその塔の、鋭く尖った屋根の上。

 そこに……旗が、ひるがえっていた。

 黒い旗が。

 それは、ほとんど豆粒くらいにしか見えないほど、遥かに遠い。

 だが、モッサたちの優れた視力は、それだけの距離を隔ててなお、旗に描かれた紋章を正確に見て取ることができた。

 禍々しいばかりの金色に輝き、宙に踊るその図案は――

「嘘やろ……」

《牙持つ魚》。

「そ……そんな」

 さすがに動揺を隠し切れず、キングオブファイターズの面々が口々にざわめく。

「あれは……ブラックバス帝国旗!?」

「まさか」

「それでは……」

 不安に満ちた囁きのなかで、誰かが、決定的な一言を口にした。

「城が……陥ちた……?」

 その瞬間、場が静まり返った。

 王城が、陥落した?

 ――信じられなかった。

 それは、天が落ち、海が干上がるのと同じ、あってはならないことなのだ。

 誰もが、自分たちの立つ地面が音もなく崩れ去ってゆくようかのような、静かで、絶対的で、絶望的な恐怖を感じていた。

 かつて、建国の祖・マホナンヌは島に眠る《古き神》と契約を交わし、この地の統治権を得た。

《古き神》はその無尽蔵の力をもって、島の高台に一夜にして城を築き、マホナンヌに与えた。

 そして自らの一部である《にょろ神》を島の守り神として残し、自らは再び、永劫に続く神の眠りへと戻っていった――

 フラバー創世記に語られる建国の日からずっと、王城は、この国の象徴であり続けた。

 見上げればいつもそこにあり、変わることのない、帰るべき場所だった。

 フラバーの民の自由の証であり、最後の砦であり、皆の希望だった。

 その、城が――まさか――

「……諦めんな」

 押し殺したような呻きが、氷柱のごとくなっていた人々の耳を打った。

 声の主は、モッサだ。

 彼女は拳を握りしめ、地団駄を踏むようにして叫んだ。

「おまえら……何じゃ、そのツラ!? 諦めんなや! まだ、終わりと違う! こんな――こんな終わり方――オレは、絶対認めへんぞ!」

「……長……」

「だって、そうやろが!? あのクソしぶといババやひぃババやオヤジが、あないにあっさりやられるハズ、ないやないか! そ うやろっ!?」

 力のこもったモッサの声に、キングオブファイターズの面々の表情にも、徐々に生気が戻ってくる。

「そ……そういえば、そうですな……!」

「陛下はともかく、ししょー様やマホナンヌ様が倒されることなど、物理的にありえませんものね!」

「ひょっとするとあの旗は、陛下がうっかり間違えて揚げられただけかもしれませぬ!」

 ――いや、さすがにそれはないだろう。

 思わず苦笑し、自分に笑う余裕が残っていたことに驚く。

 モッサは、ぐっと表情を引き締め、一同に向かって拳を突き上げた。

「とにかく全員、オレに続けっ! 城へ、向かうぞっ!!」



     *    *    *



「時間切れか……」

《牙持つ魚の旗》を見上げ、ガーベルは、うっそりと笑った。

「まったく、これでは、四天王筆頭の面目も丸潰れというものだ。これほどまでに取りこぼしたのは初めてだな」

「時間切れですって? ……いったい、どういうことなのっ!」

 鋭く問いかけたししょーに、しかし、ガーベルは視線を向けなかった。

 どこか遠いような目を《牙持つ魚》の旗に向けたまま、呟くように言っただけだ。

「誰が、あの旗を揚げたと思う?」

 不意の問いかけに、一同は一瞬、虚を突かれ――

 そして、その言葉が意味することを理解したとき、全員が、信じがたい思いにとらわれた。

「……まさか……」

 そんなはずはない。

 それは、ありえないことだからだ。

 だが、まさか。

 まさか――

 ガーベルは、ただ薄い笑みを浮かべ、塔を見上げている。

 その眼差しは、カクタスが、ローザが、ある人物について語るときに見せていたものと同じ――

「……陛下……」

「陛下、ですって?」

 陶酔したようなガーベルの呟きに、さしものマホナンヌが、擦れた声を漏らした。

「では、皇帝が……来ている、というの?」

「戦いこそが、陛下の望み」

 蒼然としたフラバーたち、そしてミカヅキモ勢にはほとんど注意を向ける様子もなく、ガーベルは詩を詠唱するかのように、朗々と言った。

「戦場こそが陛下の宮殿。敵の骸が王座の階。流された血が緋の衣――」

 では、本当なのか。

 本当に、あの塔の上に敵の首魁――

 ブラックバスの皇帝が?

 だが、どうやって!?

「俺たち四天王が戦うのは、何のためか?
 それはただ、陛下の露払いをつとめるためよ。下らぬ戦いは陛下のお気に召さぬからな。
 ――6時間。それが俺たちに与えられた時間だ。そのあいだ、陛下は潜水艦で眠っておられる……。
 そして6時間後、我らの攻撃に耐え、生き残った敵の前に、陛下は御自らお立ちになられるのだ」

「では、つまり……

 領土や、権力のためじゃなく……」

 そう呟いたユーリの声には、奇妙な感慨があった。

「ただ、戦うために?」

 それは、彼自身の望みでもあったからだ。

 だが、決して共感したわけではない。

 力の限りを尽くす死闘を切望するのは、戦士の性。

 しかし、そこに賭けられるものは、己ひとりの命であるべきだ。

 己の満足のために多くの罪もない人々を巻き込み、苦しめ傷つけるなど、断じて許されることではない。

「ふ……っ」

 ドイッチのほうは、ユーリよりももっとストレートに怒りをあらわにしている。

「ふざけるな! そんな下らないことのために、この戦争を……」

「下らないだと? ふん、貴様らのごとき凡人には分かるまい。陛下は、修羅の子であらせられる。剣を握り、振るう時にしか、陛下の心は満たされぬのだ!」

「お黙んなさい、筋肉ダルマッ!」

 吠えたガーベルを、びしいっ! とイキナリ、遠慮のない大声でさえぎった。

 ししょーだ。

「いーっくらベラベラ長広舌叩いたって、そんな、わーっけの分かんない理屈が通るハズないでしょーがっ! たとえ、どんな美辞麗句で飾り立てようと、あんたたちのやってることは結局、超・巨大なハタ迷惑にすぎないのよっ! 
 ――ったくっ! 世間知らずのナルシストが調子に乗って暴走すると、ホントにまったく、どうにも、手の着けようがないわねーっ!」

「……おー……」

「言いますねぇ〜」

 全員の心を代弁したししょーのタンカに、ぱちぱちと緊張感のない拍手を送るドー&も。

 何を緊張感のないことをやっとるかっ、と言わんばかりの視線が、一瞬で2人に集中するが――

「……ドー?」

 思わず、といった調子のけげんそうな声で、ドイッチが問いかける。

 ぱちぱちと気楽に手を叩いていた、その姿勢、その表情を、凍りつかせたままで。

 ドーの顔色が、見る見るうちに蒼ざめていったのだ。

「どうしたのですっ!?」

「ちょっと? どっか、やられたんじゃないでしょうねっ!?」

 叫ぶユーリやししょーの声も、その耳には届いていないかのように、ぽそり、と彼女は呟いた。

「……とーさまは?」

 そのことばの意味が、意識にしみとおった瞬間――

 すうっ、と身体が冷えてゆくのを、全員が感じた。

 ――そうだ。

 もしも今、本当に、ブラックスバスの皇帝が王城に潜入し、そこを制圧しているとしたら。

 一族でただひとり、最後まで王城に残り、そこを守っていたはずの男は――?

「まさか」

 乾いた呟きとともに、マホナンヌの手から、ぱさり……と扇が落ちた。

「あめえばが……死んだ……?」

「どうやらフラバーの王にも、陛下の相手をつとめるだけの力はなかったらしい」

 いっそ淡々とした口調で、ガーベル。

「残念だったな。貴様らのうち何人かでも残っていれば、陛下の歩みをわずかなりと遅らせるくらいのことはできたかもしれん。
 ……終わりだ、フラバーの諸君」

 静かに、宣言する。

「お前たちの国はもう、ない」

 ――冷えた意識に、そのことばは、悪魔的な説得力をもって浸透していった。

 それでは、これが、終わりか。

 これで――

「にょろよ!」

 高らかな叫びとともに、びーっ! と黄金色のビームが一直線に空を裂き、天の一角を直撃した!

「バカめ、どこを狙っている――」

 せせら笑ったガーベルの表情が、はっとこわばった。

 塔の上で我が物顔にひるがえっていた、ブラックバス帝国旗。

 その旗がビームの直撃を受けて炎に包まれ、一握りの煤となって舞い落ちていったのだ。

「……ドイッチ……」

「……フラバーが、滅びたですって?」

 一同の視線を受けて、その攻撃を放った当人は、押し殺したような声音で言った。

 その頬に、一筋の涙が流れている。

 だが、それをぐいっと袖で拭き、彼女は顔を上げて叫んだ。

「いや、まだだ!
 父上が倒れられたとしても……
 まだ、私たちがいる!」

「その通り!」

 そのかたわらに進み出たユーリもまた、胸を張って立ち、青竜堰月刀を構えて言い放つ。

「ちょっと旗を立てたくらいで、いい気になっていただいては困りますね! まったく、潮干狩りの場所取りじゃないんですから!」

「潮干狩り……?」

 潮干狩りの場所取りで旗なんか立てる人いるかなあ、と思わず呟くドイッチを無視して、

「――ここは、ふらばーのしま」

 ずいっと進み出たのは、ドーだ。

「とーさまのため。
 かーさまのため。
 ばー、ひーばー、いちぞくみんな……
 このくに、みんなのため! 
 われ、おまえたち、きる! 
 そして、ぜんぶ、もとどおりになる!」

「……くくく……」

 にいっと笑い、ガーベルは、ぐらりと身体をよろめかせた。

「感動的じゃないか、ええ?」

 ざっ、と片足をずらして、半歩。

 その半歩で、彼は耐えた。

 肩口の傷からは、とめどなく血が流れ続けている。

 彼を突き動かすものもまた、ローザと同じ、皇帝への揺るぎなき忠誠。

「貴様らの誰ひとりとして、皇帝陛下の御前にたどり着くことはできん」

 そうだ、陛下の覇業。

 あのちっぽけな国からすべてが始まり、ここまで来た。

 こんなところで、邪魔させてなるものか。

「全員、地獄まで道連れになってもらおうか――」

「いきますよ、ドー、ユーリ」

 ドイッチの静かなことばに、世継ぎ王女と騎竜将軍とが、うん、と大きく頷きを返す。

「とーさまにかわって、われ、たたかう」

「ええ……最後までこの国を守り、そして果てられた父上のぶんまで!」

「なにィ―――ッ!?」

 突如。

 まったく突然に。

 一切、何の脈絡もなく――

 突拍子もない大絶叫が、全員の耳に飛び込んできた。 

 同時、どだだだだだーっとその場に走りこんできたのは――

 一見したところ――

 妖怪・緑男といった様子のモノだった。

 あっけにとられて物も言えずにいる一同の前で、ぶんぶんぶんと両腕を振り回し、叫ぶ妖怪・緑男。 

「誰だっ、誰が死んだって!? ――私!? 死んでない、死んでないっ! ばっちりしっかり、生きてますよーっ!」

「あ……あ……」

 まさか。

 俄かには信じがたい。

 これはやっぱり……幻、か?

 ――いや。

 違う。

「あめえば!?」

「父上!?」

「陛下!?」

「とーさまっ!?」


「あー、大丈夫大丈夫!」

 口々に叫んでくる家族たちに、ぱたぱたと軽く片手を振って、あめえば。

「この緑色のやつ、コレ、血じゃなくて全部藻だから! まあちょっとぬるぬるする上に生臭いんだけれども全然平気――

 って、おおうっ!?」

 べらべらっと一気に喋ったかと思うと、いきなり1人で仰け反り、それからそろそろと元の姿勢に戻りながら、震える声音で言ってくる。

「な、なんか、びみょーに人数が足りないよーな気が……まさか……モッサや、おば様方は……?」

「あー、大丈夫大丈夫!」

 先程の息子のセリフとまったく同じトーンで言って、ししょーは、これまた同じような仕草でぱたぱたと手を振った。

「だーれも死んでないから。モッサたちは、この場にはいないけど、どっかで元気に戦ってるはずよ!」

「そ、そうですか! あ〜……良かったぁ……!」

 国王の顔が、ほへら〜と緩む。

 この上もなくのんきな、幸せそうなその表情は、こんな状況であるにもかかわらず、皆の顔に笑みを浮かばせた。

「……陛下……」

 涙を流してそれだけ呟き、あとはことばにならないモジリンに、あめえばは、にっこりと頷く。

 大丈夫だ、何もかも、大丈夫だよ。

 ――そう、告げるかのように。

「あめえば」

 一瞬、流れかけた和やかな空気を敢えて断ち切り、マホナンヌが告げる。

「ここは、わたくしたちにお任せなさい。あなたは、城へ戻らねばなりません」

「ええっ?」

 何のこっちゃ、という顔つきで、あめえば。

「なんでです? 私、今、城から出てきたばっかりなんですけど……」

 ぽかんとする彼に、フラバー、ミカヅキモ含めた全員が、まったく同時に状況を説明し始めた。 

 お互いにまわりの声量を上回ろうと声をはり上げるため、もはや何だかわからん大騒ぎになったが――

「……うっそーん……」

 あめえばには、ちゃんと分かったらしい。

 彼がまず考えたのは、エックベルトやスカーフェイスが庭に降りてきたことは幸いだった、ということだった。

 ――だが、他の皆は?

 国王親衛隊の騎士たちや、エックベルトの部下たち、そして、大臣や将軍たちは……?

 あめえばは、静かに塔を見上げた。

 あの塔の真下には、王座の間がある。

 ブラックバスの皇帝がいるとすれば、おそらく、そこだ。

「……はあー……」

 深い、深いため息をひとつついて。

「では、とりあえず……反撃開始といきますか!」

 顔を上げたときには、彼の顔にはいつもの、いつも通りの、極楽トンボの笑いが戻っていた。

「まずは、私たちの家から、招かれざるお客さんを叩き出すことですねっ!」

「――行かせん!」

 疾風のように、ガーベルが動いた。

 彼はまだ、不可視の刃を失ったわけではなかった。

 フラバーたちの会話をききながら、彼はずっと、タイミングを計っていたのだ。

 最大の隙は、攻撃に転じる瞬間に生まれる――

 あめえばが踏み出そうとした、その刹那、ガーベルの不可視の刃がひるがえり、その喉元を襲う!

 ギャギギギギィッ!!!

 蒼白い火花が散った。

「……邪魔しないでください」

 ガーベルは、目を見開いた。

 殺った――と思った。

 あめえばは、剣を抜いてすらいなかったのだ。

 だが。

 今、フラバーの王の手にある長大な剣はガーベルの刃を受け止め、あまつさえ、ぎりぎりと押し返してきている!

「私はね」

 笑顔のなかで、底光りのする目がガーベルを睨みつけた。

「今、むちゃくちゃ腹が立ってるんですよ……!」

 ギャギイッ! と耳を覆いたくなるような異音を上げ、二人の剣士は互いに跳び退った。

「あめえば!」

 そこへ、ししょーが声をかける。

「引きなさい! ここは、私たちに任せるのよ!」

「……その通りです」

 マホナンヌもまた、厳かに告げた。

「あなたの戦場はここではない。――行くのです、あめえば、王座の間へ! ブラックバスの皇帝を相手どるのは、フラバーの王でなくてはなりません!」

「マホナンヌ様! どうか私に、父上のお供を!」

「われもー!」

「私も、行きます!」

「わ、わたくしも……!」

 ユーリ、ドー、ドイッチ、そしてモジリンが次々と名乗りを上げたが、

「いいえ」

 マホナンヌは、静かにかぶりを振った。

「あなたたちには、あれの相手をしてもらわねばなりません」

 言って指したのは、ガーベルだ。

「……うん」

 最初にうなずいたのは、ドーだ。

「わかった! われ、あれ、きる!」

「怪我人と戦うのは気が進みませんが……仕方がありませんねっ!」

「ミカヅキモの方々、援護を!」

「あんたが仕切らないでちょうだい、メガネっ子!」

「はいは〜い、手伝いますですよ」

「お、お怪我をなさった方は、わたくしがすぐに癒しますわ……!」 

 妻、そして子どもたちの背中を、あめえばは、じっと見つめた。

 これが、最後になるかもしれなかった。

 やがて――

 彼は祖母を振り返り、苦笑しながら、言う。

「もう、子どもたちのほうが、私より強いかも知れませんよ?」

「皇帝の相手は、王の仕事です」

「……そうですね」

 あめえばは、あっさりと笑った。 

「で、おばあさまはどうなさるんですか?」

 怪我は治ったものの疲労の色が隠せないししょーはともかく、ほとんど何のダメージも受けていないマホナンヌが自ら戦いに名乗りを上げないというのが、あめえばには不思議でならなかった。

「わたくしは――」

 孫の視線を受け、年老いた建国の女王は、静かに答えた。

「わたくしは、今から、ウンディーネを呼びます」







    24  我が意思に従い、旅せよ



「ウンディーネ……?」

「お、お母様!」

 何のこっちゃ、という顔で呟いたあめえばの横から、ししょーが声をあげる。

「それは……それなら、私が……!」

「いいえ」

 常になく狼狽した様子のししょーに、穏やかにかぶりを振ってみせ、マホナンヌは言った。

「これは、わたくしの役目でしょう」

「しかし!」

「――あのー……」

 母と娘のあいだに、そろーっと挙手をしつつ割って入るあめえば。

「すみません。さっきから全然、話についていけてないんですが……

 その、ウンディーネとかっていうのは、いったい、何なんです?」

「剣よ」

 厳かとすら言ってよい口調で、ししょー。

「かつて、《古き神》は、フラバー一族の守護たる《にょろ神》を生むために、自身の身体の一部を断ち切った。

 神の身を斬った聖なる剣……それが、ウンディーネ。

 あなたには、まだ教えていなかったわね」

「そう」

 横から、マホナンヌもまた、静かにうなずく。

「そして、この国に、にょろ神の守護も及ばぬ大きな危機が訪れた時……王の血統に連なる者がその名を呼べば、《古き神》は、自らの剣を遣わされる。建国のとき、わたくしが《古き神》と交わした契約です」

「おばあさまが――神と契約を!?」

 あめえばの叫びに、マホナンヌは大きくうなずくと、懐に手を差し込んで、

「この通り……

 ちゃんと契約書も取ってあります」

「……ホントだ……」

 取り出された古い羊皮紙を、思わず凝視するあめえば。

 ――まさかとは思うが、流麗な書体のマホナンヌのサインの隣に書かれた『せいこ』という汚い字が、神の直筆……?

 いやまさか。

「時間がありません! 皆、下がりなさい! あめえば、あなたはそこへ!」

 有無を言わせぬマホナンヌの命令が、彼を物思いから引き離す。

 マホナンヌは閉じた扇をかまえ、ぴたりと静止した。

 演武、あるいは舞の型のような、優雅だが凄まじい集中と緊張を感じさせる姿勢だ。

 そして彼女は、流れる水のように、打ち寄せる波のように舞い始めた。

 聖剣召喚の儀式が始まったのだ。

 彼女の動きにつれて、扇の先からシュオオオォォッ! と青い光が噴き出し、地面に恐ろしく複雑、かつ精密な魔方陣を描き出してゆく。

 その紋様は、驚いて立ち尽くすあめえばの足元を中心として広がり、あっという間に周囲を埋め尽くしていった。

「――させるかぁ!」

 状況を悟ったガーベルが、マホナンヌに向けて不可視の刃を振るおうとするが、

「よそ見するんじゃないわよ、筋肉バカ……!」

 一瞬にして割って入ったミカ、ヅキ、もが、見事な連携プレイで陣形を組み、

「はあああぁぁ――っ!!

 絶対安全!

 微生物バリアーッ!!!


 気合いのこもった掛け声と同時に展開した緑色のバリアーが、ガーベルの一撃を見事に受け止める!

 バチバチバチバチィッ!!

 すさまじい摩擦で大気が帯電し、無数のスパークが走った。

 大量のエネルギーの拮抗が、うかつに近付いたら丸焦げになりそうな熱を生み、かげろうとなって景色を揺らめかせる。

「ヅキ、! このまま押し切るわよッ!」

「…………」

「はいはい、分かってます……よっ!」

 ぎりぎりぎり……! と凄まじい音を立てながら、ミカ、ヅキ、の三人が歩調を揃えて前進していく。

 ミカのことば通り、力技で押し勝とうという作戦だ。

 そして本当に、力の差で、ガーベルのほうがじりじりと後退しつつある。

「おおっ……!」

 思わず感心して見つめるフラバーたち。

「も、もう、ちょっとよ……!」

 歯をくいしばりながら、唸るミカ。

 その瞬間。

 ガーベルが、牙を剥くように笑った。

「かかったな……!」

「何ですってっ!?」

 ふっ――と。

 ガーベルが支えていた不可視の刃が、消える。

「あ」

「!」

「おっ……」

 ミカ、ヅキ、が渾身の力で推していたバリアーは、そのまま、ガーベルの身体を直撃し――

 バリアーに呑まれたガーベルの身体が、一瞬にして塩の柱のように崩れていき――

 急に抗力を失ったミカ、ヅキ、が、たたらを踏んで体勢を崩し――

 そして――

 3人の合力が生み出していたバリアーが、消える。

 この瞬間、ガーベルは、すでに肉体の半分を失っていた。

 彼は念じた。

 最後の任務。最後の攻撃。

 命と引き替えに放つ技だ。

 当たれ、当たれ、あの女に――!

 その瞬間、ししょーは、気付いた。

 同時、ガーベルに向けて、腕を振りかぶった――

 ぼっ!!!

 ガーベルの手元から、音速を超える速さで、不可視の刃が撃ち出された。

 短く、細い、投げナイフ程度の刃。

 その先端が狙っていたのは、忘我の境地で儀式を続けるマホナンヌの頭。

 その場にいた誰も、止められなかった――

「あ。おかえり!」

 ピキイィィィィン!

 ――そう――

 その場にいた、誰も。

「おかえり、やないで、ユーリ! どえらいコトになってるやないかいっ!?」

 ドッガアアアァァァアン!!!!!

 青いオーラをまとう手で不可視の刃をつかみとったモッサが叫び返すと同時、ししょーが放った『ししょー・ラブラブ・アタック/超・短縮版』が、今度こそ、ガーベルの身体を完全無欠に吹き飛ばす!

「もっさー! ぶじで、よかった」

「いや、てゆーか……どないなってんねんコレ!? 塔の上にブラックバスの旗が――
 って、あれ? ない……?」

「ああ、あれ?」

 と、気軽に、ドイッチ。

「さっき、私が燃やしといた」

「――マジで!?」

「それが、実は……」

《せいこ神よ!》

 マホナンヌの声が響いた。

 聞き慣れた彼女の声ではない。奇怪な抑揚がついている。

 星辰の彼方より起こり、時と空間を揺るがし、大地の底へと貫く祈りの叫び―― 

《御身が・剣を・我が・もとへ》

 時空が鳴動する。

 魔方陣のなかで、あめえばはそれを感じた。

 ――神が眠る場所の、扉が開く――

《疾く・遣わし給え!》

 詠唱が終わると同時、魔方陣の内部に光が溢れた。

 虚空から湧き上がるようにして、柄を上にした一振りの剣が姿をあらわす。

 それ自身が星のように光を発していたが、熱さは感じない。

 純粋な光――

 危険とも思わず、迷いもなかった。

 あめえばは、ためらいなくその柄を握った。

 手のひらに吸いつくようになじむ感触。

 まるで、何億年も前から、彼が持つことが決まっていたかのような――  

「行きなさい、あめえば! ――我が意思に従い……」

 マホナンヌが唱えようとしている呪文が何であるかを知り、あめえばは、目を見開いた。

 きょうだいたちに囲まれてこれまでの経緯を聞いていたモッサもまた、そのことに気付く。

 その瞬間、彼女はとっさに魔方陣に駆け寄り、こんかぎりの大声で叫んだ。

「オヤジ、がんばれっ!」

「――旅せよ!」

 モッサに答えようと口を開いたあめえばの姿が、激しくブレてかすんだ。

 そして、足元からかき消すように、一瞬でその姿が消える。

「お母さま、空間渡りの術なんて……」

「ついでです」

 何でもないように答えたマホナンヌの身体が、不意に、ぐらり、と揺れた。

 膝が崩れる。

 ――倒れ込む。

「お母さま!?」

「ひーばー!」

「マホナンヌ様……!」

 慌ててマホナンヌを抱きとめたししょーの周囲に、全員が集まる。

 ししょーは、母の身体のあまりの軽さに驚いていた。

 一代にしてフラバーの礎を築き、これまでずっとその柱であり続けた女性は、今、持てる全ての力を出し切り、静かに微笑んでいた。

「聖剣召喚で、さすがに、戦えるほどの力は……残っていませんからね。……せめて、その余力で、孫に楽をさせてやろうという……祖母の心ですよ」

 満足げにうなずき、目を閉じる。

「あとは……頼みましたよ……」

「――お母さまっ!?」



     *       *       *



「おー、行ってく……るっ!?」

 モッサに手を振ろうとした瞬間、ヴンッ! と耳の中を大量の羽虫が飛ぶような音がして、

「あでっ!」

 あめえばは、でんっ! と、思わずその場にひっくりこけた。

「……ったたたたー……
 って……!?」

 ごそごそと起き上がろうとした姿勢のまま、あめえばは、凍りついた。 

 見覚えのある廊下。

 ――王座の間に通じる、大回廊。

 今、その大回廊の、彼の周囲の床すべてが――

 鮮やかな血の色に彩られていた。

 ばたばたと倒れている騎士たち……魔術師たち……

 全て、知った顔だった。

 一緒に厨房の蒸かしイモを盗み食いし、コックに追いかけられて命からがら逃げた彼。

 連れ立って女湯をのぞきに行き、みっちいに熱湯をぶっかけられた彼。

 フラバー王国大運動会で、共に応援団として玉の汗を流した彼――

 誰もがすでに絶命していることは、確かめるまでもなかった。

 全員が、ほとんど身体を両断されるほどの深手を負っている。

 誰がその傷を負わせたかは、考えるまでもなかった。

「たった……たった、1人でか……!?」

 負けるかもしれない――

 そう、感じた。

 だが、その感覚は、恐怖ではなかった。

「なぜ……」

 それは――

 異質さ、だった。

「どうして……こんな……」

 まるで枝を踏み折るように、羽虫を叩き潰すように。

 残虐ささえ感じないほどの、殺戮。

 こんな相手に、私は……勝てるのだろうか――?

 だが、それでも。

「みんな……ありがとう。この国を、守ろうとしてくれたんだな」

 あめえばは、血塗れの床に膝をつき、何百人もの死者たちに頭を下げた。

「仇を討つ、なんてことは、言わないよ。……でも……」

 立ち上がる。

「でも、私は……」

 そしてあめえばは、走った。

 右手にウンディーネを握りしめ、飛ぶように走る。

「そいつを、絶対に許さない!」

 王座の間の、巨大な扉。

 あめえばは、それを一気に蹴り開けた。

 一筋の道のように敷かれた、緋色の絨毯。

 王座に続く、壮麗な階段。

 その一番上の段に――

 1人の男が、こちらに背を向けて立っていた。

 痩せた、背の高い男だ。

 背に落ちる、長く、まっすぐな黒髪。

 その背中に向かって、あめえばは、思いっきり叫んだ。

「そこは私の席だ、バカ者ッ!」







   25  王と皇帝





 その男は弾かれたように振り向いた――

 ところだっただろう。

 普通ならば。

 実際には、その動作は、気抜けするほどにゆっくりとしたものだった。

 彼は、あめえばに背を向けたままで一瞬、動きを止め――

 それから、少しだけ首を動かして、肩越しに視線を投げてきた。

 その顔が初めて、あめえばの目に映る。

 最初に目についたのは、北方人には珍しい、やや浅黒い肌の色。

(老人? ……いや……)

 若いのに、若々しくはない。

 そんな顔だった。

 高い頬骨から顎にかけての線には、ほとんど肉が付いておらず、ナイフで削ぎ落としたかのような鋭い輪郭を見せている。

 眉を寄せるのが癖なのだろうか、眉間には険しいしわが刻まれていた。

 そして、見る者をぎょっとさせるほどに明るい色合いの、青い目。

 その目と、音もなく視線が激突した、その瞬間。

 あめえばは、我知らず息を飲んでいた。

 異様な目だ。

 限りなく静かな、冷たい炎が燃えている。

「誰だ」

 乾いた声で、その男――

 ブラックバス帝国皇帝は問いかけてきた。

「……お前にだけは言われたくないぞ」

 あめえばは、真剣な顔で言い返した。



     *     *     *



「お母さまっ!」

 静かに目を閉じた母の身体を、ししょーは蒼然として揺さぶる。

 ――と。

 ……ぐぅ〜……

 すぅ〜……


「あ、あら?」

「うそ……」

 信じられない、といった調子で、モッサ。

「……寝とる?」

「そうみたいだね……」

「だあああぁぁぁぁ……!」

 ミカ、ヅキ、

 そしてモッサについてきていたキングオブファイターズの面々までもが、一気に脱力し、その場にへたり込む。

「まぁ……今までホントに忙しかったし、仕方ないんじゃないかな……」

「けど、ありえへん神経やぞ……。フツー寝るか? 今……」

 ぶつぶつ言い合うフラバー一同。

「――ばー」

 ドーが、くいくい、とししょーの腕を引っ張った。

「われら、あれ、やっつけた……。とーさま、てつだいにいくか?」

 全員の視線が、小さな世継ぎ王女に集まった。

 それから、一同の目は、揃って王城に向けられる。

 ひときわ高くそびえ立つ塔の真下――王座の間。

 今、あめえばがいるはずのあたりへと。

 ややあって、

「……いいえ」

 ししょーは小さく、しかしきっぱりとかぶりを振り、それぞれに何か言おうとする一同を手のひらで制する。

「わたしたち全員が、これまで、それぞれの戦いをくぐり抜けてきたわ。
 無意識的にせよ戦闘で消耗した今の状態では、行っても、かえって、あめえばの足手まといになる公算のほうが大きい……。
 ブラックバスの皇帝は、他に少しでも気をとられて勝てるほど、ヘボな相手ではないでしょうから」

「けどー……」

「これは、あの子の戦い」

 最後は自分に言い聞かせるように呟いて、ししょーは、おそらく息子がいるであろう場所をじっと見つめた。

「この国の命運を賭けて――王は、皇帝と戦う」



     *      *      *



「……貴様が、フラバーの王か」

「フラバー王国第3代国王、あめえば」

「ほう……」

 あめえばの名乗りを受けて、階段の上に立ったその男は、完全にこちらに向き直ってきた。

 剣帯に下がった黒い長剣が、がちゃりと音を立てる。

 ハンドガードが竜の翼を模した、禍々しい装飾の剣。

 その柄に軽く手を置いて、彼はこともなげに名乗った。

「ブラックバス帝国皇帝、クロノー」

「クロノー……か」

 ――何だろう?

 相手の名を繰り返しながら、あめえばは、奇妙な感覚に襲われていた。

 向かい合えば、怒りが噴き出すだろうと思っていた。

 それを抑えるつもりはなかった……思いっ切り罵り倒し、論破し、叩きのめしてやろうと思っていた。

 だが……

 あめえばは、その男が放つ空気に、言葉を失っていた。

 この静けさは、何だろう。 

 世界制覇を標榜し、いくつもの国を滅ぼし、何千、何万もの人々を死においやった男の――

 この、声の、瞳の、乾いた静謐さは?

 ――だが、気圧されてはならない。

「よくもまあ、私たちの国で好き勝手散々にやってくれたもんだな……」

 あめえばは、押し殺した声で言った。

 相手の実力は、その立ち姿を見ただけで分かった。

 これまでに戦ってきた敵の、誰よりも強い。

 ――もしかすると、自分よりも。

 だからこそ、わずかの弱気も命取りになる。

 気迫で負けた時点で、その勝負は、すでに終わったも同然なのだ。   

 ぐっと握りしめたウンディーネの柄から、ほんのかすかな脈動が伝わってくる。

 聖剣も、戦いを前に身震いしているのか。

 それとも、これは、自分の心臓の鼓動だろうか?

「クウィンス、アッシュ、グネモン、ウルフベリー……」

 我知らず、あめえばは呪文のように呟いていた。

 大回廊に残してきた、この国を、国王を守ろうとして死んでいった男たちの名前を。

「バルサム、ローワン、エルム、クロトン……」

 怒りを呼び覚まし、戦意をかき立てる。

 ああ、どうか。

 お前たちの家族のために。

 この国のために。

 私に、力を与えてくれ。

「そして……この下らない戦争で命を落とした、全ての民の名の下に……!」

 ウンディーネの切っ先を突きつけ、あめえばは叫んだ。

「クロノー! 私は、お前を許さない。
 勝負だ!」

 クロノーは――

 ぼそり、と言った。

「死者は、区別しまいよ」

 一瞬、あめえばは、相手が何と言ったのか分からなかった。

「……何?」

「俺を許さない、だと?」

 底知れぬ青い瞳が、あめえばを見つめる。

「何だ、それは。――貴様は、殺したことはないのか」 

「それは」

 あめえばは、一瞬、言葉を切った。

 しかし、それは迷いの表れではなかった。

 すっ、と息を吸い、断固とした口調で続ける。

「それは、自衛のためだ! 仕方がないだろう! 殺さなければこっちが殺されるとなれば、戦うしかない。いくら嫌でもな!」

「死者は、区別しまいよ」

 クロノーは、先程とまったく同じ口調でそう言っただけだった。

 さらに、続ける。

「侵略されて殺された……自衛のために殺された……
 何の違いがある? 死者の列に加われば、何の違いもあるまい。
 そして、それは、その者が弱かったからだ」

「な……」

「侵略のために殺す……自衛のために殺す……
 何の違いがある? ただ戦い、勝ったというだけのこと。
 それは、その者が強かったからだ」

「何を……」

「俺には、力がある。
 俺は、試したいのだ。
 あらゆるものを打ち倒して、どこまで行けるのか――」

 クロノーは、淡々と話している。

 こちらを論破しようとか、言いくるめようといった打算は、かけらほども感じられなかった。

「これは全て、俺が、己自身のためにやっていることだ。
 だから、たとえ道の半ばで倒れようと、誰も恨まぬ。
 そして、誰が俺を恨もうと、顧みることはせぬ」

(ああ……)

 彼のことばをききながら、あめえばは、不意に悟った。

 大回廊で感じた、異質感。

 向かい合って感じた、奇妙な静けさ。

 その正体を。

「全ては、己の満足のため。――何があろうと、貫くのみ」

 こいつは、純粋なのだ。

 悪意というものがない。

 もちろん、善意もない。

『あらゆるものを打ち倒して、どこまで行けるのか』

 ただ、その道の果てを極めようとしているだけ――

 こいつに対して、善とか悪とかを論じることは無意味だ、と、あめえばは感じた。

 こいつは、そういう次元には立っていないのだ。

 自分が負けても恨むことはしないと彼は言った。

 ただ、自分が戦いたいから、戦う。

 強ければ勝ち、弱ければ負ける。

 そう、全ては、ただ、それだけのこと――

「……なん……」

 何か言わなくてはならない、と、あめえばは思った。

 だが……何を言えばいい?

 そんな考え方は自己中心的だ、とでも? 

 無意味だ。

 彼は、こう答えるだろう。

『そう思うならば、俺と戦い、倒せばいい』――

「なぜだ……?」

 あめえばは、初めて、恐怖を感じた。

 それは、抜き身のナイフを喉元に突き付けられる恐怖とは、全く異なるものだった。

 それは――

 自分が拠って立つべき、確固たる足場が崩れ去る恐怖。

(こいつのしていることは、正しいのかもしれない)

 あめえばは、そう、感じてしまったのだ。

 なぜなら、こいつを論破する方法が見つからないからだ。

 こいつをへこまそうと思えば、戦うしかない。

 負ければ、こいつを止めることはできない。

 勝てば、結果的に、こいつの主張を肯定したことになってしまう。

 自分の思いを貫くために戦い、相手を殺すことを――

「……なぜだ、クロノー?」

 それでも。

 胸の内に、巨大な違和感があった。

(そうじゃ、ないんだ)

 ――だが、何が『そう』なのか、自分でもよく分からなかった。

 それでも、確信がある。

 とにかく、違うのだ。

 何がだ?

「……なんで……そう、なんだ?」

「そう?」

 呟いて、クロノーが小さく首を傾げてくるのを見た――

 その、瞬間。

「…………あ」 

 あめえばの心の中で、ぱちん、と。

 音を立てて、何かがはまった。

「だって……お前……アレだ。ほれ。どう、考えても……!」

 そうか。

 ――そう、だ。

 自分の中で、筋が通った。 

「平和なほうが、いいだろーが!?」

 これだ。 

「そう、そうだ、そうなんだよ!
 ……ああ、確かに、お前は強いんだろう。それは、よぉーく分かった!
 けど、どうしてだ!? どうして、その力で争いを起こし、平和を壊す?
 そりゃあお前は、戦えばたいていの相手には勝つんだろう。しつこいけれども、それは分かった! 
 だが、なぜだ!? 自分の腕試しのために、みんなが幸せに暮らしてるとこを遠慮会釈もなくぶっ壊そうなんて、よく、そんなことをしようと思えるな!
 私は、不思議だ! どーにも不思議だ。意味がわからん!
 なんで、そんなことになるんだ!?
 なんでっ!?」

 全力で、問いをぶつける。

 クロノーは、2度、静かに瞬きをした。

 それから言った。

「……力を持ちながら、それを振るわぬのは何故だ?
 それは、より力あるものに打ち負かされるのを恐れているからだ。
 みなの幸せだと? そんなことばは、ただの仮面に過ぎぬ。
 貴様は、己が傷つきながら戦うことを恐れ、避けているだけだ」

 彼の内にも、鋼のごとく確固たる信念がある。

 あめえばのことばでも、それは、決して揺るぐことはない。

「平和と平等は、弱者の夢だ。弱き者は、傷つくことを恐れて平和をうたい、自らが貶められることを嫌って平等を唱える。
 己のためと正直に言えばよいものを、なけなしの自尊心を守るために、他人のためという題目で飾り立てる……。
 見苦しいぞ、フラバーの王よ」

「そうじゃ、ない」

 あめえばは、気楽に笑った。

 もはや、彼の心に動揺はない。

「そうじゃないんだ。
 いや、まあ……確かに、お前の言うことも、的を射てはいる。
 その通り、私は戦ってケガをするのは嫌だし、戦って死ぬのはもっと嫌だ。
 何しろ、とことん怠け太郎で面倒くさがり屋なもんだからな。できれば、一生安楽に暮らして、静かにベッドの上でくたばりたいよ。誰も、殴られたり斬られたり焼かれたりして死にたくはない。
 ――だが、な」

 あめえばの内に生まれた、ひとつの答え。

 それは、もはや、決して揺らぐことはないから。

「たとえ、私だけは安楽に、のんべんだらりと寝暮らしていられるとしても……私の民たちが苦しんでいたなら、私は、どうしても、気楽に寝てなんかいられない。
 この国が傷つけられていたなら、私は、決してそれを見過ごしはしない!
 それは、皆のためか?
 違う。
 私のためだ。
 この国の皆が穏やかに、時々怒鳴り合ったり殴り合ったりしながら、それでも穏やかに、笑いながら暮らしていられること――
 それこそが、それだけが、私の望みで、私の夢だ! 
 そうか。そうだな。
 おまえと、同じだ」

 あめえばは、大きくうなずいた。

「他の誰のためでもない。
 私自身のために……」

 抜き身のウンディーネを、ゆっくりと持ち上げる。

 その切っ先を、クロノーに向ける。

「それを壊そうとするおまえを……私は、許すことができない」

 ――そうだ。

 善いとか、悪いとか。

 正しいとか、間違っているとか。

 自衛の場合はどーだとか、侵略だからあーだとか。

 そんなことは、一切、全部、まったくもって、どーでもよかったのだ。

 ただ。

 自分が、大切だと思うもののために。

 自分が、信じるもののために。

 自分が、守りたいもののために――

「斬られるのは嫌いだが……やるぞ。よし、要は、当たらなきゃいいんだ、当たらなきゃ」

 ぶつぶつ呟いて気合いを入れるあめえばに対し、クロノーは――

 1歩、動いた。

 そしてまた1歩。

 ゆっくりと、階段を下りてくる。

 近接戦闘においては、高い位置に陣取っているほうが有利だ。

 あまり高低差がありすぎると逆に戦いにくいこともあるが、高所にいれば敵の頭を狙いやすいし、振り下ろすことで武器の威力も増し、何よりも、心理的な威圧感を与えられる。

 その利点を、彼は自ら捨てたのだ。

 自信の表れだろうか。

 それとも、正々堂々の勝負をしよう、ということなのだろうか?

 クロノーは、あめえばと同じ床に立った。

 わずかに5歩ほどの距離を隔てて、腰の鞘におさめたままの剣の柄に軽く手をかけ、試合の開始を宣言する審判のように、真面目な口調で言う。

「俺と貴様――どちらかが死ぬ。
 どちらかが生き延び、夢をかなえる」

 あめえばは言った。

「死ぬ気はしないな」

「俺もだ」

 答えて、初めて、クロノーが笑顔を見せた。

 ぞっとするような笑顔だが、不思議に透明な印象があった。

 彼はひとりでうなずき、剣の柄を握り、わずかに腰を沈めた。

「それでは始めようか。フラバーの王よ」







   26  ウンディーネ



「あっ、あっ、あーっ! いらっしゃった……!」

 不意に、擦れた、しかし嬉しそうな声が聞こえた。

 フラバーとミカヅキモ一同が、驚いてそちらに視線を向ける。

 見れば、国王親衛隊の鎧を着た若者が、黒い鎧の騎士の肩を支えてふらふらと歩いてきながら、こちらに手を振っていた。

「あ! 貴方は……親衛隊の、スカーフェイスさんじゃありませんか?」

「そうでーす!」

 ユーリに名を呼ばれた血まみれの若者は、なぜか陽気に、ぶいっと2本指を出してくる。

 傷は態度ほどには軽くはないようだが、本人はまだまだ気力充分といった様子だ。

「お……叔父貴!?」

 スカーフェイスが肩を貸している人物が何者であるかを悟り、モッサが目を丸くして叫んだ。

「ああ、お2人とも、ご無事で! でも、どうしてここに……!?」

 モジリンの問いに、エックベルトはわずかに肩を跳ねさせたが、

「あー、あれですよ! つまり、陛下と晩御飯のおかずを取り合ってですねー」

 スカーフェイスが、いたってあっけらかんと、訳のわからん説明をする。

「あ、兄上は……?」

 傷だらけになり、派手に頬を腫らしたエックベルトは、その場に集まっている全員の顔を見渡した。

 だが、そこに兄の姿はない。

 空しくさ迷わせた視線を、最後に、答えを求めるように向けた先――

「あめえばなら、あそこにいるわ」

 ししょーは、塔の下を見つめて言った。

「城に侵入したブラックバスの皇帝と、決着をつけに行ったのよ」

「皇帝と……!?」

 目を見開いたエックベルトとスカーフェイスに、他の面々が、またもや一斉に事情を説明しはじめる。

 わあわあぎゃあぎゃあ、まるで朝市の喧騒のようなやかましさになったが、

「な……何と……何ということだ……!」

 ――なぜか事情は分かったらしい。

 このあたりは、やはり兄弟というべきか。

「母上、今からでも、兄上の加勢に!」

 とん、と。

 叫んだエックベルトの肩を、ししょーが指先で軽く突く。

 それだけで、彼は地面に崩れるように膝をついていた。

 兄との対決のため、全力を振り絞って魔術を使ったエックベルトの体力は、もはや、自分自身の身体を支えることで精一杯なほ どに消耗し切っていたのだ。

 ――では、あめえばもまた?

 自分との戦いに消耗した状態で、兄は、ブラックバスの皇帝と……

「く……」

 自分自身のしたことに対する後悔と、兄の身を案じる心で手で震えた。

 涙を浮かべて己の膝を握りしめたエックベルトの頭を、ししょーの手が、くしゃくしゃっ、と撫でた。

 何も知らないはずなのに――まるで、全てを知っているかのように。

「大丈夫よ。あの子ならね」

「……あれ? ドー、何してるの?」

「んー」

 ドイッチの問いに、世継ぎ王女は、組み合わせた手をほどかないまま、笑顔で答えた。

「おいのり。
 どうか、にょろさまと、ふるきかみさまが、とーさまをまもってくれますように……」

 フラバーたちは、目を見合わせた。

 そして――

 1人、また1人と。

 胸の前で、手を組み合わせる。

 祈りを捧げるときの仕草。

 どうしようか、というように一瞬視線を交わしたミカ、ヅキ、も、

「……あたくしたちの土地の守護神ではないけれど……」

「まあ……こんな状況ですし、多分、バチは当たらないんじゃないですか〜?」

「………………」

 やがて静かに手を組み、共に祈り始めた。

「どうか……」

 守ってください。

 息子を。

 兄を。

 夫を。

 父を。

 主君を。

 盟友を。

 ――どうか――

「ここは……やっぱり、私の役目ですよね」

 ドイッチが、ゆっくりと進み出る。

 彼女はまっすぐ天に錫杖をかざして、静かに呪文を呟き始めた。 



     *      *      *



「はー、まったく、参っちゃうわねー」

 ちょんちょん、と爪先で装甲スーツの巨体をつつき、かっきーはげんなりと呻いた。

「まさか、こんなとこでエネルギー切れになっちゃうなんて……。替えのパワーストーンがないんじゃ、スーツを持って帰ること もできやしないし……」

 彼女の装甲スーツは今、顔面から地面に突っ伏したような情けないポーズで地面に倒れている。

「ほーっほっほっほ! まだまだですわね、かっきー」

 こちらも似たようなポーズで倒れた装甲スーツの上にしとやかに座り、ババリンが高笑いを上げた。

「エネルギー切れになったのが、仕事が済んだ後でよかったじゃありませんの。――どんな困難のさなかでも、そこに一抹の希望 を見出す! これが、科学者の心意気というものですわ!」

「お姉さまの場合、むやみにポジティブすぎるだけだと思うんだけど……。
 ――あああ、気になるー!」

 半眼で呟いておいて、いきなり、かっきーはいらいらと地面を歩き回りはじめた。

「城のほうは、いったいどうなってるのかしら!? マホナンヌお母さまがいらっしゃるから、まあ大丈夫だとは思うけど……」

 ぺらぺらっと言い募った彼女だが、そこでなぜか、急に、ぴたりとお喋りをやめる。

 その場に固まったまま、しばし、虚空に耳を澄ますような顔つきをしていたかと思うと――

 やがて、信じられない、といった顔つきで、姉に視線を送った。

「お姉さま……聞こえて?」

「ええ……」

 優雅に右手を耳にかざして、ババリンは微笑む。

「ドイッチですわね」

「なになに……えぇっ!? あめえばが、皇帝と……!? うっそ、大変!」

「あらまあ」

 おっとりと呟いておいて、ババリンは、静かに両手を胸の前で組み合わせる。

 かっきーは、ばたばたと慌てた。

「ちょ……ちょっと、お姉さまっ!? 不吉なポーズはやめてよ! あめえばは、まだ死んだわけじゃないんだから!」

「違いますわよっ! あの子の勝利を祈ってるのですわ!」 

「……あ……そ、そう? あー、そりゃ、そうよね! うんうん」

「ほら、かっきー。あなたも……」

「オーケー……」

 北の海辺で、国王のおば2人組が、静かに祈り始める。



     *      *      *  



 キュルルゥ……?

 ランドローヴァルが、不意に、何かを感じたように首をもたげた。

「な、何……!?」

 もしや新たな敵か? と身構え、棒切れ片手に立ち上がったエリスだが、

「……あ……」

 彼女もまた、何かを聞き取ったように、ランドローヴァルと同じ方向に顔を向ける。

 それは、王城がそびえ立つ方角。

「ドイッチさま……?」

 耳には聞こえぬ呼びかけに、しばし熱心に耳を傾けていたエリスだが――

 やがて、大きくうなずくと、握りしめていた棒切れを地面に捨てた。

 傍らに横たわる、動かないヨネの手をしっかりと握る。

 もう一方の腕を、身を寄せてきたランドローヴァルのがっしりとした首に回し、彼女は静かに目を閉じた。

「一緒にお祈りしましょう……どうか、陛下が、ご無事で戻られますように……」

 

     *      *      *  



 市街地で。

『避難所』で。

 島の、あらゆる場所で。

 フラバーの国民たちは、その呼びかけを聞いていた。

「……おうっ、聞こえたか……!?」

「ええ、大神官さまね!? はっきり聞こえたわ!」

「王様が、敵の親玉と戦ってらっしゃるんだとよう!」

「何っ、そりゃいけねえ! よし、皆、集まれ! 応援だ!」

「……応援歌でも歌うのかぁ?」

「バッカ、ちげーよ!

 ほれっ、大神官さまが、おっしゃってるじゃねーか……! 気持ちをひとつにして、王様のご無事を祈るんだよ!」

「わかったわ、あんた!
 さあ、おいで、みんな。みんなで、王様のためにお祈りしようね……」



     *      *      * 



(……ああ……)

 あめえばの口元に、笑みが浮かんだ。

(あったかい……)

 ギャッ、ギギギギィン!!!

 刹那の間隙もない、凄まじい打ち合いだ。

 切っ先が光の速さで飛び交い、刃が疾風のように唸りをあげる。

 重い打撃を受けるたびに関節が軋み、剣を振るう腕にも、身体を支える脚にも、疲労が重くまとわりついて動きを鈍らせようと する。

 まるで、この戦争で命を落とした何万もの死者たちが床から手を伸ばし、自分たちと同じところへ来いと誘っているかのような 。

 でも。

(まだだ。
 まだ、私は、そっちへは行けない……)

 どくん。どくん。

 静まり返った世界に、ウンディーネの鼓動だけが響いているような気がする。

 柄を握りしめた手から、熱が伝わってくる。

 かっと焼けるような熱さではない。

 それは、柔らかな毛布のような……真冬のシチューのような……誰かの笑顔のような。

 包み込むかのごとき、優しいあたたかさ。

「シッ!」

 雷光の速度でクロノーが突き出した切っ先を見切り、あめえばは最小限の動きでかわしてのけた。

 頬に浅い傷が走り、一筋の血が滴る。

 刃は、肌に触れてはいない。

 クロノーの剣技は、剣聖の域に達している。

 その剣風だけで、肌が裂ける。

 あめえばは無言でウンディーネを振るった。

 息つく間もない連撃!

 深みを流れ渦を巻く水のように、変幻自在の太刀筋がクロノーを襲う。

 皇帝の手甲が弾けとび、血がしぶいた。

 2人の剣士は互いに飛び退って離れ、ぴたりと静止した。

「……なぜだ」

 不意に、クロノーがぼそりと呟いた。

 剣の切っ先を斜め下に向け、微動だにしない。

 凄味を超え、美しささえ感じさせる、完璧な構えだ。

「貴様の身体は、もはや限界のはず。……なぜ、そこまで技が冴える」

 クロノーは、敗北というものを知らぬ。

 己の腕に対し、絶大な信頼を持っていた。

 いかなる達人が心身ともに最高の状態で挑んできたとしても必ず勝てるという、自信を超えた、確信があった。

 目の前にいるフラバーの王と、最初に見合った瞬間、勝った、と感じた。

 ――それなのに。

「あー……」

 ほへら、と。

 あめえばは笑った。

「私には、この国のみんながいるから」

「……何だと?」

 戦いのあいだ、仮面のように動きがなかったクロノーの顔に、初めて、感情の揺らぎと呼べるものがあらわれた。

 それは、かすかな不快の表情だ。

 あめえばの言っていることは、彼には理解できなかった。

 戦士は己の技を研ぎ澄まし、他の誰も至ることのできぬ高みを目指す。

 頼るものは、己ひとり。

 超えるものは、己自身。

 そうであって初めて、戦士は、至高の座を目指すことができる――

 そして、それゆえにこそ、絶対的に孤独。

 それがクロノーの信条だった。

 なのに。

 目の前の男の存在が、それを否定している。

(この男を、倒さねばならない)

 クロノーは、生まれて初めて、そう感じた。

 これまで何万もの命を奪ってきた彼だが、それは、ただ最強を目指すために、立ちはだかる者全てを薙ぎ払ってきただけのこと 。

 だが――

 今、俺は――

 己自身の生き筋を賭けて、この男と戦い、倒さねばならない。

「俺には、誰もおらぬ」

 ぐん、と姿勢を沈める。

 獲物に襲いかかる寸前の肉食魚のように。

「それゆえにこそ……俺は、貴様には負けぬ!」

 ぎゅんっ! 

 切っ先が凄まじい速度で弧を描き、あめえばの喉元を狙った。

 ウンディーネが跳ね上がり、その一撃を跳ねのける。

 続けざまにぶつかり合い、火花を散らす刃はそれぞれの心。

 戦士の意地が、男の信条が激突し、無言のままに激しくせめぎ合った。

 ――命を賭けるのは、何のため?

 試すため。

 守るため。

 ――その果てには、何がある?

 至高の孤独が……

 なんてこともない日常が……

「それでも、私は」

 あめえばは呟いた。

 自分が呟いていることにも気付いていなかった。

 ウンディーネが伝えてくる鼓動。

 温もり。

 ドイッチが繋ぐ、人々の祈りが、空間を超えてあめえばのもとに集っている。

 彼の肉体に生命の息吹が吹き込まれ、太刀行きに神速が宿る。

「……絶対に、負けない!」

 ひゅっ――

 斜め下から一直線に跳ね上げた、その一撃が。

 皇帝が突き出した刃を、半ば近くでガラスのように打ち砕く。

 クロノーは目を見開いた。

 一度は大きく行き過ぎたあめえばの刃が、視界の端でひるがえる。

 折れた剣では、この一撃を受けられない――

 あめえばはそのまま、無心にウンディーネを振るってきた。

 クロノーは――

 剣の柄を、手放した。

 その手を、あめえばのほうへ突き出したまま、後ろへと倒れこんでゆく。

 あめえばの目が、ゆっくりと見開かれる。

 クロノーは倒れながら、一言、鋭い叫びをあげた――

「氷結せよ!」

 ぱっ、と花のように血がしぶいた。

 クロノーの喉が皮一枚、裂けて、彼は背中から王座の間の床に叩きつけられる。

 そして。

「……っがっ……!?」

 あめえばは大きくよろめき、膝をついた。

 ウンディーネを握る、彼の右腕。

 そこに真っ白な氷塊が結晶し、利き手の自由を完全に自由を奪っている。

「ま……魔術、か……!」

「豪胆な男だ」

 クロノーが、ぼそりと言った。

 彼はすでに折れた剣を拾い上げ、立ち上がっている。

「避けられぬとわかった魔術を、寸前で剣を振るって払いのけるとはな……。凡庸の戦士ならば、今の一撃で氷柱と化していたも のを」

 そのことばに、誇る様子はない。

 むしろ、誇りを傷つけられたような口ぶりだった。

 だが、あめえばを責めているわけではない。

「斬り合いで、俺をここまで追い込んだ男は貴様が初めてだ、フラバーの王よ。俺が魔術を使わなければ、おそらく、貴様が勝利 をおさめていただろう……」

「過分なお言葉だな……」

 あめえばは、どうにか笑ってみせた。

 凍りついた手に鋭い痛みを感じたのはほんの一瞬で、今はもうまったく感覚がない。

 おそらく、表面に氷が貼りついただけではなく、腕そのものが凍り付いてしまっているのだ。

 早く何とかしなければ、この腕は壊死して使い物にならなくなるだろう。

 いや、それよりも――

「……なんか……そーゆーの、流行ってるのか? 剣も使うし、魔術も勉強するっていう……」

 何とか立ち上がりながら、あめえばは言った。

 エックベルトの例で、そういう可能性も考えておくべきだった。

 だが、そんなことを今さら思っても仕方がない。

 今、目の前の敵を、どうするのか――

「私も、才能さえあれば、やってたかも知れないけど……。
 おい、もう、他に隠し玉があったりしないだろうな? 氷づけならまだしも、火ダルマやら雷ダルマやら生き埋めやらは、是非とも 避けたいところだからな……」

「俺の使う魔術は、これだけだ」

 折れた切っ先を見下ろしながら、クロノーは答えた。

「北方には、魔術の才を持って生まれる者はそうはおらぬ。俺の力は忌み嫌われ、幼い頃は、使うことを禁じられていた。
 そのことは、有利にも働いたな。俺が魔術を使うことを知る者は少ない。油断して襲いかかった刺客どもを、この技で大勢屠ったも のだ」

 やがて、己の剣から視線を離し、まっすぐにあめえばを見つめてくる。

「……フラバーの王よ。その腕では、もはや剣は扱えまい。
 降伏するか?」

 あ、立ち直っちゃった……まずいな。

 あめえばは一瞬、そう思い、それから、この期に及んであまりにも緊張感のない自分に笑いそうになった。

 起死回生の一策……これまで、どんなピンチのときも、限界ギリギリでむちゃくちゃな奇策をひねり出し、どうにかこうにか乗 り越えてきた自分だ。

 ――だが、今回だけは、さすがに、何も思いつかない。

「おまえが相手じゃ、降伏するのも斬り死にするのも、大して変わらないような気がするんだが……」

「降伏するなら、一撃で首を落とす。苦しませはせぬ」

 淡々と告げるクロノーの表情には、もはや迷いの色はなかった。

 正々堂々の勝負ではなくとも、勝てば、勝利には違いないのだ。

 ここまで、数万人を紙くずのように引き裂いてここまで来た。

 こんな場所で、止まることはできない。

 ――そして、あめえばもまた。

(何も思いつかない……何も、思いつかないけど……)

 でも。

「投げ出せないんだ」

 それだけ、呟き――

 あめえばは、いきなり、クロノーに向かってダッシュをかけた!

 もはや右腕は持ち上げることもできない状態で、まさか、そのまま突進してくるとは思わなかったのだろう。

 さすがに驚きを表情に浮かべ、クロノーは、反射的に折れた剣を振るってくる。

 だが、その反射速度が仇になった。

 武器のリーチが短くなっていることを計算に入れなかったのだ。

 通常の呼吸のままに繰り出した一撃は、あめえばの鼻先をかすめて空振りし――

 そして、

「どりゃあああああ!」

 床を蹴ったあめえばの身体が、頭から、どかんと皇帝にぶち当たる!

「ぐふっ!?」

 2人は、もろともに床に転がった。

 衝撃で、クロノーの手から剣が離れる。

 とっさに武器を求めて床を探った指を、あめえばの左手が押さえつけた。

 クロノーが仰向けに倒れ、その上にあめえばが馬乗りになっている状態だ。

 一瞬、あめえばが遠い目をする。

「ああ……どうせなら、モジリンとかヨネとかみっちいとこんな感じに……」

「! ――ふざけるな!」

 クロノーが突き上げた左手の拳があめえばの顎をまともにとらえ、彼は床に転がり落ちた。

 もはや、王と皇帝の一騎打ちというよりも、ただのケンカと化している。

 2人は無言で立ち上がり、同時に殴りかかった。

 拳が交錯し、蹴りが飛ぶ。

 互いの息遣いと、重い殴打の音、短い苦鳴だけが荒々しく響く。

 ドカッ!

「がっ……」

 ストレートをまともに左頬に受けて、クロノーが大きくよろめいた。

 苦痛と怒りに、目の色が変わる。

「この!」

 ぼっ! 

 風を巻く、上段回し蹴り。

 戦鎚のフルスイングに匹敵する衝撃を生むその一撃を、あめえばは、とっさに振り上げた右腕の氷塊で防ぎ――

 ビシィッ……!  

 その瞬間、凍りついた彼の右腕が、嫌な音を立てた。

 氷塊に大きな亀裂が走り、苦痛の波が全身を走り抜ける。

「はあっ!」

 あめえばの動きが、止まる。

「……終わりだ!」

 上段回し蹴りでぐんと上半身を下げた状態から、軸足を支点に、クロノーの上体がつむじ風のように跳ね上がった。

 その手には、きらめく刃が握られていた。

 ウンディーネの一撃によって折れ砕け、床に転がっていた剣の切っ先。

 それを一瞬のうちに素手で掴み取ったクロノーは、己の指が裂け血が流れるのも構わず、逆手に握った刃を、あめえばの脇腹に 突き立てる!

「がっ……」

 あめえばの身体が、硬直する。

 悲鳴が喉の奥に貼りつき、呼吸を奪う。

 脇腹に突き立った刃が、ぐっと捻られ、引き抜かれる。

 そして――

 彼の意識は、遥か遠いところへと落ちていった。



     *      *      *

 

「!」

 忘我の表情で呪文を唱え続けていたドイッチの手から、突然、カシャーン……と錫杖が落ちた。

「どっ――どないしたっ!?」

 慌ててモッサが支えるが、ドイッチはそのまま、身体を丸めて地面に座り込んでしまう。

「ドイッチさん!」

「何? 食あたり!?」

「……わ……分からない……!」

 口々に叫んで駆け寄る家族たちに、表情を歪め、呻くドイッチ。

「ただ……今……ものすごい衝撃が……」

「では、兄上は、苦戦なさっているということかっ!?」

「とーさま……」

「と、とりあえず、わたくしがドイッチさんに治癒の魔術を……!」

 言ったモジリンの目の前に、すっ、とドイッチの手のひらが突き出される。

 彼女は錫杖を引き寄せ、それにすがって立ち上がろうとした。

「あの、その、そんなに無理をなさらないほうが!」

 横でスカーフェイスがわたわたと慌てるが、

「無理?」

 ドイッチは、にやりと――にこりでも、くすりでもなく――笑って、王城を見上げた。

「あの、ナマケモノとタメを張る面倒くさがり屋の父上が、今、むちゃくちゃがんばってるんですから……。ちょっとくらい無理 をしておかなくては、王の娘の名がすたるというものですよ!」

「おぉ……! がんばれドイッチ!」

 モッサが、感動したように握り拳を作って叫ぶ。

「死んだら、骨は拾うたるからな!」

「死にませんよっ! 縁起の悪い!」

「われもひろうー」

「だから、死にませんってば!」

「じゃあ、私も」

「ユーリ! あなたは、わざと言ってるでしょうっ!?」

 ぎゃあぎゃあと言い合い、次の瞬間、ぴたりと口を閉じて。

(父上……)

 王の子どもたちはその心をひとつにして、守るべき人のもとへと飛ばした。



     *      *      * 



(……ああ……)

 どことも知れぬ広大な空間に、今、あめえばは1人きりでいた。

 何の説明があるわけでもないが、ここが水中である、ということを、漠然と感じる。

 そして、彼の身体は、おそろしい速さで沈み続けていた。

 王城の堀に飛び込んだときのことを思い出す。

 ほんのわずか前のことなのに、あれから、もう千年も経ったような気がした。

 そして、あのときは無我夢中でもがくこともできた身体が、今は、石のように動かない。

 喘ぐように口を開いたが、吐き出すべき呼気すら、もう残っていなかった。

 水面のきらめきが、たちまち遠ざかっていく。

 果てしないように思われる周囲の空間が、どんどんと暗さを増し、彼を包み込んでいった。

(おしまいだ……
 守れなかった……)

 全身を締めつける圧倒的な水圧さえ、その絶望感の前では無に等しかった。

 フラバーは滅びるのだ。

 王家も、国も。

 国民たちは帝国に弾圧され、家族たちは殺されるだろう。

 自分の力が、至らなかったから。

(許してくれ……)

 膨大な水に囲まれていては、涙さえも流れなかった。

 ――そのときだ。

『此処に在るは、何か?』

 あめえばは、ぎょっとした。

 まったく聞き覚えのない声が聞こえたのだ。

 いや、それは、声などというものではない。

 凄まじい振動であり、衝撃波そのものだった。

 その圧倒的な意思の前では、あめえばの意識など津波の前の小枝細工に等しかった。

 凄まじい波に飲み込まれ、翻弄され、もう少しで粉々に打ち砕かれそうになった。

 砕け散りそうになった意識を、かろうじて支えたのは――直前まで考えていた、家族たちの面影。

『答えよ。

 此処に在るは、何か?』


 2度目の呼びかけ――と言ってよいものか?――は、最初と比べれば、心なしか穏やかになったように思えた。

 ここ、ってどういうことだろう、とあめえばは思った。

 そういえば、呼びかけの声は、ある一方向からだけではなく。全方位から一度に響いてきているようだ。

 ならば、ここ――つまり、この空間全てが、今、あめえばに呼びかけている存在そのものであるということなのか?

 てっきり、死後の国にでも来たものと思っていたのだが――

(そういうあなたは、どこのどちらさまでしょう……?)

 あめえばは、心を投げかけた。

 人知を超えた大いなるものに対しても、まったく恐れ入っていない。

 それが、あめえばのあめえばたる所以だ。

 彼は、こう考えていた。

「ここ」が「それ」であるならば、きっと、この疑問を受け取ってくれるに違いない、と。

『我は、此処なり』

 思ったとおり、巨大な意思が返ってきた。

『我は水、我は海、我は泥、我は島。

 永久の眠りを欲するもの。

 深海の静寂、暗き淵の底より呼びかけるもの。

 永遠のまどろみのなかにたゆとう存在なり』


(ああ、つまり……)

 不意に湧き上がった畏怖の念とともに、あめえばは、呼びかけの主の正体を悟っていた。

「いつもお世話になっております……。
 私は、フラバー王国第3代国王、あめえばと申します!」

『……なるほど』

 あめえばの名乗りと共に。

 突然、彼の目の前に、ぷっかりとひとつの姿が現れた。

『お前が、か』

 うんうん、とうなずきながら言った人物は――

 女、に、見えた。

 だが、全身が、発光するプランクトンの色にぴかぴかと輝いている。

 たなびく衣は、真っ白なワカメにも似て――

 とどめには、なぜか頭上に冠のように載せられた水車がぐるぐると回っていた。

「…………お邪魔しました…………」

『待て待て。
 そう、急いで帰るでない』

 がっしとあめえばの肩をつかんで、その女(?)は笑った。 

「いえあの……すみません。プランクトンもワカメも水車も間に合ってます」

『我は押し売りではないわ! 失礼な』

 怒ると、頭上の水車がぶんぶんと回転数を上げる。

『我が名は、せいこ。
 我が存在の、万分の一の顕現であり、建国の瞬間より、そなたらを見守り続けてきた者である』

「あ……あなたが!? あの、汚い署名を書いた――」

『汚くなどない!』

 ぶんぶん。

『我は、永久の眠りを欲する者。
 長く戦乱の続いたこの島に、マホナンヌとやらが平和をもたらした。
 平和の静寂は、我の好むところのもの。
 ゆえに、我はマホナンヌと契約を交わし、この地の統治権を与えたのだ』

 せいこ神――つまり《古き神》の万分の一の顕現の姿――のことばに、あめえばは、うつむいて唇を噛んだ。

「しかし……もう、その平和は失われてしまいました。
 守ろうとしたのです。
 けれど、私には、力が足りなかった……」

『まだ、方法はあるぞよ』

 せいこ神の口ぶりはこの上なく軽いもので、さしものあめえばも、反応するのに数瞬を要した。

「……え? ……でも……私は、死んだんじゃ……?」

『違う』

 せいこ神の口調はゆるぎなく、また、友を力づけるような労わりに満ちていた。

『確かに、そなたの肉体は今、死に瀕している。
 肉体と魂との結びつきが弱まったゆえ、我が使わした武器にして我が分身たるウンディーネの力が、そなたを此処に呼び寄せたのだ。
 此処は冥界にあらず。
 ――我が見る夢。
 永遠にまどろむ神の、夢のなかである』

「では……まだ、私には、皆を助ける道が残されていると!?」

 せいこ神の細かい話など、あめえばはほとんど聞いていなかった。

 目の色を変えて、目の前の女(?)に迫る。

「どうか、教えてください! どうすれば、皆を助けられるのです!?」

 問いかけると、不意に光る女(?)が、ぐぐっと上体を近付けてきた。

 あめえばは、それを避けずに待った。

 輝く指が額に押し当てられ、同時、脳裏に直接、奔流のような意思が流れ込んでくる。

 それは、ことばではなく、思考、映像、感情そのものであった。

 いずれも、並の身ならば耐えられぬほどの、圧倒的な鮮烈さ。

 だが、あめえばは、それに耐えた。

「…………ああ…………」

 神からのとてつもない提案に、半ば忘我の状態で呟く。

「それは……まさか……
 それほどまでに……巨大な術が……?」

『我が力を以ってすれば、可能である』

 せいこ神は、あっさりと言った。

『我が望みは、永久の静寂と眠りなり。
 戦いを終息させんとするそなたの意思は、我が望みと一致する。
 されど、我が力は、そなたらと比せば、あまりにも巨大。
 我が力がかの世に具現すれば、そなたらの敵のみならず、そなたら全てをも巻き込むこととなろう。
 それでも良いか?』

「……うーん……」

 あめえばは、難しい顔をした。

 それから、突然慌てたように、ぱたぱたぱたっと手を振る。

「あ、いや。私はもう、何でもいいんです! 覚悟はできてます。
 ――しかし……一族の皆や、国民たちに、その気持ちの用意があるかどうか……」

 と、そのときだ。

(――うえ……
 父上ッ!

「おわ!?」

 突如、耳元で響いた大声に、あめえばは驚いて何もない空間でひっくりこけそうになった。

「ド……ドイッチ!?」

(えっ?
 ――あ、凄い! はっきり通じてる!?)

『おお。我が分身たる《にょろ》に仕える娘か』

 さすが神様と言うべきか、まったくもって慌てることなく、せいこ神。

『《にょろ》の力が、かの娘の思念をこの場に送り込んでいるのだ。
 ちょうどよい。
 我らの計画を実行してもよいかどうか、今、きいてみたらどうじゃ?』

 まるで、今日の晩飯はカレーでいいかきいてみろ、とでもいうような調子だ。

 こんなんでホントにいいのかなあ……と思いつつ、あめえばは、意思の波を送り出した。

 ――それからしばしの沈黙は、さすがに、この計画の大胆さに衝撃を受けたためだろうか。

 しかし。

(……大丈夫です!)

 ややあって、返ってきた思念は、ぐっと親指でも立てそうな雰囲気に満ちていた。

(大神官ドイッチ、異議ありません! ……っと!?)

(……おう、通じたっ! こら、オヤジ! オレのほうもOKじゃ! バシッと決めろや!)

(これも戦士としての修行というやつですね。楽しみです!)

(とーさま、がんばれー。われ、おうえんしてるぞ)

(兄上、あなたの決断に従います!)

(あなた、ついていきますわ。ご無理だけはなさらないでね?)

(あめえば、あんたを信頼しているわ。お母さまも無事よ。心配せず、思い切ってパァーッとやんなさい!)

(陛下ぁぁぁ! このスカーフェイス、陛下を信じておりますよおぉぉぉ!)

(あめえばー、聞こえてる? エンスト組のあたしたちだけど、北の海岸から成功を祈ってるわ!)

(オーホホホホホホ! あなたにならば、できますわよねっ!)

(陛下、ヨネさまとともに応援させていただきます!)

(キュルルルルゥ!)

(カーッ! 俺らの知らねえ間に、とんでもねぇコトになっちまってるじゃあ、ありやせんかっ! 俺らのために、そこまで…… )

(王様がそこまで身体を張ってらっしゃるんだ、俺たち国民一同、どこまでも王様についていきますぜっ!)

(とうとう、おしまいかい……悲しいけど、ごちゃごちゃ言ってられないね!)

(そうそう、背に腹は変えられない、って言うじゃないか。大丈夫。どうにかなるさ!)

(痛くない? ねえ、痛くない? ――じゃ、いいよ! 僕たちも、王様に賛成だ!)

(うん、賛成!)

(さんせーい!)

「……みんな……」

『どうやら、決まったようじゃな』

 万感の思いを込めて呟くあめえばに、せいこ神が、静かにうなずく。

『されど、簡単なことではないぞよ。
 ウンディーネこそ、我が分身にして、我が力を、かの世へと顕現させる扉。
 あめえば、そなたはいま一度、かの世へと戻り、王の名において、扉を開かねばならぬ。
 しかし、そなたの肉体には、あまり時間が残されてはおらぬ。
 失敗すれば、全ては終わる。
 できるか?』

「――ええ」

 あめえばは、にやっと笑った。

 はからずも、それはつい先ほどドイッチが浮かべたのと同じ、不敵な微笑み。

「やりますよ! ていうか、やるっきゃないですよ。
 こうなったらもう、ヤケクソですよヤケクソ! わははははは……
 って……ちょっと、待って下さいよ?」

 不意に真顔になって、

それは、いいんですけど――その後は、どうなるんです?
 私たちはいったい、何処に……?」

『そなたには、血のつながらぬ娘がいよう。
 そして、その母が――』

「……ホントですか?」

 その瞬間、あめえばの顔に、何ともいえず嬉しそうな笑みがにまーっと広がった。

「それなら……もう、ますますがんばっちゃいますよ!
 うおおおお、俄然、燃えてきたあーっ!
 ……ていうか……
 あの、まず、どうやってここから戻ればいいんでしょう……?」

『耳を澄ましてみるがいい』

 せいこ神の顔に、笑みが宿っている。

『そら……そなたを、呼んでいる』

 いつの間にか、あめえばは、自分の身体が凄まじい勢いで浮上しつつあることに気がついた。

 水面のきらめきが、瞬く間に近付いてくる。

 そこから来る光、そのきらめきのひとつひとつが泡のように弾けて、かけがえのない人々の声となった――

(がんばれっ、あめえば!)

「……もちろんです!」

 満面の笑顔で、あめえばは叫び――

 きらめきの水面を突き破るその瞬間、水底からせいこ神が両手を伸ばし、思念のエールを投げかけるのを感じた。

 いざ、勇敢なる王よ、帰還せよ。

 新たなる旅立ちのために。

   

     *      *      * 



(……あ……)

 水面に浮かび上がるように、あめえばは目を開いた。

 自分は、どうやら床にうつぶせに倒れているようだ。

 視界は一面、血の色に染まっていた。

 床に流れる、自分自身の血の色に。

 意識を失っていたのは、どうやら、時間にすればほんの数秒のあいだだったらしい。

 そうでなければ、今、命があるはずがなかった。

「残念だ」

 頭上から聞こえてくる男の声も、もはや明瞭には聞き取れない。

「お前も、また、俺を上回ることはなかった……」

 傷口は見えずとも、もはや助からない傷だということがはっきりと感じられる。

 自分の命がもつのは、あと、ほんのわずか。

 氷結の魔術をかけられたときとはまた違う、砂のような無感覚が全身を侵している。

 それは、むしろ心地よくさえ感じられ、あめえばの意識を強烈に引っ張ろうとした。

 ――ただ、一箇所。

 凍りついた腕を、糸のように伝わってくる、一筋の光明のような熱――

 ウンディーネ。

 そこから伝わる温もりだけが、彼の意識を支えていた。

(さあ、急いで……やらなくては……)

 どうすればいいのかは、もう分かっている。

 せいこ神の神託――

 夢か、あるいは、幻覚だったのかもしれない。

 しかし、そのいずれでもないという確信があった。

 あれは、現実にあったことなのだ。

 ――ならば……

 彼女が教えてくれたことも、また、真実であるはず。

「ほう?」

 ずるり、と血の海の中から身を起こそうとするフラバーの王の姿に、クロノーは、ほんのわずかに目を見開いた。

 こやつは、何をするつもりだ?

 この様子では、もはや立ち上がることもできまい。

 すでに、勝負は着いているというのに。

(ああ、どうか……)

 あめえばは、祈っていた。

 もう、身体のどこにも、立ち上がる余力など残っていない。

 だが。

(守りたいんだ)

 この国の人々を。

 祖母を。

 母を。

 叔母たちを。

 弟を。

 妻たちを。

 そして、子どもたちを――

(どうか、力を)

「……貴様、なぜ……」 

 クロノーの声が擦れた。

 あめえばは、立ち上がった。

 よろめく足を渾身の気力で支え、凍りついた右腕にウンディーネを掲げる。

 だが、腕と一体化してしまったその切っ先は、思うような方向に向かない。

「く――」

 彼は、凍りついた自分自身の腕をつかむと、 

「う、あ……おおおおおおっ!」

 ばきぃっ、と鈍い音をたて、氷塊もろとも、自分の右腕をへし折った!

「馬鹿な」

 その凄まじさにクロノーは思わず後ずさったが、彼とて百戦錬磨の戦士である。

 気圧されたままでは終わらない。

「狂ったか。ならば、とどめを刺してやるまで――!」

 折れた剣を振り上げ、あめえばに迫る。

 時間がなかった。

「ウンディーネよ!」

 あめえばは叫んだ。

「フラバーの王の名において――」

 くるり、と切っ先を返し、自分自身の心臓に切っ先を擬する。

「何っ!?」

 クロノーの剣が、振り下ろされる――

 間に合え。

 あめえばは、渾身の力で祈った。

(――フラバーの王の名において!
 我、今、神の力の扉を開かん――)

 どうか、皆を。

 呟いて、あめえばは、自らの心臓にウンディーネの刃を突き立てた。

 その傷口から――

 純白の光が、爆発する。

 光はふたりの男の目を焼き、王座の間を満たして、四方へと広がっていった。



     *      *      *   



 王城から、無音の爆発のように白い光が広がった。

「な……!?」

 目を見開いたフラバーたちの前で、奔流のように四方に溢れ出した光は、巨大な花が閉じるように一筋に収束し、天空を貫く光 の柱となった。

 やがて――

「こっ……これは……?」

 最初にそのことに気付いたのは、ドイッチだ。

 ――澄み切った青空から、無数の、光の粒が降り注いでくる。

「光の、雪……?」

「きれいだー」

 喜んで手を伸ばしたドーの手のひらに、光の一片が静かに舞い落ちた。

 蛍にも似たその光は、しばらくそのまま留まっていたかと思うと、やがて、すうっとドーの手のひらに溶け込むように消えてい く。

「んー?」

 彼女は、前髪を揺らして首を傾げた。

「これ、ゆきとちがう。あったかい……」

「あん、もう! ちょっと、何なのっ!?」

 ミカはマントをばさばさと振って避けようとしているが、そんな努力も効き目はないようで、光の粒は、その場にいる全員の身体に降り注ぎ、静かにしみ透っていった。

「おっ……」

 驚いたような声をあげたのは、モッサだ。

 彼女の身体に走っていた無数の傷が、光の粒と同じ色にうっすらと輝きはじめている。

 やがて、それは周囲の肌にも広がり、やがて、全身が淡い光に包まれた。

「痛みが消えた……。こ、これは……!?」



     *      *      * 



 同時刻、第3研究所の跡地で――

 エリスとランドローヴァルは、驚きに固まったまま、その壮大な光景を見つめていた。

 やがて、雪のように光の粒子が舞いはじめ、彼女たちの頭上にも降り注ぐ。

 もしや何か危険なものでは? と一瞬思ったが、

(いいわ。どうせ避けられないんだし)

 エリスは覚悟を決めて、全身で光の粒を受け止めた。

「あ……」

 触れると、本物の雪のように溶けて、その部分がほのかに光る。

 エリスは、何とも言えず心地よいあたたかさを感じた。

 疲労で棒のようになっていた手足に、しみ入るように力が戻ってくる――

 そのときだ。

 不意に、つないだままだった手が、ぐっと握り返された。

 エリスは、目を見開き、そちらを見た。

 これまで何度呼びかけても微動だにしなかったヨネの口元に、今、ほんのかすかな笑みが浮かんでいた。

 目は閉じたまま、その唇が、小さく動く。

「ヘ……イ……カ……」

「ヨネ様っ!?
 ――や……やったあぁー! バンザーイ!」

 キュウウウウウウ!

 涙を流して喜ぶエリスに、ランドローヴァルも歓喜の雄叫びをあげる。

 その様子を、ヨネのかたわらに寄り添うみっちろ人形の黒い瞳が、じっと見上げていた。



     *      *      * 



 島のいたるところで、フラバーの国民たちがその光を見上げている。

 優しい雨のように、光の粒子は人々の上にあまねく降り注ぎ、傷と疲れを癒し、島全体を輝きに満たしていった。

「お……」

 傷ひとつなくなった腕を空にかざして見ていたモッサが、小さく声をあげる。

 まるで夢か幻のように、光に包まれた指が、手が、腕が、透きとおりはじめていた。

 ついに、その時が来たのだ。

「……ウンディーネの、光……」

「お母さま!?」

 ししょーの驚きをよそに、マホナンヌは、ああよっこらしょ、とでもいうように、むっくりと起き上がった。

「お母さま……あの子は、扉を開いたわ。
 私たちもまた、それを選んだ……」

「ええ……。皆、本当に、よくやってくれましたね」

 マホナンヌとししょーは顔を見合わせ、穏やかな笑みを交わした。

「ちょ……ちょっと、ちょっとぉっ!? 自分たちだけで分かり合ってんじゃないわよ!
 何なの、コレは! 帝国の新兵器!?
 ――いったいぜんたい、どうなってるのよーっ!?」

 事情がさっぱりつかめないミカが、きゃいきゃいと騒いでいる。

 彼女が一番派手に主張しているが、ヅキやとて、思いは同じだ。

 フラバーたちの思念波によるやりとりのあいだ、この3人は、完全に蚊帳の外だったのである。

「あー、ごめんごめん。……つまり、ね」

 ミカの肩に、ぽん、と手を置き、ししょーは、この上なくあっけらかんとした口調で言った。 

「わたしたちは……この世界から、消えるのよ。
 わたしたちも……あなたも、皇帝もね」

「――消える!?」

 あっさりこんと言われて、ミカヅキモたちがざわめく。

 無理もない。

「な、な、な……何ですってええええッ!? あ、あたくし、そんな話、一っ言も聞いてなくてよ!? いくら帝国を止めるためとはいっても、選りによって、あんたたちと無理心中だなんて……! あたくしは、断じて、断じてイヤですからねーっ!?」

「大丈夫」

 叫ぶミカに、マホナンヌが静かに答えた。

「これは、滅びではないわ。
 ――わたくしたちは、輪廻の輪のなかに入るのです」

 ミカヅキモたちは、顔を見合わせた。

 その言葉の正確な意味は彼女たちの理解の及ぶところではなかったが、全てを見通した予言者のような口調は、不思議とその心を落ち着かせた。

「それは……つまり……」

 ややあって、

「生まれ変わる、ということ?」

 少し疑わしげに問いかけたミカに、マホナンヌは、ゆっくりと頷く。

 銀色の髪が揺れて、細かい光の粒子があたりに散った。

「ここではない場所、今とは違う時にね」

「……いやあ〜」

 片手で頭をかきつつ、はっはっは、とどこまでも気楽に笑ったのは、だ。

「これは、どうも、参りましたねー。まさか、こんなスゴい因縁背負って生まれ変わる羽目になるなんて」

 そんな彼の姿も、すでに、周囲の輝きに溶け込むようにぼやけ始めている。

「いつ、どこに生まれ変わろうが、あんただけは必ず見つけだして息の根止めてやるからね……」

 を睨み、怨念のオーラを漂わせて呟くミカ。

 そのかたわらに、ヅキがすっと寄り添い、彼女の手をぎゅっと握った。

「おー」

 それを見ていたドーが、ぽん、と手を打つ。

 彼女はとことこと進み出ると、小さな手を、手のひらを下にしてひょいっと突き出し、

「――ん!」

 満面の笑みを浮かべた。

「……ああ!」

 ユーリが、こともなげに。

「なるほどね」

 ドイッチが、感心したように。

「……そんなうまいコトいくかぁ? これ……」

 モッサが、ちょっと疑わしげな調子で。

 そして、モジリンが。

 エックベルトが。

 ししょーが。

 マホナンヌが。  

 ――手を、しっかりと重ねあう。

 向こうのほうでは、キングオブファイターズの面々に、スカーフェイスがちゃっかり紛れ込んで円陣を組んでいた。

「……おーおばさまたちとか、ヨネおばさまとか……とーさまも、ここにいればいいのになー……」

「大丈夫」

 心配げに呟いたドーに、マホナンヌが微笑みかけた。

 顔面が、肉体がいくつにも割れ、その内側から、まばゆい光が噴き出した。

 それは周囲の輝きと溶け合い、やがて、光のなかに、すべてのものの輪郭がにじんであいまいになってゆく――

「わたくしたちの物語は、終わったわけではない。
 どんな世界の、どんなに離れた場所に生まれたとしても。
 きっと、また会える……」







   終章



「ん……?」

 高校からの帰り道をたどりながら、みっちいは、ふと目を細めた。

 もう少しで、今歩いている道が大通りと交わるところだ。

 その大通りを走る路面電車の窓から、じっとこちらを見ている、一人の男がいた。

 どこかの高校の制服を着た、しかし高校生とも思えないほど、冷たく乾いた目をした男――

「おおーい」

 横手からかかった、あまりにも気の抜ける声が、みっちいを一瞬にして物思いから引き戻す。

 同時、その路面電車は、目の前をガタンゴトンと通り過ぎていった。

「どないしたんさ? みっちい」

「いや……今、なんか……」

 どう説明したものか。

 悩んだが、結局、そのまんま説明した。

「路面電車から、こっちのほう、じーっと見てる男がいてたから……」

「おう」

 相手は何を思ったのか、うむうむ、と大きくうなずき、

やな」

「何でやねん!?」

 わけの分からんまとめに、バシンとそいつの背中に平手を入れる。

「ぐっほぉぉぉ……」

 そいつは大げさに倒れる真似をして、

 チリン、チリン!

「――うわ!?」

 危うく、後ろから走ってきた自転車に轢かれそうになった。

「コラァ、聞けや!」

 不意に、後ろから怒鳴り声がする。

 振り向けば、声の主は、餅田だ。

「雨村ぁ! コラ、聞けっちゅーねん。この、ハ〜ゲめ〜」

「誰がハゲやねんっ?」

「お〜ま〜え〜や〜」

 奇怪な手つきをしながら言ってくる。

 どうやら、先ほどから雨村に何やら話しかけていたらしい。

 てっきり、隣を歩いている堂島と話し込んでいるとばかり思っていたのだが。

 その後ろからは、土井と米林、百合野、庄治、そして真保田が歩いてくる。

「で、今日のケンタッキーにおまえは参加するのか、せんのか、ハッキリせ〜や〜」

「あー」

 うにょうにょと迫る餅田に、こちらも無意味に奇怪な手つきをしながら、雨村。

「今日はなぁー、アレや。みっちいと本屋行くから、そのまま帰るわ〜」

 皆とは反対方向に帰るはずのみっちいが、こちら方面に歩いているのは、ひとえにそのためであった。

「何やと〜!? 死ねえ〜コノヤロ〜」

 呪いのことばとともになぜか蹴りを繰り出す餅田だが、

「わーはははは」

 雨村はうねうねした動作でその一撃を交わしてのけ、そのまま道の端まで走っていった。

「雨村さんっ……なんか、動きが人間じゃなくなってるでっ!」 

 手刀のポーズでツッコミを入れたのは、百合野だ。

 しかし、他の面々はといえば、雨村の奇怪な行動にも、驚いたそぶりすら見せない。

「ところで堂島くんよ、森田さんの新しい片想いの話、聞いた?」

「うん。彼女もホンマ、色々あるよなぁー。モジモジしてるようで、意外と積極的やもんな!」

「……あっ、土井さん? そういえば、江国から回ってる例のマンガ、どないなった?」

「あー! ごめん。まだ読んでないし。今日読むわぁ」

「ええよ、急がんで! 読み終わったら、柿山と馬場に回したってな〜」

「なあ庄治さん、最近、勉強の調子どう?」

「んー、大丈夫。真保田さんのほうこそ、どうよ?」

「あー、まあ……大丈夫でしょう! とにかく、そう信じることにした」

 と、歩きながら、てんでバラバラな会話を繰り広げる一同。

「あれっ?」

 道の端から戻ってきた雨村もまた、みっちいの手元を見て、最前とはまったく関係ないことを言い始める。

「なあなあ、そのカバンについてる人形、すごいやん! 誰が作ったん? ――ま、まさかお前では!」

 大げさにのけぞりつつ叫んでくる雨村に、

「あー、ちゃうちゃう! ……これはなぁ……」

 説明しようとして、みっちいは、ふと口をつぐんだ。

 制カバンにぶら下がっている、巧みにみっちいの姿をかたどった、この人形は――

 かつて、フラバー島で、ヨネにもらった思い出の人形なのだ。



 ブラックバスとの戦争が決定的になり、自分だけが、こちらの世界に帰されることとなった夜。

『これを……』

 帰還の魔方陣の上に立ったとき、ヨネが駆け寄ってきて、この人形を手渡してくれた。

『私が作ったものです。この島で、私たちと共に過ごされた思い出に……ぜひ、向こうへ持って帰って、飾ってください』

『え……マジで? ……ありがとう!』

『ええ。ほら、同じもの、もうひとつ作ったんです。……戻っていらっしゃるまで、いつも、忘れませんわ』

 にっこりと笑うヨネの向こうでは、あめえばがしきりに身体を伸ばして、あくびばかりしている。

 ぶん殴ったろーか、とも思ったが、やめた。

 あのふざけた態度が、彼なりの、涙をごまかす方法なのだろうから――

『うん! 絶対、また会おうっ! ――さよならっ!』



 ――そして――

 気がついたら、元の世界の自分の部屋で、ベッドに横になっていた。

 ちょっと昼寝をしようと思って横になったときから、時計は、わずかに15分くらいしか進んでいなかった。

 なあんだ、あれは全部、すごくリアルな夢だったのか……

 と、がっかりした、そのとき。

 ふと気付けば、この人形が、枕元に落ちていたのだ。

 ……それ以来、紐をつけて、大切にカバンにつけている。



「これはな……」

 あめえば。

 ししょー。

 マホナンヌ。

 モジリン。

 ドー。

 ヨネ。

 ドイッチ。

 ユーリ。

 モッサ。

 エックベルト。

 かっきー。

 ババリン。

 限られた時間だったけれど、共に過ごした――

 かけがえのない人々。

「前に、な……
 すっごい大事な友達に、もらってん」

「おお……!」

 この上なく納得がいった、という表情で、雨村。

「やはりのう。そんな器用さの必要なブツは、お前には決して作れまい〜」

「うるさいわ!」



 ――それにしても、と、みっちいは思う。

 今朝……まったく、突然に。

 今まで見たこともない連中――つまり、こいつらがぞろぞろと登校してきた時には、一体、どういうことかと思ったが。

 不思議なのは、先生たちもクラスメイトたちも、こいつらの存在に、まったく誰ひとりとして違和感を覚えていないらしい、ということだった。

 見学とか体験入学、というわけではない。

 転校生として、きちんと紹介があったわけでもない。

 まるで『彼女たちは、今までもずっとこの学校にいましたよ』とでもいうように――

 みっちいが、指摘するのを思わず自粛してしまったほどに、まったくもってすんなりと、周囲は、彼女らの存在を受け入れていた。

 そして、こいつらもまた『わしら、中学1年からずーっとこの学校に通ってましたで』というような平然たる態度で、堂々と教室に混じっていた。

 さらに、何にもまして驚いたのは――

 こいつら全員が、まるで申し合わせたように、同時にみっちいに話しかけてきたことである。

 しかも、ずっと前からの知り合いのように、極めて親しげに。

(誰や、あんたらはっ!?)

 とは思ったものの、図々しいまでのそのペースに押し切られ――

 ふと気がついてみれば、なぜか、そいつらと一緒に本屋を目指すべく、帰り道をたどっているみっちいだった。  

 なんでこんなコトになってしもたんやろう……と、みっちいが真剣に首を傾げていると。

「あれ?」

 とことこっと近付いてきた米林が、みっちいの制カバンを指差して、にっこりと声をあげた。

「すごい、すごい。おそろいだ!」

「えっ?」

「その人形……私も、持ってるんですよ!」

 言って、米林は、補助カバンの中に手を入れた。

 持ち手にくくりつけた紐ごとカバンの中に入れてあった人形を、大切そうに取り出してくる。

 それは、つぶらな瞳の、女の子の人形。



 みっちいが持っているのと、何から何まで、そっくりな――



「いつから持ってるのか、あんまり覚えてないんですけど……。
 何だか、すっごく気に入ってて。ずっと、持ち歩いてるんですよ!」

「……まさか……」

 みっちいは思わず、米林の顔をじっと見つめた。

 急に乾いた唾を、無理に飲み込み、おそるおそるたずねる。

「まさか……あのさ。
 米林さんって……あの……」

「おーい。早うせえやー」

 なぜか餅田に追いかけられ、先まで走っていった雨村が、振り返って、ぶんぶんと手を振った。

「どうしました? みっちいさん」

「あ……いや……」

 そっくりな人形たちにもう一度、目を落とし――

「いいねん」

 顔を上げて、にっこりと笑う。



「何でもない。行こう!」



 ――真相は、2体のみっちろ人形だけが知っている。



 こことは違う場所、今とは違う時からやってきた人形たちは、これからも、静かに見つめ続けてゆくだろう。



 この世界でフラバーたちが紡いでゆく、新たなる物語を――



                  【おわり】









   あとがき



 この物語の原型は、私たちが中学3年生だったころに誕生した。

 構想の基盤となったのは、自分たちを「一族」と見なす奇妙なならわしだ。

 私は「国王」で、皆はその親族たちである。

 ――なんでまたそんなことになったのか、今から考えてもよく判らないのだが、とにかく、そういうことに決まった。

「国の名前は、フラバー王国でええんちゃうか?」

 と言ったのは、確かモッサであったように思う。

 かくして、私たちは「フラバー一族」となった。

 各人の「フラバー」としての姿をみっちいがノートに描き出し、能力や性格を皆であれこれと考えて設定した。

 物語のアイデアを書き付けたプリントの切れ端やルーズリーフが、授業中、ひそかに一同のあいだを回ったりもした。

 生まれ出ずる、無数の物語の切れ端たち。

 ――これらを、ひとつのものとしてまとめ上げねばならぬ。

 かくして、私は筆を執ったのである。

 こうして振り返ってみると、これは、実にミラクルな物語だ。

 皆があれだけノッて、様々なアイデアを出してくれたからこそ、この物語は動きはじめた。

 そして、キャラクターたちが皆の分身であるという意識があったおかげで、物語を書くことに関しては非常に移り気な私が、途中で執筆を投げ出すこともなく、ゾウガメの歩みのごとき遅筆ながらもじりじりと書き続け、とうとう、完成にまで漕ぎつけることができたのだ。

 ……いや……

 何というか、もう。

 とりあえず、死ぬまでに完成することができてよかった。

 ホント。

 記念すべきこの日まで、来る日も来る日も――というほど連続的にではなかったが、とにかくひたすら中途半端な原稿をにらみ続けた身としては、ようやく肩の荷が下りた思いである。

 まったくもって自分で勝手に背負い込んだ荷物ではあるのだが、とにかく今、それをあるべき場所に下ろすことができて、非常にホッとしている。

 この物語のあるべき場所とは、フラバー一族の面々のもとである。



 これは、絆と裏切り、友情と謀略、滅びと再生の物語。



 我が親愛なる一族の面々に捧げる物語。



 時に、この時空を訪れ、そして思い出してほしい。

 あの島で過ごした日々のことを。

 究極無敵にアホらしく、かつ馬鹿馬鹿しくも輝かしい、あの、遠き日々のことを――



        フラバー王国第三代国王 あめえば 拝









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