
「おめでとう」
「おめでとう!」
六の月の一日。
《青き髪の女神》の神殿の鐘が盛大に鳴り響き、歓声があがった。
「おめでとうっ! そーら、食らえ!」
「うおお!?」
「きゃあっ!」
「おめでとう!」
祝福のことばとともに、道の両側から花嫁たち、花婿たちに浴びせられるのは、水とワインだ。
リューネに、古くから伝わる風習である。
水を浴びせることには、人生で苦難に遭っても、ともに庇いあい歩んでいくように、という意味が。そして、ワインには豊穣――つまり、子宝に恵まれるように、という願いが込められているそうだ。
《青き髪の女神》は、人と人との出会いと、結び付きとを司りたもう。
つまりは、結婚の守護神だ。
リューネでは、この女神の祭礼の日である六の月の一日に、結婚式が挙げられる風習があった。
それまでの一年に婚約が成立した恋人たちは、この日の訪れを待ちわびる。それだけ、特別な日だった。
兵士の婚約が公になれば、部隊長たちのはからいで、その者は六の月の一日にかかる遠征を免除されるという不文律もあるのだ。
「おめでとう、イーリア!」
「ありがとう、フェリス!」
きれいな赤毛とずぶ濡れの晴れ着から紫色のしずくを滴らせて、イーリアは、輝くような笑顔を見せた。
「ほんとにありがとう、あたしたちの結婚式に来てくれて! 正直、あんたは来られないだろうって、もう諦めてたのよ。だって、部隊を率いてリエザの砦のあたりまで行ってたんでしょう? まさか、間に合うなんて!」
「まあね!」
フェリスはにっこりと笑い、自分よりも頭半分ほど小柄なイーリアを抱きしめた。
戦士として鍛え上げられたフェリスの膂力は、女性としてはかなりのものだ。ふくよかな花嫁の身体が、ごつごつした鎧にぎゅうっと押し付けられる。
「痛い、痛い! フェリス、鎧が当たってるってば!」
「あ、ごめん!」
フェリスは慌てて腕をほどき、手甲をつけたままの手で、イーリアの衣装をばたばたとはたいた。
「服、汚した!?」
「ううん、大丈夫! どうせもう、ずぶ濡れのしみだらけだもん」
「ほんと、ごめん。そのまま駆けつけてきたもんで、武装を解く暇がなくてさ」
「勝ったのね?」
「あったりまえ! ――でも、ほんとに焦ったよ! 間に合わなかったらどうしようかって」
「何だか、悪いわね。ほとんど寝ずに、馬、飛ばしてきたんじゃない? ちょっと隈が出てるみたいよ?」
イーリアが、そっとフェリスの頬に触れる。
その指先は固く、ほんの少しざらついている。働き者の手だ。でも、優しい心遣いに満ちて、あたたかい。
「平気。気にしないで!」
フェリスは、にいっと笑った。
「だって、他でもないイーリアの晴れの日に、親友のあたしが顔を出さないってわけにはいかないもんね! 強行軍には慣れてるし、こんなの何でもないよ。――本当におめでとう、イーリア。幸せになってね!」
親愛の情を込めてイーリアの頬にキスをし、フェリスは、彼女の背後に立っていた若者に指を突きつけた。
「ちょっと、ウルゼル! もしもイーリアを泣かせたりしたら、あたしが押しかけてって、ボッコボコにしちゃうからね!? そこんとこ、肝に銘じときなさいよ!」
「ご心配には及びませんよ、隊長!」
花嫁と同様、頭のてっぺんからつま先までずぶ濡れになった兵士が、イーリアの肩を抱き、誇らしげに言った。
「俺は絶対に、イーリアを泣かせたりしません。――どんな戦闘も、必ず生き延びます。どんなにやばい任務でも、絶対に、生きて戻ってみせます!」
「よーし、その意気!」
フェリスは顔じゅうに笑みを浮かべると、ぐっと腕をかざしてみせた。ウルゼルがすぐに応じ、2人は、勢いよく手甲をぶつけ合った。
がちんと金属音が鳴り、イーリアが笑って首をすくめる。
と、彼女は不意に何かを思い出したように、ぽんと小さく手を打った。
「そうだ。――ねえ、フェリス、手を出してくれる?」
「え……何?」
「いいから!」
面くらいながらも、フェリスは素直に、革の軍手に覆われた手を差し出す。
イーリアは、懐から大切そうに取り出した何かを、その手の上にそっと載せた。
「これは……?」
「お守りよ」
それは、小さな石だった。
そこらの河原に落ちているような、ごく普通の丸みを帯びた石だったが、色が変わっていた。潰した野苺にミルクをまぜたような、何ともいえず愛らしい色合いなのだ。
「へえ、珍しい色だね」
「わたしのおばあちゃんが、娘時代に、エリル川のほとりで見つけたんだって。すごく可愛い色をしてるから、拾って、願をかけて、お守りがわりに身につけてたそうよ。素敵な男の人と一緒になれますように……って」
「へえ……! あの、イーリアのおばあちゃんが、そんなことをねぇ」
歯のない口でがっはっはと笑い、フライパン片手に悪ガキを追いかけ回すイーリアの祖母の姿を思い浮かべ、思わず苦笑するフェリスだ。
「あ、フェリス、信じてないでしょ?」
「ごめん。正直、ちょっと想像つかないかも」
「うん、実はわたしもそうだった。――でもね、これを拾ってすぐに、おばあちゃんはおじいちゃんと出会って、結婚することになったんだって!」
「え、嘘!?」
「ほんと、ほんと! 母さんも、これをおばあちゃんから受け継いでしばらくしてから、父さんと恋に落ちたって言ってた。そして、あたしも……」
わずかに頬を染めてウルゼルを見上げるイーリアの顔は、すでに妻のそれになっているようで、フェリスは、眩しさを感じた。
同時に、目の前にいる親友が、自分を置いて遠くへ行ってしまったような、奇妙な寂しさも――
「へえ、じゃあこの石、ほんとに効き目あるんだ!?」
「そう。……だから、ね。今度は、あんたの番よ」
きっかり二呼吸のあいだ、フェリスは親友の顔を見つめ、それから、慌ててぶんぶんとかぶりを振った。
「……いや、いやいやいや! ありがたいけど、いいよ。こんな大事なもの、もらっちゃ悪いし!」
「いいんだってば。おばあちゃんと母さんも、ぜひフェリスちゃんにって言ってたよ」
「いや、ほんと、悪いから! それに――さすがの石のご加護があっても、あたしには、たぶん無理だと思うし……」
「なーに言ってるのよ!」
イーリアにばしんと二の腕を叩かれて、少しよろけるフェリスだ。
フェリスのように前線に出て戦う者こそ少ないが、リューネの女は強いのである。
「フェリスはこーんなに可愛いんだから、狙ってる奴、多いはずよ! ……たぶん、ちょっと、怖くて言えないだけで」
「怖くて、って……あは、ははは……」
歯に衣着せぬ親友の物言いに、思わず空笑いをあげるフェリスだ。
まさに的を射た発言だ、と思ってしまう自分が、ちょっと情けない。
《辺境の戦乙女》、《皆殺しのフェリスデール》――
このリューネでも五指に数えられるといわれる剣技を持ち、幾多の物々しい二つ名を奉られる、遊撃部隊の隊長。
それが、このあたしだ。
人並みに、恋愛への興味はある。顔のいい兵士がいれば、目で追ってしまうし、声がかっこいいな、と思えば聞き惚れることもある。剣の腕前や、とっさの機転、作戦の見事さに惹かれることもある。
(でも、それ以上には……)
強くありたい。
鋼の剣のように、まっすぐで、強靭な、揺るがない意志を持ちたい。
幼い頃から、誰に教えられるでもなく自然に、フェリスの内には、そんな思いがあった。
弱さを見せない。
迷いを見せない。
いつも雄々しく、皆の先頭に立ち、その姿が、後に続く者の迷いや恐怖を打ち払う。
そんな指揮官に、あたしはなりたいんだ――
そうやって戦いに明け暮れる日々の中では、恋を探すよりも、生き延び、勝つこと、敵を打ち負かすことのほうに心が傾いてしまう。
(これってたぶん……親父の影響よね……)
マクセス・レイド。
このリューネ市を治める領主であり、ガイガロス砦に常駐する一個師団を預かる将軍でもある。
そして、フェリスの父。
(まあ……親父にびびって、男が寄ってこないって可能性もあるけど)
いつもにこにこと、韜晦した表情。飄々とした物腰。
――そして、狙い澄ました策略で、確実に敵を潰す。
そんな彼を、フェリスは「タヌキ親父」と呼んでいるが、それは身内ならではの親愛の情を込めた呼び名であって、敵からは「冷血」と恐れられる智将なのだ。
こんな男の娘に、軽い気持ちで手を出せばどうなるか、リューネの男ならば想像がつかないはずはない。
(でも、たぶん、根本的な原因は、あたしに、女としての魅力が決定的に足りないってことだよね……)
「隙が足りないのよ」
「――へ?」
漠然と思いにふけっていたフェリスは、一瞬、イーリアが何を言ったのか聞き取れなかった。
「ごめん、イーリア。今、何て?」
「隙が足りないの、フェリスには」
親友のきらきらした目が、いたずらっぽくフェリスを見つめている。
「男ってのは、女を守りたいと思ってるもんなのよ。
そう、あんたはね、強すぎるんだわ。人前では絶対に泣かないし、悩みがあっても、それを見せずに、自分の中だけで解決しようとする。……それで、実際に何とかしちゃうところが、あんたのすごいところだと思うけど。
もっと、男の人を頼ったり、弱いところを見せてもいいと思うの。普段、強い女の子が、ふと見せるか弱さ……とか、そういうのに、男はくらっと来るんだから!」
フェリスは、眉をひそめた。
「うーん、そりゃ、そういう話も聞くけど……でも、あたし、仮にも隊長だよ? 隊長が、みんなの前でごちゃごちゃ迷ったり、めそめそしてるなんてわけには、いかないでしょうが」
「何も、任務のときにやれって言ってるわけじゃないわ。ここぞ、っていう瞬間だけでいいのよ!」
「ここぞ?」
いつだ、それは。
首をひねっているフェリスに、イーリアは苦笑を浮かべ、ぽんぽんと肩を叩いてきた。
「まあ、ね。あんたには、まだちょっと難しいかもね」
「あー、ちょっと!? 自分が先に結婚したからって、何、子ども扱いしてくれちゃってるわけ!?」
「うふふ。――案外、気が付かないうちに、もう出会ってるのかもよ? 運命の人と」
「いや、いくら何でも気付くよ、あたしでも! 運命の人なんてものと出会えば、さすがにっ」
「ふふふふふふふ……」
妙にあやしい含み笑いを漏らして、イーリアは、フェリスの手に桃色の小石を押し付けた。
「はい、これ!」
「いや、だから、受け取れないってば!」
「いいから、さっさと取る! あたしたち、これから親戚の家にあいさつ回りに行かなきゃならないんだから。……いい? あたしに娘が生まれて、その子が年頃になる頃に、返してくれればいいの。それまで、あたしたちは、ずっと親友」
「イーリア……」
同じ、リューネの女同士だ。口に出さなくてもわかる。
――それまで、無事で。
どんな戦いからも、必ず、生きて戻ってきてね。
「……あったりまえ!」
フェリスは、小石を握りしめた拳を掲げた。
にっこりと笑って、イーリアはウルゼルと腕を組み、人混みの中をゆっくりと進んでいく。
花嫁たちと花婿たち、そしてそれを取り巻く人々の行列が遠ざかると、フェリスは、深い息を吐いた。
二日前の激しい戦闘と、それに続く、夜に日を継ぐ強行軍の疲れがどっと肩にのしかかってくる。
「フェリス」
不意に、背後から声がかけられる。
フェリスは、驚くことなく振り向いた。
「……グウィン。悪かったわね、あたしの都合に、あんたまで付き合わせちゃって」
「構わん」
長身の魔術師は、寄りかかっていた壁から背を離し、金色の目でフェリスを見下ろした。
「結婚披露の宴には、出席せんのか?」
「うん……さすがに、鎧のまんまじゃまずいでしょ。それに、砦に戻って、戦闘の結果を親父に報告しなくちゃならないし、今はとにかく、一眠りしたいんだよね。――目が覚めてから、ちょっと顔を出すくらいならできるかもしれないけど、イーリアたち、あんまり遅くまでは宴会に残ってないだろうし……」
「何故だ? イーリアは、おまえに負けず劣らずの酒豪だという話だったが」
「え? そりゃあ結婚初夜の花嫁は――って、いったい何を言わせるのよあんたはっ!?」
ごす! と手甲付きの拳で、グウィンの背中を殴りつけるフェリスである。
「くっ……馬鹿力め……」
「そこ、聞こえてるっ!」
「そんなことでは、男が出来んぞ」
「ふっ。そんなの、今に始まったことじゃないからねっ!」
「……誇るな……」
グウィンの呆れたような声は無視して、ぎゅっと握りしめた桃色の石を、大切に、腰の物入れの奥にしまう。
「あー、疲れた。さ、帰ろうか、グウィン」
「そうだな……。よく寝ろ」
「言われなくても寝る。ていうか、もう、親父に報告するの面倒くさいなー……。あたしは寝るから、グウィンのほうから報告しといてくれる?」
「そんなわけにいくか。おまえの任務だ」
「うう……」
六の月の一日。
愛し合う者たちの、聖なる日。
晴れわたる青空の下を、辺境警備隊の隊長と、副官の魔術師が、聳え立つ要塞に向かって歩いてゆく――
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