怒った日 H15.7.9
「どうすりゃいい?」


先日、今日(7月9日)、長崎で起きた幼児誘拐殺人事件の犯人と見られていた12才の中学生が、犯行を認めたと言う報道がなされた。

殺されたのが4才8ヶ月の男の子だという。我が家にも近い歳の子がいるため、人ごとではないと事件の成り行きを見守っていたのだが、正直ショックである。
最近の犯罪傾向として、加害者の低年齢化が叫ばれてはいたが、まさか中学生(しかも、4ヶ月前までは小学生だった!)の犯行とは・・・。そこまでいくか。

以前から子供たちには、『知らないおじちゃんについて行ったらあかんで』と言い聞かせていたが、修正せねばなるまい。
『知らないお兄ちゃんにもついて行ったらアカン!』どんな世の中だ?

今回の犯人(敢えてこう呼ばせてもらう)は12才。現行の少年法でも裁けない。「逮捕」ではなく「補導」しかできない。いや、言葉の上で区別するだけではなく、刑事責任を問えないらしい。
しかし中学生だろ?多少なりとも善悪の判断は出来る年齢のはずだ。少なくとも「命」についての概念も持っていなければならない年齢である。この際、悪戯目的で子供を連れ出したことは目をつぶろう。そこまでなら、単に子供と遊びたかったという言い訳も通用しそうだからである。
現場で実際に何があったかは今のところはっきりしていないが、恐らく子供を裸にして駐車場の屋上から突き落としたのだろう。何故そこまでしなければならなかったのか。いくら考えても私に判る訳はなく、想像すらできない。何が悪かったのか。社会か?家庭か?学校か?

最終的にこの中学生は、それが本人にとっていい事なのかどうかは別にして、刑罰をうけることなくいつの間にか社会へ復帰するのだろう。遺族の怒りはどこへ向けたらいいのだろう?誰が責任を取るのだろう?突発性の病気にかかって死んだのと同じように、どこにも子供を失った虚しさをぶつけられずに供養しつづけろと言うのか。

この中学生の親は、今どう思っているだろう?今回の事件の責任の一端は親にもある。当たり前だ。12才の子供の監督責任は親にある。学校でいじめられようが暴れようが、家庭が子供を更生させる機能を発揮しなければウソだ。

少なくとも、中学生の親は遺族に対して、誠心誠意「死ぬまで」謝罪し続けなければならないだろう。とんでもない子供を育て続けた責任を取って。


この手の少年犯罪が起こる度に思うのだが、なぜ加害者が未成年というだけで被害者よりも保護されなければならないのか。他人の人権を違法に奪った奴の人権が法律で守られるという倫理上の矛盾。少年法の存在自体が憲法違反ではないのか?

この中学生はそのうち社会に復帰する。だが考えてみよう。もし自分の子供が中学や高校に入り、そのクラスメイトにそいつがいるとしたらどうだ?本人が「俺、昔子供を殺したことがある」とか言うはずないし、先生が教えてくれるはずもない。名簿にその旨が載っている訳もない。一切名前が公表されず社会に出てくることの恐怖。もしかしたら被害者の家族(例えば兄や姉がいたとしたら)のクラスメイトかも知れないのだ。「知らぬが仏」では済まされない事態だと思わないか?

あらゆる意味で現在の少年法は間違っている。被害者としては加害者に近付きたくもないだろうし、二度と関わって欲しくない筈だが、被害者が自分の意志で避けることは出来ないのだ。相手が誰だか判らないのだから。恐らく加害者に対して「被害者と同地区には住まないように」という行政指導がなされるだろうが、それが守られているかどうかも確認の仕様がない。

現行少年法の見直しと、画期的改正を強く希望する。



このコラムに関しては、怒りに任せて書いてしまっていますので、後日修正・削除するかも知れません。

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