ぼやいた日  H15.2.5
「記憶は遺伝する?」

先日、『今日の一言』にも書いたのだが、最近特に信号無視をする人が多く見受けられる。そう言やぁ俺も学生の頃などは車が来ていないことが分かっている時には殆ど信号無視をしていた。昼間であっても、見渡す限り車の姿が見えない時にはもうガンガン渡ってたなぁ。今から思えば恥ずかしい限りである。

自宅の近所に橋がある。橋を渡り切った所はT字の交差点になっており、橋からの車用信号、T字に交差する道路用、歩行者用信号が3つ交互に変わるようになっている。この交差点をよく通過する運転者は勿論このことを知っていて、交差する車用の信号が赤になったからといって焦って動き出すことはない。歩行者用信号が青になるからだ。
しかし一元(いちげん)の(こういう使い方ってOK?)ドライバーは、横の信号が赤になった途端に発車して、歩行者とぶつかりそうになってあわや!となる。 「横の信号を見てたのなら、てめぇの目の前の信号も見ろ!」ということである。いわゆる「見切り発車」をするドライバーが非常に多い。いかんねぇ、これは。
こういう車には、身を以ってその危険性を体験してもらわにゃいかん。と思ってたら実際に轢かれかけた。思いっきりドライバーを睨んでやったけど、目を合わせようとはしなかった。身にしみたことであろう。うむ。

さて、今度は歩行者に目を向けてみる。確かに車が一台も見えない状態で、しかも朝の出勤時なんかなら「つい」赤信号で渡ってしまう人もいるだろう。更に許せないのは自転車の後ろに幼稚園の制服を着た子供を乗せた母親が平気で赤信号で渡って行くシーン。ホント、子供にどう説明するんだろう?
「ママ、赤信号で渡っていいの?」
「車が来てないからいいのよ
とか言うんだろうか。とっつかまえて聞いてみたい。

「自分だけが良ければいい」という風潮があるようだが、実はそうではないのだよ、明智君。(やっとタイトルに関する話にたどり着いた)

昔、何で読んだのかハッキリと覚えていないが、非常に興味深い実験の話を読んだことがある。簡単に説明すると、まずプラナリアという生物(矢印みたいな形をしてたっけ?)を迷路に入れる。餌につられてプラナリアは迷路をうろうろ。最終的には迷路を学習する。その後、そのプラナリアをすり潰し(!)、別のプラナリアに食べさせる(!!)。するとどうだろう、学習済みプラナリアを食べたプラナリアは一発で迷路を通り抜けたそうだ。
この実験が何を意味するか。すなわち『記憶は物質となって遺伝する』という結論になるのである!

正直言って信じ難い。が、あり得ない話でもない。

人間の記憶は脳内で起こるシナプス結合をめぐる電気信号のパターンによるものだと言われているが、文字通り「体が覚えている」記憶もあるのではないか?体が勝手に反応する、又は考えなくとも自然に動くといった状態は誰でも経験のあることだと思う。
ならば、しょっちゅう信号無視をしている人の"体"には、"信号が赤でも渡って良い"という"記憶"が染み付いて、パターン化されて残っているに違いない。そのパターンはいずれDNAの中に保存されていくかも知れない。やがてそのDNAは分裂・増殖を繰り返し、最終的には遺伝情報として子孫に伝えられて行く・・・。

いやぁ、恐ろしい。我々の日頃行っている何気ない行動が、将来の日本人の行動規範に影響するとしたら、日本の未来はとてつもなく最悪のものになることは間違いない。『自分さえ良ければなんでもOK』と考えている奴等がどれだけいる?そんな連中の子孫が蠢く社会なんて、考えたくもない。せめて自分だけでもいいタネを残そうっと。うーん、これまた『文系のロマン』と言われそうだが・・・^^;。

さっきの実験の話、誰か知らない?ホントかどうか確かめてみたいけど、どこへ行ったらプラナリアを捕まえられるのか分かんないんだもん。



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