ぼやいた日  H14.11.2
「夢見る若人」

先日、常連さんのR365さんから『夢』についてのメールを頂いた。数回やり取りして思ったことを書き連ねてみる。
「怒り」とは違うのだが、R365さんの許可を得たのでここに紹介する。
まずはR365さんのメールから。

最近の若者(って、おいらもか)は夢を持っているやつが少ない気がする。
果たして生きていて楽しいのだろうか?私はそうは思わない。生きる目標がなければ何をしていてもぱっとしないはずだ。
目標があるからこそ明日への活力となるのではないだろうか?現に私はそうである。 小学校4年から私の夢は変わっていない。
とにかくノーベル賞がほしい。とにかく歴史に名前を残したい。とにかく金がほしい。私はまさに野心の塊である。
で、この野心こそが私の原動力である。過去の文集などを今読み返してみると将来の夢の欄に「世界征服」とか「億万長者」とか言う文字がよく見られた。 夢はでっかいほうが絶対にいい。人に話せるぐらいしっかりした夢ならなおさらいいと思う。
しかし最近の若者に「将来の夢は何か?」と聞いても答えてくれないか、もしくは答えても「ない」といったものが多い。
今まで私は人に夢をなんの躊躇もなくはなしていたので、もしかしたらこれは私だけの考えかもしれない。
とーとーさんはどう思われます?
とーとーさんの夢って何ですか?

そうそう言いたかった事はこれからでこんなことだから大学に入っても勉強もせず遊びほうけてしまうのではないだろうか?
夢があるならそれに向かって突っ走ればいいのであってわざわざ大学になんか行かなくてもいいと思う。
そんな気持ちで大学行っても就職なんてできないはずだ。その結果がフリーターではないだろうか?


私の返信。

夢、ですか・・・。 最近考える時間を持ってませんねー。
確か、大学を卒業してすぐにとある制作会社に入社したときにはありました。 「10年後には、今の社長を追い出して会社を乗っ取ってやる!」なんてね。 その後、バブル崩壊・・・。夢はもろくも崩れ去りました。
それ以来、大それた夢を見てません。
強いて言えば、「CG作家なんていいよなー」ぐらいかな・・・。
勿論、今の私には到底無理な夢ですが、好きなことで金を稼ぐって事は、大きな夢かもしれません。
恐らくRさんの書かれていた、
>しかし最近の若者に「将来の夢は何か?」と聞いても答えてくれないか、もしくは答えても「ない」といったものが多い。
という一文。なんとなくその若者の気持ちが分かるような気がします。
「夢」の定義がハッキリしないんじゃないでしょうか。
子供の頃「電車の運転手になりたい」とか「パイロットになりたい」「プロ野球の選手」とか言ってましたよね。子供の頃の「夢」って、職業がまず思い浮かぶんだと思います。具体的だしね。
小学生が「世界平和」とか言ってると正直気持ち悪い。
それから十年後。ある程度年齢を重ねると、選択肢は減っているはずなのにまだ可能性だけは信じて居たいという思いから、夢を絞りきれないんじゃないかと思うわけです。
「夢」を語ってしまうと、それに縛られてしまう弱い自分がいる。
本来「夢」なんて無責任に言い放ってても良いもんだと思うんです。でも『大の大人が何言ってんだ』とか言われそうで恥ずかしい。 ホントは色々考えてると思うんですよ、彼らも。
「可愛い彼女、欲しいなぁ」も夢だろうし、「パチプロで稼いでみたいなぁ」も立派な夢です。 将来に関することならどんなことでも「夢」として成立すると思います。ただ人に話してかっこ悪いかも、と思うようなことが多いだけなんじゃないでしょうか。
Rさんのように「ノーベル賞が欲しい」って堂々と言える人はすごいと思います。
かなりの自信家だと見た^^。
でも、それで良いと思います。「夢」を実現できる人って少ないと思います。でも人生に対する「夢」と『新しいパソコン、欲しいなぁ〜;;』って思う「夢」と、ベクトルは一緒だと思います。
なんだか訳が分かんなくなってきてしまいましたが、「夢」から全てが始まるんじゃないかと思います。
だから、先出の彼らも決して「夢」を持っていないんじゃないと思いますよ。
フリーターしてたって、「楽して、遊んで、時々バイトして暮らせればいいじゃん」っていうのもある意味「夢」ですからね。暖かい目で見てあげませう。


うーん、ホント『夢』っていうのは考え方ひとつでどうにでもなるもんだ。他人がどうこう言える種類のものではないよな。
親から子へ「夢を持ちなさい」。先生から教え子へ「夢を持ちなさい」。友人から友人へ「夢を持ちなさい」。夢はあるっつうの。実現させる方法を模索しながらすごすのが人生じゃないかね。



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