
2011/11/11
j_eishun website. C_Silence.
沈黙 (Silence)
『沈黙は金』という言葉
『雄弁は銀、沈黙は金』 (Speech is silver, Silence is golden.)
雄弁は大事であるが、沈黙すべき時やその効果を心得ているのはさらに大事である。沈黙を守るほうがすぐれた弁舌よりも効果的である場合のあることをいう。イギリスの思想家・歴史家、トーマス・カーライルの「衣装哲学」に見えることば。
故事俗信 ことわざ大辞典 小学館
話すことは、人と人とがコミュニケーションする上で重要なことであります。間違えれば争いにまで発展しかねません。
また、会話が弾めば、楽しいものであるし、自分にはない知識や考え方を他者から得ることが出来ます。
別な見方をするならば、話すことは己の外に向けられるもので、沈黙は己の内に向けられるものとしても理解できます。要するに、雄弁は外的なもの、沈黙は内的なもの、として捉えることが出来ると思います。
Speech を己以外との人との会話。とするならば、
Silence は己の内面に向けられたもので、良心、精神、魂への問い。この様な考え方も出来ると思います。
『青い鳥』で有名なメーテルリンクはエッセイ集『貧者の宝』の[T沈黙]で、カーライルの「衣服哲学」(衣装哲学)を引用しています。冒頭から引用されたカーライルの言葉は1ページ以上にも及びます。その中の一節をご紹介しましょう。
モーリス メーテルリンク (Maurice Maeterlinck. 1862-1949)
「言葉もまた偉大ではある。偉大ではあるが、最も偉大なものではない。
スイスの銘にあるように、《雄弁は銀、沈黙は金》である。
あるいはこういい直した方がより適切だろう。
《言葉は束の間のもの、沈黙は永遠のもの》と。」
「貧者の宝」 モーリス メーテルリンク 著 山崎剛 訳 1995 平河出版社
カーライルの「衣服哲学」(衣装哲学)は下記のサイトで確認出来ます。
http://digital.library.upenn.edu/webbin/gutbook/lookup?num=1051
トーマス カーライル (Thomas Carlyle. 1795-1881)
http://cruel.org/econthought/profiles/carlyle.html
SARTOR RESARTUS:
The Life and Opinions of Herr Teufelsdrockh By Thomas Carlyle. [1831]
BOOK
III. CHAPTER III. SYMBOLS.
『Speech too is
great, but not the greatest.
As the Swiss Inscription says:
_Sprechen ist
silbern, Schweigen ist golden_
(Speech is silvern, Silence is golden);
or as I might rather express it:
Speech is of
Time, Silence is of Eternity.』
これは、トーマス カーライルの「衣服哲学」第3巻第3章『象徴』で、「話すことは時間的なもの、沈黙は永遠のもの」とも述べています。
このカーライルの「衣服哲学」によると、『雄弁は銀、沈黙は金』は、ドイツ語で、しかもスイスのある銘文を引用しているようです。
(注):1
カーライルの「衣服哲学」は、元々、架空のドイツ人教授、法学博士ディオゲネス・トイフェルスドレックの、[世界を衣服に見立て]た架空の哲学的書物『衣服、その起源と影響』に対する、カーライルの肯定的な意見を補綴し付け加える形をとって成り立っている為、カーライル自身の言葉と架空な部分の見分けがつき難い所がある。
この「衣服哲学」は、ラブレーやスウィフトが行った諷刺の手法として、正しくこうあるべきと思う事を強く訴えるために、また、非難を避けるために、現実に近い架空のものを作り、それに対する真実を語ることによって、訴えたいことを強調しようとする手法ではあるが、この「衣服哲学」の場合、諷刺のような、真実のような、少々、中途半端な形であり、現実と架空との境目が曖昧の為、見分けが付き難い虞があり残念である。其故か、ことわざ辞典などによる『雄弁は銀、沈黙は金』の解釈の多さには驚かされる。因みに私は、文脈から推測して OED (Oxford English Dictionary) や大辞泉、また、先に挙げた「故事俗信ことわざ大辞典」(小学館)の解釈が正しいと思っています。
結局、「衣服哲学」にある『As the Swiss Inscription says』(スイスの碑文)が不明なため『雄弁は銀、沈黙は金』はカーライル自身の言葉なのか、引用しているだけなのかは不明のままです。
多くの辞書に、「雄弁は銀、沈黙は銀」は、
『カーライルの「衣服哲学」(衣裳哲学)に見える言葉。』また、
『出典はカーライルの「衣服哲学」(衣裳哲学)』と書かれている理由が判るような気がします。
しかし、「沈黙」はカーライルの書物全般に共通テーマのようで、「英雄・英雄崇拝論」の中にも「Speech is great; but Silence is greater.」の言葉があるので、「スイスのドイツ語碑文」もカーライルの考えた架空のものなのかもしれません。
併し乍ら、「衣服哲学」の示す方向性は善いものではなかろうかと思われます。
参考: 「衣服哲学」 トーマス カーライル 著 石田憲次 訳 1946 岩波文庫
(注):2
(2006/10/12)
「雄弁は銀、沈黙は金」は、古代ギリシャの雄弁家デモステネスの言葉であるという書き込みがインターネット上のブログ等に数多く見受けられます。しかもその意味が逆だというのです。金と銀の価値が、銀の方が価値の高い時代があったとか? また、銀本位制の影響とか?
(下記のような文章がweb上を右往左往・・・・・根拠は?)
「沈黙は金、雄弁は銀」という言葉も、現在では「沈黙の方が、雄弁よりも勝る」とされています。しかし、古代ギリシャ・雄弁・政治家のデモステネスが「市民諸君、私のように大いにしゃべりたまえ、沈黙は金の価値しかないが、雄弁には銀の価値がある」と言ったように、元々の意味は逆だったのです。つまり、昔は銀の方が価値が高かったのです。
そこで私は調べてみました。どれくらいのことわざ事典や辞書を見たでしょうか、「雄弁は銀、沈黙は金」の諺とデモステネスとを結び付けるものは一つとしてありませんでした。
殆どの辞書、または、英和、英英辞典などでは、「沈黙は金」または、「silence」で調べると、「雄弁は銀、沈黙は金」は、カーライルの『衣装(衣服)哲学』に見られる言葉とあります。その他では、「ドイツのことわざ」というのもあります。これは、カーライルの『衣装(衣服)哲学』の中でドイツ語碑文として書かれているせいかもしれません。
またインターネットの検索で、[ Demosthenes ]と[ silence is gold ]を調べてみると、関係するページは見つからないというサイトがあります。
いち早くこの事に気が付いたのは、
名称未設定。 - Echoo!-エコログ
http://echoo.yubitoma.or.jp/weblog/cassandra/cid/10599/
最近では、
hyorohyoroの日記
http://d.hatena.ne.jp/hyorohyoro/20061012#1160666016
結局、英語サイトに[ Demosthenes ]と[ silence is gold ]を結び付けるものが無いとすると、存在するのは日本語サイトだけなのかもしません。
もしも、このデモステネスの発言が日本の Website だけのものならば、それは、デモステネスの風説と言わざる負えません。
金と銀の価値に関して、紀元前30世紀の古代エジプトでは、銀は金の2.5倍の価値があり、銀の方に価値があったのはその一時代だけのようです。
紀元前22世紀のエジプト第7王朝頃には金の方が価値が高く、それ以降、紀元前5世紀頃の古代ギリシャ時代も現代に至るまで、当然、金の方が価値が上であります。
金と銀の相場については下記サイトで分かります。
コインの散歩道
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~sirakawa/A007.htm
因みに、あの有名なツタンカーメンの黄金の仮面は、紀元前14世紀頃第18王朝のファラオの墓から出土された物で、110kgもある黄金の仮面を見れば、金の価値の絶対性というものを味わうに違いありません。
銀本位制ということに関しても、通貨が銀で世に出回ることによって、銀の価値は下がります。
古代ギリシャでも誉れ高く、ホメロスとの歌競べにも競い勝った、あのヘシオドスの『仕事と日々』の五時代の説話でも読んだ事があれば、間違いである事に気付いたのでしょう。
上記の通り、「雄弁は銀、沈黙は金」は古代ギリシャ・デモステネスの言葉であるということ、そして、その言葉の意味までも逆であるという、web上で多くのサイトに書かれていることは、何を裏付けにしているのでしょうか?
もしも辞書等を開いて調べていたならば、書かなかったであろう事ではないでしょうか。
何か、ブログに対するいい加減さを、無責任な人の多さを痛切に実感せざる負えません。嘆かわしい事実であります。
私はお願いします。言葉を大切にして欲しいと、根拠のないうわさや情報を鵜呑みにすることなく、自ら確認をして文字にして欲しいのです。
風説を流布することは避けるべきです。
(2006/10/23)
念には念をと言う事で、『ギリシャ・ローマ名言集』柳沼重剛 編集 岩波文庫にも上記事柄が書かれていましたので、ご紹介します。
[ ついでながら「雄弁は銀、沈黙は金」という句は、ギリシャにもローマにも関係ない。カーライルの『衣装哲学』第三巻3によると、これは彼がスイスで見たドイツ語の碑文である。]
『ギリシャ・ローマ名言集』柳沼重剛 編集 岩波文庫 2003
(注):3
この「雄弁は銀、沈黙は金」という考え方は古くからあるようです。
[現代英語ことわざ辞典](リーベル出版)に詳しく出ています。ことわざ辞典の中でも詳細で丁寧に解説されており解りやすいものです。勿論デモステネスは、皆無であります。
この辞典も、「雄弁は銀、沈黙は金」の出典はカーライル(Thomas Carlyle, 1795-1881)『衣裳哲学』(Sartor Resartus, 1833-1834)。であり、参考として同じような考え方を伺えるものがありますので少し記しておきましょう。
【参考】T.この考え方は古くからあり、『旧約聖書』「レビ記」に関する注解書に
(the Midrash on Leviticus, c600) If speech is silvern, then silence is golden.
(話すのが銀なら黙するのは金)という意味のことが記されている。
U.ギリシャの叙事詩人ヘシオドス (Hesiod, 紀元前8世紀)の『仕事と日』 (Works and Days) に人生訓の一つとして次の言葉がある。
言葉の慎しみより尊い宝は、この世にない、
節度を守って動く舌は、何にもまして床しく好ましい。 719-720.
ヘーシオドス 『仕事と日』 松平千秋訳 岩波文庫
その他、【類諺】として多くの言葉が書かれていますが、少しだけ記します。
More have repented speech then silence.
(沈黙より発言を悔やむ人が多い)
Silence is not always a sign of wisdom, but babbling is ever a folly.
(沈黙は英知の表れとは限らないが饒舌は常に愚かなことだ)
参考: [現代英語ことわざ辞典](リーベル出版)
(2006/10/18)
そして、沈黙とは?
カーライルの文章は非常に難解である。論旨が世界を衣服に見立てている為、論拠が多岐に渡り、目まぐるしく変化するからである。これは博識のなせる業なのかもしれない。
この「衣服哲学」の『沈黙は金』という言葉に関しては、辞典通りに、[沈黙を守るほうがすぐれた弁舌よりも効果的である場合のあることをいう。]と解釈するのが妥当のようにも思えますが、見方考え方によっては、より深い意味合いに解釈することも出来るようです。
メーテルリンクは、カーライルの言う『沈黙』を進展して考察しています。
メーテルリンクは、[T沈黙](「貧者の宝」)の冒頭でカーライルの文章を1ページ以上にも亘り引用しています。多分それは、カーライルの『沈黙』に対する考え方に共感し感銘を覚えたからに違いありません。メーテルリンクは、1911年のノーベル文学賞作家で、鋭い切れのある洞察力は他に例のない素晴らしい作家ではなかろうかと思われます。
それでは、メーテルリンクが『沈黙』に対してどのように考察しているのかを、少し触れてみましょう。
沈黙はわずかの間でも相互に作用すれば深く心に刻まれ、深く心に刻まれるこの沈黙によってのみ、真実の人生、何らかの跡を残すかけがえのない人生が生まれるのだから。
沈黙をあれこれ詮索しても徒労に終わる。
真実の存在を知るためには、己れの内に沈黙を育まなければならない。
沈黙においてだけ、
永遠の花々が一瞬花開き、
わたしたちが語る言葉も、言葉の故郷である沈黙の力があって初めて意味を持つことができる。
沈黙こそ愛の豊かな味わいを生み、それを心に深く刻む
沈黙がなければ、愛には永遠の潤いも香気もない。
口づけの後の無言のひと時の中で二つの魂が一つになるのを体験したことのない者はいないと思う。この束の間の時を絶えず求めなければならない。愛の沈黙だけが人間の力の及ぶただ一つの沈黙であり、それだけが人間の側の沈黙なのだから。
「貧者の宝」 モーリス メーテルリンク 著 山崎剛 訳 1995 平河出版社
メーテルリンクは、『沈黙』を人と人との関係に於いて、魂と魂のふれあいとして捉えています。
メーテルリンクの『沈黙』に対する考察は、イエズス会の学校を出ている為か、霊性の働きに関して強い憧れがあったようで、「貧者の宝」全般にわたって、霊性、魂について述べられているのです。この様な考え方は神学的な要素も含まれています。
それでは、聖書には『沈黙』についてどのように書かれているかを見てみます。
詩 4:5 おののいて罪を離れよ。横たわるときも自らの心と語り/そして沈黙に入れ。
詩 37:7 沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ。繁栄の道を行く者や/
悪だくみをする者のことでいら立つな。
詩 62:2 わたしの魂は沈黙して、ただ神に向かう。神にわたしの救いはある。
詩 62:6 わたしの魂よ、沈黙して、ただ神に向かえ。神にのみ、
わたしは希望をおいている。
詩 65:2 沈黙してあなたに向かい、賛美をささげます。シオンにいます神よ。
あなたに満願の献げ物をささげます。
詩 131:2 わたしは魂を沈黙させます。
わたしの魂を、幼子のように/母の胸にいる幼子のようにします。
ハバ 2:20 しかし、主はその聖なる神殿におられる。全地よ、御前に沈黙せよ。
聖書 新共同訳 日本聖書協会 発行
上記聖書の言葉は、すべて旧約聖書になります。
聖書には他に、神の怒りとして、不従順な民に向けられた戒めとして、神が民から遠ざかり何も語らない神の沈黙(詩 28:1, 35:22, イザ 57:11, ホセ 4:6.)があります。また、黙して語ることの出来ない死者、また、その国を指す言葉として、沈黙の国(詩 115:17)というような言葉もありますが、今件とは趣旨がそれるため、これらに関しては記すだけに留めておきましょう。
『沈黙』は、聖書の中でも詩編に書かれていました。
「罪を離れ」、「魂を、幼子のように」して、「沈黙して、ただ神に向かえ。」と文字通りに読むことが出来ます。
「母の胸にいる幼子のように」という言葉は、幼子が母の胸にいるような、まったき信頼と汚れのない純真さを持って神に向かうことと解釈すれば好いのではないかと思われます。
もしも、聖書を持っているならば、前後の聖句も読むことにより、理解が増すことと思います。
新約聖書ではイエス・キリストが神とされ、キリストの言葉が神の言葉とされているせいか、上のような沈黙の記述はありませんでした。しかし、聖霊の働きにより神の愛が注がれることがあることを具体的に記されています。
使 3:16 あなたがたの見て知っているこの人を、イエスの名が強くしました。
それは、その名を信じる信仰によるものです。
イエスによる信仰が、あなたがた一同の前でこの人を完全にいやしたのです。
使 2: 38 ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、
罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。
一ヨハ4:16 わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。
神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、
神もその人の内にとどまってくださいます。
ロマ 5:5 希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、
神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。
聖書新共同訳 (日本聖書協会)
イエス・キリストを信じ、悔い改めて洗礼を受けることにより、賜物として聖霊を受けます。
そして、神の愛を理解してその愛にとどまる人には、聖霊によって神の愛を心に注がれるのです。
このような働きは、神に対する愛と、まったき信頼と汚れのない純真さを持って沈黙して神に向かうとき、目には見えない聖霊が、沈黙のうちに働かれるのであると思われます。
「カトリック教会のカテキズム」(カトリック中央協議会 発行)の中にも、『沈黙』に関する記述があります。
2709 念祷とは何でしょうか。聖テレジアは次のように答えています。「念祷とは、わたしの考えでは、わたしを愛しておられる神としばしば語り合う、友愛の親密な交わりです。わたしたちはその神から愛されていることを知っているのです」。
2717 念祷は「来るべき世を象徴する」沈黙であり、「ことばを超越した愛の語らい」です。
2724 念祷とは、祈りの神秘の単純な現れです。イエスに注がれた信仰のまなざし、神のことばに耳を傾けること、ことばを超越した沈黙の愛です。
「カトリック教会のカテキズム」(カトリック中央協議会2002 発行)
このように、『沈黙』ということは、古くから神と人との関係に於いてもあり、奥深く解り難い事柄としても理解できます。
「カトリック教会のカテキズム」には興味深い言葉があります。
「友愛の親密な交わり」(イエスの聖テレジア『自叙伝』)
「ことばを超越した愛の語らい」(十字架の聖ヨハネ『手記』)
「ことばを超越した沈黙の愛」
「カトリック教会のカテキズム」では、イエスの聖テレジアと十字架の聖ヨハネの言葉を引用しています。これら限られた聖人の言葉を引用していることからも分かるように、沈黙によって語られる神の言葉は、少数の人に対してのようであり、神に選ばれた人達だけに限定されているように思えます。
メーテルリンクも次のような言葉を述べています。
「沈黙を理解し、己れの内に受け入れる場合もなくはないが、大部分の人々にとってそんなことは一生のうちにせいぜい二、三あるにすぎず、・・・・・・」
「貧者の宝」 モーリス メーテルリンク 著 山崎剛 訳 1995 平河出版
大部分の人は、このような『沈黙』をどのように受け止めているのか、この不可解な『沈黙』を理解して尊んでいる人の数も気になるところです。
また、今迄にキリスト教や、祈りや黙想とは無縁だった人には、このような『沈黙』は皆目見当のつかないものかもしれません。
日本のキリスト教人口は、0.5% に過ぎないようです。
現代に於いても、ブログが示すように虚偽を求める時代で、真理は藪の中に葬り去られる時代なのでしょうか。聖書の中でも、神の預言者達は人々に殺され、キリストさえも人々に磔にされたのです。
それでは、私個人の『沈黙』に対する見方考え方、また、経験から得たものを少し述べさせて頂きます。私は修道者ではありませんので、全くの個人的でキリスト教的な考えとしてご理解ください。
この『沈黙』とは、
己の内面に向けた精神の向上を促そうとするものであり、
己と己の良心、魂との対話であり、
自分自身を省み、良心に問いかけ、
謙虚な反省から謙りへと己を導き、
それは、すべてのものの源である神と、一人の人間である己の小ささの故に。
そして、改心に至るように祈りながら、霊に導かれつつ、
霊と共に向上しようとするものであり、
また、神を正しく理解するように聖書や聖人等のテキストを参考にしながら、
注意深く神の本性を探求して、神の御旨は何であるのかを希求して、
己に足りないことを祈り求る。
『沈黙』は、祈りと黙想とが共に作用された結実ではないかと私は考えています。
心静かにして、己の心の中心にある良心と交流をすること。
この交流は己の方から一方的に行えるものではなく、
神に対する従順と謙虚な祈りにより受け入れられた時に実現されるもののように感じます。
この『沈黙』による交流は、神の霊と己との交わりとも言えると思います。
分かり易く換言するならば、
「『沈黙』のうちに訪れる神の霊と己の魂との交わり。」
という言い方も出来ると思います。
メーテルリンクの言葉にもあるように、沈黙は「愛の豊かな味わい」なのですから。
「神は永遠」「神は愛」「神は霊」なのです。(ローマ1:20. Tヨハネ4:8,16. ヨハネ4:24.)
また、カーライルは、「沈黙は力(エレマン)である。」
メーテルリンクは、「見えない厳粛な力」と表現しているのです。
カーライルの『沈黙』と、メーテルリンクの『沈黙』では、多少の違いがあるようにも思われますが、『沈黙』を理解する二人にとって、文字通り「沈黙は金」の価値があるのでしょう。
この『沈黙』には心の準備、日頃の心の持ち方なども必要となってくるでしょう。
『沈黙』、または祈り・黙想のことが書かれた本があるので一部ご紹介いたしましょう。
「霊操」 イグナチオ・デ・ロヨラ著 門脇佳吉 訳 岩波文庫
「沈黙を聴く」モーリス・ズンデル著 福岡カルメル会訳 女子パウロ会
「何を、どう祈ればいいか」アントニー・デ・メロ著 裏辻洋二訳 女子パウロ会
「キリストにならいて」 トーマス ア ケンピス 大沢章 呉茂一訳 岩波文庫
「聖山アトス -ビザンチンの誘惑-」 川又一英著 新潮選書
「神との親しさ(6)三位一体の神」 SMP・ガブリエル 伊達カルメル会訳 聖母の騎士社
(2006/04/24)書き始め
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参考文献(参考文献目録)
故事俗事ことわざ大辞典 小学館
現代英語ことわざ辞典 リーベル出版
世界文学大事典 1 集英社
大辞泉 小学館
大辞林 三省堂
日本国語大辞典 第二版 小学館
世界文学あらすじ大事典1 国書刊行会
The Oxford English Dictionary SECOND EDITION ]X
広辞苑 岩波書店
新英和大辞典 研究社
聖書 新共同訳 旧約聖書続編つき 日本聖書協会発行 1992
「カトリック教会のカテキズム」 カトリック中央協議会2002 発行
聖書思想事典 三省堂 1991
「貧者の宝」 モーリス メーテルリンク 著 山崎剛 訳 1995 平河出版社
「衣服哲学」 トーマス カーライル 著 石田憲次 訳 1946 岩波文庫
「キリストにならって」 作者不明 トーマス ア ケンピス編 荻原晃 訳 1991 中央出版社
「キリストにならいて」 トーマス ア ケンピス 大沢章 呉茂一訳 岩波文庫
「霊操」 イグナチオ・デ・ロヨラ著 門脇佳吉 訳 1995 岩波文庫
「沈黙を聴く」モーリス・ズンデル著 福岡カルメル会訳 女子パウロ会
「何を、どう祈ればいいか」アントニー・デ・メロ著 裏辻洋二訳 女子パウロ会
「聖山アトス -ビザンチンの誘惑-」 川又一英著 新潮選書
「神との親しさ(6)三位一体の神」 SMP・ガブリエル 伊達カルメル会訳 聖母の騎士社
「ギリシャ・ローマ名言集」 柳沼重剛 編集 岩波文庫 2003
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