カンバスの空

 今日は本当に穏やかな日だ。
いっそ、絵を描くのは止めて、外で剣の稽古をした方が気持ち良いかもしれない。
そうは思いつつも、目の前のカンバスに今日は気分よく色が載ってゆく。
実際、鼻歌まじりで適当にやっているのにとても良い感じに仕上がるのだ。
「う〜〜ん。陽気が良いとほんとに楽しいわね。」
開け放った美術室の窓の外には、綺麗な青空がどこまでも続く。
階下のグラウンドでは運動部の掛け声が絶え間なく響く。
 上条槙は、窓辺によって下を眺めながら一息つく。
持っていた缶コーヒーのタブを開けて、ごくっと飲み始める。
運動部で汗を流すのもよし。
美術部で絵を描くのもいい。
剣待生として星獲りするのなんか最高かもしれない。
「ふふ。いいわね〜〜。青春だわ〜〜。」
 窓の縁に腰掛けて、青い空に浮かぶ眩しい太陽のほうを見やる。
2月の中ほどとは思えない陽気は、この太陽からやってくるのだ。
直に見ないように、手をひさしのようにして覗く。
世界を照らす光は眩しくて、そして暖かい。
なんて幸せな気分になるのだろう。
猫や犬が日向ぼっこする気持ちは、こんな感じだろうか。
理屈ぬきで、何も考えなくて、身体も心もほこほこできる。
思わず目を閉じて、日の光を身体で受け止めてみた。
あったかい。
「‥‥ホントに幸せ‥‥。」
そうだ、と思いついて、部屋に置いてあるソファを、窓辺へ移動させる。
日に当たる位置に置くと、長々と寝そべってみた。
「‥‥ホントに幸せ‥‥。」
さっきと同じセリフを言ったことに気づいたが、他に聞いている人が居るわけでもないので気にしないことにする。
「だって気持ち良いもの‥。」
知らず知らずのうちに、目を閉じてしまう。
ああ、なんだかふわふわした気分になってきた。
あっちの世界に行ってしまうのもそう遠くない‥‥。
 するとふいに、カラカラ、と何かの音がした。
(何か聞き覚えがある音ね‥‥。)
半分寝かかっていたのが、こちらに引き戻されてしまった。
「‥先輩。槙先輩、居ませんか?」
すごく聞き覚えのある声が、自分を呼んでいる。
「‥‥。」
「‥先輩?」
 美術室に入ってきたゆかりは、少し戸惑っていた。
イーゼルやパレットもそのままだし、絵も描きかけのままに見える。
が、当の先輩は見当たらない。
トイレにでも行ったのかと思案していると。
 窓辺にソファが置いてあって、そこからにょきっと腕が生えている。
腕はぴろぴろと振られて、どうやら手招きされているようだった。
「先輩?」
もう一度声をかけながらソファの方へ行ってみると。
 日の当たるソファに、上条槙が寝転がっていた。
手は動いているが、目は閉じられている。
「寝てるんですか?先輩。」
くすくす笑いながら、柔らかな口調で尋ねるゆかり。
「‥ん〜〜〜、そうでもないのよ‥。」
どこら辺がそうでないのかは微妙だが、槙には何だか根拠があると思われる。
「起きてください、先輩。」
とは言ったものの、この陽気でこの位置では無理かもしれない。
「ん〜〜まって、今起きる‥ゆかり、そういえば部活しにきたの?」
槙は、緩慢な動作でむくりと起き上がる。
が、まだ目が開いていない。
「‥いえ、今日は、その‥チョコを‥。」
何となく小さな声で口ごもりながらゆかりが答える。
「‥そう、チョコなの‥‥‥チョコ!?」
槙はばっと振り向いて、驚き顔を見せる。
そして、ジェスチャーでゆかりを指差し、それから自分を指差した。
ゆかりは、こくりと頷く。
ぱああああ!と音が聞こえそうなぐらい、嬉しそうな表情になる槙。
「‥‥ゆかり!!ありがとう!!!私、感げ‥」
「あ、先輩。それいいですから。」
なぜか、感激、と言いかけた槙の言葉をにっこりと微笑みながらさえぎるゆかり。
微笑んでいるのに無言の圧力を発するゆかりにちょっと動揺しつつ。
「え、えーと。まあでもありがとう!嬉しいわ。」
頭の中には疑問符を浮かべながら、槙はとても喜んでいた。
ゆかりは、持ってきたトートバッグの中から、ラッピングされた袋を出して、槙に渡す。
「先輩、バレンタインチョコ受け取ってください。」
少し照れながら袋を渡すゆかりはとても可愛かったので、槙はまた笑顔全開になった。
「ありがとう!ゆかり♪ものすっっごく嬉しいわ!!」
にこにこしながら槙は受け取ってくれた。
かわいらしい袋を開けると、中から出てきたのは。
「‥‥絵の具?」
美術部で使っている油絵の具?のようなものが入っている。
「‥‥あ、チョコなんだ、これ‥。」
手に取って見ると、絵の具ではなくちゃんとチョコと書いてある。
「そうなんですよ。珍しいから先輩にどうかなと思って。」
ゆかりもにこにこしながら答える。
チョコらしい色の茶色、ホワイトチョコは白色で、緑色のは抹茶、ピンクのはイチゴチョコだった。
ふたを開けてみると、チョコの匂いがする。
「ちゃんとチョコだわ‥」
少し手にとって舐めてみたりして、槙はとても楽しそうだ。
「でも、どうやって食べようかしら?これ。」
ずーっと舐めるのもねえ、と呟く。
確かにチューブ入りのチョコの食べ方までは考えてはいなかった。
うーん、と考えているゆかりをにこにこと眺めていた槙は、ぽんと手を打つ。
「いいこと思いついたわ。ゆかりと無道さんに、ケーキを作ってあげる。」
「‥え?私たちに??」
ゆかりの顔に盛大に疑問符が飛び交う。
「ええ。あなたたち、もうすぐ中学部卒業じゃない?だからお祝いに、ね。」
ケーキを焼いて、トッピング代わりにチョコで絵を描いたら面白いわ、と続ける槙。
「‥そんな、先輩、いいですよ。」
ゆかりは慌てて辞退を申し出る。
そんなことしてもらおうと思って持ってきたわけではないし。
「先輩にはいつもお世話になってるし‥そんなことまで‥。」
「いいのいいの。何かお祝いしてあげたいなーと思っていたし。ホワイトデーのお返しもしたいし。」
「‥でも‥‥。」
「ゆかり。先輩の言うことはちゃんと聞きなさい。」
まだ渋るゆかりに、びっと指を立てて、びしっと言い放つ。
ゆかりはびっくりして槙の方を見た。
しかし槙は、今日何度も見せてくれた、とびきりの笑顔だった。
ゆかりの心がほわっと暖かくなる。
「‥先輩‥。ありがとうございます。」
ゆかりは槙に向かって深々と一礼する。
槙と刃友になって本当に良かったと思う。
剣が強いだけでなく、人として優しい。
とても尊敬できる人なのだ。
「じゃあ決まり。楽しみにしていてね。っていうか、私が楽しみだわー。」
うきうきしながら、槙はソファから立ち上がり、エプロンを整える。
「さて、仕上げしようかな。今日中にできるといいな。」
描きかけの絵の方へ向かい、椅子に座りなおす。
「がんばってくださいね、先輩。」
ゆかりも鞄を抱えなおして入口に向かう。
「ええ、ありがと。ゆかりもがんばってね。」
「えっ。‥な、何のことですか?!」
心なしか動揺するゆかりに、槙は笑顔を見せる。
「無道さんにも渡しに行くんでしょ?」
「‥!!」
びっくり顔で、少し赤くなってしまったゆかりは言葉もない。
「ビンゴね!あ、何も気にしないでいいのよゆかり。」
槙はにこにこしながら手を振って、言葉を続ける。
「あげに行かないって言ったら、逆にお尻叩いて行かせるわよ。」
笑いながらすでに絵筆を持っている。
「‥先輩‥。」
ゆかりは申し訳なさそうに、でも少し嬉しそうに微笑みながら頭を下げる。
「あ、そうだ。ゆかり、無道さんに会っても、あんまり酷いこと言っちゃだめよ。
‥あんまり強い太陽は、世界を焼いてしまう。
今は春だからほどほどでいいからね。」
わかった?と言って、槙は笑った。
「‥はい。わかりました、先輩。先輩の言うことはちゃんと聞きますね。」
ゆかりは答えながら、最後の辺りで思わずくすくす笑い始めてしまう。
「そうそう、ちゃんと聞いてね。いい子だわ。」
槙は満足そうに頷く。
「じゃあ先輩、おさきに失礼します。」
「ええ、また来週ね。チョコありがとう、ゆかり。」
挨拶をしてからゆかりは美術室を後にした。
 槙は手を振って見送った後、絵の続きを描き始める。
また静かになった美術室には、絵筆を滑らせる音だけが響く。
槙はふと、窓の方を見た。
窓の外には綺麗な青い空が映る。
「‥ああ、鳥のように、飛べはしないけど‥か。」
最近耳にした歌の歌詞をふと思い浮かべた。
また再び、太陽の光が差し込んできた。
「‥きっと飛べるわ。鳥のように、青い空を。」
妙な確信を持って、最後の色を入れる。
「‥‥できたわ。」
いい出来だと思う。
「うん。よし。‥‥‥‥あれ。」
何だか甘い香りが漂ってる気がする。
「‥‥え、あ。あれ。これ、この緑‥‥。」
その日の午後、どこからか絶叫が聞こえてきた、と学園中で噂に上る事になった。
                             end.



なんか、ホワイトデーも過ぎちゃってますけど(笑)
槙先輩、ファイト!!(笑)
<'09.3.18>


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