教育とは? -- 育

※「言葉の系譜」藤堂明保より引用---

 この字は「子の字の逆形+肉」から成る。赤ちゃんは、正常分娩ならば必ず頭を下にして出産する。だから「子のさかさまの字」という字体は、赤子をあらわすのに用いられる。たとえば、「棄」という字の上部は「子のさかさまの字」(赤ちゃん)であり、その下部はチリトリを手にした姿であって、乳呑子をチリトリに乗せて「捨て児」をしているさまを表している。そこで「育」の字は、赤ちゃんが、肉づきよく、丸々と太ることを表した会意文字だといってよい。

 「育」は上古には、diok と発音した。それは篤<トク>(太った馬)や、竺<ジク>(太い竹)と同系で、肉づきよく太る意味である。そこで成育の「育」とは、むしろ肉体に関する意味であり、知能とは直接の関係がない。後世に、保育・体育・発育などの意に用いるのも、すべて肉体を主とした言い方なのである。

 しかし教育は知恵の伝授だけに片寄ってはなるまい。頭と体とは並行して進まねばならぬ。そこで「教育」と熟して、始めて学園の営みの理念が確立する。孟子はかつて述べている。

 父母ともに存(いま)し、兄弟に故(さわり)なきは一の楽しみなり。仰いで天に恥じず。伏して地に恥じざるは二の楽しみなり。天下の英才を得てこれを教育するは、三の楽しみなり。

 そして富貴と権勢とは、むりに求むべきものではないと。教育するもののあるべき姿をここに描き尽くしている。やせてもソクラテスになれ。肥えたブタとはなるなかれ!

 「言葉の系譜」藤堂明保より引用しました。

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