春秋戦国時代の中国の思想


 〔4〕 墨子  ※資料:「儒家と墨家」へ! 墨子原典 孟子からの反論(批判)

  (1)兼愛 の 説 ・・・ 無差別の人類愛

     = 「別愛」 ─→  の否定

   特定の集団に対する愛(家族愛・愛国心) ─── 「憎しみ」と隣り合わせ
      │
      │ 完全な否定
      ↓
   人 類 愛

   兼愛は天の意志


  (2)勤 労 節 倹

   君主の奢侈が民衆を苦しめる
       ↓
   君主に勤倹の生活を求める
   (そのためには自らも勤倹を実践)
      ↓
   節葬非楽  ←──→   儒家との対立

   士大夫の特権を全面的に否定


  (3)墨子の非戦論

    1人の人間を殺す者 = 犯罪者 → 死 刑
    10人(罪は10倍) 100人(100倍)のはず ・・・・・

    ところが 一国を攻めて皆殺し → 正義の行為として賞賛
                  ↑
                  │
                └不条理
    侵略戦争の否定
       ↓
   侵略に対する防衛は肯定
   墨子 − 防衛戦の名人 → 「墨守」

  ※弱小国が侵略を受けた場合、依頼を受けて防衛戦に参加。
   ただし、弱小国が強国に侵略された場合にだけ出動
   しかも、形勢が絶対に不利という場合に参加した
   兼愛 ・・・ 身命を犠牲にして惜しまなかった。
孟子からの批判
墨氏兼愛 是無父也 無父無君 是禽獸也(滕文公 第三下)

 墨氏は兼ね愛す、これ父を無(かろ)んずるなり。父を無(かろ)んじ君をを無(かろ)んずるはこれ禽獸なり。

 孟子にしてみれば、人類愛というものは自分の父も他人の父も平等に愛するというもので、平等愛というのは人間の道ではない。
また、父>兄>弟・・・・と、愛にももランクがあり、父と弟を平等に愛するということはあってはならないことであり、自分の家族と他人の家族を全く同等に愛するということは、人間のすることではない。無差別の愛などというものは犬畜生のものだと、墨子の説を激しく排撃する。

 また、「尽心篇」では、

墨子兼愛 摩頂放踵利天下 為之(尽心 第七上)

 墨子は兼ね愛す。わが頂(あたま)を摩(す)りへらして踵(かかと)までに放(いた)るとも、天下を利することは、これを為す。

 墨子は兼愛の説(人類愛)を実践し、天下の人々のためなら、頭の頂上から踵(かかと)の先までをすり減らしてでも働く。

 なんとすばらしいことではないか。しかし・・・・
 注意すべきことは、この孟子の言い分は、はけっして「ほめ言葉」ではないという点である。孟子にしてみれば、平等に人を愛するということは人間のすることではないし、自分の体を酷使して働くということは「君子」のすることではないのである。

故曰 或勞心 或勞力 勞心者治人 勞力者治於人 治於人者食人 治人者食於人 天下之通義也(滕文公 第三上)

 故に曰く『或るものは心を労し、或るものは力を労す』と。心を労する者は人を治め、力を労する者は人に治めらる。人に治めらるる者は人を食(やしな)い。人を治むる者は人に食(やしな)わるるは、天下の通義なり。

 君子は精神労働者であって、肉体労働者ではないのである。君子(大人)の仕事と小人の仕事とはきっちりと区別しなければならない。精神労働者は人を支配し、肉体労働者は人に支配される。人に支配される者が、支配者を食わせていくというのは「天下の通義」である。
それなのに墨子は、世界中の人々は平等でありお互いに愛し合わなければならないなどといって、肉体労働者といっしょになって汗水垂らして働いている。本当にバカなやつらだ。

 というのである。

 孟子が墨子を貶(けな)す理由は、今日の私たちにしてみれば、そのまま「墨子への讃辞」となるではないか。
漢字家族(補足説明)
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