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歴史: 彦根城の歴史は関ヶ原で勝利した徳川家康が井伊直政を佐和山城主に命じた時から始まる。直政が入った佐和山城は関ヶ原での徳川軍の総攻撃で壊滅的な状態にあり、改修するより新たに築城するほうがてっとり早く、不便な山城の佐和山城より平地に拠点を持つ方向に変わっていた。慶長6年、直政は琵琶湖の松原内湖の金亀山(彦根山)に築城を開始。家康は七カ国十二大名に築城工事を命じ、彦根城は家康の天下普請の第一号となった。金亀山は琵琶湖を望む半島のようなもので、二重の堀には琵琶湖の水を取り入れ、北側を琵琶湖に開く形式は平山城ながら海城のような佇まいを見せていた。石材は佐和山城、大津城、長浜城、安土城などから集められ、建築物の多くも前途した城から移築された。天守は大津城の移築伝承の通り昭和32年の解体修理から移築されたことが判明している。他の伝承としては、天秤櫓は長浜城から、西の丸三重櫓は小谷城から、佐和山口多聞櫓は佐和山城(以上は現存)山崎曲輪にあった三重櫓は長浜城の天守など。往時は城郭建築の移築は珍しくもなかったが、これほど移築の寄せ集めの城は珍しいのではないだろうか。 |
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