現在の城跡と往時の復原
 年 表
: 森忠政森蘭丸の弟)が信濃海津城から美作国18万石に転封し鶴山に築城。慶長3年(1613)に始まり元和2年(1616)にほぼ普請は終わる。13年近く築城にかかっているわけで、18万石の持ち城にしては櫓、門等の数が多く城内は建築物がひしめき合っていたほど。その後森氏は元禄10年に森長政のあとの藩主乱心で断絶し、結城秀康の子孫系の越前松平氏が津山城に入り親藩大名として明治まで続いた。明治になって城は廃城になり城内の建物はすべて破却され、堀も埋められ石垣と土塁が残って現在に至っている。
 天守は飾りたてる破風が全く無い当時最新鋭の層塔型。(破風の無い層塔型天守は層塔型が生まれた当初のみですぐに装飾のみ破風が付くようになるが。)最上階は廻縁と壁面は御殿風に舞良戸が全面にありその下の屋根は板屋根だった。中枢部が建物で混み合っていた津山城にはこんなシンプルでモダンな天守がよく似合う。幕末の古写真では最上階の廻縁は風雨を避けるために外側を板囲いしている。この例は福山城や米子城など複数にみられなんとも味気ない天守の姿だが、武家といえども体裁よりランニングコストなのだ。

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中枢部に所狭しと櫓、門が建っていたのが分かります。(右下をクリックするとさらに拡大します)。
縄張図(拡大図では中枢部の説明)
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この石段を上がると三の丸の長大な石垣が続き右奥に入口の冠木門跡です。
登城口石段
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三の丸内から見下ろした冠木門跡です。手前の小屋根は入園券売り場。
三の丸入口の冠木門跡
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表門跡を抜けると正面は日本一といわれる大階段です。
二の丸表中門跡
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この石段を降りきった左手に表中門があったわけです。左手の石垣が見付櫓台です。
表中門東脇の石段と石垣



備中櫓
 
平成16年(2004)に復原
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横長の櫓に四角い櫓を乗せた分かりやすい望楼型櫓でシンプルに並ぶ連格子出窓とあいまって端正で美しい姿です。
南正面
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備中櫓の平面プランはL型なので見る角度によって変化を見せます。
南西面
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西面は南正面で見る櫓と同一のものと思えない姿になります。
西面
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下から見上げると翼を広げたような端正な姿がより強調されます。この撮影時は狭間の蓋が外に開いていましたが所々に小型の蓋が出ているのに動きを感じます。
みあげ
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備中櫓は御殿の一部として機能していたのが本丸側から見るとよく分かります。一階北面は濡縁ですから開放感一杯の櫓です。
本丸側より
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備中櫓説明パネル
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畳敷、天井張りの座敷仕様でありながら壁には実線用の狭間が開いているミスマッチでありながら合理的な空間です。左写真は「厠もあります」です。
一階内部
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[左]御座之間 [右]御茶席。
一階内部
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御上段まで設けられていることから備中櫓が藩主やその家族など限られた人達のための空間であったようです。
二階内部
 
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二の丸表中門、四ツ足門を抜けこの切手門を抜けるとやっと本丸に到達します。
切手門跡
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[左]表鉄門跡。この表鉄門は門を抜けた後Uターンして上部の渡櫓を抜けるて本丸御殿に出るといった「門の渡櫓が本丸御殿の式台」になっていた特殊な構造でした。[右]表鉄門東隣の包(鼓)櫓台。
本丸表鉄門跡
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備中櫓から天守曲輪を抜けると天守は目の前です。
備中櫓から天守台
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この撮影ポイントには往時は渡櫓が建っていたのでこのアングルでは見れなかったですね。
備中櫓と天守台
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階段を登ると小型枡形があり天守穴蔵への入口がありました。
天守台
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写真手前が穴蔵入口です。
穴蔵
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右手石垣台が長櫓跡と八番門跡。左手の石垣台が重なっているところに七番門が渡っていました。
天守曲輪北側
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毎日十二刻を報ずる太鼓が打ち鳴らされていた櫓跡です。
太鼓櫓跡
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正面の石垣台が城内で最も勾配の急な粟積櫓跡です。その右手通路に十一番門がありいわゆる搦手口です。
粟積櫓台
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右手が粟積櫓台でカチッと組上げられた立体造形美があります。左手は大戸櫓跡。津山城の櫓には実に様々な名称が付いていて櫓の個性を際立せています。
粟積櫓と大戸櫓台
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階段上に裏切手門があり手前に裏鉄門がありました。
裏鉄門枡形
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このような積み足し石垣に往時の様々な流れをよく感じます。
積み足し石垣
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[上]二の丸側から見た裏中門跡 [下]本丸側より裏中門枡形。
裏中門跡
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正面石垣が荒布櫓台、その左手に道明寺櫓が建っていました。奥の高石垣は大戸櫓跡です。
道明寺櫓と荒布櫓跡
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中央石垣と右手石垣の上に裏下門が渡っていました。左手が二の丸、右に下る曲輪外です。
裏下門枡形

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曲輪外から二の丸に入る石段です。上った左手に裏下門です。
裏下門跡への石段
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二の丸から見た本丸石垣西面で堂々とした石壁が続きます。
本丸石垣西面
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破風、連格子、華頭窓などちりばめた城郭風な立派な住宅が鎮座してました。それにしてもこの意匠の詰め具合は見事に絵になっています。城にゆかりある人の住居らしいです。
登城口石段脇のおもしろ建物