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〇現在の追手門跡と城山 〇往時の追手門付近(追手隅櫓・追手門)の復元 

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城内説明パネルより
城は外郭が五角形でその二辺が海に面し、その五角形の中に城山がある典型的な平山城の形であり海城でもあります。現在では堀はすべて埋められ海に浮かぶ五角形は見ることはできませんが、堀跡がそのまま道路に変わっているので外周道路を移動すると往時の五角形の外郭は感じることはできます。北登城口から城山を登ると各曲輪の石垣は良好に保存され、位置関係もしっかりと把握できます。残念なのは追手門が戦前まで残りながら戦災で焼失したことです。古式を残した立派な門だけにその姿を見たかったですね。天守は小規模ながら装飾性の高い瀟洒な佇まいが印象的です。やはり現存する天守はいいものです。
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桑折氏は伊達家の重臣で、元は伊達氏からであり伊達一族といえます。小説「樅木は残った」の原田宗輔も桑折一族です。
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[上]井戸曲輪 [下]手前_井戸丸門跡。石垣奥_井戸丸櫓跡
北登城口の武家長屋門桑折(こおり)氏の長屋門が現地に移築されています。桑折氏は伊達家の重臣。桑折氏は元は伊達家から出ており伊達一族でもあります。 登城道の石垣石垣のはらみや所々崩壊がありますが蒼古とした古城の趣があります。 井戸丸。井戸専用の曲輪は当時の匂いが一番感じられる場所ですね。詳しい説明は拡大写真の現地説明板をお読みください。 登城道の石垣。塁々として見応えのある石垣です。石垣は打ち込み接。現在見られる石垣の大半は伊達氏による修築のものとか。
 
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二の門より本丸を見上げると本丸高石垣と天守のアングルが絶妙です。
本丸石垣井戸丸からしばらく登ると本丸下の帯曲輪の虎口になる三の門跡です。右手が二の丸への石段。左手は帯曲輪です。 本丸下の帯曲輪三の門跡より。左奥に御書物櫓がありました。ここから時計周りに帯曲輪が本丸を回り守っていました。 二の門より天守二の丸虎口の二の門よりみた天守です。 二の丸への石段左手は本丸石垣。石段を登りつめたところに二の門がありました。。
 
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二の丸跡。二の丸入口にあった二の門跡からみた二の丸です。左の石垣は本丸石垣。左に折れると本丸虎口(櫛形門)です。ここは小郭で城内でも一番狭いのではないでしょうか。右奥に御算用櫓がありました。 御算用櫓台跡御算用櫓はL字形1層に方形の2層目をのせたもの。縄張図をみれば分かりますが、宇和島城ではL字形櫓が数多くありました。 二の丸発掘調査説明板拡大して詳細をご覧ください。


〇現在の二の丸と本丸虎口(櫛形門跡) 〇往時の復元。正面左から北隅櫓・櫛形門・南隅櫓。左奥は本丸の御弓櫓と天守。
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左手が御鉄砲櫓、右手が南隅櫓、その右が櫛形門跡です。
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[左]南隅櫓跡から御鉄砲櫓跡へ [中]櫛形門跡礎石 [右]北隅櫓跡です。
本丸南側の多聞櫓跡。本丸南に連なっていた櫓群の基盤と礎石です。右に櫛形門跡の上り口。手前右は御台所の基盤石です。 櫛形門と左右櫓跡本丸唯一の門で城門には珍しく櫛形窓があったのでその名がありますが実際には華頭窓であったとか。。左右を隅櫓で挟まれた厳重な構えです。 御台所跡九間に六間の大きな台所がありました。古城図でも本丸の中でひときわ大きさが目立っています。

[ 左写真 ] 曲輪内より。切妻屋根の入口は珍しいですが、これはかってここに多門櫓が連結していた形状の名残でしょう。 [ 右写真 ] 北面。
天守閣
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天守台に幅広の犬走りを設けているのは、寛文再建に使われた石材が柔らかく天守の重量を天守台全体に負荷するのを避けたためといわれています。
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近寄って見上げると小振りながらも量感があります。
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裏手の西面も同意匠です。
正面。本丸に独立して建つ天守は小振りですが、総塗籠式層塔型に多くの飾り破風と大きな唐破風造の玄関を備えた装飾性の高い姿は凛として美しいです。 見上げ。石落。狭間もなく、泰平の世を象徴するような天守建築です。 側面。宇和島城天守は各階とも完全な正方形平面なので面量感は側面も同じです。窓の上下の長押状の水切りが全体を引き締めてます。
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[上]藤兵衛丸跡 [下]山里倉庫
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本丸井戸跡天守のすぐ横にある井戸。 御休息所跡明治末まで天守とともに残っていた櫓です。 藤兵衛丸跡城内にあった山里倉庫や城下の長屋門などが移築されています。山里倉庫内には往時の宇和島城の古写真などが展示されています。 移築された長屋門碩学で有名な穂積兄弟の生家の長屋門です。
 
藤兵衛丸跡。
長屋。
雷門跡籐兵衛丸の虎口。左に下りると長門丸です。 長門丸跡左手石垣が籐兵衛丸。石段上が雷門跡。 上り立ち門。かっては南登城口から天守まで7つの門がありましたが、残っているのはこの門だけです。市指定文化財。 黒門跡このあたりが左手堀と右手海の接点で、海に向かって開いていた黒門と海手隅櫓がありました。古写真に残っている海上からの姿はまさに海城そのものでした。

 年表
天慶4年 941 ○橘氏が砦を構える
安土 天文14年 1546 ○家藤監物丸串城に入城
桃山 天正3年 1575 ○西園寺氏 入封
文禄4年 1595 ○藤堂高虎 入封
慶長6年 1601 ○慶長元年(1596)からの大改修が完成
慶長19年 1614 ○伊達秀宗(政宗の長男)入封
江戸
寛文2年 1662 ○2代・宗利 改修始める
寛文11年 1671 ○改修完成
住所 :愛媛県宇和島市丸の内1丁目 
(電車)JR予讃線宇和島駅から徒歩約 15分

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