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| 現在の大手門跡(駐車場)から見た臼杵城と往時の臼杵城(左から時鐘櫓、会所櫓、古橋門、亭櫓、大門、中ノ門、井楼櫓、畳櫓)。 |
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| 湾曲した石垣。古橋門を抜けると目の前に大きく湾曲した石垣が立ちはだかっています。沖縄を除いて国内の城でこれほどの円弧を描く石垣も稀ですね。 | 崖穴に石垣。崖のあちこちに穴があり石垣が埋め込まれています。この穴が築城以前からあったものか、石垣はいつ埋め込まれたのか、不思議な穴です。 |
切り通しの坂道。巨大な崖を切り開いて作った登城道です。城内にこれほど大きな岩の切り通しがあるのも珍しいです。 | 時鐘櫓跡。二の丸下の腰曲輪の北西隅に時を告げる時鐘櫓が飛び出た石垣上にありました。現在も名残のような鐘屋が建っています。 |
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| 現存の畳櫓。二の丸前腰曲輪の中ノ門前に立ちはだかる二層櫓です。臼杵城の櫓はこの櫓のように上下層が同じ平面を持つ、いわゆる「重箱」形体でした。 | 二の丸大門。平成13年に木造で復元された二の丸大手の二層櫓門です。背後に枡形はありません。 | 二の丸大門裏手。大門の二の丸側には枡形はなくまっすぐ二の丸に入れます。 | 井楼櫓跡。大門の南横にあがっていた大型の二層櫓跡です。明治初年の古写真にその姿が残されています。畳櫓の倍もあるような堂々たる櫓でした。 |
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| 本丸口。グラウンドなどに転用されている広大な二の丸を抜けると空堀に仕切られた本丸です。左手の土橋を通って右に折れると鉄門の枡形があり、鉄門を抜けてさらに左手の門をくぐると本丸という堅固な構えの本丸口です。二つの門を構成した枡形石垣は現在はありません。 | 空堀跡。土橋南側の空堀跡で、左写真の右端の通路からの撮影です。右手の通路下は切り立つ岸壁で、正面石垣上に武具櫓があがていました。 | |||||||
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| 天守台跡。土橋の左手に見える天守台跡です。かなり崩壊していますが、発掘調査が進行中なので自然崩壊かどうかは定かではありません。 | 本丸跡。広々とした本丸跡です。 |
発掘調査中の天主台跡。三層の天主があがっていたようです。発掘の様子を見ると穴蔵はなかったようです。 | 本丸東突端。本丸の東橋には南北に海雲櫓と亀首櫓があがっていました。現在は埋め立てられていますが、往時はここから臼杵湾が広がっていました。 |
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| 天守台跡。勾配の緩やかな末広がりの美しい天守台であったのが伺えます。発掘調査が終わり美しく整備保存されたのちの天守台を再訪するのが楽しみです。 | 卯寅口門脇櫓。現存の二層櫓で、切妻屋根が特徴です。二層目の建ちが低いので一層目の屋根は庇のようにも見えます。 | 本丸搦手口。正面の谷間になっているあたりに本丸搦手の卯寅口門がありました。海に通じる門です。 | ||||||
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| 本丸搦手口海側。かっての海側からみた搦手口です。卯寅口門脇櫓が断崖絶壁上に建っているのがよく分かります。 | 本丸東突端。右手の木立が盛り上がっているあたりがかっての丹生島の最東端の亀首岬です。往時は臼杵湾の潮が岸壁を洗っていた様子が目に浮かびます。 |
岸壁南西隅。城の正面に戻り、南西隅の岸壁上に建つ畳櫓です。手前にあった堀は埋め立てられていますが、今でも天然の要害であったのがよく分かります。 | ||||||
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| 大手門跡前の武家屋敷。藩主の末裔、稲葉子爵が明治大正時代に臼杵滞在の折りに使用した稲葉家下屋敷です。 | 転用された櫓。稲葉家下屋敷内には臼杵城の櫓を転用したと伝えられる建物が家屋として残っています。確かに全体のフォルムは臼杵城櫓に共通したものがありますね。。 |
お召し船模型。臼杵藩の参勤交代では船で大坂から伏見へとに行き、伏見から陸路で江戸に向かった。このお召し船は伏見までの川船の模型です。実に華美。。 | 旧平井家住宅。江戸後期の建築様式をとどめている上級武士住宅です。保存修理工事で、「安政6年(1859)」と記された棟札が出ました。座敷には天井板がありません。 |
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