本丸天守群の往時復元 (マウスを画像にドラッグしてください)
 年 表
広島城は毛利輝元が慶長4年(1559)頃に完成させたが、翌5年関ヶ原の西軍の将を輝元が務めたために戦後周防・長門」に転封となる。その後、福島正則が移封し、広島城の増改修を行ないほぼ現在の姿になりますが、元和3年(1617)洪水での石垣等の被害に正則は幕府に無届けで櫓と石垣の修築をしたため幕府の怒りにふれ改易となります。その後、紀州和歌山から浅野長晟(浅野長政の次男)が転封。これが忠臣蔵で有名な浅野本家になります。以後この浅野家が明治維新まで12代続きます。 : 広島城は大田川の三角州に築かれた完全な平城で、築城した毛利輝元は秀吉の聚楽第を参考にしたといわれ、中枢部の平面プランは伝えられている聚楽第のものとよく似ている。[本丸] は南北に少し長いシンプルな方形で本丸内の三分の二ほどの北方を一段盛り上げて本丸上段とし本丸御殿を配置した。その本丸上段の北西隅には大天守と2基の小天守が複合連結式で構成された圧倒的な天守建築群が建てられた。[二の丸]は本丸南面に馬出しの形で造られ本丸とは土橋でつながっている。本丸、二の丸は総石垣で、三の丸と外郭は土居(櫓台と枡形は石垣)だった。特筆すべきは櫓の数で、最終的には総数88もあった。戦前まで現存していた大天守、本丸中御門、二の丸建築群は原爆により惜しくも倒壊消滅した。戦後に鉄筋コンクリートで復元された天守閣は細部に復元の誤りはあるものの、その立ち姿は今でも桃山式の凛とした秀麗な美しさが見てとれる。また平成6年には二の丸表御門、平櫓、多聞、太鼓櫓の建築群が江戸時代の姿に戻した木造で復原されている。


本丸正面復原。[左奥] 大天守と南小天守 [手前から左から] 二重御櫓、二重御櫓、平御櫓、中之御門、二重御櫓。


広島城のいま



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左から二の丸表御門、平櫓、多聞櫓、太鼓櫓。
二の丸
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二の丸内側よりみた表門です。白木の長押や舟肘木が古式でいい感じですね。
表御門内側
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表門横の多聞櫓入り口よりみた表門の表情。古式であっても真壁造りは格式が感じられ美しいです。
多聞櫓入り口から表御門
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表御門横の平櫓壁面です。突上戸(原始的ながら風雨には最適。防火能力は低い)の様子がよく分かります。
平櫓内部

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多聞櫓の内部は柱と真壁の連続するパターンが美しいです。
多聞櫓内部

縄張図
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真壁と白木の柱、長押、舟肘木の組み合わせが古式な姿をみせています。
表御門内部
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二の丸の太鼓櫓側から本丸をみたところです。上の本丸正面復原図と同じようにこの本丸東面も櫓、長塀、門等が建ち並んでいました。石垣の横矢掛りの屈曲が美しいです。
二の丸から本丸を望む
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木造復原はこのように木組みがしっかり確認でき有り難いですね。 。
表御門屋根裏木組み
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本丸側からみた本丸中御門跡です。この中御門も戦前まで現存していましたが原爆で焼失。二の丸表御門と同じデザインで横に二間ほど大きいものでした。
本丸中御門跡
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本段北にあった多聞か櫓跡の石垣です。この何でもないような石垣に割り込む合坂に歴史の足音を感じます。
本丸上段北の石垣と合坂
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天守とともに原爆で消滅した大本営(明治6年広島城は中国・四国の本営に成り、日清戦争には明治天皇が行幸し大本営になる)の基盤が残っています。
大本営跡
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東小天守台前にかっての天守の礎石が配置保存されてます。
天守礎石
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本丸北西隅に向かう通路です。右石垣が南小天守台と奥に天守台、左は石塁に登る合坂です。
本丸北西隅
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[左]南面 付櫓風入口は戦前のように南小天守に繋ぐ東廊下の一部らしく真壁にして欲しいですね。それにしても正面から見上げる天守は威風堂々としています。  [右]東面 平面をみせる東面は鳥の羽ばたきのような優美な感じがします。どちらの天守も廊下があった往時では見れない角度ですね。正面の階段は非常階段だと思いますが非常時には心もとなく感じる規模ですが、天守の景観としてはこれくらいがありがたいですね。名古屋城のあの巨大な非常階段は嫌でもコンクリート復原を再認識させられますから。。。
天守閣2面
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緻密な懸魚や白木と真壁の組み合わせの中に狭間。。この大千鳥破風には戦国武将の無骨さの中の美意識を強く感じます。見飽きない美しさです。
大千鳥
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広島城天守のもう一つの美しさはこの屋根の反りでしょうか。社寺仏閣を思わせる屋根の反りが優美さを際立たせています。
天守屋根
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下から見上げる天守は見事な石垣とあいまって大迫力です。コンクリート復原であることも忘れるほど天守表皮は見事な造形美です。これが原爆で倒壊する以前の現存天守であったならさぞかし、、と残念です。
天守見上げ
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天守台から続く東小天守台と多聞櫓台です。天守台と小天守台石垣は毛利時代のものと考えられ石垣技術もまだ完成域に達していなく勾配が緩やかなものですが、その伸びやかな広がりがまた美しいです。
東小天守台
 
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本丸上段北端の多聞櫓台から東小天守に登る石段です。
 東小天守台石段
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福島正則が破壊したといわれる本丸上段北東面の石垣です。しかし、、浅野氏が入封した後もそのままにしていたのでしょうか?
破壊された石垣
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本丸上段西の南小天守に続く長櫓台跡です。
南小天守前の長櫓台