天守閣の復元(往時の復元では最上階は廻縁なしにしています)
 
(FLASHで移り変ります)
 年 表
: 小田原城の現在は近世城郭の顔をみせてますが、世に有名な「秀吉の小田原攻め」の当時は中世城郭の典型でありその規模は全国でも最大級のものでした。小田原城の始まりは鎌倉時代に遡るとみられ土肥氏が創建とか。。応永23年(1416)大森頼春が城主になり次の代で北条早雲に奪われます。ここから後北条氏が4代にわたり関東に協力な勢力をはっていきます。
天正18年(1590)、天下統一を進める豊臣秀吉の小田原攻めにより後北条氏は滅びます。秀吉により関東に移封した家康は配下の大久保氏を小田原城に入れる。慶長19年(1614)大久保氏が改易になった後一時安部氏が入ってがしばらくは番城になっていた。寛永9(1632)稲葉正勝(春日局の子)が転封すると本格的な改修に着手しこの時期に現在の小田原城の近世城郭の顔に生まれ変わった。貞享3(1686)大久保(忠朝)が再び入り、以明治まで大久保氏が続いた。
: 現在の小田原城は本丸、二の丸が残っているが大半の堀は埋めら市街地が迫っている。また本丸には小さな動物園もどき(象と猿)があり天守裏手には子供遊園地まである。近代の「城郭を市民に開放」方策でも城をパーク化させた例だろう。それでも近年になってやっと自治体も城の本格復元に本腰になったようで、銅門枡形や住吉堀を完成させ現在も馬屋曲輪の復元工事が進行中です。小田原城は歴史的にエポック・メイキングな城だけにさらなる今後の再生整備が楽しみです。


小田原城のいま



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本丸の正門である盤木門です。昭和25年に枡形復元、昭和45年に櫓門と南多聞櫓が木造で復元されてます。
盤木門
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平成9年に旧来の工法で本格的に木造復元された銅門です。
復元された銅門枡形
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発掘調査で位置確認された堀跡を菖蒲園としています。
本丸東堀
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銅門を御茶壷曲輪から。堀は今回の銅門復元に併せて復元された住吉堀です。
銅門と復元の住吉堀
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堂々たる重層櫓門です。門の大扉の銅金物が銅門の名の由来ですね。
銅門
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この位置には明治末まで城内でも唯一の現存櫓があったが関東大震災で石垣もろとも堀に倒壊。昭和9年にコンクリート製で外観復元されたがサイズは一回り小さくなった。L字型の平櫓。
復元の二の丸平櫓
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現在、馬屋曲輪の馬出門枡形復元工事が進んでいます。これが完成すると江戸時代の正式な登城ルート(馬出門から銅門を通って本丸)が出来るわけです。
馬出門枡形復元工事
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寛永期の天守を天守雛型や絵図を参考にして昭和35年に外観復興されたもの。最上階の高欄付廻縁は往時にはなかったもので復興時に市の要請で付け足したもの。
復興天守