現在の湊山山頂の天守台と往時の復元(天守の後方が小天守)
 
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: 米子城は応仁年間に山名教之の配下、山名宗之によって飯山に築かれたのが始まりとされ、その後戦国期に毛利一族の吉川広家が飯山に隣接する湊山に場所を移して新たに築城したのが現在の米子城になります。広家は本丸に三層天守とほぼ現在の縄張りを完成させた後関ヶ原の役により岩国に転封になります。替わって中村一忠が転封しさらに縄張を拡大し本丸に新たに五層天守を建て本丸に新旧二基の天守が並び立ちます。慶長14年に一忠は亡くなり跡継ぎがいないことで断絶になり、以後城主は、加藤氏、池田氏と替わり、寛永から明治まで鳥取藩主席家老荒尾氏が11代続きます。 :米子城は山麓に二の丸、三の丸を置き標高90mの湊山山頂に本丸を配置した典型的な平山城です。米子城で一番の特徴はやはり二基あった大小天守。同一城主による同時期建造の大小天守ではな約5年を隔てた別大名建造というもの。先に建てられた天守はその規模から小天守の座に落ちたわけだ。どちらの天守も古式な望楼天守だったが後世になって望楼部は寒さや風雨から守るために板壁で覆われてしまった。この地がいかに寒い地域であったかが理解できます。また、望楼部をだけを板壁で覆う例は松江、福山城等ありますが、この天守は4階と5階を袴腰状の板壁で覆った特異な形状であったのも興味深いです。本城の鳥取城にもない威容を誇る天守であったと思われたこの二基天守も明治13年頃に払い下げられ簡単に取り壊されてしまったといいますから残念です。
 年 表


米子城のいま



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二の丸入口の枡形です。米子城に共通するのは枡形の一の門が存在せず二の門の櫓門だけです。この枡形では二の門すら高麗門でした。
二の丸虎口桝形
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桝形内部は広くきれいな形を残しています。正面石段の右手が二の丸で石段右手の石垣上には大型の二層櫓が存在したようです。
桝形内部
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桝形から左手の登山道(登城道)を登り始めるて数分もすると虎口らしき石垣が見えてきます。雑草や苔に覆われているのが古城っぽいです。
山頂曲輪の入口
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本丸入口です。左手の石垣が鉄御門(間口12.72m、奥行4.5m、2層建)跡。右手が小天守台です。美しい形なのは幕末に積み直されたもので大天守台より新しい様式になっています。
本丸入口の門跡と小天守台
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本丸内は仕切門でいくつかの曲輪に分かれていました。
本丸仕切門跡
米子城縄張 :現在平野部は堀は埋められ麓には桝形が残るのみ。山頂に本丸、大小天守台、北中腹に内膳丸、麓の二の丸跡片隅に御殿井戸が残っている。
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本丸跡は原っぱ状態です。さほど広くはありません。
本丸跡
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大天守台は二段の石垣の上に築かれています。未完成な技術的をカバーする手法といわれますが構成美はあります。
三段組の大天守台
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天守台はコンクリートで固められ唖然としますが礎石はキチンと露出されてます。米子市街、中海、大山がパノラマで広がります。
大天守台
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大天守台の三段組石垣を斜め下から見たものです。石垣の重なりが美しいです。右手を登ると本丸です。左手に小天守台があります。
大天守台三段組石垣
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大天守台より小天守台を見ます。左斜め奥が大山です。
小天守台
 
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市内にあった小原家の長屋門が市に寄贈され現在地に移築されたもの。小原氏は米子荒尾家の家臣で禄120石。江戸時代中期の建物で米子市内唯一の貴重な武家屋敷です。
移築された旧小原家長屋門
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撮影する角度や光線の具合で同じ小天守台でも感じがかなり違います。
小天守台みあげ
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石垣隅の合わせが珍しいく鋭角に飛び出して?います。細部を見ると各地の城で面白いところを発見します。
カミソリ状の石垣隅部